複雑系とは何か
複雑系を理解するには、複雑と系(システム)という二つの概念を理解しなければならない。システムについては「システムとは何か」で主題的に取り上げたので、ここでは複雑さについて説明し、複雑系とは何かを明らかにしたい。
1. 複雑性とは不確定性である
例えば、
(1) 2,4,6,8,10,12,14,16 …
という数列は、
(2) 9,2,85,7,36,49,1,756 …
に比べると単純である。ここで単純であるということは、予測可能ということである。(1)の n 番目の項は、2n であり、予測可能である。しかしもし(1)の続きが、
(1) 2,4,6,8,10,12,14,16,31 …
となれば、数列(1)は、にわかに複雑で予測不可能になってしまう。
複雑さをこう捉えるならば、複雑系とは、その振る舞いが予測不可能な不確定なシステムということになる。この点で複雑系はカオスと同じであるが、一般に複雑系はカオスよりも包括的な概念として理解されている。すなわち、カオスには、確定的な非線形関数に基づいていることが条件であったが、複雑系にはそのような条件はつけられない。
2. 複雑系と複合系の違い
巷の入門書の類には、「相互作用する多数の要素からなるシステム」といった通俗的な複雑系の定義が散見されるが、こうした定義は、複合系との区別があいまいという点で、問題がある。複雑系/単純系という区別は複合系/単一系という区別から区別されなければいけない。システムが複合系か単一系かは、システムを構成する要素が複数か単数かという違いであるが、複雑系か単純系かは、システムの振る舞いが不確定か否かという違いである。
f(x)=4x(1-x)というロジスティック写像は、変数がひとつしかないという意味で単一系であるが、自己言及的に反復適用されるとその振る舞いが不確定になるという意味で複雑系である。他方、精密に作られた時計は、複数の部品から構成されている複合系であるが、その振る舞いが確定的であるので、単純系である。複雑系/単純系と複合系/単一系を区別しないと、複雑単一系や単純複合系を説明することができない。
3. 複雑系の再定義
今野紀雄の『複雑系―図解雑学』では、次のような定義が採用されている。
- システムを構成している要素としてのエージェント(行為者)の数は中程度。
- エージェントは知性を持っている。
- エージェントは、局所的な(local)情報に基づき相互作用する。
これらの要件を私なりに解釈すると
- 数が中程度というのは、主観的である。1億という数は、人間の数としては多い方だか、分子の数としては小さい方である。中程度という言葉は、0と1の中間の確率と理解するべきである。つまり一番目の要件は、システムが不確定な、つまり複雑な環境にさらされているということである。
- これを文字通り取ると、人間あるいはせいぜい霊長類の社会しか複雑系になりえないということになる。これでは狭すぎる。知性(intelligence)の語源は、「…の間から選ぶ」(inter+legere)という意味であるから、この要件は、システムに環境の複雑性を縮減する能力があるということを意味していると理解できる。
- 「局所的な情報」とは、地理的に限定されたという意味ではなくて、不完全な情報ということである。不完全な情報に基づいて、複雑性を縮減すると、その縮減そのものが複雑性を持ってしまう。
つまり、複雑系とは、複雑な環境にさらされつつ、その複雑性を縮減することを通して、自己自身を複雑にするシステムであるということになる。これはパラドキシカルに見えるが、エントロピーの減少がエントロピーの増大をもたらすというエントロピーの法則の特殊なケースと考えることができる。
4. 複雑性の縮減による複雑性の増大
「熱力学第二法則からエントロピーの法則へ」で、熱力学第2法則を説明するために、冷蔵庫の例を挙げたが、冷蔵庫は複雑系ではない。庫外の熱エントロピーを増大させはするものの、庫内の温度(エントロピー)は確定的に下げることができるからである。しかし情報システムの場合、システムと環境が物理的に分離されていないので、システムによる複雑性の縮減が、システムそれ自身の複雑性を増大させてしまうことが多い。f(x)=4x(1-x)というロジスティック写像では、当の関数が複雑性を縮減するわけだが、その複雑性の縮減がこの関数の値そのものを複雑にしている。
