10月 292008
 

ストーカーは、何を求めて付きまとい、行動を監視して、電話をかけてくるのか。なぜストーカーは、被害妄想を抱いて、憧れ、愛している人を苦しめるのか。日本において、ストーカー規制法を成立させるきっかけとなった、桶川女子大生ストーカー殺人事件におけるストーカーの精神分析を通じて、ストーキングの本質とその解決策を考えてみよう。

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埼玉県桶川駅前の「おけがわマイン」。桶川女子大生ストーカー殺人事件はこのあたりで起きた。”Okegawa Mine Shipping Center in Saitama, Japan” by Orataw is licensed under CC-BY-SA

1. ストーキングとは何か

ストーカーという言葉は、「忍び寄る」「追跡する」という意味の“stalk”という英語から作られている。しかしながら、スパイや探偵が行う尾行や記者たちが行う追跡取材など、対象に恋愛感情を抱かないつきまといは、ストーキング(stalking
ストーカー行為)とは言わない。金目当ての誘拐を行うためのつきまといも、ストーキングとは言い難い。

ストーキングは、ストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)の第二条が定義しているように、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で」行われる。
私たちの中には、振られて諦める人もいる一方で、いつまでたっても諦めきれずに、恋愛対象に偏執する人もいる。ストーカーになりやすい人は、後者のパラノイア(偏執病)的なタイプの人である。

パラノイア患者は、独占欲が強く、偏執病の名のごとく、恋愛の対象に偏執する。プライドが高くて、誇大妄想にふける反面、現実とのギャップゆえに、猜疑心が強くなり、相手が浮気しているのではないか心配になって、しょっちゅう電話をかけたりメールをしたりする。そして、振られてプライドが傷つくと、プライドを守るために、相手に自分を認めさせようとして、しつこく関係の修復を求める。それができないと、被害妄想を膨らませ、相手を誹謗中傷するなど、攻撃的になる。

リビドー発展論の用語を使って言うならば、パラノイア患者は、去勢される以前のサディズム肛門愛的体制の特徴を色濃く残している。
肛門期の幼児は、父親不在の鏡像的な母子相愛の中で、母乳に対する糞尿といった贈与の交換により、大文字の他者(母)の中に理想自我を見出すことでアイデンティティを保っている。この相愛関係が崩れることは、
アイデンティティの喪失、ひいては自分の死をもたらすことになる。

Die Zwangsvorstellung: ich möchte dich ermorden, heißt im Grunde, wenn man sie von gewissen, aber nicht zufälligen, sondern unerläßigen Zutaten befreit hat, nichts anderes als: ich möchte dich im Liebe genießen.

この場合、愛の衝動は、サディズム的な衝動の仮面をかぶらざるをえなくなる。「お前を殺したい」という強迫観念は、もしも、それをある種の、しかし偶然ではなく不可避的な付加物から解放してやれば、その根底においては「俺はお前の愛を享受したい」という意味に他ならない。

[Sigmund Freud:Vorlesungen
zur Einführung in die Psychoanalyse, Gesammelte Werke
Bd.11, p.356]

ラカンは、学位論文『人格への関係から見たパラノイア性精神病』で、患者、エメ(仮名)のストーカー行為をパラノイアと診断し、その精神構造を鏡像段階論で説明しようとした[Jacques Lacan:De la psychose paranoïaque dans ses rapports avec la personnalité]。私も、この考えを引き継ぎたい。

私は、すべてのストーカーがパラノイア的であると主張するわけではないが、典型的なストーカーは、パラノイア的であると思う。このことを、日本で最も有名なストーカー事件である桶川女子大生ストーカー殺人事件を分析することで明らかにしよう。

桶川女子大生ストーカー殺人事件は、1999年10月26日に、埼玉県桶川市で、帰宅途中の猪野詩織さんが、ストーカーと化した元恋人、小松和人の関係者によって殺害されたという事件で、国会でも取り上げられ、ストーカー規制法が2000年5月18日に成立する上で大きな役割を果たした、特筆するべき事件である。私がこの事件をいまさらながら取り上げるのは、この事件では、警察の対応のまずさばかりがクローズアップされ、加害者の心理分析は、いまだ十分には行われていないという気がするからである。

2. 桶川女子大生ストーカー殺人事件

まずは、桶川女子大生ストーカー殺人事件の概要の説明から始めよう。1999年1月、小松和人が、プリクラ写真を撮るために友人とともにゲームセンターに来ていた猪野詩織さんに声を掛けたのが、交際を始めるきっかけとなった。

