金属バット殺人事件
1996年11月、東京都内のマンションの一室で、家庭内暴力に悩む父親が、14才の長男を金属バットで殴り殺し、社会に大きな衝撃を与えた。事件発生当時よりも、家庭内暴力の詳細が明らかになった時の方が、世間の関心は高まった。なぜこのような事件が起きたかに関して、キャスターや評論家たちがいろんなことを言っていたが、私は、この家族の病理は、ファルスの不在にあると考えている。そして長男を殺害した父親は最後までこの原因が分かっていなかった。そして、分かっていなかったからこそ、最悪の結果に終わったのである。
理想的な家庭的背景
父親は、東京大学を卒業後、当時倍率百倍の難関であった東京都内の出版社に就職したエリートだった。しかし出版社では、編集者として、哲学、教育、障害者問題などの本を手がけ、「それまでは、能力主義的な考え方をしており、能力がある人が優れていると思っていたが、障害を持っている人も価値は同じであるという考え方に変わっていった」。その背景には、自分自身が子供の頃、吃音という障害で悩んでいたことがあった。
母親も同じような考えの持ち主で、東京のエリートの家庭がよくやるように、名門私立中学を受験させるために長男に学習を強制するようなことはしなかった。長男は、小学校時代には塾に通わず、公立中学に進学する。教育評論家たちの決り文句を使うならば、長男は「偏差値教育に毒されることなく、自由にのびのびと育った」ことになる。
1991年にソ連が崩壊し、社会主義的傾向の本を出版していた父親は、自分の仕事に挫折を感じるようになり、92年に出版社を退社して福祉の道を歩むことにした。しかし慣れない仕事に適応できず、95年には、学術団体の事務局に転職した。長男の家庭内暴力が始まったのはその1年前からであった。
父母は二人とも子供に厳しくなかった。社会主義的な理想から、子供を甘やかした。小学校時代の担当は、長男を「他の児童に比べて少し甘えん坊のところがあった」と評している。中学校でも、「陽気で元気のいい子」としながらも、「集中力やがまん強さに欠け、わがままな面もある」という評価を受けている。
ある日、長男は同級生から「おまえのお父さんは優しいね」と言われた。当時の父親は、自分が優しいと思われていることをうれしく思った。しかし後に「それは、お父さんが弱いという意味かもしれない」と回想している。学校という、家庭とは異なった外部世界で、長男は自分の家庭におけるファルス[*]の不在に気が付くようになったのだ。自分の家庭には強い父親がいない。弱い父親によって自分は弱い人間として育てられたのだ。こう彼は思うようになったのではないだろうか。家庭にファルスが存在しない以上、長男には、自分がファルスとなること、自分が強い父親となることしか残された道はなかった。
暴力と愛の限界
長男の暴力は、初め母親に、やがて父親にも向けられるようになる。ある日、長男は父親に、「土下座しろ」と命令した。土下座すると、長男は父親を足で蹴ったり、手で殴ったり、コタツの板を投げつけた。暴力を振るう長男を父親が見上げると、長男は涙を流して泣いていた。これを見て、父親は、「長男もつらいんだ、苦しんでいるのは長男だ」と確信して、暴力を受け止め、長男のするがままにまかせることにした。長男に無制限に優しくすれば、長男は親の愛を受け止めてくれると思ったのである。しかしこれは逆効果であった。
なぜ長男は、父親が命令に従って土下座したのに、暴力を振るって泣いたのか。長男の「土下座しろ」という命令は、父親に、息子の理不尽な命令を拒絶し、父親らしい毅然たる態度を求めていた。だから命令に文字通り従うことは、長男の欲望には反していた。ちょうどインポテンツに悩む男性が、立たないペニスを嘆き悲しむように、長男は、挑発的な言葉を投げかけても「立たない」父親を嘆き悲しんだのである。
長男は、自分の部屋で母親にも土下座させた。すると長男はひざまずく母の頭を足で踏みつけた。血しぶきとともに前歯が折れた。やがて母親は、エスカレートする長男の暴力に耐えられなくなり、家を出て、別居を始める。長男の暴力はもっぱら父親が一人で引き受けることになる。父親は、日常的に長男の暴力にさらされ、鼻の骨を折るなど生傷が絶えなかった。
長男は、父親に服やおにぎりやファミコンの攻略本などの買い物を命じる。そして父親が買ってくると、「てめーなめんなよ。何でこんなもの買ってきた。返してこい」と罵声を浴びせて父親を殴打する。長男は、買ってきたものが気にくわないから暴力を振るっているわけではない。もし気に入ったものを入手したいのであれば、あらかじめ細かく注文するはずである。しかし彼はわざとあいまいに買うものを指定する。暴力を振るうことが目的で、「気に入らないものを買ってきた」という理由は口実に過ぎない。
