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現代のグローバル・スタンダードは何か

2000年2月5日

日本人の中には、グローバリゼーション、すなわちグローバル・スタンダードの押し付けによって、古き良き日本が失われ、世界のアメリカ化が進むことを嘆く人が多い。しかし、グローバル・スタンダードを受け入れるということは、日本をアメリカ化することではない。

Image by Pete Linforth from Pixabay modified by me

古いグローバル・スタンダード

グローバル・スタンダードは、バブル崩壊後、日本人が従来の日本的経営に自信を失い出した頃に流行った和製英語[*]である。官僚主導の統制経済、閉鎖的な市場、年功序列に基づく定年雇用などのこれまでの慣行と決別し、世界で主流となっている株主権・会計基準・意志決定システムをグローバル・スタンダードを受け入れることが日本経済にとって好ましいことなのか否かをめぐって当時行われた我が国での論争の特徴は、賛成派も反対派も、グローバル・スタンダードを受け入れることを、日本の伝統的システムを捨ててアングロサクソン型システムを取り入れることと認識していることである。

[*] グレン・S・フクシマ氏によれば、海外では、科学技術分野において(移動電話などの)世界共通標準のことを「グローバル・スタンダード」と呼ぶが、「アメリカ人やヨーロッパ人が経済や経営問題で論文・記事を書いた中で『グローバル・スタンダード』という言葉を使っている人は今のところほとんどいない。『グローバル・スタンダード』はどうも和製英語のようです[1]」。つまり、「グローバル・スタンダード」という日本発の言葉自体が、グローバル・スタンダードになっていないのである。

このようにグローバル・スタンダードを文化の問題として扱うことが誤りであることは、少し考えればすぐ分かる。イギリスもアメリカもサッチャーやレーガンが自由主義的改革を行うまでは、日本と同様に、福祉国家による混合経済、規制による国内産業の保護、終身雇用といった政策を堅持していた。また野口悠紀雄が主張するように、こうした政策を、日本が明治以来伝統的に採り続けたわけでもない。つまり日本的システムと世間で呼ばれている経済のあり方は、日本固有でもなければ日本の伝統でもないのである[2]

もちろん、労働組合が企業別か産業別かといった違いはある。だが終身雇用が守られている限りその相違は大きくはない。日本では挨拶する時「こんにちは」と言って、アメリカでは「ハロー」と言う違いはあるが、知人に会った時挨拶するという点では相違がないのと同様に、日本と欧米の間に労働組合の形態上の文化的相違があっても、新しいグローバル・スタンダードのもとで労働組合の影響力が弱まっていくという点では相違がない。

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Konjunkturforschungsstelle によるグローバリゼーション指数(2014年版)。アジアで最もグローバル化が進んでいるのはシンガポールであり、日本は欧米と比べるとグローバリゼーションが遅れている。[3]

真のグローバル・スタンダードとは、すべての先進国が、文化の相違とは無関係に、先進国として生き残るためには受け入れざるをえない新しい時代のルールのことである。だからグローバル・スタンダードは、国名ではなくて年代を冠して呼ぶことが望ましい。今日本経済が受け入れなければならないグローバル・スタンダードは、1973年体制である。但し1973年体制は、1973年に成立した体制ではなく、1973年以降成立すべきであった体制のことである。

野口悠紀雄は、日本経済の古い体制を1940年体制と呼んでいるが、野口悠紀雄説には二つ同意できない点がある。一つは、1940年体制は、太平洋戦争という総力戦を遂行するための戦時経済ではなくて、世界恐慌を克服するための1929年体制であったということで、もう一つは、1940年体制は日本にだけ成立した特殊な体制ではなく、すべての工業国で受け入れられた当時のグローバル・スタンダードであったということである。

1929年に世界恐慌が起きた時、唯一影響を受けずに国内経済の発展に成功した模範的工業国はソ連であった。ソ連は成立後当初NEPと呼ばれる自由主義的政策を採っていたが、1928年よりスターリンの独裁的指導のもと第一次五ヶ年計画を実行し始めた。このソ連型計画経済がグローバル・スタンダードとなった人類経済の新しい段階は1929年体制と呼ばれてしかるべきである。

