酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈
酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年Aは、なぜ罪のない子供たちを殺したのか。私は、1999年にバタイユのエロティシズム論をヒントに酒鬼薔薇聖斗の動機を解釈した。その後、2015年になって、酒鬼薔薇聖斗(元少年A)が沈黙を破って『絶歌』という本を出版したり、「存在の耐えられない透明さ」というサイトを立ち上げたりして、自分について語り始めたので、このページでは、1999年初出のメルマガ原稿を再掲しつつ、併せて、新しく出てきた情報を基に、当時の解釈を再検討したい。[1]
さあゲームの始まりです。
愚鈍な警察署君、ボクを止めて見たまえ。
ボクは殺しが愉快でたまらない。
人の死が見たくて見たくてしょうがない。
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大恨には流血の裁きを。
SHOOLLKILLER
学校殺死の酒鬼薔薇
挑発的なメッセージが書かれた紙片を、中学校正門前に晒した男児の生首の口にくわえさせ、世間を驚かせた謎の殺人鬼、酒鬼薔薇聖斗は、「中年の変質者」という世間のイメージとは程遠い、ごく普通の中学生であった。今から二年以上前に起きた事件である。
このコラムでは、二回にわたって、エロティシズムが至高の体験であると説くバタイユの哲学を紹介したが、酒鬼薔薇聖斗は、バタイユ教の信仰を実践した熱心な信者だった。もちろん彼は、バタイユなんて名前すら聞いたことがなかっただろうが。
酒鬼薔薇聖斗は、1983年に中流家庭の長男として生まれ、弟たちよりも厳しいしつけを受けて育った。もっとも、育てたのは父親ではない。父親は仕事熱心で、2-3週間家を空けることもあった。休日出勤も珍しくなく、たまの休みにもゴルフに出かけることが多かった。父子の関係は薄かったようだ。
父親の欠如を埋めたのは母親である。母親は世話好きで教育熱心であった。酒鬼薔薇聖斗が小学生の頃から地元の子供会の面倒をよくみて、皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けた。酒鬼薔薇聖斗へのしつけも幼年期から厳しく、小学校以前は午後五時までに自宅に帰らせた。その時刻を過ぎると、家に入れないこともあった。
酒鬼薔薇聖斗にとって、母親が父(F-OTHER 大文字の他者)の役割を果たしたとするならば、母(m-other 小文字の他者)の役割を果たしたのは、祖母である。祖母は、母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばってやった。酒鬼薔薇聖斗も祖母には甘えていた。祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていた。そして祖母の言うことには反抗せずに従った。
酒鬼薔薇聖斗が小学校5年生のとき、祖母が亡くなった。「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。これによって、彼は、愛しかつ愛される関係にある小文字の他者を失った。両親や学校は彼にとって抑圧者でしかなかった。
祖母の死は、酒鬼薔薇聖斗にとって重要な出来事であったに違いないが、検事が記者会見で発表した「祖母が死亡したのをきっかけに死とは何かについて強い関心を抱くようになった」という動機解明には賛成できない。酒鬼薔薇聖斗は、もっと早い段階で暴力に目覚めていたのである。
私は、次の幼児体験に犯罪の原型があったと考えている。酒鬼薔薇聖斗は小学校に入る前、近くに住んでいた少し年上の小学生から奴隷のように扱われていた。幼い酒鬼薔薇聖斗は、このガキ大将の命令で、友達に頭から砂をかけたり、女の子の友達を道路の側溝に突き落としたりといったことをさせられていた。従わないと暴力を振るわれる。酒鬼薔薇聖斗が頭をはたかれ「すいません」と謝っているのを当時の友達が目撃している。
酒鬼薔薇聖斗は、最初暴力に脅されながら暴力を振るった。しかし引越しでガキ大将と縁が切れた後も、弱いものいじめという苦痛に満ちた、しかし同時にサディスティックな欲望を満たす行為を、強迫神経症患者のように何度も繰り返すことになる。
最初彼の暴力は、カエルや鳩や猫といった小動物に向けられる。土師淳君の事件が起きる2年前から、須磨ニュータウンでは、虐待された跡のある猫の死体があっちこっちで発見されている。そのすべてが、酒鬼薔薇聖斗によるものかどうかは分からないが、友人の話によると、酒鬼薔薇聖斗は、猫の舌を何枚か塩水に浸した小瓶をジーパンのポケットに入れて持ち歩いていて、「家の天井裏にあと十枚くらいあるから、欲しかったらあげるで」と言っていたとのことである。
ある同級生が酒鬼薔薇聖斗の猫虐待の話を言いふらしたため、この同級生は酒鬼薔薇聖斗に殴られることになる。後に酒鬼薔薇聖斗は、「学校の先生に殴られて学校に行かなくなった」と言っているが、これは「同級生を殴ったので学校に行かなくなった」の隠喩的置き換えのようである。
97年2月10日、須磨区で二人の小学生の女の子が、酒鬼薔薇聖斗に棒で殴られ、一人は10日間入院した。女の子は、「男は友が丘中のブレザーを着ていた」と言ったので、被害者の父親は友が丘中学校に「在校生の写真を見せろ」と迫ったが、学校側は「プライバシーにかかわるので見せられない」と拒否。結局捜査は進まないまま、うやむやにされてしまった。
97年3月16日、同じく須磨区で小学4年生の山下彩花さんが頭を殴られ死亡。同時に小学3年生の女の子が腹部を刺され2週間のけがを負う。この時、酒鬼薔薇聖斗は、次のような日記をつけている。
H9.3.16愛するバモイドオキ神様へ
今日人間の壊れやすさを確かめるための『聖なる実験』をしました。[…]公園で一人で遊んでいた女の子に『手を洗う場所はありませんか』と話しかけ、『学校にならありますよ』と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金づちかナイフかどちらで実験するか迷いました。最終的には金づちでやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは『お礼を言いたいのでこっちを向いてください』と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間金づちを振り下ろしました。[…]また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。
「バモイドオキ」は一字づつ飛ばすと「バイオモドキ」と読める。この言葉は、「野菜」「実験」という言葉とつながっている。酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞社への犯行声明文のなかで、「一週間に三つの野菜を壊します」と言っているが、「野菜」は、無抵抗な弱者のメタファーである。
引用したメモの横には、ノートいっぱいに次のような図が描かれていた。
酒鬼薔薇聖斗は、小学校時代、赤色と白色だけの抽象的な絵を描き、図画の教師に「赤は血液で、白は体液」と説明した。だから、この絵に描かれている黒い粒は血液、白い粒は体液と理解するべきである。
上部に描かれている奇妙な人間は、首は切り離され、手と心臓と血管しかない。それ以外の肉は下に切り落とされているように描かれている。これは供犠で屠られた生贄の姿のようである。イエスが処刑されて神の子となったように、原父が殺害されてはじめてトーテムとして子孫たちから畏怖されたように、生贄は、供犠で屠られてはじめて神聖な存在者となるわけである。だからこの人物は、生贄であると同時にバモイドオキ神でもあるわけである。
下半分を見てみると、右に昼の世界、左に夜の世界が描かれている。昼の世界が、現実原則によって支配されたアポロ的な秩序の世界であるのに対して、夜の世界は、すべての差異=秩序が消滅したディオニソス的な祝祭空間で、快楽原則と涅槃原則によって支配されている。私たちは普通この二つの世界を区別している。昼間仕事でいやなことがあっても、夜飲み屋でそのうさを晴らすというように。職場の上司がむかつくことを言ったからといって、その上司をその場ですぐに殴り倒すわけにはいかない。私たちは我慢し「分をわきまえる」。この分別を失うと、文明は、そして人格は成り立たなくなる。
図では、バモイドオキ神が昼の世界と夜の世界の区別を超越する位置にいる。また下半分には、境界線を侵犯する位置に黒丸が描かれている。この黒丸は、上半分に描かれている、ナチスのハーケンクロイツを模した紋章と線対称になっていて、まるで鏡に映し出された影のように相関している。ナチスは殺戮の象徴であり、だからそこから血が流れている。酒鬼薔薇聖斗は、殺戮によって境界線を侵犯できるかどうか実験をしてみたわけである。そして実験は成功した。
日記のなかで、酒鬼薔薇聖斗は、「人間の壊れやすさを確かめる」ことを実験の目的としている。これは生贄となる「汚い野菜ども」が壊れやすいかどうかということと、他ならぬ自分自身の人格が壊れやすいかどうかを確かめる実験でもあったと解釈できる。酒鬼薔薇聖斗は、殺人という超えてはいけない一線をついに超えてしまった。その瞬間、彼は至高のエロティシズムを体験したに違いない。
山下彩花さんの死亡を受けて、須磨署は捜査本部を設置した。捜査本部はいいかげんな目撃証言を重視し、事件をシンナー中毒の少年による犯罪と判断し、エリアを拡大して捜査したため、酒鬼薔薇聖斗は容疑すらかけられなかった。「愚鈍な警察署君」が的外れな捜査をしている間に、酒鬼薔薇聖斗は次の供犠の儀式に向かって準備を始める。
H9.5.8愛するバモイドオキ神様へ
ぼくは今14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式『アングリ』を行う決意をしなければなりません。ぼくなりに『アングリ』について考えてみました。『アングリ』を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書きを考えました。その筋書きはこうです。
3月16日の「実験」開始からつけている日記はここで終わっている。16日後に土師淳君が行方不明になることを考えると、「アングリ」とは、淳君を屠る儀式のことのようである。もちろんスケープゴートの常として、淳君は、たまたま生贄に選ばれたのであって、酒鬼薔薇聖斗も後に「自分より弱い子をやった」「淳君でなくてもよかった」と供述している。また、なぜ淳君の頭部を切断したのかと聞かれて、「清めの儀式だ、やらなあかん」と答えている。
「聖なる儀式」に付けられた名前、「アングリ」は「ハングリー」を連想させる。バモイドオキ神は、血に飢えているのではないだろうか。バモイドオキ神と酒鬼薔薇聖斗は一体だから、バモイドオキ神が飢えているということは、酒鬼薔薇聖斗もエロティシィズムに飢えているということでもある。
バタイユは、供犠の典型として、メキシコの人身御供に注目していた。メキシコ人は、彼らが崇拝する太陽神が血に飢えていて、血を捧げないと太陽が輝くことをやめると信じていた。メキシコ人が戦争や人身御供をするのは、もっぱら太陽神に糧を与えるためだったのである。祭儀の執行人たちは、戦争で獲得した捕虜を俎板の上に投げ倒し、手足と頭をしっかり押さえつけ、黒曜石の短刀を胸にぐさりと突き立て、ぴくぴくと動く心臓を抉り取り、それを太陽に捧げていた。神官は剥ぎ取った血だらけの皮膚を身につけ、生贄の肉は饗宴で振舞われた。生贄を連れてきた戦士が切り取られた首を片手に踊って、饗宴は締めくくられる。
読者の中には、「バモイドオキ神」や「アングリ」は、ビデオか漫画に出てくる名称で、「バイオモドキ」とか「ハングリー」という意味を読みこむことは無意味ではないかと思う人もいるであろう。たしかに酒鬼薔薇聖斗の自室からは、たくさんのホラービデオや格闘技漫画が見つかっているので、出典はそのうちのどれかにあるのに違いない。しかし私が問題にしたいのは、多くの候補があるはずなのに、なぜこの名称が深層心理の働きによって選ばれたのかということである。
深層心理を読むということは、本人ですら意識していない動機を解明するということである。テレビ朝日の『サンデープロジェクト』で、島田伸介が「本当の動機は、本人以外は誰もわからないでしょうね」と言っていたが、実は本人もわかっていないのである。本人がわからないから、精神分析が必要なのである。
酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)という名前の漢字も、「榊原」という普通の漢字を使っていないのだから、明らかに選ばれた意味がある。「酒」は「酔う」、「鬼」は「殺人鬼」、「薔薇」は「赤色の血液」、「聖斗」は「聖なる闘い」の意味である。全体として、殺人鬼が聖なる闘いで流血に酔いしれるというイメージが浮かび上がってくる。また「SHOOLLKILLER」は、「SCHOOLKILLER」の間違いであるが、間違いにも意味がある。「SHOOLL」は、「シュール」と読める。そこには、シューレアリズム(超現実主義)の連想がある。
