9月 272011
 

フォーラムから“大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い”を転載します。

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2007年にメキシコ・シティで開催されたミス・ユニバースで優勝した日本人の森理世(もり・りよ)さん。彼女の成熟した大人の美は欧米で高く評価されたが、日本では不評だった。”The winner of Miss Universe 2007, Riyo Mori, in Mexico City” by David de la Luz is licensed under CC-BY-SA

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2011年9月27日(火) 17:24.

ワシントン郊外に在住する日本人女性が、女性が電話でしゃべる時の声の高さが日米で異なると指摘する。

日本女性に多い甲高い電話声 米国ではバカっぽいと思われる (date) 2011年8月5日 (medium) 週刊ポスト (author) おぐにあやこ さんが書きました:

ちょっとした用事で、日本の不動産会社に国際電話したら、いきなり子供が電話口に出た。「はい、○○不動産でございます」。舌足らずな女の子だ。「おいおい、この会社、小学生に電話番させるの?」と仰天した。もっとも次の瞬間、自分の誤解に気付いたけどね。「日本の女性の『電話声』って、久しぶりだとこんなに幼く聞こえるんだ!」と。

次に、営業マンが電話口に出た。私は日本の家探しについて、矢継ぎ早に質問する。営業マンの対応が心なしか固く、取っ付きにくくなる。あれれ、何か変だ。私の口調って、妙に暗くて、不機嫌で、思い切り嫌なヤツっぽく聞こえてないか!? そこで、ようやく気付いたのだった。「私の声が低過ぎるんだ!」。アメリカ流にわざと低い声で話した結果、「この女、怒ってんのか?」と営業マンに誤解されたらしい。

アメリカの女性は、人前や電話で話す時、日本人女性のように、普段より高い、かわいらしい声を出したりしない。むしろ逆だ。わざと声を下げる。落ち着いた、深い声ほど、有能で魅力的な印象を相手に与えられる、と考えられているからだ。

アメリカじゃ、キンキンした甲高い声は子供のうちだけ。高校生にもなると外見だけでなく、声もずっと大人っぽくなる。女性の政治家やアナウンサーの声も軒並み低い。職場や学校でのプレゼンなんかも、日本の「電話声」でやるのはNG。甲高くてかわいらしい声は、軽率でバカっぽく聞こえるんだって。

だからだろう。日本人女性はアメリカに来ると、かわいい「電話声」を封印する。「ママの声って日本人相手の時だけ甲高くなるね~」と子供に指摘された駐在妻も。アメリカ生まれのバイリンガルの娘さんでさえ「英語をしゃべる時は低い声、日本語の時は高い声に、自然と変わっちゃう」というから面白い。

「日本人女性の声はなぜ甲高いのか」は、アメリカ人の間でも話題になる。ネット上の論争をのぞいてみると、「アニメだけじゃなく、生身の女性も声が高いよな」「日本語と英語の言語の特性の差だろ」「遺伝的傾向?」「でも、クロサワ映画の中の女性は、甲高いアニメ声で話さないぜ」「アメリカの女みたいに、男と対等に張り合おうとしてないからじゃないか」なーんて感じだ。

ここで問題となっている声のピッチの違いは、生理的な能力の違いではない。日本人も米国人も、自然な高さよりもより高いあるいはより低いピッチの声を意図的に出すことができるのに、なぜ日本の女性はより高い声を、そして米国の女性はより低い声を意図的に出そうとするのかということが問題なのである。

また「日本語と英語の言語の特性の差」という指摘も適切ではない。高音で英語を話しても、低音で日本語を話しても、少なくとも話している内容の意味は相手に通じる。違いは、意図的に高音で話すことを価値的に高く評価するか否かというところにある。

日本人でも米国人でも、11~14歳ごろになると、変声が起こり、声の高さが低くなる。これは男性において顕著であるが、女性にも見られる。したがって、意図的に高い声を出す女性は、意図的に子供のようにふるまおうとしているというように解釈される。日本では、それが「少女みたいでかわいい」と肯定的に評価され、米国では「幼稚でバカっぽい」と否定的に評価されるということである。

日本でも、ヤクザが脅迫電話をかける時は、ドスの利いた太く低い声を使う。その方が、大人の凄みが効果的に伝わるからだ。甲高い声で脅迫しても迫力がない。引用文に、低音で電話したところ、「営業マンの対応が心なしか固く、取っ付きにくくなる」とあるが、きっとヤクザなクレーマーから電話がかかってきたと勘違いして、営業マンはおどおどしていたのだろう。

日本では、大人の成熟性や自立性を示した方が有利になる場面は例外的である。母親に運命を委ねる幼児のような従順性を他者に示した方が、生存戦略上有利になる。だから、日本では、女性だけでなくて男性も、客に対して従順性を示す時は、声が通常よりも高くなる。これに対して、米国では、幼児的な従順性を示した方が有利になる場面の方が例外的であり、通常は、低音でしゃべることで、大人の成熟性や自立性を示した方が、敬意をもって取り扱われ、有利となる。

大人が幼児性を持つことを肯定的に評価するか否定的に評価するかは、文化によって異なるが、世界には後者の文化の方が多い。2007年に開催されたミス・ユニバースは、それを実感させる例の一つとなった。この時、日本人の森理世さん(上掲の写真参照)が優勝したが、日本人男性の彼女に対する評価は高くない。日本人男性が、謙虚で控えめで、幼児的なかわいらしさやあどけなさを残した女性を好むのとは対照的に、ミス・ユニバースでは、成熟した大人の美と健康的な力強さを兼ね備え、自信に満ちた話し方をする女性が選ばれる。AKB48 の総選挙で第一位になるような女の子は、ミス・ユニバースで優勝できない。

もちろん、幼児的なかわいらしさが売りの日本生まれのキャラクターが海外の成人オタクによって評価されるということはある。しかし、それは、サブカルチャーとして評価されているのであって、日常生活において、大人が他者に対して幼児的にふるまうことが評価されているというわけではない。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:イス.投稿日時:2011年11月20日(日) 20:00.

ウィキ・リヒト – セロトニントランスポーター遺伝子 さんが書きました:

セロトニントランスポーター遺伝子とは
神経伝達物質であるセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子である。
性格に大きく関わっている遺伝子である。

セロトニントランスポーター遺伝子の組み合わせは3通り。 LL型、LS型、SS型。
SS(緊張しやすい・不安を感じやすい・慎重)内向性遺伝子
LS(比較的緊張しやすい)
LL(動じない・緊張しない・大胆)外向性遺伝子

各国の割合
       SS型     LS型     LL型
日本人   65.1%    31.7%    3.2%
アメリカ人 18.8%    48.9%    32.3%

日本人が幼児的と形容される原因は、去勢体験が希薄だからではなく、不安遺伝子にあるのではないでしょうか。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2011年11月21日(月) 11:28.

セロトニン・トランスポーター遺伝子は不安遺伝子で、日本人はこの遺伝子を持つ割合が欧米人と比べて高いから、ネガティブ思考が強く、リスクをとらない云々という話をよく耳にするのですが、情報源はこの論文のようです。

Anxiety traits associated with a polymorphism in the serotonin transporter gene regulatory region in the Japanese (date) August 25, 1998 (media) Journal of Human Genetics, Volume 44, Number 1 (authors) Murakami, F. et al. さんが書きました:

We determined polymorphism in the serotonin (5-HT) transporter gene-linked polymorphic region (5-HTTLPR) in 501 healthy Japanese, individuals, using the polymerase chain reaction of Lesch et al., with minor modifications. The distribution of allele frequencies was determined and found to differ from that in Caucasians. We also investigated the relationship of polymorphism in 5-HTTLPR to anxiety traits, by having 189 of the 501 subjects complete a self-rating questionnaire for anxiety and depression. Subjects with the short/short (s/s) genotype had significantly higher anxiety scores than those with the long/long (l/l) or l/s genotype. It is suggested that populations with the s/s genotype of 5-HTTLPR have stronger anxiety-related personality traits than those with the l allele.

