ウイルス進化説は正しいか
ウイルス進化説とは、進化はウイルスの感染によって起こるという仮説のことである。「ウイルス進化説」あるいは「ウイルス進化論」は、中原英臣と佐川峻による命名であるが、この仮説は海外では二人が提唱する前からあり、それらを含めた包括的な説とするなら、今日ウイルス由来の遺伝子が哺乳類の進化をもたらしたことが実証されているので、部分的には正しいということがわかっている。
1. ウイルス進化説の起源と背景
二十世紀において支配的であった進化論のパラダイムは、ネオ・ダーウィニズム(Neo-Darwinism)と呼ばれる学説で、ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学を総合しているため、総合進化説(modern synthesis 現代の総合)とも呼ばれる。19世紀後半にアウグスト・ヴァイスマンが獲得形質の遺伝を否定[1]して以来、遺伝子がどのように変化して進化をもたらすのかが焦点となったが、1901年にユーゴー・ド・フリースが突然変異を発見し[2]、遺伝子突然変異で生まれた多様性が自然淘汰によって選別され、進化が起きるというネオ・ダーウィニズムが支持を集めるようになった。
1927年にハーマン・マラーが、X線で人為的に突然変異を惹き起こせることを発見し[3]、1937年には、ブレークスリーとアベリーが、化学物質(コルヒチン)によっても突然変異(倍数化)が起きることを発見した[4]。こうした放射線や化学物質といった変異原で誘発される遺伝子のコピー・ミスなどの事故的な変異は古典的な遺伝子突然変異であり、これを狭義の突然変異と呼ぶことにしよう。
その後、遺伝子は、もっと自発的に見える方法で変更されることが分かった。1941年に、バーバラ・マクリントックがトウモロコシでトランスポゾン(染色体上を移動することができる塩基配列)の転移が原因である遺伝子の変異を発見した[5]。1970年には、ハワード・マーティン・テミン[6]とデビッド・ボルティモア[7]によって逆転写酵素が見出された。これにより、遺伝情報は DNA から RNA への転写によって一方向に行われるというセントラル・ドグマが崩壊し、以下の図に示されるように、レトロウイルスも逆転写により cDNA(相補的 DNAを作り、それを宿主のDNAに組み込むことが分かった。
図中の番号に従って解説しよう。
- レトロウイルスには、プロテアーゼ(水色)、逆転写酵素(赤色)、インテグラーゼ(紺色)の3つの酵素を持つRNA鎖がある。
- 宿主細胞の受容体に吸着し、
- RNA鎖と酵素が宿主細胞に入る。
- 細胞内で、レトロウイルスRNAから逆転写酵素によりcDNAを逆転写し、
- cDNA は二本鎖DNAを形成し、核に入り、
- インテグラーゼによって宿主細胞DNAに組み込まれる。
- RNAがDNAをコピーして、転写によりmRNAを生産し、
- mRNAがリボソームでタンパク質を合成し、プロテアーゼが切断する。
- これらの断片は集められ、新しいレトロウイルスとして細胞膜から発芽する。
さらに、トランスポゾンによるコピー・アンド・ペイストであるレトロポゾンも、レトロウイルスが起源ではないかと考えられるようになった。レトロウイルスが起源と考えられるゲノムは、内在性レトロウイルス(Endogenous retrovirus)と呼ばれ、ヒト・ゲノムの 5~8% を占めるとみなされている[9]。カット・アンド・ペイストであるDNAトランスポゾンも、ゲノム内に残存したDNAウイルスが起源なのかもしれない。こうした類の遺伝子の変異は、狭義の突然変異ではないものの、「遺伝子突然変異とは、遺伝子を形成しているDNA配列の恒久的な変異である[10]」という定義に文字通り従うなら、広義の遺伝子突然変異であると言える。
レトロウイルスが逆転写によってDNAを改変することができるなら、これが進化をもたらすという考えが信憑性を持つことになる。実際、テミンとボルティモアが1970年7月出版の『ネイチャー』に逆転写酵素発見の論文を掲載したのに続いて、次の号に当たる1970年9月出版の『ネイチャー』に、生物の進化がウイルス感染による遺伝子の水平移動に大いに依存していると主張するノーマン・アンダーソンの仮説がレターとして掲載された[11]。ウイルス進化説が著名な学術誌に掲載されたのは、おそらくこれが世界で最初にちがいない。
ウイルス感染が進化を惹き起こすとアンダーソンが考えた根拠は以下の七つである。
- もしもウイルス感染が病気をもたらすだけで、宿主となる生物にとって何の有用な機能をも持たないなら、もっと感染を予防するように生物が進化しているはずだが、そうではない生物が淘汰されないということは、ウイルス感染が宿主にとって何らかの利点があることを示唆している。
- いくつかのウイルスは細胞特異性を示すものの、多くのウイルスは生物の種、あるいはしばしば門の障壁を容易に横断して感染する。
- ウイルスが宿主のDNA断片を組み込み、それを他の細胞に転移させるという事実は周知のとおりである。
- ウイルスの全てのゲノムが、生殖細胞に組み込まれ、次の世代に遺伝する可能性がある。
- 異なった種において似通った進化が起きる並行進化は、個別で起きる遺伝子の偶然的変異よりもウイルスの種を超えた感染によって容易に説明できる。
- 種を超えた遺伝コードの普遍性も、ウイルスの種を超えた感染によって容易に説明できる。。
- 適応的な進化は、小さな突然変異の積み重ねよりも、まとまったゲノムの変更によっての方が起きやすい。
最後の第7命題について補足しよう。狭義の事故的な遺伝子突然変異をキーボード入力の間違えに譬えるとするならば、ウイルス感染による遺伝子突然変異は他人が書いた文章のランダムなコピー・アンド・ペイストということになる。ランダムにするなら、無意味な文章になる可能性が高い。しかし、日本語のローマ字入力をランダムにすると、文字化けしたような無意味な文字列になるのが普通であるのに対して、コピー・アンド・ペイストの場合、コピーされる文字列が有意味であるだけに、文章全体として意味が通じる可能性は比較的高い。だからウイルス感染による遺伝子突然変異の方が、適合的な進化を惹き起こしやすいということである。
2. 日本におけるウイルス進化説
日本では、ウイルス進化説は、中原英臣と佐川峻による著作で表明された進化論仮説として知られている。以下に彼らの代表的な著作を列挙しよう。
- 1986年『ヒトはなぜ進化するのか―ダーウィンの適者生存説を覆す』
- 1987年『ヒトはなぜ人になったか―ダーウィン理論を超えたウイルス進化論』
- 1991年『進化論が変わる―ダーウィンをゆるがす分子生物学』
- 1996年『ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて 』:1986年の著作の文庫版
- 1997年『生命進化の鍵はウイルスが握っていた―ここまで見えてきた進化の謎』
- 2008年『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』:1991年の著作の改訂版
当初彼らは、「今西進化論」を意識して、「ウイルス進化論」と名乗っていた。しかし、日本では、進化論の仮説は、用不用説、自然選択説、隔離説、定向進化説、総合進化説、中立進化説というように、説を付けるのが一般的になっているので、2008年の著作では、その慣習に従って「ウイルス進化説」という言葉を使っている。英語圏ではそうした慣習はなく、“Horizontal gene transfer in evolution 進化における遺伝子の水平移動”といった表現で言及される。“Viral evolution ウイルス進化”を略した“Virolution”といった造語もあるが、定着していない。本稿は日本語の著作なので、アンダーソン以来の仮説をまとめて「ウイルス進化説」と呼ぶことにしたい。
中原と佐川によると、「ウイルス進化論は1971年の今西錦司との往復書簡の中ではじめて公にした[12]」とのことである。非公開の手紙に書いたからといって「公にした」と言えるかどうかは疑問だが、仮にこれが公開であると認めたとしても、アンダーソンが論文を公開した1970年よりも後であり、どのみち、彼らにプライオリティはない。彼らはそれがよくわかっているからこそ、オリジナリティを出すために、ウイルス進化説を今西進化論と結びつけようとした。
今西進化論とは、日本の生態学者である今西錦司(1902年1月6日 – 1992年6月15日)がダーウィンの進化論に対抗して打ち出した理論で、進化は、「生存競争」、「自然淘汰」、「適者生存」ではなくて、主体的な共存である「棲み分け」によって、そして、個体単位ではなくて、種単位で、変わるべきときがきたら一斉に変わることで遂げられると主張する。もっとも自然選択(natural selection 自然淘汰)によらずして、種全体が変わるべきときがきたら一斉に変わるのはどのようなメカニズムによるのかに関して、今西進化論は何も答えない。中原と佐川は、ウイルスによる大規模感染がそれを可能にすると考えたわけである。
中原と佐川は、今西進化論の観点から、ダーウィンの進化論に対して以下の四つの疑問を投げかける。
[Q2]劣った性質をもつ個体は淘汰され、すぐれた性質をもつ個体の生き残るチャンスが大きいとは本当なのか?