1929年体制のもっとも有名な例が、1933年よりルーズベルト大統領によって実施されたニュー・ディール政策である。アメリカにとってこのケインズ的なマクロ経済政策は、従来の小さな政府による自由放任経済から大きな政府による統制経済への移行を意味している。従来、連邦政府支出は、戦争時を除けばGNPの3%を超えなかったが、ニュー・ディール以降は20%にまで上昇している。地方税を含めた税負担の総額は、世界恐慌の前はGNPの5-10%であったが、ニュー・ディール以降は23%にまで上昇し、第二次世界大戦後も社会保障費の増大により、税率は高いままである。

ドイツでは、ルーズベルトより少し早く、ヒトラーがアウトバーンの建設などの公共事業により、完全雇用の実現に成功し、当時それは「ヒトラーの奇跡」と呼ばれた。よく偏見に基づいて、ルーズベルトは平和的な公共スペンディング政策で不況を克服し、ヒトラーは軍事スペンディング政策で不況を克服したと言われるが、実際はまったく逆で、ルーズベルトの公共事業はヒトラーほど成功せず、アメリカの不況は、最終的には第二次世界大戦によって克服された。これに対して、ヒトラーが再軍備宣言を発したのは1935年で、この時にはドイツの失業問題は既に解決していた。

日本では、1931年4月に1940年体制への最初の布石である重要産業統制法が公布され、12月には高橋是清が蔵相となり、日本版ニュー・ディールである高 橋財政が始まる。広大な植民地を持つイギリスとフランスはブロック経済化路線を採ったことで有名であるが、ブロック経済化は1929年体制に共通して見られる特徴である。国内の競争を止揚することによって、国家を経済的政治的競争の主体にすることが1929年体制の特徴である。1929年体制の結果第二次世界大戦が起きたのであって、第二次世界大戦を戦うために1929年体制が作られたのではなかった。戦争も不況克服のための公共事業の一つではあるが、唯一の手段ではないし、だから戦後も1929年体制は続いたのである。第二次世界大戦後もブロック経済は米ソ両帝国による冷戦のもとで存続する。

1929年体制は、工業社会のもっとも成熟した段階である。19世紀に工業社会が成立したころ、夜警国家のもとで自由競争が行われていたが、工業社会は資本集約的で規模の経済であるから、市場の寡占化が不可逆的に進む。労働市場も労働組合が組織されて寡占化され、終身雇用制度が定着していく。さらに、工業社会では計算可能な目的合理性が支配的であるから、国家主導の計画経済である1929年体制が功を奏する。こうしてケインズ的な積極財政による拡大均衡策が1970年代まで続けられることになる。

新しいグローバル・スタンダード

1973年に石油危機が起きたが、1970年代は人類の経済史上の大転換期となった。産業革命(工業革命とも訳せる)以来、人類は人と物の拡大再生産を続けてきた。技術革新が生産力を増大させ、増大した生産力が人口の増加を可能にし、人口の増加は需要と供給の規模を増大させる。だが経済規模の爆発的拡大は、地球は有限だから永遠には続かない。1970年代に入ると、一方で低エントロピーの減少という資源問題が、他方で高エントロピーの増大という環境問題が人類文明の存続を脅かす問題となる。

資源・環境問題の解決方法には、技術的改良と構造的改革の二種類がある。前者は、有毒物質を出さないようにするとか、エネルギー効率を良くするといった方法で、重要ではあるが本質的な解決にはならない。資源・環境問題を本質的に解決するためには、工業社会から情報社会への構造的改革が必要である。日本は前者に成功したために、かえって官僚による開発独裁という工業社会的体質を温存し、構造的改革を遅らせたというのが現状である。

情報革命とは、情報関連機器が便利になるたんなる技術革新ではなく、農業や工業を含めたすべての産業の知識集約化である。情報社会は、物ではなく知を富とする新しい資本主義の形態である。産業が知識集約化されると、社会が高学歴化し、両親の晩婚化と子供の教育コストの増大により少子化が必然的に進む。総人口を激減させ、総生産量(総消費量)を減少させつつも、一人当たりの生産性(所得)を増大させていくことこそ、資源問題や環境問題の克服と両立する最善の進歩の目標である。この意味で、情報革命とは縮小均衡革命であると言える。

産業が知識集約化することにより、

  1. 年功序列的な終身雇用
  2. 閉鎖的な市場
  3. 大きな政府による統制経済

という1929年体制の三つの特徴がどう変化するのかそれぞれ分析してみよう。

年功序列的な終身雇用

工業社会では産業が資本集約的で労働節約的であるから、不熟練労働が多かったが、情報社会では知的で専門的な職業が増える。ロボットやコンピュータが人間から単純系の労働を奪うので、人間は人間にしか従事することのできない複雑系の職業をこなさなければならなくなる。そのような職業には、研究者や芸術家の職業の場合と同様に、独創性と個性が要求される。知識集約的産業の生産物の場合、コンピュータ・ソフトやインターネット・コンテンツを例に取ればわかるように、複製や流通にはほとんどコストがかからないので、オリジナルを作成した者のみが利益を独占する。だから横並びで他者の物まねをやっている者は淘汰される。独創性があり、他とは違う個性を持つ個人だけが成功する。

