5月 262001
 

小泉純一郎首相は、2001年5月23日、ハンセン病患者隔離政策を推進した政府の責任に加え、適切な立法措置を講じなかった国会の責任をも認めた熊本地裁判決に対して、控訴しないことを決断した。これでハンセン病患者の長い差別の歴史にピリオドが打たれることになったわけだが、なぜハンセン病患者は長い間差別され続けてきたのか。

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1898年ごろのタヒチでのライ病患者。

1. ハンセン病差別の歴史

2005年3月3日、日弁連法務研究財団は、ハンセン病問題に関する検証会議の最終報告書要約版を出した。

国家による都道府県レベルでの「無らい県運動」や地域社会におけるプライバシー無視の「入所勧奨」等を背景とする、ハンセン病に対する社会の恐怖・嫌悪感が、ハンセン病患者やその家族に対する差別・偏見として同者の就学・就業等の社会生活一般に障害・困難をもたらした

ハンセン病は、かつて癩(らい)と呼ばれた。癩菌の伝染力は弱いにもかかわらず、癩病患者は過剰に隔離され、穢多・非人と呼ばれた被差別部落の人々とともに差別されてきた[d]

[d] 本稿では、「癩」、「穢多」、「非人」など、今日では差別語と呼ばれる言葉を使うが、これは歴史学的考察では当時使われていた名称をそのまま使うことが望ましいからであって、差別を助長するためではないことをあらかじめお断りします。

その差別の歴史は、中世とともに始まる。密教を媒介にして、ヒンドゥー教の影響を受けた触穢思想の高まりとともに、癩者は最も穢れた存在(不可触賎民)として、家族を含めた一般共同社会から排除され、非人の頭であった長吏の支配下に置かれた。非人は、犯罪者の処刑を行うなど、「穢れた人間」を扱う職業集団だったからだ。

2. 境界上の両義的存在としてのケガレ

中世以来、非人とともに差別を受けたのは、「穢多」と呼ばれた、動物の死体処理を行う人々であった。明治以前の日本人は、動物の肉を原則として食べなかったが、斃牛馬を処理したり、獣皮を加工するといった仕事は必要であった。そうした仕事をする人々は、世界中に存在するが、日本ほど集中的に差別されてはいない。なぜ日本では、皮革業者は差別されたのか。

日本語の「穢れ(けがれ)」は「毛離れ(けがれ)」に由来する。動物を殺して皮革製品を作る際、動物の毛を剥がさなければいけない。かつて、毛は、動物の皮に生えた毛のみならず、大地に生えた作物をも意味した。その名残は、「不毛」「二毛作」といった名称に残っている。だから、毛が離る(かる)ことは、毛が枯る(かる)、つまり作物が枯れることを連想させた。このため、皮革業者たちは凶作をもたらすという迷信が生まれ、その意味で彼らは穢れが多いとみなされた[井沢 元彦:逆説の日本史〈12〉近世暁光―天下泰平と家康の謎, p.328-332]

拡大解釈した「毛」は、「気(け)」や「食(け)」と類似の観念であると解釈できる。白川氏は「気」を次のように解説している。

ものの内部から外にたちあらわれるもの。内部にある精気が外に発するようすをいう。[…]「食」と同じく乙類音であり、それらと同系の語と見られる。

[白川 静:字訓 新装普及版, p.316]

もちろん、「毛」も乙類音である。日本人は、作物や毛を大地や体の内部から精気が外にたちあらわれたものと感じていたのではないだろうか。だから、「ケガレ」は、「気枯れ」と解釈できる。

中世以来、ハレとケは、聖と俗として対立的に使われた。ケは、人間の生命力である気(ケ)が維持されている日常性のことで、病気(気止み)などで気が枯れ、死に近づくとケガレとなる。つまりケガレとは、生と死、ケとハレの境界上に存在し、かつそれをあいまいにする両義的存在なのである。

物質システムにおいても、情報システムにおいても、システムと環境の差異があいまいになることをエントロピーの増大という。システムにとって、公衆衛生上の汚染であれ、精神衛生上のケガレであれ、システムと環境を区別する境界をあいまいにすることはすべてエントロピーの増大なのである。そしてシステムは、境界上の両義的存在者を排除することによって、エントロピーを縮減しようとする。

