5月 272013
 

西欧の近代化は、14-16世紀のルネサンスから始まるというのが一般的な見解であるが、西欧は、この時に突然、暗黒時代から古典文化復興の時代に突入したのではなかった。古代ギリシャの文化遺産は、サーサーン朝ペルシアやイスラム帝国によって受け継がれ、12世紀に、ギリシャ語やアラビア語の文献がラテン語に翻訳されることで、当時世界最高の水準にあったイスラムの学問が西欧に移植された。この時の古典文化の復興は、十二世紀ルネサンスと呼ばれている。ヨーロッパの近代化は中世温暖期から近代小氷期にかけて起きた出来事であり、十二世紀ルネサンスは、最初の寒冷化による西欧人たちの南下の結果起きたと考えることができる。

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13世紀の聖書に描かれている神の挿絵[1]。コンパスを用いて、幾何学的に世界を創造している。これは、“宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である”という後のガリレオの思想につながる宇宙観であり、十二世紀ルネサンスの産物とみなすことができる。

1 : 十二世紀ルネサンスの発見

それまで暗黒時代と考えられていたルネサンス以前の中世に科学が存在することを最初に世間に知らしめたのは、フランスの物理学者、ピエール・デュエム(Pierre Duhem; 1861–1916)が1903年に公刊した『静力学の起源』で、この書でデュエムは、ヨルダヌス・ネモラリウス(Jordanus Nemorarius; 1225-1260?)はじめとする中世における先駆的な科学者の業績を紹介した[2]。デュエムは、さらに1906年に出版した『レオナルド・ダ・ビンチの研究』の第一巻で、レオナルド(Leonardo da Vinci ; 1452 – 1519年)が手記の中で書いていた科学理論は、それまで信じられていたような彼の独創の理論ではなくて、当時の科学理論を書き写したものにすぎない[3]と主張し、世間を驚かせた。レオナルドは、十七世紀科学革命のルネサンス期における先駆者と位置付けられていたが、先駆者はそれより以前の中世に存在していたというのである。デュエムはまた、1913年に、このシリーズの三巻目(Les précurseurs parisiens de Galilée)で、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei; 1564 – 1642)の先駆者が14世紀のパリにいることを示した。

ルネサンスという言葉は、通常、14世紀末から16世紀にかけてイタリアで開花した古典文化の復興のことを言うのであるが、ヨーロッパにおける古典文化の復興は、それよりはるか以前の12世紀から始まっていた。ガリレイ、ケプラー(Johannes Kepler; 1571 – 1630)、ニュートン(Isaac Newton; 1642 – 1727)などによって成し遂げられた十七世紀科学革命は、中世的伝統との断絶から突然生まれたのではなく、地動説にせよ、近代力学にせよ、解析幾何学にせよ、中世に先駆的な科学理論が存在しており、そのルーツは、12世紀におけるイスラムやビザンツから西欧にもたらされた文化の移転にあったということが20世紀における研究から判明するようになった。

西ローマ帝国が崩壊してから、西欧は暗黒時代を迎えた。8世紀から9世紀にかけて、カロリング朝ルネサンスと呼ばれる古典復興の時期があったが、12世紀に起きた古典復興は、後世に与えた影響という点で、これよりも、否それどころか、14世紀以降のルネサンスよりも重要であった。それで、アメリカの歴史家、チャールズ・ホーマー・ハスキンズは、このイノベーションを十二世紀ルネサンス(The Renaissance of the Twelfth Century)と名付け、その意義を強調した[4]

2 : 学問の中心の移転

私たちは、ともすれば、古代ギリシャや古代ローマの文明がそのまま近代ヨーロッパ文明に引き継がれていったと考えがちであるが、実際には、アラブやイスラムの文明が両者を媒介した。時系列順に整理すると、世界最先端の文明は、以下のように移転を繰り返した。

