11月 262013
 

フォーラムから“ブライアン・グリーンと超ひも理論”を転載します。

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世界科学フェスティバルの記者会見場でのブライアン・グリーン。”Brian Greene at the World Science Festival launch press conference” by Markus Poessel is licensed under CC-BY-SA

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月26日(火) 17:14.

ブライアン・グリーン(Brian Greene; 1963年2月9日 – )は、超ひも(超弦)理論を専攻する物理学者であると同時に、一般向けの著作を執筆するサイエンスライターでもある。超ひも理論をわかりやすく解説した彼の著作、特に『エレガントな宇宙』と『宇宙を織りなすもの』は全米でベストセラーとなり、それぞれ同名のドキュメンタリ番組として映像化されてもいる(以下のリストを参照)。このトピックでは、これらの著作を読んで、あるいはドキュメンタリ番組を見て思いついたことを書き連ねたい(注:ドキュメンタリのフル動画が YouTube などにアップロードされていますが、違法である可能性があるので、ここでは公式プレビューしか埋め込まないことにします)。

(英語原文)

(日本語訳)

(ドキュメンタリ)

エレガントな宇宙

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月26日(火) 17:17.

The Elegant Universe – PBS 公式プレビュー

相対性理論と量子論は両立しない理論であるにもかかわらず、前者はマクロな対象の理論、後者はミクロの対象の理論というように棲み分けることでこれまで問題を回避してきた。しかし、ブラックホールやビッグバンの時の宇宙など、量子論の対象となるほど小さくて、それでいて一般相対性理論を無視することができないぐらい大きな重力が働く対象を研究する場合、両者の両立不可能性は致命的な欠陥となる。両者を適用すると無限大の確率というナンセンスな解が出るのである。これは究極の要素を点とみなしているからであり、相対性理論と量子論の両立というアインシュタインの夢を実現するには、有限な大きさを持ったひも、あるいは、1995年以降支配的な理論であるM理論では、p次元の大きさを持ったpブレーンを究極の要素とみなさなければならない。

こうした問題意識と解決の方向は、素人が聞いても納得できるものだが、超ひも理論、あるいはより包括的にひも理論は、長らく科学界のエスタブリッシュメントから無視されてきた。その最大の理由は、ひも理論は、その正しさを実験によって検証することがきわめて困難な形而上学的な理論だからである。1986年に、ハーバードのノーベル物理学者であるシェルダン・グラショウは、同僚のポール・ギンスパークとともに、次のようにひも理論を貶していた。

Desperately Seeking Superstrings (page) 7 (date) 25 Apr 1986 (author) Paul Ginsparg, Sheldon Glashow さんが書きました:

理論と実験を突き合わせるという伝統的な営みの代わりに、ひも理論研究者は内的調和を追求する。そこではエレガントであること、一意的であること、美しいということが真理を決定する。この理論の存在は、不思議な一致と奇跡的な消去、無関係に思われる(そして、おそらくまだ発見されていない)数学の分野どうしの関係にかかっている。こうした特性が、超ひも理論の実在を受け入れる理由なのだろうか。数学と美学がたんなる実験に取って代わり、それを凌駕するというのか。

In lieu of the traditional confrontation between theory and experiment, superstring theorists pursue an inner harmony where elegance, uniqueness and beauty define truth.The theory depends for its existence upon magical coincidences, miraculous cancellations and relations among seemingly unrelated (and possibly undiscovered) fields of mathematics. Are these properties reasons to accept the reality of superstrings? Do mathematics and aesthetics supplant and transcend mere experiment?

経験論的な哲学が支配的なアングロサクソンの科学界では、理論は実験と突き合わせることで形成されるのが近代科学の伝統だという認識が主流である。しかし、それは伝統というよりも神話に近い。実験物理学の元祖とみられているガリレオですら、純粋な数学的計算による理論形成を先行させ、実験による検証は後回しにしていた。科学の歴史を振り返ってみると、美意識や宗教的信念といったおおよそ科学的とは言えない動機で理論が創作され、かなり後になってから別人が行った実験によりその正しさが実証されるというケースが少なからずある。

