システム一般または学際的な主題に関する記事。
植物型情報システムの時代

動物の神経システムが求心的であるのに対して、植物の情報伝達システムは分散的である。従来のマスメディアが中央集権的に管理されているのに対して、インターネットは脱中心化されている。だから、マスコミに代わってインターネットが台頭しているということは、人類の情報システムが、動物型から植物型に移行しつつあるということである。なぜこのような現象がおきるのか、その時代背景を探ってみよう。
第一哲学としての一般システム論

生物学者のルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィが提唱した一般システム理論は、世間では哲学とは見なされていない。しかし、もしもアリストテレスが謂う所の第一哲学が、アリストテレスの時代にそうであったような万学の女王であろうとするなら、一般論としてのシステム論は、現代における第一哲学の一つの候補になりうる。このページでは、第一哲学としての一般システム論の構想を示すとともに、それがなぜ必要であるかを論じる。
私たちはどのようなシステムか

私たちは、生命システムであると同時に意識を持ったシステムでもあり、その意識システムは社会システムを形成している。このページでは、システムとは選択する機能であり、エントロピーを縮減する主体であるという定義に基づいて、生命システム、意識システム、社会システムがどのような意味でエントロピーを縮減する主体であるのかを説明したい。
地平線と境界線の違いは何か

地平線も境界線も、内と外を区別する、似たような線だと思うかもしれない。しかし、システム論的には、システムの境界が《否定の能力》によって形成されるのに対して、システムの地平は《能力の否定》によって形成されるので、両者は対照的な関係にある。
環境に適応するとはどういうことか

生物学や社会学でよく用いられる「環境に適応する」という表現は、システム論的に分析するならば、何を意味しているのか。たんに周りに合わせることが、環境に適応するということなのか。私は、そうではないと思う。
複雑性とは何か

自然科学における複雑系ブームのおかげで、あるいは社会学におけるルーマンのブームのおかげで、複雑性概念はポピュラーになった。しかし、多くの研究者は、複雑性とは何かに関して、漠然とした考えしか持っていない。複雑性と複合性の区別を通して、複雑性を厳密に定義したい。
複雑系としての社会システム

一般的に言って、社会科学は自然科学より厳密性を欠くので、社会科学者は自然科学にコンプレックスを感じている。その結果、自然科学の新しいパラダイムが現れると、それに追従しようとする社会科学者が必ず現れる。複雑系ブームの場合もしかりである。しかし社会システムを複雑系として扱う前に、それがいかなる意味で複雑系なのかを理解しておく必要がある。
複雑系の時代

複雑系という言葉が、ジャーナリスティックな流行語となったのは、1992年にミッチェル・ワールドロップの『複雑系』が出版されてからであり、それはちょうど、ソ連が崩壊し、世界が新たな時代を迎えようとする時だった。なぜ複雑系が流行したのか、その時代背景を探りたい。
環境適応と変化適応

現在の環境に適応しようとすると、変化に適応しにくくなる一方で、変化に適応しようとするならば、現在の特殊な環境に適応しにくくなる。スペシャリストかジェネラリストかという選択を迫られる時、あなたならどちらを選ぶか。
オートポイエーシスとは何か

オートポイエーシスは、もともと生物学から生まれた概念だが、哲学や社会学でもよく使われるようになった。オートポイエーシスとは何かを、自己組織化、自己指示、自己反省など隣接概念との意味の区別を通じて考えていきたい。
複雑系とは何か

複雑系とは、複雑な環境にさらされつつ、その複雑性を縮減することを通して、自己自身を複雑にするシステムである。これはパラドキシカルに見えるが、エントロピーの減少がエントロピーの増大をもたらすというエントロピーの法則の特殊なケースと考えることができる。
カオスと決定論

カオスは日本語の混沌に相当する。しかし、カオスはたんなる無秩序ではない。カオスとは何か。非線形で非決定論的であるにもかかわらず、なぜカオスは不可知論を帰結しないのかを考えよう。
システムとは何か

システムという言葉は、ギリシャ語の「結合する」という意味の語に由来する。だからシステムは、常識的には、結合された要素のまとまりとして定義されている。この定義は、システム/要素関係を全体/部分関係と同一視しているわけだが、システムは部分から合成された全体ではないし、ましてや全体と部分との空間的な包摂関係ではない。
ウォーラーステインの世界システム論

ウォーラーステインによると、これまで世界の歴史には、互酬的なミニシステム、再分配的な世界帝国、資本主義的な世界経済という三つの異なった種類の社会システムがあったが、現時点における唯一の現存するシステムである資本主義的な世界経済は危機に直面している。彼のこの認識は正しいのだろうか。このページでは、第一節としてミニシステムと世界帝国という前近代システムを、第二節として近代における世界経済を、第三節ではウォーラーステインが謂う所の近代世界システムの克服を取り上げたい。
道徳規範のシステム論的基礎付け

私たちは、子供のころから道徳を守るように教えられている。しかし、あらゆるものの根拠を疑うのが哲学の精神である。だから、あらためて「なぜ道徳的でなければならないのか」を問わなければならない。このページでは、この問いをシステム論の立場から答え、道徳規範の地平論的(第一節)、目的論的(第二節)、淘汰論的(第三節)な基礎付けを目指す。
機能的システム論と超越論的目的論

ルーマンは、1973年の著書『目的概念とシステム合理性』で、目的論的合理性とシステム合理性を区別し、彼の機能システム論を前者からではなくて後者から説明しようとする。通常我々は、「機能」と聞いて目的に対する手段的有用性を連想するし、「合理性」でもって最も適切な手段の選択を理解している。ルーマンは、なぜこのような伝統的な目的合理性による解釈を拒否するのか。このページでは以下、第一節で「機能」、第二節で「合理性」についてのルーマンの理解を検討し、第三節でシステムが目的論的合理性に基づかなければならないことを主張する。
ルーマンのシステム理論の問題点

今日社会システム論を論じる上で、ニクラス・ルーマンは避けて通ることはできない。このページでは、主著『社会システム論』を中心に、ルーマンのシステム論を検討しつつ、妥当性と規範についての問題を提起する。その際、ルーマンがシステム論的な術語で《複雑性》と名付ける不確定性をどう理解し、またシステムがそれをどのように確定化するかが問題となる。