被験者に「不安と憂鬱にかんする自己評価アンケート(a self-rating questionnaire for anxiety and depression)」をさせたというあたりが気になります。自己評価だと、基準が被験者によりまちまちでしょうから、データの客観性が疑われてしまいます。

The human serotonin transporter gene linked polymorphism (5-HTTLPR) shows ten novel allelic variants (date) January 2000 (media) Molecular psychiatry, vol. 5, no1, pp. 32-38 (author) Nakamura, M. et al. さんが書きました:

The serotonin transporter (5-HTT) gene is a promising candidate for introducing the heritability of interindividual variation in personality and the genetic susceptibility for various psychiatric diseases. Transcription of the gene is modulated by a common polymorphism in its upstream regulatory region (5-HTT gene-linked polymorphic region: 5-HTTLPR). The 5-HTTLPR consists of variation of the repetitive sequence containing GC-rich, 20-23-bp-long repeat elements. A deletion/insertion in the 5-HTTLPR was first reported to create a short (S) allele and a long (L) allele (14- and 16-repeats, respectively). Three other kinds of alleles (18-, 19- and 20-repeats) in addition to the S and L alleles in 5-HTTLPR have been reported. In the present study, we examined the 5-HTTLPR polymorphism in detail and identified ten novel sequence variants, concluding that the alleles reported as S and L are divided into four and six kinds of allelic variant, respectively. Subsequently, we developed a method for genotyping. The total number of alleles (14-A, 14-B, 14-C, 14-D, 15, 16-A, 16-B, 16-C, 16-D, 16-E, 16-F, 19, 20 and 22) in the 5-HTTLPR was 14 in our populations (Japanese: n = 131; Caucasian: n = 74) in the present study. In addition, a significant ethnic difference between Japanese and Caucasian populations was observed for distributions of alleles and genotypes (P < 0.0001 and P < 0.0001, respectively). Our results suggest that the analyses of the 5-HTTLPR should be revised by genotyping with a more complete subdivision of alleles

この論文は、セロトニン・トランスポーター遺伝を「人格および各種の精神疾患における遺伝可能な個人差をもたらす有望な候補(a promising candidate for introducing the heritability of interindividual variation in personality and the genetic susceptibility for various psychiatric diseases)」と位置づけ、セロトニン・トランスポーター遺伝子の分布は、日本人とコーカソイドとの間で有意な差があると結論付けています。

基準があいまいな人格の方はともかくとして、精神疾患の有無なら客観的な基準で判定が可能です。しかし、他の調査によると、精神病患者と健常者の間には有意な差はないとのことです。

5-HTTLPR variants not associated with autistic spectrum disorders (date) April 1999 (media) Neurogenetics, Volume 2, Number 2 (author) Zhong, N. et al. さんが書きました:

To determine whether there is an association of polymorphic variants of the serotonin transporter (5-HTT) gene-linked polymorphic region (5-HTTLPR) and autistic spectrum disorders, we analyzed the 5-HTTLPR genotypes of 72 autistic subjects, 11 fragile X syndrome patients with autistic behavior, 43 normal subjects, and 49 fragile X syndrome non-autistic subjects. The distribution frequency of 5-HTTLPR long allele (L) and the short allele (S) variants showed no differences between subjects. Our findings do not support the hypothesis that polymorphic 5-HTTLPR variants are a susceptibility factor for autistic disorders.

この論文は、セロトニン・トランスポーター遺伝子と自閉症との相関を否定しています。また、以下の論文は、拒食症との関係を否定しています。

Analysis of the serotonin transporter gene linked polymorphism (5-HTTLPR) in anorexia nervosa (date) February 2000 (media) American Journal of Medical Genetics, Volume 96, Issue 1, pages 53-55 (author) Sundaramurthy, D. et al. さんが書きました:

Previous studies have demonstrated aberrant expression of serotonin in individuals with an eating disorder. Given this the serotonin transporter gene (5-HTT) is a strong candidate to contribute to the genetic component of the aetiology of eating disorders. To determine the role of this particular gene in the susceptibility to anorexia nervosa (AN) we have examined a tandemly repeated sequence close to the promotor region of the 5-HTT gene, which is represented by a long (L) and short (S) variant. Previous studies have shown that the transcriptional activity of the 5-HTT gene differs significantly between these two alleles. A group of 138 Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM-IV) criteria AN patients and 90 controls were genotyped at the 5-HTT gene linked polymorphism (5-HTTLPR). Statistical analysis showed no significant difference in allele or genotype frequencies between the two groups. These data suggest that there is no association between 5-HTTLPR genotype and susceptibility to AN, in our population.

以上からわかるように、セロトニン・トランスポーター遺伝子が不安遺伝子であるという説は、未だに科学的に十分に実証されておらず、そのような説を前提にして議論することに対しては慎重でなければならないと思います。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:かるかん.投稿日時:2011年12月11日(日) 17:57.

なぜ日本人は幼児的なのか?という記事を読みました。
ここでは相応しくありませんが質問させてください。
空想の世界で安住しながら、去勢された(自立した)男らしい男を理想とした話をする作品も去勢以前的なのですか。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2011年12月12日(月) 15:46.

質問していることがよくわからないのですが、以下のような解釈が考えられます。

  • 自立した男らしい男を理想としながらも、そうなろうと努力することもなく、たんに空想の世界に安住している男が去勢以前的なのか
  • 自立した男らしい男を理想として、空想の世界に安住している女が去勢以前的なのか(精神分析学的には、女にも去勢があります)
  • 上記のような人たちを題材に作品を作る作家が去勢以前的なのか

このどれでもないかもしれませんが、とりあえず、もう少し質問の内容を詳しく書いてください。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:かるかん.投稿日時:2011年12月12日(月) 20:46.

"幼児は、外界から遮断された擬似胎内空間を作ろうとします。アニメや漫画が、実写である映画や写真と比べて幼児的といわれる所以は、
外界の現実をそのまま受け入れるのではなくて、外界とは切り離された自分たち独自の小宇宙を作ろうとする点にあります。"
"筋骨隆々のマッチョな主人公が、艱難辛苦の冒険の末、無力な美女を救うといった筋書きのアメリカの作品は、チープでありますが、
去勢された(自立した)男らしい男を理想としている点で、幼児的ではないのです。CGを駆使した映画が、実写かアニメかという問題に関しては、
「現実的に見えるほど優れている」という価値観を持って映画を作っているか否かで考えてくればよいかと思います。
現実を拒否し、空想の世界に安住しようとすることは、胎内回帰願望の一つの特徴です。"

アニメや漫画、「現実的に見えるほど優れている」という価値観を持っていない映画などは実写と比べてより幼児的であるということですが、
アニメや漫画で、筋骨隆々のマッチョな主人公が、艱難辛苦の冒険の末、無力な美女を救うといった筋書きの作品は作れるのでしょうか。
また、このようにも言い換えれるのでしょうか。
現実そのままでない独自の小宇宙の中で、去勢された(自立した)男らしい男を理想とした作品は作れるのでしょうか。
そして、もし作れるとしたら、そういった作品の製作者や、作品を楽しみ登場人物の自立した男に憧れたりする鑑賞者は幼児的(去勢以前的)なのですか?

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2011年12月13日(火) 03:19.

かるかん さんが書きました:

アニメや漫画で、筋骨隆々のマッチョな主人公が、艱難辛苦の冒険の末、無力な美女を救うといった筋書きの作品は作れるのでしょうか。

もちろん、作れます。実際、アメリカン・コミックとかにはよくある話です。但し、米国では、アニメや漫画は子供が見るものということになっており、大人になれば、アニメや漫画から卒業するのが普通です。この場合、現実を拒否し、空想の世界に安住し続けるということにはなりません。したがって、ご指摘のような中間的な性格を帯びた作品は、典型的には、子供から大人になる中間的な過程にいる消費者によって享受されるものと考えればよいでしょう。

日本人が幼児的である原因は「去勢体験の希薄さ」か

投稿者:イス.投稿日時:2011年12月22日(木) 02:32.

ご指摘のおかげで、セロトニントランスポーター遺伝子が不安遺伝子であるというのは、未だ信頼度の低い情報であったことが理解できました。

しかし、性格の形成に遺伝的要因(気質)が存在することは確かだと思います。日本人に多く存在するある特定の気質が、日本人の幼児性の素因となっている可能性が考えられますが、精神分析学としては、そのような可能性は考慮しないのですか?

Re: 日本人が幼児的である原因は「去勢体験の希薄さ」か

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2011年12月22日(木) 16:42.

