日本維新の会
2012年9月28日に大阪維新の会が国政政党「日本維新の会」を設立した。この政党の理念は自由主義なのか国家主義なのか。太陽の党との合併は正しかったのか。維新という名称は適切なのか。橋下チルドレンを大量に生み出したことに問題はなかったのか。道州制導入は正しい政策なのかといった話題を扱う。

1. 日本維新の会
地域政党「大阪維新の会」を母体に結成され、2012年9月28日に発足した国政政党「日本維新の会」に関するスレッドです。[1]
- 政党名:日本維新の会(Japan Restoration Party)
- 代表:橋下徹(大阪市長)
- 幹事長:松井一郎(大阪府知事)
- 本部所在地:大阪府大阪市中央区島之内1丁目17番16号
- 所属国会議員:以下の7名
衆議院議員(3名)
- 松野頼久(熊本1区、当選4回)元民主党
- 松浪健太(比例近畿、当選3回)元自民党
- 石関貴史(群馬2区、当選2回)元民主党
参議院議員(4名)
- 水戸将史(神奈川選挙区、当選1回)元民主党
- 小熊慎司(比例代表、当選1回)元みんなの党
- 上野宏史(比例代表、当選1回)元みんなの党
- 桜内文城(比例代表、当選1回)元みんなの党
新党「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は、2012年9月23日に開かれた政策討論会で、竹島の領有権問題に関して、「(韓国の)実効支配を武力で変えることはできない。どうやったら(日韓の)共同管理に持ち込むかという路線にかじをきるべきだ」と発言した。27日には、尖閣諸島や北方領土の海域や地下資源についても、周辺国と共同管理するルールを設けるべきだとの考えを示した。
尖閣・北方領土も「共同管理を」…橋下氏が提案 (date) 2012年9月28日 (media) 読売新聞 さんが書きました:
橋下氏は「竹島も尖閣も日本の固有の領土」としたうえで、「領土問題は存在しないとする韓国に(竹島を巡って)国際司法裁判所に出てこいと言うなら、日本も尖閣について領土問題はないとは主張できない」とした。
政府が固有の領土としてロシアからの返還を求めている北方領土についても「法と正義の解決なんて、第三者機関を使わないとできない」と述べ、これらの領土について「日中韓露で、裁判所(ICJ)での解決を目指していったらいい」と話した。
さらに橋下氏は、「共同管理とは、領有の問題とは別に利用の問題だ。国益として考えないといけないのは周辺海域だが、海底資源も魚も含めて利用についてのルールが決められていない。(共同管理の)ルールを作るべきだ」と述べた。
共同管理と言えば、聞こえが良いが、共同管理だと責任の所在が曖昧になるという欠点がある。そもそも、大阪府と大阪市の二重行政、すなわち同じ大阪市を二つの自治体が「共同管理」する弊害を説き、その弊害を克服するために大阪都構想を掲げ、大阪維新の会を設立した橋下がこういう提案をするのは、矛盾している。二つの統治者が協力的である、あるいは両者の主従関係がはっきりしているならば役割分担ができるのだが、ライバル関係にある時、統治をめぐって争いが起き、しかもそれを仲裁する第三者が存在せず、それぞれが勝手に統治しようとする結果、重複や衝突が生じ、それでいて問題が起きた時にはお互いに相手に責任のなすりつけを行うという現象が起きることは、「府市合わせ」においても、領土の二国による共同管理でも、同じことである。
2012年9月に行われた民主党代表選と自民党総裁選の結果を受けて、様々なメディアが世論調査を行っているが、メディアの露出度が相対的に下がったせいもあって、日本維新の会の支持率が低迷している。
テレビ東京と日本経済新聞が行った緊急世論調査[2]によると、政党支持率は自民党が37%で先月と比べプラス12ポイントと大きく伸び、民主党は19%で2ポイントのマイナスとなったものの、日本維新の会の4%を大きく上回った。
9月28日~30日に行われた日本テレビの世論調査(2012年9月30日発表)でも、日本維新の会の政党支持率は、以下のように、自民、民主の支持率を大きく下回っており、第三位とはいえ、公明党と大して変わらない水準である。
- (1) 民主党 17.6 %
- (2) 自民党 33.4 %
- (3) 国民の生活が第一 0.3 %
- (4) 公明党 2.4 %
- (5) 共産党 2.6 %
- (6) 社民党 0.8 %
- (7) みんなの党 1.9 %
- (8) 新党きづな 0.0 %
- (9) 国民新党 0.1 %
- (10) たちあがれ日本 0.1 %
- (11) 新党大地・真民主 0.2 %
- (12) 新党日本 0.0 %
- (13) 新党改革 0.0 %
- (14) 減税日本 0.0 %
- (15) 日本維新の会(大阪維新の会) 3.1 %
- (16) その他 0.2 %
- (17) 支持政党なし 32.2 %
- (18) わからない、答えない 5.2 %
無党派層好みの政党であるから、比例代表の投票先では、比較的高い数字が出るのだが、それでも、自民党や民主党を大きく下回っていることに変わりはない。
- (1) 民主党 18.9 %
- (2) 自民党 39.7 %
- (3) 国民の生活が第一 0.6 %
- (4) 公明党 2.8 %
- (5) 共産党 3.1 %
- (6) 社民党 1.1 %
- (7) みんなの党 2.5 %
- (8) 新党きづな 0.0 %
- (9) 国民新党 0.0 %
- (10) たちあがれ日本 0.0 %
- (11) 新党大地・真民主 0.3 %
- (12) 新党日本 0.0 %
- (13) 新党改革 0.0 %
- (14) 減税日本 0.0 %
- (15) 日本維新の会(大阪維新の会) 5.7 %
- (16) その他 0.2 %
- (17) 投票しない 5.0 %
- (18) わからない、答えない 20.2 %
毎日新聞が9月29-30日に行った世論調査(2012年09月30日発表)によると、自民党の政党支持率は25%(9月15-16日での調査と比べて、6%上昇)、民主党が11%(同、2%下落)であったのに対して、日本維新の会は8%(同、3%下落)となっている。地域別にみると、地盤となる近畿では21%で、民主、自民両党を抑え最も高いが、東京では2%、北海道・東北、南関東では4%と東日本での支持率は低い。
自民党の支持率は上昇したものの、新しく総裁に選ばれた安倍晋三に対する評価は高くなく、「期待する」との回答は40%にとどまり、「期待しない」の55%を下回った。但し、自民支持層で安倍氏に「期待する」と答えた人は63%で、「期待しない」の34%を大きく超えた。これに対して、日本維新の会の支持層は「期待しない」が57%に上り、「期待する」の41%を上回った。橋下と松井は、安倍を新党の党首にしようとしたが、その判断が正しくなかったことを示している。
これまで借りたきた猫のようにしていた松浪健太が、日本維新の会の正式な所属議員となったのをきっかけに、橋下の「竹島の共同管理」発言に異論を唱えた。事の発端は、松浪の公式ブログでの以下の発言である。
3回目となる公開討論会が開催された。
昨日、正式に政党としての届出を行ったので、公党としては初めてだ。もはや、最初と違ってお客さんではない。言うべきことは、忌憚なく言わせてもらうことにした。
前回は、竹島をめぐる橋下代表の「共同管理」発言で、随分と批判があった。
今回、ナショナルパーティとして発足した以上、外交・安全保障に関してはまず、国会議員団で議論すべきことを確認した。
また、国会議員団と代表の意見がねじれた場合の対処方を明確にしていく。
ただ、日本維新の会は分権の党である。よほどのことがない限り、国政における決定は議員団ですべきことを橋下代表も認めた。
また、竹島については、竹島自体の共同管理ではなく、領有権についての判断を国際司法裁判所が判断するまで、付近の暫定水域を一定のルールの下に共同管理すべきだということだとの、説明があった。
会議後、改めて国会議員団で議論してほしいとのオファーがあった。
橋下代表と国会議員団は、今後はテレビ電話やメーリングリストなどを駆使して意思疎通を頻繁に行うことになった。[3]
しかし、「意思疎通」はうまくいかなかったようで、橋下は松浪を批判するコメントを行っている。
橋下氏は1日、市役所で記者団からブログの感想を問われ、「国政課題に地方サイドが何でもかんでも口を出すのは違う。国会議員団が中心になるのは間違いない」としたうえで、「国会議員団の大きな方針に有権者がついてくれるのであれば、日本維新の会に所属しなくてもいい」と突き放した。さらに、「松浪議員だって維新の会に所属しなければ、ブログを(メディアに)チェックされなかった」と皮肉った。[4]
すると、松浪はトーンダウンして、早々と白旗を上げた。
あくまで、議論は激しく行って、プロセスもオープンにし、決めるときには決める。これが維新のスタイルだと思っている。
大きな戦略や方針について、代表が決めるのは当然である。加えて、道州制を己の存在意義として活動してきた私にとって、この政策を世に広めた橋下徹という政治家は特別な存在である。[5]
地方分権論者は中央政府と地方自治体の上下関係を否定し、両者の関係は対等でなければならないとしばしば言う。しかし、もし本当に両者が対等ならば、両者の役割分担をめぐって見解が対立した時、どうそれを調節するのだろうか。国家間に主権を巡る領土問題があるように、役所間には管轄を巡る縄張り争いがある。こうした争いは「共同管理」では解決しない。だから、これまで日本の行政は、中央を主、地方を従とする主従関係で問題を解決してきた。
他方で、維新の会では、今回の騒動が示すように、地方が主で、中央は従である。これまでにも大阪維新の会と日本維新の会との間にたびたび不協和音が発生しているが、橋下という地方に軸足を置いた「特別な存在」のおかげで、党の分裂を免れている。では、維新の会は、党運営だけではなく、日本の政治にも、地方が主で、中央は従という関係を構築しようとしているのだろうか。「維新八策」はこの点を明確にしていないが、「維新八策」で「条例の上書き権(憲法94条の改正)」が提唱されていることを考えると、地方が主で、中央は従という関係を考えているのではないか。
ちなみに、憲法94条とは「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」というもので、これを改正するということは、国の法律よりも地方自治体の条例の方が優位に立つようにするということになるだろう。松浪は「道州制を己の存在意義として活動してきた」と言うが、「国政における決定は議員団ですべき」とも言っており、地方が主で、中央は従という逆転関係まで想定していないのではないか。今後も日本維新の会と大阪維新の会の力関係を観察していくことにしよう。
10月19日~21日に行われた日本テレビの世論調査(2012年10月21日発表)では、日本維新の会の政党支持率は、さらに下がり、自民、民主のみならず、公明党をも下回り、みんなの党と同じ水準にまで落ちている。
- (1) 民主党 14.0 %
- (2) 自民党 29.3 %
- (3) 国民の生活が第一 0.4 %
- (4) 公明党 2.9 %
- (5) 共産党 1.7 %
- (6) 社民党 1.5 %
- (7) みんなの党 2.3 %
- (8) 新党きづな 0.1 %
- (9) 国民新党 0.0 %
- (10) たちあがれ日本 0.0 %
- (11) 新党大地・真民主 0.1 %
- (12) 新党日本 0.1 %
- (13) 新党改革 0.0 %
- (14) 減税日本 0.1 %
- (15) 日本維新の会(大阪維新の会) 2.3 %
- (16) その他 0.1 %
- (17) 支持政党なし 38.3 %
- (18) わからない、答えない 6.8 %
比例代表の投票先の割合も前回より落ちている。
- (1) 民主党 13.9 %
- (2) 自民党 36.1 %
- (3) 国民の生活が第一 0.5 %
- (4) 公明党 3.5 %
- (5) 共産党 2.4 %
- (6) 社民党 1.4 %
- (7) みんなの党 3.6 %
- (8) 新党きづな 0.1 %
- (9) 国民新党 0.0 %
- (10) たちあがれ日本 0.1 %
- (11) 新党大地・真民主 0.3 %
- (12) 新党日本 0.1 %
- (13) 新党改革 0.1 %
- (14) 減税日本 0.0 %
- (15) 日本維新の会(大阪維新の会) 4.8 %
- (16) その他 0.3 %
- (17) 投票しない 3.5 %
- (18) わからない、答えない 29.5 %
2012年10月5-8日に時事通信が行った対面調査による世論調査(政党支持率)では、自民党が、16.8%、民主党が7.3%、公明党が4.4%であったのに対して、初めて調査対象に加えられた日本維新の会は1.2%で、みんなの党と同じであった。これ以外の各種世論調査においても、民主党の支持率は自民党の半分以下、日本維新の会やみんなの党の支持率は民主党の半分以下という傾向がみられる。この傾向が総選挙まで続くなら、日本維新の会は小選挙区でほとんど議席が取れないだろう。
政治アナリストの伊藤惇夫は、日本維新の会の起死回生策として、石原新党との連携を予測した。実際、10月13日に、東京都内のホテルで橋下徹と石原慎太郎が極秘会談し、17日にはたちあがれ日本の平沼赳夫代表が記者会見で、「西は橋下、東は石原」という形での連携を提案した。しかし、橋下は、石原との提携に否定的である。伊藤をはじめとして、マスコミは、人気者同士が手を組めばそれで支持率が上がると思っているようだが、石原の思想は橋下とは異なっており、提携すれば、日本維新の会の本来の支持者は逃げるだろう。
石原は憲法破棄が持論であり、その意向を受け、都議会の会派、東京維新の会の代表で維新塾の塾生でもある野田数都議が、同会派の二人とともに都議会で現憲法破棄と大日本帝国憲法の復活を求める請願に賛成した。しかし、日本維新の会は、合法的な憲法改正を目指しており、これをきっかけに、日本維新の会は東京維新の会との連携を停止した。これは当然の措置である。もしも大日本帝国憲法の復活に賛成したら、日本維新の会は、本当に「維新」の政党になってしまう。
橋下徹も大前研一も「維新」という言葉をたんに体制の抜本的改革という意味で使っているようだが、「維新」という言葉は彼らが目指すリバタリアンな改革とは本来相容れない意味を持っている。すなわち、「維新」という言葉は、『詩経』に登場する「周雖旧邦 其命維新」に由来するが、これは「周は、古い国とはいえ、新しい天命を受けている」という意味である。明治維新にしても昭和維新にしても、古い天皇制を新たに蘇らせようとする王政復古運動という意味で「維新」という言葉が使われている。日本維新の会の英語表記は“Japan Restoration Party”であるが、ネイティブがこれを見たら「日本王政復古党」と受け取るだろう[6]。
歴史に無知な若者は何とも思わないだろうが、年配の有権者は、「維新」と名のつく政党名を聞くと、君側の奸に天誅を加え、クーデターで天皇親政を実現しようとする右翼政党と思うかもしれない。橋下が石原やたちあがれ日本と提携したら、日本維新の会がそういう類の政党だと誤解する人が増えるだろう。だから、もしも日本維新の会の支持率を上げたいと思うのであれば、橋下は石原や平沼といった国家主義者とは距離を置き、自由主義者としての側面を強調するべきだ。
尖閣諸島問題が国民の関心事となったおかげで、自民党の支持率が上昇しているが、他方で復興予算流用問題も新たな関心事として浮上している。これは民主党の問題として認知されているが、自民党が主張する国土強靭化や公明党が主張する防災・減災ニューディールに配慮したものであり、三党に責任があると言わなければいけない。「国民の生活が第一」というキャッチフレーズに表れているように、民主党は年金生活者や子育てをする主婦といった生活者に金をばらまく大きな政府を志向しているのに対して、自民党はゼネコンや農協といった生産者に金をばらまく大きな政府を志向しており、ばらまき先が異なるだけで、両者とも大きな政府を志向していることには変わりがない。増税と浪費という大きな政府の欠陥が明らかになるにつれて、小さな政府を志向する政党が再び注目を集めることになるだろう。
昨日石原慎太郎が、東京都知事を辞任し、新党を結成することを表明した。石原は橋下との連携に意欲的だが、橋下は慎重であるようだ。
橋下氏は25日、大阪市内で記者団に「石原氏のパワーがないと今の日本の統治機構を変えるのは難しい」と評価。ただ選挙協力に関しては「まずは政策の一致。政策がずれたままでは既存政党と変わらず、有権者にそっぽを向かれてしまう」と慎重に言葉を選んだ。
維新はみんなの党との選挙協力に動いている。石原新党と両にらみで連携を探るが、両者はいずれも関東を地盤とする。維新幹部は同日、「石原新党は維新の選挙区調整や擁立規模にも影響する。頭が痛い」と語った。
政策では保守色をどの程度強めるかが焦点だ。石原氏は記者会見で、尖閣諸島の実効支配の強化について「私が国会議員になって監督していきたい」と強調した。たちあがれ日本には、核武装論など「右寄り」に傾きすぎると、幅広い支持を失うとの声もある。[7]
石原は安倍晋三と政治理念が類似した国家主義者であり、石原新党が憂国系の票の一部を自民党から奪う可能性がある。記事では維新幹部が影響を憂慮していると報じているが、橋下は、竹島共同管理発言のおかげで、憂国系の有権者の支持を既に失っており、連携でもしない限り、石原新党の影響をあまり受けないだろう。
知事時代の石原には、褒めるべき功績がないわけではないが、新銀行東京の設立やオリンピック誘致など失政が目立つ。石原は、これまで世間の関心を集める問題提起を数々行ってきており、作家としての才能があることは確かだが、政治家としても有能とは言えない。政治家に求められるのは結果だからだ。国会議員になっても、与党入りしないなら、評論家的な活動しかできないだろう。都知事として行政を担うよりもその方が無害でよいのだが。