酒鬼薔薇聖斗には、現実を超えた想像力があった。彼は、淳君の首を絞め、頭部を切断しただけでなく、「魂を出してあげるために」、口の両端を耳付近まで切り裂き、両まぶたにバツ印の傷をつけるなど、入念な細工をした。そうした儀式の作法は、恣意的なものでなく、彼なりに意味のある必然的なものだったはずだ。逮捕後の供述で、酒鬼薔薇聖斗は、家族や学校の話を聞かれても「うーん」と反応が少ないのに、殺害の手口について聞くと、目を輝かせて能弁に儀式の方法についてしゃべったとのことである。
校門前に晒された頭部が発見されてから8日後、酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞に犯行声明文を送っている。その中で、彼は自分を「透明な存在」と称している。この言葉には二つの意味がある。
「透明な存在」とは、常識的には、警察にはつかまらない、目立たない存在ということである。この少年は実際に外から見ている限り目立たない普通の子供であった。学校の教師は「印象の薄い子」と言い、近所の人たちも「道で会えばあいさつする普通の子」と言っている。
「透明な存在」にはもう一つ隠れた意味がある。虚しい、満たされない、つまりハングリーな存在という意味である。英語の want には、欲望と欠如という二つの意味があるが、満たされない存在であるからこそ、メキシコの太陽神のように、絶えず生贄の血を求めるのである。
「透明な存在」が「ハングリーな存在」であるとするならば、犯行声明文に登場する「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」が誰なのかが分かる。バモイドオキ神である。酒鬼薔薇聖斗は、この「友人」に相談してみたところ、「友人」は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすればうるものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界をつくっていけると思いますよ」とアドバイスしている。こんなアドバイスを中学校の同級生がするとは考えられない。
引用文に続けて、酒鬼薔薇聖斗は、「その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した」と述べている。この箇所は、彼にとって復讐がどういう意味をもつかを示す重要な部分である。
犯行声明文には「義務教育と義務教育を生み出した社会への復讐」が書かれているが、記者会見した検事は、「捜査機関に少年以外の者が犯人であると思わせることにより、捜査を撹乱するために作成したと考えている」とのことである。しかしこの解釈は合理主義的すぎる。もし酒鬼薔薇聖斗が、逮捕される可能性を最小にしようとしている合理的な犯罪者であるならば、捜査機関に字体の手がかりを与えるような犯行声明文を書かないはずだし、ましてや中学生であることをほのめかすような「義務教育への復讐」について言及しないはずである。
ではなぜ、酒鬼薔薇聖斗は、「義務教育への復讐」という大義名分を掲げたのか。その答えは、犯行声明文の中に書かれている。「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむこともできた」が、「世間の注目をあつめ」「せめてあなたたちの空想の中だけでも実在の人間として認めていただきたい」からである。
後に酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を切ったとき、「大した感動がなかった」と供述している。そこで彼は、エロティシズムの感動を極大化するために、「君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えて」いこうとしたわけである。
エロティシズムとはパンツを脱ぐ夜の快楽である。パンツを脱ぐためには、パンツという昼の秩序が必要である。そこで酒鬼薔薇聖斗は、学校やマスコミといった昼の世界を彼のゲームに参加させよとしたのである。この彼のもくろみは成功した。テレビでは、連日のように教育評論家たちが出演して、学校批判を繰り返した。彼らは、酒鬼薔薇聖斗のしかけたゲームにまんまとのせられたのである。
犯人が中学生であることが判明すると、マスコミは、学校や家庭や地域社会に問題があるのではないかと疑った。
しかし学校には、酒鬼薔薇聖斗が妄想したような、「教師に鼻血が出るほど殴られる」という事実はなかった。友が丘中学校の校長が卒業式終了後、不謹慎なところにふらふらと出かけて行って、ゴシップ誌を喜ばせるようなことをしたが、学校側に事件につながる落ち度があったわけではない。
また、母親は、しるけは厳しかったが、所謂「お受験ママ」ではなかった。神戸市には、灘をはじめとする名門私立学校があり、中学受験の競争も激しいところであるが、酒鬼薔薇聖斗は、多くの同級生とは異なって、進学塾に行かず、また二人の弟が通った書道教室にも行かなかった。勉強にはうるさくなかったようだ。
地域社会にも問題はなかった。事件の舞台となった須磨ニュータウンは、兵庫県労働者住宅生協によって開発・分譲された。入居者の多くが労組関係者で、自治会は市内で最も組織力があるとされる。淳君が殺害されたときも、パトロールが自治会活動として行われるなど、コミュニティの連帯は健全であった。
だから、この事件を説明するのに、「学校での管理教育による抑圧」とか「受験競争による心の歪み」とか「地域社会の崩壊」といった現代文明を批判する評論家好みの決り文句は使えない。私は、犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫だと思う。
その意味で酒鬼薔薇聖斗は、オタクの元祖である宮崎勤によく似ている。宮崎勤も小動物の虐殺を繰り返し、最終的に幼女4人を殺害した。自宅には大量のビデオがあった。酒鬼薔薇聖斗は、26歳になった段階で医療少年院から出てくる。きっと宮崎勤のようなロリコン趣味のオタッキーな青年として社会復帰し、新たなエロティシィズムの快楽を求めて幼女を殺害することだろう。
以下は、1997年6月4日に神戸新聞社に送られてきた、酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文である(発表は、6月6日)。参考のために本文全文を引用する。なお改行は無視している。
神戸新聞社へ
この前ボクが出ている時に たまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名前を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しを好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性[サガ]としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね。ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
― ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ―
酒鬼薔薇聖斗(元少年Aを以下こう呼ぶことにする)は、2015年6月11日に『絶歌』という本を出版し、今月に「存在の耐えられない透明さ 」というサイトを立ち上げた。本の方はまた別の機会に取り上げることにして、このページでは、サイト上に掲載されている画像や文章を手掛かりに、十六年前の記事の検証を行いたい。
酒鬼薔薇聖斗はなぜ文筆活動を始めたのか。報道によれば、同年代の恋人女性と一緒に住んでいる [女性セブン2015年7月2日号:酒鬼薔薇 同年代の恋人女性と同棲証言あるも日本脱出は困難か] とのことで、結婚のための資金を手に入れる必要があるからという見方が出ている。そういう動機もあるのだろうが、上に引用した犯行声明文にもある通り、酒鬼薔薇聖斗は「自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている」のだから、自己顕示欲を満たすためというのが第一の動機なのだろう。「存在の耐えられない透明さ 」というタイトルがそれを雄弁に物語っている。
酒鬼薔薇聖斗は、新しく立ち上げたサイトの中で、『絶歌』を書くにあたって、同じ神戸出身の佐川一政の存在を強く意識していたと述べている。
『佐川一政』という稀代の殺人作家の存在は、いつも僕の心の片隅にあった。正直に言えば、彼に“嫉妬”や“羨望”を抱いていた時期もあった。
同じ殺人者でありながら、彼はまったく反省することなく、開き直って自身の犯罪をネタに金を儲け、周囲からちやほやされ、もてはやされ、罪を咎められることもなく、何ら苦悩することもなく、気楽に自分の好きな事だけをやって生きている人のように見えた(実際はそんなことはないだろうと思う)。それに比べ、自分の置かれている惨めな環境、名前を失い、自らを語る声を失い、生きているのか死んでいるのかもわからない毎日が、歯痒くてならなかった。
憧憬の念が裏返り、佐川氏を激しく憎んだこともあった。[2]
酒鬼薔薇聖斗は、1冊目はノンフィクションで、次は小説を書くというプランを持っている[3]とのことなので、今後は佐川一政のように文筆家としてやっていくつもりのようだ。もとより殺人で知名度を高め、それによって作家として成功を収めるという方法には道徳的な問題がある。実際、アマゾンでのレビュー を見ると、殺人をやって金儲けをするのはけしからんと非難轟轟だが、どのような形であれ、手掛かりとなる情報が出てくることは、研究者にとっては有益なことだ。このページでは、道徳的な問題はとりあえず措いて、犯罪者心理の学問的分析を行うことにしたい。
本論に入ろう。「存在の耐えられない透明さ」を一読して、私にとって最も印象的だったのは「僕はおそらく、子供の頃から胎内回帰願望が非常に強かったのではないかと思う[4]」という件だ。胎内回帰願望とは、母なる大地に戻ろうとする欲望であり、エロティシズムとしての死への欲動である。この点で、酒鬼薔薇聖斗をバタイユ的に解釈したことは間違いではなかった。
胎内回帰願望をフロイト=ラカン的に解釈するなら、それは自らが母に欠如したペニスとなって、母の欲望の対象になろうとする母子一体の願望であると言うことができる。この母子による死の抱擁を禁止するのが去勢なのだが、酒鬼薔薇聖斗の場合、去勢が不十分であるため、今でもペニスの生えた母、ファリック・マザーの幻想を抱き続けている。このことは、ギャラリーに掲載されている以下の画像がよく示している。
この画について、酒鬼薔薇聖斗は次のように説明している。
入角ノ池(いれずみのいけ)のほとりには大きな樹があり、樹の根元には女性器のような形をした大きな洞がバックリ空いていた。池の水面に向かって斜めに突き出た幹は先端へいくほど太さを増し、その不自然な形状は男性器を彷彿とさせた。男性器と女性器。アダムとエヴァ。僕は得意のアナグラムで勝手にこの樹を〝アエダヴァーム(生命の樹)″と名付け愛でた[5]
たしかに、この画の中央には、女性器のような形をした大きな洞があり、その中に頭の大きな胎児のような絵が描かれている。木は池の中にあり、それ自体、羊水の中に浮かぶ胎児のようにも見える。木の両側には、酒鬼薔薇聖斗が男性器に喩える二本の枝が伸びている。この木は女性器と男性器を兼ね備えた両性具有(Androgyny)像ということだ。両性具有像は、父権宗教登場以前の、古代社会や未開社会でよく崇拝されている偶像で、ファリック・マザー幻想を可視化した物である。
酒鬼薔薇聖斗は、両性具有像に、男性を象徴するアダムと女性を象徴するエヴァから作ったアナグラムの「アエダヴァーム」という名前を与えている。「得意のアナグラム」と言っているのだから、これまでもアナグラムによる命名を行ってきたのだろう。それなら、「バモイドオキ」を「バイオモドキ」と読んだことは正しかったと言えそうだ。このアナグラムは、奇数番目の文字を拾うと「バイオ」となり、偶数番目の文字を拾うと「モドキ」となり、「アエダヴァーム」と同じ方法で合成されていることがわかる。
これ以外の点でも、「アエダヴァーム」は「バモイドオキ」の解釈に多くの手掛かりを与える。ここでもう一度バモイドオキ神の絵を振り返ってみよう。もっとも、私が十六年前に少年が描いたものとして分析した、朝日新聞(97年7月19日)に掲載された絵は、実際には、少年が描いたものではなくて、少年が描いた絵を朝日新聞の記者が模写したもののようだ。『フォーカス』(98年3月11日号)によると少年が描いたのは、以下の図の一番左の絵であるとのことだ。『フォーカス』(98年3月11日号)の報道が正しいのなら、私の分析を少しく修正しなければならない。フォーカス版では、朝日版とは異なり、酒鬼薔薇聖斗のエンブレムが中央に無く、空っぽの円になっており、アエダヴァームの絵と近い。この円は女性器、あるいは子宮を象徴しているのだろう。
