4月 242005
 

哺乳動物の毛皮には、温度調節、保湿、紫外線遮断などの機能があり、突然変異によって、毛皮を失った個体がたまたま生まれても、子孫を残さずに死滅する。では、なぜ人間は、他の霊長類とは異なって裸となりえたのか。島泰三が『はだかの起原―不適者は生きのびる』で提唱した新たな仮説の妥当性を検討しよう。

1 : 哺乳類が裸になる理由

本書の第四章「裸の獣」は、例外的に裸である哺乳類の種が、なぜ裸でも生存できるかを説明している。以下、その理由を、類型化して要約しよう。なお、本文に書いていないことも、私の判断で補足している場合があることをあらかじめお断りする。

1.1 : 熱帯地方に生息し、体重が1トン以上ある場合

動物を均質な球体と考えると、体積と体重は、半径の三乗に比例するが、表面積は二乗に比例する。だから、体重と体積が大きくなればなるほど、表面積は相対的に小さくなり、体内で発生した熱を外部へと放出することが困難となる。マンモスのように寒冷な地域に住んでいる場合は別だが、ゾウやサイなど、熱帯地方に住む1トン以上の哺乳類は、毛を失う。これらの動物は、皮膚の保湿と紫外線遮断のために、体を泥でパックする。なお、キリンは、1トン以上の場合でも、体重に対する表面積の割合が大きいので、毛を失わない。

1.2 : 完全に水中生活をしている場合

クジラやイルカやジュゴンなど、完全に水中で生活する哺乳類は、例外なく、無毛である。完全な水中生活では保湿の心配は全くないし、紫外線も、空気よりも密度の高い水によって遮断される。陸棲動物は、毛の間に空気を溜め込んで断熱材にするが、この温度調節方法は完全水棲動物には使えない。水棲動物は、毛を失う代わりに、皮下脂肪層を発達させて、体の温度変化を和らげる。

1.3 : 直射日光が当たらない場合

直射日光が当たらない環境で暮らしている無毛の哺乳類は、ハダカデバネズミ(Fig.01)とハダカオヒキコウモリである。

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Fig.01. ハダカデバネズミ[1]

ハダカデバネズミは、地中にトンネルを掘って、その中で暮らす。彼らは、ミツバチのように社会的分業を行い、その結果、トンネルの中は、外の環境とは関係なく、温度は28-32度、湿度は80-90%に保たれている。島は、人間の裸化を考える上で、ハダカデバネズミの例が参考になると考えたようだ。

人間の体温と水分調節はどのように行われているのか。ハダカデバネズミの例では、体温と水分調節は密閉したトンネルとそれを維持する社会構造だった。人間の場合は、自分自身のことだから、自分で考えることができる。私たちは衣類を着ている。家に住んでいる。また暖房をしている。[2]

この着眼が正しいかどうかは、後で考えよう。

ハダカオヒキコウモリに関しては、島は、翼をしまう袋があることに注目する。

このコウモリの袋は、うすくて毛のない翼をとりこんで、体温調節を楽にすることができるだろうが、地中の穴や木の洞で休んでいるか、そこを歩いている間の話で、高速で飛んでいる時に体温調節をどうしているのか、まったく分からない。[3]

ハダカオヒキコウモリに限らず、コウモリは、鳥のように、翼を羽毛で覆うことはしない。私は、鳥が昼行性であるのに対して、コウモリは夜行性であるということがその原因ではないかと思う。鳥の翼には、直射日光が当たるので、羽毛でそれを保護しなければならない。コウモリは、昼間は樹洞や洞窟などで休息しているので、翼を羽毛で覆わなくても、直射日光の問題に悩むことはない。体に毛が生えているのは、保温のためである。ハダカオヒキコウモリが生息する東南アジアは夜も蒸し暑いので、毛がなくても、保温や保湿の心配がないと推定できる。

1.4 : 原因が複合的である場合

以上の三つのうちどれか一つに当てはまるというわけではないが、「合わせ技一本」で裸になったと思われるケースがある。

例えば、コビトカバは、熱帯に住むものの、体重200kg前後で、一番目の条件には適合しない。しかし、このカバは、昼間、沼や川の岸に掘った穴の中でじっとしているようなので、2番目と3番目の条件にも合致するようだ。

