金属バット殺人事件

1999年9月28日

1996年11月、東京都内のマンションの一室で、家庭内暴力に悩む父親が、14才の長男を金属バットで殴り殺し、社会に大きな衝撃を与えた。事件発生当時よりも、家庭内暴力の詳細が明らかになった時の方が、世間の関心は高まった。なぜこのような事件が起きたかに関して、キャスターや評論家たちがいろんなことを言っていたが、私は、この家族の病理は、ファルスの不在にあると考えている。そして長男を殺害した父親は最後までこの原因が分かっていなかった。そして、分かっていなかったからこそ、最悪の結果に終わったのである。

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1. 理想的な家庭的背景

父親は、東京大学を卒業後、当時倍率百倍の難関であった東京都内の出版社に就職したエリートだった。しかし出版社では、編集者として、哲学、教育、障害者問題などの本を手がけ、「それまでは、能力主義的な考え方をしており、能力がある人が優れていると思っていたが、障害を持っている人も価値は同じであるという考え方に変わっていった」。その背景には、自分自身が子供の頃、吃音という障害で悩んでいたことがあった。

母親も同じような考えの持ち主で、東京のエリートの家庭がよくやるように、名門私立中学を受験させるために長男に学習を強制するようなことはしなかった。長男は、小学校時代には塾に通わず、公立中学に進学する。教育評論家たちの決り文句を使うならば、長男は「偏差値教育に毒されることなく、自由にのびのびと育った」ことになる。

1991年にソ連が崩壊し、社会主義的傾向の本を出版していた父親は、自分の仕事に挫折を感じるようになり、92年に出版社を退社して福祉の道を歩むことにした。しかし慣れない仕事に適応できず、95年には、学術団体の事務局に転職した。長男の家庭内暴力が始まったのはその1年前からであった。

父母は二人とも子供に厳しくなかった。社会主義的な理想から、子供を甘やかした。小学校時代の担当は、長男を「他の児童に比べて少し甘えん坊のところがあった」と評している。中学校でも、「陽気で元気のいい子」としながらも、「集中力やがまん強さに欠け、わがままな面もある」という評価を受けている。

ある日、長男は同級生から「おまえのお父さんは優しいね」と言われた。当時の父親は、自分が優しいと思われていることをうれしく思った。しかし後に「それは、お父さんが弱いという意味かもしれない」と回想している。学校という、家庭とは異なった外部世界で、長男は自分の家庭におけるファルス[*]の不在に気が付くようになったのだ。自分の家庭には強い父親がいない。弱い父親によって自分は弱い人間として育てられたのだ。こう彼は思うようになったのではないだろうか。家庭にファルスが存在しない以上、長男には、自分がファルスとなること、自分が強い父親となることしか残された道はなかった。

[*] ファルス(phallus)とは、男根を意味するラカンの用語で、ペニスとは異なり、肉体の一部 ではなく、象徴的な欲望の対象、欲望を生み出す欠如そのもののシニフィアンの ことである。幼児は母に欠け、母の欲望の対象であるファルスになろうとするが、 やがて自分がファルスではないことを知り、自己の外部にそれを求め、《ファルスをめぐるシニフィアンの連鎖》と呼ばれる欲望の回路に取り込まれて行く。

2. 暴力と愛の限界

長男の暴力は、初め母親に、やがて父親にも向けられるようになる。ある日、長男は父親に、「土下座しろ」と命令した。土下座すると、長男は父親を足で蹴ったり、手で殴ったり、コタツの板を投げつけた。暴力を振るう長男を父親が見上げると、長男は涙を流して泣いていた。これを見て、父親は、「長男もつらいんだ、苦しんでいるのは長男だ」と確信して、暴力を受け止め、長男のするがままにまかせることにした。長男に無制限に優しくすれば、長男は親の愛を受け止めてくれると思ったのである。しかしこれは逆効果であった。

なぜ長男は、父親が命令に従って土下座したのに、暴力を振るって泣いたのか。長男の「土下座しろ」という命令は、父親に、息子の理不尽な命令を拒絶し、父親らしい毅然たる態度を求めていた。だから命令に文字通り従うことは、長男の欲望には反していた。ちょうどインポテンツに悩む男性が、立たないペニスを嘆き悲しむように、長男は、挑発的な言葉を投げかけても「立たない」父親を嘆き悲しんだのである。