3月以降、詩織さんから頻繁に相談を受けていた友人Aは次のように語っている

付き合い出してからすぐ、詩織ちゃんは小松和人がヘンな男だということに気が付いたみたいです。鏡の前で1時間でも2時間でも上半身裸でニヤニヤしているとか、突然叫び出したりするとか。壁には血の跡もあったといっていました。ナイフを出して“俺のために自分の体を、今、お前は切れるか”と聞いたりもしたらしい。

[鳥越 俊太郎 他:桶川女子大生ストーカー殺人事件, p.105]

「鏡の前で1時間でも2時間でも上半身裸でニヤニヤしている」ナルシシスティックな性癖は、彼が鏡像段階の妄想の中で生きていることを示している。突然叫び出すのも、そうした妄想に基づいていると考えることができる。

以下は、詩織さんが友人Aに相談するようになるきっかけとなった出来事であるが、このエピソードは、なぜ壁に血の跡が付いていたのかを説明している。

小松の暴力が激しくなったのは、3月のある日のことだった。

突然、「おらぁ、舐めとんのか」「俺に対して、冷めているのか」といったかと思うと、詩織さんの顔スレスレに拳で壁を何度も叩き、壁を血で染めたのだという。

小松の手首には、幾重にもリストカット-つまり自殺未遂の痕もあった。通院歴があり、薬を何種類か飲んでいた。

[鳥越 俊太郎 他:桶川女子大生ストーカー殺人事件, p.105]

この出来事は、詩織さんが、小松和人のマンションに遊びに行った際、室内にビデオカメラが仕掛けられていることに気が付き、和人にその理由を尋ねた時に起きた [鳥越 俊太郎 他:虚誕, p.53;cf. p.206]

怒って壁を殴るという行為自体はありふれたものだが、壁に血が付くほど殴るとなると、リストカットと同様に、自傷行為としての性格を帯びる。自傷行為とは、プライドを傷つけられた人が、主体性を回復するために、自分を傷つける行為である。

例えば、失恋した女性が髪の毛を切るという軽微な自傷行為を例にとって考えてみよう。女性は、元彼という「後ろ髪を引かれる思い」を切り捨てるために、髪の毛を切り捨てる。ふられるということは、プライドが傷つくショッキングな体験である。だから、「私は彼から切り捨てられたのではない。私が彼を切り捨てるのだ」と自分に言い聞かせるように、髪を切り捨て、自分のプライドを守って、失恋という苦から逃れようとする。手首や腕や足を傷つける場合も同様である。

和人は、詩織さんに「俺のために自分の体を、今、お前は切れるか」と聞いているが、実際には、詩織さんのために和人は自分の体を傷つけているのだから、彼の願望は、現実を鏡像的に反転したものになっている。彼は、プライドを取り戻すために、いわば報復的に、反転された行動を要求しているわけである。

和人の異常な人格に気がついた詩織さんは、和人に対する信用を失い、別れたいと思うようになった。しかし、和人は、詩織さんに別れることを許さなかった
。以下のテープレコーダに記録された電話での発言(5月頃)をみれば、それが、自分のプライドを守るためだったということがわかるだろう。

お前、世の中なめすぎてんだよ、まったくよ。嫌いになって別れてそれで済むと思ったら大間違いなんだ。コケにされて騙されつづけてよ。そんな人間どこにいるよ、お前。あん、それでバイバイなんて言う人間じゃねえんだよ、俺は。自分の名誉のためだったら、自分の命も捨てる人間なんだよ。そういう人間なんだよ、それだけお前を愛してたんだよ。それに対してなんだ、テメー、なんだよ、お前。信用なくしただ?
ふざけんじゃねーよ、コノヤローテメー。

[鳥越 俊太郎 他:虚誕, p.101]

「自分の名誉のためだったら、自分の命も捨てる人間なんだ」と「それだけお前を愛してたんだ」は、一見すると、結びつかないと思うかもしれないが、そもそも嗜好と区別された愛の本質は、「他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズム」[永井俊哉:縦横無尽の知的冒険,
p.211]
にある。自分で自分を誉めてもトートロジー的な自己同一であり、なんらの名誉でもない。名誉は、他者から承認されることで始めて得られる。そして、愛されるということは、性的魅力に関する、他者による承認なのである。

ラカンの鏡像段階論は、ヘーゲルの主と奴の弁証法の影響を受けているのだが、ヘーゲルは、承認を求める自己意識のあり方を次のように描写している。

Es ist für das Selbstbewußtsein ein anderes Selbstbewußtsein; es ist außer sich gekommen. Dies hat die gedoppelte Bedeutung, erstlich, es hat sich selbst verloren, denn es findet sich als ein anderes Wesen; zweitens, es hat damit das Andere aufgehoben, denn es sieht auch nicht das Andere als Wesen, sondern sich selbst im Andern.