セイウチとゾウアザラシのオスは、1トン以上あるが、寒い地域に住んでいるから、毛を失う必要がないように思われる。それでも、セイウチとゾウアザラシのオスに毛がないのは、水陸両棲であるからと考えられる。なお、メスは小型なので、同じ条件下でも毛がある。

人間の裸をアクア説的に考える上で参考になるのは、イノシシ科のバビルサである。体重が43~100kgで、昼行性[4]だから、人間と似ている。この動物も、水陸両棲だから裸になったと考えられる。なお、水陸両棲といっても、ラッコやカワウソのように、体が非常に小さい場合は、裸ではない。

2 : 島の仮説を検証する

以上、哺乳類が裸になる三つの条件を概説したが、人類はどの条件も満たしていない。そこで、島は、人類が裸であるのは、自然淘汰の結果生き残った有益な形質ではなく、突然変異によって生じた有害な性質だと言う。彼の主張は正しいのか。

2.1 : 人類が裸なのは環境不適合なのか

島は、ネズミの中に、毛を失うヌード変異種があることに注目する。この常染色体遺伝子による突然変異が起きると、毛だけでなく、免疫反応を司る胸腺までもがなくなるので、温度/湿度の変化や感染に弱く、子孫を残す前にすぐに死ぬ。また、この遺伝形質は劣性だから、子孫を残しても、子孫すべてがヌードマウスになるわけではないのだが、島は、これと同じようなことが人間にも起きたと主張する。

裸化の突然変異は、マウスでは胸腺の異常と結びつくが、人類の場合には喉の構造と関係したのかもしれない。こうして、人類にとっては生存する上では非常に不利な裸化にさらに加えて不利な咽頭の構造の変化という、二重に不利な突然変異が同時に起こったのだろう。

この人間の生存を危うくする二重の不利な突然変異を、土壇場で逆転したのは言葉だった。まことに「はじめに言葉ありき」である。

喉の構造が変わっただけでは、言葉は出ない。吸い込んだ息を細かく吐き出して、吐く息に音色と高低と強弱をつけて自在にあやつる肺と口の周辺の筋肉とそれを支配する神経系の発達が必要になる。そのすべてがいっぺんに起こった、と私は考えている。この「重複する偶然」が、「不適者の生存」を実現した、と。[5]

チンパンジーでは、咽頭が口蓋の上にあるが、人間では、下にある。このためチンパンジーは食べながら呼吸できるが、人間がそうしようとすると、気管に食物が詰まって、むせてしまう。だから、この変異は「生存する上では非常に不利」と言えるが、この変異のおかげで、人間は音声言語をしゃべることができるようになった。

人類はある日突然、裸になり、同時に言語をしゃべる能力を身につけた。言語をしゃべることで、知的になり、服を作ったり、家を建てたり、火を焚いたりするようになり、裸でも生きていくことができるようになった。 ―― 島の仮説を要約すると、こういうことになる。これに対して次のような批判がある。

ヌードマウスは裸です。しかし、これは完全なる無毛です。人間は無毛ではありません。むしろ、人間は毛に覆われていると見るべきでしょう。ただ、生えている毛が、他の類人猿に比べて著しく短く、また、頭髪などのように、特殊なのび方をする、という点です。実際に、皮膚における単位面積あたりの毛の本数などは、人間の場合、類人猿とほとんど同じです。ヌードマウスをはじめとする、遺伝子的な突然変異による無毛は、人間の場合でもときどきありますが、完全な無毛です。これは、遺伝子発現の異常であるから、そもそも毛を作る仕組みを欠いています。よって、この場合は、毛が選択的に無毛になったり、あるいは、毛の長さが短くなったりというような人間に現れた現象とは全く違います。ましてや、そのヌードマウスの無毛が、胸腺をなくすという遺伝子疾患と一緒に現れることを、喉頭の位置の変化と結びつけているのも全くでたらめでしょう。[6]

確かに、無毛になることと毛が短くなることは同じではない。また、無毛化とともに咽頭の位置が変化する確率も、ほぼゼロだと思う。しかし、島に好意的に解釈して、無毛になるのではなくて、毛が短くなる突然変異がおき、それと同時に咽頭の位置が変化したと仮定したとしても、それでもなお問題が残る。