もちろん、そういう可能性もあるでしょうが、そうでない可能性もあります。外国人が長い間日本に住んでいるうちに性格が日本人化するとか、あるいは在日外国人どうしの間で生まれた子供の性格が日本人的であるといった事例は、先天的要素ではなくて後天的要素によって説明されるべきことです。

日本人の遺伝子は、Haplogroup D(M174)に属していますが、同じ遺伝子型は、チベット民族とインド洋のアンダマン諸島原住民に見られます。だから、日本人の遺伝子と性格の関係を知りたければ、これらの民族と日本民族との性格上の共通点を探すところから始めたらよいでしょう。

2011年11月に、ブータンのワンチュク国王とジェツン王妃が来日して、ブータン・ブームが起きました。日本人は、ブータンにかなり親近感を持ったようです。ブータン国民の主流はチベット民族系であり、日本人と遺伝子型が同じということもその理由の一つとして挙げることができるでしょう。

なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:emi.投稿日時:2012年2月15日(水) 04:59.

なぜ日本人は幼児的なのか
ですね

少し違う意見が有ります
論文では日本人は「母権社会」であると書かれていますよね
でも、実際のところ日本では「甘えるな」と言う言葉が常に先行しています
大して頼ってもいないうちから何も出来ない子供相手に
これは甘えられる環境が無い、と言う状態ではないでしょうか?
子供のうちは頼っても、安心して良いよ、守ってあげるよ、って甘えられる場所が無い

でも大人になるにつれ、甘えが出て来る
子供から大人に対しては頼れる環境が少ないのに
大人になると「偉い人」として、「自分より地位の低い相手に」甘える事ができる
子供のうちは何も権利が無いから「そんな事は一人前になってからいえ」と一蹴されます
でも、大人になるとふんぞり返って、「メシ!」「フロ!」と一方的に寄りかかる

日本人の幼稚性は母親に対する甘えの延長ではないと思います
本当は幼児期に十分に甘えられる環境にあれば、子供は自分から今度は支える側になろうとするものです
いつも自分を支えてもらってる自覚があれば、胡坐をかけない、少しは力になろうと思うもの

日本人は、幼ないうちは保護者に拒絶されて育ち、大人になってから甘えを勝ち取ろうとする、その手段が偉らいと言う権威と言うのが正しい見方ではないでしょうか?

甘えを許されたり愛情を十分に受けた人たち程、自立を望み
甘えを許されたり愛情を十分に受けてない人たち程、甘え求め続ける

自立とは、「父性」とたたかれて追い出されて出来るようになるものではないと思います
自分で自立しようと考えるから自立だと思います
他人が自立するようにお膳立て(突き放し)して得られるものは違うと思います
なかなか巣立たない子供に多少必要でもそれがメインになる事は無いでしょう

そして、日本では十分たたいて追い出して育てようと言う考えが基本にあるはず
「甘えるな」の多さを考えれば

後、日本人は男らしいか
男性的ではあると思います
相手の事を考えず、何をしろ、何をしろと、押し付ける姿
切腹しろも

女性的か男性的かでいえば男性的に間違いないと思います
でも成熟していない未熟の男性
幼い男の子

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年2月15日(水) 14:27.

親が子供を育てる方法は、日米でかなり異なります。日本では親は子供を叱って育てるのに対して、米国では親は子どもを褒めて育てます。日本では、良い子とは、親の言うことをよく聞く素直な子のことであり、「甘えるな」という台詞は、言うことを聞かずにわがままをいう子に対して投げかけられます。これに対して、米国では、親は子供を叱る以上に褒めます。ちょっとしたことでも「あなたは天才ね」などと言って褒めそやします。

この点で比較すると、米国の方が日本よりも子供を甘やかしているように思うかもしれませんが、実はそうではありません。米国の親が子どもを褒めるのは、子供に自信を持たせ、自立させるためです。日本の親が子供を厳しく躾けるのは、親と子との間に服従関係を作るためであり、この関係は、学校では教師と生徒との間で、職場では上司と部下との間で再設定されます。服従関係においては、命令に従わなければ罰せられる半面、命令に従う限りは保護が保証されるのだから、自立なき甘えの関係であるということができます。

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:emi.投稿日時:2012年2月22日(水) 20:09.

ページが次にあるときづかなかったので返事遅れました
ごめんなさい

永井俊哉 さんが書きました:

命令に従う限りは保護が保証されるのだから、自立なき甘えの関係であるということができます。

とありますけど、それが子供の甘えになるのは、子供の側から「自分は命令に従うから保護を保証してよ」と頼んで、それによって守られてる場合だと思います
親の側から親と子との間に服従関係を作っている、と言うのは親の要求がかなえられて、子供は親の要求に応えているだけですよね
この場合甘えになるのは親の側ではないですか?

勝手に頼んでもいない事をやって、頼みたい事は聞き入れてもらえない関係が続いてるから
子供は「誰かに甘えた経験が無い」と感じてるはずです

甘えは、自分の依存心だと思います
この場合だと、子供の側の依存心から甘えてる訳じゃ無いはずです

支配されてるだけの関係を甘えとはいえないと思います

日本では、親が子に、教師が生徒に、上司が部下に、「甘える」

のであって

子供、生徒、部下は甘えられない、逆に寄りかかられる関係では?

何も自分の我侭聞いてもらった事も無いのに甘えられて育ったなんていったら可哀想ですよ
それに、命令に従う限りは保護が保証されるとありますけど、保護は親の裁量でされると思います
だから本当は保護が必要でも放置する事も多々あるはず
それが行き過ぎるからパチンコで自動車の中に放置してしまったり
そんな事件が起こるのでしょう
けして保護を保証している訳では無いと思います
むしろ親に従って待っていた為に命を失ったのですから・・・
でも、命令に従うのは絶対でなければいけない
と言うのが日本の環境ではないでしょうか

そういえば日本の「甘えるな」という台詞は、言う事を聞かない子よりも、言う事を聞いた子供に使用される事が多いと思いますよ
言う事を聞いて従ったけど、親の予定する結果が得られなかった時、結果が得られず頼ろうとした時
具体的にいえば「学校で成績を上げなさい」この要求は親のもの、だから子供から見たら自分の要求で無いので親にどうすればいいか頼ろうとする
その時に使うのが「甘えるな」
親は自分の要求であるにも拘らず、子供に全てを投げていて、指示を求めているのに応えない

言う事を聞かない子供はたぶん親も逆らえない、勝手する子供に「甘えるな」と言う人はいないと思います
家に帰ってこない子供に親は何もしないで放置する
頼ろうとする相手には突き放すけれど、勝手にする相手にはあまり干渉できない

だから全然言う事を聞かない我侭な子供と、いつも下を向いてる無表情な子供にはっきり日本の子供は分かれてる

米国では「甘えるな」と言う対象は、我侭で人の事を省みない人に対して使います
我侭で人を傷つけているのに、やりたい放題する事がアメリカでの甘え
日本では「甘えるな」の対象は、素直で大人の命令を守ろうとする子供に対して使います
支配されていて権利も力も何も持っていない子供が、権利も力も持ってないから誰かに頼ろうとする、それが日本での甘え
その時点で日本とアメリカでは違いがあるようですね
力の無い人が人に頼るのは甘えではないと思います
力があるのに相応しい行いをしない人は甘えているのでは?

後、単純に日本では親は子供を叱って育てるのに対して、米国では親は子供を褒めて育ててる訳じゃないと思います
何度も色々ごちゃごちゃ書いてごめんなさい
日本でも米国でも、叱って、そして褒めて育ててる

日本では子供を叱かるのも子供を褒めるのも服従が目的、親にとって自分が満足するような事をした時に褒めて、自分に従う事を拒んだり自分にとって望みどおりで無い時に叱る、後減点式で何もしてない子供にも大人の威厳を示す為に叱る

でも、アメリカでは、人として正しい行いをした事を褒めて、人として誤った行いをした時に叱る

結構差があると思います

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:emi.投稿日時:2012年2月22日(水) 20:26.

