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『社会システム論の構図』を出版しました

2015年5月21日

私の著作『社会システム論の構図』の解説動画、書誌情報、販売場所、概要、読者との質疑応答などを掲載します。本書に関してコメントがありましたら、このページの下にあるコメント・フォームに投稿してください。誤字脱字の指摘から内容に関する学問的質問に至るまで幅広く受け入れます。

1. 解説動画

社会システム論の構図
私の著作『社会システム論の構図』の要点を解説します。社会システムとは、ダブル・コンティンジェントな複雑性を縮減する機能です。ちょうど経済システムにおいて貨幣が交換媒体として物々交換のダブル・コンティンジェントな複雑性を縮減するように、法律システムにおいては刑罰が、文化システムにおいては言語/記号が、家族システムにおいては資本が交換媒体として、それぞれ復讐、意見交換、結婚といったダブル・コンティンジェントな複雑性を縮減します。この視点から、このビデオでは、社会全般の普遍的な構造を理解するための社会システム論の構図を提示します。

2. 表紙画像

画像
社会システム論の構図』表紙画像

3. 書誌情報

  • Title :: 社会システム論の構図
    • Furigana :: シャカイシステムロンノコウズ
    • Romaji :: Shakai System Ron no Kozu
  • Author :: 永井俊哉
    • Furigana :: ナガイトシヤ
    • Romaji :: Nagai, Toshiya
  • Author bio :: 著作家。インターネットを主な舞台に、新たな知の統合を目指す在野の研究者。専門はシステム論。1965年8月、京都生まれ。1988年3月、大阪大学文学部哲学科卒業。1990年3月、東京大学大学院倫理学専攻修士課程修了。1994年3月、一橋大学大学院社会学専攻博士後期課程単位修得満期退学。1997年9月、初めてウェブサイトを開設。1999年1月、日本マルチメディア大賞受賞。電子書籍以外に、紙の本として『縦横無尽の知的冒険』(2003年7月, プレスプラン)、『ファリック・マザー幻想』(2008年12月, リーダーズノート)を出版。
  • Language :: ja
  • Page :: 293ページ
  • Publisher :: Nagai, Toshiya
  • ISBN :: 9781310767760 (Smashwords, Inc.)
  • BISAC :: Book Industry Standards and Communications
    • Science / System Theory
    • Social Science / Sociology / General
    • Philosophy / Social
    • 社会科学 > 社会学 > 一般
    • 哲学 > 社会哲学
  • Tags :: キーワード
    • Japanese :: フロイト、ラカン、レヴィ=ストロース、フーコー、バタイユ、ブルデュー、クーン
    • English :: anthropology, capital, communicaion, exchange, paradigm, psychoanalysis, social philosophy, structuralism, system theory, theory of sociology

4. 販売場所

販売価格は小売店によって異なることもあります。リンク先で確認してください。

5. 短い概要

社会秩序は、いかにして、万人の万人に対する戦いである無秩序から人々を救い出し、社会秩序を可能にするのか。この問題は、社会学の永遠の課題である。本書は、ニーチェ、マルクス、フロイト、ラカン、レヴィ=ストロース、フーコー、バタイユ、ブルデュー、クーンなど、ヘーゲル以降の現代思想の流れを踏まえつつ、社会秩序の問題を、社会システム論の立場から考察する。

6. 長い概要

社会システムとは、ダブル・コンティンジェンシー、すなわち、自己の選択と他者の選択が相互に相手の選択に依存している二重の不確定性を縮減する機能である。パーソンズも、ルーマンも、ダブル・コンティンジェンシーがいかにして縮減されるのかを根源的に説明しておらず、彼らの説明は、畢竟「社会システムが存在するから、社会システムは存在する」という循環論法を越え出るものではなかった。ルーマンの社会システム理論は、オートポイエーシス論と称して、その循環論法に居直ったが、それでは社会システム論の発生論にはならない。

