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実存と本質の違いは何か

2000年12月10日

実存と本質の関係は実存主義哲学のテーマであるが、ここではこのテーマを言語哲学的に考えてみたい。

Image by Gerd Altmann from Pixabay modified by me

1. エッセの両義性

実存(exsistentia 現実的存在)と本質はしばしば対比される。サルトルのような実存主義者が「実存は本質に先立つ」と言う時、本質を、存在とは異なった、存在者のイデア的本性として位置付けている。

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ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905年6月21日 – 1980年4月15日)。Source: Jean-Paul Sartre. サルトルは、「実存は本質に先立つ」(l’existence précède l’essence)という命題で知られている。

しかしヨーロッパ系言語では、《本質 essentia》は語源的に《存在する esse》に由来する。では《存在する esse》と《実存する exsistere》はどう異なるのであろうか。そして本質と存在はどのような関係にあるのだろうか。ラテン語のesseは、英語のbeに相当する。be動詞には、完全自動詞(存在のbe動詞)の使い方と不完全自動詞(コプラのbe動詞)の使い方がある。

1.The car is in my garage.

その自動車は私の車庫の中にある。(存在のbe動詞)

2.The car is red.

その自動車は赤い。(コプラのbe動詞)

主語と述語の結合は、必然的な場合と偶然的な場合がある。すべての車が赤いわけではないので、2での主語と述語の結合関係は偶然的である。しかし、

3. A car is a vehicle with three or four wheels driven by a motor.

自動車とは、原動機により駆動される三輪もしくは四輪の乗り物である。

のような分析的命題(定義)では、結合が必然的である。

古代ギリシャ以来、「Xとは何か」がXの本質への問いだった。つまりX is … という定義で本質が表現された。これを

X is, and it is …

X は存在し、そしてそれは…である。

というように、二つのbe動詞で表現するなら、前半のbe動詞は存在を表し、後半のbe動詞は本質を表しているということができる。

2. 存在の両義性

では、前半のbe動詞は、existと同じだろうか。そうではない。すべての主語が実在するわけではないからだ。例えば、「キメラとは、ギリシャ神話に登場する、ライオンの頭、山羊の胴、蛇の尾を持ち、火を吐く怪獣である」という文では、主語は現実には存在しない。しかしキメラは全くの無ではない。それは少なくとも想像上の動物として存在する。

さらに言えば、無も全く存在しないとはいえない。もし無が全く存在しないのなら、無について語ることすらできないはずである。このように概念のシニフィエの中には、イデアールに存在するが、レアールには存在しないものもある。だから、すべての存在が実存するとはいえないのである。

3. 実存は実体的存在の顕在化である

語源的には、実存(existence)は《表に-立つ ex-sistere》という意味で、実体(substance)は《裏に-立つ sub-stare》という意味である。実体は、イデアールな本質として、レアールな現象の裏に潜んでいるが、それが表へと出来すると実存することになる。