なぜ、境界上の両義的存在者が、ケガレとして嫌悪されるのかと不思議に思う人は、完全な生と完全な死の中間状態を想像してみて欲しい。博物館などに展示されている完全に白骨化した骸骨なら直視できる人でも、半ば腐って悪臭を放ち、蛆虫がわいている死体を見ていると、嘔吐を催すのではないだろうか。同様に、成仏せずに地上をさまよう亡霊が写った心霊写真を見て、ぞっとしない人は少ない。

癩病にかぎらず、どんな病気も、生と死の境界上に位置付けられるし、現に一般に身体障害者は差別の対象になりやすいのだが、癩病は、皮膚にただれをもたらすので、触穢思想の格好の標的となってしまった。

中世では、非人や癩病者とともに、女性もケガレた存在と考えられた。これは、出産もまた生と非生の境界上の両義的出来事だからである。人間や家畜等の死体に接することが黒不浄と呼ばれたのに対して、出産の際の出血は赤不浄と呼ばれ忌避された。

現在でも、セックスシーンや出産シーンは、本物の殺人や死体の映像と同様に、テレビで放送することが憚れるタブーである。しかしそれらは同時に、エロスとタナトゥスという二大欲動の対象でもある。性器には、汚らしいと同時に魅惑的でもあるような両義性があるが、同じことは死についても言える。かつてローマ人は、剣奴が殺し合いをするのを観戦して興奮したものだが、それは強姦シーンを見て興奮するのとよく似ている。

3. 差別と排除は近代化と表裏一体である

話を非人と癩病者に戻そう。ケガレは、キヨメられると、ハレ(晴)と呼ばれる聖なる祝祭空間へと移行する。だから、生死の境界上の職業である非人が、嫌悪され、蔑視されたのとは対照的に、魂を完全に彼岸へと移行させる聖職者は、崇高な職業として尊敬された。

癩というケガレがハレになった日本の伝説として、光明皇后垢すり供養伝説と小栗判官伝説がある。前者は、非人千人に施浴する立願をした光明皇后の前に、全身に膿を持ち紫色に膨れた癩病者が来て、体中の膿を唇で吸い出して欲しいと申し出、皇后が膿を吸い出していると、みるみるその体は黄金色に輝き、阿釈迦如来となって飛び去ったという伝説である。後者は、毒酒を飲まされて死んだ小栗判官が、病み崩れた癩の身となってこの世に戻され、餓鬼阿弥と言われながらも妻のひく土車に乗せられ、熊野湯の峰に浴したところ、神々の功徳のおかげで、元の偉丈夫に戻ったという奇跡譚である。

日本においても、ヨーロッパにおいても、中世では、本来穢れた存在として忌避されるはずの賎民や癩病者は、神聖な存在としても感じられていた。さらに本来神聖な存在であるはずの王族が、血の純潔さを保つ近親相姦のゆえに、穢れた存在としても感じられていた。しかし中世が終わり、近代的な中央集権化が進むと、賎民や癩病者はたんなる穢れた存在として排除され、逆に絶対君主は純粋に神聖な存在として絶対的権力を持つようになる。そして日本でも、江戸時代から明治維新にいたる中央集権的絶対主義の成立過程で、賎民差別・癩病者差別・女性差別は強められていった。

読書案内
書名検証 ハンセン病史
媒体単行本
著者熊本日日新聞社
出版社と出版時期河出書房新社, 2004/03/11
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  2 コメント

  1. 穢れに関する考察、面白く読ませていただきました。
    ところで、『触穢思想』という文字を読むときにいつも思うのですが、
    何故、『穢れ』は『触れるとつく』のでしょうか?
    物理的な『汚れ』には、確かに触れるとつくものもありますが
    乾ききった染みのように、触れてもつかないものもあります。
    ヒンドゥー教に限らず、例えば小さな子供の苛めでも
    「○○君に触ったら、○○菌がつくぞー」
    という、典型的なフレーズがあります。
    不思議と穢れは、物理的に『触れる』ことがタブーになっている気がします。
    これは単に、ヒンドゥー教がたまたま穢れを、
    埃のような、触れたらつくタイプの汚れに見立てたために、
    その影響下にある文化では、同じような見立てを行うだけなのか、
    それともヒンドゥー教の影響が無くても、
    『穢れ』は普遍的に「触れるとつく」と感じられるものなのでしょうか?

  2. 平安時代の貴族は、穢れるという理由から、庶民とは同じ風呂には入ろうとしなかったそうです。ですから、必ずしも、直接的に触らなければ、それでよいということではなかったようです。

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