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古事記の異郷訪問譚

2005年4月22日

古事記』には、多くの異郷訪問譚が含まれている。あの世に逝ったり、蘇ったりするというのはどういうことなのか。禊はなぜ必要なのか。因幡のしろうさぎの物語が何を意味しているのか。こうした問題を考えながら読んでみよう。[1]

BellaDonna, Clker-Free-Vector-Images による Pixabay からの画像
因幡のしろうさぎは『古事記』に登場する物語である。

1. なぜ女は陰部を傷つけられると死ぬのか

『古事記』によると、イザナミは、イザナキとともに、多数の神を産んだが、火の神を産んだ時に、陰部を焼かれて死んだ。

イザナミノカミは、ヒノヤギハヤオノカミを生んだ。またの名をヒノカカビコノカミと言い、またの名をヒノカグツチノカミと言う。この子を産んだために、イザナミは女陰を焼かれて病み伏していた。この時、嘔吐した物に成った神の名は、カナヤマビコノカミ、次にカナヤマビメノカミ。次に糞になった神の名は、ハニヤスビコノカミ、次にハニヤスビメノカミ。次に尿になった神の名は、ミツハノメノカミ。次に、ワクムスヒノカミ。この神の子は、トヨウケビメノカミという。そしてイザナミノカミは、火の神を産んだために、ついにお亡くなりになられた。[2]

この他、記紀神話には、スサノヲが乱暴を働き、天の服織女が梭で女陰を突いて死んだとか、ヤマトトトモモソビメが箸で陰部を突いて死んだりする話がある。陰部を傷つけて死ぬという不自然であり、私は、文字通りの解釈を避けて、この死を性的エクスタシーと解釈したい。バタイユが言うように、セックスは死の体験である。

2. なぜ出産には火のイメージがあるのか

それにしても、イザナミは、なぜ女陰、すなわち、ホト(蕃登)を焼かれたのだろうか。これに関しては、稲妻説で説明することができる。

ということは、「蛇」が男根に見立てられることからして、「稲妻は男性神」でなければならない。一方、大地には、「易道の乾坤の見地」からすると、坤(陰気)であるから当然「女性神」が配当される。

よって古代日本では、落雷現象が-「男神かかつち(稲光)」と「大地の女神」の契り(性交)-に見立てられた。

強烈な「電光の突き」があって「大地」はそれをキャッチャーのように受け止める。落雷が有ると、落雷場所は燃え出して「ほ(火)と(処)」となる。(「ほと」は「女陰」を表す古語である。)

こうして、男神・女神の交配によって、大地(女神)は身籠り、「子」としての「稲穂」を実らせる。[3]

後に、サクヤヒメも、燃え盛る建物の中でニニギの子を産んだ。三番目に生まれ、皇統を受け継ぐことになるホヲリノミコト(火遠理命)は、アマツヒタカヒコホホデミノミコト(天津日高日子穗々手見命)とも呼ばれた。「ホヲリ」は、火の勢いが衰えることを、「ホホデ」は、「多くの稲穂が出てくる」ということを意味する。これは、燃えた後に陸稲を植える、焼き畑農業を神話化したものと解釈することができる。ちなみに、天孫降臨の舞台となった宮崎県では、今でも焼き畑農業が行われている。

イザナミが死ぬ時も、糞尿を肥やしにして、ワクムスヒノカミ(和久産巣日神)、すなわち、若返りの神、さらには、トヨウケビメノカミ(豐宇氣毘賣神)、すなわち、豊かな食事の神が生まれていて、焼き畑農業を連想させる。

3. 地母神は蛇なのか

イザナミが死んだ後、イザナキは、イザナミに会うために、黄泉の国に行く。イザナミは、黄泉神(よもつかみ)と生還を相談している間、自分を見ないでと言って御殿の中に入っていったが、いつまでたっても御殿から出てこない。

そこで、イザナキは、左の御みずらにさしていた神聖な爪櫛の端の太い歯を一本折り取り、それに一つ火を灯して御殿の内に入って見てみると、イザナミの体に蛆がたかって、ゴロゴロとうなり、頭には、オオイカヅチがおり、胸にはホノイカヅチがおり、腹にはクロイカヅチがおり、女陰にはサクイカヅチがおり、左手にはワカイカヅチがおり、右手にはツチカズチがおり、左足にはナルイカヅチがおり、右足にはフスイカヅチがおり、合わせて八種の雷神が成っていた。[4]

イザナミは、死んだことでその体に蛆がわくのだが、その後の表現は、彼女の全身が雷(イカヅチ)に覆われていたことを示している。大空説にしたがって、雷は蛇もしくは龍と見ることができる。

もっとも、だからと言って、地母神の正体が蛇だとはいえない。蛇は、精子に相当する男性原理だと考えることもできる。しかし、『古事記』には、女の正体を蛇としている場合がある。それは、ホムチワケが出雲に行った時のことである。

その御子(ホムチワケ)は、一夜、ヒナガヒメと共寝をなさった。ところが、こっそりその乙女を覗き見ると、蛇であった。御子は、一目見て恐れをなして逃げた。するとそのメナガヒメは悲しんで、海原を照らして船で追ってきた。[5]

