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酒鬼薔薇聖斗の深層心理

1999年10月2日

1997年3月16日に、小学校4年生だった山下彩花ちゃんを金槌で殴り殺し、5月24日には、小学校6年生の土師淳君(11歳)の頭部を切断し、神戸市立友が丘中学校正門前中学校正門付近に置いた犯人として、6月28日に、14歳の少年Aが逮捕された。なぜこの酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年は、このような事件を起こしたのか。その深層心理を分析しよう。

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[*] 本稿の1997年当時の原文に関しては、「酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈」を、また『絶歌』に対する論評に関しては、「酒鬼薔薇聖斗が『絶歌』を出版 」を参照されたい。

14歳の少年が起こした猟奇事件

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神戸市立友が丘中学校の校門。酒鬼薔薇聖斗はここに土師淳君の首と犯行声明を置いた[1]

さあゲームの始まりです。

愚鈍な警察署君、ボクを止めて見たまえ。

ボクは殺しが愉快でたまらない。

人の死が見たくて見たくてしょうがない。

汚い野菜共には死の制裁を

積年の大恨には流血の裁きを。

SSHOOLL KILLER

学校殺死の酒鬼薔薇[2]

挑発的なメッセージが書かれた紙片を、中学校正門前に晒した男児の生首の口にくわえさせ、世間を驚かせた殺人鬼、酒鬼薔薇聖斗は、「中年の変質者」という、逮捕前の世間のイメージとは程遠い、ごく普通の中学生であった。

神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』の著者、熊谷英彦氏のように、酒鬼薔薇聖斗の冤罪を主張する人もいるが、酒鬼薔薇聖斗本人がその可能性を否定している。酒鬼薔薇聖斗の母親が公表した手記には、次のように書かれている。

2002年5月23日(木)仙台に面会に行った時、長男の様子を見て、とっさに判断し、前から胸につかえていた事を聞きました。長男の顔をじっと見て「冤罪という事は、ありえへんの?お母さんは直接あんたの口からはっきり聞かんと、納得出来へんネ!」私は泣きながら聞きました。すると長男は、私の眼をじっと見て、涙を浮かべて、下を向きながら「ありえへん」と一言答えました。[3]

以下、少年Aを酒鬼薔薇聖斗とみなして、少年の動機を分析しよう。

酒鬼薔薇聖斗の家庭的背景

酒鬼薔薇聖斗は、1983年に中流家庭の長男として生まれ、弟たちよりも厳しいしつけを受けて育った。もっとも、厳しく育てたのは父親ではない。父親は仕事熱心で、2-3週間家を空けることもあった。休日出勤も珍しくなく、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようだ。

父親の欠如を埋めたのは母親である。母親は世話好きで教育熱心であった。酒鬼薔薇聖斗が小学生だった頃から、地元の子供会の面倒をよくみて、皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けた。兄として模範になってもらおうと、躾けも幼年期から厳しく行った。小学校以前は午後五時までに自宅に帰らせ、その時刻を過ぎると、家に入れないこともあった。

酒鬼薔薇聖斗は、母親の愛を十分に受けているとは感じていなかった。これは、彼が生まれた翌年に次男が生まれたことと関係がある。母親の手記によれば、次男に授乳している時、酒鬼薔薇聖斗はよく泣いたという[「少年A」の父母. 「少年A」この子を生んで…―悔恨の手記. p.136]。長男なら誰しも経験することだが、両親の愛情が新しく生まれた次男に向かう時、激しい嫉妬を感じるものなのだが、酒鬼薔薇聖斗の場合、母親の愛情を受けられたのが1年程度と短かったことが、その後の母親に対する憎悪につながった。

酒鬼薔薇聖斗にとって、母親が父の役割を果たしたとするならば、母の役割を果たしたのは、祖母である。祖母は、母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばってやった。酒鬼薔薇聖斗も祖母には甘えていた。祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていた。そして祖母の言うことには反抗せずに従った。

