金属バット殺人事件
1996年11月、東京都内のマンションの一室で、家庭内暴力に悩む父親が、14才の長男を金属バットで殴り殺し、社会に大きな衝撃を与えた。事件発生当時よりも、家庭内暴力の詳細が明らかになった時の方が、世間の関心は高まった。なぜこのような事件が起きたかに関して、キャスターや評論家たちがいろんなことを言っていたが、私は、この家族の病理は、ファルスの不在にあると考えている。そして長男を殺害した父親は最後までこの原因が分かっていなかった。そして、分かっていなかったからこそ、最悪の結果に終わったのである。

理想的な家庭的背景
父親は、東京大学を卒業後、当時倍率百倍の難関であった東京都内の出版社に就職したエリートだった。しかし出版社では、編集者として、哲学、教育、障害者問題などの本を手がけ、「それまでは、能力主義的な考え方をしており、能力がある人が優れていると思っていたが、障害を持っている人も価値は同じであるという考え方に変わっていった」。その背景には、自分自身が子供の頃、吃音という障害で悩んでいたことがあった。
母親も同じような考えの持ち主で、東京のエリートの家庭がよくやるように、名門私立中学を受験させるために長男に学習を強制するようなことはしなかった。長男は、小学校時代には塾に通わず、公立中学に進学する。教育評論家たちの決り文句を使うならば、長男は「偏差値教育に毒されることなく、自由にのびのびと育った」ことになる。
1991年にソ連が崩壊し、社会主義的傾向の本を出版していた父親は、自分の仕事に挫折を感じるようになり、92年に出版社を退社して福祉の道を歩むことにした。しかし慣れない仕事に適応できず、95年には、学術団体の事務局に転職した。長男の家庭内暴力が始まったのはその1年前からであった。
父母は二人とも子供に厳しくなかった。社会主義的な理想から、子供を甘やかした。小学校時代の担当は、長男を「他の児童に比べて少し甘えん坊のところがあった」と評している。中学校でも、「陽気で元気のいい子」としながらも、「集中力やがまん強さに欠け、わがままな面もある」という評価を受けている。
ある日、長男は同級生から「おまえのお父さんは優しいね」と言われた。当時の父親は、自分が優しいと思われていることをうれしく思った。しかし後に「それは、お父さんが弱いという意味かもしれない」と回想している。学校という、家庭とは異なった外部世界で、長男は自分の家庭におけるファルス[*]の不在に気が付くようになったのだ。自分の家庭には強い父親がいない。弱い父親によって自分は弱い人間として育てられたのだ。こう彼は思うようになったのではないだろうか。家庭にファルスが存在しない以上、長男には、自分がファルスとなること、自分が強い父親となることしか残された道はなかった。
暴力と愛の限界
長男の暴力は、初め母親に、やがて父親にも向けられるようになる。ある日、長男は父親に、「土下座しろ」と命令した。土下座すると、長男は父親を足で蹴ったり、手で殴ったり、コタツの板を投げつけた。暴力を振るう長男を父親が見上げると、長男は涙を流して泣いていた。これを見て、父親は、「長男もつらいんだ、苦しんでいるのは長男だ」と確信して、暴力を受け止め、長男のするがままにまかせることにした。長男に無制限に優しくすれば、長男は親の愛を受け止めてくれると思ったのである。しかしこれは逆効果であった。
なぜ長男は、父親が命令に従って土下座したのに、暴力を振るって泣いたのか。長男の「土下座しろ」という命令は、父親に、息子の理不尽な命令を拒絶し、父親らしい毅然たる態度を求めていた。だから命令に文字通り従うことは、長男の欲望には反していた。ちょうどインポテンツに悩む男性が、立たないペニスを嘆き悲しむように、長男は、挑発的な言葉を投げかけても「立たない」父親を嘆き悲しんだのである。
