日本の対米従属は国益に反するのか
日本がアメリカに政治的に従属していることはよく知られている。アメリカ主導の世界標準の押し付けを日本は拒否するべきなのか否か、関岡英之著の『拒否できない日本』を読みながら、日本の将来の進路を考えよう。

1. 回収命令が出された問題作?
この本は、売れていたにもかかわらず、アマゾンその他のオンライン書店上では手に入らなくなったことで話題になった。
著者の関岡氏は「私も売れ行きが気になり、しばしばアマゾンを訪れました。昨年4月の発売直後は問題なかったのですが、数カ月後から品切れ状態が続いている。もう1年以上です。中古本も経済原則を無視した高値が付けられており、作為的なものを感じます」と指摘する。[1]
今でも、アマゾンで手に入らないのかどうか知らないが、私が9月16日に楽天で注文したところ、当初在庫ありのはずだったのだが、「品切れ」と言われて、入手できなかった。楽天では、今でも取り寄せ状態である。結局近くの本屋で注文して手に入れたのだが、これは
異様な事態である。
こういう経過で入手したので、私はかなり期待して本書を読んだ。きっとこの本には、回収命令が出るほどに、広く読まれることが危険な極秘情報が書かれているに違いないと思って読んだのである。しかし、読んでがっかりした。この本には、私が期待したような極秘情報は何も書かれていなかった。それもそのはずである。著者は「あとがき」でこう書いている。
今回私が使った資料はすべてインターネットの公式サイトで公開されている公式文書や、国公立図書館などで一般市民でも閲覧可能なものである。[2]
情報源が平凡でも、画期的な新解釈が行われていれば、それはそれで読む価値はあるのだが、本書は、80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけという感じがする。
ただし、冒頭は著者の個人的体験にそって書かれていることもあって、結構面白かった。本は、冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ。それにしても日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか。
2. 拒否するのは国家か個人か
関岡は、大学院で建築学を学んだこともあって、建築関係のルールから話を起こし、1998年に行われた建築基準法の改正の問題点を指摘する。この約半世紀ぶりに行われた改正では、規制の仕方を仕様規定から性能規定へと転換し、規制は必要最小限にすることが謳われている。
「仕様規定」を「性能規定」に変更するということは、建築の建て方そのものを変えてしまうことによって、日本古来の匠の技を不要にし、外国の工法や建材がどっと日本に入ってくる道を開くこと以外の何物でもない。
また、地震が多い日本の建築基準は、海外の基準や国際規格よりも厳しくなっている。日本の基準を海外に合わせるということは、日本の基準を「必要最低限」まで緩和する、ということに等しいのである。[3]
もしもアメリカが、性能規定を仕様規定に改めて、アメリカ式の建築方法を強制するならば、それは不当な圧力である。しかし、仕様規定を性能規定に変えるということは、耐震性などの一定の性能を持つならば、どのような方法で建築してもかまわないということだから、消費者には、いぜんとして日本の伝統的建築方法を選択する余地がある。
もしも関岡が言うように、日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか。
仕様規定を性能規定に変えることは、必ずしも、海外の企業の市場参入を許すことだけを帰結するわけではない。国内で、画期的な新建築法が発明されても、建築規制が仕様規定ならば、法的に実用化ができないことになるので、技術革新を阻むことになる。
だから、企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい。
関岡は『拒否できない日本』というタイトルでもって、「日本はアメリカの商品の押し売りを拒否せよ」と言いたいのであろう。しかし、アメリカ商品の流入を「拒否」するべきかどうかを決めるのは、日本の個々の消費者であって、日本政府ではない。
3. ルールの独自性と作品の独自性
関岡は、山本七平の『日本的革命の哲学―日本人を動かす原理』を参考に、鎌倉時代から江戸時代までを固有法の時代、それ以前とそれ以後は、中国大陸または欧米から法を導入した継受法の時代としている。
ひるがえって、近代以降に日本人が生み出したもので、世界遺産に匹敵しうるものを果たして幾つ数え挙げることができよう。現代に生きる私たちは、明治以降今日まで百数十年も続く欧米継受法の時代によって、かの輝ける時代から切り離されているのだ。[4]
平安時代以前の日本と明治以降の日本の文化には、本当に独創性や価値がないのだろうか。日本神話や世界最古の小説といわれる源氏物語、「世界遺産」に登録されている、飛鳥、奈良、京都の文化財、明治以降現れたの多くの世界的水準の科学的業績、独自のカイゼンを施した電化製品や自動車、現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など、「海外の人々がその独創性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない」日本のものなら、固有法の時代と同じぐらいたくさんある。
関岡は、ルールに独自性がなければ作品にも独自性がなくなると考えているようだが、これは正しくない。むしろ、作品は、普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価されるのであって、普遍性に基づかなければ、その独自性は無に等しい。例えば、ある小説家が、自分独自の言語を作って、作品を書いても、その独自性は理解されないから、評価されることはない。固有法時代の日本の文化も、海外にはほとんど知られておらず、その独自性が評価されるようになったのは、日本が世界共通のメディアに組み込まれてからである。
4. 日本が世界標準の決定に参加するには
日本の対米追従を批判するとき、二つの問題点を区別して論じなければならない。
- 日本が世界標準を受け入れなければならないこと
- 日本人が世界標準の決定に参加できないこと
関岡は、両方にノーを言うわけだが、私は、1に対しては、イエスと言い、2に対してはノーと言いたい。グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない。
では、日本人が世界標準の決定に参加するには、どうすればよいのか。一番良い方法は、日本をアメリカ合衆国の州として編入してもらうという方法である。もしも日米が合併すれば、有権者の3割が日本人ということになり、アメリカの議会を通じて、世界標準の決定に参加することができる。