もしも我々の祖先がアフリカのサバンナに住んでいたとするならば、突然変異で毛が薄くなった子供は、ヌードマウスと同様に、産まれてすぐに死ぬだろう。衣服や家屋や暖房や言語を発明して、その文化を言語によって子孫に伝えることができるようになるまでに、長い年月が必要である。そして、裸のままそれほど長い年月を生きのびることができるならば、衣服や家屋や暖房や言語を発明する必要はないはずである。

2.2 : 服や家や火は裸化とは無関係である

読者の中には、なるほど、裸になったから服や家や火が発明されたのではないかもしれないが、服や家や火が発明されたから、裸になることができたのではないかと考える人もいるかもしれない。しかし、そうではない。

まず衣服についてであるが、体毛があるならば、衣服を発明する必要がないのだから、服を着ることで裸になったという議論は本末転倒である。また、服を着ることが全くないアフリカの原住民の方が、常に服を着ている北欧人よりも体毛が少ないことから明らかなように、着衣が二次的に体毛を短くしたとも言えない。

では家屋と暖房の発明はどうか。嵐や夜露を避けるために家を建て、料理のために火を使っているうちに、裸でも生きていけるようになったという仮説は、一見もっともであるように見える。ところが、これにも大きな問題がある。

まず、なぜ人類の頭には毛が生えているのかが説明できない。家の中で火を焚けば、上の空気は暖かくなるが、下の方の温度はあまりあがらない。頭寒足熱の理想から言えば、足に毛が生えていて、頭には生えていないほうが良さそうなのだが、実際はその逆である。もっとも、島は「不適者は生きのびる」と言っているのだから、こうしたマイナーな不適合性はどうでもよいのかもしれない。

もっと本質的な問題は、我々の先祖は、現代の引き篭もり青年とは異なって、日中は外出しなければならないというところにある。この点で、人類の裸化は、ハダカオヒキコウモリのそれと同じ問題を孕んでいる。先ほど引用した文章をもう一度掲載しよう。

このコウモリの袋は、うすくて毛のない翼をとりこんで、体温調節を楽にすることができるだろうが、地中の穴や木の洞で休んでいるか、そこを歩いている間の話で、高速で飛んでいる時に体温調節をどうしているのか、まったく分からない。[7]

人間についても、こう言えるのではないのか。

この人間の家は、うすくて毛のない皮膚を守って、体温調節を楽にすることができるだろうが、家の中で休んでいるか、そこを歩いている間の話で、外出している時に体温調節をどうしているのか、まったく分からない。

人間の場合、ハダカオヒキコウモリよりも、もっと事態は深刻である。私たちは、コウモリのように超音波を使うことができないので、捕食活動は、日中に行わなければならない。その結果、太陽光線が皮膚を直撃し、体温が上昇し、皮膚が乾燥するなどの問題が生じるのだが、この問題を家と火は解決してくれない。

3 : アクア説による説明

私は、人間の裸化は、アクア説(セミアクア説を含めた広い意味でのアクア説)によって説明できると思う。島は、アクア説を海中進化説と同一視し、人間は海の中では生きていけないと言ってアクア説批判をするのだが、もしも人間が、淡水の辺に生息していたとするならば、その批判は無効になる。島は、コビトカバやバビルサは、河川湖沼といった水辺で生活しているから、裸でも生きていけるのだろうと書いているが、この説明をなぜ人間に当てはめないのだろうか。

私は、以下のような淡水進化説的シナリオを考えている。島のように、めったにおきない突然変異が同時に二つ現れるなどという奇跡を想定する必要はない。

3.1 : 河川湖沼への適応放散

今から500~700万年前、チンパンジーに近い生活を送っていた私たちの祖先は、当時まだライバルがあまり進出していなかった、河川湖沼に適応放散し、バビルサと同様に、水陸両棲となり、呼吸のために水の上に出さなければならない頭の上以外の場所の毛が薄くなった。

3.2 : メラニン色素による紫外線の遮断

私たちは、紫外線を浴びると、日焼けする。これは、身体を紫外線から守るためにメラニン色素が増えるからである。裸になった私たちの祖先も、この方法で紫外線を遮断したに違いない。実際、アフリカに住む黒人の皮膚は、メラニン色素が多くて非常に黒い。バビルサの皮膚も、以下の写真(Fig.02)を見ると、黒人の肌と同じ色をしているので、きっとメラニン色素が多いにちがいない。

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Fig.02. バビルサ[8]

