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浦島物語の起源は何か

2004年3月1日

浦島太郎の物語のモデルは何だったのか。乙姫様がいた竜宮に、なぜ竜はいなかったのか。そして竜宮という理想郷は、なぜ天の上ではなくて、海の中にあったのか。ジェンダー論の観点から考えてみよう[1]

カメの写真

1. 浦島伝説に関する様々な説

日本人なら誰でも浦島太郎の物語を知っているはずだ。忘れてしまった人は、小学校の頃歌ったであろうこの歌(1911年に文部省が作った尋常小学唱歌)を歌って、思い出して欲しい。

昔々浦島は
助けた亀に連れられて
竜宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ

乙姫様のごちそうに
鯛やひらめの舞踊
ただ珍しくおもしろく
月日のたつのも夢の中

遊びにあきて気がついて
おいとまごいもそこそこに
帰る途中のたのしみは
みやげにもらった玉手箱

帰って見ればこはいかに
もといた家も村もなく
みちに行きあう人々は
顔も知らない者ばかり

こころぼそさにふた取れば
あけて悔しき玉手箱
中からぱっと白けむり
たちまち太郎はおじいさん

浦島の話は、8世紀の文献である『日本書紀』や『丹後国風土記』に登場するのが最も古い。「浦島太郎」は「浦嶋子」、「竜宮城」は「蓬莱山(とこよのくに)」、「玉手箱」は「玉匣(たまくしげ=化粧箱)」と呼ばれているが、『丹後国風土記』の逸文に描かれているあらすじは、現在に伝わる浦島物語とほぼ同じである。ただ、冒頭に動物報恩譚がないこと、玉匣を開けると、浦嶋子が「風雲のむた翩りて蒼天に飛びゆきぬ(風雲と共に天に飛び去った)」となっていることなどの相違点もある。

8世紀に書かれた浦島物語は、7世紀末の日本の文人、伊預部馬養による創作と考える人がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する人もいる。フジテレビの番組「奇跡体験!アンビリーバボー」は、2000年9月14日に、浦島伝説は、日本から南東へ3700キロ離れたところにあるミクロネシアのポナペ島に潮流で漂着して、そこから帰還した漁師の体験が元になった話だという説を放送した。

この番組によると、ポナペ島南東の海底に、「聖なる都市」という意味のカーニムエイソという海域があり、そこでは、強い磁気のおかげで時間の感覚がなくなってしまうとのことである。この強い磁場を取り囲むように、高さ5mほどの丸い石柱19本が海底に建てられており、さながら海底都市の遺跡のような外観を呈している。さらに、この地域には、次のような伝説がある。

昔、ある男が、海を泳いでいると亀に出会い、泳いで付いて行くとカーニムエイソの海底都市を見つけた。彼は、カーニムエイソでの体験を絶対話してはいけないと言われたにもかかわらず、地上に戻ると、周りの人たちにこのことを話してしまった。すると、その瞬間、男は死んでしまった。

口を開けて秘密を外に漏らしたことが、玉手箱を開けてしまったことに相当するというわけだ [2]

もっとも、ポナペ島は日本から遠すぎて、『丹後国風土記』の逸文が伝えるように、三日では漂着できない。日本にもっと近いところでは、琉球諸島(特に、八重山列島)が伝説発祥の地として有力視されている。折口信夫によると、海の彼方あるいは海底に「ニライカナイ」という異郷の浄土があって、そこから神(まれびと)が現れ、現世の地上の人々を訪れるという信仰が琉球諸島にある[3]

この信仰のためなのか、琉球諸島では、浜辺を訪れる亀は神として大切にされている。「ニライカナイ」は、本土の言葉で言えば、常世(とこよ)に相当する、時間を超越した理想郷であり、竜宮城の条件を満たしている。そして、1995年には、竜宮城にふさわしい海底遺跡が与那国島近海で発見された。