もう一つ書きますごめんなさい
人間は十分に甘えられるから自立するんだと思います
甘えられないから甘えを求める
それは、自分が甘えられなかったこれからも絶対に甘える事を許さない保護者には向かず
自分の支配する相手に向けられる
だから大人なのに自立してない人があふれてる

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年2月24日(金) 12:24.

emi さんの文章を読んでいて、1998年の報道で聞き知った、ある女子高生の制服廃止の訴えを思い出しました。以下の文章は、『週刊文春』からの孫引きによる引用ですが、この中で emi さんと同じような主張をする女子高生が出てきます。海外の人がそういう主張に対してどういう反応を示すかをご覧ください。

「制服廃止」を訴えて国連に叱られた日本の甘ったれ高校生 (date) 1998年6月18日 (media) 週刊文春 さんが書きました:

5月27日、スイス・ジュネーブの国連会議場で開かれていた国連児童の権利委員会は、昼休みに入ったばかりだった。

いきなり登場した日本の3人の女子高生が、用意したコメントを読み上げはじめた。

「私は、制服を着なかったために中学校に通えませんでした。今まで日本が行ってきた取り組みは、私を救えませんでした・・・・・・」

最後に発言した北海道の私立高校1年生のAさん(15)は、そこまで話すと、感きわまったように泣きだしたのである。

「高校生たちの発言は、事前の会議予定には入っていなかったので、一瞬何が始まったのかとびっくりしました」(出席していた日本政府代表の一人)

この日開かれていた委員会は、1989年に採択された国連児童の権利に関する条約が、批准各国にきちんと守られているか、チェックするためのものである。94年に批准した日本は、ちょうど今年が審査される順番にあたり、外務省や文部省をはじめ十数名の日本政府代表が10名の国連委員(実際に出席したのは7名)を前に、日本の児童の人権状況について報告を行うことになっていた。

その公式会議の場に、いきなり女子高生たちが現れ、涙ながらに窮状を訴えたのだかた、国連委員たちの方もびっくりしたようだ。

もともと女子高生たちは、「昼休み中に、10分間だけ」という約束で、議長から、いわば飛び入り参加的に発言を認められたのだが、彼女たちの様子があまりにただごとではないので、翌日にも30分間の時間が与えられることになった。国連には、政府関係者だけでなく、民間人の意見もできるだけ聞く、という原則があるためだ。

前出のAさんは、今度は堂々と「制服NO!」の意見を述べた。

彼女はかつて、熊本市内の公立中学校に通っていたが、「なぜ他の人と同じ格好をしなくてはならないのか、分からなかったため」、一人だけ私服登校を続けたところ、学校からさまざまな圧力を受け、やむなく制服のない北海道の学校に転校したという。

その経験をもとに、Aさんは、訴えた。

「力のあるものの権力の横暴による人権侵害は、中学校の中で、当然のごとくまかり通っています。この制服の問題は、その一部分でしかありません。日本は表向きは、戦争もなく平和な国です。しかし、その平和な国が行っている教育は、権力を持つ者が無い者をおさえつける、とても傲慢なものなのです。私たちには、一刻も早い助けが必要です。」

もう一人のBさん(18)が通う京都府立高校でも、制服導入をめぐって生徒と校長側が対立している。その立場からBさんは、「制服そのものの是非というよりも、私たちの意見も聞かず、一方的に導入を決めた校長の姿勢が問題。このように日本では、子供が自分で自分のことを決める自己決定権が認められていない」と述べた。

他にも、児童養護施設から東京の私立高校に通うCさん(16)が、養護施設の実態について報告した。

この話を聞いた国連委員たちは呆気にとられた。日本で、子供の人権が抑圧されているからではない。彼女たちの言い分が、あまりにも幼稚なものだったからだ。

ロシアのコロソフ委員には、「われわれの国では、制服があっても貧しくて買えない子供がいる。それに比べたら、あなた方は格段に幸せだ」と皮肉られた。

そう、日本にも貧しい時代があった。大正末期に出された文部省の制服に関する見解は、「公立小学校の制服は、親によけいな負担をかけ、全員就学の妨げになるから、好ましくない」(当時義務教育は小学校まで)となっていた。

また、スウェーデンのパルメ委員長からは、「スイスに来て意見が言えること自体が恵まれている。問題があるなら、まず親や周囲にアピールすることが重要ではないか」と、逆にたしなめられてしまった。

委員たちの出身国は、イタリア、イスラエル、ブルキナファソなどさまざまだが、法律家や児童心理学者など、いずれも人権をもっとも重視する立場の人たちである。その彼らにすら、制服が人権侵害の最たる象徴であるかのような日本の高校生たちの主張は、とうてい理解しがたいものだった。

さすがの人権派の委員も、一人二十万円もの渡航滞在費用を調達することができるリッチな日本の高校生の訴えをあまりにも贅沢と感じたようです。

日本の子供は、物質的に不自由なく育つことを当たり前と感じていますが、世界的には、これは当たり前ではありません。もちろん日本でも、親が育児を放棄して子供を餓死させる事件が起きたりします。しかし、そうした事件は、全国紙で報道されるぐらい稀なケースです。たいていの日本の子供は、物質的に恵まれた環境の下で育てられます。それにもかかわらず、「何も自分の我侭聞いてもらった事も無いのに甘えられて育ったなんていったら可哀想」などと不満を述べることは、世界の常識からすれば、甘えそのものとみなされるのです。

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:emi.投稿日時:2012年2月24日(金) 21:24.

最初長い文章書いたのですけど、支離滅裂だったので書き直してまとめてみました
でもやっぱり支離滅裂の長い文章になりました・・・
ごめんなさい

制服のお話は、結局、理解者になったり、話を聞いてあげようとする姿勢の人がいなかったんですよね?
日本での姿勢・解釈はそうですよね
子供を理解しない姿勢

日本ではいつも子供を否定してばかりで、子供の側に立って子供を守ったり保護したりする姿勢、態度、意識がとてもに低いと思います
制服のお話も、日本で保護者に守ってもらえないから態々スイスにまで保護を求めに来たのでは?
身内で話し合えて解決するような環境ならそんなところまで態々来ないはず

日本では生きるのに必要なもの食事などは与えるけれど、子供が寄りかかれる場所は与えられない
“物”でも大人側の都合や判断で与えられるだけで、子供が望んだものが手に入る訳じゃないはず

子供が望んだものが何でも「ハイハイ」って渡されるんだったら、それは甘やかされてるって事なのでしょうけど

大人が勝手に押し付けてるだけで、受け入れられないかったり拒否すると甘え扱いされる
訴えを起こす人は、不満がある人
不満がある人は、甘えられる場所、寄りかかれる場所を欲しがってる人
寄りかかれる場所を欲しがってるって事は寄りかかれないからですよ

ここのお話を見ても、他の色々な場面で色々なお話を見ても、「ああ子供は甘えてる」っていうだけで、子供が甘えを許されてる場面は出てこない
子供に対して述べられる意見や言葉は、子供に贅沢だとか甘えてるだとか
そんなもの

どこに行っても誰もがみんな子供に甘えてるだとか贅沢だとかしか思ってないのに
では、子供はどこで(誰から)、その贅沢や甘えを受けられているのでしょう?
子供が無事我侭を聞いてもらってる場面、見た事も無いです
必ずいつも甘えてるとか贅沢だとか、しかられている場面だけ

日本では子供に対していつも否定しかしないのに、何でも聞いてもらって甘やかされてるって事になってる
そう思います

物をどんなに与えても、子供の望んだ要求が殆ど満たされてないなら
それは、“甘えられない環境”ではないですか?

子供が餓死するまでに至らないだけで、子供を無視するのが殆どの家庭の日常では?
たまたま、行き過ぎた家庭だけが子供が餓死するまでに至っただけで・・・

日本での子供にする解釈は、いつも子供にお金がどれだけかけられたとか上辺の部分だけ
実際は、望んだものが何ももてない物質的にとても不自由に育ってると思います

例えば、みんな無いのが当たり前の環境で携帯電話を欲しがるのと、みんな持ってるから携帯電話を欲しがるのとは違う
携帯電話は贅沢って切り捨てる人が多いですよね(説得するのとは違う)
持ってる人は平然と持ってる、持ってない人は結局持ってないのに、持ってない人こそが贅沢いってるって事にされて甘えてる扱いにされる
持ってる人はと言うと・・・その人たちが贅沢だとか甘えてると言うような扱いさっる事全然無い
甘えてる事にされるのは、もっていない人が自分も欲しそうにした時
甘えた経験の無い人が、日本では一番甘えてる事にされてると思いますよ

貴族の子供は恵まれているようにみえますけど、その子供は物があるだけで本当に「甘えている」のでしょうか?
大人の与えたいものを物質的に与えるけれど、子供の自分で望んでいるものは殆ど与えられない
それは甘えられないと言う事では?
物質的に恵まれた環境の様で何一つ子供の話は聞いてもらえず無視される
それが日常になっていて、そこで出る要求の一つ一つが「甘え」てる事にされる
それを甘えとするのは日本だけだと思います
そもそも一度も子供と向き合ってすらいないのに
甘えてる事にされる日本

愛情の反対は無関心
子供のいってる事を聞こうとする耳、聞こうとする姿勢が日本人は全然無いですよね?
鼻で笑って相手にしない姿勢・・・
それって無関心って事ですよね?