フォーカス版でも、朝日版でも、バモイドオキ神の下の領域では、右に太陽、左に月という構図になっている。そして「存在の耐えられない透明さ」のギャラリーに掲載された写真(右)もその構図になっており、その中央には、黒く覆面した酒鬼薔薇聖斗が立っている。だから、バモイドオキ神の絵における中央の黒い丸は、自らの立ち位置を示したものと解することができる。
バモイドオキ神が左右に突き出している二本の手は、アエダヴァームの説明を援用するなら、男性器の象徴ということになる。アエダヴァームの枝の先端からは、白い液体のようなものが流れている。酒鬼薔薇聖斗が男性器に喩える以上、これは勃起したペニスから出てきた精液と解釈しなければならない。バモイドオキ神の周辺にも液体のようなものが飛び散っているが、これも体液と解釈してよい。
アエダヴァームの二本の枝を、二匹のナメクジが這っている。「存在の耐えられない透明さ」のギャラリーの主要なモチーフは、ナメクジであり、酒鬼薔薇聖斗がナメクジにかなり固執していることがわかる。彼は「「心象風景」ならぬ「心象生物」という言葉がもしあったなら、不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった」[『絶歌』49頁] と言っている。「存在の耐えられない透明さ」のギャラリーでは酒鬼薔薇聖斗がナメクジにまたがっている写真がある。ギャラリーを見ると、どうも酒鬼薔薇聖斗はナメクジを自分のペニスとして扱っているようだ。ナメクジ本体をペニスに喩えることもできるが、ナメクジから突き出ている二本の触角もまるでペニスのようだ。バモイドオキ神やアエダヴァームが左右に突き出している二本の腕は、ナメクジの頭から突き出る二本の触角の触角をイメージしたものであろう。さらにフラクタルに考えるなら、ナメクジの目からあふれ出る涙も、ペニスからあふれ出る精液と解釈できる。
犯行声明以来、酒鬼薔薇聖斗は自らを「透明な存在」とみなしている。ナメクジの体も人間の体液も、透き通っており(少なくとも半透明であり)、その意味で「透明な存在」である。犯行声明で「ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている」とあるが、現在のサイトにおいても、自らの「透明な存在」に「人並み以上の執着心」を持っていることが窺える。
酒鬼薔薇聖斗は「だいたいにおいて僕は、なんでもかんでも暗示的・啓示的に受け取ってしまう傾向がある」 [存在の耐えられない透明さ/レビュー]と言う。解釈者の方でも、なんでもかんでも暗示的・啓示的に受け取って理解しなければならない。ナメクジや、ナメクジの目からあふれ出る涙、ペニスからあふれ出る精液といった「透明な存在」は、ファリック・マザーのファルスのアイコンである。母にはペニスがないのだから、これもまた目には見えない透明な存在である。この不在の現前としてのファルスとの自己同一、すなわち胎内回帰が、酒鬼薔薇聖斗を突き動かしている根源的な欲動である。
私は、儀式名「アングリ」を「ハングリ(空腹)」と解釈したが、この解釈も、それ自体は間違っていないと思う。酒鬼薔薇聖斗は、佐藤智加著『肉触』のレビューの中で次のように述べている。
まだ幼い「私」と姉が、空腹に耐えかね道端の草を夢中で貪るシーンに代表される、この作品の途方もないやり切れなさ、切なさを、僕は皮膚感覚で理解できる。
[中略]
あるのはただ、空虚で、透明で、薄っぺらくて、痛痒くて、掴みどころのない、対処不能な、路傍の草をも食したくなるほどの寄る辺なき “存在の飢餓感”だ。
[中略]
身体性がぽっかり抜け落ちているがゆえに、偏執的なまでに身体性に固執し、志向してしまう「私」の物悲しさは、作者の佐藤智加が思春期ド真ん中を過ごした“90年代”という極めて特異な時代の空気感と無関係ではない気がする。[7]
彼は、こう述べて、自分が犯罪を行った90年代に思いを馳せている。英語の“hungry”から H を取れば「アングリ」になる。性的要素を取り除いた飢餓感といったところか。十六年前の記事では、バタイユ的な意味でのエロティシィズムに飢えていると解釈したが、彼はそれ以上のものに飢えていたようだ。犯行声明文で「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできた」と言いつつ、「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたい」とも言っている。前者がバタイユ的な意味でのエロティシィズムの飢餓感だとするならば、後者は存在の飢餓感を表明したものと言える。ラカン的に言えば、それは想像界におけるファルスとの自己同一である。「存在の耐えられない透明さ」というサイトのタイトルは、酒鬼薔薇聖斗が今も存在の飢餓感を持ち続けていることを示している。
酒鬼薔薇聖斗にとって、祖母の死が大きな意味を持っていたことは、早い段階から報道されていた。祖母がかわいがっていた「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。それがトラウマになっていることを窺わせる記述が上野瞭著『ひげよ、さらば』のレビューに見られる。この作品で、片目の猫が、仲間の猫、ヨゴロウザを道連れに焼身自決をはかる時、ヨゴロウザは喪われていた“記憶”を取り戻す。
自分の飼い主であった独り暮らしの老婆が、自分を本当に愛してくれていたその人が、ある日、孤独に耐えかね、膝の上で自分を強く抱きおさえ、部屋に火を放った。またたく間に炎と煙がひろがり、ヨゴロウザは生まれてはじめて老婆に爪を立てた。それでも老婆は手を離さなかった。老婆が倒れ込んだすきに、ヨゴロウザは外へ逃げ出した。それがこの記憶喪失の猫の“過去”だった。
エグい。これはエグすぎる。
このラストのクライマックスを読んだとき、僕はこの老婆に、なぜか祖母の姿を重ねてしまった。僕は猫くらいの大きさで、巨大な祖母が自分の膝の上に僕を抱きおさえ、部屋に火を放っている映像をイメージした。両手の薬指に金の指輪をはめた祖母のマムシ指が、物凄い力で、暴れる僕の背中と頭を乱暴におさえつけている・・・。そんなことを想像した自分自身を嫌悪した。[8]
酒鬼薔薇聖斗自身『ひげよ、さらば』を読んで、喪われていた“記憶”を取り戻したようだ。かわいがってくれた祖母があの世に行ったことを、当時の酒鬼薔薇聖斗は、裏切りと感じたのかもしれない。祖母の死後、残ったのは口うるさい母と希薄な存在の父である。そんな中、酒鬼薔薇聖斗の「趣味」はエスカレートしていく。不幸なことに、それを止める父の名(Noms-du-Père 父から発せられる否)はなかった。
父不在の自分探しはパラノイア的なストーキングにつながる。横井健司監督の映画『観察 永遠に君をみつめて』のレビューで、酒鬼薔薇聖斗は、天体望遠鏡で弥生の観察を続ける茂樹のストーカー行為を容認した父を絶賛している。しかし、父の本来の役割は、息子がファルス探しの漂流を続けなくても済むように、自ら模範を示すことなのだ。だが、酒鬼薔薇聖斗の父はそのような存在ではなかったし、その結果、酒鬼薔薇聖斗には今でもパラノイア的な症状が残っている。
酒鬼薔薇聖斗は、見城徹幻冬舎社長に心酔し、出版を打診したが、断られると罵詈雑言を浴びせるようになった[9]。これは「憧憬の念が裏返り、佐川氏を激しく憎んだ」のと同じで、憧れの相手を激しく憎むのは、パラノイア的なストーカーによく見られる現象である。十六年前の記事では、酒鬼薔薇聖斗をバタイユ的に解釈したが、今ではむしろラカン的に解釈するべきかと考えている。
- 『絶歌 | 元少年A』
- 『父と母 悔恨の手記 「少年A」 この子を生んで…… (文春文庫) | 「少年A」の父母』
- 『酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき | 河 信基, 河 信基』
- 『暗い森―神戸連続児童殺傷事件 (朝日文庫) | 朝日新聞大阪社会部』
- 『地獄の季節―「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所 (新潮文庫) | 高山 文彦』
- 『「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫) | 高山 文彦』
- 『少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫) | 草薙 厚子』
- ↑このブログでは、1999年10月2日と1999年10月3日に書いた原稿に加筆と修正を行って、「酒鬼薔薇聖斗の深層心理」というタイトルで記事化している。メルマガで言及されているバタイユ論に関しては、拙著『社会システム論の構図』の第二章第三節「権威としての宗教」を参照されたい。
- ↑存在の耐えられない透明さ/レビュー
- ↑週刊ポスト2015年7月3日号:酒鬼薔薇 1冊目はノンフィクション、次は小説と出版社に提案
- ↑存在の耐えられない透明さ/ギャラリー;『絶歌』66頁
- ↑存在の耐えられない透明さ/ギャラリー;『絶歌』31頁.
- ↑早稲田大学新聞(2002年6月27日(木)発行):資料3
- ↑存在の耐えられない透明さ/レビュー
- ↑存在の耐えられない透明さ/レビュー
- ↑女性セブン2015年9月25日号:元少年Aが「絶歌」の売れ行きに不満? 100万部売れると豪語か
ディスカッション
コメント一覧
理解不能な解釈です。
少年Aには理解も共感もまったく必要ありません。
共感する必要はありませんが理解する必要はあります。なぜなら、殺人犯の深層心理を理解していなければ、予防や矯正が十分にはできないからです。
もしもあなたがまだAと呼ばれている人物についてなにか調べているのでしたら彼のホームページにある最後のブログを見てみる事をすすめます。
もっとも、もしこの内容がA自身の書いた物であればAには絶歌を書いて世間や遺族に対して事件の記憶を蒸し返した理解不能な行動原理を知る事ができると思います。
もしコメントを見てもらえたのならば返信をお願い致します。
なお、私個人の独断的な解釈で述べるならば、Aは一貫して一人称で文章や会話文を書いており、相手がどういう心情をもっているのか?
その人が今どんな気持ちであの事件と向き合っているのかについては、A自身はまったく相手の心情を想像(または共感)して書いていない…そう捉えております。
その根拠はAが最後に書いたブログの中にも書かれています。
彼はいつだって自分のやりたい事や知りたい事だけを追求し、自分の問題を追及されると質問に応じずに躱して無視して逃げているのです。
「最後のブログ」とは「Aクリニック」のことですか。
はい、Aクリニックで間違いありません。
そのブログの存在をネット上に存在するAを批判する方々が集まっているサイトで見つけて知り、その内容が具体的にどのような物なのかを知りたくてAのサイトにアクセスしました。
当初そのブログを見た私には、ブログや絶歌で見かけるA特有の「ややおおげさな文章表現」(まるで自分が詩人にでもなったかの様な難解で、それでいてどこか単純な文章、書き方の事です。)ではない、相談者に対する普通の対応かと思い、Aにもまともな意見を述べる思慮があるのかと考えました。
しかし、何度か入念に確認しながら読んでいるとどこか違和感をおぼえたのです。
最初の数行の文章には確かに相談者に対してアドバイスをしてはいるのですがその後にあえて行を開けて「ただ一点だけ、あなたが真っ直ぐ受け取って下さることを信じてお伝えしたいことがあります。」と書き、相談者が昔芸術を目指していたことに触れ、そこからA自身が絵画展で様々な作品や詩を見たという事を語り始め、相談者の必死な訴えに対して「あなたも僕と同じ表現者の端くれであるならば」や「千載一遇のチャンス」などと語り始め、最後の文章に至っては「どうでもいい話」といいつつ【、「マネキン製作所」というワードに個人的にすごくそそられました。】と強い関心を持っている事をほのめかしたうえに相談者の職業を聞き出そうとする所で締めくくられていました。
これが本当に相手の痛みや悲しみに共感しているつもりならばAはとんでもない思い違いをしていると私は思いました。
相談者の相談内容以上に、自分の主張、自分の興味のある事ばかりをどんどん語り、相手方を励ましたり力になろうとする発言が見当たらなかったのです。
少しでもAが相手を想う気持ちがあれば最後の文章はせめて「どうか世間の言葉や評価に惑わされずに堂々と強く生きて下さい。」にするべきではないしょうか?
