リサイクルは資源の有効活用になるのか
多くの人は、ごみをリサイクルすれば、ごみが減り、資源が有効に活用され、環境がきれいになると思っている。しかし、リサイクルは、往々にして、ごみを減らす以上に増やし、資源を食いつぶし、環境を悪化させる。なぜこのようなことが起きるのか、そしてこの問題を解決するにはどうすればよいのかといった問題をエントロピーの観点から考えてみたい。[1]
1. リサイクルは環境に良いのか
しばしば、中古品販売店をリサイクルショップと言うことがあるが、たんに中古品ないしその部品を本来の目的でそのまま使うことはリユースと言って、リサイクルとは言わない。また廃棄物発電などのエネルギー回収をサーマル・リサイクルと言ってリサイクルの一種とすることもあるが、狭義のリサイクルは、廃物を材料レベルまでに分解して再生品を作るマテリアル・リサイクルのみを指す。ここでは、以下、リサイクルという言葉をこの一番狭い意味で使うことにしよう。
リサイクルは環境に良いと素朴に信じている人はいまだに多いが、リサイクルには次のような問題点があることが指摘されている[2]。
1.1. リサイクルは資源を浪費する
いくつか例外はあるものの、多くの場合、原材料から新品を作るよりも、廃品から再生品を作るほうが、手間がかかり、より多くのエネルギーを消費し、それだけ多くのごみを出す。
例えば、ペットボトルをリサイクルすると、そのままごみとして捨てた場合と比べて、3倍から10倍のごみが出る。使用済みのペットボトルは汚れており、それを洗浄し、工場まで運搬し、再加工し、店舗まで運搬する間に、リサイクルは多くのエネルギーを消費し、廃熱や排ガスもごみのうちに含めるなら、大量のごみを出していることになる。
自治体などがやっている牛乳パックのリサイクルも環境を破壊している。牛乳パックの両側には、ポリエチレンがラミレートされており、これをはがすために処理場で大量の石油と化学薬品が使われている。もちろん、輸送のためにもエネルギーが使われる。消耗品だけでなく、建物、機械装置、器具備品、車両運搬具なども劣化し、少しずつごみになっていく。
1.2. リサイクルは危険である
廃物に毒がしみこんでいても、リサイクルのプロセスでは除去されず、リサイクルすればするほど毒物が蓄積する。廃物を液化もしくはガス化すれば、有毒物を検知して、取り除けるが、通常のリサイクルでは、固体のまま再生品の材料にするために、最先端の機器を使っても検知できない。また、廃物は品質が画一的ではないから、抜き取り検査もできない。リサイクルすると、その安全性が保証できないような商品が市中に流通することになる。
例えば、大学などで毒物や劇物を保管している冷蔵庫も、家電リサイクル法により、リサイクルが義務付けられており、リサイクルしなければいけない。プラスティックにしみこんだ毒物は、洗ったり、加工したりしても、除去できず、残存したまま、再生品の材料に使われる。
布団など、綿製品をリサイクルする場合には、細菌やウィルスなどが残存したまま再生品の材料になる危険がある。綿も細菌やウィルスと性質が良く似ているので、綿製品を破壊せずに完全に消毒することはきわめて困難である。
1.3. リサイクルは高くつく
再生品は、新品よりも質が低いにもかかわらず、コストが高くつく。新品よりも値段を下げなければ売れないので、その格差を誰かが負担しなければいけない。家電リサイクル法では、廃棄家電の提供者が、そのコストを負担することになっている。政府がリサイクル事業に補助金を出すこともある。また分別作業を含め、無償労働を使って、機会費用をかけさせることも隠れたコストである。
リサイクルが高コストであることを指摘しても、多くの人は「たとえ費用がかかっても、環境に良いことはすべきだ」と言う。しかし、一般的に言って、金銭的に高くつくことは、それだけ環境負荷も高い。
そう言うと「1億円の鉄鋼と1億円の絵画では、価格は同じでも、それを作り出すことが与える環境への影響はぜんぜん異なる」と反論する人がいるかもしれない。しかし、1億円の値打ちのある絵画1点を生み出すためには、多くの画家の候補を育て、多くの失敗作を破棄しなければならないから、それらを計算に入れると、環境負荷は決して小さくない。高い価格にはそれなりの理由がある。