どこに甘えられる環境があるんですか?
愛情が無いのに・・・

真剣に向き合ったり話を聞いたりしないし、する様子も無いのに、餓死するのが稀で片付けてます
この態度が行き過ぎたのが“餓死する”ではないですか?

みんな保護してもらった事無いですよね?
寄りかかれない
日本と言う国

甘えていると突き放してしかいないのに、甘えられてる訳ないですよ
甘え心とは本当に自分でもどうにかなる人、余裕のある人に使う言葉です
日本人は全然余裕が無いと思います
余裕が無いからすがってるだけ・・・

Re: なぜ日本人は幼児的なのか読みました

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年2月25日(土) 12:04.

emi さんが書きました:

制服のお話は、結局、理解者になったり、話を聞いてあげようとする姿勢の人がいなかったんですよね?
日本での姿勢・解釈はそうですよね

引用文をよく読めば分かるように、海外では理解されなかったということです。大人の理解者や同情者は、むしろ日本国内にいます。

emi さんが書きました:

物質的に恵まれた環境の様で何一つ子供の話は聞いてもらえず無視される
それが日常になっていて、そこで出る要求の一つ一つが「甘え」てる事にされる
それを甘えとするのは日本だけだと思います

それが甘えでないと思うことの方が、むしろ日本の特異性でしょう。

そもそも、人間の欲望には限界がないのだから、自分の欲望を完全に満たすことができる人は、子供においてはもちろんのこと、大人においても皆無です。それが現実である以上、その現実を教えるためにも、親は子供のわがままを拒否しなければいけません。わがままに育った子供は、大人になってからも無制限に欲望を満たそうとして身を滅ぼすことが多いので、親は、子供の将来を案じて、わがままを許さないのです。ですから、それは「愛の鞭」と呼ぶべきもので、愛情の欠如や無関心ゆえの育児放棄とは区別されるべきものなのです。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:emi.投稿日時:2012年2月26日(日) 19:03.

現実を教えるために、我侭を拒否する日本の親の姿勢は
それは、甘えを許さないって事ですよね?
「日本人は甘やかされて育つ」ではないって事であってますよね?

子供の将来のためになってないと思いますよ
「愛の鞭」も「育児放棄」も
大人が都合で勝手にやってるだけだから・・・
大人は都合でころころいってる事も変る
それがためになって、育ったって人の話、是非聞いてみたいです
立派な人日本にいるのでしょうか?

日本の大人は、自分の好きな事に鞭でたたいて好きな事に放棄してるだけにしか見えない
子供を全然見てないから
向き合ってると思えない

もしも子供の為にやってるなら
しっかり育ててるなら
幼稚な大人は育たないはず
「大人が幼児性を持つこと」

殆どはしつけと証した束縛や制限の後はそのまま放置
自分の気に入らない時(口を出したい時)は口を出すけど、子供側からの話に耳を傾けるような姿勢はとらないような人が殆どのはず
それが日本人の一般の保護者
本当は無関心で愛情が欠如してるのに、愛情があるふりをしてるだけ
本当は無関心で愛情が欠如してるからきちんと育てられないって事でしょう・・・

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年2月28日(火) 11:40.

emi さんが書きました:

「日本人は甘やかされて育つ」ではないって事であってますよね?

諸外国と比べて言うならば、日本の母親は子供を世話しすぎていると思います。日本人には、「母親は子供を完全に面倒を見るべきだ」とか「母親は子供に無限の愛情を注ぐべきだ」とかいった考えを持つ傾向が強く、そのため、日本の母親の中には、そうした周囲の期待に応えることができなくなって、育児ノイローゼになってしまう人が少なからずいます。

母親の負担を軽減するためにも、そして社会的に自立できる子供を育てるためにも、「密室育児」と揶揄される現在の日本の母子密着型育児環境を変える必要があると思います。そもそも、日本においても、核家族化と少子化が進行する以前の時代では、母親は今ほど子供の世話をしていませんでした。姉が母の代わりに弟を育てるということが多かったし、祖父母が子供の面倒を見るということもありました。また近所に子供がたくさんいたので、子供同士の付き合いも豊富でした。こうした多角的な対人関係のもとで子どもが育つ環境を作ることが必要です。そのための具体的な提言に関しては、このサイトの別のトピックで行っていきたいと思います。

最後に、投稿する時は、ユーザ名を省略せずに、ペンネーム(emi)を入力してください。誰の発言かわからなくなってしまいます。毎回いちいち入力するのが面倒なときは、メンバー登録をしてください。

米国では声が低いリーダーは信頼できるという評価を得ている

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月17日(金) 11:18.

米国の Duke University’s Fuqua School of Business と University of California の学者が、Standard and Poor’s 1500 採用銘柄の有力上場企業の CEO から 792人を選び、そのスピーチサンプルで声の高さを測り、資産や給料との相関性が調べたところ、声のピッチが低くなるほど、収入が増えるという結果を得たとのことである。

Deep-voiced chief executives are more successful, scientists say (date) 2013年5月13日 (media) Telegraph さんが書きました:

A decrease in voice pitch of 22.1Hz correlated with an increase in company size of $440 million (£286.6 million) which was accompanied by higher pay of $187,000 (£122,000) a year. The researchers also found that male chief executives with lower voices were retained longer by the companies that employed them.

また、別の調査は、声のピッチが低い政治家ほど多くの票を獲得するという結論を出している[Voters Favor Deep-Voiced Politicians (date) 2012年3月13日 (media) Duke Today]。やはり米国では、声が低いリーダーは大人っぽくて、信頼できるという評価を得ているようである。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:本のしおり.投稿日時:2013年5月25日(土) 16:11.

日本人も、アメリカ人も、自分が身を置く社会から期待されている行動を取るという点では、同じということですね。
しかし、日本社会は、幼児性を肯定し、アメリカ社会では幼児性を否定する。この部分が違い、大人に幼児的であることを期待するのは不自然だという点で、日本のほうに問題があるのではないかというお話という風に解釈したのですが、合っていますか。

では、日本人に幼児的であることを期待している人とは、一体誰なんですか。
そして、その期待がある限り、日本人は、たとえ個人的には成熟したいと思っていても、できないのではないですか。
なせかというと、一個人の力は弱いからです。
日本人が、アメリカに行けば、電話の声が低くなる。
逆に、アメリカ人が日本に来れば、その人の社会適応力が高ければ高いほど、電話では声を高くしたほうがいいんだろうかと、悩むと思います。
社会の期待を一人で裏切っても、孤立するだけだからです。
だから日本人が日本にいる限り、変われないのだと思います。
アメリカ人がアメリカで低い声で話すのと、日本人が日本で低い声で話すのは、意味が全く違っています。
社会から期待されていることをするのは簡単だし、裏切るのは勇気がいるからです。

日本人は、社会適応力があるという点で、アメリカ人と変らないと思います。
つまり日本人も環境さえあれば成熟できる素質があるのだと思います。
でも、その環境(幼児性を否定する社会)を、どのように作っていけばよいのかというのが、問題だと思います。

民族気質の相対性

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月26日(日) 10:44.

本のしおり さんが書きました:

日本社会は、幼児性を肯定し、アメリカ社会では幼児性を否定する。この部分が違い、大人に幼児的であることを期待するのは不自然だという点で、日本のほうに問題があるのではないかというお話という風に解釈したのですが、合っていますか。

日本人の気質と米国人の気質にはそれぞれ一長一短があって、一方が他方よりも本質的に優れているということはありません。どちらも、自分たちの気質のメリットがもたらす効用を最大限生かし、デメリットがもたらす弊害を最小化するように努力すればよいかと思います。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:本のしおり.投稿日時:2013年5月26日(日) 15:02.

返信に永井さんがお書きになったことは、ごもっともだと思います。

では、日本人の良さというのは、幼児的な従順さだということですか。
日本ではそれが生き残りの戦略になるわけですから。

でも、世界的には、そのような幼児性は否定されているわけですよね。
すると、日本の良さは、世界に通用しないということになってしまいます。

でも、日本の良さを最大限に活かせばよいとなると、日本は世界を相手にした競争では、サブカル的なものを武器にすべきだ、という主張なのでしょうか?

それとも、やはり日本も、米国をはじめとした多くの外国を見習い、成熟した社会になったほうが良い、という主張なのでしょうか?