[Q3]小さな突然変異と自然淘汰による個体の変化の小さな積み重なりで、新しい種の誕生というような大きな変化が、実際に起こるものなのか?
[Q4]発掘された化石の示す事実は、ダーウィンの進化論の描くシナリオとつじつまがあっているのか?[13]
しかし、こうしたダーウィニズム批判は、ダーウィンに対する誤解に基づいている。通俗的なダーウィン批判に対する反論は、「生命はいかにして進化するのか」で既に書いたことだが、重複を厭わず、これらに反論しよう。
[Q1]ここで中原と佐川が批判している突然変異とは、狭義の遺伝子突然変異である。アンダーソンの第7命題にあるとおり、ウイルスが惹き起こす突然変異の方が適応的である確率は高いが、両者の違いは程度の差に過ぎない。どちらも有害な形質を発現しうるのだから、それは自然淘汰によって除外しなければならない。それとも、彼らは、ウイルスは「進化のための器官[14]」だから、宿主が時期を見計らって、ウイルスを利用して遺伝子を変えていると思っているのだろうか。
遺伝子の水平移動は、今西進化論の「生物は変わるべきときがきたら変わる」というコンセプトを実証するひとつの具体例だろう。もっとも生物が変わるべきときがくるまでは、ウイルスはむしろあまり活勤しないだろう。しかし、一度、変わるべきときがくれば、生物はウイルスを使って遺伝子を次々と伝えることで、みんなで一緒に変わるのではないだろうか。[15]
しかし、実際のウイルスは、宿主の利益などとは無関係に、恒常的に宿主への侵入し、ランダムに遺伝子を改変することを試みている。ウイルス感染の結果起こる遺伝子の変異もランダムである以上、それが適応的な進化を帰結するためには、自然選択が必要になってくる。
[Q2]自然選択説では、足の遅いシマウマはライオンの餌食になることで淘汰され、速いシマウマは生き残る。ところが、今西は、ライオンは最初から狙いをつけた獲物めがけて一気に襲いかかるから、遅いから淘汰されるとか、速いから生き残るということはないと言う。
ライオンに目をつけられたシマウマは、単に運が悪かっただけのことなのである。これを今西は、「適者生存」ではなく「運者生存」と皮肉って、自然淘汰と適者生存による無方向な進化を批判している。[16]
むしろ運者生存の方が無方向な進化になるのではないかという揚げ足取りは措くとしても、進化の単位を個体ではなくて種に求める今西進化論が、個体レベルの偶然でダーウィンの進化論を否定するとはどういうことなのか。個体レベルなら、確かに、たまたま環境適合的な個体が死んだり、そうではない個体が生き残ったりすることはありうるが、種内にいる多数の個体に関しては、環境適合的な個体がそうでない個体よりも生き延びる場合が多いということは統計学的事実である。このように適者生存とは、環境適合的な個体の方が生き延びる確率が高いということであって、それだけで十分自然選択が働いたと言えるのである。
今西は、種内の個体間競争だけでなく、種間競争に対しても否定的であるが、個体間であれ、種間であれ、競争や闘争の代わりに協調や共生が見られるからといって、それはダーウィンの自然選択説に対する反論にはならない。日本では、“struggle for existence”は「生存競争」と訳されているが、これは「生存努力」という意味であって、協調や共生の方が競争や闘争よりも生き延びる確率を高めてくれるなら、前者を求めることは「生存努力」であり、その結果は自然選択による「適者生存」であると言うことができる。
中原と佐川は、2008年の著作で、「私は生存闘争という言葉を、ある生物が他の生物に依存するということや、個体が生きていくことだけでなく子孫をのこすのに成功すること(これはいっそう重要なことである)をふくませ、広義にまた比喩的な意味にもちいるということを、あらかじめいっておかねばならない[17]」という『種の起原』におけるダーウィンの言葉を引用している。それなら、「進化は競争の結果か協調の賜物か[18]」という対立構図でダーウィン進化論と今西進化論を対比させるべきではない。
[Q3]これは「進化は連続的な出来事か不連続な出来事か[19]」という問題でもある。ダーウィンは、小さな変異が少しずつ蓄積するという連続的な変異で多様性が生まれると考えたから、ダーウィン批判としては正しい。しかし、ダーウィニズムを改良したネオ・ダーウィニズム、すなわち総合進化説に対する批判としては適切ではない。遺伝子突然変異は形質に非連続な変化をもたらしうるからだ。中原と佐川は、「以下、ダーウィンの進化論といえば、いちいち断らなくともこの改良されたネオ・ダーウィニズムを指すことにする[20]」と前置きしながら、ダーウィニズム批判をネオ・ダーウィニズムに摩り替えるというトリックを行っている。
エルドリッジとグールドの断続平衡(punctuated equilibrium)説を援用するまでもなく、進化は均一な速度で連続的に進行するのではなく、環境の変化により比較的短期間に非連続的な進化が起こり、それ以外の環境が安定した長い期間は種は安定する。もしも突然変異が個体にランダムに起き、しかもその大半が有害なら、短期間のうちに変化した環境に種が適応できる進化はいかにして可能なのかということになる。
この総合進化説に対してよく投げかけられる質問は、中立進化説によって答えられる。突然変異は自然選択に対して中立もしくは「ほぼ中立[21]」であるため、淘汰されずに変異は種内で蓄積されていく。だから長期間の環境安定期に種内で多様性が生まれ、環境激変期に淘汰が起きて、変化に対応できる種内のグループが生き残り、それが新しい種を作り出す。こう考えるなら、種は変わるべきときがきたら一斉に変わるという今西の主張は、総合進化説と矛盾しないことになる。むしろ、自然淘汰を認めないなら、種が変わるべきときに一斉に変わることの説明に窮する。
中原と佐川は、ネアンデルタール人は絶滅せずに、ウイルスのおかげで、現生人類に変容した[22]と言うが、ネアンデルタール人が突如として現生人類に進化する方がよほどの奇跡でも起きない限り不可能である。実際には、ネアンデルタール人と現生人類は共通祖先から分岐し、両者の相違は自然選択にほぼ中立的だったから長い間共存できたが、最終的にはネアンデルタール人は絶滅した。現生人類は、ネアンデルタール人との間に遺伝子の交雑があったとする説[23]もあるが、だからといって、ネアンデルタール人がそのまま現生人類に進化したということにはならない。
[Q4]もしもダーウィンの連続的進化論が正しいなら、進化している途中の中間的な化石が見つかるはずだが、そのような証拠はない。しかし、ネオ・ダーウィニズムが連続的進化論ではない以上、連続的に変化する化石を証拠として挙げる必要はない。もちろん連続的ではないといっても、段階的に進化が起きる時は、中間的な化石があるはずだ。中原と佐川が、中間的な化石がないと言って好んで取り上げるのは、キリンの首が長くなる途中の化石である[24]。
キリンの首が長くなったのは、用不用説が主張するように、高い位置にある木の葉を食べようと首を伸ばしているうちに伸びたのでもなければ、自然選択説が主張するように、たまたま少し首が長かったキリンが高い位置にある木の葉を食べることができたから、自然選択により生き残ったということを何回も繰り返したのではなく、首が長くなる遺伝子を持ったウイルスに感染したことで、一挙に首が長くなったと彼らは主張する。そのようなウイルスがあるかどうかを探す前に、本当に首が中間的な長さであったキリンの祖先がいなかったのか、首が長いことが自然選択に有利に働くことはなかったのかということを考えなければならない。
キリンの先祖は、カントゥメリクスという現在のオカピに近い動物であることが分かっている。オカピは、偶蹄目キリン科オカピ属であるが、以下の写真を見てもわかるとおり、首の短い動物で、発見された当初、シマウマの一種と誤解された。
カントゥメリクス(オカピよりもやや首が長い)とキリンの中間に相当する首の長さの動物化石が見つかっている。哺乳類は、一部の例外を除いて頚椎(椎骨の最上部)が七つと決まっており、頚椎が縦長になることで、首が長くなるので、頚椎の化石の形状を見れば、その哺乳類の首の長さがわかる。以下の図は、キリン科の頚椎の進化を系統樹で描いたもので、オカピ(Oj)とキリン(Gc)以外にも、様々な形状の頚椎を持った絶滅種がいたことがわかる。絶滅種の一つ、サモテリウム(Smのシルエットを見てほしい。首の長さが、オカピとキリンの中間ぐらいであることがわかる。2015年に発表された研究によると、キリンの首は、最初の段階で脊椎の頭部側が伸び、次に脊椎の尾側が伸びたというように段階的に長くなったとのことである[26]。
キリン科の中で、最も首が短いオカピと最も首が長いキリンが生き延び、それ以外の中途半端な種が絶滅したのはなぜか。オカピが森林で暮らしているのに対して、キリンは草原で暮らしているところにヒントがある。草原では捕食動物に見つかりやすいので、捕食から免れるには、足が速くて体が大きい方が有利である。そこで、キリンは、速く走るために脚が長くなり、水を飲むために脚と同じ長さに首がなったと考えられる。これに対して、オカピは横縞模様のある保護色で森林の中で捕食者から隠れるように進化した。どっちつかずの種は、森林の中でも草原の上でも生き延びることができずに滅んだのだろう。
では、キリン以外の動物は、なぜ首が長くならなかったのか。 中原と佐川は、次のように説明している。