もしも、アメリカがこの提案を断るならば、日米安保を破棄して、ロシアと一緒にEUに参加すると言えばよい。日本の政治家に、アメリカとEUを手玉にとって交渉できる人材がいるとは思えないが、日本が、最近対立関係を深めているアメリカとEUに対して、キャスティングボートを握る位置にあることは確かである。
もしも、日本とアメリカとEUが経済的・政治的に統合されれば、なお良いだろう。発展途上国を統合することは、経済的に困難だが、先進国どうしで共同体を作ることは、それほど難しいことではない。発展途上国は、先進国の条件を満たし次第少しずつ編入していけばよい。そうすれば、真のグローバル社会が実現する。
5. 追記(1)郵政事業民営化は外資の陰謀か
「郵政民営化とは本当は何なのか ― 公社分割と株式売却の中身」に対するコメント。郵政三事業は、外資が買収したいほど魅力的なのかどうかについて。

私は6年前に『市場原理は至上原理か』で郵政事業を民営化するべきであることを主張し、今もそれが正しいと思っています。そのため、今回の衆議院選挙で、郵政事業の民営化が最大の争点になったものの、とりたてて新たにコラムを書く気にはなれませんでした。
むしろ、反対派がどのような理由で反対しているのかに興味があります。thessalonike さんという人が、「郵政民営化とは本当は何なのか」というコラムで、次のように言って、郵政事業民営化に反対しています。
郵政民営化とは郵政公社を分割して、その株式を民間企業に売却することである。350兆円の金融資産は政府ではなく誰かの手中に入る。兆単位の郵政公社株を買うカネを動かせるのは外資だけだ。公社株売却にあたっては、何社にも分割して売却するだろう。簡保と郵貯の二分割ではなく、郵貯の230兆円が何社にも分割されるに違いない。私の予測では、懼く新規に受け皿会社を何社か作るはずだ。[5]
時価総額が大きいからといって、なぜ外資しか買うことができないのでしょうか。株式会社というのは、小額資本の持ち主でも企業の所有者になれるための制度です。郵政公社を民営化する時には、たぶん、電電公社や国鉄の時と同様に、一般公開されるでしょう。
仮に、外資ばかりが株主になったとしても、預貯金をうまく運用してくれるのなら、問題はないし、運用に問題があるのなら、解約すればよいだけの話です。もっとも、thessalonike さんが心配しているのは、預貯金をしている人のことではなくて、国内の融資先のようです。
問題はその受け皿会社が本当に資金を中小零細業者に貸付して、地域経済の循環や企業雇用の促進に貢献するかどうかだが、それも少し考えてみれば答えは簡単に出るはずである。ハゲタカならずとも堀江貴文社長がそんなお人好しの事業経営をやりますか。[6]
中小零細業者でも、投資効率が良ければ、政府の保護がなくても投融資を受けることができます。投資効率が悪い企業を規制と補助金で守ることは、地域経済にとっても雇用にとっても、長期的に見て、好ましくありません。
6. 追記(2)日本は世界標準にどう対応するべきか
本文に対する原名高正さんの批判に対する反論。年次改革要望書は、日本が米国の属国であることの証拠か、自由化は米国の帝国主義的世界支配を帰結するのかを考えます。
■「日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか」というが、ことは「追従」の深刻度によるだろう。
■また、「冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ」などと、冒頭部分の「著者の個人的体験」以外には、新味がまったくないかのようにかたるが、ネット上をはじめとして、読者のおおくが、虚をつかれ おどろいたというのは、やはり社会現象にほかならない。
■慧眼な永井氏が、どんなに先見の明で はやくから「日本のアメリカ追従」を意識していたからといって、日本列島のごく一般的な住民が大量に虚をつかれる事態にあったということは、それだけ、「年次改革要望書」の存在を意義が、「しるひとぞ しる」状況/構造だったことを、うらがきする。
■有名な政治評論家の森田実さんが絶賛したのも、「80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけ」でなどない、深刻な支配構造が うきぼりになったからだ。
■まして、小泉改革が、こういったアメリカの パワーエリートたちの「シナリオ」にそった 「あやつり人形」的存在だとしたらという、現実感覚が ひとびとの 動揺をさそったのである。[7]
80年代末から90年代初頭にかけてのジャパン・バッシングの最盛期においては、米国は日本に自国製品の輸入を強要し、受け入れない場合には、スーパー301条により報復措置を取ると脅迫し、日本から譲歩を引き出しましたが、年次改革要望は、このような一方的かつ強圧的に対米従属を強いるものではありません。そもそも、年次改革要望書は、米国が日本に対して一方的に規制改革を要求する文書ではなく、日本から米国に対しても同様の要望書が出されます。また、日本は、多くの米国の要望を拒否していますが、それに対して米国が明示的に制裁を行ったことはありません。
だから、80年代末から90年代初頭にかけてのジャパン・バッシングの時期と比べて、日本の対米従属が深刻になったという認識は間違っています。1989年から始まった日米構造協議が、強すぎる日本経済を叩きのめすことが目的だったのに対して、2001年から始まった年次改革要望は、むしろ弱すぎる日本経済を再建することが目的であり、両者の性格は大きく異なります。
ところで、日米間で最初に年次改革要望書が取り交わされるより7年前の1994年から、日本はEUと規制改革対話を始め、毎年東京とブラッセルにおいてハイレベル会合(局長級)を開催し、双方で相手方に対する規制改革提案書を提出し合っています[8]。これは日本がEUの属国であることを意味しているのでしょうか。マスコミは、EUが日本に対して出す規制改革提案書を取り上げませんが、これは、日本の対EU従属を国民に知らせないように、マスコミに政治的圧力が加えられているからでしょうか。
もちろん、そのようなことはありませんよね。日本のテレビは、芸能人が麻薬を吸引して逮捕されたといった大衆受けするテーマのニュースならトップで伝えるのに、日本とEUとの規制改革対話のような地味な話題を取り上げませんが、それは政治的陰謀のためではなくして、たんに視聴率が取れないからでしょう。同じことがなぜ日米間の年次改革要望書に関して言えないのでしょうか。
郵政事業民営化も、年次改革要望書に記載されていることを根拠に、米国の利益のために行われたといった陰謀論がネット上で散見されますが、これは正しくありません。小泉純一郎は、1979年に大蔵政務次官に就任した頃から郵政事業民営化を唱えており、米国が、そういうまだ影響力のない頃から、小泉に働きかけていたなどということは考えられません。小泉は、たんに自分の信念に従って郵政事業を民営化したのであって、米国はそれに協賛しただけでしょう。