長男の暴力を放置した責任は父親だけにあるわけではない。中学2年の9月ごろ、父親は、無抵抗を勧める精神科クリニックの医者に「奴隷のようにこき使われて耐えがたい」と訴えた。しかし医者は、「そういう対応するのも子供をよくするための一つの技術だと思ってください」とアドバイスした。父親は、「先生の言葉にほっと安心した。それ以降暴力を受け入れることがおかしいことだとは思わなくなった。つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この『技術』という言葉だった」「私は暴力をほとんど体験しておらず、予想もしていなかった。だから驚き、本もたくさん読んだ。しかし、暴力を振るう子供を受け入れても、絶対に暴力自体は受け入れてはいけないという本や相談機関にはめぐり合わなかった」と回顧している。
父親は、同じ悩みを抱える親の会にも入った。その会でも、親たちは、子供の暴力を無抵抗で受け入れるべきだと考えていた。皮肉な見方をするならば、家庭内暴力は、そうした考えを持つ親のもとで起きているということが言えそうである。
父親の自己犠牲的な長男への愛は、長男を幸せにはしなかった。中学2年の冬、父親が職場から帰ると、長男が、裸同然でぐったりと倒れていた。精神科クリニックからもらった錠剤を8錠も飲んだのである。そのとき長男は、「おれなんか生きていたってしょうがない」とつぶやいた。
理解されなかった愛の終焉
そして中3の冬、睡眠不足と暴力に耐えられなくなった父親は、金属バットを寝ている長男の頭に振り落とし、わが子を絶命させた。父親は、長男殺害後、しばらく「罪の意識も後悔もなかった」「ほっとしています」と語る。しかし事件から2ヶ月ほどたつと、後悔の念がふつふつと生まれ、「長男の立場に立って考えたとき、許されないことをしたと初めて思った。長男のむなしさを思う気持ちが初めてわいてきた」と法廷で述べている。
この長男の殺害は、フロイトの原父殺害のストーリーを連想させる。この家庭では、父子の主従関係が、象徴的に逆転していた。父親も、長男が「この家で一番偉いのは自分であると口にした。自分がこの家の支配者の立場を取るようになった」と認識していた。フロイトの原父殺害のストーリーで、息子たちが、残酷な父親を殺害した後、殺害を後悔するように、父親も、象徴的父親であった長男を殺害し後悔する。そしてエディプスが父親殺害の後、自分の目をつぶして「去勢」したように、金属バット事件の父親も、減刑を一切求めず、懲役3年の実刑判決を控訴せずに受け入れ、象徴的に去勢したのである。
金属バット殺人事件での家庭崩壊は、ソ連の崩壊と同時期に起きた。ソ連は、社会主義体制のもとで、国内産業を国際競争力のある強い産業に育てなかった。そのためソ連は崩壊し、その後ありとあらゆる犯罪と無秩序が横行した。そうした秩序崩壊の反復が、社会主義の理想に基づいて子育てをした日本の一家庭で起きたと見ることはできないだろうか。
関連著作
- 前田 剛夫『父の殺意―金属バット事件を追って』
- 鳥越 俊太郎, 後藤 和夫『うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件』
ディスカッション
コメント一覧
永井さんは、子供さんがいらっしゃいますか?金属バットの父親の件は、これを否定するものでもなく実際起こった悲しい事実です。誠実で真面目な人間が父親になり、優しい親思いの子になって欲しいと願望した優しい父親であることは決して悪くはないと思います。ただ人間としてあるべき姿を教え込めなかった事実とそれをあえて勇気を持って教える威厳が必要だったのでしょうねえ。多くの本を読んでも知識で解決できるものではない。その時点、そのことは今いる自分とそこに対峙するかわいい息子との関係は非定常で、過去にはない一回性の事実とそれをシミュレーションして解を出すといった悠長なものではなく、一瞬一瞬に判断し、結論を出して行かなければ、そしてそれが正しい道だと自信をもって語れることが必要になってくるのでしょうね。それはデスクワークからは経験できない。生の体験を積んだ迫力を持つことが大切なんでしょう。そのためには自分を艱難な場に置いて、そこから逃げない訓練を積んで行くことをむしろ積極的にやることでしょう。
私には子供がいません。ただここで取り上げた話は、何も子供の教育だけに当てはまることではありません。例えば、高齢者の介護では、お年寄りに優しくすることが必要ですが、なんでも手取り足取りしてあげると、自分でできることまでしなくなり、結果として高齢者の痴呆を進めてしまうということがあります。優しさが必ずしも人のためにはならないという一例です。
この事実は、存在のみを知っていて、「恐ろしい世の中だ」などと他人事のように思っていたが、こうして詳しく聞かされると、多元化した現代に疑問を抱かざるを得ないと改めて感じた。父権制社会の崩壊により、友達のような親が増えてきた。親もそれをよしとし、受け入れることによって、子供は親を『自分より経験を持った友達』としか扱えなくなったのだろう。一重に多元化の「すべてを肯定する考え」より生まれた事実だと考えてしまう。
友達のような親だけでなく、友達のような先生も増えていますね。もっとも、私は、保守主義者が提唱するような、「父親の権威の復活」には賛成していません。子供を規則で縛るだけの管理教育は、甘やかし教育と同様、子供の人格を歪めるからです。自由のすばらしさと厳しさの両面を教えてくれる教育者が理想的だと私は思っています。
社会主義の理想とは一体何なのでしょうか?