キリンの祖先はたまたまワンダーネットがあったので、ウイルスに感染して首が長くなっても生きていくことができた。しかしワンダーネットがない動物は、首が長くなったら生きていけなかったのである。ネコやイヌの首が長くならなかったのは、同じウイルス感染によって首が長くなったら、生きていけなかったからである。[28]
ワンダーネットがない動物は、たまたま首が長くなっても絶滅するというこの考え方は自然選択説に基づいている。自然選択による進化を否定しておきながら、自然選択で進化を説明するというのは矛盾である。
以上見てきたとおり、中原と佐川によるネオ・ダーウィニズム批判は的外れである。ウイルス進化説はむしろネオ・ダーウィニズムを補強する仮説であり、今西進化論にとって特に有利ということもない。だからウイルス進化説は、その後評価されなくなった今西進化論と運命を共にする必然性はなく、総合進化説に組み込まれる仮説として評価されるべきなのだ。
中原と佐川が、独自性を発揮しようとウイルス進化説に余計な謬見を多数くっつけたおかげで、ウイルス進化説そのものがいかがわしい理論であるかのような印象を世間に与えてしまった。もしも彼らの著作活動がなかったなら、ウイルス進化説は、たぶん「ウイルス説」とか「水平移動説」とかといった名称で、もっと素直に日本の学界で受け入れられていたことだろう。その意味で、彼らによる一連の啓蒙活動は、功罪相半ばするというよりも、むしろ罪の方が大きかったのではないかと評さざるをえない。
3. 実証されるウイルス進化説
ウイルスが宿主に感染してゲノムを変えても、それが体細胞のゲノムであるならば、ウイルス感染による遺伝子突然変異は一代限りで終わる。遺伝子突然変異が子孫に遺伝するには、ウイルスが宿主の生殖細胞のゲノムに入り込み、固定化されなければならない。また、生殖細胞から体細胞へと複製され、内在性レトロウイルスとして代々受け継がれたとしても、それがプロウイルスとして留まり、mRNAに転写されず、したがってタンパク質へと翻訳されないなら、進化を惹き起こすことはない。さらに、形質として発現しても、それが生存に対して著しく不利ならば、自然淘汰により遺伝子プールから排除されることになる。
このように、ウイルス感染自体は日常的に頻繁に起こるものの、それが進化をもたらすには越えなければならないハードルがいくつもある。だが、これらのハードルを乗り越え、実際に私たちヒトの進化に貢献した内在性レトロウイルスがあった。それはエンベロープ遺伝子である。この内在性レトロウイルスは、ヒトの場合、シンシチン(syncytin)というタンパク質をエンコードし、胎盤内の合胞体性栄養膜(syncytiotrophoblast)となることが、2000年に『ネイチャー』で発表された[29]。
哺乳類のうち、カモノハシなどの単孔類、コアラなどの有袋類以外の有胎盤類は、すべて胎盤を持つ。以下のイラストは、ヒトにおける胎盤の位置を示している。胎児がへその緒を通じて母胎とつながって円盤状の器官が胎盤である。
胎盤にある赤色の血管は動脈、青色の血管は静脈を表している。胎児が代謝を行うことができるように、母親は静脈から二酸化炭素と老廃物を取り除き、酸素の栄養分を動脈に供給している。その交換の場となる絨毛膜状のインターフェイスが、合胞体性栄養膜である。
合胞体(syncytium シンシチウム)とは、複数の核を含んだ細胞のことで、胎盤では、母体側の血管に接する胚由来の細胞が融合して合胞体を形成することが知られている。オスの遺伝子を分け持った胎児は母親にとって異物であり、胚と母体の間を細胞が移動することを制限する合胞体がなければ、母体の血流から免疫細胞が侵入して、胎児を攻撃してしまう。だから、有胎盤類が、有袋類とは異なり、胎盤を通して子を大きくなるまで育てるには、合胞体性栄養膜を形成する遺伝子が必要なのである。この遺伝子は、もともとレトロウイルスが宿主の細胞に侵入した際、レトロウイルスの外膜と宿主の細胞膜を融合させる働きを持っていたが、哺乳類に感染して以来、胎盤における胚栄養膜細胞の融合を活性化することに転用されている。
齧歯類は、霊長類と同じくシンシチンを作る遺伝子が合胞体性栄養膜を作る。シンシチン遺伝子をノックアウトしたマウスを使って実験してみたところ、マウスは胎盤を正常に作ることができずに流産した[31]。ここから、エンベロープ遺伝子が有胎盤類にとっていかに重要であるかがわかる。もしも私たちの祖先が、エンベロープを作るレトロウイルスに感染していなかったなら、今頃有胎盤類は存在していなかっただろう。
胎盤の形は、シンシチン遺伝子を持つヒトやマウスの場合円盤状だが、イヌやネコは帯状、ウマやブタはあちこちに散在というように、胎盤類の中でも種ごとに大きく異なる。このことは、哺乳類のレトロウイルス感染が一回ではなく複数回あって、胎盤の機能を継承(バトンタッチ)しつつも、新しいウイルス遺伝子の獲得によって、胎盤の大きさ、形、構成細胞を変化させてきたという「バトン・パス仮説[32]」が日本人研究者によって提唱されている。有胎盤類が誕生したのは、一億年ほど前のことで、生命の歴史の中では比較的最近のことだが、それ以降にもウイルスによる進化が起きていたということである。
このように、ウイルス感染によって進化が起きるというウイルス進化説は、少なくとも部分的には正しいということが実証された。ところが、2017年3月現在のウィキペディアでは、ウイルス進化説を「自然淘汰による進化を否定し、進化はウイルスの感染によって起こるという主張[33]」と定義した上で、次のように「評価」している。
本説を裏付けるに足る報告は存在せず、進化生物学の専門家からは認められた学説ではない。また、査読のある学術雑誌に投稿した論文でもないため、科学学説としても認知されていない。本説の主張は「自然選択説への誤った批判。現在までの観察、研究例の無視。非理論的な考察」によって成り立っているという批判がある。また学問的な審査を経ていないにもかかわらず、特に初学者向けの解説書などで、有力な学説であるかのように振る舞う姿勢はニセ科学に通じるとも批判される。[34]
中原と佐川の議論が「自然選択説への誤った批判。現在までの観察、研究例の無視。非理論的な考察」によって成り立っているというはそのとおりだと思うが、だからといって、ウイルス進化説をニセ科学扱いすることは正しくない。そもそも、ウイルス進化説にとって自然選択の否定は本質的な主張ではない。ちょうどダーウィンの著作に間違った内容が含まれているからといって、自然選択説の基本的主張まで否定することができないように、既存のウイルス進化説に間違った内容が含まれているからといって、ウイルス進化説の基本的主張まで否定することはできない。
中原と佐川というウイルス的な研究者のおかげで、日本の学界はウイルス進化説に対して拒絶反応を示すようになってしまった。しかし、海外の学界はウイルス進化説を取り入れ、学界のDNAともいうべき教科書までが、遺伝子の水平移動で進化が起きるというように書き換えられるようになっている。以下の図は、米国の大学で使われている進化の教科書 Evolution: Making Sense of Life の日本語訳から引用したもので、左側の図が伝統的な生物種の系統樹であるのに対して、右側は、ウイルスなどによって水平に遺伝子が伝播していることを色のついた線で表したものである。
伝統的な生物種の系統樹では、一度分岐した生物種の間で遺伝子の移動が起きないように描かれるが、それはもう古いということである。ウイルス感染以外にも、細胞質を持った生物による寄生や共生でも、遺伝子が種間で水平に移動することがあるものの、種間の遺伝子の移動でウイルスが無視できない役割を果たしたことは事実と言える。ウイルス進化説を拒絶し続けると、日本の研究者が進化論の進化に乗り遅れてしまうことになるので、ウィキペディアの「ウイルス進化説」の項目は、そろそろ書き換えた方がよいのではないか。
4. 追記:ウイルスと社会進化
2020年3月11日に世界保健機関(WHO)がパンデミックとして認定した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)の流行は、世界を大きく変えつつある。ウイルスで命を落とす人にとって、ウイルスは悪以外の何物でもないが、本稿で述べたように、巨視的視点から見るなら、ウイルスは生命システムにとって否定的な役割だけでなく、肯定的な役割をも果たす。
一般的に言って、環境が悪化するとウイルス感染症が流行しやすくなる。これには二つの効果が感染する生命体にある。環境の悪化に伴って相対的に過剰となった個体数を減らす効果と環境の変化に適応するように遺伝的多様性を増やす効果である。細胞を乗っ取ろうとするウイルスの観点からすると、前者は失敗による効果で、後者は成功による効果である。
もっとも、2020年4月現在、新型コロナウイルス感染症による死者は世界全体で10万人未満で、今後増えるとしても、現在の医療技術の高さを考えるなら、14世紀のペスト(黒死病)や1918年のスペイン風邪のように、死者が一億人前後に到達するということはないだろう。仮に一億人が死んでも、世界の人口が77億人(2019年現在)であることを考えるなら、人口抑制効果はたかが知れる。また、人類のように、環境適応を外的な技術に依存する種にとっては、変化適応を遺伝的多様性に求める必要性は低くなる。
それでも、今回のウイルスの蔓延は、私たちに進化の機会を提供しているということができる。といっても、それは個体レベルよりもむしろ社会レベルにおいてである。「生命とは何か」でも書いたように、社会システムも一種の生命システムであり、ウイルスを契機に進化しうる。すなわち、感染爆発防止のため外出が規制される中、人間が物理的に動かなくても、情報だけを動かすことで成り立つ社会が形成されつつあるということである。