日本維新の会の国会議員団代表である松野頼久が、石原新党との連携に意欲を示している。10月28日の日曜日に出演したテレビ番組『新報道2001』で、「連合はできる。中央集権打破で一致すれば方向性は見いだせる」などと発言していた。松野をはじめとする日本維新の会の国会議員団が石原新党との連合を望む理由は二つある。一つは、議員団が思想的に石原に近いということであり、もう一つはみんなの党を牽制することができるということである。
松野は鳩山由紀夫の側近であったが、思想的には国家主義的で、TPP にも反対しており、石原慎太郎やたちあがれ日本の思想に近い。そもそも日本維新の会の国会議員団は、安倍晋三との連携を前提に集めたので、安倍とスタンスが近い石原と思想的に近くなるのは当然のことなのである。国会議員団幹事長の松浪健太も、安倍の懐刀である菅の腰巾着と言われ、安倍との結びつきが強い[8]。
橋下本人の思想は、石原よりも渡辺善美に近く、それでみんなの党との連携を再度模索したのであるが、これに対して、みんなの党は、日本維新の会に合流した比例当選組の元党員3人の議員辞職を要求した。3人が議員を辞職すれば、比例名簿から次点候補が繰り上げ当選となり、みんなの党の参院議席数は、単独で参院に法案を提出することが可能な11議席を維持できるというのが理由である。それで、橋下は、3人の議席を返上すると発言してしまい、このため、日本維新の会の国会議員団に動揺が生じた。彼らが、東日本でのパートナーとして石原を選ぼうとすることで、みんなの党の要求を牽制し、仲間の切り捨てを防ごうとすることは当然のことである。
みんなの党が単独で法案を提出しても、どこからも相手にされないのだから、そのような権限は有名無実である。3人は、衆議院の解散と同時に失職する予定であるから、議員辞職を急ぐ必要はない。目先の小さな利益にこだわって、維新を石原新党に奪われるなら、それはみんなの党にとって、長期的な視点からするとより大きな利益を失うことになるだろう。みんなの党がするべきことは、3人の即時議員辞職の要求を取り下げ、維新と連合し、かつその連合にこれ以上不純分子が混ざらないようにすることである。
橋下は、消費税の地方税化に関して新しい提案をしている。
橋下徹大阪市長は30日、自らが提唱する「消費税の地方税化」について、消費税を11%に引き上げ、うち6%を地方間の税収格差を是正するための財源にすれば、各自治体で現在の税収を確保できるとの試算を明らかにした。近く、自らが共同代表を務める「道州制推進知事・指定都市市長連合」で発表する。
消費税の地方税化は、国が地方自治体に交付する地方交付税(約17兆円)を廃止する代わりに、消費税を全額、地方の財源として分配し、地方の自立を促す政策。橋下市長が代表を務める日本維新の会や、みんなの党が掲げている。ただ、大都市と地方で税収格差が生じるとの指摘があり、格差是正が課題になっていた。
橋下市長は市役所で記者団に、「消費税を11%に引き上げ、5%を地方の独自財源、6%を調整財源として配分すれば、現在の財源分は確保できる。国を立て直す起爆剤になる」と話した。維新の公約に盛り込まれるかどうかは未定という。[9]
これでは、自治体経営を改善しようとする動機に悪影響を与えると思えるのだが、それはともかくとして、調整財源の配分は誰がどのような権限で決めるのか。本日放送された読売テレビの「ウェークアップ!ぷらす」に出演した橋下は、関西広域連合のような地域ごとのブロックで決めると言っていたが、ではブロック間で生じた利害は、誰が調節するのか。全国知事会なのか。関西広域連合にしても、全国知事会にしても、対等な首長の集まりであり、関西広域連合長や全国知事会会長には強い権限はない。一種の「共同管理」の状態であり、共同管理には、このスレッドで指摘した問題がある。全国知事会会長に強力な権限を与えれば、知事間の利害対立を調停できるだろうが、それなら従来の中央集権的な統治機構と大差がない。いやそれどころか、それ以上に不公平なシステムになりそうだ。知事会会長を選ぶ選挙は従来よりも重要になるが、各自治体の人口が大きく異なるので、一票の格差が問題になるからだ。
昨日(2012年11月17日)、日本維新の会は、太陽の党(旧たちあがれ日本)が解党して維新に合流したと発表した。新代表には太陽の党共同代表であった石原慎太郎共同代表が就き、もう一人の共同代表であった平沼赳夫は国会議員団代表に、日本維新の会代表だった橋下徹大阪市長は代表代行に就任するとのことである。八項目の政策で合意したというが、旧たちあがれ日本のメンバーが本当に合意したかどうか怪しい。少し前まで、たちあがれ日本の政策は大阪維新の会の政策とは全く異質だったのである。
合流は、人間関係の不安材料もある。維新は、小泉改革を主導した竹中平蔵元総務相がブレーン。一方、維新の国会議員団の代表となった平沼赳夫・太陽の党共同代表は、竹中氏が主導する郵政民営化に反対して自民党を離党した。天敵ともいえる二人が合流により「呉越同舟」することになった。平沼氏は同日の記者会見で「竹中氏の主義主張が日本の国是にあうかという問題もある。今後、考えをぶつけていかなくてはならないと思う」と語り、依然としてしこりが残っていることをうかがわせた。急ごしらえで手を結んだ連携からは、早くも亀裂の芽が見える。[10]
両党が合意した八項目の中には、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加がある。交渉に参加する以上、加入を目指すことになるのだが、TPP に加入するということは、たんに関税を引き下げるだけでなく、国内における公平な競争の阻害要因を取り除くことに同意することを意味する。当然のことながら、民業圧迫となる郵政三事業なども完全民営化が求められることになる。だから、今年の4月には、以下のようのことがあった。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への日本の交渉参加問題をめぐり、米国が日本の郵政民営化見直しに不満を募らせている。完全民営化路線の後退で、米保険業界の参入が一層阻害される懸念を強めているためで、日本の交渉参加に大きな足かせとなる恐れが強まってきた。
米通商代表部(USTR)のカーク代表は10日、訪米中の玄葉光一郎外相と会談し、郵政民営化法改正案について、「米国の議会や利害関係者が強い関心を有している」と表明。米側は特に保険分野を問題視、今後、両国で継続協議することになったという。
改正案では、かんぽ生命保険株式の完全売却義務が努力目標に後退。米保険業界にはかんぽ生命が政府の信頼をバックに営業を続ける可能性が残ることに猛反発。米国生命保険協会は「公正な競争条件の確保を求めてきた業界の懸念を無視した」と非難声明を出している。
訪米中の民主党経済連携プロジェクトチームの議員調査団と10日会談したマランティスUSTR副代表も懸念を表明。TPP推進派の吉良州司衆院議員は米側から公正な競争条件の確保と市場開放を強く促されたことを明らかにした。
マランティス副代表は、日本の交渉入りに向けて米議会が承認するための明確な条件はない、としながら「議会と業界が納得する姿勢」を日本が示さない限り、調整は難航する可能性を示唆したという。
日米の事前協議では、自動車や農業と並び、郵政と保険をめぐるせめぎ合いが激しさを増しそうだ。[11]
もっとも野合ということで言えば、実はたちあがれ日本の結党自体が野合であった。結党時のメンバーのうち、平沼赳夫、藤井孝男、中川義雄は完全民営化に反対していたが、与謝野馨と園田博之は賛成していた。平沼と与謝野は、麻布高校の同級生で、個人的なつながりがあったと言うが、政策の不一致よりも出身高校の一致を優先したというのだから、政策軽視も甚だしい。
私はかつて、間接民主主義の弊害を指摘し、有権者の直接投票を可能にするハイブリッド民主主義を提案したことがあるが、政党への投票が政策への投票につながらない現在の政界の現状を見ていると、ますますそうした政治システムの抜本的変革が必要だと思うようになる。
2014年6月9日に、日本維新の会が分党を正式に決定した。6月中に解党の党大会を開催するとのことである。いったん党を解散して二つの新党を結成することで、政党交付金が所属議員数に応じて分配されるようにするというのだから、円満離婚と言える。新党の名称はまだ決まっていないが、橋下新党には37名が、石原新党には23名が参加する予定だ。
みんなの党から分裂し、日本維新の会と合流する予定だった結いの党との共通政策案に自主憲法制定を明記するかどうかをめぐって意見が対立したことが原因とマスコミは報道しているが、石原にとっての分党の原因はそうした政策の不一致ではなかった。そもそも、日本維新の会と太陽の党が合併した時から、もともと政策は一致していなかった。日本維新の会は合法的な改憲を目指していたのに対して、石原慎太郎は現憲法の破棄が持論であり、その違いを「自主憲法の制定」というあいまいな表現で隠していたのである。他方で、結いの党の江田憲治は、みんなの党の幹事長をしていた頃、憲法改正を容認する立場を示しており、この点で橋下との間に本質的な見解の相違はない。
日本維新の会と太陽の党(たちあがれ日本)は、これ以外にも、原発政策、TPP、統治機構改革など多くの政策課題で見解が異なっていたが、石原にとってはそれは重要なことではなかった。なぜなら、石原にとって、政党とは政策や理念の共有で成り立っている集団ではなくて、人間関係でつながっている自民党の派閥のような集団であったからだ。だから、自分とは政治理念が異なる結いの党との合併にも、四月の半ばごろまでは賛成していた。自民党の派閥と同様に、手下が多ければ多いほどよいという考えだ。
ところが、橋下が結いの党との合併で目指していたことは、石原が考えていたようなたんなる党勢拡大ではなかった。実際、結いの党の議員数を加えても、橋下にとっては所属議員数は減ることになるのだから、現時点では党勢拡大にはなっていない。橋下が目指したのは、むしろ政策集団としての党の純化にあると見ることができる。橋下の周辺では、旧たちあがれ日本のベテラン議員が日本維新の会の国会議員団を牛耳っていることに不満を持つ者が少なくなかった。政策的に自分たちに近い結の党の議員を入れることで、平沼赳夫たちから党運営の主導権を奪い返そうとしたと見ることができる。
2014年5月29日の会見で、石原は、当初から「小さな亀裂」が橋下との間にあったと述べている。合流前に行われた石原や平沼らとの会談の場で、橋下が「私たちが必要としているのは石原さん一人で、平沼さんたちはいらない」と話したことを挙げ、「その時の心理的な亀裂が尾を引いていろんな形になったことは否めない」と言っている。橋下と離婚はしたくなかったが、平沼を切り捨てたくはなかったというのが石原の思いだ。要するに、石原にとって重要なことは、人間関係であったということである。
分裂後、橋下が自民党に対抗できる野党を作ろうとしているのに対して、石原は政権与党への接近を試みている。この点で、日本維新の会の分裂はみんなの党の分裂と似ている。但し、みんなの党の場合、政策をめぐる大きな違いは党内になかったので、この点では日本維新の会とは事情が異なる。みんなの党は、維新との連携をめぐって意見が対立して、分裂したとマスコミは報道しているが、これは本質的なことではない。そもそも、党内で維新との連携に最も熱心だったのは、渡辺善美であり、江田はむしろ冷淡ですらあった。
みんなの党が分裂したのも、党の運営を巡る主導権争いからだった。2012年12月の総選挙時に、渡辺代表の不倫疑惑が原因で離婚騒動が起き、離婚は回避したものの、それ以後渡辺代表は夫人に頭が上がらなくなった。これをきっかけに夫人が以前にもまして党務に介入するようになった。最初の異変は、渡辺善美の先代から仕えていた古参秘書の追放という形で現れた。これは、公党を私物化しようとする代表夫人とそれを諌めたがゆえに疎外される重鎮という点で、江田幹事長追放の前兆となる現象だった。江田幹事長は「みんなの党」の名付け親であり、江田が試みるように、みんなの党を文字通りの「みんなの党」にしようとするのか、それとも「渡辺夫妻の私党」のままにするのかという党運営をめぐる主導権争いが、みんなの党の分裂につながった。
同じ党内における主導権争いに起因する党の分裂であっても、日本維新の会の場合は、政策面での純化が進んだのだから、有権者にとっては歓迎するべきことだが、みんなの党の場合はそうではないのだから、望ましいこととは言えない。渡辺善美が政治資金問題で代表を辞任したことで、松野頼久幹事長代行が呼びかけたように、みんなの党が、橋下新党に加わることができるようになったかと言えば、そうとは言えない。みんなの党にとって、安倍政権への接近は既定路線で、これは安倍政権にとってもメリットがあるからだ。
自民党では、現在集団的自衛権をめぐって公明党ととの協議が難航している。自民党が公明党を無視できないのは、自民党の議席が参議院で単独過半数に達していないからである。しかし、もしも、集団的自衛権を容認するみんなの党が連立政権入りをするなら、自民党+みんなの党だけで、参議院の議席数が127となり、過半数となるから、今ほど公明党に配慮する必要はなくなる。一方石原新党の参議院での議席数は3なので、自民党と連立を組んでも、過半数には届かない。みんなの党にとって、13名の参議院議員は政策実現のための大きな武器であり、橋下新党に加わって埋没するよりも、与党に影響を与える方が存在感を出せると考えているのだろう。
他方で、橋下新党は、与党との対決姿勢を強めることになりそうだ。民主党の前原誠司元代表は6月7日に、読売テレビの番組で、橋下新党との将来的な合流の確率が100%だと述べた。しかし、前原を筆頭に民主党の非労組系議員が今すぐ大挙して新党に参加するかと言えば、そうはなりそうにない。現在の民主党にはブランド価値はないが、金はあるので、所属議員はなかなか民主党を離れることができない。日本維新の会のように、円満な分党をすることもできない。もっとも政党助成金による拘束が効くのは今年の末までだ。来年以降は統一地方選挙や近づく国政選挙を見据えた野党再編が活発になるだろう。
当フォーラムのメンバーで、日本維新の会の桑原宏史さんが今回の分党について、次のような見解を出しています。
日本維新の会分党につきましては、これまでご支持、ご期待頂いた皆様に大変なご迷惑とご心配をおかけしまして申し訳なく感じております。今後多くのご批判を頂くかもしれませんが、私は、コメントが新聞報道されましたように、今回の分党を前向きに捉えさせて頂いております。私はかねてより日本維新の会が力を入れなければならないのは統治機構改革、既得権の打破であり、その為の地方分権であり、規制緩和であることを訴え続けて参りました。分党により、それぞれの党の理念が明確になることは有権者の皆様に対する責任を果たす上でも必要であったと受け取っております。私はこれからも橋下徹と共に、原点回帰した改革政党で戦い抜いて参ります。[12]
私も今回の分党を歓迎しています。石原系議員が出て行ってくれたおかげで、以前よりも日本維新の会が支持しやすくなりました。最初から日本維新の会と太陽の党が合併していなければ、もっと良かったのですが、今さらそういうことを言っても仕方がありません。たぶん両党が合併していなかったら、太陽の党は23名も国会議員を当選させることはできなかったでしょうし、日本維新の会は37名よりももっと多くの国会議員を当選させることができたことでしょう。
日本維新の会以上にごちゃまぜ状態の民主党も労組系リベラルと非労組系保守に分裂しそうな気配です。有権者の立場からすれば、政策本位で純化してくれることは望ましいことです。もっとも、あまりたくさんの政党が乱立することは小選挙区制では現実的ではないでしょうから、さしあたり「大きな政府を目指す保守」、「大きな政府を目指すリベラル」、「小さな政府を目指す保守」の三つに分かれるのが適当かと思います。橋下新党は、三番目の勢力のコアとなるでしょう。
2. 付録(1)道州制の「道」は地方分権の精神に反する
ここでの議論は、システム論フォーラムの「道州制の「道」は地方分権の精神に反する」からの転載です。
道州制は、これまで提唱されることはあっても実現には結びつかなかったが、大阪維新の会の台頭により、これを法制化しようとする動きが中央政界でも出てきている。
自民党の道州制推進本部は27日の総会で、都道府県を10程度の道と州に再編する道州制基本法案の骨子を提示した。地域政党「大阪維新の会」が道州制を打ち出したことを踏まえ、従来の公約を具体化する必要があると判断した。党内論議を踏まえて公明党などに協議を呼び掛け、今国会への共同提出を目指す。[13]
みんなの党は既に法案を提出している。
みんなの党は29日、道州制移行のための基本方針や目標時期などを定めた基本法案を参院に提出した。同法案は、外交、防衛などを除く国の事務を、都道府県を再編した道と州に移譲すると規定。道州の自主財源確保のため新たな税制や財政制度をつくる方針を盛り込んだ。[14]
橋下大阪市長も他の自治体の首長とともにこの動きを加速させようとしている。
道州制に積極的な知事、政令市長ら24人の首長で構成する「道州制推進知事・指定都市市長連合」の設立総会が20日、東京都内で開催された。総会では、石井正弘岡山県知事と橋下徹大阪市長を共同代表に選出。今後、道州制実現に向け、政府・与野党に働き掛けることを確認した。[15]
このように道州制はにわかに脚光を浴び始めたのだが、ここは言語学フォーラムなので、道州制の政策論的な是非ではなくて、行政単位の名称の言語学的な是非を考えてみたい。
