エントロピーの理論(35)なぜ戦争は起きるのか

2016年5月17日

戦争は、通常政治的な現象だと考えられている。民族や宗教やイデオロギーの対立から戦争が起きるとか、石油を手に入れるために戦争が起きるとか、そうした通俗的な説明に満足している限り、近代の戦争の本質を理解することはできないし、戦争を防ぐ有効な手段をも見つけることができない。

image

注意:小学生は、このページではなくて、「なぜ戦争が起きるのか(小学生向け)」を読んでください。

1. 不足の危機と余剰の危機

現代の資本主義社会にとってインフレよりもデフレの方が脅威であると前章の第1節で書いた。1973年のオイルショックをきっかけに顕在化したインフレは、確かに生活苦を私たちにもたらしたが、1990年のバブル崩壊後に顕在化したデフレは、それ以上に悩ましい生活不安を私たちにもたらした。一般に、社会が危機に直面すると、生き残りのための革命が起きるが、こうした現象は現代資本主義社会では、資源インフレ=貨幣デフレから脱却する局面で見られる。この意味で、現代資本主義社会の危機は資源余剰の危機であると言うことができる。

他方、産業革命以前の前資本主義社会は、前章で見たとおり、太陽黒点数が減少する資源デフレの時期に、飢餓の危機に直面し、そしてその危機を乗り越えるために、政治的革命(集権化)と経済的革命(技術革新)を断行する。この意味で、前資本主義社会の危機は資源不足の危機であると言うことができる。

では、なぜ現代資本主義社会の悩みの種が豊作貧乏で、前資本主義社会の悩みの種はその反対(凶作貧乏とでも名付けよう)なのか。それは、資本主義社会が、大量生産のメカニズムを持ち、投機的な思惑から、消費しきれないほどの大量のストックを作り出してしまうからである。資本主義社会が文字通りのストック型経済であるのに対して、前資本主義社会はフロー型経済である。満腹のライオンは、おいしそうなシマウマが目の前を通っても、将来の飢えに備えて、それを捕獲し、貯蓄するといったことはしない。同様に、前資本主義社会は、消費しきれないほどの大量のストックを作り出して、ためこむということはあまりしない。

資本主義社会と前資本主義社会とでは、その存立を脅かす危機の種類が異なるので、危機を克服するための戦争の種類も異なってくる。前資本主義社会の戦争には、凶作貧乏から脱却するために行われるディスインフレ型戦争が多いのに対して、資本主義社会の戦争には、豊作貧乏から脱却するために行われるリフレ型戦争が多い。

2. ディスインフレ型の戦争

このタイプの戦争は、前資本主義的段階の人類だけでなく、動物どうしの間にも見られる。鷹は雛を2羽産むが、餌が少ない時は、強い雛が弱い雛をつついて殺す。縄張りとメスをめぐる死闘もよく起こる。このように、希少な資源を奪い合う戦争が、ディスインフレ型の戦争である。現在、少なくとも、先進国は、もはやディスインフレ型の戦争をしなくなったが、貧しい発展途上国に関しては、その限りではない。

ディスインフレ型の戦争は、資源が少なくて人間が多いために起きる。だから、リフレ型の戦争とは逆に、資源の破壊ではなくて、人間の破壊に重点が置かれる。その結果、例えば、リフレ型の戦争と比べて、ディスインフレ型の戦争では、使用火薬量に対する戦死者数の割合が高い。資源の獲得が目的であるから、敵が所有していた資源(土地を含む)を戦利品として略奪することが頻発し、かつ容認されている。捕虜は、戦勝者のために資源を生産する奴隷として使役されたり、それができない場合には殺されたりすることが多い。