グラハム・ハンコックによれば、与那国海底遺跡は、1万年以上前に存在した超古代文明によって造られ、氷河時代の終わりに世界を襲った大洪水で水没し、遺棄された巨石建築物である[4]。本当に人間が作ったものかどうかは別として、あの幻想的な石造物が宮殿のように見えることは確かであり、たまたまこれを水中で見つけた昔の琉球の人が、その神秘的な体験からニライカナイ伝説を作り出したという仮説を考えることもできる。

2. 浦島伝説の起源は中国にある

以上のミクロネシア起源説と琉球諸島起源説は、どちらも、浦島の話が日本特有であり、日本人のある実体験に基づいているはずだという前提の下で出されている。ところが、実は、浦島物語とそっくりの民話が中国にある[5]。いろいろなバリエーションがあるが、一番日本のものと近いのは、「洞庭湖の竜女」と呼ばれている、長江流域に伝わる、次のような話である。

昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。

漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。

この話は、六朝時代に編集された『拾遺記』にあるのだが、『拾遺記』は、その原本が東晋の時代(5世紀以前)に書かれわけだから、『日本書紀』や『丹後国風土記』よりもずっと古い。だから、中国南部にあった民間伝承が日本に伝わり、それを伊預部馬養が日本風にアレンジして、史実であるかのように書き記したと考えることができる。実際、『日本書紀』や『丹後国風土記』に書かれている浦島伝説には、「蓬莱山」、「仙都」、「神仙の堺」など、中国の神仙説話から影響を受けたことを示す言葉が使われている。

日本の浦島物語の直接の起源は、洞庭湖周辺の長江流域にあると私は考えている。だが、この程度の結論で満足してはいけない。なぜ竜宮伝説が生まれ、それが日本に受け入れられ、広まったのかをさらに問わなければならない。日本の浦島物語には竜が登場しないのに、なぜ乙姫様の住居は竜宮なのか。なぜ楽園が天の上ではなくて、水の中にあるのか。これらがわかっていなければ、浦島物語の本当の意味を理解することはできない。

3. 地母神崇拝と竜信仰

中国では、古来、竜は、蛇と同様に、川、湖、海、雨、虹など、水とかかわりを持つ神として認識されている。竜の体は、明らかに蛇の形をしている。ヨーロッパの竜、ドラゴンも、蛇を意味するギリシャ語、ドラコーンを語源としている。文明以前の母権制社会では、蛇は、母なる大地を這うように流れる川と似ていることから、地母神の化身として、世界的に広く崇拝されていた[6]。他方で、川が注ぎ込むところの湖や海も、地母神の羊水として神聖視された[*]

[*] 漢字の「海」の旁は、髪飾りの付いた母(毎)である。日本語の「うみ」は、「産む」に通じる。ラテン語でも、母(mater)は海(mare)と語源的に近い。次のようなメソポタミア文明と日本とのつながりも興味深い。

  1. “Ugu”シュメール語の「産む」→“Umu”シュメール語の「産む・母」→日本語の「産む」/「海」
  2. “Ama”シュメール語の「母」/中国広東語の「母」→“Anma”沖縄方言の「母・女性」→日本語の「あま(尼・天)」

高天原(たかまがはら)は、「タカ」、「アマ」、「ハラ」の三つの言葉から成り立っている。「タカ」は高貴であることを、「アマ」は女性あるいは母を、「ハラ」は腹を意味すると考えれば、高天原とは、聖母の母胎のメタファーで、高天原からの天孫の降臨とは、天皇の祖先(瓊瓊杵)が、聖母である日御子(台与)から生まれたことを意味していることになる。

では、蛇(竜)には、なぜ雨を降らさせる力があるのか。古代の人は、父なる天が母なる大地に雨を精液としてかけることで、地上の生命が育まれると想像していた。そして、男に射精をさせることができるのは、女である。日本では、かつて雨乞いの儀式として、女相撲という見世物が催された[7]。女を裸にし、エロティックな相撲をさせれば、それを見た父なる天は、実りの雨を降らせるだろうという思惑からなされたに違いない。だから、雨乞いに際して、男神ではなくて、女神である蛇(竜)に頼るということは、理屈に合うことなのだ[8]

