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宇宙は一つしか存在しないのか

2001年10月20日

教育ママが、子供の勉強部屋のドアを開けたところ、子供は、机に向かって勉強していたとしよう。猜疑心の強いママなら、「もしかすると、うちの子は、私が見張りに来た時だけ勉強するふりをして、ドアが閉められると、遊んだり怠けたりしているのではないかしら」と心配するかもしれないが、「ドアが閉められると、うちの子は、勉強していて、かつ勉強していないという矛盾した存在になる」と空想するママはいない。物理学者には、そうした想像をする人々がいる。もっとも、自分の子供に関してではない。目に見えない小さな粒子についてであるが。

Image by Annette Meyer + Chiemsee2016 from Pixabay
生きている猫と死んでいる猫が重ね合わさった状態であることは可能だろうか。

1. コペンハーゲン解釈

量子力学によれば、ミクロの粒子は、複数の可能的状態が重なった波動関数としてしか記述できない。例えば、電子は、太陽の周りを廻る地球のように原子核の周りを廻っている確定的存在ではなく、雲のような不確定的存在として原子核を取り巻いている。この不確定な重ね合わせの状態を直接観測することはできない。観測しようと光を当てると、波動関数が収縮し(つまり複雑性が縮減され)、電子は一つの粒子としてその位置が確定されてしまう。

量子力学以前の科学や哲学は、不確定性は認識主観の能力不足から生まれるのであって、客観的世界は確定的であるはずだとしてきた。量子力学のコペンハーゲン解釈は、こうした《客観的=確定的》対《主観的=不確定的》という関係を逆転させ、客観的には不確定で主観的には確定的という新しい存在論を提唱した。

2. シュレディンガーの猫

コペンハーゲン解釈のパラドキシカルな性格を指摘したのが、有名な「シュレディンガーの猫」と呼ばれる思考実験である。箱の中に、確率1/2で崩壊する微量の放射性原子核の入ったガイガー計数管と生きた猫を入れ、ガイガー計数管が放射性崩壊を感知すると、一連の装置が作動して、ハンマーが青酸ガス入りのビンを割るようにしておくならば、箱の中には、中を覗いて確認するまでは、生きた猫と死んだ猫が重ね合わさって存在するのかというわけである。

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シュレディンガーの猫。Source: Dhatfield. “Diagram of Schrödinger’s cat thought experiment.” Licensed under CC-BY-SA. Modified by me.

同じ猫が生きていると同時に死んでいるという重ね合わせは、誰にでも分かる明白な矛盾である。しかしミクロな粒子が波束であるということもそれと同じぐらい矛盾しているのである。もし矛盾律を否定するなら、いかなる判断も許されるから、矛盾律だけは守らなければならない。記号論理学的な用語を使うならば、矛盾を解消するには、条件法導入という手法がある。すなわち、生きた猫を観測した認識者と死んだ猫を観測した認識者を別の世界へと割り振れば、矛盾を解消することができる。

3. 多世界解釈

こうして登場した、コペンハーゲン解釈の有力な代替案が、多世界解釈である。コペンハーゲン解釈が一つの世界に複数の状態を重ね合わせるのに対して、多世界解釈は複数の世界のそれぞれを一つの状態にする。私達は、認識という複雑性の縮減を通じて、絶えず分岐する複数の世界の一つを選び取って、そこで生きている。今こうしてウェブページを読んでいるあなたも、別の世界では恋人とデートしているかもしれないし、また別の世界では、イスラム特攻隊として自爆テロを決行しているかもしれないのである。

多世界解釈は、しばしばSF的だと言われるが、その主張は決して荒唐無稽なものではない。多世界解釈をメタファーで説明しよう。例えば、今あなたは電光掲示板を見ているとする。電光掲示板では、固定された各表示素子である発光ダイオードが点滅しているだけなのだが、あたかも電光掲示板上を文字や絵が動いているように見える。各表示素子は、光以外にも超音波で別の情報を発信しているとしよう。するとこうもりのような生き物は、光の情報は受信できないが、超音波の情報は受信できるので、同じ電光掲示板から、超音波を受信することができない人間とはまったく違う認識を得ていることになる。二つの相反する認識のどちらか一方が真理というわけではない。人間とこうもりは、別の世界を生きているのである。

日本人はもともと、黒澤映画の『羅生門』に描かれているような《ストーリーの数だけヒストリーがある》という多元的世界観に抵抗を示さないのかもしれない。近代西洋哲学では、一つしかない世界に複数の認識があることが神ならぬ人間の認識の有限性であるとされてきたが、多世界解釈に従うならば、世界が複数存在するにもかかわらず、世界は一つしかないと考えている、あるいはそう考えなければ生きていけないことこそ人間の有限性だということになる。量子力学の多世界解釈は、定説になったとはまだいいがたいが、物理学の枠を超えた、哲学的に興味ある仮説である。