3. リフレ型の戦争

このタイプの戦争は、現代の人間社会という、財の生産能力が過剰になった特殊な社会が行う戦争で、通常の動物から見れば、贅沢な戦争である。「リフレ」という名称からわかるように、この種の戦争は、デフレの底からスタートして、インフレの頂点に達するまで行われる。このことを、金利と物価のサイクルであるコンドラチェフ・サイクルで確かめてみよう。金利と物価が最も上昇したインフレの頂を山、最も下降したデフレの底を谷と表記すると、以下のように、資本主義が成立してから、谷から山に向かうリフレーションの時期に戦争が頻発し、山から谷に向かうディスインフレの時期には平和な時期が多いことがわかる。

デフレは、バブルの崩壊によって起きる。そしてリフレ型の戦争は、バブル的な過剰投資によって生まれた過剰在庫・過剰設備・過剰人員・過剰債務を削減することを目指す公共事業である。もちろん、日本のように、戦争しないことを国是とする国は、もっと平和的な公共事業で、デフレからの脱却を図ろうとする。しかし、90年代の日本の公共投資を見ればわかるように、平和的な公共事業は、うまく行かないことが多い。それには、いくつか理由がある。

平和的な公共事業は、労働需要を増やし、労働者の可処分所得を増やすことで消費財需要を拡大することが期待されるが、公共事業自体があくまでも生産活動なので、過剰設備をさらに過剰にすることにもなりかねない。結果として、物価の上昇にはあまり効果がない。これに対して、戦争は資源の潰し合いだから、もっとドラスティックに在庫と設備の過剰を解消してくれる。また、流通の麻痺による供給不足は物価を急騰させてくれる。

平和的な公共事業のもう一つの欠陥は、公共事業を行う公務員に当事者意識がなく、公共投資の投資効率は、民間投資のそれと比べて、かなり低い。そのため、デフレで低くなった金利をさらに低くすることにもなりかねない。しかし、戦争は、国家の存続を賭けて行われるのだから、政府に効率を上げようとする強い当事者意識を与えることができる。

もう一つ、これは精神的なことだが、公共事業は内向きの投資であるため、投資対象や投資額などに関して、野党の反対を受け、中途半端な規模で中断されることが多い。これに対して、戦争は、外部に敵を設定するわけだから、カタルシス効果が期待でき、挙国一致で大規模な予算を組むことができる。

4. アメリカの戦争ケインズ主義

こうしたことから、アメリカ合衆国のような国は、デフレから脱却するために、平和的な公共事業よりも、戦争を好んでする。もちろん、国際的な・国内的な承認を得るためには、景気対策とは別に、戦争の大義名分を捏造しなければならないし、場合によっては、自国を被害者の立場におく演出も必要である。

その典型が、太平洋戦争であって、よく知られているように、フランクリン・ルーズベルトは、ニューディールと呼ばれる、平和的なケインズ的財政政策を実行しようとしたが、国内の反対派と妥協した結果、積極財政は中途半端な形でしか実行されなかった。特に38年には、政府債務の累積を憂慮する財政均衡主義者の声に押されて、連邦支出を削減した結果、GNPは6.3%減少し、純投資も46億ドルの黒字から66億ドルの赤字に転落し、失業率は14.3%から19.1%にまで上昇した。

そこで、ルーズベルトは、国外にスケープゴートを見つけ、それを叩くことでアメリカ国民を一致団結させ、無制限な財政支出を可能にしようとした。そして、選ばれたスケープゴートが、日本だった。ルーズベルトの策略は、日本にパール・ハーバーを奇襲攻撃させ、それまで第2次世界大戦への参戦に反対していた国民の世論を変えることに成功した。議会はほぼ満場一致で対日参戦に賛成し、アメリカ連邦政府の財政支出が、真珠湾攻撃の年、1941年には205億ドル、42年には516億ドル、43年には851億ドル、44年には955億ドルと無制限に増えていっても、誰も文句を言わなくなった。