ダブル・コンティンジェンシーがもたらす囚人のディレンマから抜け出すには、高資本の媒介的第三者が必要である。媒介的第三者は、言語、貨幣、刑罰などのコミュニケーション・メディアを通じて、社会的エントロピーを縮減するのだが、従来の社会システム理論では、こうした媒介的第三者の役割が正しく評価されていなかった。本書は、市場や資本の概念を、経済システムにおいて適用される狭義の概念から、家族システム、文化システム、政治システムにおいても適用される広義の概念へと拡張し、結婚市場、言語市場、政治市場での交換による評価のメカニズム、身体資本、文化資本、社交資本の非対称な蓄積のプロセス、支配のロジックと物象化の問題点を社会システム論の立場から幅広く考察する。

本書は、この問題意識に基づき、第一章で、交換としての認識、交換としての結婚、交換としての復讐を取り上げ、これらの交換が、貨幣というコミュニケーション・メディアを通じた経済的交換と同一の構造を持つことを示し、文化システム、家族システム、政治システムにおけるコミュニケーション・メディアの役割と資本蓄積の格差について説明する。第二章では、家族システムにおける父、政治システムにおける権力者、文化システムにおける神といった抑圧的な存在として君臨する媒介的第三者を描き、第三章では、反逆を鎮圧する暴君としてではなく、人々を自発的に服従させ、訓育し、支配する現代の権力のあり方を論じる。

7. 質疑応答

本書の内容に関する読者からの質問への私の返答をここに転載します。

第一章 第三節 交換としての復讐
国会くん(2006年1月25日 3:21 PM)

永井先生はライブドア事件をどうみますか?

永井俊哉(2006年1月25日 4:03 PM)

「交換としての復讐」で質問する理由は?

国会くん(2006年1月27日 1:14 PM)

申し訳ありません。für es や für uns の存在論的性格または地位はどのように考えたらよいのでしょうか?フュア・ウンスが物ではないことは私もわかります。しかし、、?

永井俊哉(2006年1月27日 4:57 PM)

権力論的に言うならば、権力を、私たちの個々の選択を離れて、超然と自存する実体とみなすことは、物象化的錯視であるということです。

国会くん(2006年1月28日 3:12 PM)

反照規定態の存在性格はどのように記述できるかという疑問が愚問であるとしたらそれは何故でしょう。廣松哲学の言語に対する不満がここにあります。

永井俊哉(2006年1月29日 11:34 AM)

反照規定態というのは、わかりやすく言うと、規定される側から規定する側へと反省してみるとわかる認識主体の構造といったところです。色眼鏡をかけていることに気がついて、「世界が青いのは、私のめがねが青いからだったのか」と気がつくような事態です。

第二章 第一節 権威としての父親
mick(2005年4月28日 8:15 PM)

シェーマLにおいては、メビウスの輪の形成によって、小文字の主体(moi 対象的自我)は a’ではなくてaとなっており、逆にイマゴとしての他者は a に相当する記号が付されるというキアスムが生じている。

と永井さんは記されていますよね。確かにシェーマRを出すときにラカンはメビウス構造について触れていますが、それとシェーマLの関連については直接的な言及は見つけられませんでした。このあたり、何かラカン自身がそう言っている文脈、あるいはラカン研究書が存在するのでしょうか?それとも永井さん独自の解釈なのでしょうか?