生命システムも社会システムも本来保守的で、存立の危機にでも立たされない限り、抜本的な変革はできない。ビジネス界ではしばしば「ピンチはチャンス」と言われるが、これは進化一般に言えることである。情報技術の進歩により、テレワーク(遠隔医療や遠隔教育なども含む)が技術的に可能になったが、なかなか普及しなかった。新型コロナウイルス感染症のおかげで、人々はしぶしぶテレワークを始めるようになったのだ。
新型コロナウイルス発祥の地である中国では、感染爆発のおかげで、大気汚染が激減した。ウイルスで奪われる命よりも大気汚染の低減で救われる命の方が多いのではないかという皮肉な見方もある。2019年に世界は地球温暖化で大騒ぎしたが、今回のパンデミックのおかげで、二酸化炭素の排出量は大幅に減ると予想されている。中国だけでも、25%減少したという試算がある(2020年2月中旬での評価)。
パンデミックが終われば、元に戻るという悲観的な見方もあるが、もしもテレワークが定着すれば、人類社会の環境負荷は以前よりも小さくなるだろう。情報を人間ごと動かすよりも、ネットを通じて電子的に情報だけを動かす方が、経済的コストがかからないだけでなく、環境負荷も小さくて済むからだ。テレワークを定着させることができるなら、「禍を転じて福と為す」ことができるということである。
日本では、残念ながら、そうした動きはまだあまり出ていない。グーグルが、スマートフォンの位置情報データを使って計測したモビリティ変化の報告書によると、職場へ来る動きは、2020年3月29日現在、米国では普段より38%減っているのに対し、日本は9%減るにとどまっている。3月末時点での感染の深刻さが日米で違うことも考慮しなければならないが、日本でテレワークが進まないのには、日本独特の原因もある。ハンコ文化である。テレワーク中にもかかわらず、契約書に印鑑を押すというたったそれだけのために出社するというケースもあるようだ。
オンライン上で電子契約を行うサービスもあるが、トラブルが起きた際に電子契約の内容が本当に有効なものとして扱われるかどうかを疑問視する人が多く、なかなか普及しない。改竄を心配するなら、いつ、誰が作り、誰に宛てて交付したものかをクラウド上で分散型台帳技術を用いて記録すればよいのだが、契約の当事者が新しい技術を信用しないなら、書類に印鑑を押すという古いスタイルの契約慣行が続くことになる。
テレワークだけでなく、キャッシュレス決済も感染予防のために進めなければいけない。こちらも日本は遅れているが、一般の民間企業には市場原理が働くから、まだ期待が持てる。問題は医療や教育といった行政が深く介入している規制産業の分野だ。日本の医療は対面診療が原則だが、患者が直接病院や診療所に行ったことで院内感染に巻き込まれる事例が報告されている。そこで、厚生労働省は、感染が終息するまでの時限的な措置として、初診からオンライン診療を認める方針を打ち出した。これに対して、日本医師会の横倉義武会長は、「オンラインでの初診は視覚と聴覚だけで不安だ[…]もし誤診などが出たりしたときに誰が責任を取るのか。当然、規制緩和を推進した人に取ってもらうことになるだろう」といういつもの恫喝セリフで規制緩和を牽制している。
誤診なら、従来の診断でも日常茶飯事のように起きているが、それで医者が責任を取ったという話は聞かない。従来型の診断をテレビ電話でするだけなら、オンライン診療で誤診が増えるだろうが、医療における現在のデジタル・トランスフォーメーション(DX)はもっと先を行っている。すなわち、IoTやウェアラブル端末を通して集められる患者のバイタルデータや関連ビッグデータを解析し、人工知能が高い精度で発症リスクを予測したり、疾患を診断したり、治療法の選択をアドバイスしたりできるようになっている。
こうした人を介さない医療サービスは、たんに感染リスクを低下させるだけでなく、24時間アクセス可能であることから、アクセスを制限していた従来の医療サービスと比べ、早期発見、早期治療が可能になる。これを認めないことで起きるであろう症状の悪化に対して、日本医師会や厚生労働省は責任を取らなくてよいのだろうか。もちろん、実現にはプライバシーなどの問題もあるが、プライバシーよりも健康の方を重視する人も多いであろうから、そうした人たちのために選択的に導入することは可能であろう。残念ながら、今のところ、規制緩和が時限的な措置であることからもわかるとおり、厚労省は、オンライン診療を本格化させるつもりはないようだ。
ピンチをチャンスに変え、DXを進めなければならないもう一つの規制産業は、教育である。安倍総理は、2020年2月27日に、全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校に対して、3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請した。総理が、4月7日に一部の地域に対して緊急事態宣言を発令したことから、5月6日まで休校期間が延長される地域もある。休校措置によって、子供たちから学習の機会が奪われるという問題と保護者が仕事を休んで子供の面倒を見なければならないという二つの問題が起きた。
休校措置は海外でも取られているが、ネット先進国では、学校を閉鎖しても、授業はオンラインで続けるというところが多い。日本は、遠隔授業の取り組みが遅れていたので、大半の学校は今回の事態に対処できていない。もしもネットを通じて教師あるいは人工知能が生徒の学習を監視することができるなら、休校措置に伴って発生する二つの問題の解決につながったであろう。文科省は、オンライン授業を標準授業時数に認める措置を検討しているようだが、学校の当事者には、ピンチをチャンスに変え、遠隔授業を本格化させようとする意欲はあまりないようだ。あくまでも一時的なピンチだから、すぐにまた元に戻ることができると考えているのだろう。
だが、今回のピンチを一過性の災害とみなすことはできない。登校が難しくなる事態が今後も頻発することが予想されるからだ。2018年夏の猛暑の時は、学校で熱中症が起きることが問題になった。それで教室にエアコンが設置されるようになったが、通学途中で熱中症になるリスクがあるのだから、対策として不十分である。猛暑の時、冷房の効いた自宅に留まって、遠隔授業を受けるのが最も安全な方法である。冷房がない貧困世帯には、個別に助成を行えばよい。高額な学校用エアコンを設置するよりも安くつく。
遠隔授業を行うためには、各生徒にタブレット端末を配布しなければならないので、高くつくと思う人もいるかもしれない。各生徒に一台のセルラー・タブレットを配布した渋谷区モデルでは、1人あたり27万8000円というコストの高さが話題なった。しかし、遠隔授業をするために、タブレット端末を配布する必要はない。ほとんどの家庭にはネット接続可能な端末が既にあるのだから、それをそのまま活用すればよい。現在のネットサービスはクラウド化されているので、端末の種類の違いは重要ではない。端末がない貧困家庭には、個別に助成を行えばよい。システムも、オープンソースのソフトウェアを使えば、費用を圧縮できる。もっとも、公教育は公共事業なので、費用がかかるほど儲かる人の意見が通りやすい。結局のところ、デジタル・トランスフォーメーションによって、劇的に教育のコスト・パフォーマンスを高めるために最もよい方法は、公教育の廃止であるが、既得権益を失う人が多いので、政治的には難しい。
日本は、ネットの利用に関しては、世界的に見て遅れている。『DIGITAL 2019』によると、2019年における1日のインターネット利用時間の世界平均が6時間42分であるのに対して、日本はそれが3時間45分しかない。モバイルに限定すると、世界平均が3時間14分であるのに対して、日本は1時間25分しかない。ネット普及率と回線速度は世界の平均を超えているのに、あまり積極的に活用されていないことがわかる。ネットインフラは立派だけれども、宝の持ち腐れになっているということだ。
日本経済の成長が30年以上にわたって停滞している理由の一つとして、情報革命の遅れを挙げることができる。今回のパンデミックを契機にデジタル・トランスフォーメーションを進める国と、パンデミック以前に戻ることしか考えていない守旧派の国とでは今後大きな差が付くだろう。そして、日本は、今のところ後者になりそうな見込みだ。ウイルスによって惹き起こされる人類社会の進化から取り残されると、日本は途上国になってしまうだろう。但し、途上国といっても、発展途上国という意味ではなくて、没落途上国という意味でだ。
5. 参照情報
- ↑“901 young were produced by five generations of artificially mutilated parents, and yet there was not a single example of a rudimentary tail or of any other abnormality in this organ.” Weismann, August. “On the Supposed Transmission of Mutilations” in Essays Upon Heredity and Kindred Biological Problems. p.432.
