なぜ節分に豆をまくのか
毎年節分の日になると、年男(その年の干支に生まれた人)あるいは一家の主人が「鬼は外、福は内」と言いながら、炒った大豆をまく追儺(ついな/おにやらい)の習慣が日本にある。なぜ炒った豆をまくのか、なぜ節分に鬼を退治するのかをシステム論的に考えてみよう。

1. 太陽再生の儀式としての鬼退治
節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことだが、節分の豆まきは、特に立春に行われる。立春は、太陽暦では二月四日ごろに相当し、一年で最も寒い時期から春に向けての出発点にあたる。最も寒いということは、太陽が最も衰退している時期と感じられるわけで、追儺を太陽再生の儀式と見ることもできる。

もし招かれる「福」を太陽の暖かさのメタファーと捉えるならば、追い払われる「鬼」はその逆のメタファーであるはずだ。実際、鬼は「おに」と訓読みされるが、これは、陰(おぬ)が訛ったものとされている。
2. 境界上の両義的存在としての鬼と豆
では陽に対する陰である鬼は、生に対する死と位置付けてよいだろうか。実はそう単純ではない。中国では「鬼」は gui(キ)と読まれ、人間の霊魂あるいは亡霊を意味する。古代の日本では、鬼をもの(もののけのもの)と読んだこともあり、霊的な存在一般を表すのに使用したようだ。このことは、鬼が、生に対する死なのではなくて、生と死の境界上の存在であることを示している。
では、鬼を退治するために、なぜ豆をまくのか。実は、豆も鬼と同様に、境界上の存在なのである。古代の人々は、一般の穀物を直火で炒って食べたが、豆は茹でて食べていた。古代人にとって、茹でることは腐ることのカテゴリーに属し、生と死の中間を意味したのである。豆を炒る、すなわち火で水分を追い出すことは、亡霊を追い出すことを意味している。死者の霊が蘇らないように、豆を炒って芽を出さないようにする。だから、豆を炒る段階で、既に鬼退治が行われているのである。
節分の追儺と似た儀式は世界各地で見られる。古代ローマでは、ソラマメは、一方でジュピターの祭司が食べることもその名を口にすることもできないほどタブー視されていたが、他方で先祖祭、追善供養祭、死霊祭では、神々や死者に供えられ、神聖視される両義性を持っていた。プリニウスによると、エジプト・ギリシャ以来、ソラマメは死者の霊が宿ると考えられていた。日本の節分と同様に、ローマの死霊祭でも、一家の父親が黒豆を口一杯に含んで、亡霊が家を去るように念じて、豆を吐き出すという儀式を行う。
この他、豆をまく祭祀は、豆に生者と死者を媒介する役割を与えているアメリカインディアンにも見られる。奄美諸島にも、死者の霊を呼び、次いで霊が彼岸から絶対に戻ることがないように喪中の家の内外に炒った大豆をまくシャーマンの祭祀がある。
3. 節分におけるスケープゴート構造
こうした儀式には、スケープゴートの構造を観て取ることができる。スケープゴートとは、システムと環境との境界線上に位置する両義的存在者を排除することにより、増大するシステムのエントロピーを縮減し、無秩序から秩序を再創造することである。節分の追儺における境界上の両義的存在者は、豆であり鬼であるのだが、節分という時期自体が、冬と春という節を分ける境界であることにも注目すべきだ。つまり立春を迎えること自体が、陰を追放し、陽を迎えることになるのだ。
節分で、私たちは、「鬼は外」と言いながら、豆を外に投げ捨てるが、「福は内」と言いながら、豆を家の中にもまく。両方に豆をまくことは、家の内と外の境界をあいまいにすることにはならない。家の中にまかれた豆は全て食べられるわけだから、亡霊は全てスケープゴートとして退治され、境界は再設定されるからだ。
ディスカッション
コメント一覧
少々理解しずらかったので、質問させてください。
2. 境界上の両義的存在としての鬼と豆
『古代の人々は、一般の穀物を直火で炒って食べたが、豆は茹でて食べていた。』
というところなのですが、その後で『茹でることは腐ることのカテゴリーに属し、生と死の中間を意味したのである。』
と記されています。古代人は穀物を茹でると腐ると思われていたのに、大豆はゆでてたべたのですよね?
しかし、最後の方に
『豆を炒る、すなわち火で水分を追い出すことは、亡霊を追い出すことを意味している。死者の霊が蘇らないように、豆を炒って芽を出さないようにする。だから、豆を炒る段階で、既に鬼退治が行われているのである。』
とありますが、どちらなのでしょうか?炊いて食べたのでしょうか?
腐るということは、食べられないということではありません。「豆腐」という字の例を考えてみてください。また日常的に茹でて食べることと、祝祭空間において儀式として炒ることは区別してください。
「豆まきは、太陽再生の儀式」とありましたが、一番日の短い「冬至」の方が「太陽再生」の日として相応しいと思うのですが?
太陽再生で疑問に思い、フリー百科で立春を調べたら、旧暦の正月にあたり、新年を迎える儀式として豆まきを行うとの記載がありました。昔のことですから、色々な説があるように思いますが、もう少し詳しくそのあたりを教えて頂ければと思います。
冬至は太陽の南中高度が最も低くなる時期ですが、気温が最低となるのは、1ヶ月以上後のことです。旧暦の大晦日/正月は、寒冷化と温暖化のちょうど境界に位置している時期なので、追儺や節分が行われる時期としてはふさわしいと思います。
永井俊哉様。早々のコメントありがとうございます。寒さをしのぎ春が廻ってくる立春をスタートにしたい人間の心は分かります。それに異論はありません。気になったのは、太陽を含めた天文学がある程度分かり、暦を細かく区切って季節を感じていた昔の人々がなぜ、最も昼の短い冬至を太陽再生の日とせずに、立春にしたのか。天文学と暦をセットに考えていた時代の発想と思えなかったからです。今回、太陽再生と立春との関係を勉強させて頂く良い機会を得させてもらい感謝しています。「中国の新年の始まり」と「時代とともに変わった中国の新年と太陽再生の考え」。変容した中国の暦を採り入れた日本の暦の始まり(勉強した範囲で)が、永井俊哉様の言われる「立春と豆まき」につながるんですね。何気なく過ごしていた暦について、「立春の節分の時だけなぜ豆をまく」と言う話題が知り合いから出て、真っ先に貴データを読ませて頂き勉強になりました。特に「豆」についてや「豆と鬼」の関係は、勉強になりました。ありがとうございました。