自己意識に対しては、別の自己意識がある。すなわち、自己意識は自分の外に出てきているのである。このことは、二重の意味を持っている。まず、自己意識は自分自身を失っている。というのは、自己意識は、自分が他方のもう一つの実在であることに気が付くからである。次に、そのため自己意識は、その他者を廃棄している。というのは、自己意識は他者もまた実在であるとは見ないで、他者のうちに自己自身を見るからである。

[Georg Wilhelm Friedrich Hegel:Phänomenologie des Geistes,
Selbstständigkeit und Unselbstständigkeitdes Selbstbewußtseins; Herrschaft und
Knechtschaft]

この内にして外という自己意識の二重性に、愛とパラノイアの本質がある。他者を愛するとは「他者のうちに自己自身を見る」ことである。また、パラノイア(παράνοια)は、ギリシャ語では、外(パラ)と魂(ヌース)の合成からできた言葉で、自己の魂が、自己の外(他者)に乗り移って「我に返る」ということがないという意味での狂気である。

パラノイア的な愛のあり方をよく示している日本語に「憧れる」がある。現在の「あこがれる」は、古語の「あくがる」に由来し、「あくがる」の「あく」は場所を意味し、「かる」は「離る」で、離れることを意味した。すなわち、古語の「憧る」は、魂が本来居るべき所、すなわち自分の体から離れてさまよい、浮かれ出るという意味の動詞である。愛においては、魂は愛の対象となる人の中にあるから、ここから、現在の「憧れる」という動詞が生まれた。

パラノイア患者の魂は、憧れる他者の中にある。だから、憧れる他者と連絡が取れなくなるということは、自己を見失うということを意味する。ストーカーがひっきりまなしに意中の他者に電話をかけ
たり、跡をつけたりするのは、アイデンティティを失うまいとする必死の努力によるものなのである。

和人は、頻繁に電話をし、泣きついたり脅したりして、詩織さんを自分のもとに留めようとしたが、詩織さんは、6月14日に、和人に対して、付き合いを辞めたいとはっきり言った。すると、その日の夜、和人と和人の自称上司と自称社長が、
猪野家に乗り込んで、自称上司は次のようなことを言った。

お宅のお嬢さんにそそのかされて、うちの社員が会社の金を500万着服した。どう落とし前つけるんだ。誠意を見せろ。お宅のお嬢さんを詐欺で訴えてもいいんだぞ。

[鳥越 俊太郎 他:桶川女子大生ストーカー殺人事件, p.193]

この自称上司は、小松和人の兄、小松武史である。和人は、詩織さんに対して、職業を外車ディーラーと偽っていたが、実際には裏風俗店(違法な風俗店)の経営者であった
。社長が和人なのだから、自称社長ももちろん偽者である。自称上司は、社員(和人)が、詩織さんに騙されて精神的におかしくなっていると主張したが、詐欺で付き合いを始め、相手を追い詰め、精神的におかしくさせているのは、他ならぬ和人の方である。和人は加害/被害の関係を鏡像的に反転させ、他者の中に自己を見出し、自らを被害者の立場に置いているのである。

詩織さんは「誠意を見せろ」という要求を「金を払え」という意味に誤解した。しかし、和人は、金が欲しくてこのような芝居をしたわけではなかった。和人は、月収が70-100万円あったから、金には困っていなかったが、裏風俗店の経営者だから、名誉はない。だから、名誉に飢えてい
た。和人が、詩織さんに見せて欲しかった誠意とは、和人に対する感謝と謝罪であり、そして、和人は詩織さんとの復縁を望んだ。しかし、詩織さんは、和人のそうした願望も知らずに、和人からもらったプレゼントをすべて返すことで、関係を清算しようとした。

ところで、和人はなぜ詩織さんに、本人が迷惑がっているのにもかかわらず、大量のプレゼントを押し付けたのだろうか。実は、過剰なプレゼントもまた、ストーキングによく見られる現象で、ストーカーはその対価として愛を要求し、贈与交換による鏡像的関係を維持しようとする。その点で、ストーカーは、自分が与える糞尿の対価として母が乳や愛情を注いでくれると想像する肛門期の幼児と同じである。詩織さんが、もらったプレゼントを返すということは、そうした贈与交換を終わらせるということを意味しており、だからこそ、和人
は、詩織さんに「返してもらっても困るんだよ」 [鳥越 俊太郎 他:桶川女子大生ストーカー殺人事件,
p.113] と言ったわけである。