ベルリンに住むようになってから3年以上が経ちますがここで生活していると実に多くの旧共産圏から移住してきた人々に出会います。そして彼らは決まって社会主義思想に対して否定的な考えをしています。まだソ連が存在していたころはそのような発言も許されなかったわけですが、ほとんどの人がそのような考え方だったようです。
結局のところ、社会主義を実現させようとした国にもたらされたものは富の分配でなく、富の偏りであり、秩序でなく無秩序であったと思われます。一部の権力者はとてつもない莫大な財産を所有し、一方で飢えに苦しむ人々もいる。その結果、彼らは生き延びるために秩序を乱すような犯罪が増えることになるのです。ここで生活していて驚かされるのは、共産圏の人々は必ず抜け穴を見つけるということです。彼らにとっては規則、秩序というような概念がどのようなものなのかわたしには理解しかねます。また、生きていくための悪事に対しては、彼らは露ほどの罪悪感をももっていないと思います。
このような状況を目の当りにすると、社会主義という概念そのものがとても不自然なものに思われてきます。社会主義の根本概念の一つは私有財産所有の否定です。すなわち、財産はすべて国にきぞくするわけです。労働もまた然り。自分の労働の成果は国の発展には貢献するが自分のものとならない。
大切なことは、彼らがこのような社会システムをどのような気持ちで受け入れていたか、ということでしょう。本当に国のため、国の繁栄のために進んでこのシステムを受け入れられるのでしょうか?
情報が発達した今日では不可能でしょう。現にわたしが知っているかぎり、そのような考えをもっていた人は誰一人いませんでした。トマスモアのユートピアの中では理想郷の実現のために多くの規制が存在しています。その一つは他の国との接触をもってはならない、ということだったと記憶していますが。現に北朝鮮では今もなお、それを実践しようとしています。しかし、情報化社会の現在ではそれは不可能ですし、そのためにソ連は崩壊したのです。
つまり自己犠牲、自分の意志に反するという気持ちが少しでもあるかぎり、歪みは何らかの形で生じるものなのでしょう。今回の内容で登場した一家庭ですが、親が自己犠牲で暴力を受け入れたと書かれてありましたが、自己犠牲という考えからして不自然ですよね。もし親が自己犠牲という観念がかけらもなく息子の暴力を受けていたら、良い方向に向かったのではないかと思います。息子は無意識に親が心のうちを示すことを求めていたのでしょう。
後半で唐突に、社会主義の話をしましたが、私が言いたかったことは、こうです。私は、国家が産業を育てる関係は、親が子供を育てる関係と同じであると考えます。政府を、1.大きな政府、2.小さな政府、3.無政府の三種類に分けると、それらは、1.管理教育、2.自由教育、3.自由放任という三種類の教育方針に対応すると言えます。管理教育は、一見自由放任と違って厳しそうですが、子供の自立性を育てないという点で、自由放任と同様で、子供を甘やかす教育です。子供はただ親の言われた通り振る舞い、監視されている間はおとなしくしています。しかし監視の目を盗んで悪さをします。
TSさんは「ここで生活していて驚かされるのは、共産圏の人々は必ず抜け穴を見つけるということです。彼らにとっては規則、秩序というような概念がどのようなものなのかわたしには理解しかねます。また、生きていくための悪事に対しては、彼らは露ほどの罪悪感をももっていないと思います」とお書きになっていますね。
旧共産圏では民主主義が不十分であったので、システムに対して「自分たちが作ったもの」という意識がないのです。だからロシアでは、経済が崩壊しても、自分たちで新しい経済を作っていこうとする下からの動きが見られないわけです。
現在ロシア経済が混乱しているのは、市場経済が悪いからだと言う人もいますが、やはり長年の社会主義体制のツケがまわってきた結果と見るべきでしょう。
家庭内暴力は、子供をロボット扱いする管理教育の家庭と子供を甘やかしすぎる家庭で起きる傾向が大きいようです。このことは、一見両極端と思える二つの教育形態に共通点があるということを意味しています。
この事件が起こった原因は、「優しい父親」「甘い父親」「真面目な父親」のどれかに原因(のひとつ)があった、と感じる方が大半だと思います。または、「弱い父親」がちゃんと優しさが教えられなかった、と。しかし、私には、気になる隠れた項目があります。父親の「自分自身が子供の頃、吃音という障害で悩んでいた。」と「つらかったが、暴力を受け止めるための軸になったのが、この『技術』という言葉だった」、長男の「他の児童に比べて少し甘えん坊のところがあった」と「陽気で元気のいい子」の部分です。
子供が暴力を継続的に行う場合、その原因は親にあり、子供は暴力によって、親を治療しようとしていることが多々あります。そして、その親の問題というのは、「子供(または配偶者)を人間として扱えない」ことです。