道州制とは、現在の都道府県よりも広域的で、かつより大きな権限を持つ行政単位を設置する地方分権制度のことで、その行政単位の名称を北海道だけ道で、それ以外は州とすることから道州制という名が付けられている。もっとも提案者の中には、行政単位の名称を統一するべきという人もいて、その場合、「道」で統一するか「州」で統一するかが問題になるのだが、地方分権の本来の趣旨を考えるならば、「道」よりも「州」の方が望ましいということになる。
日本が中国の行政区分であった「道」を導入し、全国を五畿七道に区分けしたのは天武天皇の時代においてである。天武天皇は、壬申の乱後の国土を統一し、天皇親政の中央集権的な体制を構築するために、以下の図に示されるような畿内から放射状に延びる七道駅路(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)を建設した。そして五畿七道という行政区分はこの七道駅路にそってなされた。長らく蝦夷の一部という位置付けだった北海道は、明治時代になって、他の七道に倣ってそう呼ばれるようになった。

中国で行政区分としての道を導入した唐の太宗も天武天皇も道教の熱心な信者であった。だから「道」には道教的な意味がある。私は、老子における「道」の本来の意味をこの世とあの世をつなぐ通路と解釈した[老子 (author) 永井俊哉]。地方の民にとって、都にいる皇帝や天皇はあの世の神と同じで、両者をつなぐ通路は「道」と呼ぶにふさわしい。
天武天皇が建設した七道駅路は古代の高速道路で、各七道駅路には30里ごとに駅が置かれ、駅ごとに駅馬が常備され、中央から地方に公文書を伝達する駅使がそこに到着すると、乗り継ぎの駅馬や案内の駅子が提供された。このように、「道」は、中央集権的な上意下達を象徴する行政単位であり、中央集権的な上意下達を批判する地方分権論者がこの単位を用いようとすることは滑稽なことなのである。
現在用いられている行政単位の「県」という字は、旧字では「縣」と書き、「懸」と同族で、「つなぐ」という意味と「隔てる」という意味がある。だから、土地にこの字を使うと、首都から隔てられたところにあるが、首都とつながっているという意味を持ち、「王畿の外の綴落、農耕地、直接の支配地、公有地[17]」ということになる。これに対して、州という字は、川によって区画されたデルタ状の地形という意味を持つ字で、中央集権的な意味合いはない。フランスのような中央集権的な国の行政単位が「県」と訳され、米国のような地方分権的な国の行政単位が「州」と訳されるのはこのためである。
「道」よりも「州」の方が地方分権にふさわしい行政単位であるにもかかわらず、道州制が唱えられるのは、多くの案で北海道を独立した行政単位とし、かつ「北海道」という定着した呼称を放棄したくないからなのだろう。しからば「北海道州」という名称にしてはいかがだろうか。
北海道の「道」が行政単位だから、それにさらに行政単位である「州」を付け加えることは剰語的だと反論する人もいるだろうが、それなら「京都府」という現在用いられている呼称もそれ以上に剰語的ではないのか。平安京の「京」が固有名詞化し、それに「都」が付き、さらに「府」まで付いたのだが、そもそも「京」も「都」も「府」も「みやこ」という意味の漢字であり、「京都府」という呼称は「みやこのみやこのみやこ」という三重の剰語なのである。にもかかわらず、「京都府」という呼称が不自然でないのは、「京都」が固有名詞化しているからである。
では、「北海道」の場合、「北海」が固有名詞として扱われているかといえば、そうとは言えない。「北海」は、イギリスとヨーロッパ大陸の間の海を表す言葉で、北海道という行政単位が管轄する地名ではない。「北海道」が固有名詞化しているのだから、「北海道州」という州名は問題ないと思う。
行政単位を「州」で統一する場合、一番困るのは九州である。九州は九つの州(筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国)という意味であって、九という固有名詞に州という行政単位が付いているのではない。もっとも、九州は島を構成する9国の総称で、現在の沖縄県を含まないので、九州を島の名称として保留し、九州と南西諸島などの周辺諸島を包摂する名称で、州名を考えればよいであろう。
3. 付録(2)チルドレン議員の大量当選は有害か
ここでの議論は、システム論フォーラムの「チルドレン議員の大量当選は有害か」からの転載です。
小泉チルドレンや小沢チルドレンなど、一時的なブームで大量当選した新人議員は、その時のリーダーの名前を取って「××チルドレン」と呼ばれる。議員本人の資質ではなくて、リーダーの人気やカリスマのおかげで当選するのだから、適性に問題がある議員が当選することがよくある。この現象は、世界的に見られ、英語では「上着の裾効果(coattail effect)」と呼ばれている。
橋下徹人気で当選した大阪維新の会所属の大阪府議や大阪市議、所謂橋下チルドレンの中にも、そうした議員が出てきている。捏造されたリストを根拠に労組の政治活動や労使の癒着を追及した杉村幸太郎大阪市議が有名だが、この他、市職員に口利きをする大阪市議なども問題となった。
大阪維新の会が、2012年1月に、次期衆院選の候補者を養成しようと維新政治塾の受講生を募集したところ、応募者は3326人に上った。2012年6月25日には、この中から、888人が政治塾生として正式に選ばれ、今後、これら塾生や現職国会議員らを対象に最終的な候補者を選ぶ予定であるが、素人から大量に候補を選ぶことを危惧する人もいる。
いま日本人の多くは、もしかすると橋下徹大阪市長が国政を変えてくれるかもしれないと期待しているようだが、それは無理だ。なぜなら、国を運営するにはそれなりの仕掛け、言い換えれば何百人かの人材と組織が必要だからである。
わかりやすい例は、独裁政権や長期政権に対して民主化を求める国民の反政府運動が起きたエジプト、シリアなどである。「アラブの春」と持て囃されたこれらの国々は現在、国を動かす仕掛けがなくなったため、すべて混沌としたミゼラブルな状況になっている。
橋下市長の場合も同様だ。もし彼と「大阪維新の会」が次期総選挙に勝利して政権を取ったとしても、配下の大半は小泉チルドレンや小沢チルドレンよりもレベルの低い促成栽培の“橋下ベイビーズ”である。
田中直紀防衛相よりも“素人”のベイビーたちが大臣になったら、野党から次々と問責決議案を突き付けられて首相の任命責任が問われるのは間違いない。したがって「橋下政権」が誕生した時は、今の民主党政権よりも悲惨な事態になると思う。
橋下市長が大阪で機能しているのは、彼が大統領的に選ばれた首長であり、国会で過半数を握って選ばれた首相ではないからだ。日本ではどんなに首相が優秀でも、数十人の議員が造反して反対側に移れば政権は崩壊する。細川内閣以来、国政の混乱が続いているのは、議員たちが政局を揺さぶる醍醐味を覚えたからだ。[18]
エジプトやシリアが混乱しているのは、旧勢力を倒したからではなくて、完全に倒しきれないために起きている。また、大量造反による政局の流動化は、小沢チルドレンには当てはまるが、小泉チルドレンには当てはまらない。郵政造反組を復党させるなど抵抗勢力との妥協を続ける執行部に対して、小泉チルドレンが反旗を翻して大量に造反するということはなかった。
大前の議論は粗雑なのだが、本題と関係のない話は措くことにしよう。大前は、橋下チルドレンのレベルが低いと断定するが、大前は部外者なので、維新政治塾の塾生のレベルを知っているわけではない。過去の経験則から、そう推測しているだけのことである。
維新塾は、事前アンケートで「立候補に必要な供託金を出せますか」と尋ね、「出せない」と回答した人は全員落選したという。橋下氏が、人物の人間性などを理解して国政に送り込もうとしているとは到底思えない。
私は1994年に「一新塾」を開塾し、すでに4000人の卒塾生が出ているが、国政に送り出したい人はせいぜい1%だろう。その経験から言うと、いい人材がそんな簡単に集まるとは思えない。アンケートで立候補者を決めていこうなんて、ちょっと人をバカにした話だと思う。
大阪維新の私設応援団長を自認する私でさえ「ふざけるな」と言いたい気持ちだ。民主党は10年間、国会の場で野党を経験してきても人材不足でこのザマ。維新政治塾もすぐに馬脚を現すだろう。[19]
塾生の選抜は、アンケートだけではなく、面談を通じて行われており、選抜基準は、最初から通告されていた資金力以外にもいろいろあったようで、大前の認識にはここでも間違いが多い。それはともかく、1%という数字を当てはめるなら、888人の塾生のうち、有能な国会議員となるのは9人程度ということになる。もしも9人も有能な国会議員を輩出することができるのなら、維新政治塾の成果は十分にあったと評価するべきである。
大前は、「促成栽培」された橋下チルドレンが、小泉チルドレン以下のベイビーズだと言うが、杉村太蔵などの小泉チルドレンは、公募の後、論文審査や面談で選ばれただけだから、「促成栽培」すらされていなかった。小泉本人も彼らを育てる気はなくて、小泉が言うとおり「使い捨て」の駒にすぎなかった[20]。
では、チルドレン議員というものは、一般に一回限りの使い捨てで終わるものなのかと言えば、必ずしもそうではない。特に1993年に日本新党ブームで当選した細川チルドレンの中には、現在も政界の第一線で活躍する人が多い。チルドレン議員の悪口を言う人は、小泉チルドレンと小沢ガールばかりを取り上げるが、細川チルドレンも取り上げないと不公平である。
以下のリストは、第40回衆議院議員選挙の時に、日本新党公認で当選した議員のリストである(括弧内は選挙区は中選挙区時代のもの)。
- 荒井聡(北海道1区)
- 遠藤利明(山形1区)
- 木幡弘道(福島3区)
- 茂木敏充(栃木2区)
- 今井宏(埼玉1区)
- 五十嵐文彦(埼玉2区)
- 武山百合子(埼玉4区)
- 枝野幸男(埼玉5区)
- 海江田万里(東京1区)
- 石井紘基(東京3区)
- 山田宏(東京4区)
- 鮫島宗明(東京5区)
- 渡邉浩一郎(東京7区)
- 鴨下一郎(東京10区)
- 伊藤達也(東京11区)
- 野田佳彦(千葉1区)
- 須藤浩(千葉2区)
- 長浜博行(千葉4区)
- 中田宏(神奈川1区)
- 永井英慈(神奈川2区)
- 中島章夫(神奈川3区)
- 小泉晨一(神奈川4区)
- 小沢鋭仁(山梨全県区)
- 牧野聖修(静岡1区)
- 河村たかし(愛知1区)
- 近藤豊(愛知5区)
- 前原誠司(京都1区)
- 藤村修(大阪3区)
- 山本孝史(大阪4区)
- 樽床伸二(大阪7区)
- 高見裕一(兵庫1区)
- 小池百合子(兵庫2区)
- 松岡満寿男(山口2区)
- 中村時広(愛媛1区)
- 山崎広太郎(福岡1区)
- 初村謙一郎(長崎1区)
- 細川護煕(熊本1区)
- 矢上雅義(熊本2区)
細川護煕や小池百合子のように、参議院議員から鞍替えしたものもいたが、現総理大臣の野田佳彦をはじめ、ほとんどはこの時初めて国会議員として当選した。彼らの中には一期だけで政界を去った人もいるが、ブームで当選した割には、その後の出世率はかなり高い。今でこそ有力政治家として認知されている細川チルドレンも、当時は細川人気、日本新党ブームのおかげで当選した無名の新人であったことを忘れてはいけない。
以下のリストは、1989年の第15回参議院議員選挙で「おたかさんブーム」に乗って初当選した元祖土井チルドレンであるが、参議院である点を差し引いても、その後の活躍という点で、細川チルドレンとは雲泥の差がある。
会田長栄,翫正敏,菅野寿,喜岡淳,北村哲男,旭堂小南陵,日下部禧代子,国弘正雄,栗村和夫,小林正,篠崎年子,清水澄子,庄司中,谷畑孝,谷本巍,種田誠,角田義一,堂本暁子,西岡瑠璃子,野別隆俊,肥田美代子,深田肇,細谷昭雄,堀利和,前畑幸子,三石久江,村田誠醇,森暢子,山田健一
細川護煕は、松下政経塾の評議員を務めており、松下政経塾の塾生と個人的なコネがあったことが、人材確保の点で有利に働いたと言うことができる。だが、日本新党は、政界では初の試みとなる公認候補の公募も行った。約500人の応募があり、そのうち公認されたのは2人で、当選したのは1人、枝野幸男(現在、経済産業大臣)であった。維新政治塾の応募者は3326人なので、単純に計算すると、この中から6人程度が枝野幸男並に国会議員として出世するということになる。
だから、国会議員としては素人のチルドレン議員であるからといって、必ずしも無能とは言えない。竹中平蔵(小泉政権下で初当選した彼も広義の小泉チルドレンである)のように、一年生議員でありながら、小泉長期政権の大黒柱として活躍した有能な素人議員もいれば、田中直紀のように、衆議院議員を三期務め、参議院議員も三期務めたにもかかわらず、大臣の職務を満足に遂行することができなかった無能なベテラン議員もいる(大前は田中直紀を素人議員と誤解しているようだが)。
もちろん、竹中平蔵は例外的なケースで、当選回数主義がはびこる永田町では、一年生議員がいきなり重要なポジションに就いて活躍するということは稀である。しかし、それを根拠に素人を議員にするべきでないと主張するのは、倒錯している。結局のところ、有能な人材は、初当選で大臣に就任しても職務を立派にこなすし、無能な人材は、何年国会議員をしていても、大臣の職責を十分に果たすことができない。当選回数に比例して政治家としての能力が向上するというのは年功序列の幻想である。
では、もしも次期衆議院選挙で橋下チルドレンが当選すると仮定して、そのうちどの程度が有能な人材と推測されるか。これは、当選する数による。選挙プランナーの三浦博史の予測によれば、大阪維新の会の当選議席数は、サプライズなしで29とのことである[21]。他方で、日本みらい研の事務局長の試算によれば、大阪維新の会がみんなの党と連携するというベストシナリオで、両党合わせて最大140名になるとのことである[22]。もしも29人程度の当選なら、それなりの質が期待できるが、100人近くとなると、適性に問題がある議員が混ざる確率が高くなるだろう。
大阪維新の会やみんなの党が躍進して「小さな政府」を実現してくれるならば、それは望ましいことであるが、コートテール効果で、適性のない人間が国会議員になるというのは好ましくないことである。この問題は、現行の選挙が、政策の選択なのか人の選択なのかがはっきりしないところから生じる。私が提案した「ハイブリッド民主主義」は、こうした弊害を除去するためのものであるが、ハイブリッド民主主義の実現には憲法改正が必要であり、容易には実現しない。
そこで、民意を反映しつつ、質の低い議員を当選させないための、もっと簡単な方法を提案したい。それは比例代表の議席に議員を一人ずつ割り当てずに、党首の持ち票にするという方法である。例えば、ある政党の比例代表の数が19ならば、その政党の党首の投票は、20としてカウントされるという制度である。現在国会では、「身を切る改革」ということで、衆院比例代表定数の削減が提案されている。しかし、衆院比例代表定数を削減すると、中小政党が議席を獲得できなくなり、民意の反映が十分でなくなるという問題が生じる。比例代表議席持ち票制はこれらの問題をすべて解決することができる。すなわち、比例代表の議席に議員を割り当てないのだから、大幅に議員歳費を削減できるし、比例代表制度自体は存続するので民意の反映を歪めることもないし、ゾンビ議員復活阻止による議員の質の向上も期待できる。比例代表で当選しながら、党執行部に造反したり、離党したりするという問題も解決する。
2012年8月6日発売の『週刊ポスト』に、維新政治塾の塾生888人の名簿が掲載された。名簿流出自体はスキャンダルであるが、これにより、塾生の実態がわかってきた。
橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が次期衆院選をにらみ立ち上げた政治塾に、少なくとも27都道府県の現職地方議員68人が参加していることが11日、共同通信の取材で分かった。
選挙経験があり、衆院選候補として「即戦力」(幹部)となり得る地方議員を全国に多数擁している実態が裏付けられ、既成政党には大きな脅威となりそうだ。
参加議員のうち現段階で国政進出に前向きな姿勢を示したのは20人超にとどまるが、否定的な議員も維新の会の躍進を期待する意見が多数を占めている。維新の会は衆院選に向け、全国で政治活動を展開する足掛かりとしたい考えだ。
塾生約880人のうち、11日までに確認できた地方議員の地域別内訳は、北海道2人、東北3人、関東15人、北陸信越2人、東海11人、近畿23人、中国3人、九州9人。都道府県別では大阪府が9人と最多で、次いで東京都と千葉県、兵庫県が5人。また68人のうち都県議が12人、市区町村議が56人となっている。匿名を条件に取材に応じた人を含む。ほかにも塾生とみられる地方議員は全国に十数人いる。
政党別では無所属が多く、維新の会と協力関係にあるみんなの党所属が9人いた。政治塾が発足した今春以降に民主、自民両党を離党した議員が複数おり、地方議会レベルでも既成政党不信の受け皿として第三極が期待されている実態が浮き彫りになったと言える。[23]
地方議員の経験者なら国会議員の資質もあるとは必ずしも言えないが、プロの政治家であることは確かであり、彼らに関しては、「ベイビーズ」という評価は正しくない。
維新の会は、現職国会議員の取り組みにも力を入れている。
民主、自民、みんな3党の中堅・若手の衆参両院議員10人以上が次期衆院選前の新党結成を検討していることが14日、関係者の話で分かった。民主党の松野頼久元官房副長官らが参加する勉強会「道州制型統治機構研究会」が基盤で、橋下徹大阪市長率いる地域政党「大阪維新の会」との合流も模索している。
松野氏らは、維新に対する世論の期待感を踏まえ、維新と合流する形で新党を結成し、次期衆院選を有利に戦いたいとの思惑があるとみられる。維新側は国政進出に向け、選挙運動を展開しやすい公職選挙法上の政党要件を満たすため、現職国会議員5人以上の確保を目指しており、双方の利害が一致し、新党への協議が進む可能性もある。