■永井氏がいうとおり、関岡さんの対米認識には、ナショナりスティックな 感情がまとわりつていることが、いなめない。
■しかし、「日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか」とか、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった、一見もっともらしい「正論」には、警戒が必要だろう。
■これは「日本の伝統的料理法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの外食産業に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、民族差の多いアメリカ西海岸あたりに、柔軟性に優れた日本の料理法を売り込むことができるのではないか」といったぐあいに、別の業界の「自由化」問題にズラすと、問題の所在がよくわかる。
■アメリカの西海岸の「カリフォルニア・ロール」を提供するスタッフが、どういった層がしらない。しかし、マクドナルドをはじめとする 北米型「ファスト・フード」が、単に「選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな料理方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった論理で合理化できるものでないことは、あきらかだろう。
■アメリカ人社会学者、ジョージ・リッツァが 「マクドナルド化(McDonaldization)」という理念型で 提示してみせた食文化の均質化傾向は、「貿易自由化」「規制撤廃」という、形式合理主義の おとしあなを、痛烈にうがっている。
■そして、北米産外材とその企画化を前提とした「2×4」建築などが、伝統的な大工養成システムを解体し、半熟練の建設作業員の つかいすてによって、建築コストの価格破壊をおしすすめている事態を、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高める」といった論理で合理化するのは、まさに新自由主義的な「自由貿易」体制で 世界支配をつづける 米国の国益主義の正当化に加担しているだけだろう。
■そして、永井氏の強引な批判は、関岡氏の問題提起を恣意的に取捨選択することで、「建築基準法」へのアメリカがわの圧力の不自然さ/不当さから、意図的にか めをそらす やくわりをはたしている。
■関岡さんは、1998年という、阪神淡路大震災(1995年)を意識してしか改正しようがない時期の 条文に、なぜか「最低限」といった 不自然な文言がまじっていることや、アメリカがわの圧力が ずっとくりかえされていたことの経緯と あわせて、アメリカからの輸入促進に はずみをくわえるための国内法整備であり、建築工事施主などの利益/安全をまもるための改正ではなかったという、カラクリを暴露したのだ。[9]
この文章が典型的にそうですが、左翼は、貿易自由化というと、国内産業が外国に潰されるとか、伝統文化が破壊されるといったネガティブな側面ばかりを強調します。原名さんが言うように、新自由主義的な自由貿易体制が、世界支配を続ける米国の国益になるというのなら、なぜ米国の政府や議会には、自由貿易に反対する保護主義者が多数いるのでしょうか。

食の自由化における性能規定は、定めし最低限の安全規制というところでしょう。その範囲内で自由化すると、日本の伝統料理は、競争力がないから、マクドナルドに負けて、衰退するとでも言うのですか。原名さん自身、カリフォルニア・ロールの例を挙げて、そうではないことを認めていますね。今や、日本食は、米国においてのみならず、世界的にブームであり、健康志向の人々の間でヘルシーな料理として珍重されています。
■関岡さんの日本文化論が、うちむき/うしろむきであることは、たしかだ。
■しかし、「現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など」を、「普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価される」というのは、あきらかな「いさみあし」だろう。
■日本製の ふきかえアニメはともかく、日本マンガは、左斜め下方向によみすすめる。漢字カナまじり表記の ふきだしや擬音語/擬態語。 コマわりなどの「文法」など、さまざまな「ローカル・ルール」の集積だ。
■ふきかえ/翻訳ぬきで うけいれられているのは、チャップリン映画や「Mr.ビーン」のような、無声映画的部分だよね。
■ちなみに、ハリウッド映画やディズニー・アニメは、「マクドナルド」や「コカ・コーラ」同様、「普遍」をうそぶく、「ローカル文化」=無自覚な文化帝国主義。[11]
たしかに、これまで日本の漫画は、紙媒体を通じて出版され、右から左、上から下へと読む慣わしでした。しかし、それは漫画にとって本質的なことでしょうか。国内の紙媒体市場が頭打ちである以上、日本の漫画家も、今後は、製作時点から、電子書籍としてグローバルにネット配信する事を考えざるをえなくなるでしょう。具体的に言えば、漫画一齣が一画面となるように均質的に描いたり、吹き出し内や絵の一部となっている擬声語・擬態語など言語依存部分を、別レイヤーに分離し、翻訳時にはそこだけを変換できるように作るなど、普遍的なプラットフォームに乗るように工夫せざるをえないということです。
コンテンツビジネスの世界展開を文化帝国主義と言って非難している人たちは、各地域にその地域の文化だけが局在するブロック文化分立状態が望ましいと考えているのでしょうか。ブロック文化分立状態は、一見すると、文化の多様性を守っているように思えますが、その地域の人々は、単一の文化しか享受することができないのだから、その意味では文化の画一主義だと言うことができます。ハードであれ、ソフトであれ何であれ、世界の消費者が、自分たちの好みに応じて、世界中の多様な商品から自由に選んで消費できる自由化された経済こそが、消費者の満足度を最高に高め、かつ文化の多様性を維持するのです。
■ようやく、永井氏のホンネがわかった。要は、アメリカ人になりたかった(笑)と。
■永井氏にとっては、「アメリカ仕様=世界標準」という図式は、普遍的な真理のようだ。
■アメリカは、一貫して 日ロの友好関係樹立をはばもうと(もちろん、日中関係もだが)してきた、という指摘もあるくらいだし、「アメリカの ポチ= ニッポン」が、どうやったら アメリカ/EU/ロシアを 「手玉にとって交渉できる」、「キャスティングボート(casting vote)」とやらをにぎれるのか、「あお写真」かいてみてよ。
■「日米安保を破棄して」だって? ご冗談を(笑)。米軍基地集中に反対してきた 沖縄県の自民党議員たちだって、「安保破棄」なんて いいだすひとは、いないんじゃないか?
