3月 072010
 

私が、日本の大学や大学院の現状を批判する理由は、私が博士課程にまで進学したにもかかわらず、大学教員になれなかったことに対する私怨ではありません。大学/大学院を脱社会主義化することが、国家の競争力向上のために重要であると考えているからです。

1. 私の大学批判の動機について

私が私怨で大学/大学院批判をしていると思っている人がいるようです。

永井俊哉さんの末は博士かホームレスかを読んだ。この文自体は永井さんの私怨がかなり入ってそうで、ちょっとおかしいところいっぱいあるけど。日本の大学院って大変だね。

最近では、こんなコメントがありました。

永井さんが度々「大学院制度への批判的言及」をするのは、ご自身が教授という父性的権力からの去勢体験を経たからなのですか?何か自己弁護的意味合いがあるように思えるのですが・・・

私は、自分の指導教官であった先生の方々に対して、私怨を持ってはいません。むしろ、私のようなわがままな学生に我慢して付き合ってくださったことに感謝しています。また、私が博士課程にまで進学していながら、大学教員になることができなかったのは、私が専門的な哲学研究者としての資質を欠いていたからであって、そのことに関して、弁解がましく言い訳をするつもりはありません。

2. 批判と悪口の違い

では、なぜ大学/大学院批判をするのかと問い返されそうですが、その問いに答える前に、批判と悪口は異なるということを認識してください。批判(クリティケー)は、古代ギリシャ語では「分割」を意味し、哲学の世界では、分別的吟味というような意味で使われています。大学/大学院批判とは、大学/大学院の潜在的能力とその問題点を分割するということであり、この作業は、問題点を解消し、潜在的能力を顕在化するためには必須であります。悪口が、相手を攻撃する破壊的な行為であるのに対して、批判は、相手を改善することを目的とした建設的行為です。

日本の社会では、西洋の社会ほど建設的批判を尊重する伝統がないので、こちらが建設的批判のつもりで述べても、破壊的、攻撃的な悪口と解釈されてしまうことがよくあります。以前、私がNHKの民営化を提案したときにも、私が、NHKに対する嫌悪という主観的な感情から悪口を言っていると誤解されたことがありました[NHK擁護派との泥沼論争]。たしかに「不祥事を起こすNHKはけしからんから、懲らしめるために民営化しろ」というような主張をする人もいるから、そういう人たちと同類と見られたのかもしれませんが、私は、消費者の利益とコンテンツビジネスの競争力向上のために提案しているのであって、NHK攻撃を意図しているわけではありません。

大学/大学院批判も同様で、私は、就職できなかったことを恨んで、悪口を言っているわけではありません。もしも私が、本当に日本の大学/大学院を憎悪しているのなら、むしろ、批判などせずに、日本の大学/大学院が現状を維持することを願うでしょう。なぜならば、日本の大学/大学院が、従来どおり、国際競争力を高める努力を怠っていれば、今後ますますグローバル化し、ボーダレス化するであろう高等教育の世界市場において学生獲得競争に敗れ、日本政府の財政破綻と同時に、経営破綻することになるだろうからです。

Science Map 2004
133 の研究分野の中で中核論文が占める割合。日本は先進国第二位の経済大国でありながら、米独英の後塵を拝している。[National Institute of Science and Technology Policy : Science Map 2004 – Study on Hot Research Areas(1999-2004) by Bibliometric Method –, p.52]
Science Map 2004
中核論文において日本人研究者の論文が占める割合。経済学、経営学、心理学といった文系学部の割合が極端に小さい。Percentage of Japanese papers for all core papers [National Institute of Science and Technology Policy : Science Map 2004 – Study on Hot Research Areas(1999-2004) by Bibliometric Method –, p.48]

私は、しかしながら、日本人として、日本の大学/大学院が改善され、国際競争力を高めてほしいと思っています。もとより、日本の大学/大学院の国際競争力を高めるために必要なことは、政府の大学/大学院に対する補助金を今以上に増やすことではありません。そのようなことをしても、日本の大学/大学院が抱えている構造的な問題の解決にはならないし、日本政府が財政破綻した時に、道連れになるリスクを高めるだけです。

3. 国家の競争力の源泉としての技術革新

私は、大学/大学院を脱社会主義化し、市場原理を導入することで、大学/大学院の国際競争力を高めるべきだと考え、その観点から、日本の大学/大学院の批判を行ってきました。市場原理を導入するべきであるのは、教育と研究の分野に限らないし、だから、『市場原理は至上原理か』では、いろいろな分野を取り上げました。その中でも、とりわけ教育と研究の分野を重点的に取り上げているのは、国家の競争力の源泉は、技術革新力であり、技術革新力を向上させる上で、大学/大学院が重要な役割を果たしうると考えているからです。この見解に関しては、「日本は米国に代わって世界を支配できるか」をご覧ください。