この父親は子供の頃に吃音がありました。これは、父親の親(祖父母)が厳格で、父親の人間としての権利を権威によって規制し、優しい子供であった父親は抵抗せずに、自分をコントロールして育った事を意味します。こうやって育った人間は、愛ある人間関係が築けず、支配者と従者の関係、強者弱者の関係、仕事関係でしか、人と関係が保てません。
子供は、本能的に「愛ある人間関係」「自然(野性的)な関係」を求めます。支配者と従者の関係があれば、体力のある子供ならば暴力、陽気なら道化、陰気なら逃避(閉じこもり)によって、親に修正を加えようとします。
長男は、甘える年令を過ぎても甘えています。これは、愛情(甘え)が幼児期に満たされていないためです。両親が甘やかした、のではなく、犬を餌で釣る様に、甘やかしという餌で長男を支配したのです。つまり、本当の意味で甘えさせてくれなかったのです。陽気で元気は、道化(ピエロ)の可能性があります。
父親は、暴力を受け止める優しさを見せました。しかし、この行為は自然ではありません。殴り合いになるのが自然です。父親は、受け身による閉じこもりで人間関係(愛のない強者弱者の関係)を子供の頃から弱者として保ってきました。だから、殴り合っても、翌日には一緒に遊んでる、という愛が信じられません。長男は、この「病的な優しさ」を本能的に見抜き、殴ったのです。自然な状態、ケンカしてもちゃんと仲直りできる父の愛が欲しくて殴ったのです。
残念ながら、過ったカウンセリングを受けたのか、父親は「技術」で殴られることに溺れました。これは、弱者(物)として生きてきた父親が、専門家という権威によって、長男を愛さないこと、の許可をもらったことを意味します。
長男は、ますます、技術としての人間関係、に失望し、暴力を続けます。父親は、弱者としての技術的な立場に耐えられなくなり、強者としての技術的な立場、つまりバットによる殺人で、永久的な支配権を得ます。支配されるか、支配するかでしか、人間関係が保てないのです。
家庭内暴力を権力(父親の威厳など)で押さえる方法がありますが、これは、単に「閉じこもり」をさせて、表面化させないだけで、次の世代で、暴力が発生します。先送りしているだけです。祖父母の支配で、暴力を起こさなかった閉じこもりの父親は、長男で暴力が表面化し、閉じこもりから、暴力(殺人)に移行したに過ぎないのです。
父親が優しくても、甘くても、真面目でも、弱くても、子供は「よい人」に育ちます。ちゃんと愛のある人間としての関係が保てられていれば。長男ではなく、父親が、いや祖父母がもっと早くに正しい治療を受けていれば、と残念です。
「父親は、同じ悩みを抱える親の会にも入った。その会でも、親たちは、子供 の暴力を無抵抗で受け入れるべきだと考えていた。皮肉な見方をするなら ば、家庭内暴力は、そうした考えを持つ親のもとで起きているということが言えそうである。」
これは、その通りだと思います。これは、「優しい」のではなく、弱者として子供を技術的に支配する親、だからです。バタードウーマンという言葉があります。直訳すると(殴られ女)。アルコール依存症の夫を持つ妻は、殴られることに生きがいを感じ、アルコール依存症の夫と離婚後、同じ様なアルコール依存症の男を探し出し、結婚する現象をいいます。専門的には共依存と呼ぶそうです。
たしかに、この父親には、《冷たい優しさ》しかなく、《暖かい厳しさ》が欠けていたのかもしれません。ただもし、父親が長男を技術的に支配することしか考えていないのであれば、長男を精神病棟に入れていたことでしょう。ところが父親は、「親子の信頼関係がなくなる」と言って、長女のこの提案を拒否しました。父親には長男に対する愛があったのではないでしょうか。
父親は、長男の怒りが静まると、まるで何もなかったかのように、一緒に散歩したり、ギターを習いに行ったりしていました。近所では「仲の良い親子」と思われていたようです。MARUDEさんは、これも弱者の愛のない技術とお考えでしょうか。
「父親の親(祖父母)が厳格で、父親の人間としての権利を権威によって規制し」ていたかどうかはわかりません。一般に吃音の子供の親には、几帳面で完全主義的な人が多いそうですが、法廷での証言では、この父親の父は、花を育てるのが趣味の穏やかな人で、子供に勉強を強要することもなかったということです。(もちろん理想化して回想しているだけかもしれませんが)。
この父親の吃音に対する悩みは、四十台半ばまで続き、「吃音を同僚に悟られてはいけない、どもってはいけない」といつも緊張していて、電話する時も人のいない別室ですることにしていたそうです。こうした自信のなさが、子供にも見透かされたのでしょう。
心の問題を文で伝えるのは困難で、作文が苦手な私の文では、かなり不正確に伝わっている様ですので、前回の感想の追記をさせていただきます。(これも、正確に伝わるかが不安ではありますが。)
◎ 技術的な支配
