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ルソーのノスタルジーは正しいのか

1999年12月4日

ルソーやマルクス主義者は、文明成立以前の発展段階に戦争も階級もないユートピアをノスタルジックに想定した。今でも人類学者や考古学者の多くは、未開社会や原始社会は、本来平等で平和であったと考える傾向にある。しかし、このノスタルジーに科学的な根拠はない。

David MarkによるPixabayからの画像
ネアンデルタール人の社会は、平等で平和だったと信じられていた。

ルソーの自然状態論

ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712–1778)によれば、文明と理性以前の自然状態においては、自然人(未開社会の人々や子供たち)は、自己愛(amour de soi)を持っているが利己心(amour-propre)は持っていない。自己愛とは自分の幸福を求める自然な感情で、個人は、この自己愛を持つがゆえに他者の自己愛を理解し、他人の不幸に対して哀れみを感じることができる。

これに対して利己心とは、他人の幸福を踏みにじってでも、自己の利益を極大化しようとさかしい計算をする近代ブルジョワジーのメンタリティーである。自然状態において人々は、平和で平等に暮らしていたが、土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いつき、人々がそれを信じることを見出した人が、利己心に満ちた社会を作り、戦争と階級支配をこの世にもたらした。ルソーは、文明と理性が人々に不幸をもたらしたとして、自然に帰れと提唱した。

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ルソー(左:肖像画)は、1755年の著作『人間不平等起源論』(右:表紙)で、人間は自然状態においては平等であったと主張した。

ルソーだけでなく、マルクスやエンゲルスも、文明成立以前の発展段階に戦争も階級もないユートピアをノスタルジックに想定した。今でも人類学者や考古学者の多くは、未開社会や原始社会は、本来平等で平和であったと考える傾向にある。例えば三内丸山遺跡の発掘でも、「当時すでに貧富の格差があった」などという言い方がされる。「すでに」という言いまわしは、「かつては平等な社会があったはずだ」という思い込みを前提にしている。

サルの社会は平等でも平和でもない

もっとも近年、戦争は先進国より発展途上国で頻発するし、辺境の未開社会でも大量の死者を出す戦争が行われている。しかしルソー派の人類学者は、未開社会での戦争は、グローバルに広がっている近代資本主義の影響を受けた結果起きているのであって、近代以前はそうではなかったと主張する。

過去のことは直接観察できないので、間接的に推論するしかない。人類は類人猿から進化してきたので、まず類人猿の社会から観察してみよう。ゴリラやチンパンジーといった類人猿はもとより、サル一般でも社会は平等ではない。ボスザル(アルファー・オス)を頂点に厳格な順位性がある。ボスザルはメスと餌場と安全な樹上の住処を独占する。しかしボスザルの地位は安泰ではない。強い流れ者のオスザルとの戦いに敗れてその地位を失うこともある。新任のボスザルは、前任者を追放するだけでなく、前任者がもうけた赤ん坊ザルを噛み殺し、その母親たちと交尾を始める。これは前回紹介したエスニック・クレンジングに似ている。エスニック・クレンジングの起源だと言って良いかもしれない。

もちろん現在の類人猿あるいはサルの社会に当てはまることが、我々の祖先の社会にも当てはまるという保証はどこにもない。だからルソー派の考古学者を説得するには、考古学的証拠を用いなければならない。

過去の類人猿の社会は平等で平和だったのか

母親から子に伝わるミトコンドリアのDNAの分析によると、現代の人類集団が持つDNAの種類は、人類と共通の祖先を持つチンパンジーやゴリラと比べてずいぶん少ない。これは、かつて人口が激減したことが原因で変異の数が少なくなったことを暗示している。ネアンデルタール人のDNAを調べたところ、この人口の激減はネアンデルタール人と現代の人類が枝分かれした数十万年前よりあとに起きたと見られる。

ネアンデルタール人の脳の容積は、現世人類とあまり変わらない。だが、クロマニョン人は、ネアンデルタール人とは異なって、前頭葉が発達していた。きっとクロマニョン人は、ネアンデルタール人よりも「利己心」に基づく戦略的思考に長けていたにちがいない。ネアンデルタール人はクロマニョン人によって滅ぼされ、クロマニョン人自身も相互に殺し合った結果、人類のDNAの種類は激減したのではないだろうか。

実際ネアンデルタール人の骨には損傷を受けたものが多い。中には明らかに先鋭な石器によると思われる傷もある。しかしルソー派の考古学者たちは、「ネアンデルタール人は天災で滅びたのだろう。骨の損傷は事故によるものかもしれず、戦争の結果とは限らない」と言って、原始時代の戦争を認めようとはしない。

4000年前のものと推定されるスペインのモレリャ・ラ・ビリャ(Morella la Vella)遺跡の岩壁画には、弓矢で武装した3人と4人の集団が戦っている様子が描かれている。これに対しても、ルソー派の考古学者は、「ここで描かれている戦争は、儀礼的・競技的なもので、実際に殺し合いが行われたことはないだろう」と解釈して文明以前の戦争を認めようとはしない。

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スペインのバレンシア自治州のモレーリャ・ラ・ベラにある洞窟壁画は、世界最古の戦闘描写の壁画として知られている。Source: “Cave painting of a battle between archers, Cueva del Roure, Morella la Vella, Castellón, Valencia, Spain.” Licensed under CC-0.

結局のところルソー派の人類学者や考古学者を説得する決定的な証拠はない。しかし彼らが思い描くユートピアは、ユートピアの語源通り、(彼らの頭の中以外には)どこにも存在しない場所であるような気がする。

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