幼児性ゆえのメリット

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月26日(日) 15:57.

本のしおり さんが書きました:

では、日本人の良さというのは、幼児的な従順さだということですか。

他にもあります。「なぜ日本人は幼児的なのか」で書いた例ですが、幼児的な好奇心、遊び心、独自のミニチュアづくりの才能などは、日本を繁栄させたメリットの一つだと思います。

なぜ日本人は幼児的なのか (date) 2003年4月1日 (author) 永井俊哉 さんが書きました:

1980年代に、日本人は、欧米人が発明した製品の精巧な小型版を作り、世界の市場を席巻した。李御寧によると、初めて世界的にヒットした日本発の輸出品は、折りたたみ式の扇子だったそうだ。だから、先進国の製品を見て、それを縮めて模倣し、輸出するという伝統は、平安時代からあったことになる。このように、日本人は、先進国が作った物のミニチュアを作ることに熱心なのだが、これもまた、きわめて幼児的な現象である。幼児は、大人がしていることを見ては、「…ごっこ」という遊び心で、そのミニチュアを作りたがるからだ。

従順であることは、吉となることもあれば凶となることもあります。結論部分で「政治や外交や安全保障の分野では、幼児的であることは、致命的な短所である」と書いたけれども、リーダーシップの欠如した日本の政治家にもっと国際社会でリーダーシップを発揮しろとか言っても、太平洋戦争の時のようなことになっては、かえって有害ですから、苦手なことには敢えて力を入れない方が得策なのかもしれません。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:本のしおり.投稿日時:2013年5月26日(日) 17:19.

しかし、日本はアジアでも唯一、経済的に恵まれた国です。その、国際的にも影響力のある日本が、幼児性とは対極にあるリーダーシップを、苦手だからといって諦めたほうがいいのではという主張には、幼児性のデメリットを克服しようという意欲がぜんぜん見えません。

政治や外交、安全保障の面では、致命的だと、永井さん自身が仰っています。
幼児的であることは、決して無視できるデメリットではないと思います。
デメリットを最小にする努力のほうは、どうなったのですか。

下手に克服しようとすると、太平洋戦争のようになる、だから克服する必要がない、あるいはかえって危険だ、という論理ですか。

永井さんが、なにを仰りたいのかが、いまいち掴めないのです。
いままでの永井さんのお話をまとめてみると:
・日本社会は幼児性を肯定している。
・でも世界的には幼児性は否定されている。
・だから幼児性は、政治・外交・安全保障には致命的。
・でも幼児性にもメリットはある。
・苦手なことはしないほうが得策。

しかし、幼児性のメリットとデメリットを天秤にかけると、デメリットのほうが大きいような気がします。
日本の政治や外交、安全保障は、日本に暮らす全ての人の生活全体に影響を及ぼすからです。
一方、サブカルなどは、一部の人たちに対する影響しかありません。
サブカルの影響力が必ずしも小さいとは言えませんが、政治や外交などの持つ影響力はそれよりもずっと大きいと思います。

でも、克服しようと努力するデメリットも大きい、だから諦めよう、というのが永井さんの考えですか?

では、幼児性のデメリットと、克服しようと努力するデメリットと、どちらが大きいですか?
どちらが長期的な影響を及ぼすと、永井さんは、お考えですか?

日本が覇権国家を目指す上で何が必要なのか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月27日(月) 12:15.

本のしおり さんが書きました:

下手に克服しようとすると、太平洋戦争のようになる、だから克服する必要がない、あるいはかえって危険だ、という論理ですか。

そうです。日本が覇権国家となり、リーダーとして世界を牽引していくというのが理想ですが、それができないなら、次善の策として、覇権国家に従って振る舞うしかありません。過去の歴史を振り返ればわかるように、覇権国家の条件を満たさないのに、覇権国家になろうとすると、国益に反する結果となります。

豊臣秀吉は、当時準覇権国家であったスペインとの協力を拒否し、単独で中国を支配しようとして失敗し、それが豊臣家の滅亡につながりました。徳川政権は、鎖国政策をとりつつも、新しく覇権国家となったオランダとの交易により、長期にわたる平和と繁栄を実現しました。その後、オランダの衰退とともに徳川政権も衰退しましたが、明治維新後の日本は、新たな覇権国家、英国と日英同盟を結ぶことで、国際社会での地位を向上させました。日英同盟破棄後、日本は旧覇権国家の英国と新覇権国家の米国に反旗を翻し、太平洋戦争で悲惨な敗北を喫しましたが、敗戦後結ばれた日米同盟のおかげで、日本は再び平和と繁栄を取り戻しました。

覇権国家への追従は、かっこよくはないし、理想的ではないにしても、日本の現状を考えるなら、それがデメリットを最小化する方法と言わざるを得ません。なお、中曽根康弘や小泉純一郎の例を挙げるまでもなく、良好な日米関係を構築するには、少なくとも国内的には日本の首相が相応のリーダーシップを持たなければならないということを付け加えておきましょう。

本のしおり さんが書きました:

永井さんが、なにを仰りたいのかが、いまいち掴めないのです。

なぜ日本人は幼児的なのか」を書いたのは、10年前の2003年4月1日で、当時の私は、日本の政治家に対して、今よりももう少し大きな期待を抱いていました。しかし、その後、小泉純一郎よりも劣化した政治家が続出し、今では、日本の政治家に高望みをするのはやめようという心境になりました。そういう心境の変化があるため、言っていることに食い違いが生じていると理解してください。

本のしおり さんが書きました:

サブカルなどは、一部の人たちに対する影響しかありません。サブカルの影響力が必ずしも小さいとは言えませんが、政治や外交などの持つ影響力はそれよりもずっと大きいと思います。

私が「幼児的な好奇心、遊び心、独自のミニチュアづくりの才能」と呼んだものは、日本の科学技術力の源泉であり、サブカルに限定した話ではありません。「日本は米国に代わって世界を支配できるか」で書いたように、覇権国家になるために必要なことは、時代を先取りしたイノベーションを行うことができるかどうかにかかっています。だから、日本が覇権国家を目指すなら、外交に力を入れるよりも、こうした幼児性ゆえのメリットを十分生かし、科学技術力、経済力を高めていく方に力を入れた方がよいと思います。もちろん、そのためには、政治家は国内政治でリーダーシップを発揮して構造改革に取り組まなければいけないのだから、政治家のリーダーシップを完全に否定するつもりはありません。

私が「自分たちの気質のメリットがもたらす効用を最大限生かし、デメリットがもたらす弊害を最小化するように努力すればよい」という主張で、何を考えていたか、以上から理解してもらえましたでしょうか。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:本のしおり.投稿日時:2013年5月27日(月) 16:48.

ようやく理解できました。ご説明、ありがとうございました。

確かに、歴史を振り返ってみて、現実にうまくいっている方法を採用し続けるというのはとても合理的だと思います。
しかし同時に、理想を諦めている。

このような状態は、個人としてみれば「高望みをしているうちは失敗ばかりだったけれど、ひとたび理想を現実の自分に合わせた途端、物事がうまく行くようになった。」というような感じなのでしょうか。ここは心理学カテですので、心理学的に考えたいと思うのですが、つまり日本が覇権国家になりたいと思う、あるいはそれが可能だと思うのは、自分たちの幼児性を理解・受容していないということなのでしょうか。確かに現実の自分を受け入れるのは大切なことだし、理想もそれに基づいて作るのが望ましいと思います。

上記のような感じなら、問題は少ないと思いますが、もし、覇権国家になろうとすること自体が高望みなのではなく、単にステップを間違えているだけだったら、どうなのでしょうか?自分があまり経験のないことに挑戦するときには、普通、一番簡単なことから手をつけます。英語を習おうと思って、いきなり難しい英文の学術書を読む人なんていません。ABCから始めるのが普通です。日本の間違いはそこなのではないか、というのがもう一つの疑問です。実力がないうちから大きなことに挑戦すれば、失敗するのは当然です。そしてそれを「苦手」と決め付けるのは正確なのでしょうか。

また、首相にはリーダーシップを発揮して欲しいというのは確かにもっともですが、その首相だって、日本から輩出されるのですから、日本全体が幼児性の克服をするよう努力しないと、結局は首相も首相になってからリーダーシップを学ぶことになり、慣れないことは得意になるまで時間が掛かるのは当然なので、首相にだけは、というのは無理があるような気がします。永井さんは、リーダーシップはあくまでも首相が個人的に習得すべき技術だとお考えなのですか。

(※永井さんからの返信は、なるべく注意して読んでいますが、また誤解などありましたら指摘していただけるとありがたいです。)

目的と手段の区別

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月27日(月) 22:16.

