4月 292001
 

所有と占有の区別は何か。社会システムにとって、私的所有の相互承認はなぜ必要なのか。所有物はどこまで拡大解釈できるか。これらの問題をシステム論的に考えてみよう。

image

1. 意のままになることしての所有

Xを所有しているとは、Xを意のままにすることができるということである。私が、Xを意のままにすることができる時、私とXとの間にあるエントロピーが縮減され、私とXは、システムと環境の関係ではなくなる。だから、Xを所有するということは、Xが拡大身体の一部になるということである。

他者が意のままにすることができて、私は意のままにすることができないものは、他者の所有物であって、私の所有物ではない。誰一人として意のままにすることができないが、その集団の過半数の意志で意のままにすることができる物は、その集団の所有物である。冥王星の土地のように、誰も意のままにすることができないものは、誰の所有物でもない。

2. なぜ占有は所有ではないのか

Xを持っているが、それを意のままにすることができない場合、それは所有ではなくて占有と呼ばれる。私は友人からいすを借りて、その上に腰をかける(occupy 占有する)ことができるが、そのいすを勝手に処分することはできないので、所有しているとはいえない。

もしも、占有がそのまま所有になるならば、すなわち、たんにXと私の身体が接触しているあるいは接触していただけで、Xを所有したことになるならば、複数の任意の人が同一のXを所有することができることになり、所有の不確定性が増大する。所有権が確立されていない無法状態では、ゲームの理論により、できるだけ多くのものを占有することが最適反応である。その結果、誰もがすべてを意のままにしようとするがゆえに、誰もなにも意のままにすることができないという高エントロピーな状態が帰結する。

私たちは、価値あるものすなわち資源を所有したいという欲望を持つ。価値とは低エントロピーのことなのだが、いくらその物質的エントロピーが低くても、社会的な不確定要因のゆえに、意のままにすることができない、つまり自分が意図するのとは他のようでありうるのなら、その不確定性、すなわちエントロピーの度合いに応じて価値は減少することになる。

所有は、法によって正当化された占有だというのが、通常の法哲学の説明である。権力者という媒介的第三者が、法律というコードを通して、何でも所有できるがゆえに何も所有できないという不確定性を縮減する。

法律は、価値の所有権を、その価値という低エントロピーを作り出したネゲントロピーであるシステムに帰属させる。労働者は、労働の生産物を所有することができるというわけだ。では強盗は、強盗というエネルギーを要する労働の報酬として、新たな所有物を手に入れることができるのであろうか。そうではない。不法な搾取は、マイナスサムであるがゆえに、正当な労働と区別される。逆に言えば、所有権という権利は、競争がプラスサムとなるように労働を方向付けているということができる。

「万人の責任は誰の責任にもあらず」(Everybody’s responsibility is nobody’s responsibility)。すなわち、万人の自由は誰の自由にもあらず。万人の所有物は誰の所有物にもあらず。すべての資源を公共財にする共産主義の理念は、個人間にある、労働生産物の所有に関する不確定性の溝を完全に埋めることはできないから、忠実に実現しようとすると、生産性の低下と資源の浪費をもたらし、現実と妥協しようとすると、無法状態を帰結する。

3. 所有物の分類

多くの人々が所有したいと望む資源には、身体資源、文化資源、政治資源、経済資源の四種類がある。

  1. 私たちが最初に所有する資源は、身体である。しかし、産まれたときから身体を所有しているわけではない。赤ちゃんが、例えば、二足歩行するなど、自分の身体を意のままに操るようになるまでには、かなりの努力と時間が必要である。だから身体資源もまた労働の産物なのである(たんにセックスという「労働」の産物であるだけでなく)。
  2. 文化的資源の代表は、知識である。例えば、自転車の乗り方を知っている(フランス語で savoir)ということは、自転車に乗ることができる(savoir)ということであるというように、知っているということはその知識に基づいて行為することができるということである。プラクシスとかかわりをもたない知はない。もっと正確に言えば、認識自体が選択という行為である。知識を所有するということは、その知識に基づいた行為を意のままにすることができるということである。
  3. 政治資源とは、《味方の資源マイナス敵の資源》である。政治的な資源を所有する人は、他者を意のままに動かすことができる。
  4. 経済資源を多く所有すればするほど、経済以外の資源を含めて、多くの資源を意のままにすることができることは、言うまでもない。負債を抱えている人は、経済資源がマイナスの人であり、政治資源がマイナスの人と同様に、他者の意のままになることが多い。

私たちは、どの種類の資源に傾斜するかは別として、できるだけ多くの資源を所有しようとする。そして、所有の定義から明らかなように、所有への欲望は、権力への意志なのである。

読書案内
書名法社会学
媒体単行本
著者N.ルーマン 他
出版社と出版時期岩波書店, 1977/04
書名所有という神話―市場経済の倫理学
媒体単行本
著者大庭 健
出版社と出版時期岩波書店, 2004/07
このページをフォローする
私が書いた本

  One Response

  1. 以前に大工のアルバイトをしてたのですが、職場のとあるおじいさんは
    道具が手の届くところにあれば、誰の持ち物であってもひょいと使うので
    おまえはインディアンか!ってみんなから突っ込まれていました。

    これはボクの話ですが、職場に私物の道具を提供して、置いておいたことがあります。
    毎日水をまくという作業があって、誰かが当番でやるんですが
    この水道の所に脱着式ホースがあったらわざわざ毎回運んでくる手間が省けるなって。
    はじめは自分が楽するために自腹で購入してきた物だったんですが、みんなも使えばいいさと、現場に置いておいたんです。

    そしたら会社の上層部は良い顔をしなかったようで、
    すぐさままったく同じホースがそこに常備されるようになり、ご丁寧にも〇〇株式会社所属と
    ネームまで印刷されていました。
    ボクは内心苦笑して、自分が買ってきました!なんて得意顔をするつもりも無かったので、どうなってるんだろうね?って
    しらばっくれた表情で、今では現場にホースが2本もあって、こんな要らないぞw

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

Facebook
Facebook
Google+
Google+
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/possession-property
LinkedIn