2. エントロピーの視点からの検討
リサイクルは環境に良いと信じている人は、たいがい物が資源だと思っている。物が資源なら、物を繰り返して使うことが、資源を大切にすることになる。しかし、資源とは物ではない。エネルギーでもない。エントロピーの低さである。エントロピーという観点から、1で挙げた三つの問題点を振り返ってみよう。
2.1. リサイクルは資源を浪費する
孤立系の内部では、エントロピーは増えることはあっても減ることはありえない。それゆえ、廃棄物のエントロピーを下げて、再資源化しようとすれば、環境において、それ以上の資源を使ってエントロピーを増やさなければいけない。
リサイクルするための廃品材料は、通常、天然資源よりもエントロピーが大きい。その場合、再資源化の過程で、新品を作るよりもより多くのごみを出すか、質の低い製品で満足するかどちらか(あるいは両方)で、少ないごみしか出さないで新品なみの製品を作ることは不可能ということになる。
2.2. リサイクルは危険である
毒も、人間から隔離して一箇所に集めておけば、無害である。しかし、毒が分散し、どこにあるかわからないという不確定性、すなわち情報エントロピーが増大すると、それは人間にとって危険な存在となる。リサイクルが危険なのは、その循環が、毒の情報エントロピーを縮小させるのではなくて、増大させるところにある。
この点で、リサイクルの循環は、体液循環とは全く逆である。最近は、天然資源から製品を作る産業を「動脈産業」と呼ぶのに対して、リサイクル産業のことを「静脈産業」というそうだが、静脈は、ゴミを資源として再生しない。静脈は、体中から回収した老廃物を肝臓へもっていき、そこで分解処理して、腎臓で濾過し、尿として排出する。リサイクルがゴミを資源にするための循環であるのに対して、体液循環は、ゴミを捨てるための循環であるという点で両者は異なる。
ごみを文字通り一つも出さないゼロ・エミッション・リサイクルを実現しようとすることは、人体で喩えるならば、糞尿だけを摂取して生きていこうとするようなもので、そのようなことを続ければ、体中が毒だらけになって、死んでしまう。同様に、ゼロ・エミッション・リサイクルを続ければ、社会に死をもたらすことになる。
2.3. リサイクルは高くつく
私は、経済的価値もまた低エントロピー性であることを以前述べたので、再掲しよう。
商品に価値を与えるのは、商品の有用性と希少性であると言われてきた。空気は有用だが、誰でも簡単に入手できるから価値がない。ごみは、世界に一つしかない珍しいものであっても、有用性がないから価値がない。そして、有用性と希少性をシステム論の用語で表現するなら、ともに低エントロピー性だということになる。
有用性とは、欲望された目的の実現に対する貢献度のことである。システムの目的は、自己のシステムの維持・発展であるが、システムのエントロピーを減らすためには、それ以上のエントロピーを環境において増やさなければならない。そのために有用な低エントロピー資源には、当のシステムにとって、価値がある。
希少性とは、市場においては需要に対する供給の不足であり、獲得困難性である。商品が希少であればあるほど、獲得の不確定性は増大する。逆に言えば、この不確定性の否定である商品の獲得、労働者の観点からすれば生産には、減少するエントロピーの大きさに応じた価値があることになる。[3]
資源のエントロピーと経済のエントロピーは同じではないが、後者は前者に基礎を持つのであるから、無関係ではありえない。経済的効率の良いシステムは、通常、資源利用という点でも効率が良い。そして、経済にも環境にも良いシステムは、市場原理の導入によって可能となる。
社会主義者はよく資源・環境問題をもたらしているのは市場経済だというが、資源を浪費し、環境を破壊しているのは、むしろ開発独裁型の大きな政府である。市場原理を導入した方が、効率は向上する。ただし、経済規模が大きくなれば、効率が良くても資源・環境問題は生じるので、市場経済に問題はないとしても、拡大再生産を本質とする資本主義には問題があるといえる。なお、この点では、社会主義も資本主義の一種である。