■反米右派はともかく、保守派/中道層にとって、唯一の同盟国は米国なんだよ。
■実際、日米安保は、やすあがりな基地維持という便法にすぎず、世界戦略の全面的改編がおきたら、日本は「シッポきり」される程度の存在でしかないのに、「1州として合併してくれないんだったら、スネて ロシア/EU(=『1984年』のユーラシア)と、くっついてやる」なんて、ゴネる勝算も根性もないって(笑)。
■ちなみに、「グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない」などとのたまうが、かの国家指導者ほど 国際社会を てだまにとって、「キャスティングボート(casting vote)」をにぎっている、いい「お手本」は、ないとおもうけど(笑)。 [12]
北朝鮮は、これまでソ連や中国の側についていて、米国や日本や韓国の側についたことは一度もないし、今後ともありえないのだから、キャスティングボートを握っているというのは、言葉の使い方としておかしいでしょう。また、日本は、常にアメリカ仕様を世界標準として受け入れてきたわけではありません。特に、スイスに本部を置くISO(国際標準化機構)は、ヨーロッパ主導で、自分たちに都合のよい国際標準を決め、それを日本に押し付けてくる傾向があります。京都議定書でも、日本にとって不利で、ヨーロッパにとって有利な基準で温室効果ガス削減目標が設定されてしまいました。
5年前のこの書評でも書いたとおり、私は、かつて、真に対等な日米関係を樹立するには、そして日本の国際政治における発言力を高めるには、日米併合が最も簡単な方法だと言っていましたが、その実現可能性は、時間と共にどんどん小さくなっていきました。今思い返すと、日本が自分たちに代わって覇権国になるのではないかと米国が本気で心配していた1990年前後が、好条件で日米併合を実現するチャンスでした。バブル崩壊後、日本の一人当たりGDPや政府の債務残高GDP比が米国の水準より悪化し、米国にとって、日本を併合するメリットはなくなりました。
第二次世界大戦の敗戦国である以上、日本は、国際社会において軍事・外交・政治の主導権を取ることはできず、経済や文化などで主導権を取ることしか目指せません。世界標準が欧米を中心に形成されるにしても、その標準のもとで良い商品を作れば、世界の市場で受け入れられるでしょう。日本の独自標準に固執して国内経済をガラパゴス化したり、「東アジア共同体の構築をめざし[13]」て、ブロック経済に閉じこもろうとしたりせずに、グローバリゼーションに適応していくことこそ、日本が先進国として生き残る唯一の道です。
私も、これまで日本語というローカル・ルールに準拠してコンテンツを作ってきましたが、学術系コンテンツにおいては、英語がデ・ファクト・スタンダードであり、英語による情報配信にもっと力を入れなければいけないと思うようになりました。現在、和英バイリンガルのブログを立ち上げることを検討していますが、これに関しては、また改めて告知します。
7. 関連著作
- 関岡英之『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文藝春秋 (2004/4/20).
- 関岡英之『中国を拒否できない日本』筑摩書房 (2011/1/7).
- 関岡英之『国家の存亡 「平成の開国」が日本を亡ぼす』PHP研究所 (2011/4/21).
8. 参照情報
- ↑ZAKZAK.「ナゼ読めない?「アマゾン」で1年超も品切れの本」2005/09/16.
- ↑関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 224.
- ↑関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 46.
- ↑関岡英之.『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書. 文藝春秋 (2004/4/20). p. 228.
- ↑thessalonike.「郵政民営化とは本当は何なのか ― 公社分割と株式売却の中身」『世に倦む日日』2005-08-30 23:35.
- ↑thessalonike.「郵政民営化とは本当は何なのか ― 公社分割と株式売却の中身」『世に倦む日日』2005-08-30 23:35.
- ↑原名高正.“「拒否できない日本」の誤読”『タカマサのきまぐれ時評』2005年06月26日.
- ↑「外務省: 日・EU規制改革対話」外務省.
- ↑原名高正.“「拒否できない日本」の誤読”『タカマサのきまぐれ時評』2005年06月26日.
- ↑“Maki and soy sauce" by Lotus Head. Licensed under CC-BY-SA
- ↑原名高正.“「拒否できない日本」の誤読”『タカマサのきまぐれ時評』2005年06月26日.
- ↑原名高正.“「拒否できない日本」の誤読”『タカマサのきまぐれ時評』2005年06月26日.
- ↑民主党「民主党2009年マニフェスト」2009年7月27日.
