スケープゴートにされるのは誰か

2001年4月22日

スケープゴートのもともとのヘブライ語での意味は、古代ユダヤ人の罪を象徴的に負うヤギのことであるが、転じて、他人の過失の責任をとる身代わりの個人または集団という意味で使われるようになった。では、どのような存在者がスケープゴートの候補となるのか。

Image by Gerd Altmann + OpenClipart-Vectors from Pixabay modified by me

1. 中心と周縁の政治力学

スケープゴートが犠牲となるのは、コミュニティが、自然災害や経済的混乱などのエントロピーの増大に直面した時である。社会不安がコミュニティに広がり、コミュニティが無秩序や内乱の危機に瀕する時、誰かがエイリアンにエントロピー増大の責任を負わせ、血祭りにする。その人物に本当に責任があるかどうかはどうでもよい。コミュニティのすべてのメンバーが、一体となって生贄を屠れば、その一体性がコミュニティの統一性を回復する。

迫害者と犠牲者は、通常中心と周縁の関係にある。中心/周縁と上/下の違いを、そのもともとの空間的イメージの違いから説明しよう。Aがヒエラルヒーの上にいて、Bが下にいるならば、AにとってBは下であり、BにとってAは上である。このことは、上下関係が相対的で反転可能な概念ではないことを意味している。

では、中心/周縁の方はどうか。Aにとって、Aが中心で、Bは周縁だが、Bにとっては、Bが中心で、Aは周縁である。中心と周縁の区別は、エゴイズムに基づく限り、相対的で反転可能である。どちらが定冠詞付きの客観的な中心で、どちらが周縁に属する不定冠詞付きの主観的な中心であるかは、どれだけの資本を持っているかによって決まる。

ここで、システム論という観点からすれば、中心/周縁関係がシステム/環境の区別に相当することに気がつくことが重要である。スケープゴートを排除することは、システムが自己自身と環境とを区別することにより、自己を再統一し維持するために必要なのである。個人は自己をその判断に基づいて選択し、自己の環境を排除する主観的な中心である。しかし、前回述べたように、個人は選択することを通して選択され、社会システムにおける客観的な中心/周縁構造に位置付けられていく。

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Hartwig HKD『スケープゴート』[1]

スケープゴートは、コミュニティの内部に求められることもあれば、コミュニティの外部に求められることもある。前者の場合、コミュニティにおいて権力のある多数派が、権力のない少数派を犠牲にする。後者の場合、コミュニティは、メンバーの不満を外部の標的に向かわせようとする。その場合、前者の場合とは異なって、全コミュミティが中心となる。しかしそのコミュミティが、より広い地平において、客観的な中心となっているとは限らない。ソ連支配下の少数民族のリーダーが、スターリンをスケープゴートとして糾弾して同僚を扇動することはできる。少数民族のグループはソ連の周縁でしかないが。しかしそうしたスケープゴーティングは、力関係から失敗するので、迫害者は、犠牲者より数的優位を持たなければならない。

典型的なケースでは、権力を持った多数派の中心が権力のない少数派の周縁をスケープゴートにする。他方、通常の社会では、少数派が多数派を搾取している。このずれを説明するためには、中心を事実上の支配階級である中核と事実上の被支配中間階級である半周縁(半中核)に分類して分析する必要がある。支配階級は、被支配階級の団結を恐れている。だから、「分割して統治せよ divide et impera」の原則に基づいて、支配階級は、被支配階級を多数派の中間階級と少数派の周縁階級に分割し、後者をスケープゴートとして迫害することにより、前者に「自分たちは、多数派で、現体制から恩恵を受けている」という幻想を抱かせ、支配階級と我々意識を共有する。インドのパーリアや日本の被差別部落は、スケープゴート階級の典型である。

中核が腐敗し、半周縁の被搾取感が強まると、中心の一体感が失われ、中核が逆にスケープゴートとして槍玉に挙げられることがある。中核は、その個別的な高資本のゆえに、比較的安定した地位にあるが、権力は資本の合計によって決まるのであり、多数派の人望、すなわち政治的資本を失うならば、革命によって倒されることが多い。

2. スケープゴートとしての魔女

しばしば引き合いに出されるスケープゴートの事例は、中世ヨーロッパにおける魔女狩りである。キリスト教が支配する以前のヨーロッパでは、豊饒と母性との連想から、アニミスティックな母性崇拝の宗教が見られた。この母性崇拝の宗教に対して、ユダヤ-キリスト教は父性の宗教であった。ユダヤ教は、当初父権的ではなかったが、自分たちを東洋の宗教から区別するために、モーゼが宗教改革を行い、ユダヤ教を純粋に父権的な宗教にしてしまった。キリスト教も、ユダヤ教に基づいているために、父権的であり、母権的なアニミズムを克服した。キリスト教がヨーロッパで普及していく過程で、キリスト教は一方でマリア信仰を取り入れることで原住民と妥協しながら、他方で、原住民が信仰する女神を魔女として迫害していくことになる[2]

魔女を表す英語 witch は、魔法と関係があり、フランス語の sorciere もまた魔術師を意味するだけだが、注目すべきことに、ドイツ語の Hexe は「垣根」を意味する Hag や Hecke から由来している。 Hag は、魔女を表すもう一つの英単語である。ラテン語の striga やイタリア語の strega も垣根から由来している。魔女とは、中心と周縁を区別する垣根を越える女性のことなのである。

魔女は、体に特殊な軟膏を塗り、箒にまたがって空中を飛び、サバト(宴会)に加わると信じられていた。軟膏は催淫薬、箒はペニス、空中を飛ぶことはオルガズム、サバトは性的オルギーを意味した。こうしたディオニソス的な無秩序は、魔女が性的規範の境界を侵犯することによってもたらされると考えられた。システムと環境の境界が揺らぐ時、システムは危機に陥る。魔女を火あぶりにすることは、システムが自らを環境から差異化し、秩序を再生するために必要な儀式だったのである。

中世の魔女狩りは、気候の低下により不作となった時が最も盛んであった。支配階級は飢餓の危機に対する責任を回避するために、誰かに濡れ衣を着せなければならない。中世のキリスト教権力がスケープゴートに選んだのは、彼らにとって周縁的でエイリアンであった異教徒の魔術師であった。

スケープゴートとなった人々の中には、男性もいたが、大部分は女性であった。その理由は二つある。第一に、女性は当時周縁的な地位しか持たなかった。第二に、不妊の女性は凶作を連想させた。だから、不妊の女性は、魔女の有力な候補となったのである。

キリスト教は、ローマ帝国に公認されるまでは、スケープゴートの対象であった。権力を握ると、逆に異教徒の弾圧を始める。18世紀の後半魔女裁判は終息し、市民革命の進展と共にキリスト教は権力を失う。中心/周縁関係は、常に変化する。

3. 参照情報

  1. Scapegoat” by Hartwig HKD. Taken on November 7, 2009. Licensed under CC-BY-SA.
  2. 上山 安敏.『魔女とキリスト教―ヨーロッパ学再考』講談社 (1998/1/9).