例えば、超ひも理論に先立って素粒子物理学における支配的パラダイムとなった標準理論もそうである。電子の反粒子の存在を予言し、標準理論の先駆者となったポール・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac; 1902年8月8日 – 1984年10月20日)は、「数学的な美を持つ理論は実験的データに適合する見苦しい理論よりももっと確からしい」[The Relation between Mathematics and Physics]とまで言っていた。以来、素粒子物理学者は対称性という美しさの基準を手掛かりに、標準理論を構築しようとした。これに対して、南部陽一郎(1921年1月18日 – )は、自発的対称性の破れを提案し、CP 対称性の破れを理論化した小林誠や益川敏英とともに、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。

2008年のノーベル物理学賞は、三人の日本人が一度に受賞したことで話題になった(もっとも南部の国籍は米国だが)。しかし、これは偶然ではない。自発的対称性の破れは日本人の伝統的な美意識を反映しているからである。欧米では、プラトンのイデア論以来、永遠不滅の秩序を美しいと感じる伝統がある。ところが、日本人は、桜の花のように、すぐに散ってしまうはかない存在に美を見出す。いくら見た目に美しくても、梅の花のように長持ちする花はだめなのである。それはおそらく日本人に顕著な胎内回帰願望(死への欲動)のゆえなのだろう。欧米の物理学者が、対称性という永続する秩序に美を見出したのに対して、南部はむしろ、自発的に散ってしまう桜の花のような対称性の破れに美を見出したと考えることはできないだろうか。

何に美を見出すかは別として、ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』という表題には、宇宙はエレガントでなければならないという彼の美意識に基づく信念が表されている。シェルダン・グラショウとポール・ギンスパークが言うように、実験による実証ができない以上、ひも理論研究者の支えとなってくれるのは、数学的整合性がもたらす美的満足だけである。その点で、グリーンにとってひも理論は芸術と共有点を持つ仕事だということができる。彼は、父が音楽家であったこともあって、音楽が大好きで、the World Science Festival などで科学と音楽を融合することを試みている。これは、宇宙の秩序と音楽のハーモニーを同一視したピタゴラス学派以来の伝統とみることができるが、ひも理論とは、ひもの振動が奏でる音色の違いが様々な物質の違いをもたらしているという理論なのだから、ピタゴラス学派的な科学への音楽の持ち込みは不当ではないのかもしれない。

宇宙を織りなすもの

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月27日(水) 13:09.

Brian Greene previews NOVA's "The Fabric of the Cosmos" – PBS の「宇宙を織りなすもの」公式プレビュー

二番目の一般向け著作は、『宇宙を織りなすもの』である。“The Fabric of the Cosmos”は前作でも使われていたグリーンお気に入りの表現で、織物という言葉を使うのには、以下のような理由があると考えられる。

  • 織物は経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を交差させて作られている。宇宙を織りなすものとは時空体のことであり、経糸は時間で緯糸は空間とみなすことができる。相対性理論が説くように、時間と空間は独立しておらず、相互に絡み合って影響を与えており、しかも織物のように、伸びたり、縮んだり、歪んだりする。
  • このメタファーは相対性理論だけではなくて、ひも理論にとっても好都合である。ちょうど織物が糸(string)から作られているように、宇宙はひも(string)からできているというのがひも理論だからだ。超ひも理論によれば、高次元がひもにおいてコンパクト化されているので、毛織物のようなものを想像すればよいかもしれない。

PBS が制作したドキュメンタリー番組は、次のような四部構成となっている。

  1. What Is Space?
  2. The Illusion of Time
  3. Quantum Leap
  4. Universe or Multiverse?

以下この順に論評しよう。

空間とは何か

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月27日(水) 15:01.