和人は、両親に圧力をかけて、詩織さんを取り戻そうとしたが、失敗した。そこで、今度は、両親を含めた猪野家全体を、さらに外側から圧力をかけて、詩織さんを取り戻そうとした。7月13日には、詩織さんの写真が入った中傷ビラが近所に貼られた。さらに8月23日と24日には、父の勤務先に、父と詩織さんを誹謗する怪文書が大量に送られた。これは、ヘーゲルの言葉を使うなら、「承認をめぐる闘争」である。自分の主張を周囲の多数に認めさせ、そして、標的を包囲し、最終的には、詩織さんに認めさせようとしたのである。

和人は、この時まだあきらめていなかった。

「中傷ビラ」の準備に詩織さんの写真を提供する和人について、手下の男たちは、和人は「未練があった」「復縁したがっていたと思う」と証言している。

[鳥越 俊太郎 他:虚誕, p.88]

だが、この包囲戦も、効果をあげずに失敗すると、和人は、最後の手段に訴えた。10月26日に、和人は、兄を通じて、元暴力団員の店員に1800万円を支払って、詩織さんを殺害させた。そして、翌年の1月27日、北海道の屈斜路湖で自殺した。実家に
宛てた遺書には、こんなことが書かれていた。

今思うといのしおりは悪まの女だったと思う

小松家にこんなゆるされないおめいをきせようとしている

のだから いろいろきたなくみにくい人間を見てきたが

いのしおりという人間は見たことがない

[鳥越 俊太郎 他:虚誕, p.129-130]

実際には、猪野詩織さんが小松家に汚名をきせようとしたのではなくて、小松和人が猪野家に汚名をきせようとしたのだから、ここでも和人の被害妄想は、現実を鏡像的に反転させたものになっている。

和人は、殺害翌日の夕方、安田生命池袋支社に電話している。和人の遺品であるリュックの中に「安田生命から下りる保険金を老後に役立ててください」という両親宛の遺言があることを考えると、和人は事件直後から自殺する決意をしていたことになる [鳥越 俊太郎 他:虚誕, p.28]

和人にとって、詩織さんは、鏡の中の自分だった。
だから、詩織さんを殺した段階で、和人は死んだ。承認をめぐる闘争において、承認してもらうべき他者を殺すことは、自立しようとする自己意識にとっては、自殺行為なのである。

3. どうすればストーカーから逃れられるか

以上、桶川女子大生ストーカー殺人事件という具体的なケースの分析を通じて、ストーカーの精神構造を明らかにした。ストーカーは、去勢体験以前の肛門期に後退している。だからーストーカーにストーキングを止めさせるには、父の名による去勢が必要である。

和人は、詩織さんに出会う前、別の女性にストーキングをしていた。彼の部屋の壁に付いていた血の跡や、彼の手首に多数あったリストカットの跡は、その時のフラストレーションによるものもあったのかもしれない。しかし、その女性は殺されずに住んだ。彼女が駆け込んだ川越署は、和人を呼び出し、さらに兄を身元引受人として呼び、ストーキングの再発を防いだ。

ストーカーは、加害行為をしているにもかかわらず、加害/被害の関係を鏡像的に反転させ、自らを被害者の立場に置き換え、被害妄想を膨らませ、それに基づいてさらに加害を行うというループを繰り返す。この無限ループを切断するには、ストーカーとその鏡像的他者の間に、両者を超越する父なる存在が介入し、承認をめぐる戦いに対して、真理を提示しなければならない。そして、父なる存在として、この場合もっとも適切なのが、警察である。

ところが、詩織さんが被害を訴えた上尾署は、民事不介入と称して、詩織さんが殺されるまで、全く何の行動もとらなかった。それどころか、詩織さんが出した告訴状を取り下げさせようとさえした。もしも上尾署が、川越署のように、すぐに行動を起こしていたならば、詩織さんは、そしてまた和人も死ななくてすんだだろう。この事件における警察の怠慢の責任は、やはり大きいと言わなければならない。

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  15 コメント

  1. 中村剛志です。先日はお世話になりました。
    このコメントは、”コメント機能を用いた、トラックバックの代替”です。

  2. すみません、トラックバックURLが間違っておりました。
    お詫びして訂正させて下さいませ。

  3. 一つ気になったので書込みさせて下さい。
    ストーキング行為に偏執する事についてなんですが、ストーカー行為をする人は大抵、健常者である場合が多いですよ。

