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拒否できない日本

2005年10月17日

日本がアメリカの政治的従属国であることはよく知られている。アメリカ主導の世界標準の押し付けを日本は拒否するべきなのか否か、『拒否できない日本』を読みながら、日本の将来の進路を考えよう。

Hans BraxmeierによるPixabayからの画像を加工

1. 回収命令が出された問題作?

この本は、売れていたにもかかわらず、アマゾンその他のオンライン書店上では手に入らなくなったことで話題になった。

著者の関岡氏は「私も売れ行きが気になり、しばしばアマゾンを訪れました。昨年4月の発売直後は問題なかったのですが、数カ月後から品切れ状態が続いている。もう1年以上です。中古本も経済原則を無視した高値が付けられており、作為的なものを感じます」と指摘する。[1]

今でも、アマゾンで手に入らないのかどうか知らないが、私が9月16日に楽天で注文したところ、当初在庫ありのはずだったのだが、「品切れ」と言われて、入手できなかった。楽天では、今でも取り寄せ状態である。結局近くの本屋で注文して手に入れたのだが、これは
異様な事態である。

こういう経過で入手したので、私はかなり期待して本書を読んだ。きっとこの本には、回収命令が出るほどに、広く読まれることが危険な極秘情報が書かれているに違いないと思って読んだのである。しかし、読んでがっかりした。この本には、私が期待したような極秘情報は何も書かれていなかった。それもそのはずである。著者は「あとがき」でこう書いている。

今回私が使った資料はすべてインターネットの公式サイトで公開されている公式文書や、国公立図書館などで一般市民でも閲覧可能なものである。[2]

情報源が平凡でも、画期的な新解釈が行われていれば、それはそれで読む価値はあるのだが、本書は、80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけという感じがする。

ただし、冒頭は著者の個人的体験にそって書かれていることもあって、結構面白かった。本は、冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ。それにしても日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか。

2. 拒否するのは国家か個人か

関岡は、大学院で建築学を学んだこともあって、建築関係のルールから話を起こし、1998年に行われた建築基準法の改正の問題点を指摘する。この約半世紀ぶりに行われた改正では、規制の仕方を仕様規定から性能規定へと転換し、規制は必要最小限にすることが謳われている。

「仕様規定」を「性能規定」に変更するということは、建築の建て方そのものを変えてしまうことによって、日本古来の匠の技を不要にし、外国の工法や建材がどっと日本に入ってくる道を開くこと以外の何物でもない。

また、地震が多い日本の建築基準は、海外の基準や国際規格よりも厳しくなっている。日本の基準を海外に合わせるということは、日本の基準を「必要最低限」まで緩和する、ということに等しいのである。[3]

もしもアメリカが、性能規定を仕様規定に改めて、アメリカ式の建築方法を強制するならば、それは不当な圧力である。しかし、仕様規定を性能規定に変えるということは、耐震性などの一定の性能を持つならば、どのような方法で建築してもかまわないということだから、消費者には、いぜんとして日本の伝統的建築方法を選択する余地がある。

もしも関岡が言うように、日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか。

仕様規定を性能規定に変えることは、必ずしも、海外の企業の市場参入を許すことだけを帰結するわけではない。国内で、画期的な新建築法が発明されても、建築規制が仕様規定ならば、法的に実用化ができないことになるので、技術革新を阻むことになる。

だから、企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい。

関岡は『拒否できない日本』というタイトルでもって、「日本はアメリカの商品の押し売りを拒否せよ」と言いたいのであろう。しかし、アメリカ商品の流入を「拒否」するべきかどうかを決めるのは、日本の個々の消費者であって、日本政府ではない。

3. ルールの独自性と作品の独自性

関岡は、山本七平の『日本的革命の哲学―日本人を動かす原理』を参考に、鎌倉時代から江戸時代までを固有法の時代、それ以前とそれ以後は、中国大陸または欧米から法を導入した継受法の時代としている。

ひるがえって、近代以降に日本人が生み出したもので、世界遺産に匹敵しうるものを果たして幾つ数え挙げることができよう。現代に生きる私たちは、明治以降今日まで百数十年も続く欧米継受法の時代によって、かの輝ける時代から切り離されているのだ。[4]

平安時代以前の日本と明治以降の日本の文化には、本当に独創性や価値がないのだろうか。日本神話や世界最古の小説といわれる源氏物語、「世界遺産」に登録されている、飛鳥、奈良、京都の文化財、明治以降現れたの多くの世界的水準の科学的業績、独自のカイゼンを施した電化製品や自動車、現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など、「海外の人々がその独創性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない」日本のものなら、固有法の時代と同じぐらいたくさんある。

関岡は、ルールに独自性がなければ作品にも独自性がなくなると考えているようだが、これは正しくない。むしろ、作品は、普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価されるのであって、普遍性に基づかなければ、その独自性は無に等しい。例えば、ある小説家が、自分独自の言語を作って、作品を書いても、その独自性は理解されないから、評価されることはない。固有法時代の日本の文化も、海外にはほとんど知られておらず、その独自性が評価されるようになったのは、日本が世界共通のメディアに組み込まれてからである。

4. 日本が世界標準の決定に参加するには

日本の対米追従を批判するとき、二つの問題点を区別して論じなければならない。

  1. 日本が世界標準を受け入れなければならないこと
  2. 日本人が世界標準の決定に参加できないこと

関岡は、両方にノーを言うわけだが、私は、1に対しては、イエスと言い、2に対してはノーと言いたい。グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない。

では、日本人が世界標準の決定に参加するには、どうすればよいのか。一番良い方法は、日本をアメリカ合衆国の州として編入してもらうという方法である。もしも日米が合併すれば、有権者の3割が日本人ということになり、アメリカの議会を通じて、世界標準の決定に参加することができる。

もしも、アメリカがこの提案を断るならば、日米安保を破棄して、ロシアと一緒にEUに参加すると言えばよい。日本の政治家に、アメリカとEUを手玉にとって交渉できる人材がいるとは思えないが、日本が、最近対立関係を深めているアメリカとEUに対して、キャスティングボートを握る位置にあることは確かである。

もしも、日本とアメリカとEUが経済的・政治的に統合されれば、なお良いだろう。発展途上国を統合することは、経済的に困難だが、先進国どうしで共同体を作ることは、それほど難しいことではない。発展途上国は、先進国の条件を満たし次第少しずつ編入していけばよい。そうすれば、真のグローバル社会が実現する。

5. 関連著作

6. 参照情報

  1. ZAKZAK.「ナゼ読めない?「アマゾン」で1年超も品切れの本」2005/09/16.
  2. 関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 224.
  3. 関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 46.
  4. 関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 228.