…あくまで推測の域ですが、もしもAが相手の心情や境遇を正しく理解できない程人を想う気持ちが欠落しているならば絶歌を出版するのも頷けます。
彼は自分が享楽殺人鬼から「真っ当な表現者」に生まれ変わったつもりでいるのです……これでは彼にはこちらの訴えをいくら言っても無意味なのだと私は感じました。
私はその記事を読んで別のことを考えました。まず、Aに手紙を出したということになっている「永山則夫」なる人物は実在する人物だと思いますか。もちろんその文章だけからは判断できませんが、Aが作った架空の人物で、手紙のやり取りも自作自演という可能性もあるのではないでしょうか。
ネット上では、犯行当時のAの実名とその写真が今でも閲覧できる状態になっていて、それが今の彼の判定の材料になっています。『週刊文春』の2月25日号の記事「元少年Aを直撃」からもわかる通り、Aは自分の身元がわかることを極度に恐れており、少しでも身元が分からないようにしたいと思っていることは想像に難くありません。そこから推測するに、Aは、犯行当時の名前と写真としてネット上で流布しているものが実は別人のもので、間違えられた人はそのことで大変な迷惑を被っているので、その流布に加担した者は、裁判で訴えられるかもしれないと一般のネットユーザに思わせることで、少しでも「忘れられる権利」を行使したいと思っているのではないでしょうか。
もしも架空の人物だとするなら、「永山則夫」という名前を使うことにも意味がありそうです。実在した永山則夫は、殺人事件後文学者として高く評価された人物で、Aにとっては自分の分身として理想的な存在だからです。
分身……自作自演の可能性…相談内容までもがAの自演だとすると…。
しかしそうなるといくつかAだけでは非常に難しい自演もいくつかあると思うのですが……その、ここだけの話題にできる事ならしていただきたいのですが。
実は私は何度か名義を使い分けてAにコメントを送っていた時期がありました。
内容のタイプはおおまかに分けて「Aを露骨に批判する者」「Aを慕う者」「そして事件の当時を表現する者(被害者家族を連想させるコメント、またはA自身の犯行声明文を真似する者)。」の三つに使い分けてAと対話を試みました。
…さすがに三つめの方法でコメントを使用するのは非常に複雑な気持ちになりましたが、「なぜ自分から事件当時の話題を今更蒸し返すのか」と思い到りまして、現在の世代にはコンビニで売られているようなワンコインで買える雑誌にちょっと載る程度にまで忘れられていた事件を、蒸し返されて一番困る筈のA本人が「世間から忘れられつつある出来事を大きなリスクを犯してまで自らの手で世間に広める真似をする」という理解し難い行為の真相を知る為にはやむをえないと自分に言い聞かせてあえて試しました……。
Aは自分のサイトに寄せられるコメントは全て「承認制」にしているのでAがじぶんにとって不愉快に感じたり、立場が不利なコメントはブログには絶対に載せないだろうと思っていたのである程度はコメントその物が無視される可能性も覚悟して挑みました…。
結果は少しだけ意外でした。
まずAを慕うコメントはまぁともかくとして、露骨な批判コメントの中には乗らなかった物と、そうでない物とではっきり分かれました。
主にAのブログに乗らなかったコメントはAの出版した絶歌に対する批判でした。
次に乗ったのが、野中和明という名前で投稿したコメントでその内容は
という内容です(あえて本文をそのまま引用しました)。
ここまであからさまに嫌悪をしめしたコメントをあえて載せたAはどういう考えでこのコメントを掲載したのでしょうか…?
また、被害者家族の心情を想像したコメントは内容を大幅に省略して説明させていただくと「私たちはあの事件以降、痛みと悲しみを背負って生きてきました―――もし償う意志があなたに無いのでしたらせめてこれ以上あの事件を蒸し返さないでください、これ以上私達を苦しめないでください…。」という内容をあすの会名義で(あえて)投稿しましたが、これは完全に無視されてしまいました。
二度目も、同様の方法で(内容を多少変えて、「以前そちらに送った方のコメントが掲載されなかった事に深い憤りをおぼえました。」と付け加え)コメントを送りましたがまたも掲載されなかったのです…。
さらにAは自分の殺人行為を尊敬するコメントを掲載する一方で、事件当時に使用した酒鬼薔薇聖斗の名義を使い、当時自身が書いた犯行声明文をそのままコメントとして送った時も、そのコメントは無視していました。
Aが単純に世間の注目を集め、自作自演を試みてまで自己の行為を正当化したいのであれば例えそれが遺族からのコメントや、自分自身がかつて描いた犯行声明文であっても「自分を象徴するイメージ像」として自ら取り入れても不思議ではないと思うのですが…。
はたしてなにが「Aにとっては批判であり、中傷なのか?」、なにが「Aにとって称賛であり、尊敬なのか?」正直理解できません。
それと直接この件とは関係ないのですが、Aのブログで書かれていた「過去に犯した事件を公開された人物が裁判を起こした」という部分についてですが、これは今現在の日本の法律でありえる事なのでしょうか?
全ての事件が必ずしもニューズには取り上げられないのは理解しているつもりではあるのですが……。
そして件の「永山則尾」名義もそうですが(このサイトに最初にコメントされていた方も同じ名義みたいですが…)、確かに私も一度はAが絶歌を書くキッカケを作った人物の可能性を想像しましたが…まさか自演の可能性とは…単純にAの気を引くために投稿者が使用しただけだと考えていたのでそこまでは私も考えてはいませんでした…。
だとしたらAは現在どこでそれを行っているのでしょうか……もしも自演ならば別の端末が無ければ実行できないと思うのです…。
追記(たびたび長文で大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません)
『週刊文春』の話題はネットで初めて知り、実際に書店にてその内容を確認しましたが、その内容のほとんどがAを批判するサイトなど、ネット上で書かれていた話題が大半を示していたので個人としては信憑性に乏しいと判断しています。
根拠として、Aの顔写真としてネット上で公開されている画像が、『週刊文春』で取り上げられる前と後ので全く顔が違う(というよりも別人)事が比べてあからさまだったからです。
一部では整形しているのではと騒がれましたが、整形一つにしても大変な費用が掛かる筈なので金銭的にも厳しいだろうAにはむしろ整形説は考えられませんし、Aの顔写真として公開されている情報の殆どが明確な物ではない(当時から身分を非公開にされてきた人物なので当たり前ではあるのですが)のでAの写真事態はあまり充てにはしていません。
それと前の文面にも書かせていただいたのですが、もしもAのいう通りに未成年者であるかないかに関わらず、ネット上に当時の事件の加害者として無断で公開され、事が終わってもなお面白可笑しく顔写真等を掲載される、するといった行為は犯罪になるのでしょうか?
もしもそうなるのであればAに関わらず、すべての事件に言える問題の様な気がしますし、A自身がむしろその事実を訴えればいいのではないと思うのですが。
一般的に言って、敵対者が醜悪であればあるほど、その敵対者の攻撃対象は世間の同情を集めます。だから、説得力のある批判がなされることを恐れている人にとっては、説得力のない非難を行う醜悪な敵対者に世間の関心が集まることは、ありがたいことなのです。
例えば、街宣右翼のように、一般市民が眉を顰めるような行為を白昼堂々とやっている右翼は、良識ある人が右翼になって欲しくないと思っている左翼にとっては、むしろ必要な存在です。最近話題のヘイト・スピーチも、その発言内容が過激で醜悪であればあるほど、嫌韓のイメージを悪化させ、一般人が嫌韓に走るのを防いでくれるので、在日コリアンにとっては、好都合です。実際、過激なヘイト・スピーチをやっている人のおかげで、ヘイト・スピーチを規制する法案が可決されそうです。
受刑者といえども、言論の自由はあるので、公の場で発言する権利はあります。しかしながら、自分が行った犯罪をネタにして本を書き、印税を稼ぐという行為は、世間の批判を集めやすい行為です。Aとしては、そうした一般人から同意を得やすい批判は、表示したくない。「被害者家族の心情を想像したコメント」も同様です。
これに対して、ウェブサイトは金にはならないのですから、「野中和明」のように、サイトを閉鎖するように脅迫することはやりすぎです。引用されたような文章では、同意する人はいないでしょう。Aとしては、自分が理不尽な攻撃に晒されていることを示した方が、世間から同情を集めやすくなる。そう判断して、公開したのでしょう。
Aは、元少年Aであることを隠し、無名の作家として活動を開始するという見城徹幻冬舎社長の提案を断ったことからもわかる通り、元少年Aの知名度を利用して、作家として有利な条件でデビューしたいと考えていたようです。他方で、これと矛盾するようですが、自分の身元がばれないようにしたい、世間には過去の事件の詳細を早く忘れてほしいと思っているようです。そのことは、もはや自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗らないことにも表れています。おそらく彼が今一番恐れているのは、正体がばれて、リンチを受けることでしょう。そうならないために、あの手この手を尽くしていると考えれば、彼の行動は理解できます。
犯罪者でないのに、犯罪者であるかのような検索結果あるいはサジェストが出ることは人権侵害であるということで、削除が命令されたことはあります。
ヨーロッパでは日本以上に「忘れられる権利」が認められていて、EU司法裁判所の判決に従って、グーグルは、49万7507件の削除要請のうち42%を削除したとのことです。
コメントの場合でも、ログアウトして、別人になりすますことは可能です。永山則夫(永山則尾ではありません)の場合、手紙を紹介するという形をとっているのですから、それすら不要です。
このサイトには短文しか読めないような人は来ないから大丈夫です。
『週刊文春』の2月25日号は、元少年Aの直撃取材をしたから話題になったのであって、ネットの情報のまとめをしただけではありません。
そうですかね。『週刊文春』の2月25日号には、目線入りでAの写真が掲載されていますが、別人と言えるほど異なるとは思いません。いずれにせよ、正義さんが言っているようなことをみんなが信じてくれればよいとAは思っているのではないでしょうか。
少年法第61条に「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」とあります。但し、努力義務規定のため、違反しても、刑事・民事および行政責任などが課せられることはありません。実際、『週刊ポスト』などが、事件当時、Aの実名と顔写真を掲載しました。ただ、名誉棄損罪になることもあるので、完全に安全というわけではありません。
もちろん名誉棄損罪で訴えるということは、法的には可能です。しかし、そういうことをすると、マスメディアが待ち構えている裁判所に出頭しなければならず、彼の正体がばれてしまいます。それが嫌だから、訴えることはしないのでしょう。
(注)投稿に際しては「コメント・フォーム投稿規定」を御覧ください。
では私自身…いえ、それどころかネット上でAを感情的、生理的に激しく嫌悪し、あらゆるサイトにその内容や発言を広める行為はむしろAにとっては迷惑どころかある程度は計算済み……それどころかヘイト・スピーチを規制する法案の可決に一役買う材料になって、Aのような立場の人物に対して行われ続けたこれまでに続いたマスコミの過激報道や、ネット上に蔓延する批判コメントが抑え込まれてAは結果的に法に守られる形になり、逆に過剰にAを批判してきた人々の方がむしろこれまで行った発言や行動を大幅に規制されて抑え込まれる可能性が非常に高くなっていく……そんな可能性が本当にありえると仰るのですか……にわかに信じ難いのですが…。
それと、顔写真等の相違はそこまで気にする程度の物ではないのですね。
問題はむしろ私の用に文春の報道を疑ってかかる人物が増える事でAにとって都合の良い結果にになりうるという事ですね。
そうなると「Aを批判しても肯定しても、なにかしらの形で最終的にAが世間の視線を気にしなくてすむ状況になりさえすればAは今自分が批判される分はそこまで過度に気にはしない」とさえ考えられるかもと…。
どちらに転んでもAの思惑に振り回されているとなると、これまで社会が行ってきた報道はAに対してさほど大きな効果にはならなかったのでしょうか…正直な感想を申しますと非常に遺憾です。
