資本主義の未来

2005年10月29日

アメリカでは、70年代以降、貧富の格差が広がっているが、日本でも80年代以降、同じ現象が起きている。社会主義経済が崩壊し、市場経済が勝利をおさめ、いまやグローバリゼーションの波が世界中を覆っているわけだが、これは人類にとって好ましい現象なのだろうか。レスター・サローの『資本主義の未来』の問題提起に答えよう。

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1. グローバリゼーションは貧富の差を広げるか

第一次石油危機のあった1973年という年は、福祉国家によるインフレ型成長が停止した年であり、また変動相場制の開始により、市場経済のグローバル化が始まった年でもある。

1973年から1994年にかけて、アメリカの実質的な一人当たりの国内生産高は33%増えたが、非管理職(部下を持たない男女)の実質的な時給は14%減り、実質的な週給は19%下落した。[1]

1973年から1992年にかけてのアメリカ人男性の年収を比べてみると、実質で(つまりインフレ率の影響を取り除いて)上昇しているのは、上位20%の階層だけで、残りの80%はすべて下落しており、かつ、年収の低い階層に行くにしたがって、下落率は大きくなる。但し、世帯の所得は、上位40%の階層で上昇していて、各階層とも、賃金よりも上昇率が高い[2]

男性の賃金水準の上昇率よりも世帯所得の上昇率がよいのは、女性の社会進出のためだけではない。女性労働者の賃金水準もまた、四大卒以上のエリートを除けば、下落している。勤労所得よりも所得全体の上昇率がよいのは、働くよりも株などに投資したほうが儲かるということである。もちろん、株を買うことができるのは、上の階層に限られる。ここから、富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなっていくアメリカ経済の実態を読み取ることができる。

20年間にわたって、実質的な賃金が下落しているのは、アメリカの統計の歴史が始まって以来のことであった。そして、この20年間は、アメリカが日本との価格競争に敗れた20年間でもあった。その日本は、今かつてのアメリカと同様に、新興工業国の追い上げに苦しんでいる。経済のグローバル化が進めば進むほど、先進国における単純労働の賃金水準は、発展途上国の最低水準に向かって下落するようになる。

ほとんどの国民が、定年までの終身雇用が保証され、中流という意識を持っていた古き良き時代を懐かしむ日本人の中には、貧富の格差の拡大を憂い、グローバリゼーションに反対する人も少なくない。しかし、グローバリゼーションは本当に貧者の数を増やすものなのか。

レスター・サローは、一方で先進国の未来を悲観的に描きながら、他方で中国の未来をかなり楽観的に描いている。日本→アジアNIES→東南アジア→中国と広がる近代化と経済成長の波は、いまやインドにまで及んでいる。今後、東欧、旧ソ連、ラテンアメリカ、そして最後にアフリカへと、近代化と経済成長の波は地球の隅々にまで及ぶだろう。これは、グローバリゼーションのもう一つの側面である。

2. 国際社会からグローバル社会へ

高度成長時代の日本は、確かに今と比べれば、平等だった[3]。しかし、この時代の人類に貧富の格差がなかったわけではない。先進国と発展途上国との間に、南北問題と呼ばれる貧富の格差の問題があった。

1973年以降がグローバルな時代であるとするならば、それ以前はインターナショナルな時代であったと言うことができる。インターナショナルな時代では、ネイション(国家)単位で貧富の差が決まる。アメリカやヨーロッパや日本といった先進国では、人々は平等に金持ちになり、アフリカやラテンアメリカなどの発展途上国では、人々は平等に貧乏だった。自立的な国民国家が、それぞれ福祉政策を推し進める国際的分業社会では、平等であるがゆえに不平等であるというパラドックスが成り立つ。

ネイションとネイションの垣根が低くなり、ボーダレス化すると、企業は、高福祉高負担の国を捨て、よりコストパーフォーマンスの良い国に移動し始める。その結果、先進国は産業の空洞化を避けるために、福祉水準を切り下げなければならなくなる。一方で発展途上国に富裕階層が現れ、他方で先進国に貧困階層が現れる。グローバルなボーダーレス社会では、不平等であるがゆえに平等になるという逆のパラドックスが成り立つ。

国内が平等であるがゆえに世界が不平等であったインターナショナルな社会と国内が不平等になるがゆえに世界が平等になるグローバル社会とどちらが望ましいだろうか。私は、豊かになれるか否かが、どこで産まれるかといった先天的要素で決まる社会よりも、産まれた後の努力といった後天的な要素で決まる社会のほうが望ましいと思う。グローバリゼーションは、機会の均等という点では望ましいことである。

