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なぜ節分に豆をまくのか

2001年5月19日

毎年節分の日になると、年男(その年の干支に生まれた人)あるいは一家の主人が「鬼は外、福は内」と言いながら、炒った大豆をまく追儺(ついな/おにやらい)の習慣が日本にある。なぜ炒った豆をまくのか、なぜ節分に鬼を退治するのかをシステム論的に考えてみよう。

800bikuni+Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像を加工

1. 太陽再生の儀式としての鬼退治

節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことだが、節分の豆まきは、特に立春に行われる。立春は、太陽暦では二月四日ごろに相当し、一年で最も寒い時期から春に向けての出発点にあたる。最も寒いということは、太陽が最も衰退している時期と感じられるわけで、追儺を太陽再生の儀式と見ることもできる。

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北斎漫画の「節分の鬼」。Source: 京極 夏彦, 多田 克己, 久保田 一洋.『北斎妖怪百景』国書刊行会 (2004/7/1). Licensed under CC-0.

もし招かれる「福」を太陽の暖かさのメタファーと捉えるならば、追い払われる「鬼」はその逆のメタファーであるはずだ。実際、鬼は「おに」と訓読みされるが、これは、陰(おぬ)が訛ったものとされている。

2. 境界上の両義的存在としての鬼と豆

では陽に対する陰である鬼は、生に対する死と位置付けてよいだろうか。実はそう単純ではない。中国では「鬼」は gui(キ)と読まれ、人間の霊魂あるいは亡霊を意味する。古代の日本では、鬼をもの(もののけのもの)と読んだこともあり、霊的な存在一般を表すのに使用したようだ。このことは、鬼が、生に対する死なのではなくて、生と死の境界上の存在であることを示している。

では、鬼を退治するために、なぜ豆をまくのか。実は、豆も鬼と同様に、境界上の存在なのである。古代の人々は、一般の穀物を直火で炒って食べたが、豆は茹でて食べていた。古代人にとって、茹でることは腐ることのカテゴリーに属し、生と死の中間を意味したのである。豆を炒る、すなわち火で水分を追い出すことは、亡霊を追い出すことを意味している。死者の霊が蘇らないように、豆を炒って芽を出さないようにする。だから、豆を炒る段階で、既に鬼退治が行われているのである。

節分の追儺と似た儀式は世界各地で見られる。古代ローマでは、ソラマメは、一方でジュピターの祭司が食べることもその名を口にすることもできないほどタブー視されていたが、他方で先祖祭、追善供養祭、死霊祭では、神々や死者に供えられ、神聖視される両義性を持っていた。プリニウスによると、エジプト・ギリシャ以来、ソラマメは死者の霊が宿ると考えられていた。日本の節分と同様に、ローマの死霊祭でも、一家の父親が黒豆を口一杯に含んで、亡霊が家を去るように念じて、豆を吐き出すという儀式を行う。

この他、豆をまく祭祀は、豆に生者と死者を媒介する役割を与えているアメリカインディアンにも見られる。奄美諸島にも、死者の霊を呼び、次いで霊が彼岸から絶対に戻ることがないように喪中の家の内外に炒った大豆をまくシャーマンの祭祀がある。

3. 節分におけるスケープゴート構造

こうした儀式には、スケープゴートの構造を観て取ることができる。スケープゴートとは、システムと環境との境界線上に位置する両義的存在者を排除することにより、増大するシステムのエントロピーを縮減し、無秩序から秩序を再創造することである。節分の追儺における境界上の両義的存在者は、豆であり鬼であるのだが、節分という時期自体が、冬と春という節を分ける境界であることにも注目すべきだ。つまり立春を迎えること自体が、陰を追放し、陽を迎えることになるのだ。

節分で、私たちは、「鬼は外」と言いながら、豆を外に投げ捨てるが、「福は内」と言いながら、豆を家の中にもまく。両方に豆をまくことは、家の内と外の境界をあいまいにすることにはならない。家の中にまかれた豆は全て食べられるわけだから、亡霊は全てスケープゴートとして退治され、境界は再設定されるからだ。