日本は、ハイテクの発達した国ですが、それは職人的な技に支えられている部分が大きく、産学連携による研究開発は、まだまだ不十分です。また私が言っている、国家の競争力の源泉としての技術革新とは、工学的な、ハードのイノベーションのみならず、経営技術など、ソフトのイノベーションも含んでいるのであって、所謂文系・理系の区別なく、大学/大学院全体の競争力の向上が求められます。覇権をめぐる各国の競争が、結果として、人類全体のイノベーションを促進することを期待したいと思います。

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  15 コメント

  1. 大学教育を脱社会主義化・・・これは賛成です。
    均一であろうとする体質は軽い意味ではない“個性”を失わせてしまいます。
    しかしそれが国際競争力を高めるため、というのは納得がいきません。
    「競争を嫌う人」もたくさんいると思います。特に日本は。
    その人たちを「駄目だ」というのではある意味全体主義的な考えになってしまいます。
    結局その国にいる人で幸せな人が多いかどうかが大事だと思っています。
    かと言って「お前は十分に幸せだ」というのならそれもまた社会主義のマインドコントロールのようなもの。
    考える軸を増やすことが何よりも今求められていると思います。
    一つの軸、少ない軸で考えるから不幸になるのです。(宗教臭いですね。苦笑)
    色々な考え方を持つことで他者を認めるようになります。
    出る杭を打つ風潮も少しは変わるのでは?
    文化への関心も高まるかもしれません。
    それが研究者は研究者として、学者は学者として認める社会になって国際競争力を持つようになるかもしれませんが。
    ただ、どうしたらそういう風に変わっていけるか、と考えると難しいです。
    結局大人の都合で子どもたちを同じ方向へ向かせている今の日本で。
    「個性が大事」という方向に皆を向かせたらそれも個性を失わせてしまいます。

    どうも論点がはっきりしない文章ですいません。
    “社会主義教育”の中で育ったせいで・・・というのは言い訳ですね。
    自分のコメントの何が問題なのか、返信下さったらありがたいです。
    「批判」と「悪口」の分別はつけられるつもりです。
    P.S
    面白いサイトですね。
    ちょいちょい見させてもらっています。

  2. “「競争を嫌う人」もたくさんいると思います。特に日本は。その人たちを「駄目だ」というのではある意味全体主義的な考えになってしまいます。”
    脱社会主義化するということは、選択の自由を認めるということです。「貧しくてもよいから気楽な生活を送りたい」という人には、そういう人生を選ぶ自由があります。怠ける自由や遊ぶ自由を認めることは、しかしながら、競争力の低下には結び付きません。科学の新しい発見は、しばしば道草を食っていたり失敗したりするときに得られます。選択の自由が多様性を生み出し、多様性がイノベーションを可能にし、イノベーションが競争力の向上につながるというのが、自由主義社会が発展する理由だと思います。

  3. 私は日本の学校は半永久的に独自性のある変化は不可能だと思います。
    日本の教育水準は分野ではなく人間性や自立という観点で見ると、期待するのは無駄だと思います。
    まずポピュリズムが台頭し、それに対して反省がまったく生かされていない。
    まず上の方が仰っている様な個人主義を否定し全体主義教育を取り入れ、教育の質や重要な分野よりも学歴を尊重することのみあるこの教育。
    そして教育とは関係ないですが、固定資産税が高すぎるこの国では、たとえ高学歴を有しても持っていかれ、さらに学歴は高収入を得るかどうかの賭けであると思います。
    教育や政治もポピュリズムの要素のみが見え、全体主義的な教育観によって個人主義的な考えや選択ができないから、すべてがブランド化し、非効率で年々低レベル化していくのではないでしょうか?
    裏切りや虚栄心の教育社会では何も生まれるはずがなく、もはや他者のせいばかりする日本人は現実から逃げてばかりいませんか?
    私もアニメは大好きであり批判する立場ではありませんが、最近はどうも理想主義に陶酔してるように思います。
    正直日本のような教育よりもドイツやフランスのような教育観に魅力を持っています。
    成績主義ではあるがある程度個人主義的で、教育という意味では自由な感じがします。
    私は文が下手なうえ、頭にどんどん文章が浮かんできてしまうため滅裂した文章になってしまい申し訳ないです。
    あなたに興味を持ちました。
    最初は難しいやり取りになると思いますが、文法など段々覚えていきたいと思ってます。
    それともうひとつ私は完全な日本人です。
    歴史上この国が好きなのでペンネームとして使います。