長男は、自分の部屋で母親にも土下座させた。すると長男はひざまずく母の頭を足で踏みつけた。血しぶきとともに前歯が折れた。やがて母親は、エスカレートする長男の暴力に耐えられなくなり、家を出て、別居を始める。長男の暴力はもっぱら父親が一人で引き受けることになる。父親は、日常的に長男の暴力にさらされ、鼻の骨を折るなど生傷が絶えなかった。
長男は、父親に服やおにぎりやファミコンの攻略本などの買い物を命じる。そして父親が買ってくると、「てめーなめんなよ。何でこんなもの買ってきた。返してこい」と罵声を浴びせて父親を殴打する。長男は、買ってきたものが気にくわないから暴力を振るっているわけではない。もし気に入ったものを入手したいのであれば、あらかじめ細かく注文するはずである。しかし彼はわざとあいまいに買うものを指定する。暴力を振るうことが目的で、「気に入らないものを買ってきた」という理由は口実に過ぎない。
長男の暴力を放置した責任は父親だけにあるわけではない。中学2年の9月ごろ、父親は、無抵抗を勧める精神科クリニックの医者に「奴隷のようにこき使われて耐えがたい」と訴えた。しかし医者は、「そういう対応するのも子供をよくするための一つの技術だと思ってください」とアドバイスした。父親は、「先生の言葉にほっと安心した。それ以降暴力を受け入れることがおかしいことだとは思わなくなった。つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この『技術』という言葉だった」「私は暴力をほとんど体験しておらず、予想もしていなかった。だから驚き、本もたくさん読んだ。しかし、暴力を振るう子供を受け入れても、絶対に暴力自体は受け入れてはいけないという本や相談機関にはめぐり合わなかった」と回顧している。
父親は、同じ悩みを抱える親の会にも入った。その会でも、親たちは、子供の暴力を無抵抗で受け入れるべきだと考えていた。皮肉な見方をするならば、家庭内暴力は、そうした考えを持つ親のもとで起きているということが言えそうである。
父親の自己犠牲的な長男への愛は、長男を幸せにはしなかった。中学2年の冬、父親が職場から帰ると、長男が、裸同然でぐったりと倒れていた。精神科クリニックからもらった錠剤を8錠も飲んだのである。そのとき長男は、「おれなんか生きていたってしょうがない」とつぶやいた。
理解されなかった愛の終焉
そして中3の冬、睡眠不足と暴力に耐えられなくなった父親は、金属バットを寝ている長男の頭に振り落とし、わが子を絶命させた。父親は、長男殺害後、しばらく「罪の意識も後悔もなかった」「ほっとしています」と語る。しかし事件から2ヶ月ほどたつと、後悔の念がふつふつと生まれ、「長男の立場に立って考えたとき、許されないことをしたと初めて思った。長男のむなしさを思う気持ちが初めてわいてきた」と法廷で述べている。
この長男の殺害は、フロイトの原父殺害のストーリーを連想させる。この家庭では、父子の主従関係が、象徴的に逆転していた。父親も、長男が「この家で一番偉いのは自分であると口にした。自分がこの家の支配者の立場を取るようになった」と認識していた。フロイトの原父殺害のストーリーで、息子たちが、残酷な父親を殺害した後、殺害を後悔するように、父親も、象徴的父親であった長男を殺害し後悔する。そしてエディプスが父親殺害の後、自分の目をつぶして「去勢」したように、金属バット事件の父親も、減刑を一切求めず、懲役3年の実刑判決を控訴せずに受け入れ、象徴的に去勢したのである。
金属バット殺人事件での家庭崩壊は、ソ連の崩壊と同時期に起きた。ソ連は、社会主義体制のもとで、国内産業を国際競争力のある強い産業に育てなかった。そのためソ連は崩壊し、その後ありとあらゆる犯罪と無秩序が横行した。そうした秩序崩壊の反復が、社会主義の理想に基づいて子育てをした日本の一家庭で起きたと見ることはできないだろうか。
関連著作
- 前田 剛夫『父の殺意―金属バット事件を追って』
- 鳥越 俊太郎, 後藤 和夫『うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件』