酒鬼薔薇聖斗が小学校5年生のとき、祖母が亡くなった。「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。これによって、彼は、愛しかつ愛される関係にある他者を失った。両親や学校は彼にとって抑圧者でしかなかった。祖母の死は、酒鬼薔薇聖斗にとって重要な出来事であったに違いないが、検事が記者会見で発表した「祖母が死亡したのをきっかけに死とは何かについて強い関心を抱くようになった」という動機解明には賛成できない。酒鬼薔薇聖斗は、もっと早い段階で暴力に目覚めていたのである。

エロティシィズムの目覚め

私は、次の幼児体験に犯罪の原型があったと考えている。酒鬼薔薇聖斗は小学校に入る前、近くに住んでいた少し年上の小学生から奴隷のように扱われていた。幼い酒鬼薔薇聖斗は、このガキ大将の命令で、友達に頭から砂をかけたり、女の子の友達を道路の側溝に突き落としたりといったことをさせられていた。従わないと暴力を振るわれる。酒鬼薔薇聖斗が頭をはたかれ「すいません」と謝っているのを当時の友達が目撃している。

マゾヒズムとサディズムは、鏡像的反転関係にあって、どちらも、バタイユが言う意味でのエロティシィズムの快楽に根ざしている。酒鬼薔薇聖斗は、最初暴力に脅されながら暴力を振るった。しかし引越しでガキ大将と縁が切れた後も、弱いものいじめという苦痛に満ちた、しかし同時にサディスティックな欲望を満たす行為を、強迫神経症患者のように何度も繰り返すことになる。

最初彼の暴力は、カエルや鳩や猫といった小動物に向けられる。酒鬼薔薇聖斗は、後に、鑑定医の質問に対して、次のように答えている。

初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。中学一年では人間を解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して、オナニーしました。[4]

土師淳君の事件が起きる2年前から、須磨ニュータウンでは、虐待された跡のある猫の死体があっちこっちで発見されている。そのすべてが、酒鬼薔薇聖斗によるものかどうかは分からないが、友人の話によると、酒鬼薔薇聖斗は、猫の舌を何枚か塩水に浸した小瓶をジーパンのポケットに入れて持ち歩いていて、「家の天井裏にあと十枚くらいあるから、欲しかったらあげるで」と言っていたとのことである。ある同級生が酒鬼薔薇聖斗の猫虐待の話を言いふらしたため、この同級生は酒鬼薔薇聖斗に殴られることになる。後に酒鬼薔薇聖斗は、「学校の先生に殴られて学校に行かなくなった」と言っているが、これは「同級生を殴ったので学校に行かなくなった」の置き換えのようである。

酒鬼薔薇聖斗のバモイドオキ神信仰

97年2月10日、須磨区で二人の小学生の女の子が、酒鬼薔薇聖斗に棒で殴られ、一人は10日間入院した。女の子は、「男は友が丘中のブレザーを着ていた」と言ったので、被害者の父親は友が丘中学校に「在校生の写真を見せろ」と迫ったが、学校側は「プライバシーにかかわるので見せられない」と拒否。結局捜査は進まないまま、うやむやにされてしまった。97年3月16日、同じく須磨区で小学4年生の山下彩花さんが頭を殴られ死亡。同時に小学3年生の女の子が腹部を刺され2週間のけがを負う。

この時、酒鬼薔薇聖斗は、次のような日記をつけている。

H9.3.16 愛するバモイドオキ神様へ 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。[…]公園で、一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金槌かナイフかどちらで実験するか迷いました。最終的には金槌でやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いてください」と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間金づちを振り下ろしました。[…]また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。[5]

「バモイドオキ」は一字づつ飛ばすと「バイオモドキ」と読める。この言葉は、「野菜」「実験」という言葉とつながっている。酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞社への犯行声明文のなかで、「一週間に三つの野菜を壊します」と言っているが、「野菜」は、無抵抗な弱者、失われた生命のメタファーである。

引用したメモの横には、ノートいっぱいに以下のような図(左)が描かれていた。

バモイドオキ神
バモイドオキ神の図。左の図は『フォーカス』(98年3月11日号)が「少年が書いたもの」と報じたもので、右は、朝日新聞(97年7月19日)が掲載したもの。おそらく、右の図は、記者による模写であろう。[6]