ヘイト・スピーチは外国人が対象だから、Aは関係がありません。街宣右翼やヘイト・スピーチは、「敵対者が醜悪であればあるほど、その敵対者の攻撃対象は世間の同情を集める」という一般的な法則の他の事例として挙げたまでです。混同しないでください。
文春と週刊ポストを取り間違えていませんか。犯行時に実名と顔写真を公開したのは週刊ポストですよ。それともあなたは、週刊ポストが報道した実名と顔写真ではなくて、文春が掲載した顔写真が偽物だと疑っているのですか。
まともな批判ならAの利益にはなりません。そもそも正義さんが引用した「批判」は批判ではなくて、脅迫でしょう。
文春の報道の後、サイトの更新が止まっているので、それなりに影響を与えたと考えられます。
あくまで事例だったのですね、失礼しました。
文春にせよ週刊ポストにせよ、ニユースなどで直接見る情報以外少なからず疑っていたのは事実です。
それらに偏見を持っていた所があるかどうかは指摘されるまでは自覚できませんでしたが……。
しかし自分がしていた事が批判ではなく脅迫だったとは……長らくAを批判するサイトばかりを中心に見てきた結果、感情的で衝動にそった乱暴な発言をしていたのは正直に言えばショックでした。
ただ、少なからず自分の中にAに対する一方的で身勝手な憎悪と、週刊誌に対するある種の偏見を抱いてしまっていた事を知ることができました。
見苦しい発言をして申し訳ありませんでした。
しかしあの出来事からAのブログはネット上からなくなる事こそなかったものの、更新事態はあれから止まったままなのですね……それが文春を初めとしたもろもろの社会の影響となるとAは今頃なにをしているのでしょうね…。
さすがに自身のブログの管理を放棄した訳ではないみたいですが…。
いずれにせよもう今の時期でAに関する報道はもうほとんど行われていないようなのでこれ以上追及する必要はもうないのかもしれませんね。
……唯一気がかりなのは被害者遺族の方々とAの両親のその後だとおもっています……遺族が背負った痛みや悲しみはこれからも心に重くのしかかり続けるのかと考えると、一度心に負った傷はもう癒えないのかと…。
あくまで噂なので根拠はまったくありませんが遺族の方々はAの起こした事件の所為でAが捕まった後もなお事件の犯人ではないかと疑われてマスコミや周囲の的になって外出することさえ困難になり、職を辞めざるえなかったと聞きました。
再就職先をみつけようにも、世間の奇異の視線が付きまとい大変な苦労をしてきたと……。
そしてAの両親も自分の息子がそのような犯罪を起こすなど考えられないと当初はAの無実を信じていたそうですが、A自身の発言と警察の調査もあって受け入れざる得なかったと…。
その後わが子の可愛さと世間と遺族に対して後悔の感情が入り混じった内容の本を出版したそうですが、被害者遺族の人たちからAを擁護する内容しか書いていないと激怒され、本の出版が停止になったとも聞いています。
形はなんであれ、Aを擁護して本の出版を停止することになったAの両親と過去に自分が犯した犯罪事件を大げさな脚色をつけたうえで当時の事件を本にだしたAの絶歌出版後の末路はどことなく似た印象をかんじています。
Aの両親も自分の息子がした行為に苦悩しながら生き続けないければならない事を思うと苦しくなります……この問題は本当の意味では終わらせる事などできないのですね……。
感傷的に浸ってしまい申し訳ありません…今回の事を自己の反省として過激なコメントを書くのを控えようかと思います。
批判が脅迫だったではいけませんので……。
そもそも正義さんのような動機を持った人がAのサイトに書き込みをすること自体が間違っていたのだと思います。ウェブサイトでは、管理人がすべての権限を持っており、Aのサイトにコメントを書き込んだりメールを送ったりしても、Aにとって都合のよいようにしか利用されないでしょう。その意味で、「Aの思惑に振り回されている」のは当然のことなのです。Aを批判したいのなら、第三者の掲示板に投稿した方が賢明です。なお私のこのウェブサイトは、学術的分析をメインとしているので、Aに対する誹謗や中傷を書き込まれても困るので、その点は予めお断りしておきます(規約にある通り、法に反する書き込みは削除します)。
わかりました。
これまで質問に答えて戴いてありがとうございました。
暇になったから久しぶりに見に来てみたら…まさか返信が…。
他の人が書いた形跡もあるみたいですし、それを踏まえてもう一度。
少年Aには理解も共感もまったく必要ありません…”共感する必要はありませんが理解する必要はあります”と書かれているようですが大抵の人間は”理解”をしてしまうと段階的に相手の抱えている痛みに”共感”する(してしまう)事があります。
人は少なからず喜怒哀楽の感情は誰にでもあるので相手を理解してしまうと必然的に相手の心の内に触れようとする者が必ず現れます。
学術的に解釈するとしていますが、Aの問題は少しでも擁護する発言をとった時点で激しい非難を浴びる程のタブーです。
ましてや痛みや悲しみの十字架を背負って生きている被害者遺族の方がいるのにこれ以上この話題に触れた所で堂々巡りになるだけだと思っています。
また、あなたは”殺人犯の深層心理を理解していなければ、予防や矯正が十分にはできないからです。”と語っていますが、予防にせよ嬌正にせよ、重要なのは当人が事件を起こさない事が一番だと思います。
深層心理と言っても一般社会の人達が全員一致で納得できる物でなければまず世間は容認しないでしょうし、知る事以上に犯罪が起きないように治安の強化や新たな法律の設立、または刑事罰の重罰化が今求められているのは新聞やニュースを見ても明らかだと考えらえませんか。
あくまで自分の持論ですがある言葉を言います。
「例え法律で正当防衛の判決を受けて無罪を勝ち取ったとしても、人を殺した事実、結果は一生背負い続けるのが人の義務。 自分は殺すつもりはなかったのだからいいという事にはならない。人殺しをした者は絶対に背負った重荷を下ろすことは許されない。」
ましてや人を殺し、それに喜びを見出したというAは完全に自業自得、彼を理解するのは彼に同調し、彼に憧れて犯罪に手を出す人が現れる事になるも知れないのです、やはり理解も共感も不要だと思います。
例えば、ファシズムの研究をすると、ファシズムに共感する人が出るかもしれないので、たとえ学術的な研究であっても、ファシズムの研究はするべきではないということなのですか。
バタイユが認識したとおり、エロティシズムの快楽は規範を破る快楽で、規範を厳しくすればするほど、エロティシズムの快楽が大きくなります。だから「治安の強化や新たな法律の設立、または刑事罰の重罰化」というのは逆効果です。予防に必要なのは幼少時の養育のありかたを変えることであり、矯正に関しても、たんに厳罰を科せばよいということではなくて、精神分析学的な根拠に基づく治療が必要です。このように、殺人犯の深層心理を理解することは、正しい予防や嬌正を行う上で有意義なことです。感情的に行動する前に、理性的に真実を認識しようとする姿勢が大事なのです。
(返信が少し遅れました)
…最初の部分はこたえようがないですね、自分はそのような話題をするつもりで答えてはいないので…。
自分の言った言葉が単純な感情論に聞こえたかもしれません…。
一応、かじる程度ではありますが心理学には触れました…。
(新星出版社 2012年11月25日発行の「心理学 生活と社会に役立つ心理学の知識より」)
少年犯罪と現代社会の項目より
罪を犯した少年に対して、矯正だけではなく「心のケア」の必要性がもたれている。
この時点から言われ続けていたことなのかもしれませんが、結果論で言わせていただくと、その行為はあまりにも不十分だったと考えています。
Aは出所して、犯罪者から一般人に戻らなければならず、その為の段階的な償いを終えていない事がニュースなどで度々問題視されているのを見てきました。
おそらく、【遺族との長期的連絡(コンタクト)・コミュニケーション、遺族に対する直接の謝罪、遺族の受けた身体的または精神的な苦痛に対する賠償行為、遺族と日本社会に対して許しを求める。】だと解釈していますが間違いかもしれません。
しかしAは遺族との長期の連絡はとっていましたが、じぶんから遺族に直接会って謝罪を設ける機会を作ろうとはせず(自分の家族、兄弟に対しては謝罪したと絶歌には書いていたと聞きましたが…まぁ、家族ですからねぇ…。)それどころか絶歌出版という非常識な発想にいきつき、過去の事件を自ら蒸し返して再び遺族に苦痛を与えました。
これがAの心のケアが不十分だったのが原因と言い訳なさるのでしたら、そもそも「心のケア」とはいったい何を意味し、具体的にどのようなプロセスなのか、また、それはA自身が望む形のケアになるのか?
その説明をしていただきたいです。
以前ニュースをみていた時にあるキャスターが「犯罪を犯した過去を持つ少年を、今犯罪者扱いしたり前科者と蔑むことが今回の問題に繋がったのではないかと思います。 今彼に、そして世間に必要なのは”許す心”なのでしす!」と熱弁していたので正直腑に落ちません(尚、それからというものそのキャスターを見なくなりました……)。
そしてこれだけはやはり、過去に実際に少年Aに憧れてバスジャックを起こした少年の事件は今でも脳裏に刻まれています……Aに対して共感や同調した者達が凶悪事件や、事件に便乗して不快な行動を働いた事例がある以上…安易に理解するのはしたくないです……。
永山則尾さんが謂う所の「心のケア」は、私が言っている「精神分析学的な根拠に基づく治療」とかなり違うもののようです。精神分析学は表層意識がしばしば拒否する深層の意識の分析を行います。だから「A自身が望む形のケア」かどうかは問題ではないのです。精神分析学で重要なことは患者に患者の深層の欲望を正しく認識させることであって、治療者が患者に共感を持つことではありません。共感とは、文字通り感情を共有しあうということ(英語で言えば、シンパシーとはパトス、つまり感情を共にすること)であって、憎悪に対して憎悪で応じることも広義の共感です。愛であれ、憎悪であれ、共感し合うということは、転移や逆転移を惹き起こすので治療の妨げになります。フロイトが、患者を長椅子に寝かせ、患者と直接視線を合わせないようにしたのは、転移や逆転移を防ぐためだったのでしょう。
そのキャスターの対応を左翼的対応と名付けるなら、元少年Aをもっと懲らしめろと主張することは右翼的対応と名付けることができるかもしれません。左翼的対応とは、Love&Peace で、左翼は前科者でも愛で受容し、平和を実現しようとします。憎しみに対して憎しみで応じるという右翼的対応は、それとは正反対の対応に見えるかもしれませんが、共感の関係を作ろうとしているという点では実は同じなのです。精神分析学者は、転移や逆転移で患者と鏡像的関係という死の抱擁に陥ることを避け、患者を去勢させ、精神的に自立できるようにさせようとします。
戦争を避けるにはどうすればよいかという問題を考えてください。左翼は話し合いで解決しろと言います。コミュニケーション重視です。話し合いで解決しない場合、抵抗せずに、降伏しろと日本の左翼は言います。右翼は、暴力には暴力で対応しろと言います。武力による威嚇で戦争が阻止されることもありますが、かえって戦争をエスカレートさせてしまうこともあります。私は、戦争を防ぐためには、戦争が起きる原因を経済学的に解明し、その上で経済学的方法で予防するべきだと考えています。精神病も同じで、共感によってではなく、深層心理における原因を精神分析学的に解明することで、問題を根源的に解決しようとしなければなりません。
そもそも自分が言う心理の話と、ここでいう精神分析学の話事態が別だと……。
…この事を自分で考え、理解するには時間がかかりそうです…。
せめて、確認したい事が一つだけあります、Aの話題そのものとは関係ありませんが返答いただけたら幸いです。
Aが絶歌を出版してから様々なメディアが情報を流し、ネット上で加熱が広がる中。
去年の12月頃に、被害者遺族の方(誰かまでは知りません、あくまで雑誌の情報とネットでAを批判している人達の間で話題になった話です)が絶歌の出版に対して「書くのは自由だがそれを出版するなどとは思っていなかった、そもそもそんな話今頃になって初めて知った」「二度と誰にも過去の事件を触れられたくなかった、さらなる精神的苦痛である」などと記者の前で訴えたと聞いています。
これが事実なのでしたら少し気になる事が。
“精神的苦痛”と遺族の人達がはっきりと記者の前で宣言している以上その言葉通りなのだと思います…が、そてなのになぜ遺族の方々は出版社に対して、またはAに対して、”賠償”ではなく”本の自主回収”を要求したのでしょうか?