ディスカッション
コメント一覧
永井さんは、子供さんがいらっしゃいますか?金属バットの父親の件は、これを否定するものでもなく実際起こった悲しい事実です。誠実で真面目な人間が父親になり、優しい親思いの子になって欲しいと願望した優しい父親であることは決して悪くはないと思います。ただ人間としてあるべき姿を教え込めなかった事実とそれをあえて勇気を持って教える威厳が必要だったのでしょうねえ。多くの本を読んでも知識で解決できるものではない。その時点、そのことは今いる自分とそこに対峙するかわいい息子との関係は非定常で、過去にはない一回性の事実とそれをシミュレーションして解を出すといった悠長なものではなく、一瞬一瞬に判断し、結論を出して行かなければ、そしてそれが正しい道だと自信をもって語れることが必要になってくるのでしょうね。それはデスクワークからは経験できない。生の体験を積んだ迫力を持つことが大切なんでしょう。そのためには自分を艱難な場に置いて、そこから逃げない訓練を積んで行くことをむしろ積極的にやることでしょう。
私には子供がいません。ただここで取り上げた話は、何も子供の教育だけに当てはまることではありません。例えば、高齢者の介護では、お年寄りに優しくすることが必要ですが、なんでも手取り足取りしてあげると、自分でできることまでしなくなり、結果として高齢者の痴呆を進めてしまうということがあります。優しさが必ずしも人のためにはならないという一例です。
この事実は、存在のみを知っていて、「恐ろしい世の中だ」などと他人事のように思っていたが、こうして詳しく聞かされると、多元化した現代に疑問を抱かざるを得ないと改めて感じた。父権制社会の崩壊により、友達のような親が増えてきた。親もそれをよしとし、受け入れることによって、子供は親を『自分より経験を持った友達』としか扱えなくなったのだろう。一重に多元化の「すべてを肯定する考え」より生まれた事実だと考えてしまう。
友達のような親だけでなく、友達のような先生も増えていますね。もっとも、私は、保守主義者が提唱するような、「父親の権威の復活」には賛成していません。子供を規則で縛るだけの管理教育は、甘やかし教育と同様、子供の人格を歪めるからです。自由のすばらしさと厳しさの両面を教えてくれる教育者が理想的だと私は思っています。
社会主義の理想とは一体何なのでしょうか?
ベルリンに住むようになってから3年以上が経ちますがここで生活していると実に多くの旧共産圏から移住してきた人々に出会います。そして彼らは決まって社会主義思想に対して否定的な考えをしています。まだソ連が存在していたころはそのような発言も許されなかったわけですが、ほとんどの人がそのような考え方だったようです。
結局のところ、社会主義を実現させようとした国にもたらされたものは富の分配でなく、富の偏りであり、秩序でなく無秩序であったと思われます。一部の権力者はとてつもない莫大な財産を所有し、一方で飢えに苦しむ人々もいる。その結果、彼らは生き延びるために秩序を乱すような犯罪が増えることになるのです。ここで生活していて驚かされるのは、共産圏の人々は必ず抜け穴を見つけるということです。彼らにとっては規則、秩序というような概念がどのようなものなのかわたしには理解しかねます。また、生きていくための悪事に対しては、彼らは露ほどの罪悪感をももっていないと思います。
このような状況を目の当りにすると、社会主義という概念そのものがとても不自然なものに思われてきます。社会主義の根本概念の一つは私有財産所有の否定です。すなわち、財産はすべて国にきぞくするわけです。労働もまた然り。自分の労働の成果は国の発展には貢献するが自分のものとならない。
大切なことは、彼らがこのような社会システムをどのような気持ちで受け入れていたか、ということでしょう。本当に国のため、国の繁栄のために進んでこのシステムを受け入れられるのでしょうか?