勉強会は松野氏が会長代行、自民党の松浪健太衆院議員が幹事長を務めており、会長は空席。民主党の石関貴史衆院議員や自民党の西村康稔、平井卓也両衆院議員、みんなの党の上野宏史、小熊慎司、桜内文城各参院議員ら10人以上が参加し、既に20回以上の会合を重ねている。設立趣意書には、一院制や首相公選制といった、維新と共通する政策が掲げられている。
松野、石関、松浪、小熊、上野の5氏は11日、大阪市内で橋下氏と会談。関係者は「橋下氏を勉強会の講師として招いた」としているが、新党結成をめぐっても意見交換したとみられる。
一方、「新党結成に向けた勉強会」との位置付けには否定的な声もあり、各党の参加者にも温度差がある。維新側は「松井一郎幹事長(大阪府知事)に一任している。(他党との合流は)衆院選向け公約『船中八策』に協調できるかで、うちから擦り寄る考えはない」(幹部)としている。[24]
「政党要件を満たす」ことが直接の目的なのだろうが、「素人集団」と呼ばれないようにするための方策とも解釈できる。
4. 付録(3)政党の名前
ここでの議論は、システム論フォーラムの「政党の名前」からの転載です。

政党の名前がワケが分からない。「自民」とか「民主」なら分かる。「共産」や「社民」というのも分かる。「公明」あたりからもう既に怪しい感じがします。抽象的過ぎて耐えられないといいますか、当たり前すぎて胡散臭い。アナクロの「維新」やら文学的な「太陽」だとか果ては「みんな」、「生活」というバカみたいな名前です。「減税」なぞ財政政策の一手法にしか過ぎないでしょう。政策どうのこうのより、政党名の段階で、胡散臭い。どう考えても一部の権益をカモフラージュするための「命名」としか思えない。政党名の名前のセンスのなさだけでも、この国の政治的な想像力の枯渇を感じてしまいます。低レベルのトピックで申し訳ありませんが、この点について、「みんな」のコメントが聞けたら有難いです。よろしくお願いします。
ghostbuster さんが書きました:
どう考えても一部の権益をカモフラージュするための「命名」としか思えない。
江田憲司によると、そういう思いを払拭するために「みんなの党」という名前を付けたのだそうです。
実はこの名前は私がつけた。私も当初は、もっとまともな?名前はないかと調べてはみたものの、「新党○○」と「新党」をつけたくなかったのと、この党が既得権益や従来の既成概念を打ち破る党である以上、使い古しの陳腐な名前は使いたくなかった。たとえば、大化の「改新党」とか「民政党」とか。昨今の新党名をみるにつけ、なかなか妙なる命名ではないか。
私のカラオケの十八番、サザンの「みんなのうた」に感化されたのも事実だ。「の」という助詞が党にかかるという斬新な?発想でもある。そして何よりもこの党が、常に国民目線の、国民の側にたった、真の意味での「国民政党」であるという意味を込めた。「政党」対「国民」ではなく、そこに壁をつくらず、国民の皆さんとともに政治を進めたい、との思いである。
英語表記は「YOUR PARTY」(あなたの党)。どの業界にも労働組合にも組織的に依存せず、国民一人一人の支援だけで成り立っている政党の誕生である。[26]
最後の一行に注目しましょう。特定の組織、特定の団体に便宜を図り、見返りとして組織票をもらうのではなくて、個人としての国民の利益を重視するというリバタリアンな政治理念が表現されています。もっとダイレクトに「自由党」とかにすれば、わかりやすいのですが、この名前の政党は過去に多数あり、特に小沢一郎が作った「自由党」と区別するために、別の党名を考える必要があったのでしょう。
小沢一郎の政党名「国民の生活が第一」は、小沢が代表であった時に採用された民主党のキャッチフレーズで、民主党が躍進した2007年の第21回参議院議員選挙と2009年の第45回衆議院議員総選挙で使用されました。このキャッチフレーズは「業界の利益が第一」の自民党との差別化のために考え出されたもので、生産者よりも生活者の利益を重視するリベラルな政治理念が表現されています。小沢が代表/幹事長であった時代の民主党は、年金生活をする高齢者や子育てをする専業主婦といった生活者の利益を重視する選挙戦略を展開し、成功したので、小沢としては、消費税増税のような生活者に直接負担をかける政策には同意できず、このキャッチフレーズを党名にした新党を結成し、「自民党野田派」と揶揄される現在の民主党と決別したのでしょう。小沢の政党は、社民党などとともに「国民連合・オリーブの木」を構築しようとするなど、左傾化を進めています。
石原慎太郎が13日に結成した「太陽の党」は、できたばかりなのにはやくも解党するそうです(17日現在の情報)。この党名が石原の小説『太陽の季節』を意識したものであることは、容易に想像がつきますが、中央日報の論説委員は、この党名を次のように分析しています。
上の世代の価値観に反抗する若者の奔放な人生を描写した「太陽の季節」は、日本で“太陽族”という新語を生み出すほど人気を呼んだ。流行していたロックンロール音楽とも相性が合った。
新丘文化社版の戦後文学全集で「太陽の季節」に初めて接した中年以上の読者なら、まだ記憶に浮かぶ場面があるだろう。男主人公が性器で障子を破り、部屋の中にいた女性が読んでいた本を投げつける光景を描写した場面だ。個人的に70年代初めの丸坊主中学生時代、この場面を読みながら、あたかも罪でも犯したかのように赤面したことを覚えている。
石原は「太陽の季節」の人気を背に、1968年に参議院議員に当選し、政界に進出した。1995年4月、彼は衆議院本会議で議員勤続25年の表彰を受けた後、あいさつの言葉で、「すべての政党、ほとんどの政治家は最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていない」と批判し、議員辞任を宣言した。無気力な政党・政治家が国民の政治不信を招いたということだ。「日本は去勢された宦官のような国家に成り果てた」という叱責もした。議員から退いた彼は後に東京都知事として華麗にカムバックした。
その石原氏が13日、「太陽の季節」を連想させる名称の「太陽の党」結成を宣言した。今までの彼の言動からみて、極右性向の公約を掲げて来月の総選挙に出るようだ。どの国でも作家と政治家の距離は遠いものでないが、2つの世界が根本的に違うというのは明らかだ。隣国の過去の読者の一人として、「太陽の季節」と「太陽の党」の大きな間隙が馴染まない。彼は「強い日本」を望んでいるようだ。「太陽の季節」に出てくる特定場面、議員職を投げる時の「去勢された宦官」発言を見ると、彼はひょっとして男根主義ないしは去勢恐怖の心理に包まれているのではないかという疑いが生じたりもする。[27]
この指摘は正しいと思います。「太陽の党」の前身である「たちあがれ日本」も、名付け親は石原ですが、勃起をイメージさせる党名です。「太陽の党」は「太陽の塔」を連想させますが、これも勃起した男根をイメージさせます。文化人類学的に言って、太陽は男性の象徴であり、「太陽の党」という党名は、強いリーダーシップを理想とする国家主義的な政治思想を表現しています。
最後に公明党ですが、この党名は、1961年に発足した「公明政治連盟」に由来します。この時なぜ「公明」という名称が選ばれたのかは知りませんが、以下私の推測を書きます。公明政治連盟が発足する4年前の1957年に、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われ、創価学会の候補は落選したのですが、その選挙期間中に創価学会員が買収をしたとして、大阪地検は当時学会本部の理事長だった小泉隆と学会の渉外部長だった池田大作など、創価学会員ら45人を公職選挙法違反で逮捕しました。池田は、結局裁判で無罪となったのですが、この所謂大阪事件が「公明」という名称を選ぶきっかけになったのではないかと推測されます。
「公明」は、「公明正大」の「公明」ですが、三省堂『新明解四字熟語辞典』によると「公明正大」の意味は以下の通りです。
私心をさしはさまず、公正に事を行うこと。また、そのさま。▽「公明」は公平で私心のないこと。不正や隠し立てがないこと。「正大」は態度や行動などが正しくて堂々としていること。
公明正大 句例 ◎公明正大な裁判
公明党は、今日に至るまで、政教分離の原則をどの程度守っているのかに関して、常に疑惑の目で見られています。公明党が「公明」という政党名を掲げているのは、そうした疑惑を払拭したいという思いを持っているからなのかもしれません。その意味では、「当たり前すぎて胡散臭い」というのは、その通りですね。
安部党、野田党、池田党、小沢党、橋下党、石原党、渡辺党、河村党といった具合にボスの名前を党名にした場合のメリットもかなりある気がする。新聞では「石原新党」のように便宜的にそうした名前を使っている。決定権の所在を明示しているのもいいし、責任の所在がはっきりするのもいい。公党の名前として、ボッタクリバーの「明朗会計」みたいな名前はふさわしくないと思う。一番いいのは、現状認識と理念を実現するための運動をイメージできる命名だろう。「みんなの党」より「幸福実現党」の方がいくばくかマシではと思う。とにかく、プロのコピーライターにでも頼んで、なるほどねと思わせる「党名」にして欲しい。もっと頭と金を使ってプロの仕事をして欲しい。
ghostbuster さんが書きました:
安部党、野田党、池田党、小沢党、橋下党、石原党、渡辺党、河村党といった具合にボスの名前を党名にした場合のメリットもかなりある気がする。新聞では「石原新党」のように便宜的にそうした名前を使っている。決定権の所在を明示しているのもいいし、責任の所在がはっきりするのもいい。
そういう方法は、自民党の派閥や民主党のグループの呼称としてマスコミで採用されています。清和政策研究会を町村派と呼んだり、花斉会を野田グループと呼んだりしていますね。こうした通称には、トップの顔がすぐ浮かぶというメリットがある一方で、トップが変わった時に元はどういう派閥・グループだったのかがはっきりしなくなるというデメリットがあります。政党は、同じ政治理念のもとに政治家が結集しているのが理想ですから、やはりその理念がはっきり表れている政党名にするのが一番です。
アメリカではあらわな現象なのだが、一地方の権力者が政治的なイノベーションに成功する。このイノベーションに成功した者同士で民主、共和党内で大統領候補を一人絞り込み、選ばれた二人の一騎討ちで雌雄を決する。かの国では、政治的イノベーションを国政レベルに適用するノウハウや仕組みが出来ているように思われる。日本でも戦国時代や明治維新において、こうしたダイナミックスがそれなりに働いたように見える。つまり、地方政治のイノベーションが国政をハイジャックするわけだ。「大阪」という地方でのイノベーション、「名古屋」という地方でのイノベーション、東京という地方でのイノベーション、宮崎という地方でのイノベーション。三重でも岩手でも神奈川でもいくらでも追加できる政治的なイノベーションの中で、国政をハイジャックできるだけの「地方の問題」に取り組み成果を挙げた事例があるなら、政党名には、地域の名前を入れるべきだろう。地方で政治的イノベーションをいち早く享受した人たちが、強力なサポーターとして国政選挙に利用できるからだ。大阪方式を日本全国に導入するというなら、政党名として大阪の名前は外せない。そういう意味でなら、「大阪維新の会」の名前は、悪くない気がする。もっとも、たいした実績もないくせに人気取りとして地方名を冠しただけなら、やはりカモフラージュであることは変わらない。第三局とやらが成功するかしないかは、大阪の住民が橋下の国政への野心をどの程度本気でサポートするかにかかっている。おそらく大阪のおばちゃん達は、白々しさを感じているのではないか?また、「維新」というのがアナクロで保守的メンタリティーに媚ているのがクサイと思う。ついでに言えば、東国原の「どげんかせんといかん」というキャッチフレーズがいい感じがするのは、この地方の問題や危機の孕む「普遍性」を方言によってたくみに際立たせているからだと思う。政党の名前が今ひとつに思えるのは、こうした地方政治のイノベーションを国政レベルに鍛え上げるノウハウが未だ確立途上にあるからなのだろう。
ghostbuster さんが書きました:
アメリカではあらわな現象なのだが、一地方の権力者が政治的なイノベーションに成功する。このイノベーションに成功した者同士で民主、共和党内で大統領候補を一人絞り込み、選ばれた二人の一騎討ちで雌雄を決する。かの国では、政治的イノベーションを国政レベルに適用するノウハウや仕組みが出来ているように思われる。
米国では、国民が直接大統領を選ぶので、州知事として実績を上げた政治家が大統領になることは珍しくありません。日本では、知事が首相になった例は細川護熙だけで、普通は、国会議員として長いキャリアを持った人がなります。
ghostbuster さんが書きました:
政党の名前が今ひとつに思えるのは、こうした地方政治のイノベーションを国政レベルに鍛え上げるノウハウが未だ確立途上にあるからなのだろう。
政党名のイノベーションという点では、19世紀から主要政党の名前が二つで固定されている米国よりも、次から次へといろいろなキラキラネームの政党名が誕生している日本の方が著しいと言えるでしょう。もちろん、新しい名前の政党の誕生は、新しい政治の誕生を反映しているとは限らないのですが。
政治的な運動体が、一地方あるいはオタクみたいな特定集団から「前衛」としてコブみたいに形勢される。このコブが悪性の腫瘍だか男根だか特殊な感覚器になるかは、時間をかけて育ち具合をみないと判断しにくいと思う。例えば、高齢化社会に対する政治的運動体が、東京より過疎が進みじいちゃんばあちゃんしかいないような限界集落で成立する可能性がある。明らかに「どげんかせんといかん」わけだ。問題が先鋭化する場所で、政治的運動体により政治的イノベーションが日々生産されていると考えるのは自然に思える。こうした場所で成立した「政党」は、誕生した場所と時間を髣髴とさせる名前をもつべきだろう。そういう意味でなら、今はなき「太陽の党」は、慎太郎の下半身の事情を髣髴とさせて、悪くなかったのかもしれない。持続時間が「短い」のも納得がいく。大阪維新の会という名前を選挙用に日本維新の会に変えたのには、戦略的には失敗に思える。
石原は相変わらず去勢コンプレックスのようです。
石原新代表は日本の現状を、中国にかつて存在した去勢した役人「宦官(かんがん)」にたとえて、
「下品な言葉だが、今の日本はキンタマ取られた宦官と同じだ」
とばっさり断じてみせたのを始め、さらには「古い歌ですが」と言いつつ、昭和初期の歌「昭和維新の歌」を引用し、「憂国」の思いを重ねて吐露した。同曲はかつて二・二六事件を起こした青年将校らも愛唱し、国のためなら直接行動も辞さない覚悟をうたった「過激」な歌として知られる。[28]
日本維新の会の代表に就任した立場の人間が「昭和維新の歌」を引用するのはまずいのですね。橋下は昭和維新と同じことをするつもりで党名を選んだのではないが、石原の解釈はそうではないということかもしれません。
“「合併」石原新代表「舌好調の季節」「橋下くん殴るかもしれないが…」" の中で、「減税日本といのは、ネーミングが良くない」と石原が発言している。粗雑だと。中身をまったく問題にせず、名前だけをあげつらうという意味でなら当方と同レベルの「おつむ」の出来らしく思える。要するに難しいことがわかんないだよね!今はなき「太陽の党」の政策を放棄し、「日本維新の会」の政策を丸呑みし、あろうことかその党首に収まるような人間なのだから、ますます親近感を持ってしまう。政策などというの「ささいなこと」より、武士(もののふ)らしく名を惜しめということなのだ。カッコイイ!?その割には、文化の薫り高い「太陽の党」はすぐ粗雑な」「減税」と共に捨てられたのだから、名より実を取ったのだろうか?それとも、「党首」というの名がもっと好きだったのか?「総理」をちらつかせれば、何もかもがささいなこととして、投げ捨てる覚悟だけはおありに違いない。中身のない人とは、場合によっては、「たこ」並にかくも柔軟な軟体動物にも変身するものであるらしい。他人のことは言えないが!!「たこ」同士仲良くしましょうね。
橋下が、政策という点では太陽の党よりも減税日本に近いにもかかわらず、政策や名前を口実に合流を拒否するのは、減税日本の地方議員が数々の不祥事を起こしており、一緒になることで大阪維新の会のイメージが悪化するのではないかと懸念しているからでしょう。
ところで、「減税日本」のように政策をそのまま政党名にする政党がもう一つできるようです。
亀井静香元金融担当大臣と民主党から離党を表明した山田元農水大臣が、「反TPP・脱原発・消費増税凍結の党」という名前の新党を立ち上げます。代表には山田氏、幹事長には亀井氏が就任し、19日夕方に旗揚げする予定です。[29]
この組み合わせなら、「国民の生活が第一」など他の政党と同じだから、差別化という点では十分ではありません。
「反TPP・脱原発・消費増税凍結の党」は、長いね。しかし、ここまで行くと少し印象が違ってくる。さすが亀井さん!減税党、増税党、原発推進党、脱原発太陽エネルギー党(略して今はなき太陽党)、TPP反対党、TPP賛成党、脱原発党、原発推進党とかいろいろ作って、一人に一票とか言わず十票ぐらい割り振って、気に入った党に投票するといいのではないのか?issue毎に国民が決めれてとてもよい!この調子で、オスプレイも普天間も行政改革も復興も防災も教育も国際競争力も円高も少子高齢化も尖閣も竹島も核も非正規雇用も年金崩壊も限界集落も拉致も北方四島もセックスレスも君が代も片っ端から解決して欲しいものだ。無節操な私の割には、割といい考えのような気がしてきた。石原もキット同感だろう。政策など所詮ささいなことなのだから。