インターナショナルな社会では、国家が競争の主体であったのに対して、グローバルな社会では、個人が競争の主体となる。先進国の国民だから、あるいは大企業の社員だから豊かになれるという保証はどこにもない。個人は、自分にどれだけの市場価値があるのか、グローバルな視点で評価しなければならなくなっている。

3. 情報社会には比較優位がないのか

1900年1月1日の時点での全米最大手企業12社のうち、10社は天然資源関係の企業だった。その12社のうち、次の世紀までそのまま生き残ったのはジェネラル・エレクトリック(GE)だけである。工業社会から情報社会への変遷を示す象徴的な話である。

19世紀及び20世紀の工業社会においては、たいていの産業には、自然の、神から与えられた地理的本土があった。[…]これに対して、人的頭脳産業には、自然のあらかじめ決められた本土はない。[4]

産業が自然的制約を脱するにつれて、世界は地理的特殊性を無差別化する。だからといって、比較優位への特化が無意味になるわけではない。むしろ脱工業化により、個人の差別化が進むのだから、個人レベルでの比較優位への特化が必要になってくる。

比較優位を利用するすべての国の収入の合計は増大する。しかし、どの国にも利益を失う個人が存在するであろう。[5]

どうもレスター・サローは、リカードの比較生産費説が国際間分業にしか成り立たないと考えているようだ。国家だけでなく、個人もまた、何でも自分でやるよりも、比較優位のある分野に特化した方が全体の生産性が向上する。もちろん、グローバリゼーションと自由化によって過大な転職コストを払わなければならない個人も出てくるだろうが、その責任はグローバリゼーションと自由化そのものにあるのではなくて、比較劣位にある国内産業を規制や補助金で保護してきた政府にある。

4. 資本主義は民主主義的ではないのか

民主主義と資本主義は権力の適切な配分に関してとても異なった信念を持っている。民主主義は「一人一票」という完全に平等な政治的権力の配分をよしとするのに対して、資本主義は、経済的な適合者が、不適合者をビジネスから追い出し、経済的に淘汰するのが義務であると信じている。[6]

市場経済が競争そのものであるのに対して、民主主義政治では競争のルールを決めるので、より平等な権限が人々に与えられている。もっとも、民主主義政治が平等といっても、それは投票する機会が平等なのであって、投票の結果はすべての投票者を満足させるわけではないという意味で、結果の平等までは保証していない。同様に、市場経済も、競争に参入する機会は平等に与えられているが、競争の結果は平等ではない。

5. 長期的な投資は政府がするべきか

地球温暖化やオゾンの枯渇といった、長期にわたる環境問題に関して、資本主義社会が何をするというのか。どちらのケースでも、現在することは、50年から100年先の環境に影響を与えるものの、現在の出来事にはなんら顕著な影響をも与えない。[7]

このように、短期の利益を追求する資本主義は、リターンがあまりにも遅すぎる分野に投資できないとレスター・サローは主張するのだが、資本主義は本当にそのように近視眼的なのだろうか。そもそも、資本主義とは、それ以前の社会とは異なって、長期的なビジョンに基づいて、短期的な享楽を犠牲にし、禁欲的に蓄積をするプロテスタンティズムの倫理に基づいているのではないのか。

もちろん、現代の資本主義の参加者たちには、そのような精神はないと言うことは可能である。だが、投資家が短期的な利益を目指しているから、長期的な投資ができないというわけではない。

例えば、すべての投資家が10年以内に収益を確保したいと願っていると仮定しよう。その場合でも、今から50年後に消費者に売れて利益をもたらす商品は、40年後に資産として転売が可能であるから、それを考えれば、30年後にも資産として転売が可能であるから … というように、期待の期待の期待の … を続けていくことで、50年後にしか売れない商品でも、今すぐ資産として売ることができる。

資本主義の投資市場においては、むしろ長期的に有望な商品への投資が盛んに行われる。長期的な影響力を持つ商品ほど資産価値があるからだ。

私も、環境問題に関しては、政府が重要な役割を果たすべきだと考えているが、それは、環境問題の解決には長期にわたる投資が必要だからではなくて、良い環境という財が、公共財(非競合性と非排除性を持った財のこと)だからである。