資本集約的産業では、個人の役割は大きくない。企業あっての個人である。個々の労働者に求められるのは、同僚との協調性であり、上司に対する従順さであり、どんな雑用でもこなすジェネラリティであり、定年まで我が身を捧げる会社への忠誠心である。これに対して知識集約的産業では、施設よりも人材が重要である。個人あっての企業である。個々の労働者に必要なのは、独創性であり、自発性であり、余人を以って代え難きスペシャリティであり、昇給を求めて転職をも辞さない向上心である。

それゆえ雇用形態の主流は、ジェネラリストの終身雇用からスペシャリストのアウトソーシングへと変化する。工業社会の不熟練労働では、労働者の能力の差は大きくない。労働には特殊な能力は要求されず、単に慣れることだけが求められるので、年齢給と能力給の間には大きな乖離はない。解雇や中途採用のメリットはないので、終身雇用が一般的である。情報社会では労働が専門職化し、特殊な能力が要求されるので、社員の会社への貢献度は個人差が激しくなる。創造的仕事には個人の自由が必要であるが、その分結果を出せなかった時は、個人が責任をとらなければならない。だから年功序列と終身雇用制は崩壊せざるをえない。

閉鎖的な市場

メインバンク制、株式持ち合い、間接金融中心、系列などの日本企業に見られる排他的商慣行は、戦前の財閥の残滓であるが、国内市場の寡占化は、日本のみならず世界中の先進工業国に見られた1929年版グローバル・スタンダードであった。金融コンツェルンは長期にわたる安定した融資を可能にするので、重厚長大型の資本集約的産業を育成するのに適合的な市場の独占形態である。ところが知識集約的産業の場合は、ベンチャーとしての側面が強く、弾力的な金融の在り方が求められる。自由で開かれた市場がなければ、ベンチャー・ビジネスは育たない。

金融だけでなく、社会のあり方全体も変わらなければならない。垂直統合型の組織から、水平分業型のネットワークへ、上意下達のモノメディア社会から双方向のマルチメディア社会へ移行しなければ、個人発の創意工夫は生かされない。成功へのインセンティブを高めるためには、個人レベルまでに市場原理を徹底させる必要があるし、そのためにも情実人事や縁故取り引きや粉飾決算といった派閥の内と外の区別を前提にした非合理性を捨てなければならない。

大きな政府による統制経済

国家が号令する護送船団方式では、知識集約的産業は育たない。だから小さな政府がグローバル・スタンダードとなる。主権国家の存在が軽くなることは、1973年体制の特徴の一つで、個人と個人が国境を越えてコミュニケーションするインターネットは、現在のボーダレス社会を象徴している。交通手段と通信手段の発達が世界の一体化をもたらしたと言えばそれまでだが、実は1929年体制においても既に世界は一体化していた。一体化のあり方が、1929年体制ではネイションを前提にしていたので《インターナショナル》であったのが、1973年体制では《グローバル》であるところに違いがある。

1973年体制へ移行するための制度改革

以上の三つの変化を促進するために、次のような提案をしたい。海外にも例がない提案もあるが、それは日本発のグローバル・スタンダードになるものだ。

年功序列的な終身雇用

現在の企業には、有給休暇日数が勤続年限で決まるとか、人材採用に年齢制限があるなど年功序列と終身雇用を維持する制度があるので、このような制度の廃止から着手しなければならない。そのために必要なことはまず定年制の廃止である。例えば60歳定年制の場合、60歳以上でありながら有用な人材が雇用できず、高齢化社会にふさわしくないだけでなく、60歳までの雇用が既得権益化するという問題がある。雇用も給与も年齢とは無関係に、会社への貢献度だけで決定されるべきである。また定年制とともに退職金制度も廃止するべきである。退職金制度は、社員に会社への忠誠心を持たせるための賃金後払い制度であり、労働市場硬直化の大きな原因になっているからである。