本のしおり さんが書きました:

理想を諦めている。このような状態は、個人としてみれば「高望みをしているうちは失敗ばかりだったけれど、ひとたび理想を現実の自分に合わせた途端、物事がうまく行くようになった。」というような感じなのでしょうか。

理想を諦めているのではありません。また現実に合わせるために理想の格下げをしているのでもありません。理想を実現するための手段を、自分に合ったものにするべきだということを言っているのです。幼児性からの脱却とか、国際政治を統率するリーダーの輩出とかいったことは、自己目的的な理想ではなくて、上位の理想を実現するための手段にすぎません。そして手段を選ぶときには、最もコスト・パーフォーマンスが良いものを選ぶべきです。10年前と今では、同じ目的を違う手段で実現した方がよいと思うようになったということです。

個人であれ、集団であれ、他者とは異なる属性をデメリットとして認識し、それを矯正することで平均に近づこうとするよりも、むしろデメリットをメリットに転化する方が成功します。変革には大きなコストがかかりますが、どうせコストをかけるなら、平均との差異を解消して平凡な存在を目指すよりも、平均との差異をうまく活用して非凡な存在を目指す方がよい。この戦略は、当人の成功にとって好ましいのみならず、全体にとっても好ましいことです。多様な個体ないし集団が、多様な戦略で生存を目指す方が、画一的な個体ないし集団が、画一的な戦略で生存を目指すよりも、リスク分散効果により、全体の生存確率を高めるからです。

本のしおり さんが書きました:

首相にはリーダーシップを発揮して欲しいというのは確かにもっともですが、その首相だって、日本から輩出されるのですから、日本全体が幼児性の克服をするよう努力しないと、結局は首相も首相になってからリーダーシップを学ぶことになり、慣れないことは得意になるまで時間が掛かるのは当然なので、首相にだけは、というのは無理があるような気がします。永井さんは、リーダーシップはあくまでも首相が個人的に習得すべき技術だとお考えなのですか。

日本の社会には、優れたリーダーがいない半面、社会の構成員全体の質が高いという特性があります。だから、指導者なきボトムアップ型秩序形成が可能なのです。大陸では、卓越した一人の指導者が無力な大衆を引率するという政治形態がよく見られますが、こうしたトップダウン型の秩序形成とは異なる特性が日本の社会にはあるということです。そして、日本は無理に大陸型の政治形態をとる必要はないと思います。私が提案している直接民主主義と間接民主主義のハイブリッドは、有権者の能力が比較的高い日本にふさわしい制度だと思っています。このハイブリッド民主主義でも、行政の担当者にはある程度のリーダーシップが要求されますが、間接民主主義ほど強いリーダシップは要求されません。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:本のしおり.投稿日時:2013年5月28日(火) 16:11.

どうやら私はぜんぜん理解していなかったようですね。このトピックの最初の記事を読んだときの否定的な印象が、尾を引いていたのかも知れません。日米を比較することによって、永井さんは日本の幼児性を真っ向から否定しているのかと思いきや、幼児性にもメリットはあるなどと仰られるので、混乱してしまっていたのです。

しかし、今回のご返信で、理想を諦めているわけでも、理想の格下げをしているわけでもなく、あくまでも理想を実現するための手段を、自分たちに合ったものにするべきだとお考えであることがわかりました。そして、幼児性からの脱却や、リーダーシップとかいったことは、あくまで理想に辿り着くための手段であるということですね。その手段になにを選ぶかが、永井さんのなかでは10年前とは違っている、ということですね。理想に辿り着く方法はひとつではないわけですね。

私は、大人の幼児性を否定し、幼児性からの脱却そのものを目的としてしまっていて、その先の理想というものが漠然としてしてしまっていたのだと思います。

そして、永井さんの仰る理想というのも、単に日本のデメリットを矯正して他国のありかたに近づき平均化するのではなく、日本独自の特性を活かしたほうが、日本にとっても、世界にとっても好ましいということですね。確かに、自分たちの特性を無視してまで、他国のやり方を取り入れようとすることが目指しているものは、単なる画一化ですね。また、その画一的な方法がうまく行っている間は、世界中がうまくいくが、それがうまく行かなくなった場合、全体が危険に陥る、ということも懸念されるわけですね。多様性のメリットというのはリスク分散効果であるということですね。

また、トップダウン型・ボトムアップ型というものも、それぞれ国によって違うということは、それぞれに合った制度があるはずだということですね。他の国でうまいっている制度が、必ずしも日本でうまくいくとは限らない。日本には日本に合った制度があってよい。それは人々の資質が違うからと言えば当然なんですが、その点を私は無視していたようです。形にこだわっていました。

私は、表面的には、画一化や平均を否定し、多様性をよしとする人間でしたが、残念ながら実際にはよくわかっていなかったようです。

まだまだ誤解がありそうな気もしますが、以上、私は永井さんのポイントをしっかりと理解できていますか。

なぜ日本人は失敗した時に笑うのか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年5月29日(水) 12:18.

本のしおり さんが書きました:

どうやら私はぜんぜん理解していなかったようですね。このトピックの最初の記事を読んだときの否定的な印象が、尾を引いていたのかも知れません。

私がアンビバレントな議論をしているので、誤解と混乱を招いたのかもしれません。日本でも、幼児性が全面的に肯定されているわけではなく、大人になる時には、一定の大人らしさが周囲から要求されます。その意味では、日本でも成長過程での幼児性からの脱却、精神分析学的に言えば、去勢が求められていることには変わりがありません。ただし、その大人らしさの要求水準が海外と比べてかなり低いので、外国人から見ると、日本は幼児性を肯定している文化という印象を受けてしまうということです。

「大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い」では、声の高さを取り上げましたが、日本が幼児性に寛容である証拠は他にもたくさんあります。失敗した時に苦笑いを浮かべるという日本人の習性も、海外では奇異に思われている幼児性の一つです。日本人はヘナヘナ笑いながら「ごめんね」とか「どうもすみません」とか言って謝ることがよくありますが、海外ではこういうことをしてはいけません。ふざけているのかと思われてしまいます。悔恨の情が滲み出るような悲痛な表情で謝罪しなければならないのです。

一般に、笑うことにはカタルシス効果があるので、日本人が失敗したときに笑うのは失敗による苦痛をいちはやく除去するためと言うことができます。だから、失敗して笑うということは、実は自然な防御反応なのです。外国でも、子供は、失敗すると笑ってごまかそうとしますが、外国では、そうした自然な幼児性は教育によって矯正されます。そうした矯正を行わず、失敗のシリアスさを笑って低減させ、過去のわだかまりを簡単に水に流してしまう日本の社会は、幼児性に寛容であるということができます。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:126h.投稿日時:2013年9月19日(木) 15:18.

「なぜ日本人は幼児的なのか」も読ませて頂きました。
最も心に引っかかったのは、”欧米では、夫が妻のために食事を運び、部屋に入るときには、自ら扉を開けて、妻を先に入れる。こうした「婦人への奉仕」という欧米に伝統的な騎士道精神を見て、「欧米では、女性は尊重されている」と思うかもしれない。実はこれは、「女は、オレたち男が守ってやらなければ生きていけない、か弱い動物だ」という男尊女卑の態度の表れである。日本の男にとって、妻が母親の代替物であるのに対して、欧米の男にとって、妻はペットなのである。”(長い引用ですみません)という部分でした。

どう心に引っかかったかと言いますと「・・言い得て妙・・」という感覚においてです。

レディ・ファースト的な精神は"男女平等"と共に語られることが多いのではないかと思いますが、「妻はペット」という表現に違和感を感じつつも、欧米の男性にとってはそういう感覚だからこそ女性を大事にできるということも言えるのかと共感もした次第です。

私は男女平等に賛同する者で、今の日本の男の在り方にも女の在り方にも疑問を持つ者です。だからと言って、欧米の男性のように女性を尊ぶ行いでもってペットのように大事にするということにも賛同はできません。それはいずれにしても「女だから」というだけで尊ばれたり蔑まれたりする習慣・慣例・法律・ルールのそれ自体に元来賛同できかねるからです。