そもそも被害者遺族は過去に相当な被害に遭っているにも関わらずなぜ”今回の件”は訴えずに降りたのでしょうか?
当時の裁判は干渉できなかった事は知っていますが、今回はAも成人しているのですから被害状況を訴えれば裁判で出版社かA自身に賠償請求ができたように思えるのですが……。
それは当事者に聞いてみないと分からないことです。私の憶測ですが、賠償を求めると「金目当て」と世間から思われてしまうことを潔しとしなかったのかもしれません。
…そうですね、考えてみれば当時の事件の時点で既に”殺人事件の真犯人”ではないかと疑われ、散々叩かれていましね。
遺族はAだけではなく、世間の不当で理不尽な扱いに対しても深い悲しみと憤りを覚えたそうですからね…。
そういう意味ではAではなく私の様な方々こそが真に事件の話題を蒸し返し、面白おかしく取り上げて遺族を傷つけていたのかもしれません……。
しばらく自分で考えて理解する事を実践してみます。
どれくらいかかるか、どんな風に自分の考え方を改善できるかはわかりませんが…。
もしあなたがよろしければまた質問に答えて戴けると幸いです。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんででした。
質問に答えて下さってありがとうございました。
機会があればなにとぞよろしくお願いします。
事件当時の私の感想文です。原文そのままです。今回の中学生の小六男子殺害事件について、ある精神科医は「大胆で猟奇的な犯罪。日本中を教典同値に陥れた」という。誰もが眉を顰めて語る。しかし同時に、それほど驚かない人々も存在する。 「いつかこんな事件がおきるのを予感していた。」また、犯人と同世代の少年のなかには、ネットに犯人に対しての同情的な共感を示す子がいる。この、犯人へのありうべからざる共感とは何か。逮捕当日の中継現場に群がった恥知らずな若者の群れは、全国向けのTVカメラに向かいVサインをふりかざしている。
ステレオタイプな識者のピント外れなワイドショー敵コメントより、この「共感」はwatasiの心に奇妙な圧迫感を与える。
事件を解くカギを専門家は現在製造中で、たぶんそれができるのは百年後だろう。それなのにあのVサインの連中はこぞってそのテに鍵を握っていて「ここだ、ここだ」と指し示しているではないか。
この事件は「大胆で猟奇的な」のだというが。カレの行為のひとつひとつは無目的で、幼児の絵のようにまとまりなく空間に漂って医る。怒ったり、凪ったり、さしたり、シメタり、一貫性のない通り魔敵犯行である。警察に送った文章は、好きな単語をコラージュして羅列しただけの無意味な乾いた土くれである。
カレが「捜査の攪乱のため」と供述したように。。(この「供述」はあてにならない。新聞見出しにされていた『ムシャクシャして』はありていなケーサツ用語である。)あとから文章の辻褄あわせのためにこじつけられたにすぎない。
これらを「異文化」として読み解けば、例えば切断したこと、傷つけたそれを門に置こうとしたことは残虐でもなんでもない。少女を一ヶ月も官金して市に至らしめた高校生らとは比べるべくもない。
いみじくも「傷つけたのはタマシイを出すため」と語ったと伝えられるように、「首級(しるし)」とはたんなる物体であり、象徴であり記号である。
暗い闇に潜む「野蛮人の群れ」。おぞましいと首を振るまえに「待てよ」とおのが胸に手をあててみよう。この野蛮性はどこから来たものなのか。
彼は、かれの人生の一回性において、その行為を償わねばならぬ。それでもなおその行為は、営為は永遠に存在し語り継がれる。そして意味においては、我々は日本の社会全体としての責任を負う。犠牲しゃは、まことに生贄の子羊であった。
それはちょうど、沖縄での少女への犯罪が米軍基地や軍隊を露わにしたと同じく、この少年の犯罪によって日本社会に深く絡みこまれた暴力の再生産構造の解明が始められるであろう。
この大きな事件のかげに隠されて、昨日もひとりの女子中学生が自殺した。犯人は糾弾されはしないが自殺もまた殺人である。[1]
現在の感想はどうなのですか。
永井俊哉先生の
酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈
について
バタイユ的解釈についてはまた日を改めて投稿します。
以下、全くの個人的見解なのですべて断定文で書くこととします。
他の投稿者のどの意見にもくみしません。
本題に入る前に、
当時感銘を受けたこの本をご紹介します。
引用元:淳
内容紹介
あの事件から5年、「酒鬼薔薇」が出所する。被害者淳君の父の慟哭を聞け!
1997年5月に起きた「神戸連続児童殺傷事件」。14歳の少年に我が子を奪われた父が綴る鎮魂の手記。
眼を細め見守った息子の成長から、あの忌まわしい事件の渦中の出来事、そして「少年法」改正に至る闘いまでを、被害者遺族が詳細に描く。
引用以上
読後の私の感想
被害者父は慟哭などしていません。
静穏な心情を淡々と述べています。
被害者への怨みは微塵も感じられません。
この両親はこの事件についての深い意味を理解した。
そして犯人を赦した。
これほどの事件の犯人の心情をこれだけ深く理解し、
その上で赦しができるのか。
永井俊哉先生の見解からの引用:
私は幼児期に神たる両親に存在を拒否され、父母を敬愛することなく、結果社会そのものから離反していったのではないか。
自分自身を分析するのは困難です。
脳バンクに死後の脳を提供するつもりです。
それで「双極性障害・パーソナリティ障害と診断され」るようになったと考えているのですか。
まったくそうは考えていません。
以下gravatarの自己紹介文に書きました。
英文はgoogle翻訳で作成しました。
When I was born in 1949, my mother was 29 and my father was 18.
I am interested about what is the meaning of public education. I am diagnosed a bipolar disorder , but it is failure diagnose, am suspicious. I am so said ADHD is true, I guess. If so, it could be understandable that I didn’t get used to go to the school. From the point of view as a left over, I have some opinion.
Continue.
>パーソナリティ障害
2001年の初回診察を受けた精神科医(その病院の院長の息子で副院長)の診断です。
精神科医としては若くて未熟だったので、そこにつけこみました。
診断名は境界性人格障害です。
これは私の捏造です。目的は年金受給いわゆる疾病利得です。
捏造手法はお望みなら後述します。
任意入院し、六か月入院との診断結果を得ました。
入院しなければ年金受給の対象にならないので入院しました。
入院するにあたって小型ノートパソコンを持ちこみ、枕の下に隠しました。
ネット環境を準備しました。
なおかつ早期退院をもくろみ、詳しい経過はお望みなら後述しますが、
法務局に電話して、一週間で退院しました。
家に戻って20才の20才の長男ひきこもりニートと高校生一年次男の世話をしなければいけません。
>双極性障害
これまた若くて未熟なヤブ医者の誤診を利用した私の捏造です。
どれほどヤブかは後述します。
ヤブ医者であっても私には愛情を以て接してくれました。
人生の何回目かの重要局面において、正鵠を得た忠言を頂いたので
その技術でなく、人間性を評価します。
初回受診した病院で、障害年金受給の手続きをしました。
もうそれ以上用はないので近所のクリニックに転院しました。
そこのクリニックは同世代の熟練した精神科医でした。
「あなたは2級受給の資格はありませんね。せいぜい3級です。」
パソコンの操作もできない、患者の顔もろくに見ない、
ひたすら患者の話をノートに書き綴るだけの医師でしたが。
あわてた私は若くて未熟な医師を探しました。
見つけ方の基準は、交通利便のよい新しくて綺麗な建物です。
富裕階級の出身であること。人生経験が少なく、
新築のビルにクリニックを構えるほどなら経営を知らない。
新規開店なら集客したい。
30才くらい?見るからに善良なお人柄です。
開店したばかりで患者もまばらでなによりもそのクリニックの宮殿のように豪華なこと。
初回はうつ病と診断されました。
私は不眠以外はとくに症状もなく、うつ病患者として通院しました。
b症状の急変もないということで、一か月いちどの通院です。
「調子はいかがですか?」
「はい、とくに変わりありません」
前に戻ります。
境界性人格障害であるわけがないですか。
この障害のいちばんの特徴は
「見捨てられ不安」です。
私にはまったくありません。
長男が10年間のニート生活から脱出し、
私から旅立ったときも
「よかったわね。幸せになってね」としか言いませんでした。
引き止めたりしていません。
その他の局面でも、常に困難な状況からいかに逃れるか
「逃げるか」
逃げるか戦うかどちらしかないのです。
弱い私は逃げるしかありませんでした。
しかし私はいつも自分が世界の中心ですから、
見捨てられることを恐れません。
自分の根拠は自分だとし、
自分の価値を認めない人間は排除する。
twitterに
these day I write in English
to avoid people who don’t write english
を
One of the best thing I’ve ever seen in my life.
とyoutube動画で評価されているお方の
称賛とともにこのリプを送ったら
イイネしていただけたので
、私のこの考え方、生き方に
共感する人もいるわけです。
以上が私は境界性人格障害との診断を誤診とする判断の材料です。
そういうことを書くと誰かに通報されるかもしれませんよ。作り話なら社会的迷惑なので削除しますが、どうしますか。
まったくの実話です。
ある人に語ったことがあります。
通報されてもかまいません。
きっちり自分で弁明します。
精神医療の闇を追求します
それと、ひとつ謎がとけました。
その謎とは何ですか、わかりますか?
私は正直でありたいだけです。
反省も十分しています。
ツイッターのこの一文に反響がありました。
当事者です。万引きする子はなんらかの事情を抱えるていることが多いです。警察を呼ぶべきです。窃盗は習癖化します。初期の段階で芽を摘むことが必要です。
しかしもう一歩踏み込んでください。
私は自分の人生の課題は解決しました。
今は悠々自適、楽しく笑って暮らしています。
人生あがりです。
3人の子はそれぞれ自分なりに自分の道を歩んでいます。
トップツイート 16,146件のインプレッションを獲得しました
@Kirliis_ 警察をよぶべきです。窃盗は習癖化します。初期の段階で芽を摘むことが必要です。しかしもう一歩踏み込んでください。万引きする子はなんらかの事情を抱えるていることが多いです。当事者です。
TaekoMatsutaka @AmorNovus 6月27日
過去を反省し、反省から出発し、
未来を展望してこそ
現在今を生きる意味がある、と考えます。
無言のまま、無念に精神病棟に永久的に収容されている人達。
誤診による服薬でむしろ症状が悪化している人達
私はそのような人を私の目で見、私の耳で聞いています。
その人々の苦しみを少しでも後代に伝えて未来の精神医療の在り方に警鐘を鳴らしたいというのが
私の意図するところです。
>それと、ひとつ謎がとけました。
>その謎とは何ですか、わかりますか?