- ↑De Vries, Hugo. Die Mutationstheorie. Versuche und Beobachtungen über die Entstehung von Arten im Pflanzenreich. (1904): 789-793.
- ↑Muller, H. J. “Artificial Transmutation of the Gene.” Science 66, no. 1699 (July 22, 1927): 84–87. doi:10.1126/science.66.1699.84.
- ↑Blakeslee, Albert F., and Amos G. Avery. “Methods of inducing doubling of chromosomes in plants by treatment with colchicine." Journal of Heredity 28.12 (1937): 393-411.
- ↑McClintock, Barbara. “The stability of broken ends of chromosomes in Zea mays." Genetics 26.2 (1941): 234-282.
- ↑Temin, Howard M., and Satoshi Mizutani. “Viral RNA-dependent DNA Polymerase: RNA-dependent DNA Polymerase in Virions of Rous Sarcoma Virus.” Nature 226, no. 5252 (27 June 1970): 1211–3. doi:10.1038/2261211a0. PMID 4316301.
- ↑“Two independent groups of investigators have found evidence of an enzyme in virions of RNA tumour viruses which synthesizes DNA from an RNA template. This discovery, if upheld, will have important implications not only for carcinogenesis by RNA viruses but also for the general understanding of genetic transcription: apparently the classical process of information transfer from DNA to RNA can be inverted.” Baltimore, David. “Viral RNA-dependent DNA Polymerase: RNA-dependent DNA Polymerase in Virions of RNA Tumour Viruses." Nature. 226, no. 5252 (27 June 1970): 1209–11. doi:10.1038/2261209a0. PMID 4316300.
- ↑“A retrovirus has a membrane that contains glycoproteins, which are able to bind to a receptor protein on a host cell. Within the cell there are two strands of RNA that have three enzymes, protease, reverse transcriptase, and integrase (1). The first step of replication is the binding of the glycoprotein to the receptor protein (2). Once these have been bound the cell membrane degrades and becomes part of the host cell, and the RNA strands and enzymes go into the cell (3). Within the cell, reverse transcriptase creates a complementary strand of DNA from the retrovirus RNA and the RNA is degraded, this strand of DNA is known as cDNA (4). The cDNA is then replicated, and the two strands form a weak bond and go into the nucleus (5). Once in the nucleus, the DNA is integrated into the host cells DNA with the help of integrase (6). This cell can either stay dormant, or RNA may be synthesized from the DNA and used to create the proteins for a new retrovirus (7). Ribosome units are used to transcribe the mRNA of the virus into the amino acid sequences which can be made into proteins in the Rough Endoplasmic Reticulum. This step will also make viral enzymes and capsid proteins (8). Viral RNA will be made in the nucleus. These pieces are then gathered together and are pinched off of the cell membrane as a new retrovirus (9).” Mrdavis21. “Life Cycle of a Retrovirus.” Licensed under CC-BY-SA.
- ↑“Endogenous retroviruses (ERVs) represent the proviral phase of exogenous retroviruses that have integrated into the germ line of their host. They typically consist of an internal region with three genes (gag, pol, and env) plus two flanking, noncoding LTRs, which are identical at the time of integration. Human ERVs (HERVs) comprise ≈5–8% of the human genome, with 98,000 elements and fragments…” Belshaw, Robert, Vini Pereira, Aris Katzourakis, Gillian Talbot, Jan Pačes, Austin Burt, and Michael Tristem. “Long-term reinfection of the human genome by endogenous retroviruses." Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 101, no. 14 (2004): 4894-4899.
- ↑“A gene mutation is a permanent alteration in the DNA sequence that makes up a gene.” “What is a gene mutation and how do mutations occur? – Genetics Home Reference.” U.S. National Library of Medicine.
- ↑Anderson, Norman G. “Evolutionary Significance of Virus Infection.” Nature 227, no. 5265 (September 26, 1970): 1346–47. doi:10.1038/2271346a0.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』. 講談社 (2008/4/22). p.241.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『ヒトはなぜ人になったか―ダーウィン理論を超えたウイルス進化論』. 経済界 (1987/07). p.102-103.『ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて 』. 早川書房 (1996/7/31). p.131-132. 『生命進化の鍵はウイルスが握っていた―ここまで見えてきた進化の謎』. 河出書房新社 (1997/02). p.62. にも同じようなダーウィン批判がある。
- ↑中原英臣, 佐川峻.『ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて 』. 早川書房 (1996/7/31). p.23.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて 』. 早川書房 (1996/7/31). p.97.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『生命進化の鍵はウイルスが握っていた―ここまで見えてきた進化の謎』. 河出書房新社 (1997/02). p.65.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』. 講談社 (2008/4/22). p.160.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』. 講談社 (2008/4/22). p.158.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』. 講談社 (2008/4/22). p.174.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『ヒトはなぜ人になったか―ダーウィン理論を超えたウイルス進化論』. 経済界 (1987/07). p.99-100.
- ↑Ohta, Tomoko. “The Nearly Neutral Theory of Molecular Evolution." Annual Review of Ecology and Systematics 23.1 (1992): 263-286.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて 』. 早川書房 (1996/7/31). p.157.
- ↑Wall, Jeffrey D., Kirk E. Lohmueller, and Vincent Plagnol. “Detecting ancient admixture and estimating demographic parameters in multiple human populations." Molecular biology and evolution 26, no. 8 (2009): 1823-1827.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『生命進化の鍵はウイルスが握っていた―ここまで見えてきた進化の謎』. 河出書房新社 (1997/02). p.21.
- ↑Raul654. “An Okapi taken at Disney’s Animal Kingdom on January 16, 2005.” Licensed under CC-BY-SA.
- ↑“We find that cervical elongation is anisometric and unexpectedly precedes Giraffidae. Within the family, cranial vertebral elongation is the first lengthening stage observed followed by caudal vertebral elongation, which accounts for the extremely long neck of the giraffe.” Danowitz, Melinda, Aleksandr Vasilyev, Victoria Kortlandt, and Nikos Solounias. “Fossil evidence and stages of elongation of the Giraffa camelopardalis neck.” Open Science 2, no. 10 (October 1, 2015): 150393. doi:10.1098/rsos.150393.
- ↑Danowitz, Melinda, Aleksandr Vasilyev, Victoria Kortlandt, and Nikos Solounias. “Fossil evidence and stages of elongation of the Giraffa camelopardalis neck.” Open Science 2, no. 10 (October 1, 2015): 150393. doi:10.1098/rsos.150393. Figure 5. Cladogram with geological age and dorsal view of C3 vertebrae of taxa evaluated.
- ↑中原英臣, 佐川峻.『新・進化論が変わる―ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』. 講談社 (2008/4/22). p.216-217.