  4. furstentum regensburgさん
    “理想主義”というより“現実逃避癖”ではないでしょうか?
    「今のままでいい」というのは理想主義とは違うと思います。
    もちろん理想は人によって違うのでしょうが。
    ポピュリズム、大いにありますね!
    魅力ある独裁者が現れたらと思うと恐ろしいです。
    永井さん
    コメントありがとうございます。
    なるほど!
    たしかに今の大学では「貧しくても気楽に過ごしたい」と思っていてもそれに踏み出すことはできないですね。
    質問があります。
    国際競争力の向上はグローバリゼーションを背景としていますよね?
    するとよりローカルなものは商売が成り立たなくなると思います。
    やはり人間食っていかなければどうしようもないですから、「貧しくても」ならともかく「食っていけなくても」では選択できなくなります。
    例えば「ほそぼそと農業を営んで暮らしていきたい」と思っても食えなければそれを選ぶことはできません。
    それでも自由はあると思いますか?
    もちろん考え方としては「選ぶ自由はある」でいいとは思うのですが。
    それとも、ローカルの人は頑張っていないのですかね?

  5. “例えば「ほそぼそと農業を営んで暮らしていきたい」と思っても食えなければそれを選ぶことはできません。それでも自由はあると思いますか?”
    日本の農業に国際競争力がないのは、農林水産省と農協が社会主義的な農業経営をしているからです。農協の解体、農家の株式会社化、外部の営利企業の自由参入、市場原理の導入を進めれば、日本の農業も国際競争力を持つようになります。市場原理が機能すると、主要な商品は大企業によって生産されますが、ニッチな分野は中小企業によって開発されます。「ほそぼそと農業を営んで暮らす」ということも可能です。

  6.  それならなおさら、大学&大学院は現状維持です。
     貴方様の意見を実現させることにより損をするのは、現在の教授達でしょうか?それとも文部科学省でしょうか?
     裁量の拡大を目差すという役人本能において、貴方様の意見はその裁量を奪うものであり、容認されることは極めて難しいでしょう。一度裁量を持つと手放しません。後任の人は、現状を基準に更なる裁量取得を目差します。「もっと良い立場に立ちたい」と。
     貴方様は自らの書籍の中で「自らの存在が危ぶまれる程の状況になってようやく変れる」という旨の記述をしていた記憶があります。
     数年前法人となった国立大学は、結局は天下り先を増やしただけでしょう?理事の中に なぜか過去の経歴の良く分からない人がいたりするようですが、現場は人件費削減の号令の下で技術&事務等のスタッフ削減と、教員の雑用増だけのようです。
     私立大学に至っては、大学倒産ブーム到来は時間の問題でしょう。
     だとすれば、このまま放置することが合理的選択です。大学数は半分以下になるかも知れませんが、上級なお役人様達にとっては、出身母体である東京大学法学部が残れば 困らないのでは。

  7. “大学数は半分以下になるかも知れませんが、上級なお役人様達にとっては、出身母体である東京大学法学部が残れば 困らないのでは”
    文部科学省の官僚たちにとって、管轄下の大学の存続は、重要な関心事です。彼らが、外国の大学が設置しようとする日本分校を正式な大学として認可しようとしないのは、自分たちがコントロールできない学校に学生が奪われることを懸念しているからでしょう。

  8.  毎回読んでおりますが、それぞれの批判には一面真理と思える内容のものもありますが、一面大学の理念といいますか、フンボルトのいうところの「自律的自己形成の場である大学の理念」からは遠く隔たっている内容のものもあると私には思えるものもが目に付きます。
     グローバル化、ボーダーレス化も確かに一国の問題ではなく宇宙船地球号の問題であるといったほうが適当かもしれません。しかし、グローバル化だのボーダーレス化だのと騒ぎ立ててしまうあまりに「大学の本質」とは何か、ということについての批判がないのが残念です。
     私は現在63才です。昭和40年代の大学生による「デモ」にも立ち会いましたが、当時の学生たちについて一言で言い表せば「政治的」に活動していたように思えるのです。最もアーレントのいう「政治的」とはそのニュアンスを異にしていますが、彼らの行動に理解を示す人もたくさんいました。この意味において現在ではどうでしょう。政治とお金の問題についても後を絶ちませんが、そのことについて「政治的」に行動する学生を目にすることがなくなりました。日々テレビや新聞などで政治のモラル、政治家のモラルなどが問題として挙げられながらも「デモ」の一つも起こりません。新聞やテレビだけが声を大にしているだけです。
     自国の政治的状況について政治的に活動するという学生の姿をいまや見ることも聞くこともない状況の中にある大学とはいったい何なのでしょう。今の日本の政治状況がヨーロッパで起こっていれば必ずといっていいほどに学生による「デモ」が起こっているのではと思うものです。
     このようなときこそ大学とは何なのか、という批判的懐疑の精神、そして、今一度「フンボルトの大学の理念」というものに戻って吟味することを大学自体と学生自体に望むものです。