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皆さん心配ばかりしてます。旧大日本帝国が私たちを肉を食らうように食ってきた。現にまだ残党が生きている。ダグラス.マッカーサーは今日の日本の繁栄の基礎を作ってくれた。マッカーサー様もう一度きて日本を民主化してください。マッカーサーのお孫さんでもいい。日本国さま私たちをモルモット扱いはやめて下さい。マッカーサー様どうして見ずしらずの私たちを救ってくれたのでしょう。
このメール「ボツ」
太平洋戦争で大都市を無差別爆撃して火の海にし(アメリカ経済立て直しのため)、必要のない原子爆弾投下で人体実験をし(海へ落とせば抑止力になるのにわざとジャップの上に落とした)、戦後は憲法第9条で軍事力を封印したアメリカ(第1条は日本敗戦必至の情勢が決まってから象徴天皇の規定だったはず。この第1条でその他のほとんどを受け入れてくれることすら知っていた)。日露戦争以降、オレンジ計画と暗号解読マジックによって日本首脳の手の内をすべて知られていた事実からすると現代日本もアメリカべったりというよりもアメリカに反抗しようとしても機密事項がデジタル化で機密ではなくなり、全て筒抜けなのだろう。
自衛隊の装備はアメリカ軍のお下がりを使い、GPSで携帯電話を所有するほとんどの日本人位置情報を把握でき、要人は会話を盗聴され、インターネットを中心にあらゆる電波とデジタルデータはエシュロンに捉えられる。国家安全保障局(NSA)は経済大国日本の動向分析を怠らない。このアジアのドラゴンを野放しにしておくはずがない。
マイクロソフトにウォルトディズニー、小学生からアメリカ英語を浴びせて挙句の果てには高校英語はアメリカ英語以外の言葉を使うなときた。どう考えても本家イギリス英語や発音が微妙に違うオーストラリア英語は教えていない。
小学校の英語必修化でALTが新規に何人雇われるのだろう?一人400万円の報酬と交通費などの手当てだとしたら約23,000の小学校で1000億円以上の資金が必要なわけね。次々とアメリカの要求を受け入れる日本とはプエルトリコ以下の立場なのか?
ALT(外国語指導助手)の約半数は、米国の出身ですが、イギリス、アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの出身者もALTになっています。むしろ、問題は、この記事が指摘するように、国際的に通用しない発音や文法で英語を話す自称ネイティブがALTとして採用されていることでしょう。
永井氏が指摘した通り、ALTの出身国はアメリカだけでなく、文法や発音などが食い違う各地から寄せ集められた日本語を勉強しようとしない出稼ぎの方々である。なかには大学院などでアジア研究などをされている奇特な方も若干名おられるが、ほとんどは本国よりも待遇がよい日本の経済力に憧れてやってくる。彼らの教員免許は更新されるのか?そもそも無免許で教壇に立っているのではないか?授業以外の空き時間に事務的あるいは対生徒カウンセリング的な従来の日本の教員が負う仕事は一切しない。いや、しないというよりもレベルが低くてできない。勤務時間中に買い物やサイクリングに出かけたり、山に登ったり、スキーやスノーボードをしている者はいないのか?
近年、英語ALTをアジア(台湾・香港・中国・インドなど)から採用しようという動きがある県の教育委員会で進められていたが、権力に潰されたようだ。小学校の英語など日本語すらこれからなのに文法も英作文もない。小学校のALTは幼稚園向けの英会話教室と何が違うのか?
本題の「日本はアメリカを拒否するべきか」については、いずれするだろうが、まだ拒否する期が熟していないというのが私の見解である。
日本の歴史は「パラサイトの歴史」と提唱したのは『逆説の日本史』における井沢元彦氏。古代の令外官しかり、平安時代の藤原しかり、鎌倉時代の北条しかり、室町時代の北朝しかり、江戸時代の大老・老中・側用人しかり、明治から大正にかけての藩閥しかり、明治時代後半からの参謀本部・海軍軍令部しかり。つねに象徴的権威の天皇を形式的な頂点に位置づけながら、二重三重の階層構造の2段目、3段目に実質的権力者が来る構造。天皇の象徴性が弱い方が安定していた傾向もある。自民党も内閣総理大臣よりも派閥の長や元総理(院政の模倣か)の発言力の方が影響があり、ついつい投げ出したくなるのだろう。
この歴史から考えると、戦後はアメリカに寄生することに徹して平和な社会を築いてきた。アメリカの意を含んだ憲法を天からの授かりもののように守り、軍備はアメリカの核の傘に入り、経済は日本製品を購入してもらい、貿易摩擦が起きると現地生産で日本企業がいかにもアメリカに雇用を生み出しているように錯覚させてきた。生活習慣もみためはアメリカナイズされているが、教会へいくのは友人の結婚式の時ぐらい。あれほど騒ぐ19世紀アメリカ百貨店発の商業主義クリスマスも一瞬だけで、その1週間後に寺社仏閣への初詣に変更されてしまうのだからたまらない。
寄生虫は宿主を殺さない。宿主が死んでしまっては自分自身も死を迎えるからだ。
今、日本の政治家は無意識のうちに必至に次の宿主を探している。しかし、21世紀初頭の段階では、アメリカ以外の宿主は現れそうにない。
無節操な、よくいえば柔軟性のあるこの国は、中国が共産党独裁から民主的国家に転換すれば(非現実的と指摘されるかもしれないが、可能性はゼロではない。中国は1980年代からの一人っ子政策で、日本以上の超高齢化が驚くほどの速さで進行する。)、喜んでかつて朝貢したように西を向くことになるだろう。アメリカが自滅し、中国が共産主義独裁を続けて覇権を握らなければ、仏教誕生の地インドと連携してインドの核の傘に入ることもありえる。インドも八百万の神を信仰している。
