空間はなぜ三次元なのか

2000年11月19日

私たちは、自分たちが三次元の空間の中で生きていることを自明だと考えているが、しかし三次元の空間は、決して直接的に知覚されるわけではない。なぜ私たちは空間を三次元と解釈するのか。

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1. 空間は本当に三次元か

私たちがもっとも頼りとしている感覚は、視覚である。しかし視覚は二次元であって、三次元ではない。例えば、立方体は、斜めから見ると、正六角形に見える。そして本来直角であるはずの角は、120゜や 60゜に見えてしまう。

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このことは、三次元の物体が二次元の網膜視野へと射影されていることを意味している。では、私たちはどのようにして二次元的に与えられた網膜像を三次元的に知覚するのだろうか。

心理学者は、三次元的知覚の要因として、網膜像的要因と網膜像以外の要因を区別する。網膜像的要因とは、陰影、網膜像の大きさ(大きいと近いように見える)、きめの密度の勾配(密度が濃いと遠くに見える)、重なり合い(重ねられると後ろに見える)大気遠近法(遠くを薄く描く)、線遠近法などのことである。しかしこれらは、二次元の映像を三次元に見えるようにするためにアニメ産業が使っているテクニックであり、私たちの視覚が三次元であることの根拠にはならない非本質的な属性である。

では、網膜像以外の要因である、水晶体調節、両眼視差、輻輳はどうであろうか。眼が遠くを見るとき、水晶体はチン小帯に引かれて薄くなる。すると水晶体の屈折率が小さくなり、焦点距離が長くなる。だから単眼でも遠近を感じることができるのだが、私たちはさらに位置の異なる二つの目を持ち、左右でずれた網膜像を融合することにより、視覚を立体化しようとする。その際、輻輳角(凝視点で交叉する両視線のなす角)から対象の距離を判断することもできる。輻輳角を2θ、両眼感の距離を2dとすると、正視している対象までの距離はdcotθということになる。

もっとも私たちは、実際の空間知覚でこうした計算をしているわけでもないし、光学的な推論をしているわけでもない。私たちの空間知覚はもっと体得的である。そもそも私たちは、水晶体が薄くなったり、輻輳角が小さくなったりすると遠くを見ているということをどのようにして学習したのか。

2. 視覚と触覚の結合

視覚的体験だけでは不十分と考えた近代の哲学者たちは、三次元の知覚は触覚的体験との連合により可能になると考えた。開眼手術を受けた成人は、健常者と物理的に同じ網膜像を見るにもかかわらず、それを三次元空間内に位置付けて整理することができないのは、幼少期に視覚と触覚の連合が行われなかったためだというわけである。

では、視覚と触覚の有意味的な連合は、いかにして行われるのか。私は、この問題を考えるために、感覚を受動的感覚と能動的感覚に分類してみたい。能動的感覚とは、現象学のジャーゴンで言えば、キネステーゼのことである。キネステーゼとは、運動を意味するギリシア語キネーシスと、感覚を意味するギリシア語アイステーシスの合成語で、運動感覚と訳される。しかしここでは、対比をはっきりさせるために能動的感覚と呼ぶことにしよう。

読者の中には、「静止している車に時速30キロで手を当てても、時速30キロで走っている車が静止している手に当たっても、物理的刺激は同じであり、したがって感覚を受動的/能動的に分類することには意味がない」と反論する人がいるかもしれない。しかし能動的感覚は、自由意志に基づいているという点で、受動的感覚とは質的に異なっている。自由意志に基づいて、身体を運動させれば、仮説→検証(反証)→確認(修正)という実験のプロセスを通じて、感覚を有意味に連合させることができる。感覚が、外的・偶然的に現れるだけなら、有意味な連合は不可能である。

3. 能動的感覚が空間を三次元にする

二次元的に与えられた視覚の三次元性を確かめる一番原始的だけれどもそれだけに根源的な方法は、視覚平面に垂直に手を伸ばすことである。

手は自由意志に基づいて、前へと伸び、抵抗を受けて自由は阻止される。もし自由が抵抗を受けなければ、あるいは私が自由を持たないならば、私は奥行きを知覚できないであろう。手を伸ばす能動的感覚が、手に衝動を感じる受動的感覚を引き起こして、はじめて私は視覚対象との距離を知るのである。乳児は、目に入ったものを何でも手を伸ばしてつかもうとするが、あれは視覚の三次元性を確認する学習を行っているのだと解釈することもできる。

視覚における水晶体調節や両眼輻輳も一種の身体運動であり、能動的感覚と受動的感覚の議論は、視覚だけでも成り立つ。もちろん運動視差のような、眼以外の身体の運動が引き起こす視野の変化も空間構成に寄与していることは言うまでもない。

三次元性の知覚には、能動的感覚と受動的感覚の両方が必要である。私たちは、三次元に運動する身体の能動的感覚を、それによって変化する受動的感覚を媒介として逆照射的に知覚し、空間の三次元性を認知していくのである。