正式名称はもっと長くなって、「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」なのだそうです。テレビ番組では、政党の政策の違いを TPP 交渉参加、脱原発、消費税増税に賛成か反対かで分類しているところが多いので、それを意識してのことだと思いますが、有権者が最も関心を持っているのは景気対策や年金ですから、これらの論点での違いをもっと検討するべきでしょう。
出たーーーっ!『実現」忘れてましたよ。「幸福実現党」ね。さすが目配りの亀井さん、パクリですか 確かに「実現」があると本気みたいに聞こえていいんですよ!亀井さんの場合「郵政国営化実現党」にした方がもっといいかもね こうなると「減税」一本に絞りこんだ河村はエライという気がしてきた。何だか知らないが「日本」をつけ「実現」をつけ、後は適当に政策をくっつけるといいじゃないのか?「日本普天間国外移設実現党」とか「日本年金改革実現党」とか「日本円安実現党」とか「日本役人地獄実現党」とか「日本拉致被害者奪還実現党」とか作る。国は何もしてくれないとか愚痴は言わず、さっさと党を作ればいいんです。もちろん、党なので党議拘束は受ける 。しかし同時に、議員は複数の政党に所属して良い事にしてしまう。実に民意を世論調査並みに反映してくれそうな仕組みではないか?今度の選挙はそういう理想的な政治体制への過渡的なエピソードとして記憶されるに違いない 。一つのissueぐらい四年あれば、ちゃんと実現しろよというのは、確かに『民意』だろう 。
「複数の政党に所属して良い事にしてしまう」のなら、それは現在も存在する様々な超党派の国会議員連盟と同じです。ここに一覧がありますが、いずれも実現したい政策課題がタイトルとして掲げられています。こうした議員連盟に存在感がないのは、所属する政党が採決の際に党議拘束をかけるからで、党議拘束がある限り、議員が自分の信念よりも党幹部の決定に従うことを優先する現状はあまり変わらないでしょう。米国が二大政党のまま変化がないのは、党議拘束がないからで、民主党所属の議員が共和党の法案に賛成しても除名になったりはしません。
メニューとしては、充実しているけど、注文すると料理長がいちゃもんつけて実際には出てこない料理屋みたいなものか ならメニューに載せるなよと客から文句が出てもしょうがない 。ただいま、売り切れとかまだ仕入れていないのでお時間かかりますとか苦しい言い訳に終始することになる 出せる料理だけメニューに載せる。で「実現」をつけた党名になるわけだ。議連を党に格上げすればいいような気がしないでもない。国会議員はみんな、どれかの党首になりそうだな。バラで売ってもいいし、セットで売ってもいい。議連で一番人数が多いところが主導して組閣すればいいのでは。二大政党制は、どうも日本には定着しなそうだから、むしろ八百万の神々よろしく、ゴマンと作るのが良さそう。問題はあるんだろうけど、今よりマシかも
議員連盟には、ワイン愛好議員連盟とか、大相撲愛好議員連盟とか、趣味的で同好会的なものもあるから、必ずしも政党の代替機能を果たすものばかりではありません。ちょうど学生にとって重要なのは学業で、課外活動は副次的な意味しか持たないのと同じことで、議員たちにとってはそうした「クラブ活動」よりも、自分の身分にかかわる政党員としての活動の方が重要ということなのでしょう。
政党の名前として、短くて覚えやすいというのも重要だ。長い名前は、日本では必ず省略されるのでそこまで見越して党名をつけて欲しい。省略された党名の方が世間には流通するのだからむしろ省略された名前の方が戦略上重要である。ちょっとユーモラスで話題になるならますますいい。選挙は名前をめぐる戦いでもあるのだから、武器は「使えなくて」は邪魔でしかない 。「反TPP・脱原発・消費増税凍結の党」を省略するとどうなるのだろうか?先っちょだけで「反TPP党」あるいは「凍結党」いずれもパッとしない。党名の省略は、命名者が不完全にしかコントロールできないのだから、ますます重要だ。日本維新とみんなの党の合併で、「みんなの維新」というのも取りざたされたことがあったらしいが、割といいネーミングじゃないのかと思った 。維新もみんなも単独ではイマイチだが、組み合わせるといい感じがする。面白いものだ 。昔の映画で「妻よ、薔薇のように」というタイトルがあり、これを「妻薔薇」と略していたのを思い出した。これなど、なかなか漢詩みたいでいいではないか 。二つの言葉を重ねて、新しい組み合わせになり、なんとなく新しい感じになるところがよい。既存の言葉をなぞる感じだとちょっとガッカリするからだろう。略してAKBとかになったりすると狙いすぎて逆効果だろう 。
連立を前提にした組閣の時代なのだから、党名もそれを前提に考えた方がよさそう。そういう意味で「みんなの党」はなかなかいい党名だと考え直した。江田さんすいませんでした。 維新と組めば「みんなの維新」、自民と組めば「みんなの自民」、民主と組めば「みんなの民主」、あり得ないが共産なら「みんなの共産」、公明なら「みんなの公明」だから、「萌える党」とかにする。こうすると「萌えるみんなの党」とかになり、連立というより一つの党のイメージにシームレスに収まる。「萌える維新」、「萌える自民」なかなかいいではないか
政党名特に新党の名前がイマイチだと思っていた。確か新進党の時、党名を公募したような記憶があり、少々期待したのだが(政策ではなく名前です!)大したことのないバカみたいな名前になってガッカリした 。文句ばっかりいってもしょうがないので、なぜこの程度に名前にしかならないのか疑問に思いトピックを立ててみた。永井氏の適切なコメントで、随分と考えがまとまり当方かなり頭がスッキリしてきた。政党名を公募するのは基本的に悪い考えではないと思う。しかも民主的に多数決で決める。まず、一つのissueだけの「実現党」をいろいろ作ってもらう。で投票する。有権者としては、これが大事だと思うissueへの態度を表明できる機会でもある。さらにこの投票は、次の政権を担う政党あるいは統一会派の名前を決める選挙でもある。しかる後、連立せざるを得ないのだから、組閣する勢力は、統一会派か新党をつくる。この段階で、それぞれが掲げるissueをなるべく彷彿とさせる名前を公募する。例えば、脱原発実現党、TPP参加実現党、年金改革実現等、景気回復実現党が組んで組閣するとして、この段階で統一会派の名前を公募して決めてもらうのだ。いくら何でも少しは気のきいた名前になりそうだし、政府を支える統一会派の名前なのだからおのずと力が入り、国民も政治に関心を持ちまとまる気がする 。現実の政党は、無理して複数のissue取り揃え多数派工作を選挙前にしているわけだが、この多数派工作は選挙後にするように変えればいいと思う。第三局も自民も民主も例えば、TPPへの参加をめぐって内部に反対勢力を抱え込んでいる。これでは、組閣してもTPPに対して「党内調整」に時間ばかり食われ、全く政府が仕事をしないまま無駄に時間が浪費されることは目に見えている 。国民としては、一つのissueを掲げる政党を支持するように投票行動をかえるべきではないか?また政治家は自分の専門とするissueに対して知識と経験と信念をもって新党を立ち上げるべきだろう。メニュー豊富でも注文すると出てこないのでは、お話にならない
ghostbuster さんが書きました:
日本維新とみんなの党の合併で、「みんなの維新」というのも取りざたされたことがあったらしいが、割といいネーミングじゃないのかと思った
3月11日に、維新とみんなの党は合併した方がよいと書きましたが、その後維新が日本創新党や太陽の党を吸収合併して変質したので、現在はこの考えを持っていません。これまで「橋下徹は自由主義者か国家主義者か」を問うてきましたが、日本創新党や太陽の党を吸収合併したことで、維新は国家主義の方向に大きく傾くことになりました。擁立する候補者にも国家主義者が多数見受けられます。
日本維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は20日夜、衆院選比例近畿ブロックの単独候補として、西村真悟元衆院議員を擁立する考えを明らかにした。
西村氏は太陽の党公認で地元の大阪17区から出馬する予定だった。だが太陽の党が日本維新に合流し、日本維新が17区に大阪維新の会所属の地方議員を擁立したため、調整が続いていた。
松井氏は「西村氏には今まで活動していた選挙区を離れてもらうので(比例名簿の)高順位になる」と述べた。[30]
近畿ブロックで高順位なら当選するでしょうが、そこまでして当選させなければいけない候補なのでしょうか。最近の情勢を見ていると、日本維新の会は、維新政党・新風の右翼的なポジションに近づきつつあるように見えます。同じ「維新」でも、日本維新の会は、大前研一が誤解した意味で使っているのに対して、維新政党・新風は、「維新」という言葉を本来の意味で使っているように見えます。維新政党・新風は、基本政策方針で、現行憲法の失効論に基づき、帝国憲法復元改正論を主張していますが、こうした憲法無効論は、現在封印しているとはいえ、石原慎太郎の持論と同じです。
残念!「みんなの維新」はないのか?つまんない名前も組み合わせると面白くなる典型だと思っていたのだが。中国の尖閣や韓国との竹島で国家主義が人気を博すのはある意味分かるが、あんまり勇ましいことを言って、中国との軍事的緊張を高め、中国が本気となれば、アメリカに泣きつくことになり、結局日本は対米依存を深め国家としての日本は、アメリカの属国の地位を不動のものにするだけではないかとと思う 。国家主義とは名ばかりで、目先の強がりしか目にないガキとしか思えない。それでは、核兵器を持ち徴兵制を制度化し、クーデターで憲法を無効にし大日本帝国憲法を制定することは、今度は中国のみならず、アメリカが承知するはずもないのは明白。国際的孤立は目に見えている。彼等の主張は、いずれにしろ、結局日本の国家としての弱体化しか帰結しないのは明白だろう 。確かに君が代斉唱だけはうまくなるかもしれない 。要するに、国際政治の力関係に疎く、島国根性丸出しの田舎もんという印象しかない。アメリカと中国と適当にうまくやって、両国に日本を高く売るチャンスを広げ、太平洋の派遣を握ることこそ真の国家主義だろうと思う。「みんなの国家主義」という新党でも作って欲しいものだ 。古いが、インターナショナルでもいい!
第三極が民主の狙い通り、TPPを巡って二つに分裂するようだ。最初からまとまるのは無理があったのだが、予想通り二つに分裂した。第三極の片割れは、生活、反TPP、減税が同じような主張なので最終的にはまとまる可能性はあるのだろう。項目だけ見ていれば、社民、共産、公明も反TPP、脱原発、増税反対でまとまりそうだ。名前はいろいろでも、政策で直交分解すれば、同じことになってしまう 。今回の選挙は、マニフェスト選挙ではなく、党名選挙というべきではないか!? マニフェストでは手ぬるい。例えば、党名が「減税」なら当然、増税はマニフェストでも党の政策でもなく、党名に矛盾する。今回の選挙は、「党名選挙」の走りになるやもしれぬ。脱原発という党名の党が組閣して、もろもろの事情から、原発を推進したら流石にバレるだろう。キャッチフレーズ、公約、マニフェスト、ついに「党名」とわが国の政治は、確実に「学習」、「進化」していると思いたい 。政治不信というか政治家不信もここまで来ると、創造的な気もする !
みんなの党の公認候補の中には、勝手に「みんなの維新」という看板を掲げている人もいるとか。
<みんなの維新>。京都の選挙区で出馬する立候補予定者の宣伝カーは、こんな看板を掲げて市内を走る。
この立候補予定者は、みんなの党の公認を受けているが、みんなの党と同様、「道州制」などを主張する日本維新の会の政策に共感。「今の日本を変えるには、みんなと維新が手を結ぶべきだ」と文案を自ら考え出したという。
両党の合流を期待していたが、維新の会が同じ選挙区に公認候補の擁立を計画しており、混乱に拍車がかかる可能性も出ている。立候補予定者は、「足の引っ張り合いは民主や自民を利するだけ。何とか調整してほしい」と両党間で候補者調整がすすむことに期待をつなぐ。[31]
ところで、橋下はみんなの党に再度合流を呼び掛けていますが、渡辺はこれを拒否しています。
日本維新の会の橋下徹代表代行が23日、みんなの党の渡辺喜美代表に合流を呼びかけたのは、政策が異なる旧太陽の党との合流で強まった「野合」批判に危機感を抱いたためだ。政策の近いみんなの取り込みをはかったが、維新は旧太陽との合流時の基本政策で「原発ゼロ」などみんなと共通していた政策を撤回したばかり。唐突な合流呼びかけには橋下氏の焦りもみえる。
「(みんなとの)合流を進めるなら、いったん(旧太陽との)結婚を解消してもらわないと進まない」。渡辺氏は23日夜、東京都内で記者団にこう述べ、合流するならば、旧太陽の母体となった旧たちあがれ日本メンバーの排除が前提になると強調した。
維新は17日の旧太陽との合流で合意した基本政策で、「原発ゼロ」や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)、企業・団体献金禁止などみんなと共通するテーマで大きく後退した。みんなと15日に合意した共通政策との整合性はとれておらず、渡辺氏はその点をついた。
一方で、橋下氏が合流時の候補者調整を「じゃんけんで決めてもいい」と発言したのは、選挙区調整で大幅に譲歩することで、そうした問題を棚上げし、みんなをひきこもうという考えが背景にある。
だが、渡辺氏は「じゃんけんとはいかにも乱暴だ」と不信感を示した。さらに「(橋下氏は)よっぽどせっぱつまっている。質より量の候補者擁立が行われている」と述べ、橋下氏が焦りから合流を提案したとの見方も示した。[32]
22日現在、18選挙区で競合しているのだから、両党の選挙協力は事実上破綻しています。それなら、いっそうのことみんなの党は、日本維新の会との形だけになった連携を破棄し、違いを強調した方がよいでしょう。自民党と公明党のように、それぞれが組織票を持っている場合は、連携に効果があるでしょうが、こういう風頼みの政党の場合、重要なのはイメージだけであり、「維新の二軍」あるいは「維新の亜流」というイメージではみんなの党は票を得ることができません。
一般的に言って、政策が同じ候補が複数いる場合、有権者は最もその政策を実現する能力がありそうな候補に投票します。郵政選挙の時、民主党は郵政民営化に賛成しましたが、郵政民営化に賛成する有権者は、野党だった民主党ではなくて、それをすぐ実現する立場にあった与党の自民党に投票しました。もしも私がみんなの党の幹部なら、日本維新の会との対決を通して、党の独自性を主張する路線を党首に推奨するでしょう。
みんなの党は、「反原発とTPP推進と企業の政治献金禁止を実現する党」とかに党名を変えたりしないのだろうか? もはや、時代は何が入っているのかわからない福袋政党(略して福党)ではなく党名が透明なビニール袋政党(略してビニ党)を望んでいるような気がする 。けなしていたが、今はなき「減税」は、党名を政策一本に絞ったという意味で画期的な気がしてきた。これだと、重要政策をある意味直接国民投票で決めることになるから、直接民主主義ぽくってよい 。今のところ、政策を党名にしているのは、票が取れそうな政策をとりあえず掲げて権力に返り咲こうという、老政治家とその後ろにいる圧力団体のカモフラージュでしかないとは思うが方向としては、悪くない気もする 。もっとその道のプロが一人一殺(政策)の迫力で政党を立ち上げれば、案外何とかなる気がする。反原発ならこの人しかいないという人が間違いなく一人ぐらいいると思うのだが
永井氏によると、維新は太陽との合併により、国家主義的な方向に変質したということらしい。名前は変わらないが、中身が変わった。これは政策面のトーンダウンや石原、平沼の過去の発言からも、またみんなの党の反応からもほぼ確実と思われる。この政治的妥協の産物は、橋下はもちろん、石原、平沼にとっても政治的な信念がないのかと疑わせるに十分だ。野合といわれても仕方がない。大同団結とか小異を捨てて大道につくという言葉が常套句として採用される。信念がないとは思えない人々が、権力に近づこうとする時に、甘受することになるこうした妥協は、要するに決断の先延ばしであり、権力掌握後にも調整に時間をとられることによる政治空白を生むだろうし、内部に敵を持つ政権が国際的にも足元を見られることは明白に思える。つまり、自民や民主とさほど変わらない不安定な政権になるだろうと予想がつく。維新という玉虫色の政党がまた一つ増えたに過ぎない。みかけほど選択肢が増えたわけではない。自民や民主が純化する一方で、第三極が不純化する!こうした妥協の副作用を熟知している第三極の老獪な政治家にとって、政策の実現より大事な何かが権力掌握により手に入るわけだろう。公言できない何かだ。あるいは、はっきりとは言いがたいこまごまとしたことなのかもしれない。それは、想像するに、行政のもつ人事も含めた大きな裁量権だろう。この裁量権を制限するのもまた裁量権に属するわけだから、話はややこしい。つまり、スピード違反を取り締まるのに、スピード違反を許される警察のようなところがある。正確に言うとスピード違反をする違反者を取り締まる警察官のスピード違反を取り締まるのは、難しい。それは、行政に必須な裁量として正当化されていることになっている。この例は弊害が際立たずあまりよくなかったが、一般に行政に付与されるこうした大きな自由度は、政策面の違いを小異、些細なことにしてしまう。権力は、裁量権の裁量権なのだろう。もし国民が政党に政策の誠実な実現を求めるなら、裁量権の制限をまず目指す方が良さそうだ。そうでないと裁量権のもつ自己保持機能が政策軽視効果を生み、政治家に政策での妥協と政策の引き伸ばしを選択させ、政権の不安定化につながる。「脱役人天国実現党」をつくるべきだが、国民のために自分で自分の首を絞める(裁量権の制限という裁量権の行使のこと)政治家は「まれ」だろう。ただ、絶無ではないとは思うし、時代が必要としているのもそうした政治家だ。
ghostbuster さんが書きました:
みんなの党は、「反原発とTPP推進と企業の政治献金禁止を実現する党」とかに党名を変えたりしないのだろうか?
