人はなぜ笑うのか

2003年11月1日

私たち人間は、しばしば、たわいもない冗談を言っては、口を横に広げ、腹筋を収縮させながら「あっはっはっはっ」と断続的な呼気を発する。この奇妙な動作は、生物としてのヒトが生きていくうえで何の役にも立っていないように見えるのだが、一体なぜ、何のために私たちは笑うのだろうか。

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ラーフ型の笑い。

1. ラーフとスマイル

一口に笑いと言っても、その形態は多様であるから、この問いに一言で答えることはできない。だから、まず笑いの分類から始めよう。一番ポピュラーな笑いの分類は、“laugh”と“smile”の区別である。日本語でももともと「わらふ」と「ゑむ」は表現上区別されていた。両方とも「笑」という漢字を当てたために、表現上の違いが不明確になったが、「あっはっはっはっ」と声を出すラーフ(図1)とにっこり微笑むスマイル(図2)の違いは明確である。

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スマイル型の笑い。

また、笑いには思わず笑ってしまう不随意の笑いと、意図的に笑う随意の笑いがある。以下、スマイルとラーフ、不随意と随意で四つの笑いを区別し、その原因を考えたい。

2. スマイル

2.1. 不随意のスマイル

ラーフと比べると、スマイルは説明が簡単である。作り笑いは別として、自然にできる不随意のスマイルは快を原因としている。微笑む時、唇を“U”の字にする大頬骨筋は、乳児が母乳を吸い取る時に使う筋肉であるので、個体発生上のスマイルの起源は、母乳を吸った時の満足の表情であると言うことができる[1]

しばしば「人間は笑う動物である」と言われるが、不随意のスマイルは、人間の独占物ではない。「うちのペットは、長い間世話をしてやっているのに、ニコリともしないぞ」と反論する人がいるかもしれないが、どの動物も、それぞれの方法で快感や満足を表現するものである。例えば、うれしい時、犬は尻尾を振り、猫は喉をごろごろ鳴らす。人間は、ニッコリする以外に、歓声を上げるとか小躍りするなどの喜びの表現方法を持っている。人間の喜びの表現形態だけが、他と比べて優れているとか進歩的だとか言うことはできない。

2.2. 随意のスマイル

それでも、私たちの笑いには、人間特有ではないのかと言いたくなるような特殊な動機に基づく笑いがある。例えば、失敗した時の苦笑いとか、恥をかいた時の照れ笑いとか、秘密を隠す時の当惑した作り笑いとか、明らかに快を原因としない笑いがある。快を原因とする笑いを司るのが、視床下部(間脳)や辺縁系(大脳旧皮質)といった、系統発生的に古い脳であるのに対して、今列挙した類の笑いは、大脳新皮質、特に前頭葉が司っている笑いであり、進化の歴史において、かなり新しく出来した笑いである。

快を原因としない新しいタイプの笑いは、有害なものを吐き出す動作に由来するという仮説がある。

口のなかにはいった有害なものを吐きだそうとするとき、哺乳動物は口を横に広げて口角をうしろへひき、歯を出し、舌を突きだす。このとき高い叫び声をあげることが多いが、それは有害なものが吸いこまれないように声門をとじ、呼吸をとめたあと、急に強く吐きだすためである。[2]

口の中に母乳が入ってきた時の笑いと有害物が入ってきた時の笑いでは、性質は全く違う。母乳がプラスの快であるのに対して、有害物はマイナスの快であるが、マイナスの快を排出して、快をゼロにすることは、快の変位としてはプラスである。そこで、前者を「快によって作られる笑い」、後者を「快を作る笑い」と名付けることにしよう[3]

哺乳動物の「快を作る笑い」は、ラーフなのかスマイルなのかよくわからない、未分化な段階の「笑い」である。口を横に広げて口角を後ろに引き、歯を出すという点ではスマイルだし、高い叫び声をあげるという点ではラーフである。これに対して、より人間に近い哺乳動物、すなわち霊長目の動物では、スマイルとラーフは分化している。オランダの動物学者ファン・フーフは、マカク属のサルの観察から、サルの“声を出さずに歯をむき出しにする表情 silent bared teeth display”はスマイルに、“口を緩めて開ける表情 relaxed open mouth display”はラーフに相当すると言う[4]