これは、かなり誤解を招く表現だったようです。私が表現したかったのは、精神病棟で行うカウンセリングや投薬治療のことではありません。「気を惹く行為」とでも言えばいいのでしょうか。恋人の気を惹くのに、ちょっとスネてみる、というようなことです。気を惹く欲求が「支配」で、スネルのが技術だと思ってください。(これでもニュアンスが少し違うのですが)
父親は、長男にとって「必要とされる、いないと困る」存在になることで、長男を支配し、精神的に縛り、それを親子関係と呼びたかった、ということです。だから、長男に必要とされるのは、父親である私だけであり、医者に介入されるのは困るのです。恋人を寝とられるようなものですから。
他人(近所の人)が、この親子の表面(外面)を見て、事件前に、一般の家庭と異なる「支配関係」を見破ることは出来ないと思います。神戸の事件でも、近所では「仲の良い親子」と思われていたようです。しかし、これは親子関係ではなく、「支配関係(依存関係?)」だったと思います。
こういった関係を、見破るとすれば、「長男の怒りが静まると、まるで何もなかったかのように」の部分だと思います。正常な親子関係なら、他人が見ても分るくらいに、問題発生後しばらくは、問題が表面化します。(あ、親子喧嘩したな、とかがわかる。)
◎ 支配関係でしか人間関係が保てない
これも、文で説明するのには骨が折れます。家庭内暴力だけでなく、恋愛のもつれによる殺人や、ストーカーなども、同じ現象だと思っています。感情を、子供の頃に受けた暴力や威圧によってコントロールされてきた人は、ダイレクトに感情が表現できなくなります。悪口を言われても、笑顔を崩さなかったり、恋人にふられても泣かなかったり。とても大人で、良い人なのですが、深い人間関係が作れません。
「本当の自分自身」と、「感情をコントロールしている大人の自分」の二人が絶えず無意識に存在し、心の底から、悲しんだり、喜んだり出来ないのです。他人と感情の共有が出来ないのです。涙を流すのは、思わず泣いた、のではなく、泣くべきだから泣く、といった状態になります。恋人には、「こんなに貢いだ、こんなにあなたを気に入ってやった、だから貴方は私を好きになり、尽くすはずだ。」という条件のあった、取り引きのような関係によって、恋人関係を築いてしまい、とにかく一緒にいるだけでいい、という無条件の関係が信じられないのです。
親子関係も、どんなものであろうと、親子は親子なんだから、という関係が信じられず、親:育てる、子:育ててもらうから親が必要、という取り引き関係を信じます。子は、無条件の愛情を要求しますから、この取り引きの存在そのものを拒絶します。子はストーカーに付きまとわれたような気分になり、親は片思いの様な状態になり、関係は破綻します。
「ある男が女性を好きになりました。彼女には惜しみなくプレゼントをし、彼女が悩んでいれば助言をし、いつも一緒に行動しました。ある日、男は彼女にプロポーズをしましたが、「友達でいよう」と断られました。彼女には、男は良い友達ではあっても、結婚の対象としては見れなかったのです。男はその後もプロポーズし続けました。彼女は「いいかげんにして」と男を平手で打ちました。彼はついに絶望し、彼女を殺し、永遠に自分だけのものとしました。」
この場合、男は彼女を愛していたのではなく、所有物(アイドル?)として、支配欲を満たしたかっただけだったのです。離れても彼女の幸せを願うという、本当の愛を持っていなかったのです。だから彼女も結婚したくなかったのです。
父親は、長男を他人や施設に任せたり、遠くの地方に住ませたり、手放したりすることができなかったのです。自分を殴ってもいいから、どんなことでもするから、そばに置いておきたい、一緒に「理想の親子」を演じたかったのです。しかし長男は、条件のない「普通の親子」でいたかったのです。父親は、自分が理想とする親子関係を長男が拒絶するならば、殺して永遠に支配したかったのです。
◎ ファルスと権威
ファルスという言葉は、私にはあまりなじみが無いのでよく分りません。権威、または威厳として考えて良いならば、ファルスの不在が事件の原因とは少し違うのでは、と感じます。しかし「保守的な権威の復活」は望まないという部分や、文面の全体的な流れからは、私の考えからは遠くないので、同じものが不足しているとお考えで、その言葉がまだどこにも存在しないのではないか、と考えています。
「権威の不在」というよりは「本音の不在」とか、「生命力の不在」、「自分の弱さを認める強さの不在」などが、私にはしっくり来るのです。親子や教師の「友達感覚」も、親や教師という権威の不在、というよりは、「一緒に頑張ろう」とか「何があっても、私たちは親子(教師と生徒)」という絆を信じる力の不在だと思います。友達感覚といっても、「親友」であろうというのではなく、「知り合い」程度の絆を保とうとしているのですから。なにかそこに「信頼力の不在」を感じます。