みんなの党の公約はここに掲げられていますが、細々とした公約をすべて党名に盛り込むことはできません。そもそも「自由民主党」という党名ですら長く、「自民党」と略されるのですから、漢字二字でまとめきるのがベストです。みんなの党の場合、陳腐であるというデメリットはあるものの、「自由党」と名乗るのが一番素直であると思います。但し、英語表記は、この党の性質を反映させるなら、これまでのような“Liberal Party”ではなくて、“Freedom Party”としなければいけません。なお、石川八郎の政治団体「自由党」が今でも存在しているようですが、政党名として届け出る上では問題はないでしょう。 国政政党の「日本維新の会」も、原口一博元総務相の政治団体と同じ名前ですが、問題なく認められました。
選挙では党名とともにスローガン/キャッチコピーが重要です。小泉純一郎は、郵政選挙の時、「改革なくして成長なし」、「郵政民営化こそ、すべての改革の本丸」といった、彼の政策を簡潔に表現したスローガンで圧勝しました。こういう小泉の手法を「ワンフレーズ・ポリティクス」と言って非難する人もいますが、ほとんどの有権者は長々とした公約集を読むことはしないので、選挙では簡潔に表現されたスローガンを繰り返すことが重要になります。消費税増税が争点となった2010年の参議院選挙で、みんなの党は「増税の前にやるべきことがある!」というキャッチフレーズで躍進しました。渡辺善美は、「アジェンダ」という言葉がお気に入りのようですが、こういうほとんどの有権者が理解できないような言葉を連呼することはやめて、党の政策を簡潔に表現したわかりやすいキャッチフレーズを使うべきでしょう。
永井氏のご指摘の通り、短くてインパクトのあるスローガンは重要だろう。私の結論である党名を政策名にしてくれという要求は、スローガンさえ広告できない泡沫政党の緊急手段として重要とは思う。小泉のワンフレーズ・ポリティクスは既得権益を削ぐのに有効だった。今回の選挙でもうまいスローガンを打ち出して欲しい。一つ気になるのだが、今回の衆院選挙は、違憲で無効だということだ。この点を突いてくるスローガンを打ち出して今回限りで消えてくれる政党がいてもいいのではないか?スローガンとしては、「死ぬ気で当選、必ず辞職。違憲の選挙は無効!!」選挙制度改革党(略して選改党)は、いかがだろう。これを連呼して列島を駆け巡るのだ。「生きている」という感じがしていいと思う 。
選挙が違憲であることを主張するために出馬するのは、「クレタ島人は皆必ず嘘をつく」と言っているクレタ島人と同じで、自己矛盾的です。裁判所を通じて訴えるのが最も合理的な方法で、すでに総選挙の差し止めが申し立てられています。
12月16日投開票の衆院選の定数配分を巡り、「1票の格差」の是正を求めてきた山口邦明弁護士のグループは16日、国を相手取り、総選挙の差し止めなどを求める訴訟を東京地裁に起こした。原告側は「投票価値の平等が害されたまま投票を行い、国民に重大な損害が生じることは明らか」と主張している。
最大格差2.30倍だった前回の2009年衆院選について、最高裁大法廷は昨年3月、「違憲状態」と判断、次期衆院選は現行の区割りのまま実施される。
訴状によると、弁護士らは、天皇の国事行為である「衆院選の公示」への「内閣の助言と承認」を行政処分ととらえ、行政事件訴訟法に基づいて差し止めを請求。早期の司法判断を求める仮の差し止めも求めた。
さらに、都道府県に必ず1議席ずつ割り当てる「1人別枠方式」の廃止を指摘した昨年3月の最高裁判決を踏まえ、原告側は内閣に改正公職選挙法案の国会提出を求めている。
山口弁護士は同日、記者会見し、「最高裁が違憲状態と判断した定数配分のまま行われる衆院選は今回が初めて。司法の行政に対するチェックを全く無視するもので、見逃すことができない」と話した。[33]
しかし、この申し立ては却下されました。
決定で川神裁判長は「このような訴訟提起を認めた法律の規定はなく、現行の法制度では、定数配分の違憲を理由に選挙無効を求める訴訟しか認められていない」と指摘。「事後の是正が十分有効かは、裁判所としても若干の疑念がある」としつつ、「選挙の差し止めを認めて国政の停滞を招けば、かえって弊害が生ずるおそれがある」と述べた。
山口弁護士は「国民の基本的人権である選挙権が侵害されようとしているのに、選挙が終わるまで待てというのは、法律の不備。最高裁まで争い、判断を仰ぎたい」と話した。[34]
最高裁まで争うとのことですが、結論が出る前に選挙が行われるでしょう。衆議院総選挙の費用は、2009年の時で683億円で、今回もそれぐらいかかると予想されます。横路孝弘衆院議長は、選挙無効判決もあり得ると警告していましたが、本当に無効になるなら、大変な無駄遣いということになります。
それにしても、0増5減など、その気になればもっと早く実現できたのに、なぜ民主党はぎりぎりまで可決を延ばし、違憲状態での選挙を選んだのでしょうか。ひょっとすると、民主党は、次の選挙で惨敗になって下野しても、無効判決が出て、すぐにまた総選挙のやり直しがあるから、短期的に党勢の立て直しができると考えて、あえて違憲状態での選挙を選んだのかもしれません(考え過ぎかな?)。
もちろん、自己矛盾的でしょうね 。しかし、無効な選挙で選ばれた国会議員が立法を行い、内閣を組織するというテロに比べれば、かわいい部類でしょう。そんな内閣でもないよりマシという司法判断なら、裁判所の方が自己矛盾的ではないですか?一票の格差という基本的条件が満たされないことを違憲と判断するのを渋った裁判所も違憲ではないでしょうか?やっぱり、アノ最高裁判所裁判官国民審査に期待をつなぐべきか?
憲法改正だの無効だのの勢力が増加し、日銀の独立性が怪しくなりつつある中で、違憲な選挙を止めれるはずのなのに止めないお馬鹿な裁判官がいる。行政の裁量権が肥大化し、司法権も金融政策のプロ管理も機能しなくなる。次は当然シビリアンコントロールが危うい。勇ましい話だが、ガキの虚勢にしか過ぎない。 一方にハイジャックされそうな国家があり、それを阻止できるはずの裁判官がそのテロリストを招きいれる。輝かしい21世紀も既に末期である。最高裁は現状追認の安易な決断をした。どこにも悩んだらしき形跡がない 。最高裁判所裁判官国民審査こそが、今回の最大の争点だろう。そこでスローガンと新党名を考えた。「判事、今度の衆議院選挙にご出馬お願いします!」「最高裁判事を衆議院議員に当選させる会」である。私にしては、いい考えのような気がする! もちろん、こんな党に投票などしない!こんなアホは、落とします。職務を全うしろよ職務を、プロなんだから。
日銀の独立性に関しては、もっと制限されてしかるべきだと思います。中央銀行の独立性には、政策目標を定める「目標の独立性」と、目標を達成するための金融調節手段を選ぶ「手段の独立性」があり、英国やノルウェーなどでは前者は政府の役割です。つまり、中央銀行には目標の独立性がないということです。例えば、政府がインフレ目標を 2% に設定し、これを日銀が達成できない場合は日銀総裁を更迭するというような制度になっても、日銀の独立性は否定されたことにはなりません。
高橋洋一によると、日銀が自分たちの独立性にこだわり、リフレに消極的なのは、日銀の天下り利権が原因とのことです。安倍発言の効果を見ればわかるように、金融緩和は、たとえアナウンスの段階であっても、円安をもたらすのですが、こういう形で円安が実現することは日銀にとっては好ましくない。日銀としては、
となることが好ましい。どれぐらい稼ぐかというと、100兆円の数パーセントだとか[35]。「日銀の独立性」という大義名分のもと、こうした天下り利権が保護されてもよいものなのでしょうか。
なお、この話題は、「調整インフレは有害か」について で主として扱っているので、そちらも参照してください。
TPPへの参加が今回の選挙の一つの目玉になっている。反TPPを唱える論客が何故か憂国ぽいなと思い、国家主義が妥当な名称だが、三島由紀夫みたいに決起に失敗したら「潔く、男らしく」割腹自殺をしてくれそうにはないので、「新」憂国党と命名することにした。 政党の名前にしても、憂国忌などと三島ごときのために彼の命日を命名するぐらい文学的な我国民であってみればなおさらだろう。それでは、TPPへの参加を推進する側には、憂国的な気分がないのかというと「参加しないと、日本が沈む」という危機感があるわけで、これまた憂国的であることに変わりはない。憂国バヤリのようだ。 議論を単純にすれば、農協と輸出産業の対立ということだ。もっと露骨にいえば「お米」と「車」か?トヨタに勤めていれば、自動的にTPP賛成、お米を作っていれば、自動的にTPP反対である。ほとんどの人は、お米も車も作っていないし、考えるのが面倒でもあるから、もっともらしい党名やキャッチフレーズやイメージで決めることになる。いつものことではあるが、重要なことは、「気分」で決めるのだ!この「気分」が秋の空並にころころ変わる。こんなはずじゃなかったのに。「気分」よく決めたのに、気分の悪い結果になった時、犯人は誰かということになる。もちろん、「総理」であるに違いない。役人であるに違いないとなる。要するに、党名やイメージやスローガンが政治の全てであるということだ。経済的な規模としてみれば、「お米」と「車」では、車の方が問題なく大きい。TPP賛成なら、スローガンは「車で儲けて、コシヒカリを食べよう!」である。泣かせるではないか! ところが日常性というか身近という意味でなら「お米」だ。そこで、反TPPにおすすめなスローガンは、「日本のお米を日本人が食べれなくなっていいですか!」である。 実に憂国的でいいと思う。おそらく、現実の選挙は、もっと気が利いたスローガンでお互いチエを絞り戦うことになるのだろうが、こんな程度だと思う。ところで、TPPってブロック経済だよね。
永井氏の引用された記事を読み、日銀が内職をして数兆円ほど儲けているということのようだ。円高での日銀介入は知っていたが、それで内職をして稼いでいたとは知らなかった。永井氏の論文を読み「調整インフレは有害か」で安部さんのお札刷りまくりも、マシな政策であることも理解できたが、刷ったお金を土建屋に流し、上前をはねる。これでは、田中角栄と変わらないところが、気になる。公共事業の乗数効果も望み薄なのでなおさらだ。日銀民営化だね! 郵政の次は日銀民営化党!
ニュースです。滋賀県知事の嘉田由紀子氏が、「脱原発」を掲げて新党を旗揚げする構想が浮上。おいおいまた新党だぜ。橋下の太陽との合併に伴う、維新の変質がその原因であるようだ。私は、いいことだと思う。一つの政策で一つの政党にしてもらって、その政党が支持されれば当然連立相手として考慮するというのでいいような気がしているから。もっともこうなると、一票ではなく三票ぐらい配分してもらって、気に入った複数の党に投票できるようにして欲しい。候補者も三つぐらい掛け持ちしてもいい。野合批判もなくなる。もちろん、あり得ないのは承知だが、逆にこうした改良が不可能なのは、連立を前提にした政党の選挙前の候補者の選定と調整がうまくいかないせいだろう。野合が構造化されているのだ。そんな中面白いことをいう議員がいる。党を選ぶのではなく、個人を選んで欲しいという候補者だ。農村部の民主党とか、都市部での自民党の候補者だ。TPPがらみだろうが、気持ちはわかる。なら、無所属ででろよと思うが、それはできない。やっぱ、党議拘束をはずして、党は名前だけにしてしまうのがよさそう。そうしないと、俺、維新だけどやっぱ原発反対だわ!などとたわけたことをほざくにちがいなく、さぞ国会はもめるだろう。こうした事態を、なんともアホらしいと思うのは私だけ?政策の実現の方が、党なんぞの存続よりはるかに重要ということだ。
民営化しろと言いますが、日銀は既に民間企業で、株式も公開されています。但し株を買っても、議決権はもらえません。配当がもらえるだけです。日銀の株の55%は政府が所有しており、形式的には民間企業だけれども、実質的には政府の一部のようなものです。だから、一部の論者がやっていることですが、政府が日銀に対してインフレ目標を設定することを「民間金融機関に対する不当な圧力」と言って非難することは的外れなのです。日銀の役割を考えるなら、中途半端に独立させずに、完全に政府の一部として位置付けた方がよいかと思います。
日銀は、民間会社だったんですね。そう言えば、どこかで聞いたような気がしました。民営化するまでもなかったということですか。日銀の裁量権を制限するには、むしろ国有化が望ましいということですかね。中央銀行の独立性というのを、歴史的に正当化するロジックは、賞味期限が来ているのかな~ 第三極が未来と維新の二つに分裂するようだ。第三局の中の左派の大同団結みたいなことになっている。長ったらしい党名は、これで皆消えるのことになる。これをみて、医者が幕末にタイムスリップする人気テレビドラマ「仁」を思い出した。ペニシリンを幕末に導入するというお話で、多世界解釈で何とかオチをつけた。SFと時代劇どちらが好きですか?みたいな選択になっている。ところで、未来の「卒原発」というキャッチフレーズは、よく出来ている。この滋賀県の知事は、地元で起こした既成政党に対する勝利を国政でも再現する事ができるのか興味がある。小沢と亀井には、もはや子分たちを当選させること以外興味はないだろうと思う。女性、知事、党首、鮮度がいい内に「勝負」ということだろう。原発は争点に浮上してきたようだ。反TPP、原発推進というのもいるから、どうしてもゴチャゴチャ感はある。おそらくめんどくさいので、「自民」とか「民主」のどちらかに入れちゃう人が続出しそう。思考停止と先延ばしの別名だが。
原発が争点になっている。私は、この議論に対してずっと違和感があった。原発の真の問題点は、抽象的にいえば、研究開発段階の未熟な技術をいきなり実用化してしまったことにあるように思う。アメリカからの圧力で仕方なくとか、エネルギー資源のなさが戦争の原因とかいろいろ説明はあるが、今は誰の目にもはっきりしている。原発は研究レベルの技術であるということだ。実用的な技術が既に確立済みというなら、四の五の言いワケせず、福島でその技術を実践してくれ。「今」それが出来てない以上、原発は実用レベルの技術ではないことを証明している。例えばiPS細胞の技術は、研究開発レベルの技術だ。当人がそう言っている。まだ、実用化の段階に達していないのだ。我々としては、研究の完成を待つしかない。原発もまた研究、開発レベルの技術である。臨界状態になりました。「大丈夫ですよ。」といえる技術がない。全電源喪失事故が起きました。「大丈夫ですよ」という技術がない。水をぶっ掛けて、冷やし汚染を拡散させ、現場の作業員を被爆させるしか脳がないのだ。明らかに、低レベルの技術水準である。脱原発とか原発推進とか言う前に、原発というものが、そもそも現在ただいまの技術レベルでは、赤ん坊程度のものであるということが抜けている。私は、原発推進でも脱原発でもない。研究としては原発はいまでも、あるいはいまこそ魅力あるテーマだといえる。そういう意味でなら、原発研究推進派である。略して原発推進である。しかし、実用段階にない未熟な技術を実用に供することは断固反対である。危なくてしょうがない。多くの生命をキケンに晒すからだ。そういう意味で、原発実用化反対派である。略して反原発である。原発でたまたま顕在化したのだが、この研究と実用レベルの技術の峻別が今回の選挙の政治的な争点として浮上して欲しいと思う。技術革新の激しい世界で、この研究と実用のレベルの区別はますます重要になって来ていると思う。iPS細胞など典型だろう。
今回の選挙の争点の一つに、デフレ脱却がある。日銀ががんがんお札をすればいいらしい。それはそれで結構な気がするが、私は葬式を無料化するのがいいと思う。 全額国が負担する。よく老後の心配や健康不安から貯金を溜め込んで、消費に回らないという。だから、福祉を充実させれば、貯金に回っているお金が消費に回り、景気対策としても重要という事になっている。福祉国家を正当化するときの常套句だ。日本で福祉国家が不発なのは、肝心の葬儀というところに踏み込んでいないからではないか?直葬が一般化するきざしもあるし、葬儀にお金がかからなくなれば、いくら溜め込んでも「宝の持ち腐れ」になる。「死」を前にすると、お金の賞味期限を意識せざるをえなくなるからだ。期限を過ぎれば、お金の価値がなくなるなら使ってしまうだろう。国費で一人30万ぐらいでそれなりの葬儀はできる。そうすれば、不安やら見栄やら不確定やらで葬儀費用を溜め込んだお金が消費に回りやすくなる。有名な政治家なり文化人なりが、率先してそのモデルになれば、おのずと簡易な「葬式」のスタンダードが確立されると思う。どの道死ぬのだから、日本の景気がよくなるように立派に死んで欲しいものだと切に思う。「景気よく死のうぜ!日本」党。争点にならないかな
原発推進と明言している政党がない。反原発の嵐の中で、そんなことはいえないという集団心理だろうか?石原と安倍が少し推進寄りなのだろうが、それもエネルギーの供給とかコスト上昇とか経済的にマズイので、仕方なくやるだけのこと。「現実」的なスタンスを保守層にアピールしたいのだろう。私は、原発は赤ちゃんレベルの技術なので研究、開発段階に規模を縮小して研究を続行するべきだと思う。興味の尽きない技術であることは間違いなののだから。研究が実用レベルに達したら、原発を使うことに賛成だ。原発を低コストで一家に一台設置すれば、永久に電気代が無料というのは理想的ではないか!辺鄙なところに助成金付きで「こそこそ」設置するのでは、実用レベルとは言いがたい。E=MC×Cなのだから、別に放射性物質を使わない原子力発電だって可能かもしれない。放射性廃棄物の画期的処理方法も開発して欲しい。もちろん過酷事故への対策も当然してもらいたい。研究テーマは、いくらでもあると思うし、やりがいもあるだろう。世の中には、いろいろな研究テーマがある。その中の夢のある研究のひとつだと思う。そういう意味でなら、私はガチガチの原発推進派だ。 ただし、実用されている原発は、速やかに稼動停止されるべきだ。赤ちゃんに過重な労働をさせるのは、児童虐待を通り越して、人倫に触れる。原発の実用は、全くそろばんに合わないし、現実的でもない。安部と石原は、原発に対して夢想家だ。願望を現実とを混同している。このような夢想家に原発の実用に関する政治判断をさせるのは、日本にとってキケンな賭けである。昨日の連続に上に今日があると惰性で考えるのは、全く現実的ではない。大きな断絶を経験した今となっては、願望でしかない 問題のある技術は実用されていても、一旦研究レベルに規模を縮小する。福島の犠牲が残してくれた教訓の一つは、この原則の確立ではないかと思う。