情報が発達した今日では不可能でしょう。現にわたしが知っているかぎり、そのような考えをもっていた人は誰一人いませんでした。トマスモアのユートピアの中では理想郷の実現のために多くの規制が存在しています。その一つは他の国との接触をもってはならない、ということだったと記憶していますが。現に北朝鮮では今もなお、それを実践しようとしています。しかし、情報化社会の現在ではそれは不可能ですし、そのためにソ連は崩壊したのです。
つまり自己犠牲、自分の意志に反するという気持ちが少しでもあるかぎり、歪みは何らかの形で生じるものなのでしょう。今回の内容で登場した一家庭ですが、親が自己犠牲で暴力を受け入れたと書かれてありましたが、自己犠牲という考えからして不自然ですよね。もし親が自己犠牲という観念がかけらもなく息子の暴力を受けていたら、良い方向に向かったのではないかと思います。息子は無意識に親が心のうちを示すことを求めていたのでしょう。
後半で唐突に、社会主義の話をしましたが、私が言いたかったことは、こうです。私は、国家が産業を育てる関係は、親が子供を育てる関係と同じであると考えます。政府を、1.大きな政府、2.小さな政府、3.無政府の三種類に分けると、それらは、1.管理教育、2.自由教育、3.自由放任という三種類の教育方針に対応すると言えます。管理教育は、一見自由放任と違って厳しそうですが、子供の自立性を育てないという点で、自由放任と同様で、子供を甘やかす教育です。子供はただ親の言われた通り振る舞い、監視されている間はおとなしくしています。しかし監視の目を盗んで悪さをします。
TSさんは「ここで生活していて驚かされるのは、共産圏の人々は必ず抜け穴を見つけるということです。彼らにとっては規則、秩序というような概念がどのようなものなのかわたしには理解しかねます。また、生きていくための悪事に対しては、彼らは露ほどの罪悪感をももっていないと思います」とお書きになっていますね。
旧共産圏では民主主義が不十分であったので、システムに対して「自分たちが作ったもの」という意識がないのです。だからロシアでは、経済が崩壊しても、自分たちで新しい経済を作っていこうとする下からの動きが見られないわけです。
現在ロシア経済が混乱しているのは、市場経済が悪いからだと言う人もいますが、やはり長年の社会主義体制のツケがまわってきた結果と見るべきでしょう。
家庭内暴力は、子供をロボット扱いする管理教育の家庭と子供を甘やかしすぎる家庭で起きる傾向が大きいようです。このことは、一見両極端と思える二つの教育形態に共通点があるということを意味しています。
この事件が起こった原因は、「優しい父親」「甘い父親」「真面目な父親」のどれかに原因(のひとつ)があった、と感じる方が大半だと思います。または、「弱い父親」がちゃんと優しさが教えられなかった、と。しかし、私には、気になる隠れた項目があります。父親の「自分自身が子供の頃、吃音という障害で悩んでいた。」と「つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この『技術』という言葉だった」、長男の「他の児童に比べて少し甘えん坊のところがあった」と「陽気で元気のいい子」の部分です。
子供が暴力を継続的に行う場合、その原因は親にあり、子供は暴力によって、親を治療しようとしていることが多々あります。そして、その親の問題というのは、「子供(または配偶者)を人間として扱えない」ことです。
この父親は子供の頃に吃音がありました。これは、父親の親(祖父母)が厳格で、父親の人間としての権利を権威によって規制し、優しい子供であった父親は抵抗せずに、自分をコントロールして育った事を意味します。こうやって育った人間は、愛ある人間関係が築けず、支配者と従者の関係、強者弱者の関係、仕事関係でしか、人と関係が保てません。
子供は、本能的に「愛ある人間関係」「自然(野性的)な関係」を求めます。支配者と従者の関係があれば、体力のある子供ならば暴力、陽気なら道化、陰気なら逃避(閉じこもり)によって、親に修正を加えようとします。
長男は、甘える年令を過ぎても甘えています。これは、愛情(甘え)が幼児期に満たされていないためです。両親が甘やかした、のではなく、犬を餌で釣る様に、甘やかしという餌で長男を支配したのです。つまり、本当の意味で甘えさせてくれなかったのです。陽気で元気は、道化(ピエロ)の可能性があります。
父親は、暴力を受け止める優しさを見せました。しかし、この行為は自然ではありません。殴り合いになるのが自然です。父親は、受け身による閉じこもりで人間関係(愛のない強者弱者の関係)を子供の頃から弱者として保ってきました。だから、殴り合っても、翌日には一緒に遊んでる、という愛が信じられません。長男は、この「病的な優しさ」を本能的に見抜き、殴ったのです。自然な状態、ケンカしてもちゃんと仲直りできる父の愛が欲しくて殴ったのです。
残念ながら、過ったカウンセリングを受けたのか、父親は「技術」で殴られることに溺れました。これは、弱者(物)として生きてきた父親が、専門家という権威によって、長男を愛さないこと、の許可をもらったことを意味します。
長男は、ますます、技術としての人間関係、に失望し、暴力を続けます。父親は、弱者としての技術的な立場に耐えられなくなり、強者としての技術的な立場、つまりバットによる殺人で、永久的な支配権を得ます。支配されるか、支配するかでしか、人間関係が保てないのです。
家庭内暴力を権力(父親の威厳など)で押さえる方法がありますが、これは、単に「閉じこもり」をさせて、表面化させないだけで、次の世代で、暴力が発生します。先送りしているだけです。祖父母の支配で、暴力を起こさなかった閉じこもりの父親は、長男で暴力が表面化し、閉じこもりから、暴力(殺人)に移行したに過ぎないのです。
父親が優しくても、甘くても、真面目でも、弱くても、子供は「よい人」に育ちます。ちゃんと愛のある人間としての関係が保てられていれば。長男ではなく、父親が、いや祖父母がもっと早くに正しい治療を受けていれば、と残念です。
「父親は、同じ悩みを抱える親の会にも入った。その会でも、親たちは、子供 の暴力を無抵抗で受け入れるべきだと考えていた。皮肉な見方をするなら ば、家庭内暴力は、そうした考えを持つ親のもとで起きているということが言えそうである。」
これは、その通りだと思います。これは、「優しい」のではなく、弱者として子供を技術的に支配する親、だからです。バタードウーマンという言葉があります。直訳すると(殴られ女)。アルコール依存症の夫を持つ妻は、殴られることに生きがいを感じ、アルコール依存症の夫と離婚後、同じ様なアルコール依存症の男を探し出し、結婚する現象をいいます。専門的には共依存と呼ぶそうです。
たしかに、この父親には、《冷たい優しさ》しかなく、《暖かい厳しさ》が欠けていたのかもしれません。ただもし、父親が長男を技術的に支配することしか考えていないのであれば、長男を精神病棟に入れていたことでしょう。ところが父親は、「親子の信頼関係がなくなる」と言って、長女のこの提案を拒否しました。父親には長男に対する愛があったのではないでしょうか。
父親は、長男の怒りが静まると、まるで何もなかったかのように、一緒に散歩したり、ギターを習いに行ったりしていました。近所では「仲の良い親子」と思われていたようです。MARUDEさんは、これも弱者の愛のない技術とお考えでしょうか。
「父親の親(祖父母)が厳格で、父親の人間としての権利を権威によって規制し」ていたかどうかはわかりません。一般に吃音の子供の親には、几帳面で完全主義的な人が多いそうですが、法廷での証言では、この父親の父は、花を育てるのが趣味の穏やかな人で、子供に勉強を強要することもなかったということです。(もちろん理想化して回想しているだけかもしれませんが)。
この父親の吃音に対する悩みは、四十台半ばまで続き、「吃音を同僚に悟られてはいけない、どもってはいけない」といつも緊張していて、電話する時も人のいない別室ですることにしていたそうです。こうした自信のなさが、子供にも見透かされたのでしょう。
心の問題を文で伝えるのは困難で、作文が苦手な私の文では、かなり不正確に伝わっている様ですので、前回の感想の追記をさせていただきます。(これも、正確に伝わるかが不安ではありますが。)
◎ 技術的な支配
これは、かなり誤解を招く表現だったようです。私が表現したかったのは、精神病棟で行うカウンセリングや投薬治療のことではありません。「気を惹く行為」とでも言えばいいのでしょうか。恋人の気を惹くのに、ちょっとスネてみる、というようなことです。気を惹く欲求が「支配」で、スネルのが技術だと思ってください。(これでもニュアンスが少し違うのですが)
父親は、長男にとって「必要とされる、いないと困る」存在になることで、長男を支配し、精神的に縛り、それを親子関係と呼びたかった、ということです。だから、長男に必要とされるのは、父親である私だけであり、医者に介入されるのは困るのです。恋人を寝とられるようなものですから。
他人(近所の人)が、この親子の表面(外面)を見て、事件前に、一般の家庭と異なる「支配関係」を見破ることは出来ないと思います。神戸の事件でも、近所では「仲の良い親子」と思われていたようです。しかし、これは親子関係ではなく、「支配関係(依存関係?)」だったと思います。