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サルが笑っているかのような表情を見せることがある[5]

声を出さずに歯をむき出しにする表情は、劣位のサルが優位のサルと出会った時に見せる表情である。サルにとって、自分よりも力のあるサルが接近することは、口の中に有害物が入ってくる場合と同様に、危機の接近であり、歯をむき出しにするのは、その危機を遠ざけようとする防御反応である。歯、とりわけ犬歯を相手に見せるということは、相手に対する威嚇となるはずなのだが、実際には、優位のサルは劣位のサルと戦うことはない。歯を見せるということは、相手が自分を恐れるに足る身分であるということを承認していることになるのだから、優位のサルは、自分の優位が承認されていることに満足し、劣位のサルになんら危害を加えずに、その場を去っていく。

私たち人間も、身分が上の人と出会うと、うれしくなくても、にっこり微笑んで挨拶をする。それは、恋人とひさしぶりに会った時に自然と表れる不随意のスマイル、「快によって作られる笑い」とは違う。微笑まないとやばいから微笑むのである。実際、人でもサルでも、身分が上の者は、身分が下なのに自分を無視する態度を示す身の程知らずに対して、何らかのサンクションを加えることで、優劣関係(相手の身の程)を再確認しようとする。人間の社会では、笑顔は、相手と争う意志がないことを示す記号として、対等な身分の者との間でも使われる。いずれにせよ、無用な争いを避けるという点で、社交上の笑顔は「快を作る笑い」に分類することができる。

知られたくない秘密がばれそうになったとき、人は戸惑いながらもスマイルの表情を見せる。その表情は人為的で、どことなくぎこちない。挨拶のスマイルと同様に、随意の、他者の目を意識したスマイルである。この場合も、ちょうど、嫌いな上司や怖いボスが近づいて来た時、「早く遠ざかってくれればよいのに」と願いながら、にっこりと挨拶するように、秘密がばれるという危機が「早く遠ざかってくれればよいのに」と願いながら、にっこりする。そして、にっこりされた方が、相手の笑顔を見て、「あまりいじめたらかわいそうかな」と思って、追及の手を緩めるならば、スマイルという防御反応は功を奏したことになる。

3. ラーフ

3.1. 不随意のラーフ

以上、不随意の、自然に生じるスマイルは「快によって作られる笑い」であり、随意の、他者の目を意識したスマイルは「快を作る笑い」、正確に言えば、「不快を無化する笑い」であるという結論を得た。では、ラーフはどうか。ラーフに相当するサルの「口を緩めて開ける表情」は、主として、遊んでいる子ザルに見られる。けんかごっこをして相互にじゃれあう子ザルたちは、しばしば口を大きく開けて、「ハッハッ」と断続的な呼気を発する。

サルだけでなく、人間の場合でも、子供の方が大人よりよく遊ぶし、よく笑う。若い娘は「箸が転んでも笑う」と言われるが、男女を問わず、大人になるにつれて「大人しく」なり、あまり笑わなくなる。保守的な長老は、最も笑わない。この現象は、大人になるにつれて遊ぶことが少なくなるという現象と深い関係があるのではないだろうか。

遊びの本質は、様々な可能性を体験することにある。人は、若い時に選択の様々な可能性を体験し、成長に伴って、増大した選択の複雑性を縮減し、自らの選択のスタイルを確立し、自己を形成していく。だから、子供がよく遊ぶことは望ましい。ところが、システムにとって、選択が予想とは他であることは、システムの複雑性を増大させ、システムと環境の境界である複雑性の落差を縮小させることになるので、システムの存続にかかわる苦痛になるはずである。したがって、少なくとも若い間は、そうした苦痛を快へと転換するメカニズムが必要となる。

予想が外れるという事態は、現実が予想以上であるか予想以下であるかのどちらかであり、どちらも最初は、驚きをもたらし、交感神経を働かせる。現実が予想以下である時、緊張し続ける必要はないので、副交感神経が働く。そして、人は予想が外れることで生まれるはずの不快を笑い飛ばし、それを快にする。現実が予想以上である時、交感神経を緊張させたまま、人は新たな適応反応を起こすが、若い人の場合、この時にも新鮮な快を感じるのが普通である。

これで、なぜラーフが、人間をはじめとする霊長類にのみ特徴的な現象なのかを説明することができる。霊長類、とりわけ人間は、大脳新皮質、特に前頭葉を働かせて、未経験のことがらであっても、過去の様々な経験に基づいて推論を行い、未来の予測を行うが、その予測は、複雑な媒介性のゆえに、常に外れるリスクを持つ。だから、現実が予想以下であったときのショックを和らげるために、ラーフが必要なのだ。

3.2. 随意のラーフ

スマイルを分類した時と同様に、ラーフも不随意のラーフと随意のラーフに分類することができる。不随意のラーフは、こらえようとしてもこらえきれない、自然と吹き出る笑いであり、随意のラーフは、意志によって人為的に作られる、他者の目を意識したラーフである。物真似を見て笑ったり、くすぐられて笑うのは不随意のラーフで、自分の間違いや失敗を笑ってごまかそうとするのは随意のラーフである。随意であれ不随意であれ、ラーフは「快を作る笑い」なのだが、随意のラーフはやや特殊で、「快を作ると他者に思わせる笑い」である。

随意のラーフのもう一つの例として、他人を挑発するための嘲笑を挙げることができる。ホッブスは、嘲笑を笑いの典型と見て、「笑いの情念とは、他者のあるいは過去の自分の欠点と比べた自己の優越にふと気がついた時、突然現れる、勝ち誇った喜び以外の何物でもない[6]」と言っている。

確かに、ライバルが思っていたよりも弱いことが判明すると、自然と笑いが込み上げるものだが、そうでない時でも、「オマエは、オレにそう思わせようとしているほど強い相手ではないよ」というメッセージを伝えるために、相手を侮辱する発言をした後に作為的に笑うことがある。どちらが本当に強いのかはわからないので、雌雄を決するために戦いが行われる。

随意のスマイルがけんかをしないための笑いであったのに対して、この随意のラーフはけんかを売るための笑いである。不随意のラーフでは、副交感神経が働き、身体がリラックスするが、随意のラーフでは、交感神経が働き、身体は緊張する。挑戦者は、笑う演技をしながらも、身体の方は攻撃態勢に入っているのだ。

4. 笑いの学説史

4.1. カントとスペンサー

学説史上、私のラーフの説明に最も近いのは、「笑いとは、緊張した予期が突然無になることから生じる情動である[7]」というカントの説明である。「無になる」というの言い過ぎで、現実が予期以下であれば、笑いが惹き起こされると思うのだが、カントのこの簡潔な定義は、笑いの本質をよく捉えている。

ハーバート・スペンサーは「笑いは、意識が思いがけなく偉大なものからちっぽけなものへと移される時のみ、すなわち、下降的不調和とでも呼んでよいものがある時にのみ、自然と生じる。[8]」と言っているが、これもカントの認識に近い。

4.2. ベルクソン

笑いに関する哲学の文献の中で最も有名なのが、アンリ・ベルクソンの『笑い』である。だが、この本での分析がカントやスペンサーの短い考察よりも笑いの本質に迫っているとは言えない。この本の中で、ベルクソンは、「人の身体が成す態度、振る舞い、動きは、単純な機械を連想させる程度に比例して笑いを惹き起こす[9]」と言う。たしかに、チャップリンの機械的な動きは、滑稽である。しかし、チャップリンの喜劇の滑稽さは、それだけで説明できるのだろうか。

梅原猛は、ベルクソンの理論では、なぜ子供や老人が転んだ場合よりも、チャップリンが演じているような気取った紳士や着飾った娘が転んだ場合のほうが、滑稽で笑いを誘発するのかが説明できないと批判している[10]。こうしたことも、私の理論なら簡単に説明できる。足元がおぼつかない子供や老人ならば、転ぶ可能性が十分に予想されているのに対して、足腰がしっかりした大人、特に転んで汚してはいけないような服を着てお高くとまっている、転ぶことを誰も予期していない大人の場合、転ぶことが意外だから、人々は、転ぶという予想以下の事態を笑うのである。

生けるものに機械的なものが貼り付けられると滑稽になるというのがベルクソンのテーゼだが、これは、生けるものを機械的なものよりも上に置くベルクソンの価値観を前提にしている。生き物らしく振舞うことを期待している生物が機械的に振舞うことは、ベルクソンの価値基準からして予想以下だからこそ、彼にとって滑稽なのだ。

ベルクソンは、また、「精神的なものが問題となっているところで、人の肉体的なものに私たちの注意を向けさせるすべての出来事は滑稽である[11]」とも言っている。なるほど、外務委員会で、外務省改革の理念を熱く語っていた田中真紀子外務大臣(当時)が、最後に 「トイレ行かせてください」と言って席を立ったことは、滑稽であった。しかし、これも、肉体的なものが精神的なものよりも価値が低いという通念と外務委員会で大臣があのようなせりふを口にすることを誰も予期していなかったという事実から説明できる。

結局のところ、ベルクソンは、精神と生命を重視する立場から笑いの一つの側面を捉えたに過ぎないと評価することができる。ベルクソンが見出した笑いの法則における最も大きな欠点は、予想外であることという笑いの要件を見落としていることである。どんなにおもしろい冗談も、繰り返して聞くと、最初聞いた時ほど笑うことができないことから明らかなように、笑いには意外性が必要なのである。

5. 特殊なラーフの分析

ベルクソン批判はこれぐらいにして、私のラーフに関する理論を様々な事例に即して確認していくことにしよう。

5.1. なぜ人は自分の間違いや失敗を笑うのか

間違いや失敗は、現実が予想以下である典型的なケースである。間違いや失敗はライバルの嘲笑の的になる。嘲笑されるのが嫌ならば、間違いや失敗によって我が身に付いた汚点が、自分とともに周囲から笑い飛ばされる前に、自分で笑い飛ばしてしまえばよい。他人を笑わせることが職業のお笑いタレントは、自分で言った冗談を自分で笑うことは決してしない。そのようなことをしたら、観客はしらけてしまう。これを逆に利用したのが、自分で自分の間違いや失敗を笑うという予防策なのである。

5.2. なぜ物真似はおかしいのか

タレントが小泉純一郎の物真似を上手にすれば、観客はどっと笑うだろう。しかし、小泉純一郎が自分の真似をしても少しもおもしろくない。小泉純一郎を知っている人にとって、彼のしゃべり方や振る舞いは、いつも通り、予想通りだからだ。他方で、小泉純一郎を知らない人は、タレントの物真似を見ても、真似されている小泉純一郎を思い浮かべることができないから、笑うことはできない。だから、真似されている対象も真似している行為も、単独では滑稽ではない。人々が、物真似を見て、真似されている対象を思い浮かべることができて、かつ真似しているものが真似されている対象以下の不完全で劣った存在である時、人々はその落差を笑う。

似顔絵は、実物と似ているから笑いを惹き起こすと一般に思われている。たしかに、似ていない似顔絵はおもしろくない。しかし、他方で、写真のように実物と似過ぎていてもおもしろくない。だから、滑稽な似顔絵は、似ていると同時に似ていてはいけない。プラトンを援用するまでもなく、模倣者は模倣される対象より劣った存在なのだが、模倣を不完全にして、模倣者が模倣される対象以下のくだらない存在であることを強調することが、笑いを巻き起こす上で必要なのである。