- ↑“Many mammalian viruses have acquired genes from their hosts during their evolution. The rationale for these acquisitions is usually quite clear: the captured genes are subverted to provide a selective advantage to the virus. Here we describe the opposite situation, where a viral gene has been sequestered to serve an important function in the physiology of a mammalian host. This gene, encoding a protein that we have called syncytin, is the envelope gene of a recently identified human endogenous defective retrovirus, HERV-W. We find that the major sites of syncytin expression are placental syncytiotrophoblasts, multinucleated cells that originate from fetal trophoblasts. We show that expression of recombinant syncytin in a wide variety of cell types induces the formation of giant syncytia, and that fusion of a human trophoblastic cell line expressing endogenous syncytin can be inhibited by an anti-syncytin antiserum. Our data indicate that syncytin may mediate placental cytotrophoblast fusion in vivo, and thus may be important in human placental morphogenesis.” Mi, Sha, et al. “Syncytin is a captive retroviral envelope protein involved in human placental morphogenesis." Nature 403.6771 (2000): 785-789.
- ↑BruceBlaus. “Placenta.” Licensed under CC-BY-SA. Blausen Medical. 日本語の書き込みは私による。
- ↑“By generating knockout mice, we show here that homozygous syncytin-A null mouse embryos die in utero between 11.5 and 13.5 days of gestation. Refined cellular and subcellular analyses of the syncytin-A-deficient placentae disclose specific disruption of the architecture of the syncytiotrophoblast-containing labyrinth, with the trophoblast cells failing to fuse into an interhemal syncytial layer. Lack of syncytin-A-mediated trophoblast cell fusion is associated with cell overexpansion at the expense of fetal blood vessel spaces and with apoptosis, adding to the observed maternofetal interface structural defects to provoke decreased vascularization, inhibition of placental transport, and fetal growth retardation, ultimately resulting in death of the embryo. These results demonstrate that syncytin-A is essential for trophoblast cell differentiation and syncytiotrophoblast morphogenesis during placenta development, and they provide evidence that genes captured from ancestral retroviruses have been pivotal in the acquisition of new, important functions in mammalian evolution.” Dupressoir, Anne, et al. “Syncytin-A knockout mice demonstrate the critical role in placentation of a fusogenic, endogenous retrovirus-derived, envelope gene." Proceedings of the National Academy of Sciences 106.29 (2009): 12127-12132.
- ↑Imakawa, Kazuhiko, So Nakagawa, and Takayuki Miyazawa. “Baton pass hypothesis: successive incorporation of unconserved endogenous retroviral genes for placentation during mammalian evolution.” Genes to Cells 20, no. 10 (October 1, 2015): 771–88. doi:10.1111/gtc.12278.
- ↑Wikipedia. “ウイルス進化説.” 平成28年10月24日 (月) 20:49. 古いバージョン(平成21年6月5日)では、たんに「進化は伝染病である」という主張を紹介するだけだった。「自然淘汰による進化を否定し」の部分は、たんにウイルス進化説をニセ科学扱いするために付け加えたのではないか。ウイルス進化説は、読んで字の如く、ウイルスが進化をもたらすという説であり、それ以外の非本質的な主張を定義に含めるべきではない。
- ↑Wikipedia. “ウイルス進化説.” 平成28年10月24日 (月) 20:49.「自然選択説への誤った批判。現在までの観察、研究例の無視。非理論的な考察」は、中原英臣、佐川峻、富塚孝.「ウイルス進化論に対する反論にこたえる」に対する、同誌編集部による付記(Networks in Evolutionary Biology 第5号. 1987年. 52-53頁)より引用。「特に初学者向けの解説書などで、有力な学説であるかのように振る舞う姿勢はニセ科学に通じるとも批判される」には、[要出典]のタグがつけられているが、引用文からは削除した。
- ↑カール・ジンマー, ダグラス・エムレン. trans. 更科 功, 石川 牧子, 国友 良樹.『カラー図解 進化の教科書 第1巻 進化の歴史』. 講談社 (2016/11/16). ブルーバックス. p.144.
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは
いつも愛読させて頂き有難うございます。
最後にある「生物種の系統樹」の図で、左右の図を入れ替えると、文章の意図と合致します。
永井先生のご活動を今後とも楽しみにしております。
御指摘ありがとうございます。図の入れ替えは難しいので、文章の方を訂正しておきました。
中原らが提唱した『ウイルス進化論』と、中原らが『ウイルス進化論』を提唱する前から存在していた「ウイルスによる遺伝子の水平伝播が進化に影響するという考え」を混同してウイルス進化論を拡大解釈するべきではない、で終わる話では
ある学説が、謬見と一緒になっているからといって、味噌も糞も一緒に捨ててはいけないということです。
「ウイルスによる遺伝子の水平伝播が進化に影響するという考え」は捨てられてませんよ
かつてはその考えまでを捨てる人が多かったから、本稿を書く意義はあるでしょう。2003年に私が「生命はいかにして進化するのか」を書いた当時、エスタブリッシュメント寄りの人たちは「ウイルス感染で進化が起きるなどというのはトンデモ説」と言って全く相手にしていませんでした。今でもネット上には、そういう古い記事が残っています。脚注に既に書いたことですが、ウィキペディアのように、自然淘汰説を否定しているから疑似科学だというように批判の矛先を変えたところもあります。私のウイルス進化説に対する考えは2003年当時と基本的には変わっておらず、私なりにウイルス進化説を批判的に取り入れた2003年の記事をアップデートするつもりで本稿を書きました。
永井さんは今回の新型コロナウィルス(海外とは事情が異なるため日本限定とさせてください)について、日本政府の動きは適切とお考えでしょうか。
インフルエンザや自動車事故など、他人を巻き込むこともありえて、新型コロナより感染者数や死亡者数の多い事象はいくつかあると思います。
ピンチをチャンスにして、テレワークや遠隔医療/教育、オンライン選挙等がこれまで以上に普及/推進されれば良いなとは思いますが、過度な自粛ムードで経済が悪化してしまっては元も子もないかと思います。