The Fabric of the Cosmos (1) What Is Space? - PBS 公式プレビュー

書籍の方の『宇宙を織りなすもの』では、ニュートンが提起したバケツの問題が取り上げられている。水の入ったバケツをロープでつるし、そのロープをねじりあげて、手を放すと、最初はバケツは回転するものの、水は静止している。それは、ニュートンによると、バケツは絶対空間に対して回転しているが、水は静止しているからだ。やがて摩擦により、水もバケツと同様に回転し始め、中央が窪み、周辺が盛り上がる。そしてバケツが回転を止めても水が回転を続け、中央が窪んでいるのは、水が絶対空間に対して運動しているからだというのがニュートンの説明である[Sir Isaac Newton's Mathematical Principles of Natural Philosophy and His System of the World (page) 10]。

バケツの縁に蟻がいるとしよう。水がバケツとともに回転しているなら、蟻から見た水は静止しているということになる。もしも運動が観測システムに依拠した相対的なものにすぎないなら、バケツと水がともに静止している時と同じ光景が見えるはずである。しかし、前者においては後者とは異なり、加速度が働くので、周辺が盛り上がってしまう。これは相対主義者にとっては不都合な事実である。

動画では、バケツでは絵にならないからなのか、代わりに氷上でスピンするスケーターが例として出されているが、同じことだ。スタンドにいる観客から見れば、回転しているのはスケーターだが、スケーターの靴に乗っている蟻の視点から見ると、回転しているのはスケート場の方である。それだけならどっちでも同じなのだが、ニュートン物理学によると、回転しているのは、スケーターであって、スケート場ではない。その証拠に、スケーターが絶対空間に対して回転している時は、遠心力(向心力)が働いて、腕が外向きに持ちあがるのに対して、スケーターが絶対空間に対して静止し、スケート場が同じ角速度で回転している時には、蟻から見た光景は同じでも、腕が外向きに持ちあがるという現象が生じない。

もしもこの世に等速度運動しか存在しないなら、絶対空間を想定する必要はなく、ガリレオが発見した相対性原理に安住すればよい。しかし、この世には、回転運動もその一つだが、加速度運動が存在し、そしてニュートンが発見したように、加速度運動では力が働く。もしも絶対空間という基準が存在しないなら、加速度運動と静止を含めた等速度運動との区別がつかなくなり、力が働く場合とそうでない場合の区別が失われてしまう。これは不合理である。ゆえに絶対空間は存在するというわけだ。

ライプニッツは、ニュートンの絶対空間の考えを批判し、空間とは、たんに諸物体の位置関係を記号化するために便宜上作られた言葉にすぎないと考えた。このフォーラムでも「空間はけして観測できない。人が信じる空間というのは脳が発生させるイメージ(クオリア)である」というトピックを立てている人がいるが、こうした空間を虚構視する人は昔からいたのである。しかし、ライプニッツのような相対主義者は、ニュートンが提起したバケツの問題を解決できなかったので、支持されなかった。

事情が変わったのは、エルンスト・マッハが新しい相対主義を唱えてからである。ニュートンの物理学では、たとえ宇宙に他に何もないと仮定しても、回転するバケツやスケーターには遠心力が働くということになるはずなのだが、マッハはそうではないと主張する。マッハによれば、物体に力が働いて加速度運動が生じるのは、絶対空間に対してではなくて、宇宙に存在する物質の総体に対してであり、もしも宇宙に存在する物質が少なければ、物体に働く力はそれだけ弱くなり、他に何も存在しない空っぽの空間の中なら、回転体にはもはや何の遠心力も働かず、回転しているか静止しているかという区別は完全に意味を失うというのである。

アインシュタインは、当初、マッハの考えを重視していたが、やがてそれに幻滅し、後には完全にそれを捨て去った。アインシュタインと言えば、相対性理論で有名であり、マッハ的な相対主義と親近性がありそうである。アインシュタインの相対性理論では、たしかに時間と空間は相対的な概念であるが、四次元時空自体は絶対的な実体である。だから、本当は相対性理論という呼称は、あまり適切ではない。相対性理論という呼称は、アインシュタインが提唱したものでもなければ、アインシュタインが気に入っていたいものでもなかった。そこで、何人かの物理学者は、普遍性原理という呼称を提案したぐらいである[Albert Einstein: A Biography (page) 208-210 (author) Albrecht Folsing]。

何と呼ぶかは別として、アインシュタインの理論によれば、時空は運動の最終的な判定基準になることができる絶対的な実体であり、他に何もない宇宙でも、バケツやスケーターは回転することができるし、現在の宇宙と同様に回転体には遠心力が働く。その点では異なるのだが、アインシュタインの理論とマッハの理論には、ニュートンのように時空を重力から超越的な座標とはとらえていないという点で共通点がある。一般相対性理論が加速度の判定基準とする時空は、重力場であって、この点ではマッハの理論に近い。