中国の竜は、水の中に潜んでいるだけでなく、空を駆け上がることがあるが、これのモデルは、雨が降った後に現れる虹である。虹は、太陽の光が空気中の水滴の中で反射・屈折することによって生じるのだから、男性的性格を持つはずなのだが、未開社会の人には、そうした物理学的知識はなかったようで、竜は、たとえ空を飛んだとしても、男性原理ではなくて、女性原理に属すると思念された。後に男の竜、竜王という概念が出てくるが、地母神崇拝の時代においては、竜や蛇は母なる存在であったと考えて大過ない。

古代の日本人は、蛇を「ハハ」または「カカ」と呼んでいた[9]。古代の日本語には、K音とH音の区別がなかったので、両者は同じ言葉である。今でも、青大将のことを「山カガシ」あるいは「山カカ」と言ったりする。「山ハハ」の方は、「山の神」という意味を保持しつつ、「山姥(やまんば)」に転訛した。それにしても、後に母を意味するようになる言葉が、かつて蛇を指す言葉として使われていたことは注目すべきことである。現代人には「カカ」はなじみがないかもしれないが、江戸時代の武士は、現代人のように「おかあさん」ではなくて、「おかかさま」という呼び名を使っていた。現在では、「嚊天下(かかあでんか)」などに過去の形が残っている。

4. 古代における地母神崇拝

以上の語源的解釈からも窺うことができるように、古代の日本人は、蛇を自分たちの母とみなしていた。特に縄文時代の日本人は、蛇を自分たちの祖先、すなわちトーテムとして崇めていたようだ。縄文時代の土器には、縄で文様が付けられているが、それは土器に蛇の模様を施すためだった。だから、縄文時代は蛇文時代なのだ。直接蛇の飾りを付けた土器もたくさん出土している。

縄文時代の遺跡から出土するほとんどの土偶に乳房が付いていることから、縄文人が地母神信仰を持っていたことがわかる。頭上に蛇を載せた土偶も見つかっている[10]が、これは、東地中海で、地母神として崇拝されていたメデューサを連想させる、蛇と一体になった地母神の偶像である。この他、ギリシャ、エジプト、メソポタミア、インド、カンボジアなどでも、かつては、蛇が太母として崇められていた。

竜の信仰も蛇の信仰と大きくは異ならない。中国では、6000年以上も前の遺跡から、竜を模った玉器が発掘されているのだが、最初期の竜は、豚の頭と蛇の胴体が合体した形をしている。水の神である蛇が農耕と関係があるとするならば、豚は牧畜と関係がありそうだ。獣と蛇を合成して作られた竜に、当時の中国人は、農耕と牧畜の豊作を願ったのではないだろうか。

竜は、人類に豊かな自然の恵みをもたらすグレート・マザーの化身であり、文明以前の人類は、幼児が母親にすがるように、グレート・マザーに帰依していた。しかし、都市文明の誕生とともに、人類の関心は、ファルス的な父親に向かう。中国最初の都市文明である長江文明では、太陽と一体になった雄鶏とムカデのような蛇を描いた、龍鳳文化のルーツのような造形品が出土している[11]。雄鶏は、オスであるという属性以外に、鳴き声によって日の出をもたらすという属性を持つので、陽(男性原理)の象徴である。雄鶏はムカデに強く、ムカデは蛇に強いので、雄鶏とムカデのような蛇の組み合わせは、女性原理に対する男性原理の優位を意味しているのかもしれない。

中国の龍には、角が生えているが、これは、中国の伝承によれば、雄鶏の角(実際にはトサカ)を盗んだものだとされている。他方で、男性原理を象徴する鳥のほうも、雄鶏が蛇の首を持つことで鳳凰になるなど、中国では、陰陽が調和する中庸の理想のもと、女性原理と男性原理が対立することなく、融合していった。その結果、雨を降らさせる女神ではなくて、雨を降らす男神としての竜、竜王が登場し、竜女は竜王の娘とされるようになった。しかし、竜が最初から男だったとは考えられない。