次に労働組合を廃止する。労働組合は、組合員の雇用と賃上げを一律に要求するので、一番遅い船に速度を合わせる護送船団方式と同じ問題を抱えている。有能な社員の場合、労働組合などないほうが、雇用を守る上でも給料を上げる上でも有利なぐらいである。労使間の紛争は弁護士が仲介すればよい。労働組合は労働市場の独占を目指す存在であるから、独占禁止法によって禁止するべきである。

最後に人材の互換性を増し、労働市場を流動化させるために、資格制度を充実させなければならない。現在国際標準化機構(ISO)は、製品の規格・基準の統一を目指しているが、労働商品の規格・基準の統一をも手掛けてはいかがであろうか。資格試験の認定基準が世界的に統一されれば、労働力の国境を越えた移動が促進されるであろう。

閉鎖的な市場

多くの日本企業では、国内競争が活発ではないため、売上高は大きいのに純利益が小さい。大が小を呑み込むのではなくて、進んでいるところが遅れているところを呑み込むのが1973年体制のルールであるから、大きいだけが取り柄の企業は問題児である。規模は小さいが収益性はあるベンチャー・ビジネスを育てるには、法人税制を変えなければいけない。法人税・事業税を累進性のある外形標準課税にすれば、デパート型の赤字企業は、得意分野に特化するブティック化路線を選ぶであろう。個人だけではなく、企業もスペシャリスト化しなければならないわけである。

産業の知識集約化を進めるためには、研究所の企業化と企業の研究所化である産学一体化を進めなければならないのだが、日本の大学は社会主義的経営を続けていて、その任に堪えられない。教育と研究に市場原理を導入するために、大学の既得権益と化している単位の認定や学位の授与を通学や年齢とは無関係に文部省の国家試験で行うようにした上で、国公立大学を民営化し、教育産業を自由化することを提案したい。政府が教育機関に直接助成金を出すことは避けるべきであって、研究費も従来のように予算として平等にばらまくのではなく、レフェリー付きの学会誌に掲載した論文に対して支給すべきである。そうすれば大学でも企業でも、優れた研究論文を書こうとするモティベーションは強くなる。

大きな政府による統制経済

小さな政府を実現する上で重要なことは、特殊法人や第三セクタといった官でも民でもない境界上の家の帰属をはっきりさせることである。半官半民は、官の公共性と民の効率性とを取り入れることが目標であったが、実際には、官の非効率性と民の営利性が結びついた最悪のコンビネーションであった。だから財政投融資を廃止し、一般道路の建設のような収益性がない事業だけを官が直接行い、高速道路の建設のような収益性のある事業は民だけが行うというように、官と民の役割分担をはっきりさせるべきである。

もちろん営利活動の中には、公共性の視点から何らかの補助が必要な事業もある。例えば自転車やバスは環境への影響という点で自動車よりも望ましい。しかし有料駐輪場やバス会社に直接補助金を出してはいけない。住民にプリペイドカードを配って、選択の自由を与える。そうすれば顧客を集めようとする民の競争関係は保持される。補助金消費者支給制度などの工夫によって、市場原理を最大限活用することが政府には必要である。

結語

石油危機以後、日本企業は資源問題と環境問題に対応するため、売上高のうちの相当な割合を研究開発投資に投入し、技術革新に世界で最も成功した。その結果 1980年代には、例えばエネルギー効率の良い日本車などが世界の市場を席巻した。80年代の日本の繁栄は、1973年版グローバル・スタンダードをいち早く先取りしたことによってもたらされたのであって、しばしば誤解されているように、所謂「日本的システム」がうまく行っていたからではない。ところが80年代後半から日本は、知への投資ではなく、不動産という物への投資に走ってしまい、1973年版グローバル・スタンダードから逸脱してしまった。他方冷戦終了後米国は軍事的負担から開放され、知への投資に専念できるようになった。こうして冷戦終結を境に日米の経済的優位関係が逆転していく。今改めて、真のグローバル・スタンダードは産業の知識集約化であることを認識しなければならない。そして日本経済を再生するには、量的拡大から質的向上へと目標を変えることが必要である。

関連著作

参照情報

  1. グレン・S. フクシマ, 小尾 敏夫「「グローバルスタンダード」は和製英語だ」『諸君! : 日本を元気にするオピニオン雑誌』文藝春秋. 1998/10. p. 74-79.
  2. 野口悠紀雄.『1940年体制―さらば戦時経済』東洋経済新報社; 増補版版 (2010/12/23).
  3. The Globalization Index defined by KOF ” by NuclearVacuum, Spesh531. Licensed under CC-BY-SA.