ヒナガヒメ(肥長比賣)は、肥河という川に住む蛇のように体の長い姫という意味である。ここでは、蛇が川のイメージで語られている。私は、これが、蛇信仰の古い形ではないかと考えている。

4. なぜ見ると冥界から追放されるのか

イザナキは、「見てはいけない」という禁忌を犯すことで、ヨモツシコメに追われ、あの世(黄泉の国)からこの世(葦原中国)へと帰還する。ホヲリノミコトも、トヨタマビメの「見てはいけない」という禁忌を犯す。

そうして、まさに産もうとした時、トヨタマビメノミコトは日の御子に申して、こう言った。

他の国の人は、およそ子を産む時にあたって、自分の国での姿をとって産みます。だから、私は今、本来の姿になって子を産もうと思います。お願いですから、私を見ないでください。

そこで、その言葉を不思議に思って、トヨタマビメノミコトがまさに子を産もうとしている様子をこっそり覗いたところ、大きなワニに変わって、腹ばいになって身をくねらせて動いていた。それで、ホヲリノミコトは見て驚き、恐れ、逃げ去った。[6]

『日本書紀』では、トヨタマビメの正体は、竜ということになっている。蛇、ワニ、および両者の特徴を持つ竜は、水の神であり、地母神的性格を持つ。トヨタマビメの話は、後に浦島物語になる。浦島は「玉手箱を開けてはいけない」という禁忌を犯すことで、自分の真の姿を目にし、玉手箱で象徴される竜宮に永遠に戻れなくなる。

このように、「見てはいけない」という禁忌を犯し、真理に目覚めると、無知の楽園(子宮)から追放される。『旧約聖書』では、アダムは、「食べてはいけない」という禁忌を犯し、知恵の木の実を食べ、真理に目覚めることで、エデンの園から追放された。

5. なぜミソギは必要なのか

イザナキが、黄泉の国から葦原中国に戻る時、身に付けていた黒い御鬘(みかづら)や湯津津間櫛(ゆつつまくし)を投げ捨てているが、これは、あの世からこの世へ蘇る(黄泉から帰る)時に行われる禊(ミソギ=身削ぎ)である。

私はなんとも醜い、醜い、穢れた国に行っていたものだ。だから私は身体の穢れを洗い清めよう。[7]

イザナキは、蘇った後に、こう言って禊をするが、よみがえっている途中からミソギを行っていたと見ることができる。

アマテラスが岩屋篭りした時、アメノウズメがストリップをして、八百万の神々を笑わせ、これがきっかけで、アマテラスは再び葦原中国へと蘇った。ここでは、アメノウズメがアマテラスの代わりにミソギをしている。笑いはカタルシスであり、ミソギは、ケガレを晴らすセレモニーである。

ミソギは、実際の出産において、赤ちゃんが毳毛やへその緒を削ぎ落とすことに由来していると考えることができる。イザナミの死が性的エクスタシーで、黄泉の国は、地母神イザナミの子宮の中の世界で、イザナキは、その中に入っていく精子とするならば、イザナキが黄泉の国から出てきて、ミソギをし、アマテラスやスサノヲを産むことは、自然なプロセスである。

世界最古のミソギの神話は、シュメールの時代にまで遡る。豊穣の女神イナンナは、地下の冥界に下る時、身に付けている物を次々に取り去って、最後には全裸となる。イザナキ・イザナミ神話と異なって、女神があの世に行く時に、ミソギが行われる。

『古事記』でこれに近いのは、垂仁天皇の皇后サホビメが死ぬ時である。彼女は、火の中でホムチワケを産み、子供だけは生き残らせようと子供を外に差し出した。

そこで、その力の強い兵士たちが、そこ御子を受け取り、すぐにその母君をもつかまえた。そうして、その御髪を握ると、髪は自然に落ち、その御手を握ると、玉の緒がまた切れ、そのお召し物をつかむと、お召し物はたちまち破れてしまった。こういう次第で、その御子を受け取ることはできたが、その母君を得られなかった。[8]

ミソギを行いながら、あの世に行っている。母の方を固定するのか、生まれる子の方を固定するのかという違いはあるが、イザナキ・イザナミ神話と大きく異なるわけではない。

ミソギの重視は、蛇信仰の原因の一つである。蛇は脱皮をするが、脱皮はミソギである。そして、脱皮ゆえに、蛇があの世からこの世へと現れることができる神聖な存在とみなされる。「目から鱗が落ちる」という言い方があるが、私たちは、脱皮によって、新しい世界を知る。赤子もまた、胎内から出て、初めて光に満ちた世界に眼を開く。それは、無知の楽園から出て、真理に目覚めることである。

6. 因幡の素兎は何の話なのか

『古事記』に登場する「因幡のしろうさぎ」は非常に有名である。ちなみに「しろうさぎ」は「素兎」であって、「白兎」ではない。それは、「裸のうさぎ」という意味である。

私は隠岐の島にいて、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海にいるワニを騙して、こう言いました。