5. 西洋における地母神の没落

竜は、西洋では東洋と対照的な運命をたどる。男性崇拝の宗教であるユダヤ教やキリスト教の登場により、女性原理の象徴である蛇や竜には、最低の価値が与えられるようになる。蛇のおかげで原罪を犯したアダムとイヴの物語、ドラゴン退治をする大天使ミカエルの物語などを思い起こすまでもなく、聖書においては、蛇とドラゴンは常に悪役を演じている。

蛇は、母なる大地にべったりとくっついている。そして、母なる大地からどれだけ距離を置いているかという基準に従って、蛇など地を這う動物<四肢の獣<二足歩行の人間<天使<天上界の神という価値のヒエラルキーができる。こう言うと、「では鳥は人間よりも上の存在なのか」とつっこむ人もいるだろう。もちろんそんなことはないのだが、ただ、天使は翼が生えた鳥のイメージで描かれているので、キリスト教での鳥のステータスは高いと言うことができる。ドラゴンと闘う大天使ミカエルは、ヘビを捕まえて食べる猛禽類の鳥をモデルにしているに違いない。

キリスト教が支配する前は、ヨーロッパ人も地母神を崇拝していた。旧石器時代の洞窟壁画は、洞窟が地母神の子宮として神聖視されていたことを示している。男尊女卑の宗教であるキリスト教が普及するにつれて、神聖な地下の世界は、恐怖に満ちた地獄へと、トーテムとして崇拝された動物は、人間以下の野蛮な存在へと、頭に蛇を載せた地母神であるメデューサは、見たものを石に変える恐ろしい怪物へと、豊穣の神だったドラゴンは、悪魔的な堕天使へと、薬草の知識で尊敬された女呪医は、火炙りにするべき魔女へと貶められていった。

西洋では、男性原理が女性原理を抑圧し、東洋では、男性原理が女性原理を吸収した。日本では、ユーラシア大陸と比べると、男性原理は未熟で、あたかもエディプス・コンプレックスの一歩手前で成長を止めたかのような幼児的精神文化が今日に至るまで続いている。そして、日本で浦島物語がポピュラーであることは、日本の精神文化が母子密着型であることと関係がある。

6. 竜宮伝説における胎内回帰願望

竜宮伝説において、竜女は母で、水は羊水で、竜宮は子宮である。だから、水底にある竜宮へ行くことは、胎内回帰を意味する。母のもとへ帰ることが、竜宮伝説で繰り返されるテーマなのだ。実は、『拾遺記』に記録されている最初の竜宮伝説の舞台は、洞庭湖ではなくて洞庭山で、竜宮は洞窟の中にある。しかし、これは重要な違いではない。どちらも地母神の子宮であることに変わりがないからだ。日本の竜宮伝説にも、竜宮が地中の中にあるとするヴァージョンがある。

日本の標準的な浦島物語には、竜宮が亀宮になっていないにもかかわらず、竜女が亀姫になっているという不徹底な変更が加えられているが、この変更も、あまり本質的ではない。亀は、甲羅を背負っているところから、母なる大地を背負う神として考えられていた。ただ、亀は大地の象徴で、蛇は川の象徴という明確な区別があるわけではない。亀が水棲の動物で、蛇は陸棲の動物であるため、容易に混同が起きる。四神獣の一つである玄武は、亀と蛇を合成した空想上の動物で、日本でも亀蛇(がめ)の信仰がある。

琉球諸島に伝わる浦島説話では、水際に漂う長い髪の毛三本を拾って、持ち主である美女に返してやったところ、お返しとして、竜宮に連れて行ってもらうという筋書になっている。水中にたゆたう女の長い髪の毛は、明らかに竜をイメージしたものだ。竜女のイメージを残しているという点で、沖縄版は、中国版と日本版の中間的性格を持っており、浦島物語が長江流域から琉球諸島を経て日本に伝わったというルートを推測させる。