  • エジプトやバビロニアといった古代オリエント文明の影響を受けて、イオニアやイタリアにあったギリシャ人植民地で自然哲学が始まり、その後ギリシャ本土のアテナイを中心として高度な哲学と科学が発達した。アレクサンダー大王による遠征で、ヘレニズム文化は東方に広がり、学問の中心は、エジプトのアレクサンドリアに移った。
  • 地中海はその後、ローマ帝国の支配下に入ったが、ローマ人は実益に直接つながらない深遠なギリシャの学問に興味を示さず、ギリシャ語の文献はほとんどラテン語に翻訳されなかった。このため、476年の西ローマ帝国滅亡後、ラテン語圏の西欧は暗黒時代を迎えることになる。これに対して、ギリシャ語を公用語にした東ローマ帝国では、ギリシャ語の文化遺産が保存された。
  • 431年のエフェソス公会議でネストリオス派が、451年のカルケドン公会議で単性論者が東ローマ帝国から追放されたが、彼らは、ギリシャ語文献をシリア語に翻訳し、サーサーン朝ペルシアの領内で布教活動を続けた。529年にアテネのアカデミアが閉鎖され、多くの学者が亡命した。彼らが集結したジュンディー・シャープールは、サーサーン朝ペルシアの学術的中心となり、中国やインドの文献までが翻訳された。
  • 651年にサーサーン朝ペルシアは滅亡し、イスラム帝国が中東を支配する。830年にアッバース朝の第7代カリフのマームーンが、バグダードに「知恵の館」を設立すると、そこがジュンディー・シャープールに代わって新たな学問の中心となった。そこでは、ギリシャ語やシリア語の文献がアラビア語に翻訳され、ヘレニズム文化と古代オリエント・ペルシア文化とインド・中国の文化が融合し、当時世界最高の学術水準を誇った。

伊東俊太郎の『十二世紀ルネサンス』によると、十二世紀ルネサンス、すなわちアラビア語圏やギリシャ語圏からラテン語圏への文化の移転は、以下の三つのルートを経て行われた[5]

  • スペイン・ルート:レコンキスタにより、トレード(マドリード近くの都市)がヨーロッパに復帰すると、この地の大司教は学校を作り、そこでクレモナのゲラルドが中心となってアラビア語文献のラテン語への翻訳を行った。
  • シチリア・ルート:ここもスペインと同様、イスラム教文明とキリスト教文明が交差する地域であったが、ギリシャ文化の遺産がある島でもあり、ギリシャ語文献からラテン語への翻訳が直接行われた。
  • 北イタリア・ルート:ヴェネチアやピサの商人は、東ローマ帝国のコンスタンティノープルと密接な通商関係を持っており、このルートを通じて、アリストテレスのギリシャ語文献がラテン語に翻訳された。

イタリアは14世紀から始まるルネサンスの主要舞台になったし、イベリア半島の二つの王国は大航海時代の先駆者となった。イタリア、ポルトガル、スペインといった、現在のヨーロッパにおいては後進的であるこれらの国々が、ヨーロッパの近代化において先駆的な役割を果たすことができたのも、イスラム文化圏と交流することができる地理的位置にあったからである。

3 : イスラム科学の貢献

かつてヨーロッパ人は、イスラムはたんにギリシャの文化遺産を伝達したにすぎないと言って、イスラムが果たした役割を過小評価する傾向にあったが、実際には、イスラムはそれ以上の貢献をしていたことが20世紀以降の研究で明らかになった。

例えば、古代ギリシャでは、幾何学は高度なレベルに達していたが、代数学はあまり発達しなかった。ピタゴラスの定義も、今日のように代数的に認識されておらず、斜辺を一辺とする正方形の面積は、対辺を一辺とする正方形の面積の和に等しいというように幾何学的に認識されていた。これは、ギリシャの哲学が有の哲学であって、無の哲学ではなく、したがって、ゼロの概念を持たず、その結果、演算の技術が向上しなかったことが一因と考えられる。

代数学は、もともとメソポタミアで発達した学問であり、ローマ帝国時代(3世紀)のアレクサンドリアで代数学を大成させたディオファントス(Diophantus of Alexandria; Ancient Greek: Διόφαντος ὁ Ἀλεξανδρεύς)もその知識を古代ギリシャよりもオリエントに負っていた。このため、イスラム文化圏では、代数学が発達する地の利があった。

もう一つの地の利は、インドに隣接していたことである。インドでは、無の哲学が発達し、6世紀までに 0 が発明された。9世紀前半のアッバース朝時代におけるイスラムの数学者・天文学者、アル=フワーリズミー(Abū ʿAbdallāh Muḥammad ibn Mūsā al-Khwārizmī; c. 780 – c. 850)は、インドの数学を取り入れ、代数学を確立した。今日世界中で使われている数字は、インドを起源としているが、アラブ経由で西欧に伝わったために、アラビア数字と呼ばれている。英語の代数学(algebra)やアルゴリズム(algorithm)といった言葉は、アル=フワーリズミーの著書のタイトルの一部を音写したもので、彼の影響がいかに大きかったかを物語っている。