酒鬼薔薇聖斗は、小学校時代、赤色と白色だけの抽象的な絵を描き、図画の教師に「赤は血液で、白は体液」と説明した。だから、この絵に描かれている黒い粒は血液、白い粒は体液と理解するべきである。

上部に描かれている奇妙な人間は、首は切り離され、手と心臓と血管しかない。それ以外の肉は下に切り落とされているように描かれている。これは供犠[7]で屠られた生贄の姿のようである。イエスが処刑されて神の子となったように、原父が殺害されてはじめてトーテムとして子孫たちから畏怖されたように、生贄は、供犠で屠られてはじめて神聖な存在者となるわけである。だからこの人物は、生贄であると同時にバモイドオキ神でもあるわけである。

下半分を見てみると、右に昼の世界、左に夜の世界が描かれている。昼の世界が、現実原則によって支配されたアポロ的な秩序の世界であるのに対して、夜の世界は、すべての差異=秩序が消滅したディオニソス的な祝祭空間で、快楽原則と涅槃原則によって支配されている。私たちは普通この二つの世界を区別している。昼間仕事でいやなことがあっても、夜飲み屋でそのうさを晴らすというように。職場の上司がむかつくことを言ったからといって、その上司をその場ですぐに殴り倒すわけにはいかない。私たちは我慢し「分をわきまえる」。この分別を失うと、文明は、そして人格は成り立たなくなる。

図では、バモイドオキ神が昼の世界と夜の世界の区別を超越する位置にいる。また下半分には、境界線を侵犯する位置に黒丸が描かれている。この黒丸は、上半分に描かれている、円形図形と線対称になっていて、まるで鏡に映し出された影のように相関している。酒鬼薔薇聖斗は、殺戮によって境界線を侵犯できるかどうか実験をしてみたわけである。そして実験は「成功」した。

日記のなかで、酒鬼薔薇聖斗は、「人間の壊れやすさを確かめる」ことを実験の目的としている。これは生贄となる「汚い野菜ども」が壊れやすいかどうかということと、他ならぬ自分自身の人格が壊れやすいかどうかを確かめる実験でもあったと解釈できる。実際、土師淳君の頭部を校門前においた日、以前から不登校で問題を抱えていた酒鬼薔薇聖斗は、母親に連れられ、児童相談所に行って、心理テストとして樹木がを描かされた時、落雷により幹が真っ二つに折られてちぎれている絵を描いたという[8]。樹木の幹は人格を象徴しており、それが切り裂かれているということは、自らの人格を壊したいという破壊願望を示唆している。酒鬼薔薇聖斗は、逮捕後、「早く死にたい」と何度も訴えていたが、それは彼の偽らざる欲動であった。

酒鬼薔薇聖斗は、殺人という超えてはいけない一線をついに超えてしまった。その瞬間、彼は至高のエロティシズムを体験したに違いない。精神科医は、それを「性的サディズム」と呼んで、性的逸脱の一種とみなすが、生物学的に言っても、性と死は本来不可分の関係にあり[9]、性の本質から大きく逸脱しているということはない。むしろ、死の危険が性欲を掻き立てるという本来の関係を逆にしているという意味で、倒錯と呼ばれるべきなのである。

淳君は「聖なる儀式」の生贄だった

山下彩花さんの死亡を受けて、須磨署は捜査本部を設置した。捜査本部はいいかげんな目撃証言を重視し、事件をシンナー中毒の少年による犯罪と判断し、エリアを拡大して捜査したため、酒鬼薔薇聖斗は容疑すらかけられなかった。「愚鈍な警察署君」が的外れな捜査をしている間に、酒鬼薔薇聖斗は次の供犠の儀式に向かって準備を始める。

H9.5.8 愛するバモイドオキ神様へ ぼくは今14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなければなりません。ぼくなりに「アングリ」について考えてみました。「アングリ」を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書を考えました。その筋書はこうです。[10]