こういった関係を、見破るとすれば、「長男の怒りが静まると、まるで何もなかったかのように」の部分だと思います。正常な親子関係なら、他人が見ても分るくらいに、問題発生後しばらくは、問題が表面化します。(あ、親子喧嘩したな、とかがわかる。)
◎ 支配関係でしか人間関係が保てない
これも、文で説明するのには骨が折れます。家庭内暴力だけでなく、恋愛のもつれによる殺人や、ストーカーなども、同じ現象だと思っています。感情を、子供の頃に受けた暴力や威圧によってコントロールされてきた人は、ダイレクトに感情が表現できなくなります。悪口を言われても、笑顔を崩さなかったり、恋人にふられても泣かなかったり。とても大人で、良い人なのですが、深い人間関係が作れません。
「本当の自分自身」と、「感情をコントロールしている大人の自分」の二人が絶えず無意識に存在し、心の底から、悲しんだり、喜んだり出来ないのです。他人と感情の共有が出来ないのです。涙を流すのは、思わず泣いた、のではなく、泣くべきだから泣く、といった状態になります。恋人には、「こんなに貢いだ、こんなにあなたを気に入ってやった、だから貴方は私を好きになり、尽くすはずだ。」という条件のあった、取り引きのような関係によって、恋人関係を築いてしまい、とにかく一緒にいるだけでいい、という無条件の関係が信じられないのです。
親子関係も、どんなものであろうと、親子は親子なんだから、という関係が信じられず、親:育てる、子:育ててもらうから親が必要、という取り引き関係を信じます。子は、無条件の愛情を要求しますから、この取り引きの存在そのものを拒絶します。子はストーカーに付きまとわれたような気分になり、親は片思いの様な状態になり、関係は破綻します。
「ある男が女性を好きになりました。彼女には惜しみなくプレゼントをし、彼女が悩んでいれば助言をし、いつも一緒に行動しました。ある日、男は彼女にプロポーズをしましたが、「友達でいよう」と断られました。彼女には、男は良い友達ではあっても、結婚の対象としては見れなかったのです。男はその後もプロポーズし続けました。彼女は「いいかげんにして」と男を平手で打ちました。彼はついに絶望し、彼女を殺し、永遠に自分だけのものとしました。」
この場合、男は彼女を愛していたのではなく、所有物(アイドル?)として、支配欲を満たしたかっただけだったのです。離れても彼女の幸せを願うという、本当の愛を持っていなかったのです。だから彼女も結婚したくなかったのです。
父親は、長男を他人や施設に任せたり、遠くの地方に住ませたり、手放したりすることができなかったのです。自分を殴ってもいいから、どんなことでもするから、そばに置いておきたい、一緒に「理想の親子」を演じたかったのです。しかし長男は、条件のない「普通の親子」でいたかったのです。父親は、自分が理想とする親子関係を長男が拒絶するならば、殺して永遠に支配したかったのです。
◎ ファルスと権威
ファルスという言葉は、私にはあまりなじみが無いのでよく分りません。権威、または威厳として考えて良いならば、ファルスの不在が事件の原因とは少し違うのでは、と感じます。しかし「保守的な権威の復活」は望まないという部分や、文面の全体的な流れからは、私の考えからは遠くないので、同じものが不足しているとお考えで、その言葉がまだどこにも存在しないのではないか、と考えています。
「権威の不在」というよりは「本音の不在」とか、「生命力の不在」、「自分の弱さを認める強さの不在」などが、私にはしっくり来るのです。親子や教師の「友達感覚」も、親や教師という権威の不在、というよりは、「一緒に頑張ろう」とか「何があっても、私たちは親子(教師と生徒)」という絆を信じる力の不在だと思います。友達感覚といっても、「親友」であろうというのではなく、「知り合い」程度の絆を保とうとしているのですから。なにかそこに「信頼力の不在」を感じます。
金属バット殺人事件の父親の場合は、幼児期に何かがあって、吃音となり、「信頼力」(これもしっくりこないですね。)が持てなくなった。長男は、その壮大な結合力(愛?)を、父親に望んだが受け入れられなかった。父親は、知り合い感覚で長男と疑似的な親子関係を続け、長男は失望したのではないかと考えます。
私が指摘しようとしたことは、「権威の不在」というよりも「憧れの不在」です。「一緒に頑張ろう」といわれても、何をがんばるのか、息子にはわからなかったはずです。父親は息子になんら目標や模範を示さなかったのですから。