5月 052001
 

資本および資本主義社会とは何か。社会主義経済は、近代資本主義経済と異なるのか。資本の概念は、社会学的にどこまで拡大できるのか。これらの問題をシステム論的に考えてみよう。

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1. 資本とは何か

資源を浪費すると、たんにエントロピーが増大するだけで、何の価値も生まない。しかし、資源を有効に活用すれば、エントロピーの増大が新たなネゲントロピーを生み出す。そして、資源が新たな資源を作り出すために使われるとき、その資源は資本と呼ばれる。

資本はそれが生み出す資本によって正当化される。生み出された資本もそれがさらに生み出す資本によって正当化される。自己言及的に自己自身を正当化し、自己自身を生み出すシステムという意味で、資本主義社会はオートポイエーシスである。

資本(capital)の語源は、ラテン語の頭(caput)である。ラテン語で家畜を意味する"pecus"が、貨幣や財産をあらわす"pecunia"のもとになっていることは興味深い。家畜の頭数が資本の大きさを表し、資本としての家畜は、子供を産むことにより自己増殖する。これが資本の原型的なイメージである。

2. 資本主義社会とは何か

資本主義社会とは、資本増殖のオートポイエーシスが自己目的化しているインフレ肯定型の社会である。こうした禁欲的な蓄積のための蓄積が「資本主義の精神」だ [マックス ヴェーバー:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神] とするならば、社会主義も一種の資本主義だということになる。ソ連の5カ年計画を見れば分かるように、社会主義諸国も、「生産力の増大」を自己目的的に目指していた。

社会主義(共産主義)と資本主義との違いは、市場経済を認めるか否かにあるのだが、語源的観点からすれば、資本主義的経済が市場原理に基づかなければならない必然性はない。近代は総じて資本主義の時代であったのであり、市場経済も社会主義経済も、特権階級が富を蕩尽して、生産力を増大させようとはしなかった前近代社会とは異なるという意味で同じ近代資本主義経済なのである。

岩井克人のように、資本主義経済と貨幣経済を同一視し、 [岩井 克人:貨幣論] 貨幣の死であるハイパーインフレを資本主義経済の死とみなす人もいる。しかし、貨幣経済は、資本主義が誕生するはるか前から存在しており、貨幣経済と資本主義経済を同一視するわけにはいかない。資本主義経済は、貨幣が少しずつ死ぬインフレにおいて成長するのであって、貨幣の価値が増えることで、縮小再生産が続くデフレこそ資本主義経済の死なのである。

3. 広義の資本主義社会

近代資本主義は、経済資本の拡大再生産を偏重するという点で特異であるが、資本の概念を広く取ることにより、資本主義をさらに一般化することができる。すなわち、資源に経済的、文化的、身体的、政治的資源があることに対応して、資本にも、経済資本、文化資本、身体資本、政治資本があると考えるわけである。

経済資本は、生み出された経済資本と生み出す能力としての経済資本に、そして後者はさらに、潜在的な才能(商才)としての経済資本と実用資格・事業成功の経歴・企業ブランドなどの顕在化した能力証明としての資本に分類できる。

文化資本も、同様に、生み出された学問的・芸術的作品、作品を作る潜在的な才能、学歴・賞・肩書きなど能力証明の三つに分類できる。

身体資本とは、健康な、体力のある身体、美しい容姿、行儀の良い身体的振る舞いなどで、身体的特徴の多くが遺伝することを考えれば、生み出す資本と生み出された資本を生殖において区別することができる。オリンピックのメダルや美人コンテストでの受賞などの顕在的能力証明は、身体の価値が下がった後でも、利益を生むのだから、潜在的才能との違いははっきりしている。

政治資本とは、敵以上に味方を作る戦略的能力であり、その能力が作り出す《味方×資本量の合計-敵×資本量の合計》の大きさである。政治家であってもなくても、人生で成功するには、この資本が必要である。公職選挙によって得られた公的な肩書きは、政治資本を獲得する能力を証明すると同時に、さらに政治資本を拡大再生産するための資本ともなる。