新型コロナウイルス感染症に対する日本政府の対応で問題と感じることは、検査数を厳しく制限していることです。大規模な検査を行うと患者が急増して、病院のキャパシティを超えてしまうというのが、その理由ですが、「検査は医療崩壊を招く」という主張は、「言論の自由は体制崩壊を招く」という中国共産党の主張と同じで、問題の所在を間違えています。悪いのは、言論の自由ではなくて、言論の自由を認めたぐらいで崩壊する体制の方です。同様に、悪いのは、検査ではなくて、検査したぐらいで崩壊する医療の方です。
比喩として引き合いに出した中国の対処方法が正しかったかどうかを考えましょう。野口悠紀雄のように、中国の強権的な国家体制を評価する人もいます。たしかに、中国は、人権無視の都市封鎖により、感染爆発を阻止することに成功しました。しかし、新型コロナウイルスの流行を最初に内部告発した医師たちをデマを流したとして武漢市公安局に処罰させるなど、中国は当初隠蔽工作を行い、初期対応に失敗しました。SARSの時ほどではないにしても、言論弾圧、隠蔽工作、プロパガンダが感染症対策の妨げになったことを考えるなら、中国の強権的国家体制を評価することはできません。
安倍政権にも、都合が悪いことは隠蔽してなかったことにしようとする傾向があり、その点では中国共産党と似ているところがあります。安倍政権の擁護者たちは、検査範囲を拡大すると、イタリアのような医療崩壊が起きると言いますが、人口当たりの病床数が日本の三分の一であるイタリアと日本を同列で論じることはできません。日本にとって参考になるのは、人口当たりの病床数や医師数がほぼ同じである韓国です。よく知られているように、韓国は、ドライブスルーなどの手法を導入して、徹底的に検査をしましたが、医療崩壊を惹き起こすことなく、今のところ(2020年4月現在)感染拡大の抑制に成功しています。
韓国でも、感染爆発が始まった当初、軽症者が病床を占領し、重症者に対応できなくなるという医療崩壊が起きそうになりましたが、トリアージによりこれを回避しました。現在、ホテルなどの宿泊施設にほとんど客がいない状態なので、これらを軽症もしくは無症状の感染者の隔離施設として活用することは、医療崩壊を起こさない感染症拡大防止法として有効であるだけでなく、打撃を受けた産業への支援策にもなります。つまり、一石二鳥の策ということです。
積極的検査の反対派は、軽症もしくは無症状の感染者は自宅で療養せよと言いますが、検査しなければ、何の病気か(あるいはそもそも病気なのかさえ)わからないのですから、そうした呼びかけの感染拡大防止効果は極めて限定的にならざるを得ません。自宅に留まれば、留まるほど同居家族が感染するリスクが増大します。独身者の場合、生活のため買い物に出かけたりするでしょうから、近隣住民に感染を広げることになります。
積極的検査の反対派は、現行の検査は精度が高くないから、検査しても無駄だと言います。一回のPCR検査の偽陰性率は、0.3と低くはありませんが、検体の採取部位を変えたり、採取時間を変えたりして、複数回検査すれば、偽陰性率は低下します。理論的には、二回検査すれば、偽陰性率は、0.09に低下するはずです。なお、検査時間を1時間程度に短縮する新しい検出キットを4月20日に島津製作所が発売するとのことで、日本での大規模検査が技術的にも容易になりそうです。
積極的検査の反対派は、治療方法が確立されていない以上、検査しても無意味だと言います。しかし、病気の原因が判明しなければ、間違った治療方法を続けることになります。新型コロナウイルス感染症が陽性であることが判明すれば、少なくとも隔離するという対策をとることができるし、行動履歴から、感染するかもしれない場所を特定することもできます。
韓国は、大量の検査を行っただけでなく、判明した感染者の行動履歴を匿名で公開しました。この情報公開の結果、感染者が立ち寄った店が閉店に追い込まれるなどの経済的損失が発生しました。しかし、逆に安全な店も可視化されるのですから、すべてを閉店させるよりも経済的損失は小さくなります。韓国は、この方法により、都市封鎖を行うことなく、感染拡大の抑制に成功しました。
武藤正敏は、独裁国家を目指す文在寅大統領による強権的な監視社会化、管理社会化を危惧していますが、独裁者が非対称的に個人情報を収集し、その非対称性に基づいて国民を支配する方法とは異なり、国民が公開された匿名情報に基づいて行動し、それによって問題を解決する方法は、民主主義と両立するのだから、中国型の監視手法と同一視することはできません。
新型コロナウイルス感染症の承認された治療薬はまだ存在しませんが、いくつか有望な候補が治験中です。アビガン(一般名:ファビピラビル)は、そのうちの一つです。妊婦禁忌ですが、患者の多くが高齢者なので、大きな制約にはなりそうにありません。アビガンは、ウイルスのRNAポリメラーゼを選択的に阻害することでウイルスの増殖を防ぐ薬であるため、ウイルスが増殖する前に投与した方が効果的です。今みたいに、重症化するまで検査しないということをしているなら、アビガンを投与する機会がなくなります。
私は、韓国も文在寅も基本的に評価していませんが、感染爆発に対する今回の対処方法に関しては、評価できるところがあると思います。日本は、韓国よりも新型コロナウイルス感染症による死者が少ないのだから、韓国から学ぶべきことは皆無だという人もいるでしょうが、感染爆発が始まった時点にずれがあるのだから、そうした比較にはあまり意味がありません。日本では感染爆発が遅れて始まったということは、先行者から教訓を得る有利な立場にあるということです。おそらく、検査を制限するよりも、検査を拡大し、情報公開を行い、トリアージによる隔離を徹底した方が、医療崩壊を防ぎ、早期に感染拡大を抑制することができると思います。
人が動かなければ金も動かないと考えることは正しくありません。たとえ、人々が外出を自粛しても、需要がなくなるわけではないので、リアル店舗での買い物が減っても、ネット通販が増えるとか、屋外での娯楽が減っても、ネット上での娯楽サービスの顧客は増えるというように、形を変えて経済は活動を続けるものです。追記でも書いたとおり、古い産業の温存に力を入れるよりも、デジタル・トランスフォーメーションを前に進める方が生産的です。少なくとも一時的には全体の経済はシュリンクするでしょうが、それも生みの苦しみと受け取るべきでしょう。
永井さんは今回の新型コロナをインフルエンザより危険なものと認識しているということでしょうか?日本における新型コロナの現在の感染者数や死者数は、通年のインフルエンザ感染者数や死者数よりだいぶ低いですよね?
新型コロナの感染者数の実態は、検査が十分に実施されていないことを考慮すると過小な数値かもしれませんが、少なくとも死者数はインフルエンザの数百分の一のはずです。
インフルエンザでは緊急事態宣言も外出自粛もせずとも、医療崩壊は起きていないですよね。日本にとって長期的に見れば、痛みを伴いつつもDXを進めざるを得ない状況になることは永井さんと同様良いことだと思いますが、今回のコロナ程度で経済活動を萎縮させるような政策・マスコミの過度な報道は、長期的なメリットを上回る短期的な悪影響を及ぼさないのでしょうか。
たしかに、日本では、この八年間、季節性インフルエンザ感染症により毎年1000人以上が亡くなっているのに対して、新型コロナウイルス感染症による死者は4月22日現在、283人しかいないので、それほど騒ぐことはないという見方もあるでしょう。しかし、死者数がたいしたことがないのに騒いでいるというより、むしろ騒いで対策を行った結果、死者数がたいしたことがない水準に留まっているという見方もできます。
さらに、日本に関して言えば、まだたいしたことがなかったと結論を出す段階ではないことも付け加えなければなりません。日本で最初の感染が確認されてから三ヶ月しかたっていません。4月になってから新規の感染者数が増えているので、まだ収束したとは言えない状態です。おそらく一年以上が経過しないと、この感染症の深刻さはわからないでしょう。
米国では、季節性インフルエンザ感染症により毎年1万人から6万人ぐらいの人が亡くなっているのに対して、新型コロナウイルス感染症による死者は、4万人を超えており、後者の期間の短さを考えるなら、通常のインフルエンザの脅威を既に超えていると言うことができます。
世界的に見て、今回のパンデミックが最終的にどれほどの人命を奪うかは、現時点では予測できませんが、今後の見通しを立てる上で、百年前、すなわち、1918年から20年にかけて流行したスペイン風邪が参考になります。死者は二千万人以上(最大で一億人)です。この数は同時代に行われた第一次世界大戦の死者数を超えているので、このパンデミックがたいしたことはなかったと言う人はさすがにいないでしょう。
現在は、当時よりも医療が進んでいるし、衛生環境もよくなっているので、スペイン風邪の時ほどの犠牲者は出ないと思いますが、治療薬もワクチンもないうちに世界に広まったという点では同じなので、参考になります。治療薬もワクチンもないということは、感染症の拡大を防ぐには、感染者の隔離、一般市民の外出規制、都市封鎖といった非薬学的介入(NPI=Non-Pharmaceutical Interventions)しか対策が打てないということです。
NPIは経済にダメージを与えるという理由で躊躇する政治家が多いのですが、スペイン風邪に対する米国の各自治体の対応とその結果を検証したレポート(Correia, Sergio, Stephan Luck, and Emil Verner. “Pandemics Depress the Economy, Public Health Interventions Do Not: Evidence from the 1918 Flu,” March 30, 2020)によると、早い段階で大胆なNPIに踏み切った自治体ほど、死者数が少なかっただけでなく、経済的ダメージも少なくて済み、反対に経済への悪影響を恐れて、NPIに消極的であった自治体ほど死者が増えただけでなく、経済的ダメージも大きくなったとのことです。
要するに、健康と経済はトレード・オフの関係にはないということです。健康と経済へのダメージを両方とも軽減することができるとするならば、それが最善の方法であることは言うまでもありません。