金属バット殺人事件の父親の場合は、幼児期に何かがあって、吃音となり、「信頼力」(これもしっくりこないですね。)が持てなくなった。長男は、その壮大な結合力(愛?)を、父親に望んだが受け入れられなかった。父親は、知り合い感覚で長男と疑似的な親子関係を続け、長男は失望したのではないかと考えます。
私が指摘しようとしたことは、「権威の不在」というよりも「憧れの不在」です。「一緒に頑張ろう」といわれても、何をがんばるのか、息子にはわからなかったはずです。父親は息子になんら目標や模範を示さなかったのですから。
この事件が起きたころすでに私は日本を発っていたので、こんな事件があったのかと初めて知りました。永井さんの論文を読み終えそのすぐ下の読者(Mikeさん)からの意見に少々腹が立つのと同時に、こういった狭い見解しかもてない母親・父親たちが、未来の大人に影響を与えるのはもっともだと思いました。ここは読者の意見に対し論議する場ではないかもしれませんが、それが今こうして永井さんの論文に意見を書こうと思った引き金になりました。
第一に、永井氏に子供がいるかという質問がまずおかしい。子供がいないのであればそんなことは言う資格がないといいたいようだが、われわれはみな子供であったときがあり、その記憶を持って大人になっている。親と子の関係、つまり人間関係において、こうしなくてはならない、こうした方がよいといったような万能な処方箋は存在しないことは、永井氏ならもちろんのこと、論議を語る人は誰でも知っているはずだ。それをふまえてあえてこういった悲劇が起こったときにその背景を分析し、原因を突き止めながら社会背景を見ていくことが、我々第三者が同じ悲劇を起こさないために有効ではないのか。実際、この事件の父親は、精神科医にも<暴力を受け入れなさい>と薦められているのだから、この精神科医が薦めた処方箋はこの親子には効かなかったという例ではないか。私は自分が親だから、子供に対しての接し方が子供のいない人よりは分かるというのはまったく間違っていると思う。そして、問題にぶつかったときに<一瞬一瞬に判断し結論を出していかなくてはいけない>なんて、そもそもおかしい。こういった親たちは子供のためにこうしなくてはと思いすぎだ。この事件の親もそうであり、またこの読者もそうである。子供の成長のために自分を犠牲にするのではなく、子供に親の堂々たる姿を見せるといった教育はどこへ消えてしまったのだろうか。永井氏の言葉を借りれば、<父親の威厳復活>を私も否定している。だから、子供を殴ったり、暴言を吐いたりする親が少なくなり、幼児虐待としてすぐに非難されることはいいことだとも思う。また、欧米型の愛情表現であるスキンシップが広まったことも大変喜ばしいことである。しかし、親が子供の苦しみをすべて受け入れてあげることは教育ではない。これは思想である。この事件の父親が社会主義を肯定していたことが事実であれば、まさに彼の子供はその思想に敗れた犠牲者である。私が現在住んでいる国には、旧ソ連をはじめとするたくさんの旧社会主義国で生まれ育った人間が、幸福と豊かさを求めてやって来る。あれから15年以上経っても再生できないでいる国が国民に与えた教育は、成功したといえるだろうか。
私がここで言いたいのは、親も人間であるということです。子供にはなんでもしてあげたいと思うのは私も同じ、親なら誰もが思う当然の事です。しかし、子供に与える助言にせよ、日常の会話にせよ、何事にも細心の注意を払わなくてはいけないなどと気負いすぎてはどうかと思います。まずは、親が自分に自信を持つことです。正しいことをしているかしていないかと毎回考えるのではなく、愛情と自信を持って子供と一緒に生きることです。もし間違いに気づいたときは、そのときに変えればいいのです。また、そのためにはたくさんの人の意見にも耳を傾けることです(それを受け入れると言う意味ではなく)。ただ、この事件の父親のように取り返しがつかないことをしてしまってから、気づいては遅すぎます。私がこの事件に対して思うのは、なぜ、母親にせよ、同僚にせよ、彼に対してその考えはおかしいよ、と言ってやらなかったのでしょうか。文面からしておそらく、周りにそういわれてもきっと彼自身が受け入れなかったのでしょう。精神科の医者の言うことを守ったのは、そもそも彼と同じ考えであったからではないでしょうか。そうであれば、親として間違いに気づかなかったと言う点から見てやはり、彼の子供は彼の思想の犠牲者ではないでしょうか。
このコメントのコーナーは、一種の掲示板(フォーラム)ですから、私としては、むしろコメンテータどうしの議論を期待したいところです。
「体験がない者は語る資格がない」という体験主義が狭すぎるという考えには賛成です。近すぎて見えないということもあるから、当事者だけでなく、部外者も発言をするべきでしょう。遠いから見えないということもありますが、遠いからこそ見えるものもあるのです。