ロジスティック写像とよく似た複雑系に、伝言ゲームがある。あるうわさが、人から人へと言い伝えられるうちに、尾ひれがついて、最終的にはとんでもない誇張された内容になってしまうことはよくある。今あるメッセージが、コミュニティのメンバーの間で、同じ誇張変換を反復的に受けながら伝わっていくという単純化されたモデルを考えてみよう。これはロジスティック写像の自己指示的反復適用と同じことである。うわさを伝えるメンバーは、情報システムとして複雑性を縮減するわけだが、複雑性を縮減することによって、かえって情報の不確定性を増大させてしまう。関東大震災における朝鮮人虐殺事件は、うわさの流布が、社会的エントロピー(混乱)を増大させた好例である。
5. 複雑系とカオス
複雑系は、ロジスティック写像のように、単一系である必要はなく、むしろ多くは複数の変数を持つ複合系である。例えば、大気運動のカオスをモデル化したローレンツ方程式:
- dx/dt=-10x+10y
- dy/dt=28x-y-xz
- dz/dt=8/3z+xy
は、三つの変数から成り立っている。"dx/dt"は、変数xを時間で微分したもので、xが、時間とともにどう変化するかを示している。ローレンツアトラクタは、3次元空間の中で、不規則な軌跡を描く。
この軌跡はどの一点でも交わらないので、永久に不確定な振る舞いを続ける。ローレンツは「バタフライ効果」という言葉の発案者であるが、ローレンツアトラクタも、三つの変数の初期値をほんの少しでも変えてやるだけで、違った振る舞いを見せる。
ここで三つの変数の変化が、自己と他者によって決定されていることに注目したい。孫氏に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という言葉があるが、我々は普通自分の状態と他者の状態から自分の行為を決定する。だからローレンツ方程式は、例えば次のような三角関係にたとえることができる。今夫(xに相当)が自分の妻(zに相当)には関心がなく、隣の家の奥さん(yに相当)に強い関心を持ち、その奥さんは、彼の妻に気兼ねしつつ、彼に好意を抱いているとしよう。すると、ローレンツ方程式は、
- 夫の行為は、自分の気分と隣の奥さんの行為によって決まる。
- 隣の奥さんの行為は、自分の気分と隣のご主人と彼と妻の夫婦関係によって決まる。
- 妻の行為は、自分の気分と夫と隣の奥さんとの浮気関係によって決まる。
と解釈できる。相思相愛の男女の関係は安定しているが、三角関係となるとにわかに不安定になり、一定の状態に収斂することなく複雑な展開を続けることになる。よく「三角関係は複雑だ」と言われるが、複雑ということは予測不可能ということであり、そしてストーリーの展開が予測不可能だからこそ、視聴者を惹きつけるテレビドラマの主題にもなるのである。しかもシナリオライターには幸運なことに、初期条件を変えてやれば、バタフライ効果により、いくらでも違った展開のストーリーを生み出すことができるのである。
カオスの問題を最初に提起したのは、ポアンカレである。ポアンカレは、1887年のスウェーデン国王が出した懸賞問題「太陽系は定常な安定した存在であるか否か?」に対して、『三体問題と運動方程式について』という論文で、否と答えた。重力法則のもとにある二物体からなるシステムは周期的な運動をするが、三物体以上だと、周期性を示さずカオスになってしまうからである。三角関係は、社会学における三体問題だといってよい。
もちろん実際の社会では、自分の行為に影響を及ぼす他者は二人以上いる。各エージェントが「もしあの人がこう行為するならば、私はこう行為しよう」という予期の予期を相互に行っている複雑系の中では、そうした複雑性の縮減が、社会全体の複雑性を増大させている。行動科学が発達しても、人間行為の規則は、確定的非線形関数として定式化されないから、社会システムは、カオスとはいえないかもしれないが、複雑系であることは確かである。
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