スペイン風邪は、一度収束した後再度流行したという点でも、今の私たちに教訓を残しています。トランプ大統領は、まだ米国での感染症が完全に収束していないのにもかかわらず、経済活動の再開を急ごうとしています。スペイン風邪の時も、十分に収束していない時点で経済活動の再開を急いだところ、再流行が始まり、NPIの再実施を余儀なくされた自治体がありました。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言われます。自分の失敗から教訓を得るよりも、他人の失敗から教訓を得る方が、授業料は安くなるということです。高い授業料を払わないようにするためにも、スペイン風邪から教訓を得なければなりません。
それでは本記事に対する見解はいかがでしょうか。
コロナの陰性陽性判定は、検査を実施して2週間後に結果が出るそうです。確かに本日(4/22)時点のグラフを確認しても、新規の感染者や患者数は4/12に、死亡者や重症者数はタイムラグが生じて4/15にピークアウトしているように見えます。緊急事態宣言が出る前の3月下旬は、若干騒いではいたものの人との接触を大幅削減するほどの騒ぎに至っていたとは思えません。
直近数週間だけではピークアウトしたかを確定できないという意見もあるかと思いますが、明らかに諸外国と比較して日本の感染者数や死亡者数は増加率が低い点も疑問です。
スペイン風邪のように感染拡大と致死率が高い状況の場合にはNPIが有効だったのかもしれませんが、私の疑問はそもそもNPIを実施する状況に日本はあったのか、あると言えるだけの十分な根拠があったのか、という点について永井さんの意見含めて納得できません。
日本でなくとも、諸外国で見ても無症状でカウントされていない感染者を含めれば致死率はインフルエンザ程度という考察もあります。わざわざ経済を悪化させてまで(自殺者が増加する可能性もあります)自粛するほどの状況に日本は無いと思うのですが。
矛盾した主張のように思えます。スペイン風邪はインフルエンザです。
失礼いたしました。スペイン風邪とインフルエンザは一緒なので、衛生環境の違いなのかもしれません。
しかし逆に、何故スペイン風邪と同等のインフルエンザは、毎年積極的なNPIを実施しなくとも社会的な混乱が発生していないのでしょうか。
ワクチンが無い状況における新型コロナの致死率がインフルエンザ相当ならば、新型コロナ対策におけるNPIは不要と永井さんもお考えということでしょうか。
また前コメントのリンク記事に対する見解を教えてください。
それに対する答えは既に4月22日のコメントに書いてあります。スペイン風邪と今回のパンデミックの共通点は、治療薬もワクチンもないことです。現在、インフルエンザに対しては治療薬もワクチンもあるので、薬学的介入で対処できます。新型コロナウイルス感染症には、かつてのスペイン風邪と同様、治療薬もワクチンもないので、感染拡大を封じ込めるには、非薬学的介入(NPI)を行うしか方法がないのです。
新型コロナウイルス感染症の死亡率は約2%と推計されていましたが、未検出の感染者をカウントした結果、0.66%にまで低下しました。それでも、インフルエンザの死亡率である0.1%に比べると高い。治療薬とワクチンがあるかないかでこれだけの差がつくわけです。
リンク先で書かれていることは、仮説の域を出ていないので、それに基づいて公共政策を変更することはできません。日本で感染者が少ない理由として、身体的接触が少ないとか土足で家の中に入らないとか清潔を重んじる民族であるとかいった文化的要因もよく挙げられますが、これとて絶対的な予防要因ではないし、NPIを否定する理由にもなりません。
図1. レトロウイルスによる遺伝子の水平伝播。
1. レトロウイルスには、プロテアーゼ(水色)、逆転写酵素(赤色)、インテグラーゼ(紺色)の3つの酵素を持つRNA鎖がある。
2. 宿主細胞の受容体に吸着し、
3. RNA鎖と酵素が宿主細胞に入る。
4. 細胞内で、レトロウイルスRNAから逆転写酵素によりcDNAを逆転写し、
5. cDNA は二本鎖DNAを形成し、核に入り、
6. インテグラーゼによって宿主細胞DNAに組み込まれる。
7. RNAがDNAをコピーして、転写によりmRNAを生産し、
8. mRNAがリボソームでタンパク質を合成し、プロテアーゼが切断する。
9. これらの断片は集められ、新しいレトロウイルスとして細胞膜から発芽する。
以下↓に訂正した方が理解しやすいと思います。
図1. レトロウイルスによる遺伝子の伝播。
【A細胞】
1. RNAがDNAをコピーして、転写によりmRNAを生産しする。
2. mRNAがリボソームでタンパク質を合成し、プロテアーゼが切断する。
3. これらの断片は集められ、レトロウイルスとしてA細胞膜から発芽する。
A細胞からB細胞へ伝播する
【B細胞】
4. B細胞の受容体に吸着する。
5. RNA鎖と酵素がB細胞に入る。
6. B細胞内で、レトロウイルスRNAから逆転写酵素によりcDNAを逆転写する。
7. cDNA は二本鎖DNAを形成し、核に入る。
8. インテグラーゼによってB細胞DNAに組み込まれる。
遺伝子の伝播の完了。
つまり、「レトロウイルス」とは細胞が作り出す「情報伝達物質」である。
この図は、脚注に書いたように、“Life Cycle of a Retrovirus”がベースになっています。ご提案の説明の方がわかりやすいとは思いますが、原図には、二つの細胞が描かれているのではないので、解説もそのまま引き継がざるを得ません。ただ、すべてをキャプションに押し込めると、見にくくなるので、1~9の説明は、キャプションから外に出すことにしました。
当初より海外ではなく日本においての緊急事態宣言の効果を議論しているつもりなので、海外の死亡率はフェアではありません。
日本においてはこちらの記事の通りインフルエンザより死亡率は低いことになります。
仮説の域を出ていなかったとしても、事実として海外よりも一定人口当たりの感染者数・死亡者数が圧倒的に少ないのであれば、そこに何かしらの因果関係を追求するのが科学であり、むしろ事実を無視して公共政策を変えないことが正しいとは思えません。
また、こちらの記事の通り、感染のピークは3月下旬で、緊急事態宣言後の感染者数の減少率は変わっていません。
それでも日本においてNPIが必要でしょうか。
gakuki さんが根拠としている日刊ゲンダイの記事を引用しましょう。ヤフーはすぐにリンク切れとなるので、本家本元から引用することにします。
この抗体検査の結果(5.9%)がどの程度信用できるかという問題があります。統計的推測の前提である標本の無作為抽出が行われているのか、検査キットの精度が十分なのかといった問題です。
日赤が献血者から同意を得て、東京都で500人分、東北地方で500人分の検体を採取して行った抗体検査の結果によると、陽性率は東京都で0.6%、東北地方で0.4%だったと厚生労働省の5月15日に発表しています[厚生労働省:AMED研究班が、日本赤十字社の協力を得てとりまとめた「抗体検査キットの性能評価」について]。偽陽性を取り除くと、陽性率はさらに小さく(東京都で0.2%程度)なります。日刊ゲンダイの記事の数字よりも桁違いに小さいということです。
日本で承認された抗体検査はまだなく、引用した数字も、キットの性能評価の結果、副産物として得られたもので、完全に信用できるものではありません。信用できる統計データがない以上、死亡率も正確に計算することはできません。
日刊ゲンダイの記事も、BCG仮説や集団免疫仮説を挙げていますが、私は、2020年4月24日のコメントで、これらは仮説にすぎないという慎重な姿勢を示しました。現時点では、これらの仮説に対してはさらに懐疑的になっています。
まず、BCG仮説について:以下引用したように、イスラエルの研究グループが、BCGワクチンに予防効果がないというリサーチ結果を発表しています。
次に、集団免疫仮説について:新型コロナウイルスに対して集団免疫を獲得するには、人口の七~八割が感染する必要があります。さきほど、抗体検査の結果がまちまちだという話をしましたが、どの数字をとっても、集団免疫を獲得したというには、抗体陽性率が低すぎます。また、新型コロナウイルスは、再陽性のケースが多数報告されており、抗体を持つことが感染防止になるかどうかに関しては、まだ断言できる段階にはありません。
なお、私は、日本でなぜ感染者数が少ないのかに関して、「因果関係を追求する」必要はないとは言っていません。2020年4月24日のコメントでも、「身体的接触が少ないとか土足で家の中に入らないとか清潔を重んじる民族であるとかいった文化的要因」を挙げておきました。これに加えて、国民が自発的に行っているNPIを挙げることもできると思います。
日本は、4月7日の緊急事態宣言後に初めてNPIを実行したのではありません。政府は、全国の小中高校に3月2日から臨時休校するように要請しました。また、東京都の小池知事は、3月25日に都民に対して外出自粛を要請しました。日本という社会は、トップダウン型社会ではなくて、ボトムアップ型社会です。政府が命令しなくても、国民が自発的に行動を起こす国です。緊急事態宣言を出したと言っても、政府が罰則付きの命令を出すということはありません。あくまでも要請にすぎません。要請を無視して営業を続けたパチンコ店もありましたが、大部分の日本国民は、緊急事態宣言が出る前から、自発的に自分たちに対してNPIを行ってきました。それが功を奏したということができます。
私は、4月22日に「死者数がたいしたことがないのに騒いでいるというより、むしろ騒いで対策を行った結果、死者数がたいしたことがない水準に留まっている」と書きましたが、今でもそうだと思っています。但し、その対策は、政府が行う対策に限定されず、国民が自発的に行っている対策をも含みます。
P.S.(2020年6月24日)「未知のウイルス感染症にどう対応するべきか」で、日本政府のコロナ対策の問題点をまとめたので、参照してください。
「新しい生活様式」についてはどうお考えでしょうか。私には感染しないことに重きを置きすぎており、違和感しか感じません。国は個人の自由を恐怖で制限しようとしているのでしょうか。
厚労省は、「日常生活の中で取り入れていただきたい実践例」として挙げているだけで、強制力はありません。多くは季節性インフルエンザ予防にもなる対策なので、冬にこうしたことを心がけることは悪いことではないと思います。