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セーの法則

2002年7月19日

セーの法則とは、「供給はそれに等しい需要を作る」と定式化される販路法則のことで、フランスの経済学者セーにちなんでこう呼ばれる。ケインズは、セーの法則を信奉する経済学者たちをまとめて古典派と呼んで、その倒錯性を批判した。だから、セーの法則を肯定するか否定するかで、新古典派とケインジアンという現代経済学の二大学派が分類されるということになる。しかし、エントロピー経済学は、このセーの販路法則かそれともケインズの有効需要の原理かをめぐる対立地平を越えている。

Image by Steve Buissinne from Pixabay

1. エントロピー経済学の視点

供給が需要を作るのか、それとも需要が供給を作るのかと問う人は、供給と需要が異なることを暗黙の前提にしている。しかし、エントロピーの観点からすれば、供給と需要、すなわち生産と消費は決して別個の行為ではない。私たちが、生産あるいは消費と呼んでいる活動は、すべて環境におけるエントロピーを増大させることによってシステムのエントロピーを減らす、ネゲントロピー創出活動である。

ネゲントロピーを創出すると言っても、エントロピーの法則により、増大するエントロピー以上のネゲントロピーを作り出すことは不可能なので、厳密な意味での生産活動はありえない。実際には大赤字なのに、政府からの補助金のおかげで、黒字経営のように見せかけている特殊法人があれば、「そのような企業は生産活動をしているとは言い難い」と非難されるにちがいない。しかし、エントロピーの観点から見れば、すべての企業は、見せかけの黒字経営をしているに過ぎない赤字企業である。ただし、その場合、補助金を出してくれる「政府」は太陽だ。蓋し、再配分経済において、権力者が太陽に喩えられる所以である。

もっとも、だからと言って、資源を浪費してかまわないということにはならない。私たちは、たんなるエントロピーの増大ではなく、部分的なエントロピーの減少を目指さなければならない。だが、両者は、消費と生産の関係にあるわけではなく、消費と生産における失敗と成功の関係にある。だからたんなるエントロピーの増大か否かは生産と消費の区別には役立たない。

2. 生産即消費・消費即生産

エントロピーという概念を持ち出すまでもなく、生産即消費・消費即生産というテーゼを容易に理解することができる。消費者と一般に思われている個人は、労働市場における生産者(供給サイド)であり、生産者と一般に思われている企業は、中間財市場や労働市場における消費者(需要サイド)である。セーの法則は、生産者が販売で得たお金はいずれ消費に使われるという意味で「供給はそれに等しい需要を作る」と主張するのだが、「いずれは消費される」のではなく、生産活動が即消費なのだ。

生産即消費・消費即生産のテーゼは、所謂三面等価の原則とも異なる。三面等価の原則とは、国民の総生産・総所得・総支出が常に等しくなる原則のことだが、これは交換で動いたお金と売り手が受け取ったお金と買い手が支払ったお金が等しいということを言っているだけで、たんに同じ出来事を三つの視点から眺めて記述しただけである。つまり、一つの交換は、売り手から見れば生産で、買い手から見れば消費ということではなくて、売ることも買うことも生産即消費・消費即生産ということなのだ。

ケインズは、セーの法則を批判して、総需要管理を説くのだが、私たちがケインジアンという言葉から人々が連想する公共事業による景気対策も、政府が主体となってインフラを整備するという点でも、労働者が労働力を売るという点でも、常識的な意味での生産であって、消費ではない。もちろん政府が公共事業を行えば、雇用が増えて失業者が減り、個人消費が増えるだろうが、それはまさに「供給はそれに等しい需要を作る」というセーの法則どおりの現象である。

3. 新古典派とケインジアンの違いは何か

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セー(Jean-baptiste Say 左の写真)とケインズ(John Maynard Keynes 右の写真)。ケインズの代表作『雇用・利子および貨幣の一般理論』(The General Theory of Employment, Interest, and Money)は「セーの法則」の批判から始まっている。

供給が需要を決めるのか、それとも需要が供給を決めるのかが重要な対立点でないとするならば、新古典派とケインジアンとの本当の対立点はどこにあるのか。それは、供給が過剰になったとき、市場経済に需給ギャップを自立的に埋める能力があるのか、それとも政府による裁量的な介入が必要であるのか、つまり小さな政府か大きな政府かという点である。景気対策として減税と公共投資の拡大のどちらが望ましいかをめぐるサプライ・サイド・エコノミーとデマンド・サイド・エコノミーの対立においても、供給が先か需要が先かが争点なのではなくて、成長の牽引役が民間なのか政府なのかが重要な争点になっている。