男/女は関係なく、その人が尊敬される人であれば尊ばれ、軽蔑される人であれば蔑まれ、それで良いのではないかと考えています。女だからどうする、男だからどうする、というそれ自体が「男女平等」を壊しているものだと思います。もし身体的に機能的にどうしても違いがあるのだからということならば、根源的に「男女平等」は有り得ないという前提ですべてのことは考えられるべきところとなり、もし女が男より劣るのであれば「男女平等」を実現するにあたって補助してもらう側は男に感謝し続けるできであろうし、あるいは男性社会からの補助を要求せずに女性が自ら実現していくしかないということだろうと思います。
そうでなければ狩猟・収穫・建築・防犯・戦争などの力仕事の無い、出産の無い・育児の無い男女の身体的・機能的な差に影響されない社会を組み立てるしかありません。それが出来なければ、それぞれの「役割のバランス」ではなく「同じことをする」という「男女平等」な社会は有り得ないからです。

日本人が幼児的ということについてはほとんど同意できるものです。そもそも私自身も自分に対して幼児的だと思います。周りを見てもそう思います。このトピックにある先のやりとりについてもそう思いました。自分の欲求の処理の仕方が前もって見通せていない、「聞いてくれない」「わかってくれない」「甘えさせてもらえない」と怒りに震える姿はその典型だと思います。自分の欲求が通らないのはあくまでも相手のせいであって、自分の力不足である自分に非があると認識できない点においてです。相手が聞いてくれれば良いでしょうが、聞いてくれなかった時、その後どうするのかが予めイメージできていれば怒りに震えることもないのではないか、と思います。

日本人の大人が幼児的なのは男も女も同じだと思います。男は仕事を理由にきちんと家族に向き合わない家のこととは距離をおいて家にも子供にも深く関わろうとはしない、女は家事・育児を理由にきちんと家族に向き合わない旦那に協力しない子供にも指示・文句は言うが躾はしない、向き合うための労力が面倒で男は独身・無関心、女は母子家庭・パラサイト、を選ぶ。向き合うために労力をかけてもそれが報われるような気持ちにもなれないからでしょう。

幼児性については子供の頃からの躾や教育が大切だと思いますが、そもそも今の日本の父親や母親に子供と向き合うに何を求められているのかもよくわかりません。「どうあるべき」が皆の間で共通なものになっていないからではないでしょうか。きっと「大人はどうあるべき」「子供はどうあるべき」「父親はどうあるべき」「母親はどうあるべき」が皆に「常識」として共通していれば自ずとそれぞれの立場での責任感や主体性が生まれてくるのではないかと思います。その「どうあるべき」の姿にそれぞれの国や地域のカラーがあるのは全く問題の無いことだと思います。今はそれが欠落しているのが一番の問題なのではないでしょうか。その常識は、教育であっても映画であってもメディアであっても良い、皆が「それが良い」と思える「常識」をまずは作っていくことが先決ですね。その「常識」が求められることによって大人は大人らしくなるのだと思います。

大変興味深い内容でした。ありがとうございました。

価値判断と事実判断

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年9月20日(金) 04:21.

126h さんが書きました:

私は男女平等に賛同する者で、今の日本の男の在り方にも女の在り方にも疑問を持つ者です。だからと言って、欧米の男性のように女性を尊ぶ行いでもってペットのように大事にするということにも賛同はできません。それはいずれにしても「女だから」というだけで尊ばれたり蔑まれたりする習慣・慣例・法律・ルールのそれ自体に元来賛同できかねるからです。

「ペット」とか「動物」といった表現に違和感を持たれたようですが、引用された箇所では、女性はどう扱われるべきかといった価値判断的な議論をしているわけではなく、もっぱら他者の心理の記述をしているだけですので、その点をご理解していただけますようお願い申し上げます。

女はペット?

投稿者:ペンペン.投稿日時:2013年9月22日(日) 21:41.

ペットではなくて、オナペットだろ。そうでなければ「産む機械」か?

誤解です

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年9月22日(日) 23:40.

オナペットという言葉は、オナニーを行うためのペットのようなものという意味だから、おかしいでしょう。妻を相手にセックスすることは、明らかにオナニーではありません。「産む機械」というのは、柳沢厚労相(当時)が行った問題発言ですが、機械はペットとは異なって愛情の対象ではないから、やはり異なります。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:126h.投稿日時:2013年9月25日(水) 11:41.

"ペット"という言葉は、日本と欧米それぞの男にとっての妻との距離感というか立ち位置というか方向性というか、そのようなものにおける表現の一部として使っていらっしゃるということは私なりに理解はしているつもりです。日本と欧米の違いそれが良いか悪いかは置いておいて、それぞれそういうことだと捉えているというお話なのだろうと思います。
が、価値判断的な議論をしているわけではないということですが、どう読んでみても、妻はペットな欧米の男>妻が母親の代替物な日本の男、という論旨のように読めます。欧米の男が善だともおっしゃってはいないかもしれませんが、幼児性という面では少なくとも欧米の男>日本の男であるという図式が示唆されているのであれば、あくまでも筆者の価値判断が論じられている部分であって、他者の心理の記述をしているだけとは捉え難いです。従って理解はできかねます。

共働き時代の価値観

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年9月25日(水) 15:05.

126h さんが書きました:

欧米の男が善だともおっしゃってはいないかもしれませんが、幼児性という面では少なくとも欧米の男>日本の男であるという図式が示唆されているのであれば、あくまでも筆者の価値判断が論じられている部分であって、他者の心理の記述をしているだけとは捉え難いです。従って理解はできかねます。

私は、「なぜ日本人は幼児的なのか」の結論部分で、以下のような価値判断を行いました。

なぜ日本人は幼児的なのか (author) 永井俊哉 さんが書きました:

幼児的であることは、必ずしも悪いことばかりではない。世界的にヒットした小型製品や、世界的に高く評価されているアニメや漫画を作り出すことができるのは、日本人の幼児性のおかげである。しかし、政治や外交や安全保障の分野では、幼児的であることは、致命的な短所である。これまで、日本は、経済では一流だが、政治では二流だといわれてきた。政治や外交や安全保障の分野で一流でありたいと願うのであれば、日本人はもっと大人にならなければならない。

しかし、引用された箇所では、たんに日本と欧米での伝統的な価値判断を記述しているだけで、私自身の価値判断を表明しているわけではありません。私自身は、均等法世代あるいは新人類世代に属するためなのか、日本の伝統的な価値観も欧米の伝統的な価値観もともに古く、共働きが一般化する現在にはふさわしくないという価値観を持っています。実際のところ、共働きが増えるにしたがって、日本でも欧米でも、伝統的な価値観から脱する動きがあると言ってよいのではないでしょうか。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:doy.投稿日時:2014年4月30日(水) 12:56.

はじめまして。
「なぜ日本人は幼児的なのか」の項、大変興味深く読ませていただきました。
私は日本人の毎日風呂につかる習慣が日本人を羊水に浮かぶ胎児の様な存在に幼児退行させて
いっているのではないかと考えるのですが、先生は如何思われますか?

混浴と胎内回帰

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年4月30日(水) 20:36.

私も実も『ファリック・マザー幻想』(p.98)で「日本人が混浴をするのは胎内回帰のためである」と主張したことがあります。海外で風呂といえば、シャワーを浴びて体を清潔にするという機能に重点が置かれるのが普通であり、湯船に浸かるという風習はかなり珍しいものです。だから、混浴でなくても、湯船に浸かって満足を得ようとする日本人の欲望は、日本に特有と言ってよいかと思います。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:doy.投稿日時:2014年5月18日(日) 17:03.

お返事ありがとうございます。既にご指摘済みだったのですね。

Re: 大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い

投稿者:doy.投稿日時:2014年6月01日(日) 10:20.

例えば「とろける食感」の霜降り肉など、まるで離乳食のような柔らかい食べ物が好まれるのも日本人の幼児性故なのかなとフト思いました。

調理の工夫か素材の良さか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年6月01日(日) 15:55.

柔らかい肉を食べたいという思いは、日本でも欧米でも(そしてたぶん世界全体でも)同じです。しかし、欧米人が、肉を柔らかくする調理に力を入れてきたのに対して、日本では肉自体を柔らかくすることに力を入れてきました。一般的に言って、欧米の文化が、自然を人為的に克服し、改善することに価値を見出すのに対して、日本の文化は、何も人間の手が加わっていないかのような(実際には、ひそかに手が加えられている)自然の素材の良さをそのまま受け入れようとします。母なる自然に対するこの態度の違いに日本文化の特質を観て取ることができます。

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