政策の名を冠した一つのissueに限った政党は、線香花火のように散ってしまった。面白いなと思って、政策=政党名というユートピアを夢見たのだが、儚い夢だったようだ。ただこうした夢も、ものさしとして役に立つ気もする。今朝の思いつきなのだが、なぜ減税、反TPP反原発などの長い名前を掲げざるを得ず、一方でその名前を短期間で放棄したのかということだ。政治家たるもの当然悩む。まして独裁者ではないので、反対派を監獄にぶち込むとか、殺すわけにもいかない。しかも、民主的選挙で勝たないといけない。しかし、これはある意味簡単で、多くの人が切実に実現してほしいと望んでいる政策を実現すると公約すればいいのだ。金と人と時間があれば、大抵のことは出来る。だから、政策を政党名にすればもっとも優先順位の高い政策をこれ以上ない形で明示したワケだから、掲げる政策さえ的を射て射ればかなりの確率で当選する気がする。もっとも、その政策を提唱する人がその政策に対してプロフェッショナルであるということが前提となる。その政策に対して本の10冊も書いて欲しいし、出来れば教科書レベルの客観的な情報も入っていればなおよい。一貫性ということでもある。選挙目当てで、地方での実績もないのでは、判断としては「?」がつく。ところで、一方で政治家は、誰もが白紙委任つまり独裁を目指している。これは、政策の実現ではない。政策を掲げることはこの白紙委任の夢に抵触するのだ。ここで、政治家の苦悩が始まる。やっと連中も悩み始める。なるべく政策を曖昧にして白紙委任を取り付け、政権の一翼を担う閾値まで当選者を確保したくなるのだ。一つのissueに絞らず複数の政策を掲げ、ユートピアのイメージ振りまくと同時に、政策の優先順位を曖昧にする。さらに、その一つ一つの政策も表現を工夫して解釈の余地を残す。フェードアウトって何?セコイネー!つまり、裁量権の担保ね。結局、われわれが政策で選んだつもりでも、それは知らない間に白紙委任へと変質している。「先生、テキトーにオネガイシマす。」ということ。好きにやって、後で責任は問われないようにしたいというだけのこと。分かったところで、センナイコトだが、白紙委任の取り付け合戦が展開されている。政治は変わらないという人がいる。どれも「独裁者」という意味でなら確かに同じだろう。結局一番大事と誰もがいう政策の選択という前に、どの独裁がいいですかという選択なので、今ひとつ盛り上がらない。どこかのお大名のお家騒動みたいなものなのだ。ナンカナーと思うのは、私だけか
無党派層は、みんなより維新が好きなのではないかという仮説を思いつく。 橋下が、会長代行なのがかなり不思議で、太陽と合併して維新の名前を残し、橋本は代行に身を引く。小沢はさらに徹底していて、代行どころか無役に甘んじているようだ。総理といい、党首といい、この耐え難いほどの軽さはどこからくるのだろう。自民党も党内選挙でトップの石破が総裁ではなく幹事長というのも変な話だ。あまり正統とは言いがたい党首の裁量権は、当然だがこの実力者たちによって厳しく制限されたものになることは明白だ。その点でみんなは、そうしたねじれを内に含まない。どうもこれが、政策の実現力、政権への食い込み力不足をイメージさせている気がする。圧力団体にとってと同様無党派層も政権与党への食い込みが重要視されているのだ。がむしゃらに権力を狙うための妥協なら、仕方がない。無党派層は、選挙の度に、徐々に圧力団体へと進化しているのではなかろうか 逆に、医師会や農協や郵便局といった圧力団体は、何故か漂流しているように思う。私にしては、割といい考えのような気がしてきた。
衆院選は本日(12月4日)公示されました。現在の公職選挙法では公示日から選挙日が終了するまでの間、選挙管理委員会が許可しない選挙運動目的の文書図画を発行することはできません。ネットでの言論も公職選挙法で規定する文書図画にあたるというのが総務省の見解ですから、選挙運動と解釈されうる書き込みをしないようお願い申し上げます。
公職選挙法 第百四十二条 衆議院(比例代表選出)議員の選挙以外の選挙においては、選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第一号から第三号まで及び第五号から第七号までに規定するビラのほかは、頒布することができない。この場合において、ビラについては、散布することができない。一 衆議院(小選挙区選出)議員の選挙にあつては、候補者一人について、通常葉書 三万五千枚、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に届け出た二種類以内のビラ 七万枚 [中略]第百四十六条 何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。
自民圧勝の影に隠れて見えにくいが、小さな政府を標榜するみんなの党が意外に躍進した。これは、なかなかのニュースではないか!小さな政府は、ばら撒くのではなく、削減、規制ではなく規制緩和なので、助成金や保護の欲しい圧力団体の票は全く期待できない。大きな政府の好きな人は、要するに役人か準役人のように「計算可能」な未来を求めている。本当は、市役所勤めか先生にでもなって、一生安泰に過ごしたい。手厚く保護された身分と年金は、妬みと憧れの的なのだ。大きな政府は、日本人の公務員化をユートピアとして提示する。「憧れの公務員」である。デフレになり就職もままならないとなれば、ますます輝きを増すというものだ。だから、選挙では、維持不可能と分かってもオートマティックに大きなな政府に「期待」してしまうものだと思っていた。 前回の民主の圧勝も今回の自民圧勝もそう言うことだろう。ところが、意外にみんなの党が躍進した。維新の躍進の方が数的にはスゴイのだが、一時のブームだろう。小さな政府を目指す勢力が一つにまとまれば、次の選挙では、そこそこ行けそうな気配がする。思えば民主政権は、大きな政府というユートピアの不可能性を証明してくれた貴重な政権だったのかもしれない。
今回の選挙結果を見ると、民主、国民新、未来、社民、大地、新党日本といった、2009年の政権交代で与党となった議員が中心の政党が議席を減らし、自民、公明、維新、みんなといった野党勢力が議席を増やしていることに気付きます。だから、3年余りの間の失政に怒った有権者がその不満をぶつけた結果だったと評することができます。大きな政府か小さな政府かといったことは、今回の争点になっていません。今回は政策に関する明確な争点はなく、強いて言うなら、民主党の失政からいかに回復するかがテーマであったと思います。
自民党は、3年前に下野して以来、支持率が低迷していましたが、選挙直前には、自民党に追い風となる出来事がいくつかおきました。
- 11月15日:安倍晋三が大胆な金融緩和を行うと発言→円安株高となる→安倍内閣の金融緩和策で経済が回復するという期待が起きる
- 12月02日:中央自動車道上り線笹子トンネルで天井板崩落事故が起きる→高度成長期に作られたインフラの老朽化に関心が集まる→自民党の国土強靭化策に対する賛同が広まる
- 12月12日:北朝鮮が衛星打ち上げと称して銀河3号ロケットを発射する→北朝鮮への制裁に関心が集まる→北朝鮮強硬派である安倍晋三への支持が広まる
- 12月13日:中国機が尖閣領空を侵犯する→民主党の親中外交が改めて批判される→日米安保の強化や国防軍の創設を主張する安倍晋三への支持が広まる
- 12月16日:衆議院総選挙
マスコミは、選挙戦序盤で自民圧勝の予測をしました。普通はこういう結果が出ると、アンダードッグ効果で劣勢だった勢力が盛り返すものですが、今回はそうはなりませんでした。こういった追い風があったからでしょう。
安倍晋三は、しかしながら、あまり浮かれていないようです。
16日夜の自民党本部の記者会見場。安倍晋三総裁ら党幹部は、ボードに並ぶ候補者名に笑顔で続々と赤いバラをつけた。その直前、石破茂幹事長と固く握手をした安倍氏は厳しい表情だった。地滑り的な大勝に、党幹部は高揚感を抑え、むしろ引き締めに躍起だ。
安倍氏は16日夜、記者団に「民主党へのノーという声だ。自民党に対する厳しい目はそのまま続く」と語った。この日、人気の高い石破氏の幹事長続投を早々に決定。来夏の参院選も視野に、引き続き挙党態勢で政権運営に臨む考えだ。[36]
過去の事例を振り返ると、与党が衆議院総選挙で圧勝すると、次の参議院選挙で反動の敗北を喫するという傾向を見出すことができます。安倍は、郵政選挙で圧勝した後の参議院選挙での敗北を総理総裁として経験しているので、勝利に酔う気分にはなれないのでしょう。
以下の世論調査の結果を見ても、有権者が自民党の圧勝を積極的に評価していないことがわかります。
読売新聞社は17~18日、衆院選結果に関する緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。
大勝した自民党が政権復帰することを「好ましい」と思う人は58%で、「好ましくない」の28%を大きく上回った。
首相就任が確実な自民党の安倍総裁に「期待する」との回答は54%と半数を超えたが、「期待しない」も42%に上った。
自民党が大勝した最大の理由を聞くと、「民主党政権に失望した」55%がトップで、「ほかの政党よりましだと思われた」29%が続き、消極的な理由が上位を占めた。「安倍総裁が期待された」「政権担当能力が評価された」は各4%、「政策が評価された」は2%にとどまった。
「自民党大勝、民主党惨敗」の結果については、「よかった」51%が、「よくなかった」30%を上回った。ただ、民主党が政権を獲得した2009年衆院選直後の調査で「よかった」が68%に達したのと比べると、評価は低い。自民党の獲得議席数に関しては、「少ない方がよかった」52%が最も多かった。自民党を勝たせ過ぎだと感じている有権者が多いようだ。[37]
自民党を積極的に評価していたのではなかったのにもかかわらず、自民党に投票した人が多かったのは、他に選択肢がなかったからではありませんでした。むしろ、今回は、多くの政党が乱立し、選択肢は豊富にありました。にもかかわらず、投票率が低く、無効票が多かったのは、シーナ・アイエンガーが『選択の科学』で謂う所の「ジャムの法則」のおかげなのでしょうか。
16日に投開票された衆院選の小選挙区で、白票や候補者以外の名前が書かれた「無効票」が約204万票に上ったことが朝日新聞の集計で分かった。今回は投票率も過去最低だが、投票所に足を運んだものの投票先に悩み、白票を投じた有権者の姿が浮かび上がる。
朝日新聞が各都道府県選管の開票資料に基づき、投票者数から候補者への投票数を引いて集計した。204万票は投票者数の3.31%に当たる。計算方法が異なるので単純比較はできないが、総務省の集計では、これまでの無効票率は2000年の2.99%が最高だった。
都道府県別で割合が高かったのは高知県の5.24%、大阪府4.63%、熊本県4.44%、東京都4.20%の順。高知県選管の担当者によると、県全体の無効票約1万7千票のうち半数以上が白票で、候補者以外の名前を記した票も多かったという。
明治学院大の川上和久教授(政治心理学)は「誰に入れたらいいか分からないが棄権はしたくないと悩んだ結果、白票を選択した有権者が多かったのではないか。今回は政党が乱立したが、政策に共感できる政党があっても、その党の候補者が選挙区にいないケースがあったことも影響した可能性がある」と指摘する。[38]
郵政の利害を代弁する国民新党が解党しつつある。医師会も民主から自民に鞍替え。財界も自民に期待することになる。自民への企業献金も増額されるのだろう。政権をとった政党に圧力団体が擦り寄るのは、当然といえば当然だ。では、無党派層の支持した維新やみんなは、どう振舞えばよいのか?「是々非々」がその答えらしい。財界や医師会のように圧力団体が、自民党の内部に侵入し、影響力を行使しようとするのに対し、無党派層の支持する政党は、そうしたくてもそうする事ができないようだ。自民党が勝ちすぎて、キャスティングボードを握れなかったことが全てではある。 逆に言うと、自民党は、無党派層が自民の内部に侵入し影響力を行使できるような筋道を作り上げなくては、存続が危ういように思う。大勝して浮かれているとこうした認識は一部の議員にしか共有されず、ますます危うい。次の参院選で、無党派層は、政党に圧力をかけると思う。政党が受け皿さえちゃんと作れば、無党派増は、まとまって支持するだろう。無党派層は、万年野党で満足する連中ではないからだ。 もちろん私もその一人だが。
国民新党は解党ということになりそうですね。
下地郵政民営化担当大臣は、閣議のあとの記者会見で、国民新党が衆議院選挙で敗北したことについて「党の創設者たちも『国民新党は役割を終えた』と思っているのではないか」と述べ、解党すべきだという考えを示しました。
国民新党は、衆議院選挙で下地郵政民営化担当大臣らが落選し、党所属の国会議員が4人となったことを受けて19日、両院議員総会を開き、党を解党するかどうか議論したものの結論は出ず、引き続き協議することになりました。
これについて下地氏は閣議のあとの記者会見で、「新しい政権になれば、国民新党が、これまでのように郵政事業に関わるのは無理だ。『国民新党イコール郵政』だが、その関わりが終わる」と述べました。
そのうえで下地氏は「『どうしても党を存続させたい』という人がいれば、最終的な話し合いが必要だが、党の創設者たちも『国民新党は役割を終えた』と思っているのではないか。最後は自見代表の判断だ」と述べ、解党すべきだという考えを示しました。[39]
また、新党大地と新党日本も、政党助成法に基づく政党要件を失うことになりました。新党改革はまだ政党要件を満たしているようですが、参議院二人だけで、もう存在意義はなくなりつつあります。政党の数が多すぎるのだから、整理されてしかるべきですね。
圧力団体として最近浮上したもっとも大事な課題は、「選挙でどっちに転んでもいいようにすること」だろう。 自民党の一党支配の状況では、こんな心配はする必要がなかった。ところが、膨大な赤字を抱えバラマキや保護も限界に達しているので、圧力団体同士の少ないパイの分捕りあいになったワケだ。そこで、小泉が典型だが、無党派層にウケそうな政策を掲げ、弱そうな圧力団体を切るという政党の存続を賭けた勝負に出た。長年の支持基盤を一部放棄し、無党派層という未知の大地に踏み込んだ。 結果として、無党派層を圧力団体として育てることになる。小泉ジュニアに期待がかかるのは、イケメンだけが理由ではない。 民主が政権をとれたのも、無党派層の支持のお陰だ。無党派層に受けそうな政策なしには、かっての社会党と同じ万年野党がせいぜいだからだ。民主がこのことに無自覚ならかっての社会党のように消滅してもおかしくない。無党派層の主要な要求は、「節約」だろう。保護や規制や助成をあてにしている圧力団体にとっては、間違いなく敵である。いずれにしろ、政党の側では、自分の支持基盤の一部放棄と引き換えに無党派層の取り込みを図る必要がある。圧力団体としての無党派層もある程度まとまって、「どっちにころんでもいいような」選択をする成熟が必要だろう。財界とか医師会や農協など流石に先輩の圧力団体は「老獪」だと思う。選挙では、「より悪くない方を選択すると」よくいうが、それでは妥協としては足りない。「どっちにころんでもいいように」選択しとくべきだと思う。言うや易く、行なうは難しではあるが。 圧力団体たるもの、目指すは「総理」の椅子ではなく、「担当大臣」の椅子である。無党派層としては、政権はどうあれ、「改革担当大臣」の椅子を指定席として確保すべきだ。公明の「厚生大臣」みたいなものだ。
自民党時代からの公共工事の相次ぐ予算削減、さらに民主による「コンクリートから人へ」というスローガンの標的にもなり苦しい経営が続く建設屋さんたちが、大震災のお陰で自民と共に逆襲に転じたように見える。折から、劣化したインフラにも注目があつまり、まさに「日本列島再改造論」の様相を呈している。無党派層も消極的ではあるが、支持せざるを得ない。今から思えば、またどうでもいいことではあるが、民主の失敗は「管」の自民との大連立できなかったことにある。大震災であらわになったインフラの破壊や脆弱性は、コンクリートの再評価に結びつく。ならば、コンクリートに強い自民と連立を組めば、労組や無党派層頼みの政権運営から自民の基盤へと食い込むチャンスだった。大震災は不運ではなく大きな政権の安定と浮揚のチャンスでもあったはずだ。これにより、民主は自民との連立という選択肢を残すことも出来たし、マニフェスト不履行の罪を自民と分かつこともでき、批判をかわすこともできた。仕方ないと。自然災害や連続殺人がオバマにとって常に有利に働いている。オバマがいつもそういう危機をチャンスに変える準備をしていることは明白だろう。国民が手を止め、固唾を呑んで、注目しているのだから、政治家にとってこれほどのチャンスはない。明白なチャンスをモノにできないようでは、民主が自壊するか万年野党に安定するのは当然な気がする。民主復活のためには、バックの連合の保護や助成や規制の要求を抑え、無党派層にアピールできる政策を提示するしかないのだろうが、選挙に勝ち抜いた民主の連中は、無党派層の「つれなさ」と労組の「有難さ」を骨身にしみて感じているところだろうから、どうも万年野党になりそうな気配がする。 最後のあがきで海江田が党首になりそうだが、表紙を代えただけで終わりそう。 結局、圧力団体の「軍師」の程度が全てを決めるのかな?