5.3. なぜ人はくすぐられると笑うのか

わき腹や足の裏などをくすぐられると、人は笑う[12]。知的な機知を笑う場合とは異なって、これは単純な生理的反応だと思われている。しかしそうではない。自分で自分をくすぐる時、他人にくすぐられる時と物理的刺激は同じであるにもかかわらず、笑いは発生しない。他人からくすぐられそうになったとき、たとえ物理的な接触がなくても、くすぐったくて笑ってしまうことがある。こうしたことからわかるように、くすぐられて笑うということは、心的な原因に基づいている。

他人から触られそうになった時、とりわけ、わき腹や足の裏などの体の弱い部分を触られそうになった時、身体は最大値の刺激を警戒して身構えるのだが、受け取った刺激が、身体が予期したよりも小さなものである時、つまりくすぐられた時、人はその落差を笑う。これに対して、自分で自分の身体をくすぐる時は、予期の不確定性は存在せず、予期したとおりの刺激しか受け取らないから、笑うことがない。

5.4. 結論

これ以外にも、笑いには様々なタイプがあるが、一見多様に見えても、すべてのラーフは、予想以下の結果が現れることで増大するエントロピーを排除するというラーフの本来の機能を起源として持つ点で同じである。ラーフは、随意のスマイルと同様に、象徴的な意味で、毒物を吐き出す「快を作る笑い」なのである。

6. 関連著作



7. 参照情報

  1. ジークムント・フロイト「機知」in『フロイト著作集 4 日常生活の精神病理学他』人文書院 (1970/01). p. 350.
  2. 志水彰, 中村真, 角辻豊.『人はなぜ笑うのか―笑いの精神生理学』ブルーバックス. 講談社 (1994/6/15). p. 27. この本の著者の一人は、期待がかなった時に、笑い声を伴う大きな笑いが生じると書いている(47頁)が、これは歓声と笑いの混同ではないだろうか。自分が応援しているスポーツのチームが優勝した瞬間にファンが「あっはっはっはっ」と笑うことは、それが負けたライバルに対する嘲笑でないとするならば、きわめて不自然である。
  3. 心理学では「うれしいから笑うのではなくて、笑うからうれしい」とする立場をジェームズ=ランゲ説という。キャノンとバードはこれに反論を加えているが、笑いには二種類あるとするのが私の立場である。
  4. Van Hooff, J.A.R.A.M. “A comparative approach to the phylogeny of laughter and smiling.” in Non-Verbal Communication Cambridge University Press (1975/11/13). p. 129-179.
  5. Vinay khanduri. “a good laugh at photographer.” 26 November 2015. Licensed under CC-BY-SA.
  6. Thomas Hobbes. The Elements Of Law Natural And Politic Part 1, Chapter 9, 13.
  7. Immanuel Kant.Kritik der Urteilskraft p. 225, §.54.
  8. “[…] laughter naturally results only when consciousness is unawares transferred from great things to small—only when there is what we may call a descending incongruity.” Michael Taylor. “The Physiology of Laughter” in Essays: Scientific, Political and Speculative Works By and About Herbertt Spencer.
  9. Henri Bergson. Le Rire – Essai sur la signification du comique. Chapitre I. Ⅳ;日本語訳,p. 35.
  10. 梅原猛.「ベルクソンの笑いの理論批判」 in 『梅原猛著作集 (1)』集英社 (1983/05). p. 242-272.
  11. Henri Bergson. Le Rire – Essai sur la signification du comique. Chapitre I. V;日本語訳 p. 54.
  12. ヒト以外の類人猿も、くすぐられると笑い声を出す。“the results provide strong evidence that tickling-induced laughter is homologous in great apes and humans and support the more general postulation of phylogenetic continuity from nonhuman displays to human emotional expressions. ” Ross, Marina Davila, Michael J. Owren, and Elke Zimmermann. “Reconstructing the Evolution of Laughter in Great Apes and Humans.” Current Biology 19, no. 13 (July 14, 2009): 1106–11.

8. 改訂履歴