花鳥風月・春夏秋冬・風光明媚を備えながらも、大地震・火山噴火・台風に無常観を漂わせるこの国はこれからも変化し続けるだろう。アメリカ側も日本の「もののふ」の怖さを知るだけに手放したくない相手という事情もある。
“日本の独自標準に固執して国内経済をガラパゴス化したり、「東アジア共同体の構築をめざし」て、ブロック経済に閉じこもろうとせずに、グローバリゼーションに適応していくことこそ、日本が先進国として生き残る唯一の道です。”
私は、永井先生が『なぜ日本人は幼児的なのか』で述べた胎内回帰願望が、日本人がグローバリゼーションに適応しようとしない原因の一つではないかと思います。
だから、私は、「どうしたら日本人は大人になるのでしょうか。隷属する必要があるのでしょうか。」と質問しました。それに対してあなたは「隷属する必要はありませんが、隷属する危機感を持つべきでしょう。」と答えました。
しかし、日本人はそういう危機感を持とうとしません。日本の経済が破綻してデフォルトに陥り、中国や欧米の奴隷になるような苦い経験をしない限り、日本人は現実逃避や責任転嫁を続けるでしょう。
私は、近い将来、アジアで一番の先進国になるのは韓国とシンガポールだと思います。これらの国は、グローバルリズムに徹底的に適応しようとした国ですから。
たしかに、危機感が足りない人が多いけれども、このまま何もせずに衰退を放置するわけにもいかないでしょう。財政破綻して国民が良識を持つようになるとは限らないし、場合によっては、反グローバリズムの共産主義革命が起きるかも知れません。そうなれば、混乱はさらに長引くでしょうから、私としては、少しでも早く日本人に目覚めてもらうように、警鐘を鳴らすしかありません。
“場合によっては、反グローバリズムの共産主義革命が起きるかも知れません。”
そういえば、1960年代では、共産主義的な学生運動が起こり、2000年代では、ネットで、排外主義的なネット右翼が目立つようになりましたよね。これからは、失業者や非正規雇用者が増え続けると考えられますので、反グローバルリズムの極右政権(例えばナチス政権)が誕生してもおかしくないと思います。
永井先生の新しい英語での情報発信に強く期待しています。グローバルなコンテンツ市場の場で、この素晴らしいコンテンツがふさわしい評価を受け、影響力を発揮することを願っていますし、そうなると予測しています。
私も、情報の入出力の重心が、英語に少しずつ移動していっています。今後の生存と発展のためには、内部的に私個人の独自性や日本人としての独自性を維持しつつ、外部接点つまりインターフェースでは、標準規格としての英語の使用が自然であろうという認識です。
“財政破綻して国民が良識を持つようになるとは限らないし、場合によっては、反グローバリズムの共産主義革命が起きるかも知れません。”
最初のコメントで述べたように、日本人の強い幼児性が日本がグローバルリズムを受け入れない原因の一つとしてだと、私は考えています。
私が「財政破綻をしない限り、日本人は現実逃避や責任転嫁を続けるだろう。」といったのも、日本人は父権的な象徴による去勢経験を通じて幼児性を克服しなければならないと考えたからです。
尖閣諸島問題は、日本人が父権的な象徴(ここでは中国)による去勢を受けるチャンスだと思いますがどうでしょう。
日本は、太平洋戦争の敗北で、財政破綻を経験していますが、それで、現実逃避や責任転嫁が治りましたか。むしろ世界恐慌をきっかけに誕生し、今日に至るまで続く全体主義的システムが、日本の集団的無責任を助長していると思います。私は、市場原理の導入により、日本人に責任能力と自立心を持ってもらうのが一番よい方法だと思います。ところで、おかずさんにそういう意図はないのかもしれませんが、中国による日本征服を正当化する発言をしていると、中国の工作員と間違えられて、他の日本人から非難を浴びることになるかもしれないので、注意してくださいね。
“日本は、太平洋戦争の敗北で、財政破綻を経験していますが、それで、現実逃避や責任転嫁が治りましたか。むしろ世界恐慌をきっかけに誕生し、今日に至るまで続く全体主義的システムが、日本の集団的無責任を助長していると思います。”
そういえば、日本とイタリアとドイツでファシズムが台等したのも、世界恐慌がきっかけですね。
私は、平成生まれの大学生ですが、集団的無責任を感じています。私立大学ではありませんが、学生が講義中に携帯電話を操作したり、私語をしたりしても講師は注意をしません。他人のレポートを写したり、カンニングして点数を稼ごうとする人が多いです。
“私は、市場原理の導入により、日本人に責任能力と自立心を持ってもらうのが一番よい方法だと思います。”
私は、永井先生の論文や池田信夫さんのブログを読み始めたときから、その意見には賛同しています。しかし、市場原理を受け入れられる日本人はほとんどいないでしょう。政治家は団塊の世代や日教組などの既得権益者の言いなりですし、権益者に阻害されている若者は無気力と恐怖に苦しんでいます。
“おかずさんにそういう意図はないのかもしれませんが、中国による日本征服を正当化する発言をしていると、中国の工作員と間違えられて、他の日本人から非難を浴びることになるかもしれないので、注意してくださいね。”
わかりました。中国による日本征服を正当化する発言をしたのは、日本の絶望的な現状が永遠に続くのなら、いっそのこと、国家そのものが崩壊してしまえばいいのにと思っていたからです。私は、海外に逃げたいと思って英語を勉強しています。
