9月 261999
 

精神分析学にとって、比喩は重要な手掛かりである。直喩、隠喩、提喩、換喩といった比喩法の構造的な違いを理解しながら、深層心理がどのように言説へと反映されるのかを考えてみよう。

1. 四つの比喩法の違い

「彼は鬼のような人だ」のような明示的な比喩法を直喩という。「直喩 simile」は「似ている similar」と同語源である。直喩から「ようだ be similar to」という助動詞を取って、「彼は鬼だ」といえば、それは隠喩となる。語源に即して言えば、「隠喩 metaphor」は意味を、言葉を《超えて運ぶ》。隠喩を使うか直喩を使うかは、類似性が明白か否かで決まる。聞き手/読み手にとって自明であれば直喩を使う必要がなく、隠喩を使うことができる。

隠喩と直喩が共有された類似性に基づくのに対して、提喩は、類と種の包摂関係に基づく。「ご飯」という特殊な種概念で「食事」という一般的な類概念を表したり、「アルコール」という一般的な類概念で「酒」という特殊な種概念を表したりする場合に使われる。語源に即して言えば、「提喩 synecdoche」は、類と種のどちらか一方で他方を《ともに持ち上げる》。「ご飯」の場合、外延的に狭い言葉が、他の外延を持ち上げるので、外延的提喩、「アルコール」の場合、内包的に乏しい言葉が他の内包を持ち上げているので、内包的提喩と名付けることにしよう。

提喩と紛らわしい比喩法に換喩がある。これは、表現したい事物をそれと関係の深い事物で言い表す方法で、「警察に捕まる」の代わりに「パトカーに捕まる」と言う時、「パトカー」は「パトカーに乗った人」、つまり「警察」の換喩となっている。語源に即して言えば、「換喩 metonymy」は言及したい事物の《名前を変える》。「パトカー」は「警察」と関連はあるが、類似していない。

2. 比喩の構造

隠喩、提喩、換喩の構造上の違いを記号化すると、次のようになる。

隠喩
{a,x,y,z…}/{a,b,c,d…}
内包的提喩
{a}/{a,b,c,d…}
外延的提喩
{a,b,c,d…}/{a}
換喩
{a}/{f(a)}

スラッシュ(/)の左側は、シニフィアン(表現)、右側はシニフィエ(表現されたこと)とする。各アルファベットは属性を表し、{} は各属性を内包する集合(類や種)を表すとする。隠喩では、シニフィアンとシニフィエは、aを共有するだけである。内包が多いほど、その集合は特殊で外延が狭くなるので、{a}/{a,b,c,d…}は類/種の関係を、{a,b,c,d…}/{a}は種/類の関係を表している。例えば、「ご飯」の場合、“a”に「食事」、“b”に「稲の種子」、“c”に「煮物」などを入れて理解してほしい。換喩に関しては、再びパトカーの例を使うと、「xに乗った人」という命題関数をf(x)、「パトカー」という定項をaとすると、シニフィエがf(a)であることが理解できる。

3. 比喩の重層決定

フロイトは、『夢判断』の中で、夢の作業として圧縮と置き換えの二つを取り上げている [Sigmund Freud:Die Traumdeutung.]。ラカンは、語源を重視して、換喩を置き換え、隠喩を圧縮と逆に位置付けている

La Verdichtung, codensation, c’est la structure de surimposition des signifiants où prend son champ la métaphore, et dont le nom pour condenser en lui-même la Dichtung indique la connaturalité du mécanisme à la poésie, jusqu’au point où il enveloppe la fonction proprement traditionnelle de celle-ci.

フェアディヒトゥンク、圧縮とは、シニフィアンの上乗せの構造であり、隠喩はそこに陣取る。名は、ディヒトゥンク[ドイツ語で詩という意味だが、圧縮されたという形容詞の名詞でもある]をおのれの中へと圧縮するべく、詩と類似のメカニズムを示し、その結果、伝統的な本来の機能を詩的な機能で覆ってしまう。

La Verschiebung ou déplacement, c’est plus près du terme allemand ce virement de la signification dans Freud, est présenté comme le moyen de l’inconsistent le plus propre à déjouer la censure.

フェアシーブンクないし置き換えは、フロイトにおいては、意味作用の振り替えと訳したほうがドイツ語の意味に近く、検閲の監視をかいくぐるのに最も適切な、正体を偽造する手段として現れる。

[Jacques Lacan:Ecrits 1, p.508]

しかし、私は、論理構造を重視して、提喩と換喩が圧縮、隠喩は置き換えに相当すると考えたい。シニフィエは、内包的提喩の場合は内包的に、外延的提喩の場合は外延的に、より小さなシニフィアンへと圧縮される。換喩も表現の簡略化という意味で圧縮と理解することができる。

夢の作業を説明する箇所で、フロイトは、自分が見た「植物学研究書」の夢を例に採る。彼は前日に書店で植物学研究書を目撃しているが、この夢の顕在内容の背後には潜在内容がある。フロイトは、植物でもって、ドイツ語で「庭師」の意味を持つゲルトナー教授の名前や花の意味を持つ女性患者フローラの名前を連想する。ゲルトナー{a,b,c,d…}やフローラ{a,x,y,z…}という全体が植物という部分aで代表象されている。このように全体を部分に圧縮することは換喩である。

フロイトはさらに、「研究書」でもって、彼が学問という道楽にあまりにも多くを犠牲にしすぎているという同業者の非難を思い出す。植物という圧縮された部分aと研究というもう一つの圧縮された部分pが、植物学研究書という個体で結合している。「ゲルトナー」{a,b,c,d…}や「フローラ」{a,x,y,z…}や「同業者の非難」{p,q,r,s…}が「植物学研究書」{p,t,u,v…}という別の属性を持った個体で置き換えられる作業は、隠喩の働きである。

このように実際の比喩においては、複数のシニフィアンとシニフィエが錯綜しており、フロイトはこのような夢の形成過程のあり方を重層決定と名づけている。この重層決定の決定メカニズムを解明することが精神分析の仕事である。具体的に、どのように解明するかは、これからの論文で具体的に示すことにしたい。

フロイトの重層決定は、その後アルチュセールによって社会科学に取り入れられて注目を浴びるようになったが、通俗的解説書に書かれているような因果的決定ではなく、シニフィアンとシニフィエの意味的決定であることを忘れてはいけない。

読書案内
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精神分析学の創始者、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856年5月6日 – 1939年9月23日)。

フロイトの精神分析学は、物質的な因果関係ではなく、言語的な象徴関係で意識の深層を解読する、ユニークな試みであり、精神病をもっぱら生理学的に理解しようとした従来の精神医学とは異なる画期的な心理学のパラダイムである。催眠術で患者を無抵抗にして心の秘密を知るのではなく、自由連想法によって患者が何に抵抗を示すのかまでを探ろうとする方法は、興味深い。しかし、近親相姦に嫌悪感を示すからといって、近親相姦を深層で欲望していると判断するのは論理の飛躍ではないのか、あるいは、母子間の甘えが許容されている日本の男の子に、去勢コンプレックスの仮説がどこまで適応できるのだろうかなど、幾つか疑問がある。

書名Die Traumdeutung
著者Sigmund Freud
出版社と出版時期Perfect, 1991/11
書名夢判断 上 新潮文庫 フ 7-1
媒体文庫
著者フロイト 他
出版社と出版時期新潮社, 1969/11
書名夢判断 下  新潮文庫 フ 7-2
媒体文庫
著者フロイト 他
出版社と出版時期新潮社, 1969/11
書名Ecrits (Routledge Classics S.)
媒体ペーパーバック
著者Jacques Lacan
出版社と出版時期Routledge, an imprint of Taylor & Francis Books Lt, 2001/05/17
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  5 コメント

  1. 換喩についてなのですが、「カフカを読む」という場合のカフカは、「xが書いた著作」という命題関数f(x)を意味すると思うのですが、「カフカ」は「著作」の部分とみなすのですか?

  2. 全体部分関係にあるのは、提喩であって、換喩ではありません。

  3. 比喩の逆は象徴。

  4. {a,x,y,z…}/{a,b,c,d…}などの比喩の構造では、スラッシュの左右はともに属性つまり意味というご説明でした。

    意味は「表現されるもの」つまりシニフィエですから、スラッシュの左右はシニフィアンとシニフィエという関係ではなく、シニフィエとシニフィエの関係ではないでしょうか。

    つまり、通常の表現がシニフィアンとシニフィエの2つの関係であることに対し、比喩の構造は、シニフィアンとシニフィエの2つの関係というよりも、シニフィアンと第1シニフィエと第2シニフィエの3つの関係に思えます。

    たとえば、「ご飯」という特殊な種概念で「食事」という一般的な類概念を表す場合、
    1)”Go-ha-n”という音や文字表記がシニフィアン(表現するもの)、
    2)”米穀を炊いたもの”が第1シニフィエ(表現された特殊な種概念)、
    3)”栄養を摂取する行為”が第2シニフィエ(表現された一般的な類概念)
    となるように思えます。

    いかがでしょうか。

  5. あきかぜさんが書きました:

    通常の表現がシニフィアンとシニフィエの2つの関係であることに対し、比喩の構造は、シニフィアンとシニフィエの2つの関係というよりも、シニフィアンと第1シニフィエと第2シニフィエの3つの関係に思えます。

    三つに限定する必要はないと思います。ソシュールがそうした言葉の使い方を認めるかどうかは措くとして、シニフィアンとシニフィエの関係は固定的ではなく、ラカン的に言うならば、換喩や隠喩によって「シニフィアンの連鎖」が生まれます。そしてその連鎖は、理論的には無限に続きえるのです。

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