答えはわたくしの文中から、容易に見つけ出すことができます。
7月9日までにどなたかお答えくださいませんか?
お答えがいただけない場合、
わたくし自身は謎ときができていますので
ご要望があればお答えします。
わたくしの見た人とは1959年生まれの妹です。
統合失調症と診断され、長期入院中です。電気痙攣法も受けました。
1961年生まれの妹も30年来通院しています。向精神薬を一日32錠服用しています。
捏造じたいが捏造かもしれません。過去の書き換えは容易です。
わたくしのようにスティグマの烙印を押されたものにとっては。
自己欺瞞ともいえます。
わたくしはほかのきょうだいとはちがう。
精神は澄み切っている。
客観的(と言っても私にとっての事実)詳細な経過をお話しします。
その病院を受診した動機は、ニート5年目の長男を受診させるためです。
それまで5,6軒は受診しましたが、どの医師も話をきくだけでおわりました。
料金は1時間5千円です。
それで地域で最大の病院を受診して事情、経過を話したら
「お母さん、病気なのはあなたですよ」
まだ詳細な記述が必要でしょう。
最終的にはバタイユ的解釈に到達します。
それまで説明必要がです。
根拠は私自身の体験です。
捏造が捏造なのです。
「見捨てられ不安がない」というのも不安にたいする先制攻撃です。
子どもたちにこの精神障害を知られたくありません。
躁うつ病、とだけ知らせてあります
>そういうことを書くと誰かに通報されるかもしれませんよ
何人でもどうぞご通報くださいませ。望むところです。
もしこれが実話であれば、こんなにちょろく騙される程度の不完全な精神医療がおこなわれている。
フィクションであればかなり面白い.
どう解釈するかは読者の自由です。わたしはそんなことに関知しません。
1、ラモトロギンの処方によりほぼ6年間過鎮静であった。
としてしか自分自身でも、担当医にも認識できなかったんです。服用停止して初めて過鎮静だとわかったのです。
でこの薬は不眠治療として処方されました。長男が独立したことをきっかけに(今考えれば)不眠が始りそれまでの睡眠薬が効かなくなりました。妹に相談しました。妹は30年も患っていて患者のベテランです。最強とされるベゲタミンを薦められました。主治医にお願いして処方されました。その後ベゲタミンは徐々に減薬、そして代替薬としてレボメプロマジンを服用しました。これも妹と相談の結果です。このあたりは微妙です。わたくしが言いたいのは、不眠が強くなったとき精神的な要因があればまず服薬ありきではなくて、精神的アプローチが必要である、ということです。
ラモトロギンでは重篤な副作用がありました。、これは少しづつ服用していくおくすりよ」として処方されました。最終的には20㎎です。ところが精神状態が悪くなったことを訴えたら、いきなり40mgに増量されました。
部屋がぐるぐる回るめまい、強い吐き気、38,8度の発熱、陰部のびらん。発疹。
わたくしは「シノドス」発行メルマガ「困ったるズ」に実名で投稿しました。
反響はありませんでした。わたくしは難病のひとつ、という取り上げられ方です。
そのとき脳裏に浮かんだのは、何千人にひとりの難病患者より、
数の上では圧倒的に多い精神病患者にもう少しスポットライトを当てて、問題意識を持って欲しい、でした。
」
わたくしの思想の淵源には「最大多数の最大幸福」です。
http://mentalsupli.com/medication/sleeping-drug/zolpidem/zpd-generic-effect/
ゾルピデム酒石酸塩錠の効果と強さ
ゾルピデム酒石酸塩錠は、マイスリーのジェネリックです。ゾルピデムは入眠障害に効果を発揮し、安全性も高いといわれています。ここでは、ゾルピデム酒石酸塩錠の効果について、詳しく見ていきたいと思います。
mentalsupli.com
松鷹 妙子
11:
院も検討しましたが費用を考慮して自宅療養を選びました。鬱病の症状としてしか自分自身でも、担当医にも認識できなかったんです。服用停止して初めて過鎮静だとわかったのです。
でこの薬は不眠治療として処方されました。長男が独立したことをきっかけに(今考えれば)不眠が始りそれまでの睡眠薬が効かなくなりました。妹に相談しました。妹は30年も患っていて患者のベテランです。最強とされるベゲタミンを薦められました。主治医にお願いして処方されました。その後ベゲタミンは徐々に減薬、そして代替薬としてレボメプロマジンを服用しました。これも妹と相談の結果です。このあたりは微妙です。わたくしが言いたいのは、不眠が強くなったとき精神的な要因があればまず服薬ありきではなくて、精神的アプローチが必要である、ということです。
ラモトロギンでは重篤な副作用がありました。、これは少しづつ服用していくおくすりよ」として処方されました。最終的には20㎎です。ところが精神状態が悪くなったことを訴えたら、いきなり40mgに増量されました。
部屋がぐるぐる回るめまい、強い吐き気、38,8度の発熱、陰部のびらん
陰部のびらん(かぶれ?)
気になって2ちゃんねるのラモトリギンスレをみてみました。
要事項として、重症な皮膚障害である
スティーブンス・ジョンソン症候群発症の可能性がある。
発売後6カ月は、市販直後調査になるなどの問題がある。
ラモトリギン
ラモトリギンによる重症薬疹と
用法・用量の遵守について
http://www1.mhlw.go.jp/kinkyu/iyaku_j/iyaku_j/anzenseijyouhou/287-1.pdf#search=’%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%B3′
しかもブルー・レターではないですか。
翌日受診しました。
「先生、副作用がひどいんです」
「」あら、そうだったの。他の患者さんはなんともなかったのにねぇ
次々消えて5時間が経過していて、かなり混乱しています。
ベゲタミン、レボメプロマジンについては各自検索なさってください。
病名、障害名がどうあろうと本人が苦しんでいたということが中心におかれるべきではないですか?
×ラモトロギンの処方によりほぼ6年間過鎮静であった。
○レボメポロマジンによりりほぼ6年間過鎮静であった。
強度の不眠によって苦しんでいました。不眠を経験なさったことがないために申し添えますが、
マイケル・ジャクソンは麻酔薬を常用していました。死ぬ方がましです。
入院も検討しましたが費用を考慮して自宅療養を選びました。鬱病の症状としてしか自分自身でも、担当医にも認識できなかったんです。服用停止して初めて過鎮静だとわかったのです。
ラモトロギンでは重篤な副作用がありました。、これは少しづつ服用していくおくすりよ」として処方されました。最終的には20㎎です。ところが精神状態が悪くなったことを訴えたら、いきなり40mgに増量されました。
部屋がぐるぐる回るめまい、強い吐き気、38,8度の発熱、陰部のびらん。発疹。
この原稿を書くのにまいっています。7時から始めて、朝食も昼食も摂っていません。
ラモトロギン;
発熱は「風邪をひいたのかしら」びらんは「カブレ」発疹は「虫刺され」。副作用ときづいたのは2,3日あとです。
主治医はヤブなんです。
ホメオパシーの信奉者です。
「先生、ホメオパシーはぷらセボですよ」
「ネイチュアにも掲載されているし、実際効果がありました」。
はぁ?
先生は魔術師ですかぁ?
体調の悪さを訴える患者がドアを開けて主治医の顔をみただけで
すっかり気分がよくなったという話をきいたことがあります。
むべなるかな、です。
ゾルピデムについては先述しました。
ゾルピデムは躁うつ病の診断がおりるまで気持ちよく服用しておりました。
依存性のあるベンゾ系でもなく超短期型で朝のキレも良く、良いおくすりです。
ところが、ある日
「ゾルヒデムは躁うつ病の患者には禁忌なの!」
「ああそうですか」
これ以上どんなことが言えますか?
医師は専門家。わたくしは無知な患者です。
検索しました、と言えますか?
そこで近所の院内処方の内科を受診しました。
医師に「今までゾルピデムを処方されていました。」と説明しました。
二つ返事で薬剤師を呼びつけ、5分もかかりませんでした。
この内科医も曲者です。以前軽い気管支炎をわずらいました。喉に違和感があるていどでした。
レントゲンにはたしかに薄い影が見てとれます。
はい、抗生剤、うがい薬、トローチ。おみやげを持たされました。
それから近所の熟練の医師について補足します。
今どきパソコンを診察室に置いていない知的産業に携わる人がいますか?
その医師は、アタマが古く、情報をインターネットで得る能力がなく、
精神病は統合失調症以外にもあるという認識がないんです。
以前の精神科から紹介状を持って行かなかったわたくしもケアレスでした。
向精神薬の種類の多さ。わたくしは精神科医ではないので、
御苦労さまとしか言えません。
http://kanri.nkdesk.com/iyaku/iyaku5.1.php#m2
管理薬剤師.com
70才近くのヤブ医者がついていけますか?
妹の主治医はヤブです。一日32錠の投与で30年間。本人はこれだけの薬が投与されているから精神状態が維持できている、と申します。
過去何回か逸脱行為(全裸で道路に飛び出した。テレビの人物が自分の話を語っている)はあったにせよ、
現在は犬も飼っています。ふつうに食事準備もできています。医者を変えて薬を減らしたら?と忠告しまました。
「あの先生はいいお医者さん。30分はかけて話を聞いてくれる。」話って、おもに夫への不満です。なぜに精神科医?
精神科医って患者の話を聞くのがお仕事でしょ。
ちがいます。
入院している妹の主治医もヤブです。
妹は妄想はありました。
人生相談は人生相談の専門家がいます。80%はあてにはなりませんけどね。
電話相談の加藤泰三。著書多し。未解決な父親への怨念を感じます。父親への怨念を抱えている人は共感するでしょう。
斉藤学。会社と謳っていますから何も問題はないのでしょうけど。。
http://www.mental-support-jp.org/#!untitled/c21oq
この他にもさまざまな事業を展開しています。
精神障碍者を喰いものにしてるんでしょうか。
ついでに追記しますが
「内海聡」このなまえをキーワードにして、言説には近寄らないでくださいね。
あくまで巷の噂ですが、わたくしも同じような体験があります。
http://mystory.xsrv.jp/mystory/black/darkside/
以上疲れたのとハラが減って死にそうなので続きはあとで。
>私は、次の幼児体験に犯罪の原型があったと考えている。
そこが原型なら
なぜ彼は暴力をふるわれたのでしょうか。
無抵抗だったのでしょうか。
マゾヒスティックに受け入れたのでしょうか。
自分の問題は自分が解決するし、私は私。私のことは私しか分からない。
これが結論です。
今までそう生きてきました。
http://readebook.club/read-fathul2/the-four-fundamental-concepts-of-psychoanalysis-the-seminar-of-jacques-lacan-book-11.pdf
What is special thin ones, and move like amoeba. However a little more complicated is than amoeba. But it will continue to enter anywhere. And it is what those are either related to that sexual organisms have lost in the sex. (…) It is a thing of immortality as amoeba is the case compared to the sexual organisms. Because, it is because even survive, survive even if there is any division proliferative events in any division. And it will run around.
By the way this is not that there is no danger. Please try to imagine that this guy is coming to cover the face while you are sleeping quietly.