6. 教育は政府の仕事か

レスター・サローは、教育投資の回収には時間がかかるから、ここでも政府が主導的な役割を果たさなければならないという。

人的頭脳労働の時代においては、政府は原則として、三つの入力を供給するために主要な役割を果たさなければならないだろう。その三つの入力とは、人間の技量、技術、インフラである。21世紀の資本主義が成功するか失敗するかはここにかかっていると言えるだろう。[8]

教育サービスは、非競合性も非排除性もないので、公共財ではないので、政府がやる仕事ではない。税金で教育を行うと、人口増加が加速されるので、子供を産む人の自己負担とするべきである。それだけで財源が足りないのなら、人材供給の直接的な受益者である企業から、従業員数に応じて税を課して、奨学金の制度を作ればよい。

7. 民主主義政治は近視眼的か

レスター・サローは、資本主義の未来だけでなく、民主主義の未来に対しても悲観的である。それは、彼によれば、民主主義政治は、市場経済と同様に、意思決定者が目先の自分の利益しか考えていないからである。

最近の最も劇的な、弊害の多い社会的対立の一例が、ミシガン州のカルカスカで起きた。ここは退職者の楽園で、そこでは高齢の有権者が、学校予算を、除雪作業など他の事業に支払うために事実上奪ってしまい、学校が最終学期まで授業を続けるために財源を使うことを拒否する票決をした。[9]

これは民主主義的多数決の欠陥だろうか。私はそうは思わない。ここで問題なのは、地方自治体は、教育へ投資するには小さすぎて、受益と負担が一致しないということである。人材を必要としている企業が多数含まれるほど選挙区を広域化し、受益と負担が一致するようになれば、こういうことは起きない。

8. 資本主義は終わりを迎えているのか

レスター・サローの『資本主義の未来』は、1996年に出版された。それから10年近くがたっているが、グローバリゼーションの進展、先進国における中産階級の没落、中国の台頭など、彼の予測の多くは、外れていない。本書がいまだに読まれているゆえんである。

現象の記述と予測から一歩進んで、解釈と政策提案となると、レスター・サローには賛成しがたくなる。先進国の国民にとって福祉国家の時代は、懐かしむべき良き時代だったのかもしれないが、大きな政府による量的拡大が資源問題と環境問題を惹き起こしたことを忘れてはいけない。

1973年以降、世界経済は量的拡大から質的選別の時代に向かっている。それは、人間という種が生き残るためにはやむをえないことであるが、私はこの量から質への、集団主義から個人主義への、大きな政府から小さな政府への転換を情報革命として前向きの受け止めている。

9. 関連著作

10. 参照情報

  1. “From 1973 to 1994, America’s real per capita GDP rose 33 percent, yet real hourly wages fell 14 percent and real weekly wages 19 percent for nonsupervisory workers (those males and females who do not boss anyone else).” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 24.
  2. U.S. Bureau of the Census. Current Population Report, 1973; Current Income, 1992.
  3. 勇上和史.「日本の所得格差をどうみるか-格差拡大の要因をさぐる-」『JIL 労働政策レポート』Volume 3.
  4. “In the industrial societies of the nineteenth and twentieth centuries, most industries had natural, God-given homes geographically. […] In contrast, man-made brainpower industries don’t have natural predetermined homes. ” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 8-9.
  5. “The total income of every country that takes advantage of comparative advantage grows, but there will be individuals within each country who lose.” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 69.
  6. “Democracy and capitalism have very different beliefs about the proper distribution of power. One believes in a completely equal distribution of political power, “one man, one vote," while the other believes that it is the duty of the economically fit to drive the unfit out of business and into economic extinction.” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 242.
  7. “What should a capitalistic society do about long-run environmental problems such as global warming or ozone depletion? In both cases what is done now affects the environment fifty to one hundred years from now on but has no noticeable effect on what happens today.” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 302-303.
  8. “By default in an era of man-made brainpower industries, government will have to play a central role in supplying the three inputs – human skills, technology, and infrastructures – that will determine the success or failure of twenty-first century capitalism.” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 295.
  9. “The most dramatic recent example of impeding social conflict occurred in Kalkaska, Michigan, a retirement haven, where elderly voters essentially robbed the school budget to pay for other things such as snow plowing and then refused to vote the funds to allow the schools to finish the school year.” Lester C. Thurow. The Future of Capitalism: How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World. Penguin Books (1997/4/1). p. 105.