資本が同じ種類の資本を増殖させるために使われることもあるが、別の資本を作るために使われることもある。オリンピックで金メダルを獲得し、国民的英雄となった選手が、その知名度を利用して国会議員に当選し、その政治的権力を利用して資金を集め、その金を政治・経済の研究に使うとき、身体資本から政治資本を、政治資本から経済資本を、経済資本から文化資本を作り出していることになる。

読書案内
書名プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
媒体文庫
著者マックス ヴェーバー 他
出版社と出版時期岩波書店, 1989/01
書名貨幣論
媒体文庫
著者岩井 克人
出版社と出版時期筑摩書房, 1998/03
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  4 コメント

  1. > 資源を有効に活用すれば、エントロピーの増大が新たなネゲントロピーを生み出す。
    仕事柄、永井先生の理論の企業経営への適用を念頭に起きつつ読ませて頂いています。
    企業もシステムであるなら、利益や資本(金)や企業価値などの経営学の基本的な概念を、システム論的に考察することも可能だと思います。
    そこで非常に基本的な質問をさせて下さい。永井先生は、企業というシステムにおいては、一定期間内のネゲントロピーの増減量が、損益として貨幣単位で表されていると考えておられますか。

  2. ネゲントロピーというのは、マイナスのエントロピーですから、「ネゲントロピーの増減量」というのは迂遠な表現で、エントロピーの増加と減少が損益に対応しているという表現の方が、ストレートです。企業が作り出す価値は、エントロピーの増減によって決まりますが、その価値と貨幣によって表現される損益は、同じではありません。貨幣が表現する価格は、商品価値と貨幣価値の相関関係によって決まりますが、貨幣価値は一定でないので、商品価値が一定でも、貨幣価値の変動(インフレ・デフレ・為替変動)によって、価格が変動するからです。もう少し詳しく述べると、商品も貨幣も共に使用価値と希少価値を持ち、四つの価値の相関関係から価格が決定されるわけですが、その四つの価値は、すべてエントロピーによって説明されます。

  3. 「社会主義(共産主義)と資本主義との違いは、市場経済を認めるか否かにある」とありますが、私は社会主義(共産主義)とは、資本主義(生産手段の個人的独占による搾取を容認する社会)の矛盾を解決した社会(あるいはそれを目指す主義の社会)と理解しています。その立場からすると、社会主義と市場経済は対立した概念ではなく、両立しうる概念であると考えています。現在の日本やヨーロッパの資本主義社会は、民主主義の発達により混合経済社会となっており、生産手段は資本家の個人的所有となっておらず、また、国家(主権者である国民によって選ばれた)の介入や市民運動などにより、社会保障制度や労働者の福利厚生も「ある程度」発達して、マルクスらが資本論を書いたころより、社会主義に近い資本主義社会であると考えています。一般に破綻した「社会主義」を名乗る国家群は、国家の統制による生産手段の官僚独占体制を敷いた旧ソ連型の社会主義を真似た経済体制で、搾取のない、自由で公平な社会を目指す社会主義本来の目的を逸脱した社会だといえると思います。

  4. 「資本主義(生産手段の個人的独占による搾取を容認する社会)」とありますが、括弧の中の「生産手段の個人的独占による搾取を容認する社会」というのは、資本主義というよりも、北朝鮮のような独裁国家の説明としてふさわしいのではないでしょうか。社会主義あるいは共産主義の国では、個人である独裁者が「全人民」の名の下にすべての生産手段を独占し、人民を搾取していますから。市場経済(資本主義経済とは異なるものと理解してください)の場合、認められるのは、生産手段の私的所有であって、個人的独占ではありません。所有の主体は、個人だけでなく法人も可能ですが、独占や寡占は、市場競争を阻害するので、認められません。

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