浦島物語に登場する乙姫様は、自分が生まれた時の、まだ若くて美しい、理想化された母の姿である。若かった頃の母の胎内に戻り、あらゆる世俗的な穢れと憂いから免れた子宮の中で、時間が経つのも忘れるような母子一体の至福を楽しむ夢を見ていて、ふと我に返ると、もうこの世には母がおらず、年老いた自分一人が取り残されている現実を思い知らされる。開けてはいけない玉手箱とは、一度出てしまうと、二度と戻れない子宮のメタファーと考えることができる。浦島物語は、胎内回帰の幻想(womb fantasy)と幻滅を物語っていたのだ。

近年、日本では、海などに散骨する自然葬がブームになっている。これまで自然葬は、墓地埋葬法違反に当たるとして禁止されてきたが、法務省が「節度をもって行われる限り問題はない」という見解を出して容認したため、海への散骨が増えている。古来、日本では、海は母の国と言われてきた。海への散骨で「母なる海に戻りたい」という人が多いということは、海に対して、ノスタルジックな胎内回帰願望を持つ日本人が少なくないということである。

7. 参照情報

  1. 本稿は、2004年3月1日のメルマガ記事を改訂したものだが、このテーマでの私の議論は、その後単行本化された。永井俊哉.『浦島伝説の謎を解く』2017/08/11. を併せて読んでいただければ幸いである。
  2. フジテレビ.「浦島太郎伝説の真実」.『奇跡体験!アンビリーバボー』100回記念スペシャル. September 14th, 2000.
  3. 折口 信夫.「妣が国へ・常世へ」in『古代研究〈1〉祭りの発生』. 中央公論新社 (2002/8/1).
  4. Hancock, Graham. Underworld: The Mysterious Origins of Civilization. Toronto: Doubleday Canada, 2002. Part.6. Japan, Taiwan, China. グラハム・ハンコック.『神々の世界 (下)』小学館 (2002/10/1).
  5. 君島 久子. 月をかじる犬―中国の民話』. 筑摩書房 (1984/07).
  6. 多くの蛇信仰の研究者は、脱皮する蛇は永遠の生命の象徴であるから、世界的に蛇は神として崇められると説明する。だが、脱皮する動物は蛇だけではない。他の爬虫類や両生類や節足動物も脱皮する。蛇の脱皮は全身のつながった抜け殻を残すことで有名だが、昆虫も同様の抜け殻を残す。だからと言って、そうした昆虫がすべて永遠の生命を持った神として崇拝されるわけではない。むしろ、セミの抜け殻を意味する「空蝉(うつせみ)」に、はかないという意味があるなど、逆の場合すらある。蛇信仰の根拠を考える時には、蛇ならではの属性に注目しなければならない。脱皮という属性は、蛇信仰の根拠の一つにしか過ぎない。
  7. 宮田 登.『ヒメの民俗学』. ちくま学芸文庫. 筑摩書房 (2000/12). p.20-25.
  8. 雨は少なくても困るが、多くても困る。中国人は、多すぎる雨を「淫雨」と呼んでいた。淫雨の被害を止めるためには、淫らな竜を退治しなければならない。どの国にも多頭の竜/蛇を退治する英雄の伝説がある(例えば、日本の八岐大蛇の物語)が、これは、上流に複数の支流を持つ川の氾濫を食い止めた、治水の英雄の物語に違いない。竜の首を切るという行為は、上流にダムを作って、流れをせき止めるという行為であろう。
  9. 吉野 裕子.
    山の神―易・五行と日本の原始蛇信仰』. 人文書院; オンデマンド版 (2004/11). p.31.
  10. 縄文時代晩期に作られた遮光器形土偶は、そのゴーグルのような目から、オカルト本などでは縄文時代の宇宙人などと紹介されることもあるが、体に蛇の紋様があることから、その特徴的な目は、蛇または何らかの爬虫類の眼を模したものと考えることができる(瞑想のために閉じられたまぶたかもしれないが)。ちなみに、夜行性の蛇の眼は大きく、光を当てると、瞳が縦長になる。
  11. 河姆渡遺跡から出土した双頭三脚の雄鶏紋のこと。これについては、百田弥生子著「華麗に成熟した龍」『アジアの龍蛇―造形と象徴』を参照されたい。