この挙国一致の戦争ケインズ主義のおかげで、アメリカは恐慌から脱出することができた。国民は、積極的に兵役に志願し、失業問題も解消した。戦争が、過剰人員の削減に効果があるとはいっても、それは、兵役によって失業者を吸収するという方法によってであって、兵士を戦場で殺すという方法によってではない。確かに、働き盛りの兵士に殺し合いをしてもらえば、労働市場における供給過剰を削減することができるかもしれないが、兵士となることができる働き盛りも消費者の一部であるから、デフレ解消という点では逆効果の面もある。

5. リフレ型戦争の特徴

それゆえ、近年のアメリカのアフガニスタンやイラクへの攻撃を見てもわかるように、現代のリフレ型戦争では、軍事施設の破壊が主で兵士の殺戮は従である。特に、純粋な消費者である女性や子供を殺したりすると、たとえそれが誤爆によるものであっても、国際社会の強い非難を浴びるようになったが、それは、ヒューマニズムの精神や人権意識の向上の結果というよりも、デフレからの脱却というリフレ型戦争の本来の趣旨に反するからである。

リフレ型の戦争のもう一つの重要な機能は、インフレにより貨幣価値を減価させ、過剰債務を軽くするということである。しばしば、不良債権はデフレの原因であるという人がいるが、これは因果関係が逆であって、デフレが原因で不良債権が増えるのである。その証拠に、リフレ政策なしで不良債権を処理しようとすると、不良債権は逆に増えてしまう。不良債権を処理する1番良い方法は、経済をインフレにすることである。

6. ユニフォーム原因論批判

こうした戦争の経済学的説明に違和感を持つ人も多いかもしれないが、しばしば戦争の原因として取り上げられる戦争の政治的文化的側面は、あくまでも表層的な意識に現れる結果現象に過ぎず、経済的な均衡回復こそ原因として実際に戦争を動かす深層の構造である。だから、「民族・人種・宗教・イデオロギーの対立から戦争が起きる」という通俗的戦争論は皮相である。

戦争における民族・人種・宗教・イデオロギーといった差異化の記号は、サッカーの試合における選手のユニフォームに喩えることができる。ユニフォームを着ないと、誰が敵で誰が味方かわからなくなってしまう。その意味で、試合を戦うには、ユニフォームが必要である。しかしだからといって、「選手は、ユニフォームが原因で戦っている」と言えるだろうか。もちろん、相手のチームが憎くなると、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の論理で、ユニフォームの色までが憎くなるかもしれない。しかしそれは、結果として起きることであって、決して原因ではない。

戦争の原因をどう認識するかは、戦争の防止策にも違いをもたらす。平和論者の中には「民族・人種・宗教・イデオロギーの対立から戦争が起きる」というユニフォーム原因論に基づいて、「自分と異なる価値を理解する多元的価値観を持ちなさい」、「国際交流を通じて相互理解を深めなさい」、「かつて戦争した民族と同じ歴史認識を共有しなさい」としたり顔でお説教を垂れる人がいるが、このような方法で戦争がなくなるわけがない。実際、日本のような民族・人種・宗教・イデオロギーの対立がほとんどない島国の内部でも、有史以来多くの戦争が起きたではないか。

そもそも、自分と他者が異質であるという理由だけで、なぜ多大な犠牲を払ってまで戦争をしなければならないのか。ユニフォーム原因論では、これが説明できない。したがって、ユニフォーム原因論者にとって、戦争は不可解なものに見える。ユニフォーム原因論者は、しばしば「戦争は愚かだ」と嘆くが、そういう人は、戦争の愚かさと思えたものが、実は自分の愚かさではないのかと疑ってみる必要がある。

戦争は合理的な経済の法則に従って起きる。だからといって、私は、日本はデフレから脱出するために戦争をするべきだと主張しているわけではない。デフレから脱却するには、もっと弊害のない平和的な方法がある。それを説明する前に、戦争とマネーサプライの関係について論じなければならない。

読書案内
書名 コンドラチエフ波動のメカニズム―金利予測の基礎理論
媒体 単行本
著者 安宅川 佳之
出版社と出版時期 ミネルヴァ書房, 2000/12