永井俊哉(2005年5月1日 2:50 PM)

それは、自分で考えた方が良いですよ。シェーマRに先立って、シェーマ£という、シェーマLを簡略化した図があるのですが、そこで既に、a’, son moi と書かれていて、関係が逆になっています。なぜ○マークがなくなったのかとか、なぜシェーマ£では、aとa’が斜字体になっているのかとかに関しても、いろいろ解釈できそうです。

ゆう(2005年12月24日 4:45 PM)

想像界の三角形の説明で「この交換関係は無媒介ではなく、a’(子供:他者の他者)は第三項のφに自己同一化することによってa(母親)の愛の対象となろうとする」とありますが、φとはいったい何なんなのでしょうか? 象徴界の三角形では、象徴的ファルス(父親)がφに入りますが、想像界においてのφの意味がよくわかりません。

永井俊哉(2005年12月24日 5:51 PM)

子供は、自分を母の欠如を埋めるペニスであると想像します。また、母は、自分のペニスの代理物としての子供を望みます。それは、父を媒介としない母子相姦の媒介項です。

applekoo(2019年6月25日 9:24 PM)

ラカンの文章は所々意味が成り立たないところや、数学を用いた間違った喩えがあります。こういう分かりにくい文体にどうしてなるのですか?

永井俊哉(2019年6月26日 12:08 PM)

一般的に言って、研究者は研究対象に同化する傾向があるようです。私が大学で教わった生物学の先生は、タコの専門家で、「私は若いころは好青年だったが、タコを長年研究した結果、タコみたいな人間になってしまった」と講義で語っていました。実際、その先生は、立ち居振る舞いだけでなく、顔形にいたるまでタコそっくりでした。

ある精神病院に勤務する精神科医は、患者の立場に立って、相手を理解する治療を心がけていました。その結果、その先生は、その病院の精神疾患の患者になってしまいました。これは極端な例ですが、研究熱心な精神科医に、まるで精神に異常をきたしているかのような形相の先生がいるのは偶然ではないと思います。

精神科医であるラカンの文章は、難解であることで有名ですが、それはその思想が高度であるからというよりも、研究対象である精神疾患者の言説と同化しているからではないかと思います。そもそも精神分析学は、意味不明に聞こえる精神疾患者のディスクールから、患者が何を言おうとしているかを解読する理論なのですが、その理論の解読に同じ理論が必要であるなら、その理論を理解していない人にとっては、ラカンのテクストが精神疾患者のつぶやきなみに意味不明になってしまいます。

これは、喩えていうならば、フランス語を全く知らない学習者がフランス語で書かれた学習書でフランス語を学ぼうとするようなものです。あるいは、中に鍵が閉じ込められた箱を開けようとするようなものです。こうした悪循環のループから抜け出すには、自分か理解している言語で書かれた学習書でフランス語を学ぶ、あるいは箱の外にある合鍵を持ってくるということが必要になります。

ラカンを理解する時も同じで、いきなりラカンのテクストを読むと「ラカンはわからん」ということになってしまいます。だから、まずはラカン研究者による初学者向けの解説書を読んで、ラカンの理論の概要を理解し、その後で、メタファーに満ちたラカンのテクストを自己準拠的な構造に留意しながら解読すれば、ラカンが何を言おうとしているかが理解できるようになります。

applekoo(2019年6月29日 4:23 AM)

ラカンについてはミイラ取りがミイラになったわけで、精神病患者が呟いてるのと変わらなくないですか。精神病患者の言説を健常者の言葉に頭の中で翻訳して文章にすることもできないのかと思いました。

自己準拠的な構造と言うのがよくわかりませんが。

少し話題がずれますが、アンチオイディプスも意味不明でした。あまりのわからなさからアランソーカルの知の欺瞞を買いました。まだ読み終わってません。

永井俊哉(2019年6月29日 10:51 AM)

ラカン本人に精神疾患はないのですが、文体や考え方の面で患者から影響を受けているということです。自己準拠(self-reference)とは、システムが自己自身を参照することで、ここでは、解読の理論の解読にその理論の参照が必要という意味で使いました。一般的に言って、あらゆるものを対象とする哲学は、その哲学自体をも対象にするので、自己準拠的になります。ラカンの理論は哲学的で、他の哲学と同様、自己準拠的になっています。

applekoo(2019年6月29日 3:31 PM)

ご説明ありがとうございます。自己準拠的の意味がわかりました。