11月 262000
 

一般には原因も理由も、何かを説明するために、区別なく使われているが、哲学的には、両者は区別されるべきである。原因(cause)が「惹き起こす」、理由(reason)が「推論する」という動詞として使われることを手掛かりに、両者の違いを探っていこう。

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David Hume painted by Allan Ramsay.

1. 原因と結果には時間的差異がある

原因は結果を惹き起こす。通常原因と結果の間には時間的な差異がある。ヒュームも次のように言っている。

なぜならば、もしも、ある原因がその結果と同時に存在し、その結果が原因となって惹き起こすさらなる結果とも同時に存在するということが続くならば、時間的継続というようなものはなくなり、すべての対象は同時に存在しなければならなくなるからだ。

For if one cause were co-temporary with its effect, and this effect with its effect, and so on, ‘tis plain there wou’d be no such thing as succession, and all objects must be co-existent.

[David Hume:A Treatise Of Human Nature, 1.3.2.]

例えば、「レンガを押す」という原因は、「レンガが坂を滑り落ちる」という結果よりも時間的に先行している。この場合、どちらが原因で、どちらが結果であるかは明確である。

2. 時間的順序は不可逆性で決められる

しかし「レンガが坂を滑り落ちる」が「レンガと坂の接触面に摩擦熱が生じる」ことの原因であると言う時には、原因と結果が同時である。では、なぜ「滑り落ちるから摩擦熱が生じる」であって、「摩擦熱が生じるから滑り落ちる」ではないのか。

レンガが坂を滑り落ちる時、位置エネルギーが熱エネルギーに変換されて摩擦熱が生じているのであって、摩擦熱という熱エネルギーが位置エネルギーに変換されてレンガが坂を滑り落ちるのではない。原因/結果関係は、この自然の不可逆性に基づいている。結果が原因よりも時間的に先行できないのも、時間の不可逆性による[m]

[m] 原因と結果の関係は、手段と目的の関係を知りたいという、人間のプラグマティックな関心から作り出された概念的関係と考えることもできる。これに対して、根拠と帰結は、法律とその適用に起源があると考えることもできる。

3. 理性は不可逆性を超越しようとする

これに対して、「レンガの底が暖かいから、このレンガは坂を滑り落ちたに違いない」と推論する時、理由(レンガの底が暖かい)と帰結(レンガが坂を滑り落ちる)の関係が原因(落下)と結果(摩擦熱)の関係と逆になっている。もちろん原因を理由、結果を帰結とする推論もできる。つまり、因果関係が自然の不可逆性に拘束されているのに対して、推論関係は自然の不可逆性から自由で、可逆的である。

「レンガを押すと、レンガは坂を滑り落ちる」という時間的に差異化された因果関係の場合はどうだろうか。「なぜあなたは、レンガを手で押すのですか?」と聞かれた人が、「レンガを坂ですべり落とすためだよ」とその理由を答える時、理由は、因果関係における結果に相当し、理由によって正当化される手段は、原因に相当する。もし目的が最初に頭に浮かび、次にそのための手段を考えたとするならば、その時間順序は因果関係の時間順序とは逆になる。

英語のreasonには、「理由」「推論」以外に「理性」という意味もある。理性とは、自然の不可逆性を超越して理由を推論しようとする力である。私は、「なぜ私たちは時間を意識するのか」で、私たちの意識は、時間の不可逆性=エントロピーの増大に抵抗する存在だと述べたが、原因と理由の区別を通して、私の時間論のテーゼを確認することができる。

読書案内
書名A Treatise Of Human Nature
著者David Hume
出版社と出版時期Kessinger Publishing, LLC,
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  2 コメント

  1. この問題は「結果」から始めるという論理に立っている。
    その一つは推論:推理は結果から始めて、その原因にさかのぼっていく。結果を見て、なぜこのことはおこったのか、と。その推理を行うものは生物に属するであろう。無生物には推理は不可能である。だから、推理は思惟できるもの、理性をもったものに固有のものである。
    もう一つは行為:もう一つ結果から始めるものがあり、それが行為であり、これも生物に固有のものである。行為はすべてではないが、ほとんど場合において目的をもって始まる。行為においては、目的を実現するためには、手段が必要となる。そしてこの手段を遂行することによって目的を実現する。すると、この場合は、手段が原因となり、目的は結果として実現される。(これは実在面から見た場合であって、時間的には、現在から未来へ向かう)
    また一方、行為は、目的を目指して行為がなされるのであるから、目的が「原因」である、が、同時に目的は(手段=原因を介して)「結果」として実現される。(これは観念面から見た場合で、時間的には、目的は未来のものであるから、未来から始まる)。このようにして、行為には実在的ものと観念的なものの両方が含まれている。
    それに対して、原因から結果へという関係は機械論的といわれるもので、無生物、つまり物体や物質に固有のものである。一方、生物は単に機械論的であるばかりではなく、推理や行為にあらわれてように、目的論という論理が働いている。

  2. 手段としての行為は、動機という原因に対しては結果に相当し、動機を目的という形で実現すると、それに対する原因となります。だから、因果連鎖的には、
    原因としての動機→手段としての行為→目的実現
    となります。手段(Mittel)は、中間項(Mitte)として媒介(vermitteln)されるわけです(英語の means も中間という意味ですけれども)。

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