資本主義社会においては、富・財産が(相続税によって ある程度 減殺されるとしても)当然に親から子に相続される。だが、政治権力まで相続されては、労働者階級としては たまったものではない。今は江戸時代ではない。職業選択の自由があるというのなら、選挙で落としてやれ。全国の労働者よ、団結せよ。(21世紀の共産党宣言)
少々不謹慎ではあるが、安部はサラブレッドとか麻生はサラブレッドとか言ったりする。人を「馬」に例えるのは、「ずいぶんな」気もするのだがさほど差別とは思われていないどころか「褒め言葉」らしいところがますます面白い。 サラブレッドでは、血統が大事。よいおじいちゃんとよいおばあちゃん、よいお父さんとよいお母さんから生まれたよいサラブレッッド。とにかく早い馬を作ろうと育種にセイをだすのだ。良い政治には、よい政治家が必要だ。政治家は生物なので、よい血統を組み合わせてよい品種を作り上げるべきなのだろう。おじいちゃんの欠点を、おばあちゃんの遺伝子で補い、遺伝子レベルでの改良を目指す。二世は何故かイケメン!さらにお父さんの欠点をお母さんの遺伝子で補い、さらなる完成を目指す。三世は、頭がいい!あまり想像したくないが、政治家のベッドの上で、よりよい政治家を生み出す「育種実験」が行われているわけだ。もちろん、育種実験はいつも成功するわけではない。むしろハズレの方が多いのはご承知の通り。狙い通りの品種が作れるわけでもないのだが、一応いろいろ考えてサラブレッドを作るわけ。一族の存続がかかっているのだから、割と必死で大奥並みに、嫁選びをしたりする。恋愛結婚などありえない選択だろう。贅沢というものだ。こう考えると、世襲はよい資質と能力を持った政治家を育種するための、生物レベルでのあがきと言えなくもない。わたしも、世襲は北朝鮮をみれば明白だが、おおむねハズレが多いので反対だ。しかし、政治家を世代重ねて「育種」しようという「努力」には、尋常ではない狂気を感じる。民主の世襲批判が争点化せず、上滑りなのは政治家の「育種」という世代を超えた長期的な観点がぬけているからではなかろうか?競馬ファンなら異存はなかろうが、「血統」を参考に馬券を買うのは常識ではある。
安倍によれば、デフレは良くないということらしい。国民は、給料が上がらないのが、面白くないらしい。しかし、デフレで問題なのは、給料が上がるかどうかではなく、安定した雇用が確保できないことだろう。そこそこの安定雇用が創出できれば、デフレは悪くもないのではないかと思う。物価は下がるわけだから、給料が上がらなくたって実質賃金は上がっていると言える。首切りとかの心配がない人たち、公務員とか、別に今でも居心地は悪くない。むしろ、物価安く、お金の使い道がいろいろあって幸せなんではなかろうか?企業の経営者なら、円高で海外M&Aが安くできて嬉しいだろうし、個人は海外旅行では円高のメリットを享受できる。国内旅行より安いかも。明らかにインフレなんかよりむしろ快適ではないか?インフレでは、給料は上がるかもしれないが、物価も上がる。実質賃金で考えるとデフレの方が良かったかもしれないとなる。雇用の心配はなくなるが残業が増えて過労死しては、バカげているし、下手すりゃ給料は上がらず、物価だけが高騰するリスクも十分ある。輸入品は高くなる。円高は、基本的には歓迎すべきことではないか?日本の企業は、円高を利用して海外展開し、グローバル企業になればいいのではないか?そうすれば、日本はもちろん世界でも雇用が純増するのだから、世界平和に貢献すると思う。要するにデフレはそう悪くないし、円高はむしろいい! 一応主張しておく。ただの思いつきだけどね!
インフレもデフレもそれ自体では経済に対してニュートラルです。デフレの問題点は、物価が下がることではなくて、インフレ期待がマイナスになることです。でもこれは“「調整インフレは有害か」について”で扱っているトピックです。この話は「政党の名前」と関係がありますか。
政党の名前から遠く離れて、話題が拡散してしまいました。申し訳ありません。世襲なら世襲。デフレならデフレ、原発なら原発でそれぞれトピックを立てた方がいいですよね。政党名と政策が近いのでついいろいろ書いてしまいました。ちょっと「おつむ」を整理してまたお邪魔します。
石原新党が新しく名前をつけるらしい。石原の党なのだから、石原新党で十分だとは思うが、「立ち上がれ日本」とか「太陽の党」とかいったマッチョなイメージが好きな石原のことだから、またしてもその手の文学的なネーミングになり、わたしのような②チャンネル的俗物に格好の「おかず」提供してくれるものと思う。ただ、メンバーと石原の年齢を思うとあまり期待しても仕方がない。わたしも、いくつか考えたので少し披露したくなった。タダの思いつきです。再び立ち上がる男根のイメージが良かろうと思う。「日はまた昇る」「日本、アゲイン」「日のもとへ」「リスタート、日本」「上げ潮ジャパン」「日本を取り戻そう!」などがいいんじゃないか。横文字が入っているのは、石原は気に入らないだろうとは思う。どの道、「自民党」に吸収されるのだろうから、本気で考えるほどの話ではもとよりない。
個人的には、「なんとかなるさ」がいいと思っている。
みんなが割れ、維新も割れ、名前が乱立する。
やはり、思想的な混迷を象徴しているんだろう。思想って何だか分からないが。
石原新党の名称は「次世代の党」に決まりました。
石原氏は国会内で行った党名発表の記者会見で「若い人たちが将来や人生に期待を持てるようにしていくことは私たちの共通の大きな責任だ」と強調した。
新党名は最終候補として絞り込んだ5案の中から、石原氏や平沼赳夫暫定代表らによる選定委員会が全会一致で「次世代の党」に決めた。ほかには自由立憲党、新党富士、日本改新党、れいめい日本があった。「ヤマト」を推したという石原氏は「同じような映画のタイトルがあり、残念ながら選択されなかった」と苦笑した。[40]
石原は古代日本の呼称である「ヤマト」を推したとのことですが、彼らのグループには年寄りが多く、復古的というイメージが強いので、「次世代の党」という党名を選んだ背後には、それを払拭しようというイメージ戦略があるのでしょう。
ひょっとすると明日の日本を担う政党になるかもしれない「結の党」と「維新の会」だが、党名、所在地、代表を巡って折り合いがつかない。政策的な一致よりも、表面的なことを一致させるのが意外に難しいようだ。どういったネーミングにするかを巡って、一般の国民とか党員からひろく募集し、投票により民主的に決めればいい気もするが、これをやると大抵、一番面白くないどうでもいいものが選ばれてしまう傾向がある。新生党とか最低だった。最近知ったのだが、賞金を出せば、全国のコピーライター達が競って応募してくれるシステムがあるようだ。一致した政策にふさわしい党名をこの際プロにお願いするのが良くないかと思う。
一方で、ちゃんとした理念を掲げて欲しい気もする。最近「保守」と言う言葉が、肯定的に響く印象があるので、「保守党」なんかよくないかと言う気がしたりする。どうも変革だのと言って新しがるのは、みんな胡散臭いと感じ始めているんだろう。地域密着で代わり映えしなくて格好悪いのが、逆にラディカルで素敵みたいなニュアンスが出る党名ならいい気がする。そういう意味で、大阪とか維新とかにこだわるのも分からなくはない。ただ、そのこだわりを全国レベルに波及させるには、プロのコピーライターの才能がいるだろう。この辺の苦しい胸の内をくみ取って言葉にできる才能が日本には結構な数いる気がするのだが。
ghostbusters さんが書きました:
最近「保守」と言う言葉が、肯定的に響く印象があるので、「保守党」なんかよくないかと言う気がしたりする。どうも変革だのと言って新しがるのは、みんな胡散臭いと感じ始めているんだろう。
「保守党」という名前の政党は、かつて存在していました。2000年3月に、自自公連立政権からの離脱を決意した小沢自由党党首(当時)に同調せず、連立政権に留まろうとした自由党所属国会議員(50名)の過半数、26名が結成した政党です。分裂した当初、議員の数は同程度でしたが、第42回衆議院総選挙、第19回参議院通常選挙で、自由党が議席を大きく伸ばしたのに対して、保守党は議席を大きく減らしました。その後民主党の議員を取り入れるなどの工作をしましたが、選挙結果は悲惨で、最終的には解党し、所属議員は自民党に合流しました。
これがもっぱら名前のせいだとは言えないのですが、有権者は、自己の保身しか考えていないかのような議員を嫌うのは事実だし、それを象徴するような政党名というのはいかがなものかと思います。 変革を胡散臭いと感じているような人は、そもそも橋下新党を最初から支持しないのだから、変革イメージを前面に出す政党名が望ましいと思います。この点、保守党とは対照的に党勢を拡大した自由党のネーミングに注目したいと思います。以下の証言によると、河村たかし名古屋市長が名付けたとのことです。
あまり知られていないことですが、平成10年に結党した自由党、その名前をつけたのは、現名古屋市長の河村たかしさんでした。河村さんは自由党結党時のメンバーです。
新進党が解党して、小沢氏を中心とする政党を立ち上げるときのこと。政党名を何にするかで議論に。「保守党」も候補に上がったのですが、河村さんの意見で「自由党」となりました。
そもそも議会とは、強大な行政権から国民の権利を擁護するためにできたもの。その一番分かりやすい例が税制です。国民の同意なしに税金をいじることはまかりならん、と成立したのが議会。河村さんが減税を主張するのはよく分かるし、私も全く同感です。[41]
この頃の小沢党首は、社会主義に傾倒した今とは異なり、『日本改造計画』(竹中平蔵慶応大学教授が執筆に協力)に基づく改革路線を主張しており、その主張が「自由党」というわかりやすい党名とともに支持されたのだと思います。小沢嫌いの、しかもありふれた党名が好きではない江田憲治さんがこの党名を受け入れることはなさそうですが、英語名「リベラル・パーティ」の従来の自由党とは異なる「リバタリアン・パーティ」としての自由党は、かつて存在しなかった政党であり、それでいて日本語名は板垣退助が採用して以来の定番でもあり、一番メジャーな政党になりそうな名前です。「みんなの党」とか「結いの党」といったキラキラネームだと、最初からメジャー入りを目指していないかのようで、本気度を疑われてしまいます。
永井俊哉 さんが書きました:
「みんなの党」とか「結いの党」といったキラキラネームだと、最初からメジャー入りを目指していないかのようで、本気度を疑われてしまいます。
永井さんの言われるとおりだと思います。本当にそうですよね。小さい政府を目指すということなら、党名に「自由」はいりますよね。ただ、「自由」だけだとあまりに「普遍的」なので身近な感じがしないのが気になります。「新自由クラブ」も悪くはなかったが、なんか金持ち仲良しグループぽくて今ひとつだった。細川の「日本新党」もまあまあ受けた。
「自由日本」ぐらいが、良くないですかね。党は省略して。
結局、江田が「維新」を残すと橋下と合意した段階で、「結い」の吸収合併は決まってしまったようだ。この名前だと現状「維」持からジリ貧の予感がする。改革を名前に入れれば、自由主義的で小さい政府を目指すことを明示でき惜しい気がした。私は、小さい政府を目指すべきだと思っているので、今回のネーミングには正直ガッカリした。ただ、「維新」しかそれなりの「改革」をしてくれそうな党がないのも事実で、かなり悲観的な気分になった。もっとも、「ジリ貧」になればまた再編になるわけで、その時を待つしかない気もする。まったく一貫性のないおもいつきだが、維新より新撰組の方が国民的な人気があるので、「新撰改革党」とかでもいいような気がしてきた!!
2014年7月頃に「日本維新の会・結いの党」という案が出ていたけれども、維新の会の松井一郎幹事長が「『三菱東京UFJ銀行』みたい」と苦言を呈し、「維新の党」「改革維新の会」「維新党」の3つの案で投票が行われ、「維新の党」で決着したそうです。幻に終わった「みんなの維新」と同様、いかにも足して二で割ったような名前です。
ところで、現在みんなの党では「維新の党」と選挙協力をするのか、与党にすり寄るのかという路線を巡る争いが表面化しています。来春の統一地方選に向けて、みんなの党は、維新の党と千葉県内で選挙協力する予定で、第三局結集のモデルとして注目されています。これに対して、みんなの党の渡辺喜美前代表は、2014年9月13日の夜、下野市内であった党関係の会合であいさつし、12日に渡辺路線に異議を唱えた浅尾慶一郎代表を批判し、両院議員総会の開催を求め、「野党再編に舵を切るなら、辞めていただきたい」と代表辞任を迫っています。
11日に、みんなの党の大熊利昭衆議院議員が、維新の党に参加するために離党届を提出しました。今後みんなの党内で多数派工作が行われるのだから、これは逆効果です。むしろ逆に、除名になった江田氏を除く結いの党の全員をみんなの党に復党させた上で両院議員総会を開き、渡辺派による辞任要求を多数決で否決し、その後、浅尾代表の決断でみんなの党を丸ごと維新の党へと発展解消した方が、維新の党の規模は現状よりも大きくなるでしょう。渡辺前代表とその取り巻きは反対して離党するでしょうが、それだと政党助成金がもらえないので、中間派は浅尾代表の決断に従うに違いありません。
もっとも、浅尾代表は「党政策の実現が第一で、この段階でどこかの党と一緒になることはあり得ない」と明言しており、今のところ、維新の党と合流する考えはないようです。しかし、維新の党とみんなの党は政策面で近いので、党政策の実現が第一なら、選挙協力をし、さらには合併も考えた方がよいでしょう。
渡辺代表は、てこの原理でみんなの党の政策を与党に実行させると言っていますが、現在の与党は衆参で過半数を持っており、てこの原理は働きません。与党の政策を全部飲まないと連立は組めないでしょう。新たに自民党の幹事長になった谷垣氏は、消費税を10%に引き上げる持論を展開しており、連立を組もうとするなら、これに賛成しなければなりません。「増税する前にやるべきことがあるだろう」というスローガンを掲げて当選しながら、改革なき増税に賛成するなら、有権者に対する背信行為と受け止められかねません。
5. 参照情報
- 橋下徹, 堺屋太一『体制維新―大阪都』文藝春秋 (2011/10/31).
- 橋下徹『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう』プレジデント社; 第1版 (2020/9/30).
- 橋下徹『異端のすすめ 強みを武器にする生き方』SBクリエイティブ (2020/2/5).
- ↑以下の議論は、システム論フォーラムの「日本維新の会」からの転載です。
- ↑「自民躍進 支持率37%」『ニュースモーニングサテライト』2012年9月28日. テレビ東京.
- ↑松浪健太「第3回公開討論会~橋下独裁にはしない~」2012年9月29日.
- ↑「橋下氏、松浪議員のブログ主張に不快感」『読売新聞』2012年10月2日.
- ↑松浪健太「マッチポンプな報道」2012年10月2日.
- ↑「誤訳か妙訳か 日本維新の会、英語名に思わぬ議論」『朝日新聞』2012年10月15日.
- ↑「石原新党、維新と連携模索 衆院選へ第三極乱立」『日経新聞』2012年10月26日.
- ↑“維新の会「松浪議員の乱」に自民党の影?" 『週刊朝日』2012年10月19日号.
- ↑「橋下大阪市長:消費税6%分を格差是正財源に」『毎日新聞』2012年10月30日.
- ↑“維新の会と太陽の党合流「脱原発」の文字消える" 『東京新聞』2012年11月18日.
- ↑“郵政民営化見直しがTPPの火種に 米が猛反発"『産経新聞』2012年4月11日.
- ↑桑原宏史 Facebook June 6 at 2:27pm.
- ↑「自民が道州制骨子案=今国会提出目指す」『時事ドットコム』2012年3月27日.
- ↑“道州制基本法案を提出=みんな" 『時事ドットコム』2012年3月29日.
- ↑“道州制推進で首長連合設立=共同代表に橋下大阪市長ら-東京" 『時事ドットコム』2012年4月20日.
- ↑「百楽兎」の図を基に作成
- ↑白川静『字通』
- ↑大前研一"橋下門下生のレベル低く橋下政権誕生したら民主党よりも悲惨説“『週刊ポスト』2012年6月15日号.
- ↑大前研一"“橋下塾”候補者の決め方バカげている" 2012.06.24.
- ↑“小泉前首相「国会議員も使い捨て覚悟を」" 『日テレNEWS24』2006年11月8日.
- ↑本日発売のサンデー毎日で総選挙予測『選挙プランナー三浦博史の選挙戦最新事情』2012年5月7日.
- ↑高松重雄「久しぶりの選挙分析」『日本みらい研』2012/02.
- ↑「維新塾に地方議員68人 全国で「即戦力」多数」『中国新聞』2012年8月12日.
- ↑「維新と合流へ新党検討=民・自・み議員が勉強会」『時事ドットコム』2012年8月14日.
- ↑“Vladimir Putin, Prime Minister, talked with Ichirō Ozawa, Member of the House of Representatives, in Tōkyō Metropolis on May 12, 2009" by Government.ru. Licensed under CC-BY and “Japanese politician Kenji Eda speaking in front of Wakaba Station in Sakado, Saitama, Japan " by DAJF. Licensed under CC-BY-SA.
- ↑江田憲司. “「みんなの党」って変な名前?・・・命名の経緯“『日々是好日』2010年5月1日.
- ↑ノ・ジェヒョン. “小説「太陽の季節」と政党「太陽の党」の間、埋めるのが難しい間隙." 『中央日報』2012年11月16日.
- ↑“「合併」石原新代表「舌好調の季節」「橋下くん殴るかもしれないが…」" 『J-CASTニュース』2012年11月17日.
- ↑“比例投票は三つどもえか 半数近く「分からない」" 『テレビ朝日』2012年11月19日.
- ↑“近畿比例に西村真悟氏 日本維新の会"『産経新聞』2012年11月2o日.
- ↑“えっ!「みんなの維新」…多党乱立で看板が変]" 『読売新聞』2012年11月24日.
- ↑“日本維新の会:橋下氏、みんなに合流打診 橋下氏に焦り 選挙区調整譲歩「じゃんけんで決めてもいい」" 『毎日新聞』2012年11月24日.
- ↑“衆院選差し止め求め提訴 1票の格差巡り弁護士ら" 『日本経済新聞』2012年11月16日.
- ↑「衆院選の仮差し止め申し立てを却下 東京地裁、1票の格差巡り」『日本経済新聞』2012年11月21日.
- ↑浜田宏一+高橋洋一「日本の新聞が日銀批判を語らない理由」『現代ビジネス』2011年03月18日.
- ↑“自民・石破幹事長は続投 元職大量復帰、派閥復権の危機" 『朝日新聞』2012年12月17日.
- ↑“自民政権復帰「好ましい」58%…読売調査]" 『読売新聞』2012年12月18日.
- ↑“投票率最低なのに…選挙区の無効票「過去最高」" 『朝日新聞』2012年12月18日.
- ↑「下地氏 “国民新党解党すべき」『NHK』2012年12月21日.
- ↑“石原新党は「次世代の党」…若さアピール"『産経新聞』2014.6.26 .
- ↑中塚一宏. “小沢「自由党」の名付け親は、河村たかし氏" 『前衆議院議員 中塚一宏の「いっこうで行こう!」』2011/02.
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません