このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト・リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。
社会学、コミュニケーション論、メディア論に関する記事。

2016年10月23日

Thumbnail of post image 020
老害批判は昔から存在するが、近年、若年者層に対する高齢者層の人口比率が増え、若年者層が高齢者層を支えるという日本の社会保障の理念が維持不可能になってきたため、高齢者叩きと社会保障制度批判が激しくなってきた。高齢者の延命よりも、もっと子育てに金を使うべきだと主張する人もいる。確かに日本の社会保障制度は抜本的な改革を必要としているが、少子高齢化のトレンド自体は否定されるべきではない。私たちは、高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきであり、年功序列システムを前提に高齢に引退を求めるのではなく、前提となっている年齢差別自体を廃止するべきである。

2014年2月25日

Thumbnail of post image 081
もしも出生率が、今後急上昇すると、新たに大量に生まれてくる子供たちが現役世代の負担となる時期は、1947-1949年に生まれた第一次ベビーブーマー、いわゆる団塊の世代が、退職し、年金を受給し、現役世代の負担となる時期と重なる。つまり、現役世代は、自分たちの上と下の世代に巨大な負担の塊を同時に作ることになる。

2012年10月9日

Thumbnail of post image 066
メールマガジンは1990年代の後半に日本で主流となったプッシュ型メディアで、その流行はテレホーダイ(深夜早朝の時間帯に限り、通話料金を一定にする日本特有の料金体系)で説明できる。当時、その時間帯にメールを受信し、時間帯外にはオフラインでメールマガジンを読むことで電話料金を節約するという読書スタイルが流行った。その後、常時定額のネット接続サービスが普及したことでプッシュ型メディアの主流ではなくなったが、今でもなお利用者がいる理由を考える。

2011年1月7日

Thumbnail of post image 169
前作の「なぜ戦争は起きるのか(小学生向け)」が好評であったために、小学生向けシリーズ第二弾を書きました。群馬県桐生市新里町の住宅で、小学6年の上村明子さんが、いじめを苦にして、自分の部屋でマフラーで首をつり、自殺したケースを取り上げ、なぜいじめは起きるのかを考えます。

2008年10月28日

Thumbnail of post image 108
1999年に男女共同参画社会基本法が成立し、2001年には内閣府男女共同参画局が設置され、国も自治体も女性の社会進出に向けて取り組んでいる。だが、政府が推進する男女共同参画社会とは、左翼系フェミニストが期待しているような、女性労働者の地位の向上を保証する平等な社会ではなく、むしろ資本家を儲けさせるための格差社会である。

2005年11月24日

Thumbnail of post image 016
国が、科学ジャーナリストに仕事を与えるとなると、政府にとって都合のよい宣伝をさせるという可能性がある。いかなる権力からも自由な、客観的で公平無私な言説などというものは、存在しないから、言説にバイアスがかかっていること自体が問題なのではない。しかし、特定のバイアスがかかった言説ばかりが増えることは問題だ。

2005年5月11日

Thumbnail of post image 017
インターネットの普及により、個人がメディアの主役になれるのか、それとも相変わらず大企業がメディアを支配し続けるのか。ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるのかといったネットメディアの未来に関する考察。

2004年1月1日

Thumbnail of post image 041
2004年から、日本のマスメディアに韓流ブームがおきた。国粋的な日本人の中には、眉を顰める人もいるが、もともと日本の芸能界には在日コリアンが多いし、外国人が芸能界でもてはやされるというのは自然な現象である。そもそも芸能人とはいかなる存在なのか、カタルシス理論の観点から分析しよう。

2003年6月1日

Thumbnail of post image 013
現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。

2002年7月26日

Thumbnail of post image 069
生贄もスケープゴートも、罪なくして犠牲となるという点で共通点を持つものの、その機能と排除のベクトルが異なっている。両者の相違を分析しつつ、なぜ現代人が、生贄を捧げることをやめ、代わりにスケープゴーティングをし続けるのかを考えよう。

2002年4月26日

Thumbnail of post image 017
スケープゴートになりやすい色は、黄色である。黄色は、金の色であり、魅力的であると同時に嫌悪すべき両義的な色である。心理的には、黄色は、緑(安全)と赤(危険)の境界に存在する、不安を掻き立てる色である。

2002年3月29日

Thumbnail of post image 042
ハレムは、フロイトが未開社会の神話において想定した、息子に去勢を強いて、女を独占する、専制君主的父親を髣髴とさせる。もし去勢を単に服従させることという意味で象徴的に理解するなら、人間の社会どころかサルの社会にまでハレムを見出すことができる。しかし、去勢を文字通り行った専制君主は、私が知る限り、オスマントルコ帝国のスルタンと中国の皇帝ぐらいである。ここでは、中国のハレムを精神分析学的に考察したい。

2002年2月16日

Thumbnail of post image 032
農村と都市との間には、人口密度が低いか否か、農業に従事しているか否かという以上の違いがある。両者の違いの本質はどこにあるのか、それがなぜ犯罪発生率の違いに結びつくのかといった問題をシステム論的観点から考えてみたい。

2001年8月18日

Thumbnail of post image 033
上品さとは、欲望充足の直接性と効率性を否定することであり、上品さにおいて文化が自然から区別される。上品さは、上流階級の人々が富を衒示的に浪費することで示されるステータスシンボルである。

2001年6月9日

Thumbnail of post image 079
イニシエーションとは、入社式または加入礼とも呼ばれる、通過儀礼の一つである。外部の人間が新たに共同体に加入する時、しばしば苦痛を伴う儀式の洗礼を受けなければならない。こうしたイニシエーションがなぜ必要なのかをシステム論的に考えてみよう。