3月16日の「実験」開始からつけている日記はここで終わっている。16日後に土師淳君が行方不明になることを考えると、「アングリ」とは、淳君を屠る儀式のことのようである。もちろんスケープゴートの常として、淳君は、たまたま生贄に選ばれたのであって、酒鬼薔薇聖斗も後に「自分より弱い子をやった」「淳君でなくてもよかった」と供述している。また、なぜ淳君の頭部を切断したのかと聞かれて、「清めの儀式だ、やらなあかん」と答えている。「聖なる儀式」に付けられた名前、「アングリ」は「ハングリー」を連想させる。バモイドオキ神は、血に飢えているのではないだろうか。バモイドオキ神と酒鬼薔薇聖斗は一体だから、バモイドオキ神が飢えているということは、酒鬼薔薇聖斗もエロティシィズムに飢えているということでもある。

バタイユは、供犠の典型として、メキシコの人身御供に注目していた。メキシコ人は、彼らが崇拝する太陽神が血に飢えていて、血を捧げないと太陽が輝くことをやめると信じていた。メキシコ人が戦争や人身御供をするのは、もっぱら太陽神に糧を与えるためだったのである。祭儀の執行人たちは、戦争で獲得した捕虜を俎板の上に投げ倒し、手足と頭をしっかり押さえつけ、黒曜石の短刀を胸にぐさりと突き立て、ぴくぴくと動く心臓を抉り取り、それを太陽に捧げていた。神官は剥ぎ取った血だらけの皮膚を身につけ、生贄の肉は饗宴で振る舞われた。生贄を連れてきた戦士が切り取られた首を片手に踊って、饗宴は締めくくられる。

酒鬼薔薇聖斗の深層心理を解読する

読者の中には、「バモイドオキ神」や「アングリ」は、ビデオか漫画に出てくる名称で、「バイオモドキ」とか「ハングリー」という意味を読みこむことは無意味ではないかと思う人もいるであろう。たしかに酒鬼薔薇聖斗の自室からは、たくさんのホラービデオや格闘技漫画が見つかっているので、出典はそのうちのどれかにあるのに違いない。しかし私が問題にしたいのは、多くの候補があるはずなのに、なぜこの名称が深層心理の働きによって選ばれたのかということである。

深層心理を読むということは、本人ですら意識していない動機を解明するということである。テレビ朝日の『サンデープロジェクト』で、島田伸介が「本当の動機は、本人以外は誰もわからないでしょうね」と言っていたが、実は本人もわかっていないのである。本人がわからないから、精神分析が必要なのである。

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)という名前の漢字も、「榊原」という普通の漢字を使っていないのだから、明らかに選ばれた意味がある。「酒」は「酔う」、「鬼」は「殺人鬼」、「薔薇」は「赤色の血液」、「聖斗」は「聖なる闘い」の意味である。全体として、殺人鬼が聖なる闘いで流血に酔いしれるというイメージが浮かび上がってくる。また「SHOOLL KILLER」は、「SCHOOL KILLER」の間違いであるが、間違いにも意味がある。「SHOOLL」は、「シュール」と読める。そこには、シューレアリズム(超現実主義)の連想がある。

酒鬼薔薇聖斗には、現実を超えた想像力があった。彼は、淳君の首を絞め、頭部を切断しただけでなく、「魂を出してあげるために」、口の両端を耳付近まで切り裂き、両まぶたにバツ印の傷をつけるなど、入念な細工をした。そうした儀式の作法は、恣意的なものでなく、彼なりに意味のある必然的なものだったはずだ。逮捕後の供述で、酒鬼薔薇聖斗は、家族や学校の話を聞かれても「うーん」と反応が少ないのに、殺害の手口について聞くと、目を輝かせて能弁に儀式の方法についてしゃべったとのことである。

校門前に晒された頭部が発見されてから8日後、酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞に犯行声明文を送っている。その中で、彼は自分を「透明な存在」と称している。この言葉には二つの意味がある。

「透明な存在」とは、常識的には、警察にはつかまらない、目立たない存在ということである。この少年は実際に外から見ている限り目立たない普通の子供であった。学校の教師は「印象の薄い子」と言い、近所の人たちも「道で会えばあいさつする普通の子」と言っている。