私は、この箇所を読んで、廣松渉の『相対性理論の哲学』を想起せざるを得なかった。廣松は、実体概念から関係概念へのパラダイム転換を提唱していた哲学者で、相対主義的あるいは現象主義的な関心からマッハの科学哲学を研究していた。この本には、マッハの相対主義的な哲学がアインシュタインの一般相対性理論に貢献したとみなす1964年の論考とその解釈を再確認する1980年での「自家評釈」が収められている。アインシュタインがニュートンの絶対空間に挑戦しようとしたマッハからインスピレーションを受けたのは事実だろう。しかし、最終的には、アインシュタインの相対性理論は、マッハの物理学や哲学とは異なるものとなった。

廣松は、時空間を絶対的存在とみなしたアインシュタインの「合理論的実在論」を批判しているが、アインシュタインの「合理論的実在論」が抱えていた哲学的問題は、別のところにあると思う。それは、量子論がもたらした不確定性のパラダイムであり、アインシュタインも廣松もこの新しいパラダイムを受け入れることはできなかった。この話は、詳述し始めると長くなるので、別の機会に譲りたい。

時間という幻想

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月27日(水) 17:36.

The Fabric of the Cosmos (2) The Illusion of Time - PBS 公式プレビュー

1回目が空間なら、2回目は時間である。時間の不可逆的な流れは、通常エントロピーの不可逆的な増大で説明される。ところが、グリーンは、エントロピーは時間の矢の問題を解決しないと主張する。グリーンは、物理法則には過去と未来の区別がないこと、すなわち、時間反転対称性(CPT対称性のうちのT対称性)があることから、エントロピー増大則(厳密に言えば、非減少則)は未来に対してのみならず、過去にも当てはまると言う。つまりエントロピーは時間とともに増えるだけでなく、過去に向かっても増えるというのである。

だが、これは明らかに現実とは異なる。プレビュー動画では、落下して割れるグラスの破片の速度ベクトルをグリーンが逆向きにすることで、逆の動きを再現するシーンがあるが、もちろんこのようなことは自然には起きない。エントロピーの法則が示す通り、宇宙の始まりであるビッグバンではエントロピーがきわめて低く、時間とともにエントロピーが増えていったというのが現実である。グリーンは、将来量子力学が、過去と未来を非対称に扱うことが明らかになれば、そして、エントロピーが過去に向かって減少していくことが示されれば、時間の矢の問題は解決すると言うのだが、本人はそうならないという見通しを立てているのだから、驚きである。

なお、グリーンは、『 宇宙を織りなすもの』の注(6-2)で、K 中間子の T 対称性の破れがCERN の CPLEAR 実験とフェルミ研究所の KTEV 実験により直接的に立証されたことに触れている。それでもグリーンは「これらは高エネルギー衝突が起こる一瞬に生み出されるエキゾチックな粒子であって、おなじみの物質を構成する粒子ではないから」という理由で、日常的な世界における時間の矢の謎の解明にはつながらないと言っている。

では日常的な世界における不可逆的な現象を考えよう。水槽に赤インクを落とすとインクの分子は拡散し、水槽はやがて薄いピンクとなるが、その逆の現象は起きない。これはエントロピー非減少則を示すおなじみの例である。インク分子のような微粒子が溶媒中に拡散する運動はブラウン運動と呼ばれ、ブラウン運動を駆動する揺動力(fluctuating force)は、ランジュバン方程式(Langevin equation)という確率微分方程式で記述されるのだが、この方程式は時間反転対称性を持たない不可逆な方程式である。だから、将来量子力学が過去と未来を非対称に扱うことを待つまでもなく、マクロな世界における不可逆性が数学的に示すことができる。

動画のタイトルは「時間という幻想(The Illusion of Time)」だが、グリーンは、「不可逆性という幻想」という意味でこのタイトルを付けたのかもしれない。しかしむしろ「不可逆性という幻想」こそが幻想ではないだろうか。もちろん、エントロピー非減少則に本当に例外がないのかどうかはわからない。有限な経験しかできない私たちに法則の絶対性を保証する能力はない。しかし、エントロピー非減少則には、いまのところ例外は見つかっていないのだから、孤立システムのエントロピーが過去に向かって増大するなどということはありえないと言うべきである。

量子跳躍

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月27日(水) 19:48.

The Fabric of the Cosmos (3) Quantum Leap - PBS 公式プレビュー

第三回目のテーマは量子力学である。波動力学の基礎方程式であるシュレーディンガー方程式における波動関数をどう解釈するかをめぐって1世紀にわたる論争が続いているが、様々な解釈の提案はあるものの、未だに決着していない。グリーンによれば、シュレディンガー方程式のみで解釈する立場とシュレディンガー方程式を変更もしくは補足して解釈する立場の二つに大別できるとのことである。

(1)シュレディンガー方程式のみで解釈する立場

  • ハイゼンベルクに遡るコペンハーゲン解釈。私たちの観測が、電子の波動関数を収縮させる。→宇宙が人間の知識に依存しすぎている。
  • エヴェレットによる多世界解釈。あらゆる可能性は、無数のパラレル宇宙で実現する。→宇宙の数が途方もなく増殖する。固有基底をどう選ぶかという問題がある。
  • マレイ・ゲルマンなどによる量子デコヒーレンス解釈。熱ゆらぎにより、異なる量子状態の間の干渉(コヒーレンス)が消失することで波動関数が収縮する。→どの可能性が選ばれるのかそのメカニズムがはっきりしない。

(2)シュレディンガー方程式を変更もしくは補足して解釈する立場

  • デービッド・ボームによる存在論的解釈。電子は確定した位置と速度を持ち、たんに隠れて見えないだけである。→波動関数が粒子に対して光速以上の速さで影響を与えることになる。また、シュレディンガー方程式とは別にその影響を示す方程式を決めなければならない。
  • ギラルディ、リミニ、ウェーバーによる解釈。一粒子の波動関数は10億年に一度の割合で自発的に収縮すると仮定。大きな物体を構成している粒子は、すべてエンタングルしているので、一つでも収縮すれば、ドミノ効果により、すべての波動関数が収縮する→シュレディンガー方程式を修正して、自発的収縮を正当化する実験的証拠はない。

グリーンは、『宇宙を織りなすもの』では、エヴェレットによる多世界解釈に対して否定的で、量子デコヒーレンス解釈に好意的だった。私は「宇宙は一つしか存在しないのか」で他世界解釈を有力仮説として扱ったので、この評価は意外だった。もっともグリーンは、『隠れていた宇宙(下)』第八章では、多世界解釈を最も重点的に扱っている。だからこの間に考えの変化があったのかもしれない。

グリーンは、しかしながら、多世界解釈を受け入れることに躊躇している。彼は、どちらの本でも、波動関数における確率の違いが実在に与える影響が不明であることを問題視しているのだが、確率の違いは、実現される宇宙の数の違いとして現れるというのが素直な解釈である。宇宙は無数の選択の連言であるから、各選択ごとに、確率の比に応じて宇宙の数が決まるとしても、同じ宇宙が存在することにはならない。

動画の The Elegant Universe には「量子カフェ」、The Fabric of the Cosmos には「量子クラブ」と呼ばれる、量子的世界の摩訶不思議な現象を再現した奇妙な店が登場する(プレビュー動画にも少し出てくる)が、『エレガントな宇宙での呼称では、H バーということになっている。こちらの方がしゃれた名前だ。物理学でエイチバーと言えば、プランク定数 h を 円周率 π の 2 倍で割った値(ディラック定数)で、h に横線を引いた特殊な記号で表される。この記号はシュレディンガー方程式にも含まれており、量子的な現象が現れるバーの名称としてはうってつけである。

宇宙は一つしか存在しないのか、それともたくさんあるのか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月27日(水) 20:20.

The Fabric of the Cosmos (4) Universe or Multiverse - PBS 公式プレビュー

“Universe or Multiverse”という原題はうまく日本語に訳すことができない。“universe”は一つ(uni)の詩節(verse)という意味であり、“uni”を多数という意味の接頭語“multi”に変えることで、多数の詩節=多くの宇宙という語に仕立て上げているのである。多宇宙とは複数のストーリーが共存している黒沢明監督の映画『羅生門』の世界のようなものだと言えば日本人は親しめるかもしれない。

ところで、書籍の方の『宇宙を織りなすもの』では、多宇宙は扱っていない。だから、第四部は、このドキュメンタリーが制作されていた頃に執筆されていた『隠れていた宇宙』の内容を滑り込ませた形になっている。

グリーンは、『隠れていた宇宙(下)』の表11・1でさまざまなバージョンの多宇宙論を以下のようにまとめている(訳はリンク先の日本語訳252ページのものを使っている)。

  • パッチワークキルト多宇宙:無限の宇宙内の状態は必然的に空間のあちらこちらで繰り返され、並行宇宙を生み出す。
  • インフレーション多宇宙:永遠の宇宙インフレーションが泡宇宙の巨大ネットワークを生み、私たちの宇宙はその一つである。
  • ブレーン多宇宙:ひも/M理論のブレーンワールドシナリオでは、私たちの宇宙が存在する3次元ブレーンは、ほかのブレーン-ほかの並行宇宙-も存在する可能性のある、より高次元の場所に浮かんでいる
  • サイクリック多宇宙:ブレーンワールド間の衝突がビッグバンのような始まりとして現れ、時間的に並行するいくつもの宇宙を生み出す。
  • ランドスケープ多宇宙:ひも理論の余剰次元のさまざまな形は、インフレーション宇宙論とひも理論を合体させることにより、さまざまな泡宇宙を生み出す。
  • 量子多宇宙:量子力学によると、確率波に具体化される可能性はすべて、巨大な並行宇宙集団のいずれかで実現する。
  • ホログラフィック多宇宙:ホログラフィック原理の前提によると、私たちの宇宙は遠くの境界面で起きている現象、すなわち物理的に並行宇宙に相当するものを、まさに映し出したものである。
  • シミュレーション多宇宙:技術の飛躍的発展は、宇宙のシミュレーションがいつか可能になるかもしれないと示唆している。
  • 究極の多宇宙:豊饒性の原理が主張するところによると、ありうる宇宙はすべて実在の宇宙であり、したがって、なぜ一つの可能性-私たちのもの-が特別なのかという疑問は回避される。これらの宇宙はありうる方程式すべての具体例である。

このリストの中には、多宇宙と呼ぶことがふさわしくないものが混ざっている。まず、最初のパッチワークキルト多宇宙がそうである。私たちが所属する宇宙は、ハッブル体積(宇宙膨張の後退速度が光速未満となる宇宙の体積)内の観測可能な宇宙で、インフレーション説によれば、宇宙は光速よりも大きな速度で膨張しているので、同一のビッグバンから生まれた領域内に、観測可能な宇宙以上の空間があるはずである。この宇宙とその外部は、物理的に干渉できないのだから、それを別の宇宙と呼ぶべきだというのがパッチワークキルト多宇宙論であるが、それなら、たんにパッチワークキルト多空間論と呼ぶべきではないのか。

パッチワークキルト多空間論という呼称ですらまだミスリーディングである。グリーンは宇宙を織物に喩えたから、この言葉を選んだのだろうが、パッチワークキルトとは、布をはぎ合わせて一枚の布にしたもので、各布との間の境界は絶対的に確定している。ところが、ハッブル体積は任意の観測点から設定される球体なので、その境界は観測点から独立しては確定しない。観測の地平(限界)によって設定される空間が、観測点ごとに生み出されるという意味で、観測地平多空間論という呼称が一番適切ではないのだろうか。

ホログラフィック多宇宙は、グリーンがかなりの確信を持っているホログラム説に基づいている。これは、ブラックホールのエントロピーは、その地平面の面積で決まるというベケンスタインとホーキングの発見から一般化された理論で、ある空間領域内に含まれる情報の量は常にその領域を囲む表面の面積より少ないということから、我々が三次元だと思っているこの宇宙は、二次元のホログラム(レーザーを使って立体画像を再生する二次元の感光材)の投影にすぎないという説が出てきた。

超ひも理論が4次元時空体を10次元時空体に、M理論が11次元時空体に次元を増やしているのに対して、ホログラム説は逆に減らそうとしているのだから面白い。しかし、仮にホログラム説が正しいとしても、これを多宇宙論の一つとしてカウントするのはどうかと思う。多宇宙論においては、各宇宙は独立していなければならず、私たちの宇宙があるホログラムの射影であるとしても、両者は一つの宇宙としてみなさなければならない。伝統的な哲学用語を用いるなら、両者は本質と現象、基体(subjectum)と客象(objectum)の関係にあり、独立した宇宙としては扱われない。

同じことは、シミュレーション多宇宙についても言える。映画『マトリックス』が描いて見せたように、私たちが生きているこの世界は、コンピュータによって作られた仮想現実かもしれない。しかし、その場合でも、真の現実と仮想現実は別の宇宙として扱うべきではなくて、仮想現実は真の現実、真の宇宙に含まれると解釈されるべきである。実際、私たちはセカンドライフのようなコンピュータ上の仮想世界を独立した宇宙とはみなさずに、この宇宙の内部にある仮想世界とみなしている。

サイクリック多宇宙は、宇宙にビッグバンという始まりがあるという不都合を解消するために考え出されたアイデアだが、時間に始まりがあることは本当に不都合だろうか。ビッグバンは時空間の中で起きた出来事ではなくて、時空間自体を生み出す出来事だから、ビッグバンより以前の宇宙はどうなっていたかということは考える必要はないのではないか。サイクリック多宇宙を否定する論理的根拠はないが、サイクリック多宇宙を想定しなければならない必然性もない。

この他、究極の多宇宙は、哲学者ロバート・ノージック(Robert Nozick; 1938年11月16日 – 2002年1月23日)の豊饒性の原理(principle of fecundity)に基づいており、物理学的な根拠はない。ランドスケープ多宇宙は、インフレーション多宇宙とブレーン多宇宙の組み合わせだから除外しよう。そうすると、ありそうな多宇宙は、以下の三つに絞られる。

  • インフレーション多宇宙
  • ブレーン多宇宙
  • 量子多宇宙

これら三種類の多宇宙は、それぞれ別の多宇宙なのか、それとも相互に何らかの関係があるかといったことは、グリーンの本を読んでもわからないので、今後の調査課題としたい。

隠れていた宇宙

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月28日(木) 10:42.

The Hidden Reality (media) Boston Museum of Science (date) March 2, 2011.

ボストン科学博物館が主催した『隠れていた宇宙』と同名の座談会。対話の相手は Amir D. Aczel (1950-) という数学者にして科学史家で、数学的に可能というだけで実在すると言えるのかという話がなされている。かつて、カトリック教会は、地動説をたんに数学的に可能なだけの仮説で、実在に関するものではないという立場をとり続けた。多宇宙も今のところ数学的に可能な仮説にすぎないが、たんに数学的にその存在が予測されていただけのものにのちに対応する実在物が見つかるという形で科学が進歩してきたことを考えるなら、「たんに数学的に可能なだけの仮説」だからといって侮ってはいけない。もちろん、多宇宙は、観測の限界にあるはずのものだから、その実証が原理的に可能なのかどうかという問題はある。

なぜ私たちの宇宙は生命に最適なのか

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月28日(木) 10:56.

Why is our universe fine-tuned for life? (media) TED

「なぜ私たちの宇宙は生命に最適なのか?」というテーマのトークショー。もしもたまたま買った靴が自分の子供の足にぴったり合うなら、それは奇跡だが、たくさんあるサイズの靴の中から自分の子供に合うものを選んで買ったなら、それは奇跡でも何でもない。多宇宙論を肯定するなら、無限にある宇宙のうち、たまたま生命が誕生できる宇宙があっても不思議ではない。私も、2001年10月27日に書いた「人間原理とは何か」で同じような考えを表明した。

ヒッグス機構

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年12月19日(木) 00:10.