私は、リサイクルをすべて否定するつもりはない。リサイクルの中にも、資源の節約と環境保護に貢献するものもある。では、悪いリサイクルをやめて、良いリサイクルだけを残すには、どうすればよいのか。一つの単純明快な方法は、補助金の支給や規制上の優遇をやめさせ、リサイクル事業が市場経済に委ねて成り立つかどうかを試す方法である。市場経済の下で採算が取れるなら、それは経済にも環境にも良いリサイクルであるから、存続させるべきである。では、採算が取れない場合はどうしたらよいか。この問題を次に取り上げたい。
3. サーマル・リサイクルによる解決策
マテリアル・リサイクルが、ごみを減らす以上に増やし、資源を食いつぶし、環境を悪化させることがあることを指摘したので、この章では、その対策としてサーマル・リサイクル、すなわち、廃棄物発電による未利用資源の有効活用を考えてみたい。
3.1. サーマル・リサイクルのメリット
宇宙のエントロピーは増えることはあっても、減ることはない。しかし、だからといって地球のエントロピーは増える一方というわけではない。地球内で生じたごみを廃熱として捨てるならば、そのごみは、大気循環によって運ばれ、最終的に宇宙に捨てられる。それゆえ、ごみを廃熱にすることは最も優れた廃棄物処分の方法である。
一般廃棄物の成分の全国的な平均値は、水分40-60%、可燃物30-40%、灰分10-20%である[4]。燃やせば、残滓はわずかである。燃やすだけではもったいないので、発生した熱を発電に使ったり、残滓を埋め立てに使ったりできる。
マテリアル・リサイクルと比べた廃棄物発電のメリットは、分別収集しなくて良いことと処理施設がごみを出したりエネルギーを使ったりするコミュニティに近いということである。
リサイクルの場合、回収する材料が特殊であればあるほど、処理施設の数は全国で少なくなり、回収場所から処理施設までの平均的な距離は長くなり、輸送ロスが大きくなる。だが、分別しなければ、狭い範囲で大量のごみが出るので、近くの施設で処分できる。灰を捨てるための輸送距離は長くなるかもしれないが、減量されているので、大きな負担にはならない。
また、リサイクルした製品は特殊であるので、消費地までの距離は長くなるが、廃棄物発電で生み出される電気は汎用性があるので、それをごみとして出す近くの需要地に供給できる。また近くにあるという利点を利用して、コジェネレーションも可能である。廃棄物発電は、送電ロスを少なくした分散型発電の一つとして注目されている。
3.2. ダイオキシン問題への対処
廃棄物発電は、ダイオキシンを発生させるということで、評判が良くないが、ダイオキシンは、一般に考えられているほど有害ではない。実際、大量のダイオキシンを浴びても人は死なない。
最も顕著なケースは、北イタリアのセベソで起こった事故です。1976年7月、この町にある農薬工場で化学反応の暴走が起こり、推定130kgものダイオキシンが噴出しました。これは周辺数キロの範囲に飛び散って17000人がこれを浴び、しかもまずい対応のために避難が始まったのは事故から1週間が経過して、住民がたっぷりとダイオキシンを吸い込んでからになってしまいました。住民の血中ダイオキシン濃度は通常の2000~5000倍にもはね上がり、悲惨な事態を予見してイタリアのみならずヨーロッパ一円がパニックに陥りました。
ところが驚くべきことに、22億人分の致死量(モルモットでの数値)のダイオキシンが狭い範囲に降り注いだこの事故で、死者は一人も出ていません。奇形児の出産を恐れて中絶した妊婦もたくさん出ましたが、胎児にも特別な異常は見られなかったということです。出産に踏み切った女性たちの子供や直接ダイオキシンを浴びた住民たちはその後長い間追跡調査を受けていますが、体質によりクロロアクネ(吹き出物に似た数ヶ月で治る皮膚病)が出た人を除けば、病気の発生率・死亡率など特に異常は見られていません。[5]
もとより、ダイオキシンに何の問題もないとは言わない。ダイオキシンが発生するのは、ごみを低温で燃焼させた場合であって、摂氏800度以上の高温で燃焼させれば、ダイオキシンの発生は防げる。近年ごみをガス化して資源化するガス化溶融炉が開発されている。ガス化溶融炉では、800度以上の高温でごみを完全燃焼させ、急速冷却し、冷却時に生成された微量のダイオキシン類を活性炭で吸着し、濾過してから再加熱して、大気中に放出しているので、ダイオキシン被害が生じることはない。