長男は、自分の部屋で母親にも土下座させた。すると長男はひざまずく母の頭を足で踏みつけた。血しぶきとともに前歯が折れた。やがて母親は、エスカレートする長男の暴力に耐えられなくなり、家を出て、別居を始める。長男の暴力はもっぱら父親が一人で引き受けることになる。父親は、日常的に長男の暴力にさらされ、鼻の骨を折るなど生傷が絶えなかった。

長男は、父親に服やおにぎりやファミコンの攻略本などの買い物を命じる。そして父親が買ってくると、「てめーなめんなよ。何でこんなもの買ってきた。返してこい」と罵声を浴びせて父親を殴打する。長男は、買ってきたものが気にくわないから暴力を振るっているわけではない。もし気に入ったものを入手したいのであれば、あらかじめ細かく注文するはずである。しかし彼はわざとあいまいに買うものを指定する。暴力を振るうことが目的で、「気に入らないものを買ってきた」という理由は口実に過ぎない。

長男の暴力を放置した責任は父親だけにあるわけではない。中学2年の9月ごろ、父親は、無抵抗を勧める精神科クリニックの医者に「奴隷のようにこき使われて耐えがたい」と訴えた。しかし医者は、「そういう対応するのも子供をよくするための一つの技術だと思ってください」とアドバイスした。父親は、「先生の言葉にほっと安心した。それ以降暴力を受け入れることがおかしいことだとは思わなくなった。つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この『技術』という言葉だった」「私は暴力をほとんど体験しておらず、予想もしていなかった。だから驚き、本もたくさん読んだ。しかし、暴力を振るう子供を受け入れても、絶対に暴力自体は受け入れてはいけないという本や相談機関にはめぐり合わなかった」と回顧している。

父親は、同じ悩みを抱える親の会にも入った。その会でも、親たちは、子供の暴力を無抵抗で受け入れるべきだと考えていた。皮肉な見方をするならば、家庭内暴力は、そうした考えを持つ親のもとで起きているということが言えそうである。

父親の自己犠牲的な長男への愛は、長男を幸せにはしなかった。中学2年の冬、父親が職場から帰ると、長男が、裸同然でぐったりと倒れていた。精神科クリニックからもらった錠剤を8錠も飲んだのである。そのとき長男は、「おれなんか生きていたってしょうがない」とつぶやいた。

3. 理解されなかった愛の終焉

そして中3の冬、睡眠不足と暴力に耐えられなくなった父親は、金属バットを寝ている長男の頭に振り落とし、わが子を絶命させた。父親は、長男殺害後、しばらく「罪の意識も後悔もなかった」「ほっとしています」と語る。しかし事件から2ヶ月ほどたつと、後悔の念がふつふつと生まれ、「長男の立場に立って考えたとき、許されないことをしたと初めて思った。長男のむなしさを思う気持ちが初めてわいてきた」と法廷で述べている。

この長男の殺害は、フロイトの原父殺害のストーリーを連想させる。この家庭では、父子の主従関係が、象徴的に逆転していた。父親も、長男が「この家で一番偉いのは自分であると口にした。自分がこの家の支配者の立場を取るようになった」と認識していた。フロイトの原父殺害のストーリーで、息子たちが、残酷な父親を殺害した後、殺害を後悔するように、父親も、象徴的父親であった長男を殺害し後悔する。そしてエディプスが父親殺害の後、自分の目をつぶして「去勢」したように、金属バット事件の父親も、減刑を一切求めず、懲役3年の実刑判決を控訴せずに受け入れ、象徴的に去勢したのである。

金属バット殺人事件での家庭崩壊は、ソ連の崩壊と同時期に起きた。ソ連は、社会主義体制のもとで、国内産業を国際競争力のある強い産業に育てなかった。そのためソ連は崩壊し、その後ありとあらゆる犯罪と無秩序が横行した。そうした秩序崩壊の反復が、社会主義の理想に基づいて子育てをした日本の一家庭で起きたと見ることはできないだろうか。

4. 関連著作