Hata Kazuya さんからコメントを頂きました。

Facebook (date) 2013年12月18日 (author) Hata Kazuya さんが書きました:

こういう視点で考えたことがなかったなぁ.ただ,対称性の破れ自体はたしかヒッグス機構が最初じゃないかな.南部氏は計算が天才的だったそうだけれど,日本が伝統的に素粒子物理が強いのは何か文化的理由があるのかもしれない.内山龍雄氏がゲージ理論の論文を早く発表していたら,日本は名実共に素粒子研究のメッカと呼ばれていた可能性もある.ちなみに,昔の日本の大学の雰囲気を聞いていると,なるほど貧しいけれどすばらしい理論研究ができる環境にあったのだろうなと思う.

ヒッグスがヒッグス機構(Higgs mechanism)を提唱したのが、1964年であるのに対して、南部が「自発的対称性の破れ」というアイデアを提唱したのは、1961年です。

  • Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I," Phys. Rev. 122, 345-358 (1961) doi:10.1103/PhysRev.122.345
  • Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. II," Phys. Rev. 124, 246-254 (1961) doi:10.1103/PhysRev.124.246
  • P. W. Higgs, “Broken symmetries, massless particles and gauge fields”. Phys. Lett. 12: 132. (1964)

なお、今年ノーベル物理学賞を受賞するヒッグスは、受賞に先立って、南部に「ひらめきを与えてくれた」と感謝の意を表明しています。

ヒッグス氏「南部氏、ひらめきくれた」ノーベル賞受賞式前に会見 (date) 2013.12.7 (media) 産経新聞 さんが書きました:

物に重さを与えるヒッグス粒子の存在を予言し、ノーベル物理学賞に決まったピーター・ヒッグス英エディンバラ大名誉教授(84)が7日、理論の基を築いた南部陽一郎米シカゴ大名誉教授(92)=2008年同賞受賞=に感謝の意を表した。10日のストックホルムでの授賞式を前に記者会見し「ひらめきを与えてくれた」と述べた。

ヒッグス氏の共同受賞者のベルギー・ブリュッセル自由大のフランソワ・アングレール名誉教授(81)も「南部氏がわれわれを発見に導いた」とたたえた。

アングレール氏は「南部氏は最も偉大な物理学者の一人。通常、物理学者の友人たちはファーストネームで呼び合うが、彼は南部教授と呼ばざるを得ない」。ヒッグス氏は「全く同意する。南部氏の仕事を常に称賛している」と感慨深げに述べた。

Hata Kazuya さんからもう一つコメントを頂きました。

Facebook (date) 2013年12月18日 (author) Hata Kazuya さんが書きました:

すべて量子物理学に従う量子でできているはずの世界から,どうやって私たちの知るマクロな世界が出てくるかというのが,理論物理学にとって最大の問題の一つだと思う.量子力学においては時間は可逆のもののはずで,もし量子力学が最も基礎にある物理法則であるならば,一方方向に流れる時間というのがどうやって生成されるかが問題になる.量子力学は局所的な近似理論でしかなく,弦理論が完成すれば問題は解決するだろうという人もいるけれど,完成したとして局所的な変数で表現できないものになるのは確実なわけで,時間というものがなんなのかの定義すら難しい可能性がある.

これはその通りです。ただ、私は、マクロな世界での不可逆性までを原理的に否定するグリーンに反論したまでです。

ゲージ対称性の破れ

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年12月19日(木) 13:32.

Hata Kazuya さんから返答を頂きました。

Facebook (date) 2013年12月19日 (author) Hata Kazuya さんが書きました:

ご指摘ありがとうございます.私の記憶違いだったようです.となると,ヒッグス機構やトホーフトのゲージ理論の繰り込みが日本人によって最初に公表されなかったかのはいかにも残念ですね.南部氏は以下の1960年の論文で自発的対称性の破れと解釈できるアイデアについてすでに言及されているようです(詳細な解析は後で発表するとして上の1961年のBCSについての論文がそれのようですが).ゲージ不変性(対称性)が保たれる系が,どうやってそれが破られるかという問題意識からの解析はすでに以下の論文でなされていますね.

Nambu, Y (1960). Axial Vector Current Conservation in Weak Interactions. Physical Review Letters 4: 380-382.
Nambu, Y (1960). Quasi-Particles and Gauge Invariance in the Theory of Superconductivity. Physical Review 117: 648-663.

なるほど、1960年の時点で早くもそういうアイデアを出していたということですね。

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