マテリアル・リサイクルは、廃棄物を固体のまま再利用するので、毒物の除去ができないという短所があることは、すでに指摘した。ガス化する場合は、有毒物の検出と分別除去は容易である。また、この方法だと、従来の廃棄物発電よりも小型化が可能なので、分散型発電を徹底し、より効率的なコジェネレーションが実現できる。ただし可燃性ガスを内燃エンジンで燃やすと、一般の内燃エンジンと同様に、有害な気体が発生するので、一酸化炭素やメタンを水素へと改質し燃料電池で発電できるようにすることも試みられている。
3.3. 有機廃棄物をどう処分すべきか
産業廃棄物の排出量は一般廃棄物の排出量の8倍もある[6]。産業廃棄物の中で最も多いのは汚泥で全体の6割を占める。建設資材、動物の糞尿を加えると全体の8割を占める。したがって、有機廃棄物をどう処理するかは、きわめて重要な問題である。
有機廃棄物からエネルギーを回収する方法としてポピュラーなのは、メタン菌にメタンを醗酵させ、それを発電に利用するという方法であるが、これだと微生物の死骸である汚泥が大量に出るので、汚泥処理という観点からすると好ましくない。
この問題点を解決した新しい発電方法として、柿薗俊英が開発した好気性微生物を使った燃料電池がある。好気性微生物は、ミトコンドリア内で行う呼吸においてブドウ糖を一時的に水素イオンと電子に分解する。その電子を、メチレンブルーをメディエイターとして、奪い、発電するというものだ。微生物のエネルギーを奪うので、微生物は繁殖できず、その死骸である汚泥の量が減るというわけだ。
この好気性微生物を使った微生物燃料電池は、従来のメタン菌などの嫌気性微生物を使った燃料電池よりも、ブドウ糖一モルから得られる水素の量が倍以上で、効率がよい。また、他の燃料電池のように、触媒に白金を使うわけではないので装置は安価である。非バイオマス系の燃料電池と比べるとエネルギー密度は小さいが、有機廃棄物の新しい処理方法として注目できる[7]。
4. 参照情報
- 槌田敦『環境保護運動はどこが間違っているのか? 』宝島社; 増補・改訂新版 (1999/2/1).
- 武田邦彦『「リサイクル」汚染列島―「環境」にも「身体」にも悪いリサイクル社会の危険性とは』青春出版社 (2000/7/1).
- 鍋島淑郎, 森棟隆昭『ごみから電気をつくる』オーム社 (1999/8/1).
- ↑本稿は、『連山』で、2006年09月07日に公開した「リサイクルの問題点」と2006年09月14日 に公開した「廃棄物発電」とを一つにまとめ、加筆と修正を施して、2021年6月29日に再公開したものである。なお、本稿のアップデート版として、2014年に公開した「リサイクルはどうあるべきか」があるので、併せて参照してもらいたい。
- ↑以下の問題点の指摘は、武田邦彦の『「リサイクル」汚染列島―「環境」にも「身体」にも悪いリサイクル社会の危険性とは』と槌田敦の『環境保護運動はどこが間違っているのか? 』に依拠している。
- ↑永井俊哉「価値とは何か」2001年1月14日.
- ↑鍋島淑郎, 森棟隆昭『ごみから電気をつくる』オーム社 (1999/8/1). p. 21.
- ↑有機化学美術館「ダイオキシンは猛毒なのか」Accessed Date: 9/4/2006.
- ↑鍋島淑郎, 森棟隆昭『ごみから電気をつくる』オーム社 (1999/8/1). p. 24.
- ↑この他、岐阜大学流域圏科学研究センターの廣岡佳弥子たちの研究グループが開発した畜産廃水を処理する微生物燃料電池がある。養豚廃水や酪農廃水といった畜産廃水を浄化するだけでなく、同時に発電し、リンを回収できるとのことだ。Ichihashi Osamu, Yamamoto Nozomi, and Hirooka Kayako. “Power Generation by and Microbial Community Structure in Microbial Fuel Cell Treating Animal Wastewater.” Journal of Japan Society on Water Environment 35, no. 1 (2012): 19–26.
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