And those who have this nature, you do not know well how need not fight do. Once you supposed to like fight if, it would not be probably vulgaris battle. The lamellae, (…) it is the libido.
GESTALT GEBET
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
ICH BIN ich und DU BIST du –
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
Frederick Perls
考えてみれば、本当にどうしようもなく辛ければ、人は死を選ぶと思うんです。
>予防に必要なのは幼少時の養育のありかたを変えることであり、矯正に関しても、たんに厳罰を科せばよいということではなくて、精神分析学的な根拠に基づく治療が必要です。
独自解釈でないのなら、主観的な個人的な精神分析学的根拠でなく、
客観的科学的正確で最新な世界的データの統計結果の提示をお願いします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95
https://www.youtube.com/watch?v=ealhxti03pk
根源は17才から19才までを過ごした関東医療少年院での誤診による2年間の抗癲癇薬投薬です。
質問ある方どうぞ
ここ最近、実に奇妙な動画を見かけました。
主にYouTubeでありますが、 sun10ro という投稿者名で以下の動画が殺傷事件の被害者である淳君の画像と共に投稿されていました。
Tempters おかあさん ザ・テンプターズ 土師守氏に贈る『淳』
the tempters japan 忘れ得ぬ君 酒鬼薔薇聖斗事件 真犯人に捧ぐ
The Tempters 帰らなかったケーン 昼食後10分に殺害された淳君
の三つです。
それぞれは一件するとただ単に歌っている人物が同じで、歌詞に合わせて淳君の写真を載せ、そのうえで投稿者が中年Aの冤罪説を唱えるという内容になっています。
https://www.youtube.com/watch?v=vNXswz6CciY
https://www.youtube.com/watch?v=Rpoh3DSxAbc
https://www.youtube.com/watch?v=G3h432-tHVw
2016/07/02 に公開
ザ・テンプターズ
著作権で保護された曲: 06 おかあさん
著作権: SHINKO-MUSIC
淳
投稿者コメントなし。
2016/07/07 に公開
投稿者のコメントあり。以下内容。
the tempters japanザ・テンプターズ著作権で保護された曲: 01 忘れ得ぬ君著作権: SHINKO-MUSIC
元少年Aの自白調書は物的証拠が皆無で信ぴょう性ゼロである。淳君の遺体は全身凍結されてから屋内で切り刻まれた。従って、神戸市小学生惨殺遺棄事件は冤罪と判断するのが妥当。では、真犯人は誰なのか?今どこで何をしているのか?殺害推定時刻である1997年5月24日13時40分のアリバイを検察は再捜査すべきだ。新潮社『淳』にはそれがはっきり書いてあるのだから。
2016/07/12 に公開
投稿者のコメントあり、以下内容。
淳君の昼食後10分が殺害推定時刻である。1997年5月24日13時10分には淳君はカレーを食べ終えていた。ところが、家を出たのは13時40分だと父親の手記『淳』には書いてある 。これは一体どういうことか???
これらの内容には動画自体にはただ単に歌詞がながれ、その歌詞の合わせて淳君や淳君の父親、淳君の首がAの手のよって乗せられたという学校の校門らしき画像があるだけでした。
一部は某有名動画投稿サイトにまでのせられていました。
2016年07月08日 19:37 投稿
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29206357?
the tempters japan 忘れ得ぬ君 酒鬼薔薇聖斗事件 真犯人に捧ぐ
そのタグに。
酒鬼薔薇聖斗事件 元少年A 神戸市小学生惨殺遺棄事件 冤罪 テンプターズ 事件 真相
と付け加えられれいました。
Aの顔写真が雑誌に掲載され、ネット上にも大規模に拡散したものの、もはや一時の出来事の様にニュースなどでは注目されることは無くなった中年A.
憶測…いえ、私はこの投稿者こそが、他でもないA自身などではないかと考えています。
それ以外にこんな意味深な謎めいた動画を投稿するであろう人物が私の知り得る範囲でいないのです。
そうなると投稿された順に、歌詞を見ていく必要があるのではないかと思います。
いったいなぜこのような歌詞と共に、彼はこんな動画を投稿したのでしょうか?(歌詞がコピーできませんのでお手数ですが
そちらで確認しつつご覧になって戴いてください)
追記 こちらの質問にたいする質問はサイト主の方にお願いいたします。
もし他の方が質問に答えた場合に関しては、その答えは除外させていただきます。
冤罪説は、Aが逮捕されてから今日に至るまでネット上にたくさん出回っていますが、A自身は冤罪を主張していませんし、私も信じていません。以下は「元少年Aの “Q&少年A″①/10月12日 創刊号 – 元少年Aの ”Q & 少年A”(現在削除済み)」からの引用です。
なお、本サイトの外部に投稿されている動画に関する質問は、投稿者に直接行っていください。
久しぶりですね俊哉氏。 最初に投稿してから6ヶ月ぶりでしょうか。
その間にネット上では「子連れ狼の作者がAに怒る資格はないとAを批判」、「文春とAの追いかけっこを再現してみた」、「絶歌を批判する人に欠けている点があると前言してネット上で批判された人物(長谷川 豊)への中傷」など、Aを取り巻く事情が続いてきましたが話題に上らなくなるに連れ皆自分が散々取り上げていた事さえ忘れて関心さえなくしていきました。
そんなAのブログですが、今年の10月6日に確認して以降、一部の内容が削除されており、それから昨日の10月25日時点では彼のブログはネット上から完全に消えてしまいました。
Wikipediaに掲載されているリンク先からも行けないくなっている所を見るとどうもA自身の手で人知れず削除されていたのだと推測できます。
以前あなたが自分に対して説明していだたいた様に、彼は”忘れられる権利”の行使の為に自らのブログを削除したのだろうと考えていますが、それにしてもなぜ彼は今さらになって自らのブログを闇に葬ったのでしょうか?
以前こちらで質問をさせて戴いた際、あなたは「少年Aの知名度を利用して、作家として有利な条件でデビューしたいと考えていたようです。他方で、これと矛盾するようですが、自分の身元がばれないようにしたい、世間には過去の事件の詳細を早く忘れてほしいと思っているようです。そのことは、もはや自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗らないことにも表れています。おそらく彼が今一番恐れているのは、正体がばれて、リンチを受けることでしょう。そうならないために、あの手この手を尽くしていると考えれば、彼の行動は理解できます。」とはっきりと返してくださいましたが、いくら作家デビューが困難になったからといってこれまで更新こそしなかったもののブログだけはネット上に残し、A自らの自己顕示欲と権利を目的としてA自身が頑なに削除するのを拒んでいるとさえ感じられたのに……なにか別の方法でAは自分の欲求を満たす方法をみつけたのか…或いは自身に対する誹謗中傷を裁判所に訴える為の身元整理の一環なのか、それともただ単に都合が悪くなったからなのか…。
雑誌やネットに顔写真を広められてなお自分の制作したブログだけは死守してきた彼がここにきて削除した理由とは…。
……個人としては現代社会での居場所得られず、ネット上からも異物扱いされ、しきりに死刑になれと言われ続けてある種の鬱状態になったのではないかと推測しています。
もしくはもはや絶歌の宣伝の為にブログを展開す必要性がなくなったのか……いずれにせよ、悪い事が起こらない(起こさない)と良いのですが。
多分契約期間終了時に更新しなかったので閉鎖になったのでしょう。ブログを閉鎖しても、「元少年A ホームページ」や「レビュー」のように、キャッシュは残っています。
なぜ活動を停止したかと言えば、「少年Aの知名度を利用して、作家として有利な条件でデビュー」することがうまくいかず、「自分の身元がばれないようにしたい、世間には過去の事件の詳細を早く忘れてほしい」という思いの方は、週刊文春のスクープでかなわなくなりました。
ところで、長谷川豊さんは「『絶歌』を批判する人に決定的に欠けている視点」の中で「病気というものは…誰でもなる可能性はあるものなのだ」と言っていますが、これは「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」での議論とは違う見解ですね。
ネット上でAに関する話題を多く目にしますが、その中のうち。
http://secrettalk.me/talk/1623
酒鬼薔薇は小松祭生
北朝鮮工作員 吉田
共犯がいたわけ
と書かれているコメントを見かけました。
ほかのあらゆるサイトやブログで【酒鬼薔薇聖斗は在日】【中年Aは韓国籍】などといった話題が多くみられるのはなにかしらの根拠でもあっていっているのでしょうか?
違うのであればなぜこのような話題がネット上で広く知らる事になったのでしょうか?
他にも、もうテレビのニュースでも話題にされていない情報なのになぜかネットニュース(またはブログ上)ではたまに取り上げられていることがあります。
なぜなんでしょう?
このサイトで話すべき内容ではないと感じてはいますが一般的なところだとまともな返答が得られないのでやむなく意見を聞きたくてコメントさせてもらいした。
よかったら愚問かもしれませんが参考程度にお願いいたします。
こういう書き込みをするということは、斎藤茂太さん自身興味があるということですね。それなら、なぜまだ話題になっているのか、自分自身に問うてみてはいかがですか。
お疲れ様でした、この解釈書いてくれてありがとうございます
久々に良い物読みました
永井さんの文章昨日初めて読んだんですけどやばいですね、めっちゃかっこいいです。
※自分は酒鬼薔薇信者じゃないですし、あいつが絶対に許されない事をしたのも理解してます。以下は倫理観0で打ったコメントなので多分読まない方が良いです。このコメ自己満です駄文過ぎだし。
自分はH13年産まれで事件からかなり時間が経ってから文章で酒鬼薔薇事件を知りました。なので当時の空気感て言うか、ピリピリした感じ?が全然無くて。
人が造った話みたいな感覚で現実感ゼロのまま頭ん中に入ってたので(言い方アレですけど)すごく楽しく読めました。面白かったです
倫理ぶん投げて酒鬼薔薇を見るとどんな方向から見てもくっっそ人間っぽさが有って凄い興味惹かれますね
この解釈を読んで酒鬼薔薇の小学生時代に作った文章や絵を深掘りしたのですが、
こいつは自己表現として子供を殺し続けたから特別な感覚,思想,才能を持ったんじゃなくて、完全に産まれた時からバキバキで冴え渡ってる,やばい物生み出せる才能が有る側の人間なんだなって思っちゃって。
めちゃくちゃ悔しいです。こいつぶっちゃけ才能有るもん、最低なゴミ野郎のくせに俺より考え方のセンス割れてるし。
いくら才能が有っても心がなかったらそいつが生み出した物は(視覚的な意味じゃなく行動として)ダサいし意味が無いじゃんか、
でもこいつは意味無いどころか才能ぶち壊して別の方向に捻じ曲げてるからやばいんだよね。こいつの人生全体を見て、生み出した言葉、細かい部分まで見てやっと完成される。
俺達みたいな人種は絶対に全部知っちゃ行けない方向だねかっこいいって思っちゃうもん腹立つなぁ、心が無い奴の産んだ物はダサいし意味が無いって自分の考えと酒鬼薔薇を細かく知っちゃった時の耳が痺れる感覚で自己矛盾?みたいな。知らない方が良かったなこいつの事
みんなの価値観が変わってみんなの許容範囲が広まって来てる今の時代で俺の近くに産まれてれば絶対いい方向に連れて行けたのに勿体ないちゃんと、はっきりと、褒められるかっこいい奴になれたはずなのに
人を殺してしまう前に、若くて感覚が最大だった時に、俺の好きな物文章音楽写真空気を教えてやれたら変わってただろうになぁ
あ、才能有るって言ってるけどほんとにこいつ視覚的なかっこよさを持つ物作れないよ。人殺してるから
ホームページの画像ダサすぎるんよ