3.3 : エクリン腺からの発汗

200万年前から、気候の寒冷化と乾燥化が始まり、アフリカから河川湖沼が減り始めた。これにともなって、水辺での縄張り争いが激化し、水辺での生活が困難になる。そんな中、陸上で生活できるヒトの新しい種が生まれた。この新しい種は、従来、滑り止めのために足の裏にしかなかったエクリン腺を全身に分布させ、露出した肌が太陽光線で熱せられると、汗を分泌し、温度を下げ、皮膚を乾燥させないにすることができた。裸の人間は、発汗機能のおかげで本格的な陸棲動物になることができたのだ。

4 : 読書案内

書名はだかの起原―不適者は生きのびる
媒体単行本
著者島 泰三
出版社と出版時期木楽舎, 2004/09

5 : 参照情報

  1. Ltshears. “Naked Molerat.” Licensed under CC-0. 15 January 2007.
  2. 島 泰三.『はだかの起原―不適者は生きのびる』. 木楽舎 (2004/9/1). p.181-182.
  3. 島 泰三.『はだかの起原―不適者は生きのびる』. 木楽舎 (2004/9/1). p.110.
  4. 日本語のサイトを検索すると、バビルサを夜行性と記述しているサイトが多いことに気づいた。島の本やこの英語のサイトでは、昼行性と書いてある。
  5. 島 泰三.『はだかの起原―不適者は生きのびる』. 木楽舎 (2004/9/1). p.246.
  6. おにりん. “島 泰三氏への反論.”『人類の祖先についての最近のお話』. Accessed Date: 3/25/2005.
  7. 島 泰三.『はだかの起原―不適者は生きのびる』. 木楽舎 (2004/9/1). p.110.
  8. Masteraah. “North Sulawesi babirusa (Babyrousa celebensis).” Licensed under CC-BY-SA. 28 January 2007.
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  2 コメント

  1. 時々、愉しく拝見させていただいております。
    論点に接点があるかどうか疑わしいのですが、いった記述してみようと思いまして。
    私は生活の中で極めてフィジカルな行動をしております。
    トライアスロンから、トレールランから、より自然の中で裸に近い状態で遊んでおりまして。それが永井先生との視点の差になっていると日頃感じるしだいで。
    >高速で飛んでいる時に体温調節
    >外出している時に体温調節をどうしているのか
    私は気温がマイナス5度でもプラス40度でも30~40キロ程度のRUNを日常的にします。
    その時の被服の差は薄いウィンドブレーカー1枚程度です。
    また、20分近く歩いて通勤しますが、真冬でも普通のスーツだけでマフラーも不要です。
    どうやって体温調整しているのかと申しますと、冬歩くときはスピード変化によって体温を適度に保ちます。(笑)
    暑いときは常に気化熱を利用します。
    水を被るか汗を出す機能を高めまして。
    マイナス5度も40度も一つ間違えると命に別状がある状況ですがまあ蝙蝠並みのスキルであろうと感じます。
    蝙蝠は親友でして、春になって出てこないとそらもう心配で。
    裸であるほうが温度変化に対応するのには圧倒的に有利なのですね。
    体温調節はこの種の競技での基本スキルでして。
    トレールランニングだとレーススタート時は30度、頂上では零度暴風雨という環境を薄い被服でリカバリーするのが普通でして、人間以外の動物には無理なように感じます。
    毛があると単一環境への対応しかできないのでは。
    寒冷地向けとか水中向けとか。
    オープンウォータースイムも慣れれば数時間泳ぐというのは大して疲れもしませんし、肌が大きくふやけて水ぶくれになるわけでもありませんです。
    環境変化への対応幅が常により広い方向へ進化したのではないかというのが私の直感的仮説でありまして。しかるに同じモンゴロイドでも熱帯から極地まで生息できると。
    その時なりの道具を含めて対応幅を広げる方向への変化。
    念のために御報告いたしますと、私は動物の種としてはごく普通の平均的日本人ですが、日常生活がやや動物的であろうかと思います。レースに出てくる人はみな同じようなものですけれど。人種の差もほとんど感じません。
    失礼いたしました。

  2. 確かに、運動すれば体温は上昇するし、水の蒸発を使えば体温を下げることができます。しかし、この体温調節法は、豊富な食料と豊富な水の存在を前提としているので、これらが入手可能な地域となれば、裸のヒトが生息できた地域というのは、かなり限られるのではないかと思います。

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