この他、錬金術(alchemy)、アルコール(alcohol)、アルカリ(alkali)もアラビア語を語源としている。ヨーロッパの錬金術は、9世紀前半のアッバース朝時代におけるイスラムの化学者・薬学者、ジャービル・イブン=ハイヤーン(Abu Mūsā Jābir ibn Hayyān; c.721–c.815)に負うところが多い。化学(chemistry)という言葉は、“alchemy”から、アラビア語の定冠詞“al”を取って作られた語で、名称の点でも、内容の点でも錬金術から誕生した学問であった。錬金術というといかがわしい感じがするかもしれないが、彼らが発見した化学上の事実は、後の近代化学の礎になった。

この他、バッターニー(Muḥammad ibn Jābir al-Ḥarrānī al-Battānī; c. 858 – 929)の天文学、イブン・アル・ハイサム(Abū ʿAlī al-Ḥasan ibn al-Ḥasan ibn al-Haytham; 965 – c. 1040)の光学、イブン=スィーナー(Abū ʿAlī al-Ḥusayn ibn ʿAbd Allāh ibn Sīnā; c. 980 – 1037)の医学と哲学など、独自の学問があり、たんなる古代ギリシャの古典の伝達者ではなかったと言わなければならない。

4 : 十二世紀ルネサンスの背景

長らく暗黒時代に甘んじていたラテン語圏の西欧が、12世紀になって熱心にギリシャ語やアラビア語の文献を翻訳し始めた理由は何だったのか。レコンキスタや十字軍などをきっかけに、西欧がイスラムと接触する機会が増えたからという説明がなされることがあるが、ではそうした西欧人の南下は何が原因であったのか。

ヨーロッパの近代化は中世温暖期から近代小氷期にかけて起きた出来事であるが、その途中でいくつかの太陽活動の極小期があり、そのうち最初の寒冷期が、1010~1050年に観測されたオールト極小期(Oort minimum)であった。寒冷化が西欧人たちに南下の動機を与え、それが11世紀のレコンキスタや十字軍を惹き起こし、イスラムに対する関心を高め、12世紀における翻訳ブームにつながったと考えることができる。

近代小氷期とヨーロッパの近代化
極小期名西暦帰結
オールト極小期1010~1050年レコンキスタ、十字軍、十二世紀ルネサンス
ウォルフ極小期1280~1340年14世紀以降のイタリア・ルネサンス、教皇権の衰退
シュペーラー極小期1420~1540年15世紀の北方ルネサンス、大航海時代、宗教改革
マウンダー極小期1645~1715年大文字の科学革命、オランダで世界初の産業革命、イギリスで市民革命
ダルトン極小期1795~1830年イギリスで産業革命、18世紀科学革命

12世紀から始まったルネサンスは、ウォルフ極小期における本格的なルネサンスに基礎を与えたという点で、ヨーロッパの近代化の出発点と位置付けることができる。

さらに視野を広げると、科学革命と気候には以下のような関連があることがわかる。

科学革命と近代化
寒暖の時代区分イベント
古代寒冷期(800~250BC)タレスに始まるギリシャ哲学→アレクサンドリアを中心としたヘレニズム文化。
古代温暖期(250BC~AD400)ローマ帝国がギリシャ文明を受け継ぐ。哲学や理論的な科学は停滞ないしは衰退。
中世寒冷期(AD400~950)サーサーン朝ペルシアおよびイスラム帝国内で東西の科学の融合が起きる。
中世温暖期(AD950~1250)イスラム科学が発展。ヨーロッパは暗黒時代の中、十二世紀ルネサンスを迎える
近代寒冷期(AD1250~1830)ヨーロッパで科学革命が起きる。地理的発見、ルネサンス、産業革命、市民革命の時代。
近代温暖期(AD1830~現在)ヨーロッパで起きた革命が世界に広がる。通常科学の時代。

トーマス・クーンの言葉を使うなら、寒冷期に科学革命が起き、温暖期にはそのパラダイムのもとにパズル解きにいそしむ通常科学の時代になると言える。

5 : 参照情報

  1. Dieu l’architecte de l’univers, frontispice d’une bible moralisée ― Ici crie Dex ciel et terre, soleil et lune et toz elemenz.” circa 1220-1230.
  2. Duhem, Pierre Maurice Marie. Les origines de la statique. Paris, A. Hermann, 1905. Chapter. 4.
  3. Duhem, Pierre Maurice Marie. Études sur Léonard de Vinci, ceux qu’il a lus et ceux qui l’ont lu. Paris, A. Hermann, 1906.
  4. Haskins, Charles H. The Renaissance of the Twelfth Century. Revised edition. Cambridge: Harvard University Press, 1971.
  5. 伊東俊太郎.『十二世紀ルネサンス―西欧世界へのアラビア文明の影響』. 岩波書店, 1993. p. 48-54.
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