本題に入りますが、私が本文で言いたかったことは、子供の教育にとって重要なことは、子供を独立した個人として自立させることであって、父性的抑圧(しばしば親の暴力を帰結する)も母性的甘やかし(しばしば子の暴力を帰結する)も、ともに、個の自立を妨げるという点で望ましくないということです。
国家と国民あるいは民間法人との関係についても同じで、国民を搾取し、抑圧するファシズム的な独裁国家も、弱者を甘やかす社会主義的な福祉国家も、民間の自立を妨げるという点で望ましくありません。
国際関係についても同じことが言えます。現在、日本では、北朝鮮とどのような外交を結ぶかをめぐって、議論が起きています。右翼の人たちは、戦争を覚悟してでも経済制裁をするべきだと主張し、左翼の人たちは、食料の無償援助などの経済援助をするべきだと言っています。しかし、私は、経済制裁でも経済援助でもない、経済交流(対等な貿易)をするべきだと考えています。北朝鮮の人々が経済と情報の面で自立しなければ、いつまでたっても、彼らは金体制を自らの力で倒すことができません。
(追記)無抵抗を勧めたとされる精神科クリニックの医者は、後に、これを否定しています。どちらの言っていることが本当かはわかりませんが、もともとこの父親には、子供の暴力を甘受するべきだという考えがあって、医師のアドバイスを自己流に解釈したことも考えられます。
永井さんがこの件に関して言いたいことはフロイトの例やファルスの箇所以外は、私としては理解できたとともに、とても納得のいく内容でした。また、親と子の関係がちょうど国と国民の関係にも当たる、似ているというのも同意見です。国と国民の関係がその国民の家族のあり方にも影響しています。それはもちろん国民性ともつながっていきますね。ただ、今回の件についてではなく、以前永井さんが書かれた論文の一つに<なぜ日本人は幼稚なのか>について意見を投稿したいと思っていました。しかしサイトを新しくされた後、削除されたようで残念です。
まだ削除していませんが、近いうちにブログでパブリシュするので、そのおりはよろしくお願いします。
私の父もこの父親と似たところがありますのでこの息子の気持ちが分からないではありません。父親の役割を放棄した父親ほどうとましいものはありません。私の場合は様々な条件の違いからこのような悲劇には至りませんでしたが...。
河合隼雄氏は父性原理とは「切断する原理」だと述べていますが、この父親はまったく母性原理だけで動いています。「場(この場合は子・親子関係)」のすべてを受け入れ、破滅に至ると「この子を殺してわたしも」と短絡します。自殺は考えなかったようですが。殺害後「罪の意識も後悔もなかった」「ほっとしています」と語ったのも理解できます。父性原理によって切り落としたのではなく、母性原理によって自らも「場」を壊すことで心中したのですから。
その後の「長男の立場に立って考えたとき、許されないことをしたと初めて思った。長男のむなしさを思う気持ちが初めてわいてきた」と言ったのを見てもやはり永井さんが最初に述べたとおり、彼は「最後までこの原因が分かっていなかった」。彼は失われた「場」を嘆いているだけで、自分の意思で切断する決断をしたわけではない。「長男の立場」と言ってもそれは息子に感情移入した彼の立場にすぎません。少なくともそこに切断の痛み、自分の決断の受け入れの表現はありません。
今、様々な場所に国粋主義的言説があふれてきています。彼らは外の世界から内の「場」を守りたいだけのように見えます。その原理の行き着くところは一億玉砕です。人は母なる大地がなければ生きていくことはできませんが、太陽がなければまた生きていくことはできません。今日本に必要なのは自ら選択し切断する父性原理の要素だと思いますが、気候が寒冷化しているわけでもない現在、日本にそのような精神風土を生み出す土壌(いや空気であるべきか)があるのか、少々不安に感じます。
この御指摘は、適切だと思います。父親の役割は、去勢をすることです。鏡像関係は、息子と母親の関係であり、父親は、息子を鏡像関係から断ち切る代わりに、息子の鏡像的他者となり、鏡像関係に巻き込まれてしまい、問題解決の糸口を見失ってしまったといえるでしょう。
中学生の立場から言わせてもらうとこの事件はこどもの父親像にあると僕はおもいます。少し恐くても威厳があって強い方が父親らしいとおもいます。たぶん強いお父さんにあまた買ったのだと思う。
うちの父と全然ちがう
良いおとうさんだなぁ
永井さんの分析は全般的にみて、かなり妥当で、「ファルスの不在」「優しすぎる父親」はたしかにこの事件の核心部分を構築していると思います。