  9. “大学の理念といいますか、フンボルトのいうところの「自律的自己形成の場である大学の理念」からは遠く隔たっている内容のものもあると私には思えるものもが目に付きます”
    政府から補助金をもらい、規制によって保護され、その代償として政府の監督下に入っている大学が「自律的自己形成の場」であると言えるでしょうか。大学関係者は、「大学の自治」と称して、金を出せ、口を出すなと言いますが、金を出すなら、口も出す、口を出さないなら金も出さないというのが道理ではないでしょうか。
    “リバタリアンという語感は必ずしも良くない(オバタリアン、バタリアンなど)ので、できれば違う名前にして頂けると、理解や普及が早く広く進みやすいかと思います。”
    日本語にする時には、自由主義でよいと思います。英語、とりわけアメリカ英語においては、“liberalism”が自由主義とは逆の社会主義を意味するので、“libertarianism”という言葉が使われているというだけのことですから。なお、リバタリアニズムも、無政府主義的社会主義をも包括する幅広い概念なので、私の立場を示す表現としては、人口に膾炙した表現ではありませんが、市場原理至上主義が正確と思います。

  10. 中国では、国策で大学生を増やしましたが、就職できない大学生(蟻族)が増えて社会問題化しました。日本でも大学院重点化を行って大学院生を増やしましたがオーバードクターの問題が起こりました。
    政府が国策で、社会の需要に合わせずに学生を増やすとどうなるかが分かりますね。
    大学で進路説明会がありましたが、私は理系ですので、大学院に行くことを進める教員が多いです。
    大学教員は建前として「技術者として一人前になるために大学院に行け。」と言いますが、本音は金が欲しいからでしょう。

  11. 私の父は理学部の卒業ですが、教授に大学院進学を相談したところ、進学してもあまり良いことはないとアドバイスされたそうです。私が1988年に大学院の入学試験を受けた時、面接で、教授から「学士、修士、博士と進むにしたがって、労働市場での価値が下がるが、覚悟はできているか」というような警告を受けました。昔は、大学院入学の競争率が高かったから、教授たちも正直に現状を教えてくれたのでしょう。最近では、定員割れする大学院が増えてきたので、教授たちも営業トークをしなければならなくなったのかもしれませんね。

  12. 少なくとも理系修士の労働市場での価値は、永井先生が大学院を受験したときより上がっていると思います。
    ただ、リーマンショック以降、内定が取れないという理由で大学院に入院する新卒が増えてきています。来年からは大学時代に内定を取り損ねた多くの修士課程の大学院生が就職活動をします。おそらく、来年の内定率は、今年よりさらに悪化して4割を切ると思います。

  13. 私が進学した大学院は、人文系です。「学士、修士、博士と進むにしたがって、労働市場での価値が下がる」というのは、あくまでも、人文・社会科学系の話で、この傾向は今でも変わっていません。理工系大学院の修士の初任給が学士の初任給よりも高いのは、当時でも同じことですが、生涯賃金が高くなるとは限りません。生涯賃金に関しては、文系の大卒よりも低いというのが定説です。

    J-cast ニュース (2008)「賃金低い、出世しない」 「工学部離れ」で志願者4割減

    大阪大大学院の松繁寿和教授は、文系・理系両出身者の生涯賃金格差が5000万円という10年前の調査が、今も当てはまることが再調査で分かった、と言うのだ。特に、文系が多い金融・商社と理系が多い製造業の間にある産業格差が、そのまま賃金格差に表れたという。また、理系出身者の方が課長になるのが遅いなどの昇進格差も関係しているとしている。

    また、理工系大学院の修士が優遇される就職先は、研究開発部門を持つ企業に限られ、無条件に就職がよいわけではありません。

  14. 私が博士課程にまで進学していながら、大学教員になることができなかったのは、私が専門的な哲学研究者としての資質を欠いていたからであって教授に嫌われたからでしょ。プレスプラン

  15. 何が言いたいのですか。何か自分の文章で書かないと、引用ではなくて転載になるので、著作権法違反になります(著作権はプレスプランにあります)。

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