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中心と周縁

2001年4月15日

中心/周縁という区別は、中心に宮廷や寺院が位置し、それを官僚や貴族の居住地区が取り囲み、さらにはそれらを商人、職人、農民という周縁が取り巻いている古代都市などに見られる階層構造をモデルにした概念だが、社会学では、社会システムにおける<資本=権力>の偏在を表す対概念として非地理的に使われることが多い

Image by MoteOo + OpenClipart-Vectors from Pixabay modified by me

1. 中心/周縁は本質/非本質と同じではない

本質/非本質(偶有性)という哲学的な区別は、以下の理由で、中心/周縁という社会学的な区別とは一致しない。

1.1. 本質だからといって中心とは言えない

身体システムでは、脳が本質的で、つめや髪の毛は非本質的である。すなわち、前者は、後者とは異なって、それなしでは身体システムが成り立たないほど重要である。しかし身体システムでは、社会システムにおけるように、自己意識を持った、つまり<資本=権力>の高低を表象できるエージェント(サブシステム)が相互選択するわけではないので、脳が中心でつめや髪の毛は周縁といったような区別は意味がない。

1.2. 中心だからといって本質とは言えない

逆にフランス革命前のアンシャンレジームにおける寄生虫的特権階級は、高資本=高権力であったので、第三身分という周縁に対して中心であったが、そのような階級がなくても社会システムは存続できる、否、存在しないほうがまともに機能するのだから、本質的(essential 不可欠)とは言えない。

2. 選択することによって選択される

社会システムは、相互依存的な選択の不確定性を縮減する。そして個人は、相互に選択することを通して、おのれを選択される存在にする。

例えば、受験生がどこの大学に入学しようかを考えている場合を考えてみよう。受験生は、第一志望A大学、第二志望B大学、第三志望C大学 … というように、中心/周縁関係である優先順位を作って、それを選択の基準にする。受験生は、大学のランクにしたがって、優先順位をつけているつもりなのだろうが、大学のランクは、実は複数の大学に合格した時どこを選ぶかという受験生の選択によって決まる。両者の間にはオートポイエーティックな循環の関係があるわけだ。

試験の結果、受験生は、第一志望のA大学に不合格となり、第二志望のB大学には合格したとしよう。後で「自分は、本当はA大学なんかに行きたくなかった。A大よりもB大の方が良い大学だ。」などと言っても、それはルサンチマンというものだ。受験生たちの欲望が大学のランクを決めるのだが、受験生たちは、まさにその欲望を通して自分自身のランクを決めるはめになる。

3. 差異を欲望する者は差異化される

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地球全体に先進国と中心(青色の国々)とし、途上国を周縁(赤色)とする差異の構造がある。紫色の国々は両者の中間である半周縁の国々である。Source: A world map of countries by trading status, late 20th century.

古来多くの社会思想家は、平等な社会を理想としてきた。しかし人々が選択の自由を求める限り、そしてさらに《差異への欲望》を満たそうとする限り、中心/周縁構造はなくならない。情報革命により、ヒエラルヒー型社会からネットワーク型社会への構造転換が起こりつつあるが、それによって<資本=権力>の偏在が是正されるわけではない。むしろ持つものと持たざるものの格差はますます大きくなっていく。ただヒエラルヒー型社会では、社会の階層化を表す空間的メタファーとして《上と下》が用いられてきたが、ネットワーク型社会では、《中心と周縁》が、より適切なメタファーとして使われることになる。