私とおまえと比べて、一族の多い少ないを数えたいと思う。だから、おまえは自分の一族をいる限り全部連れてきて、この島から気多の岬まで、ずっと並び伏せよ。そうしたら、私がその上を踏んで、走りながら声に出して数えて渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いかわかるだろう。

このように言うと、ワニたちが騙されて並び伏したので、私はその上を踏んで、声に出して数えて渡ってきて、今まさに地面に降りようとする時に、私は「おまえたちは私に騙されたのだ」と言ったところ、言い終わった途端、一番端に伏せていたワニが私を捕まえて、私の着物をすべて剥いでしまいました。[9]

隠岐の島は、古来、流刑の地である。島は周囲を海に囲まれ、羊水に囲まれた胎児のようである。島流しにするということは、胎内回帰を意味するので、象徴的な死刑である。「隠」という字が当てられたのも偶然ではないだろう。

死者は海を渡って死者の島に行くという海上他界の観念は、東南アジアの海洋文化に見られるが、古代日本にも海上他界の観念があったようだ。五島のミミラクの島に行けば、亡き人の顔を見ることができるという伝承がある[10]

胎内としての他界の島にいた兎は、一列に並んだワニの背の上を飛び跳ねて、気多の岬にまで到着する。ここでワニという動物に注目しよう。トヨタマビメの正体はワニであった。そして、日本神話では、ワニは、蛇や竜と同様に、母神のことである。だから、ワニの列は、母なる海の産道であり、兎は、産道を抜けて、まさにこの世に出ようとした時に、毛をむしりとられ、ミソギの洗礼を受けることになったのである。

兎は、海水を浴びて風に吹かれるという間違った教えに従い、身体を痛める。そこにオオアナムジが現れ、正しい治療方法を教えられる。兎は真理に目覚め、一人前の兎となった。

7. 参照情報

関連著作
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本居宣長による『古事記』全編に対する全44巻の註釈書、『古事記傳』[11]

この書評では、以下の小学館版を用いた。

しかし、これよりも、竹田恒泰による現代語訳と解説本の方が売れているらしい。

歴史的により重要な注釈書は、本居宣長による『古事記伝』である。

注釈一覧
  1. 本稿は、2005年4月22日に公開した書評「古事記」に加筆を行い、2021年4月15日に「古事記の異郷訪問譚」と解題したものである。初稿に関してはリンク先を参照されたい。
  2. 「生火之夜藝速男神、亦名、謂火之[火玄]毘古神、亦名、謂火之迦具土神。因生此子、美蕃登見炙而病臥在。多具理邇生神名、 金山毘古神。次、金山毘賣神。次、於屎成神名、波邇夜須毘古神。次波邇夜須毘賣神。次、於尿成神名、彌都波能賣神。次、和久産巣日神。此神之子、謂豐宇氣毘賣神。故、伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.41.
  3. 大空 照明.『原始日本語はこうして出来た―擬音語仮説とホツマ文字の字源解明に基づく結論』. 文芸社 (2002/10). p.160-161.
  4. 「故、刺左之御美豆良湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火、入見之時、宇士多加禮許呂呂岐弖於頭者大雷居、於胸者火雷居、於腹者黒雷居、於陰者拆雷居、於左手者若雷居、於右手者土雷居、於左足者鳴雷居、於右足者伏雷居、并八雷神成居。<」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.45-46.
  5. 「其御子、一宿婚肥長比賣。故、竊伺其美人者、蛇也。即見畏遁逃。爾其肥長比賣患、光海原自船追來故。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.209.
  6. 「爾將方産之時、白其日子言。『凡他國人者、臨産時、以本國之形産生。故、妾今以本身爲産。願勿見妾。』於是思奇其言、竊伺其方産者、化八尋和邇而、匍匐委蛇。即見驚畏而遁退。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.135135.
  7. 「吾者到於伊那志許米志許米岐穢國而在祁理。故、吾者爲御身之禊。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.49.
  8. 「爾其力士等、取其御子、即握其御祖爾、握其御髮者、御髮自落。握其御手者、玉緒且絶。握其御衣者、御衣便破。是以取獲其御子、不得其御祖。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.203.
  9. 「僕在淤岐嶋、雖欲度此地、無度因。故、欺海和邇言、『吾與汝競、欲計族之多少。故、汝者隨其族在悉率來、自此嶋至于氣多前皆列伏度。爾、吾蹈其上、走乍讀度。於是知與吾族孰多。』如此言者、見欺而列伏之時、吾蹈其上、讀度來、今將下地時、吾云 “汝者我見欺。" 言竟、即伏最端和邇、捕我悉剥我衣服。」『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 山口 佳紀, 神野志 隆光 (翻訳). 小学館 (1997/05). p.77.
  10. 大林 太良.「東アジアにおける倭人民俗」in『日本の古代〈1〉倭人の登場』. 中公文庫. 森 浩一 (編集). 中央公論社 (1995/10). p.308-309.
  11. Yanajin33. “古事記伝(本居宣長記念館).” Licensed under CC-BY-SA.