2001年6月2日

Thumbnail of post image 063
多くの日本人は、いじめというと学校でのいじめを思い浮かべる。実際には、いじめは、学校に限らず、社会のいたるところに存在するのだが、範例として学校でのいじめを取り上げながら、なぜいじめが起きるのかをシステム論的に分析しつつ、その解決策を探る。

2001年5月26日

Thumbnail of post image 012
小泉純一郎首相は、2001年5月23日、ハンセン病患者隔離政策を推進した政府の責任に加え、適切な立法措置を講じなかった国会の責任をも認めた熊本地裁判決に対して、控訴しないことを決断した。これでハンセン病患者の長い差別の歴史にピリオドが打たれることになったわけだが、なぜハンセン病患者は長い間差別され続けてきたのか。

2001年4月22日

Thumbnail of post image 194
スケープゴートのもともとのヘブライ語での意味は、古代ユダヤ人の罪を象徴的に負うヤギのことであるが、転じて、他人の過失の責任をとる身代わりの個人または集団という意味で使われるようになった。では、どのような存在者がスケープゴートの候補となるのか。

2001年4月15日

Thumbnail of post image 149
中心/周縁という区別は、中心に宮廷や寺院が位置し、それを官僚や貴族の居住地区が取り囲み、さらにはそれらを商人、職人、農民という周縁が取り巻いている古代都市などに見られる階層構造をモデルにした概念だが、社会学では、社会システムにおける<資本=権力>の偏在を表す対概念として非地理的に使われることが多い。

2001年4月8日

Thumbnail of post image 168
ブランド物で身を固め、ライバルにファッションセンスの違いをひけらかす女性たち、経歴や肩書きで一般大衆との違いを誇示しようとする知的エリートたち、自分の影響力を見せつけ、部下の忠誠を絶えず確認しようとする、猿山から永田町にいたるあらゆる場所にいるボスたち…多くの人々は、差異への欲望を満たそうとする。

2001年2月18日

Thumbnail of post image 126
社会システムとは、たんなる人の集合ではない。システムが、要素と要素の相互作用でないように、社会システムも人と人との相互作用ではない。たんなる因果的相互作用なら、物と物との間にも確認できる。では、社会システムの本質とは何か。

2000年10月14日

Thumbnail of post image 070
人々は、フェミニズムをジェンダー・フリーな平等主義と誤解することで、フェミニズムが持っている欺瞞的性格を覆い隠してきた。フェミニズムと平等主義を区別しながら、なぜフェミニズムが女性を解放しないのかを明らかにしよう。

2000年8月5日

Thumbnail of post image 145
物々交換に代表される対称的贈与システムでは、受益と負担が共時的に交換される。贈与システムに貨幣が媒介しても同じことである。ハイパーインフレで、紙幣が紙くずになるリスクがないわけではないが、基本的には、「負担なき受益者」も「受益なき負担者」も認めない対称的な交換システムである。しかし非対称的贈与システムでは、ギフトとカウンターギフトとの間に差延があり、かつ構造的に誰かがババをつかまなければならないようになっている。もちろん誰もババをつかみたくない。だから、非対称的贈与システムは、ネズミ講と同様に、被害者を出さないためには常に新たに被害者を作り続けなければならない。

2000年4月1日

Thumbnail of post image 118
結婚は交換である。では結婚において何が交換されるのか。何を基準に交換されるのか。恋愛結婚を行う自由市場は、いつ、なぜ生まれたのか。結婚制度は今後どうなるのか。交換としての結婚を社会学的に考えてみよう。

1999年12月25日

Thumbnail of post image 149
ボスの主要関心事は、自分の既得権益の維持であるのに対して、リーダーは、コミュニティの利益に奉仕するべく選ばれる。リーダーが帰属原理に基づいて派閥を作るのではなく、業績原理に基づいて部下を登用するのは、その存在が私的ではなくて公的であることを示している。

1998年3月30日

Thumbnail of post image 189
政治システムであれ、経済システムであれ、文化システムであれ、従来のヒエラルヒー型社会の上下を差異化してきたものは、《たんなる中間情報媒介業》の高コスト性である。インターネットは《たんなる中間情報媒介業》を極めて低価格で時間がかからないものにし、こうしたピラミッド型社会の弊害を取り除いてくれる。

1997年9月5日

Thumbnail of post image 174
結婚は交換であり、コミュニケーションであるが、結婚のコミュニケーション・メディアは資本の犠牲であり、愛は、ルーマンがそう取り違えたように、コミュニケーション・メディアではなくて、資本の犠牲によって伝達される形式である。結婚は、時代や文化圏を問わず、コミュニケーションであると言えるが、前近代社会における贈与婚と近代社会における当事者どうしの恋愛結婚とでは形態が異なるので、前者を第一項で、後者を第二項で、さしあたり分けて考察してみたい。第三項では、結婚市場における資本の蓄積の格差について論じる。

1997年9月5日

Thumbnail of post image 070
私たちは、貨幣を媒介にして商品交換をするように、言語を媒介にして意見交換をしている。このページでは、第一項で、認識はいかなる意味で交換なのかを、第二項で、この交換における貨幣と貨幣が代表象する価値は何かを、第三項で、交換によってどのような資本の非平等的な蓄積が進むのかを、それぞれ、クワイン、ルーマン、ブルデューを参考にしながら考え、それをもって文化の経済学の序説としたい。

1997年9月4日

Thumbnail of post image 153
進化というプロセスは複雑性の増大なのかそれとも複雑性の縮減なのか。ルーマンによれば、進化に伴う差異化は、複雑性の増大であるのみならず、それと同時に複雑性の縮減の新しい形式を可能ならしめる。私も、進化とは複雑性の増大による複雑性の縮減であると認識しているが、それはルーマンとは異なる意味である。違いは、複雑性を複合性と解釈するか不確定性と解釈するかにある。