以下の数字は、菅内閣発足直後の2010年6月15日における、内閣、民主党、自民党、みんなの党の支持率です。これを見てもわかるように、団塊の世代、全共闘世代を含む60歳以上で、菅内閣と民主党の支持率が高いことがわかります。
10代 内閣 43.7% 民30.4% 自25.6% み14.6%
20代 内閣 38.5% 民24.5% 自22.8% み18.6%
30代 内閣 42.7% 民32.2% 自18.9% み25.4%
40代 内閣 46.6% 民36.9% 自15.1% み27.6%
50代 内閣 55.6% 民44.7% 自15.8% み30.7%
60up 内閣 62.5% 民55.2% 自17.4% み32.9%
以下の数字は、2010年9月における各政党のコア支持率(1党のみを他党より高く支持する割合)ですが、同じ傾向があることがわかります。
10代 民 9.3% 自12.6% み 5.7%
20代 民 8.0% 自11.0% み11.0%
30代 民13.1% 自 8.0% み12.9%
40代 民13.8% 自 8.8% み11.1%
50代 民20.5% 自 6.4% み12.0%
60up 民26.5% 自 7.7% み10.4%
[データの出典:政治オぴみオン(2010)内閣支持率]
共産党の党員も高齢者が多いようで、共産党の調査結果によると「党員数40万人余のうち65歳以上が約4割で、約2割だった1997年から高齢化が進んでいる」[読売新聞(2010年9月25日)党員高齢化に危機感、共産党が党勢回復へ模索]のだそうです。これまで、団塊の世代は、数が多い上に、投票率が高くて、政治的影響力があったのですが、高齢化ゆえに今後は徐々に影響力を減らしていくでしょう。もっと若い世代の利害や考えも反映される選挙制度を考えなければなりません。
“団塊の世代は、数が多い上に、投票率が高くて、政治的影響力があったのですが、高齢化ゆえに今後は徐々に影響力を減らしていくでしょう。もっと若い世代の利害や考えも反映される選挙制度を考えなければなりません。”
老人至上主義的な政治は、あと20年から30年は続くと思います。私は、日本政府をほとんど信用していません。菅内閣は、市民運動出身の大臣が多いので、市場原理の導入の実現はまだ遠いと思います。
今、老人たち阻害されている若者はストライキを行っています。学生たちに向上心がなく、サイレントテロや草食系男子が流行ったりするのもそのためです。
リーマンショック後、日米でリベラルな民主党政権が誕生しました。一般的に、リーマンショックのような深刻な不況が起きると、人々は大きな政府を求めるようになるのですが、不況から回復し始めると、小さな政府を求めるようになるものです。
CNNと米オピニオン・リサーチ社が共同実施した世論調査によると、オバマ大統領の支持率は42%に落ち、中間選挙を前にして就任以来最低を記録しています [CNN.co.jp(2010年9月25日)オバマ大統領の支持率が過去最低を記録] 。他方で、オバマ大統領のリベラルな政策に反対し、小さな政府を求めるティーパーティー運動が盛んになっています。日本では、民主党に対する失望が広がる中、小さな政府を標榜するみんなの党がブームになっていますが、これはさだめし、日本版ティーパーティ運動といったところです。
米国のティーパーティー運動の担い手の40%以上は、55歳以上で、この年齢層が人口に占める割合が1割程度であることを考えると、高齢者の占める割合が高いと言うことができます。前回引用した日本の政党支持率を見直してみると、高齢者のみんなの党に対する支持率もかなり高いことに気が付きます。日本の全共闘世代には、化石左翼的な思想の持ち主がいまだに多数残っている反面、リバタリアンな高齢者も少なからずいるのだから、全共闘世代が生きている間でも、日本の脱社会主義化は十分可能だと思います。むしろ、30歳未満で、自民党の支持率が高いほうが気になります。
“リーマンショック後、日米でリベラルな民主党政権が誕生しました。一般的に、リーマンショックのような深刻な不況が起きると、人々は大きな政府を求めるようになるのですが、不況から回復し始めると、小さな政府を求めるようになるものです。”
だから、世界恐慌が起こると、日本・ドイツ・イタリアでファシズムが台頭したのですね。
“日本の全共闘世代には、化石左翼的な思想の持ち主がいまだに多数残っている反面、リバタリアンな高齢者も少なからずいるのだから、全共闘世代が生きている間でも、日本の脱社会主義化は十分可能だと思います。むしろ、30歳未満で、自民党の支持率が高いほうが気になります。”
確かに、年齢が上がっていくほど、みんなの党の支持率が大きいですね。
解雇規制の話に限定すると、高齢者はすでに定年退職しているため、解雇規制を撤廃しても被害者になることは有り得ませんね。一般的に日本企業は年功序列で、年齢を重ねていくうちに地位が高くなるため、高齢であるほど解雇規制を望むのだと思います。
逆に30歳未満の人は、既得権益を持つ地位の低い正社員が多数のため、解雇規制の緩和に反対する人が多いのでしょう。こう考えると、最近の若者がなぜ保守的になるのかが分かってきます。
また、30代以下の人たちは、非正規社員の割合も多いため、プロレタリア型右翼が多いと考えられます。既存の左翼に対する不満が強いため、右翼的な政党である自民党を支持するのでしょう。
「逆に」とあるけど、逆接になっていません。若い人ほど、解雇規制の緩和に反対する人は少ないの間違いでは?
“「逆に」とあるけど、逆接になっていません。若い人ほど、解雇規制の緩和に反対する人は少ないの間違いでは?”