  4. 健常者であるだけでなく、ストーカーであることを除けば、むしろ普通の人よりも有能であることが多いです。

  5. ストーカーはとても怖いから防犯ブザーを持っていたい

  6. 私も以前ストーカーでした。元彼女が同じ寮内で他の男と付き合い始めて、セックスしてるんだなーとおもうと、いてもたってもいられなかったのを覚えています。しかもかわいい子だったからとくにね。男と女って難しいよね。

  7. ”「お前を殺したい」という強迫観念は、もしも、それをある種の、しかし偶然ではなく不可避的な付加物から解放してやれば、その根底においては「俺はお前の愛を享受したい」という意味に他ならない。”
    この文が理解できないのですが、教えていただけませんか?
    相手に苦痛を与えることが、贈与の交換となるからですか?
    お前の愛を享受して理想自我を得たいがそれができない → そんなもの欲しいと思っていない、ということを示したい → お前を殺したい ということですか?

  8. 心中する男女の心理を考えてみてください。愛する人を失うということは、自分を失うということと同じであり、第三者に自分を破壊されるぐらいなら、その前に自分で自分を破壊した方がましだということです。これは、フロイトというよりもバタイユの考えですが、性的快楽、エロティシズムは、本来破壊の快楽であり、愛する人を殺すことは、愛の享受の一形態となりえます。

  9. ご教示、ありがとうございます。 しかし、”第三者に自分を破壊されるぐらいなら、その前に自分で自分を破壊した方がまし”というところに、自発的去勢のようなニュアンスを感じてしまうのですが、ここでいうサディズム的な衝動(殺したい)は、享楽の断念である涅槃原則ではなくて、享楽原則によるものなのですよね?

  10. そうです。私は、涅槃原則という言葉をフロイトとは違った意味で使っています。
    “現実原則は、個体保存のための個体保存の行為を、涅槃原則は、個体保存のための個体破壊の行為を、享楽原則は、種保存のための個体破壊の行為をもたらす。現実原則が、純粋な生の欲動で、享楽原則が、純粋な死の欲動であるのに対して、涅槃原則は死の欲動のような外観を持った生の欲動である。すなわち、自傷行為は、自殺行為のように見えて、実は自殺を防止するための行為である。これに対して、享楽では、人は、はめをはずしすぎて死に至ることがしばしばある。”[仏教による去勢
    ストーカーがストーカー行為を断念するなら、それは自発的去勢であると言うことができます。

  11. しかし、上の例では、「第三者に自分を破壊される可能性」という障害によって、「生きていたい」という欲求を自覚するのが苦となることへの防衛として、「殺したい」という行為への衝動が起きているわけですよね? この障害がなければそれは「生きていたい」という欲求に過ぎないと思います。
    これでは、私には、享楽原則による純粋な衝動としての「殺したい」ではなく、「生きていたい」の断念による「殺したい」に見えてしまい、依然、「なぜ愛する人を殺すことがエロティシズムとなるのか(なぜ「去勢される以前のサディズム肛門愛的体制」ではそのような衝動が発生するのか)」を理解することが出来ていません。
    理解力が足りないためにこのような質問をしているのかもしれませんが、どうか宜しくお願いします。

  12. 享楽原則は、引用文中にあるように、「種保存のため」の原則です。生物学的に言って、有性生殖というのは、もともとリスク分散が目的ですから、種絶滅のリスクが大きくなればなるほど、性欲が高まって、多様な個体を作ろうとするようになっています。パラノイアやストーカー自体は病的な逸脱ですが、死の恐怖が性欲を高めるというメカニズムは、個体の保存に役立たなくても、種の保存には役立つと考えることができます。

  13. 今、ストーカーがつきまとっています。
    というか、派遣された?男性二人が待ち伏せしたり、仄めかしをしてきます。初めは脅しや、悪口をしてきましたが、メールをやり取りしていた男性と私が喧嘩別れをし、続いて離婚した今はガードするような守っているような感じです。今後の動向が気になり、とても不安です。

  14. 使用人二人を使うとはかなり本格的ですね。ストーキングは殺人事件にまで発展することもあるので、念のため警察に被害届を出した方がよいと思います。但し、警察は証拠がないと動けないので、脅迫があるなら、それを録音するなど、証拠を残しておくことが必要です。

  15. ストーカーで一番怖いのはサイコパス型

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