しかし、この父親Aは長男の教育や暴力問題に関して、重要な局面を前にした要所要所で、息子との直接的な対人関係における「人間としての素直な感情」に基づいて行動することをないがしろにして、書物を読み漁って教科書的対応の在り方の「基準」や「模範解答」を求め、それに従うことや、助言者の助言を「規範」とすることで、一種の安心感を得ていたらしいことが気に掛ります。息子に理不尽な暴力を振るわれて、素直に怒ったり、父親としての悲しみを怒りとともに息子にじかにぶつけるという、当たり前の自然な行動を取る以前に、書物や助言者の「規範」に従うことによって、「誤りをも含むかも知れない父親個人としての精一杯の行動」を早い時期からとることの重要性に気がつかないままに暴力が進行してしまったようです。 父親自身の素直な感情に従って早くから行動していれば、例え対応に誤りが含まれていたとしても、長男はもっと心を開いてくれたのではないでしょうか? 精神科医の「暴力を受け入れるのは妥当な技術である」との助言も、A流に解釈し過ぎて、その後も「教科書的」に従い過ぎたのはその典型であると言えます。
また、この事件に関する他のwebsite (http://yabusaka.moo.jp/yushima.htm)によりますと、高校時代のAは大江健三郎に傾倒し、文系志望であったにもかかわらず、母親の理系への強い勧めや父親の意見に押されて、文系を断念して東大の理科一類を受験したということも、 Aが自分の人生に自信と全責任を持てないままの不安を抱えての東大理科一類入学であったことを示唆します。半年後の文学部倫理学科へのいち早い転部は1つの契機であったはずであり、青木書店への入社も転機であったはずですが、うまく行かなかったようです。父親Aの希望する障害者問題への取り組みは出版を通じてもできたはずですし、それを投げ打ってまで言語治療士を目指したのなら、一回の受験失敗で諦めてしまったことにも疑問が残ります。
優秀な高校生であったAに対して、エリートであったAの両親がA自身の責任で進路を選ばすことの重要性を認識していれば、経過は違っていたかもしれません。普通の家庭の親は、東大受験を目指すような優秀な子に対して、進路変更を迫る勇気はなかなかないかと思いますが、両親の過剰な自信と、A自身の弱さが、親の勧めに従わせたのではないでしょうか? 結局はAが自分の全責任で人生の進路選択を仕切れなかったというAの弱さが、「ファルスの不在」「優しすぎる父親」や書物や助言者に「規範」を過剰に求め続けるという、責任転嫁の生き方に繋がったのではないでしょうか?
Aは保守県香川県の名門受験高校から東大の難関を突破して理科一類に入学したエリートとしての経歴をもっていますが、人生の転機転機で書物から生き方の「規範」を漁っていることは、知識丸暗記型の受験教育を鵜呑みにして処世術にまで適用して、他力本願的に生きてきたという、(受験教育の悪影響という?)印象を拭え切れません。社会主義への共感は当時のエリート大学学生の標準的風潮でもあり、保守県での受験教育の中で育った者が社会主義の理想に傾倒するのはむしろごく普通のありふれた事柄でもありました。社会主義のよい面と悪い面をA自身が自分の責任ある判断で十分に深く理解していたならば、ソ連の崩壊で青木書店の職を捨てることもなく、それなりの障害者問題への取り組みも可能だったのではないでしょうか?
父親が青木書店やその後の職場での職務を遂行するに当たって、息子の教育を細かく顧み過ぎることなく、(学校生活、家庭生活を含めて)息子の人生は息子の責任で生きていくことの重要性を、父親の仕事ぶりの中で早くから示しておくことがとても重要であったのではないでしょうか? その中で、長男は自分の生き方を模索する自由を確保できたのではないでしょうか? 父親自身も仕事中心の生き方に十分な自信を持ち切れず、せめて「優しい父親」としての生き方や息子の教育に生きがいを求めた時期があったように思われ、長男はそれに敏感に反応して、「お父さん、もっとしっかりして!」という信号(例えば親を土下座させたり殴るなど)を送り続けるなかで、信号を受け止めてもらえない親に対しての暴力への移行が芽生えたのかもしれません。
私の父は死ぬほど優しかった。
わたしは父のように優しくはない。
それが死にそうに辛い。
子供は自分のやっている事を良くないとわかっていて、やはり誰かに(親に)力ずくで 止めてもらいたいと心の片隅で思っているんですね。
子どもに対する教育には、体罰は必要なのでしょうか。
パオロ=マッツァリーノは、体罰は必要ないと主張しています。
『怒る 日本文化論』
一方で、戸塚ヨットスクールは今でも健在です。
いったい、どちらの主張が正しいのでしょうか?
体罰は麻薬と同じで、短期的には効果がありますが、長期的には依存症となるため、メリットよりもデメリットの方が大きくなります。
なら反対に両親ともにサイコパスで知的で異常な利己主義ならどうなりますか
あなたの頭の中では、優しくなければサイコパスということなのですか。
私の中では共感性が一番低いのがサイコパス
「愛の鞭」という言葉があるように、愛ゆえの厳しさもあるでしょう。
リバタリアンはどうですか
実はリバタリアンの中には冷酷だが倫理を重んずる人が多い