すいません、訂正します。
ところで、私の発言がこの雑記の本文の趣旨とかなりずれてきましたね。本当は、『雇用を増やすにはどうすればよいか』で発言するべきなのに。
日本における正社員の雇用の過剰保護は、世界標準から外れているから、ここで、議論するのは不適切ではありません。「どうすれば労働者の待遇は良くなるのか」で書いたことですが、周辺国の解雇規制が緩い中で、日本だけが解雇規制を厳しくすると、有能な労働者ほど、高い待遇を求めて海外に出て行くという弊害が生じます。
“日本では、民主党に対する失望が広がる中、小さな政府を標榜するみんなの党がブームになっていますが、これはさだめし、日本版ティーパーティ運動といったところです。”
そもそも、日本経済は、まだ不況から立ち直っていないのではないではないでしょうか。円高が日本の景気に追い討ちをかけています。
不況かどうかは、比較対象として何を選ぶかによります。リーマンショック直後と比べると、2010年現在はかなり回復したということができます。今後は、さらなるリフレーションのために、財政政策(大きな政府路線)でいくか、金融政策(小さな政府路線)でいくかが争点になるでしょう。
民主党と自民党の執行部は、補正予算を組んで、伝統的な前者の選択肢で行く予定です。過去の失敗から何も学んでいないようです。みんなの党は、後者の選択肢で行こうとしているようです。方向はそれでよいのですが、彼らが提出しようとしている日銀法改正案は、「最近の経済金融情勢及び雇用環境の下における我が国の中小企業者の債務の負担の状況にかんがみ、金融機関の有する中小企業者に対する事業資金の貸付けに係る債権について、政府からの要請に応じて日本銀行が行う当該債権の買取りに係る臨時の措置を定めることにより、適時適切な通貨及び金融の調節並びに中小企業者に対する金融の円滑化を図ろうとするもの」[みんなの党・日銀法改正案の概要]で、小さな政府路線とは言いがたい内容です。
デフレを克服する上で重要なことは、貨幣価値を実際に減価させることで、人々にインフレ期待を抱かせ、死蔵している貨幣を投資と融資に振り向けさせることです。これは等価交換しかできない日銀にできることではないので、政府自らが通貨を発行するべきでしょう。政府紙幣の発行といっても、円紙幣と別体形の通貨を発行するわけではありません。造幣局を通じて硬貨を発行している財務省が電子マネーを円建てで発行して、それを財源に法人税や所得税を下げれば、政府が日銀を通じて、債権を買い取らなくても、投資や融資が増えるでしょう。
ところで、現在円高といわれますが、実態はドル安で、円の価値は、金に対しては下落しています。金価格の推移グラフ(1970年代~)を見ると、金は、円ベースでも上昇しているものの、それ以上にドルベースで上昇していることがわかります。要するに、日本は、米国と比べてリフレーションが不十分であり、相対的に円がドルよりも高くなっているということです。逆に言えば、日本にはまだまだリフレの余地があるということです。
IMFが、通貨安競争を批判していますが、通貨安競争ではなくて、国際的な協調リフレと考えれば、決して非難すべきことではありません。「米国やIMFの批判の背景には、世界恐慌の1930年代に、各国が通貨安を競い、自国の都合を優先する「保護主義」が蔓延(まんえん)し、かえって世界経済の停滞を深刻化させたという苦い教訓がある」[産経新聞:2010年10月8日]などという解説もあるようですが、むしろ、金融的なリフレが不十分だったからこそ、第二次世界大戦が起きたことから教訓を得るべきでしょう。
“一般的に、リーマンショックのような深刻な不況が起きると、人々は大きな政府を求めるようになるのですが、不況から回復し始めると、小さな政府を求めるようになるものです。”
デフレが20年以上も続いているのは、政治家や役人たちが自分の利権を確保するためにリフレ政策を怠っているからですか。
私は、左翼的な管政権は、日本経済が破綻するまで、デフレ政策を続けると思います。
“みんなの党は、後者の選択肢で行こうとしているようです。方向はそれでよいのですが、彼らが提出しようとしている日銀法改正案は、(中略)小さな政府路線とは言いがたい内容です。”
みんなの党は、中小企業や得票率の高い高齢者に迎合しているように見えます。
みんなの党と経済界との関係は単純ではありません。みんなの党は財界の犬だとか言う人がいるけれども、日本経団連会長のような、財界のエスタブリッシュメントは、みんなの党を嫌っています。
みんなの党を支持している財界人は、中小企業というよりも、三木谷浩史楽天会長とか堀江貴文元ライブドア社長といった新興ベンチャー企業系の人たちです。中小企業への迎合は、自民党から共産党にいたるまで、いろいろな政党で見られる傾向です。
直近の政党別支持率ですが、
民主 vs 自民 vs みんな
10代 民 5.7% 自12.2% み 6.9%
20代 民 6.7% 自14.9% み10.9%
30代 民 7.5% 自10.0% み13.6%
40代 民 9.5% 自 7.9% み13.3%
50代 民10.8% 自 8.2% み11.7%
60up 民16.3% 自10.7% み12.2%
となっています[政治オぴみオン:2010年11月11日~11月16日調査]。
年金生活している高齢者は、民主党を、税金を納めている現役世代は、みんなの党を、プロレタリア型右翼が多い若者は、自民党を支持する傾向が見て取れます。
永井先生は安倍政権が推進している水道民営化についてどう思っていますか。水道が民営化されると水道水が飲めなくなることを懸念する人を多く見かけます。中には、郵政民営化と同じように水道が外資に乗っ取られることを懸念している人もいます。
日本人には市場原理を信用していない人が多いのでしょう。民間は我欲の権化で、消費者や労働者からカネを貪り奪うためならどんな手も厭わないというイメージが日本人の間で共有されていると思います。実際、水俣病問題や足尾鉱毒事件がありましたし、日本企業はブラック企業で溢れかえっています。
民営化が良いかどうかは、市場原理が機能するかどうかで決まります。つまり、消費者に選択の自由があるかどうかが問題です。郵政事業の場合、三事業のうちどれに関しても、信書以外は、消費者には他の会社のサービスを選ぶ自由があります。だから、日本郵政株式会社が外資に乗っ取られようが、どうなろうが、国民には実害はありません(信書に関しても、宅配便が使えるように規制を緩和すればすむ話です)。
ところが、水道の場合、住民には選ぶ自由がありません。一つの地域に複数の水道網を構築することは現実的ではありません。現在政府が進めようとしている「水道民営化」なるものは、水道施設の所有権を渡さずに、運営権だけを民間に売るコンセッション方式ですが、運営権を購入した業者の運営に問題がある場合どうするのかに関して、事前に十分対策を立てておく必要があります。私は、運営権の売却ではなくて、契約期間を区切った運営の委託で良いと思います。その方が、運営に問題がある場合、契約を更新せずに、別の業者を選ぶことができるからです。