「透明な存在」にはもう一つ隠れた意味がある。虚しい、満たされない、つまりハングリーな存在という意味である。英語の want には、欲望と欠如という二つの意味があるが、満たされない存在であるからこそ、メキシコの太陽神のように、絶えず生贄の血を求めるのである。「透明な存在」が「ハングリーな存在」であるとするならば、犯行声明文に登場する「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」が誰なのかが分かる。バモイドオキ神である。

酒鬼薔薇聖斗は、この「友人」に相談してみたところ、「友人」は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすればうるものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界をつくっていけると思いますよ」とアドバイスしている。こんなアドバイスを中学校の同級生がするとは考えられない。

引用文に続けて、酒鬼薔薇聖斗は、「その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した」と述べている。この箇所は、彼にとって復讐がどういう意味をもつかを示す重要な部分である。

犯行声明文には「義務教育と義務教育を生み出した社会への復讐」が書かれているが、記者会見した検事は、「捜査機関に少年以外の者が犯人であると思わせることにより、捜査を撹乱するために作成したと考えている」とのことである。しかしこの解釈は合理主義的すぎる。もし酒鬼薔薇聖斗が、逮捕される可能性を最小にしようとしている合理的な犯罪者であるならば、捜査機関に字体の手がかりを与えるような犯行声明文を書かないはずだし、ましてや中学生であることをほのめかすような「義務教育への復讐」について言及しないはずである。

ではなぜ、酒鬼薔薇聖斗は、「義務教育への復讐」という大義名分を掲げたのか。その答えは、犯行声明文の中に書かれている。「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむこともできた」が、「世間の注目をあつめ」「せめてあなたたちの空想の中だけでも実在の人間として認めていただきたい」からである。

後に酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を切ったとき、「大した感動がなかった」と供述している[*]。そこで彼は、エロティシズムの感動を極大化するために、「君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えて」いこうとしたわけである。

[*] 当初、こう報道されたのだが、一橋文哉のレポートによると、酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を絞めながら勃起し、首を切断する瞬間、射精したとのことである。さらに、首を小学校正門に置いた時も、「性器に何の刺激も与えていなのに興奮し、何回もイってしまった」そうである[11]

栗本慎一郎の言葉を借りるならば、エロティシズムとはパンツを脱ぐ夜の快楽である。パンツを脱ぐためには、パンツという昼の秩序が必要である。そこで酒鬼薔薇聖斗は、学校やマスコミといった昼の世界を彼のゲームに参加させよとしたのである。この彼のもくろみは成功した。テレビでは、連日のように教育評論家たちが出演して、学校批判を繰り返した。彼らは、酒鬼薔薇聖斗のしかけたゲームにまんまとのせられたのである。

酒鬼薔薇聖斗事件は現代特有の現象ではない

犯人が中学生であることが判明すると、マスコミは、学校や家庭や地域社会に問題があるのではないかと疑った。

しかし学校には、酒鬼薔薇聖斗が妄想したような、「教師に鼻血が出るほど殴られる」という事実はなかった。友が丘中学校の校長が、卒業式終了後、不謹慎なところにふらふらと出かけて行って、ゴシップ誌を喜ばせ、世間の顰蹙を買ったが、事件発生当時、学校側に重大な落ち度があったわけではない。

また、母親は、しつけは厳しかったが、所謂「お受験ママ」ではなかった。神戸市には、灘をはじめとする名門私立学校があり、中学受験の競争も激しいところであるが、酒鬼薔薇聖斗は、多くの同級生とは異なって、進学塾に行かず、また二人の弟が通った書道教室にも行かなかった。勉強にはうるさくなかったようだ。

地域社会にも問題はなかった。事件の舞台となった須磨ニュータウンは、兵庫県労働者住宅生協によって開発・分譲された。入居者の多くが労組関係者で、自治会は市内で最も組織力があるとされる。淳君が殺害されたときも、パトロールが自治会活動として行われるなど、コミュニティの連帯は健全であった。

だから、この事件を説明するのに、「学校での管理教育による抑圧」とか「受験競争による心の歪み」とか「地域社会の崩壊」といった、現代文明を批判する評論家好みの決まり文句は使えない。私は、犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫だと思う。この事件は、人類史的にはきわめてプリミティブな欲動から生まれたものであり、現代特有の現象ではない。

事件後の酒鬼薔薇聖斗

酒鬼薔薇聖斗は、逮捕後、身柄を神戸少年鑑別所に移送され、1997年10月20日には関東医療少年院に送致された。2001年11月から2002年11月にかけて、中等少年院である東北少年院で矯正教育を受けた後、関東医療少年院に戻り、2004年3月10日、21歳で仮退院した。

関東地方更生保護委員会の小畑哲夫委員長らは、「再犯の可能性はないと判断した。保護観察に付することが改善更生と円滑な社会復帰のために相当と認めた」と説明している[12]

ところが、報道によると、2004年12月、酒鬼薔薇聖斗は、カウンセリングの最中に、女医を押し倒して暴行を働こうとする事件を起こしてしまった[13]。この女医は、母親のような役割で酒鬼薔薇聖斗を治療していたのであるが、美人であったために、酒鬼薔薇聖斗は、この女医に恋をしてしまったらしい。事件を起こしたころ、女性に対して全く性欲を持たなかったことを思えば、倒錯が治ったと言えなくもないが、暴行未遂事件を起こすようでは、性的サディズムが完治したとは言えない。にもかかわらず、酒鬼薔薇聖斗は、2005年1月1日に、関東医療少年院を正式に退院した。このような危険な人物を社会に復帰させて、本当にだいじょうぶなのか。何も事件を起こすことなく、社会復帰してくれることを願いたい。

追記:フォーラムの関連スレッドからの転載

ここでの議論は、システム論フォーラムの「酒鬼薔薇聖斗または性的サディズム」からの転載です。

埼玉県三郷市の少年と酒鬼薔薇聖斗との共通点
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年2月21日(木) 07:45.

2011年に埼玉県と千葉県で女子中学生らが相次いで襲われる通り魔事件が起きたが、被告の少年(逮捕当時16歳)も酒鬼薔薇聖斗型の性的サディストのようだ。2013年2月19日に、さいたま地裁で初公判がで開かれたが、報道によると、以下のことがわかっている。

  • 小学生の頃、動物を虐めたり殺したりすることに快感を覚えた。殺害したネコを瓶に入れ学校に持っていった理由として「仲間がほしかった。喜ぶかと思った」などと説明している。
  • 中学3年の頃、ホラー映画で女性が苦しむ場面などを見て性的興奮を覚え、高校入学後、小中学生の女子を殺害すれば興奮や満足感を得られると考えるようになる。
  • 2011年10月12日、埼玉県三郷市内のマンション駐車場でバイクが燃える火災が発生。「誰かを殺そうと思って出掛けたが、うまくいかずにむしゃくしゃしてオートバイに放火した」と供述。
  • 2011年10月22日、三郷市内を徘徊した際、女子中学生を襲おうとしたが、包丁を取り出したら悲鳴を上げられ「まずいな」と思い逃げた。
  • 2011年11月18日、三郷市鷹野の市道で、帰宅途中の市立中学3年の女子生徒(当時14歳)の右顎下を刃物で突き刺した。首を切って持ち帰る計画だったが、それには失敗。事件後、包丁を自宅で見たり、包丁についた血を舐めたり、自宅のパソコンで報道を検索したりして、「血が出たときを思い出して性的に興奮した。またやりたいという気持ちになった」と供述。
  • 2011年12月1日、千葉県松戸市の路上で、下校途中の小学2年生女児(当時8歳)の右腕や胸などを刺しけがを負わせた。
  • 2011年12月5日、埼玉県三郷市の路上で、少年を殺人未遂などの容疑で逮捕。

酒鬼薔薇聖斗との共通点としては、

  • 小学生の頃から殺害に性的快感を覚える
  • 殺人の前段階として猫を殺害している
  • ナイフの収集に熱心だった
  • 生贄の対象として抵抗力の弱い子供を選ぶ
  • 生贄の首を切ったもしくは切ろうとした

といったところを挙げることができる。マスコミ宛ての犯行声明が送られていないという相違点もあるが、あれは一種の偽装工作で、酒鬼薔薇聖斗は、義務教育に恨みを持つ大人の犯行と見せかけようとしたようだ。酒鬼薔薇聖斗の前例があるので、どのみちそのような偽装工作は今回は無効であっただろう。

佐世保女子高生殺害事件と神戸連続児童殺傷事件との類似性
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年8月22日(金) 14:18.

2014年7月26日に長崎県佐世保市で同級生を殺害した十六歳の女子生徒も、酒鬼薔薇聖斗と多くの類似性を持っていた。実際、事件前に彼女に心理テストを実施した精神科医は、酒鬼薔薇聖斗と同様の兆候があると診断し、2014年6月には、長崎県の児童相談施設に「このままだと人を殺しかねない」と相談していた。

酒鬼薔薇聖斗が性的サディズムをエスカレートさせたきっかけが祖母の死だったのに対して、この加害女子生徒の場合、それは実母の死だった。二人とも猫などの小動物を殺害することでエロティシズムの欲望を満たし、やがて人でも試してみたくなり、親しかった友人を生贄に選んだ。

市内の清掃関係業者によると、彼女の実家のガレージには、首や手足がバラバラに切断された血だらけの猫が放置され、敷地内の壁には、カエルや金魚などの小動物が叩きつけられたと見られる跡があったとのことである。

彼女の行動が不可解だと言う人も、普通のエロティシズムで考えれば、納得がいくはずだ。多くの子供は、まずヌード写真を見るといった当たり障りのない方法で性欲を満たす。見慣れてきて、刺激が足りなくなると、性具を使うなどして、もっとリアルな欲望充足を試みる。それでも刺激が足りなくなると、本物の人間を使って性欲を満たそうとするようになる。

彼女も最初は、医学書を見るなど、当たり障りのない方法で、エロティシズムの欲望を満たしていた。子供が医学書に不純な興味を持つということは珍しいことではない。普通の出版物では、エロとグロはご法度だが、医学書には、性器のリアルな絵(場合によっては写真)が掲載されている。普通の子供はそれを見たがるものだが、彼女の場合、お目当てはそっちの方ではなくて、内臓のグロテスクな絵(もしくは写真)の方であったようだ。

普通の性欲は、相手の服を剥ぎ取って、裸体という内奥を見ることで満たされるが、性的サディズムは、それでは不十分で、身体を破壊し、身体のさらなる内奥を暴くことで満たされるということがある。彼女のケースは、そうだった。

事件現場となった部屋からは、人体図鑑や医学書とともに、刃物で殺し合う人の姿や絞首刑での惨殺シーンを描いた絵や、同性愛的なヌードのデッサンも押収された。加害女子生徒は、被害女子生徒に対して、同性愛的な欲望を持っていたとみることもできる。

加害女子生徒は、被害女子生徒と仲が良く、両者の間にはトラブルはなかった。加害女子生徒は「一度人を殺してみたかった」「被害女性には恨みはない」「マンションで一緒にテレビを見るなどしていたら、殺人を我慢できなくなった」などと供述し、多くの人を困惑させている。それは、怨恨による殺害という通常のケースで理解しようとするからであって、エロティシズム論的には、何の不思議もない。私たちは、恨んでいる相手とセックスしたいとは思わない。それと同じことだ。

彼女は、被害女子生徒の後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した。被害女性は、首と左手首が切断され、腹部が大きく切り開かれていた。彼女は、絵や写真でしか見たことのなかったものを見て、満足したことだろう。

この事件は、2004年6月1日に同じ佐世保市で起きた小六女児同級生殺害事件を思い出させるという人もいるが、この事件は怨恨が動機であり、事件のタイプとしては異なる。むしろ、「供犠のエクスタシー」で取り上げた、2003年7月1日に長崎市で中学生が起こした殺人事件に近い。

長崎県教育委員会は、事件の再発防止のため、二件の事件が起きた前後の毎年五月から七月にかけての期間の一週間を「心を見つめる教育週間」とし、道徳教育に力を入れ、命の大切さを伝えてきた。その取り組みが効果がなかったことで、関係者たちは落胆しているが、エロティシズム型犯罪の場合、このように「命の大切さ」を子供に教えることは逆効果である。なぜなら、命を貴重なものと感じれば感じるほど、それを破壊した時のエロティシズムの快楽は大きくなるからだ。実際、加害女子生徒は、価値の低い小動物を殺すことに飽き足りなくなって、価値の高い人間を殺したのだった。

それは、売春婦とセックスするよりも、ガードの固い処女を口説いてセックスすることに成功した方が、興奮が大きくなるのと同じことである。エロティシズムは、禁忌を破る快楽であり、その快楽は、禁忌がの度合いが高くなればなるほど大きくなる。

セックスは、小さな死の体験であり、強姦でなくても、セックスをすることにはバーチャルな殺人としての要素がある。普通の人には、エロへの欲望はあっても、グロへの欲望はない。しかし、エロへの欲望とグロへの欲望は、そう大きく異なることはないのである。

どうすれば佐世保の事件は防げたのか
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年8月23日(土) 11:24.

Yasuhiro Kubota さんが書きました:

「酒鬼薔薇聖斗の深層心理」を読んだ者として、勝手にこの件の類似性を感じていました。そして悲しい哉、世の中にはこういう形でしかエロティシズムを感じられない人間が、極々少数ながらいることに戦慄を覚えました。

こういう人間は一定の確率でいるものですが、事件を未然に防ぐということならある程度できると思います。特に今回の佐世保の事件では多くの予兆があったので、それは可能であったはずです。それができなかったことに関して、二つの反省するべき点を挙げることができます。

一つは、加害女性の父親が、早期に対策を講じなかったことです。この父親は地元の名士で、地元の人の話によると「政治家としての道も考えていて、近いうちに佐世保市長選に立候補するという話もでていた」というのだから、身内の不祥事が明るみに出ることを恐れて、後手に回ったのでしょう。

もう一つは、殺人事件を予想した精神科医が、児童相談施設に実名を伏せた相談以上のことができなかったことです。医師には守秘義務があって、患者の情報を外部に漏らすことはできません。しかし、この守秘義務も絶対的ではなくて、最高裁は、「医師が、必要な治療又は検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬物の成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、医師の守秘義務に違反しない」と判示しています。 医の国際倫理綱要も、2006年の修正において、患者や他の者に対して現実に差し迫って危害が及ぶおそれがあり、守秘義務に違反しなければその危険を回避することができない場合は、機密情報を開示することは倫理にかなっているとしています。精神科医の守秘義務にも、例外を認めるべきでしょう。

関連著作

参照情報

  1. Kobe Municipal Tomogaoka Junior High School" by 山井書店. Licensed under CC-BY-SA
  2. 朝日新聞大阪社会部. 暗い森―神戸連続児童殺傷事件
  3. 毎日新聞:2004年3月13日,東京朝刊.
  4. 一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!
  5. 朝日新聞大阪社会部. 暗い森―神戸連続児童殺傷事件
  6. 早稲田大学新聞(2002年6月27日(木)発行):資料3
  7. 供犠(immolation)とは、生贄を捧げることで、未開社会に見られる富の蕩尽形態である。バタイユによれば、供犠には死の恐怖とともにエロティシズムの快楽があり、供犠の過程で、供犠執行者と供犠される者とは、両者の個体性を際限なく消尽し、至高性を体験する。この至高体験が、供犠が執行される祝祭空間を労働空間から区別する。
  8. 草薙 厚子. 少年A 矯正2500日全記録,p.21-22
  9. 有性生殖はなぜ必要なのか
  10. 朝日新聞大阪社会部. 暗い森―神戸連続児童殺傷事件
  11. 一橋文哉. 酒鬼薔薇は治っていない!.
  12. 毎日新聞(2004年3月11日,東京朝刊)。記事によると、法務省は、「人格が固まった成人が性的サディズムと診断をされると良くなるのは難しいが、男性は思春期にあったため、いい方向に変化した」と言っている。
  13. 週刊新潮. 2005年1月20日号.