7月 142001
 

環境に適応しようとすると、変化に適応しにくくなり、変化に適応しようとするならば、環境に適応しにくくなる。スペシャリストかジェネラリストかという選択を迫られる時、あなたならどちらを選ぶか。

image

1. 恐竜はなぜ滅びたのか

中生代に繁栄を誇った恐竜がなぜ絶滅したのかは、いまだに謎である。かつて小惑星衝突説が有力であったが、この説では、恐竜が小惑星衝突前から徐々に滅亡に向かっていったことが説明できないため、現在では、マントル・プルーム説が有力である。

この説によれば、地球内部のマントル・プルームの周期的上昇が、全世界的規模の火山活動の活性化や海水面の低下や寒冷化をもたらし、それにあわせて、古生代ペルム紀中期から現在までの2億5000万年間に、地球の生物は、約2600万年の周期で計11回大量に絶滅したとのことである。恐竜やアンモナイトが絶滅した白亜紀末は、10回目の大量絶滅だった。

恐竜が繁栄したジュラ紀と白亜紀は、高緯度地域を含めた地球全体が高温多湿で常夏の無氷河時代であった。この時代では、変温動物の方が、哺乳類のような恒温動物よりもエネルギー効率がはるかによく、より環境に適応していた。この環境に適合しすぎた恐竜は、白亜紀末の気候の寒冷化を生き抜くことができず、鳥類を除いて、絶滅した。

それにしても、2心房2心室を持ち、すばやい運動をするなど、現代の哺乳類と比べても遜色ないぐらいに高度に進化した恐竜が絶滅し、同じ変温動物でも、恐竜と比べると進化の遅れていたワニやトカゲなどの原始的な爬虫類の方は、今に至るまで生き延びているというのは、皮肉なことである。

従来の自然淘汰説は、環境の安定を前提に、その環境に最も適合した種が生き残ると主張してきた。しかし環境が激変する局面においては、むしろ環境に適合すべく高度に進化した種の方が、絶滅する傾向にある。現在は、人間を中心とする哺乳類の全盛期であるが、人間は高度に進化しすぎた結果、環境の激変を生き延びるだけのたくましさを失ってしまった。人間よりもゴキブリのような下等な動物の方が、次の大量絶滅を生き延びる可能性が高い。

2. 適応の二律背反

話を一般化しよう。環境適応力と変化適応力は、二律背反の関係にある。環境に適応しないと、滅亡するか、あるいは周縁で冷や飯を食うことになる。他方で、特殊な環境に適応し、中心に近づけば近づくほど、環境の変化に対応することができずに、滅亡するリスクを抱えることになる。

例えば、ナチ占領下のフランスという環境のもとでは、フランス人は、レジスタンス運動を行ってナチに抵抗するか、それともナチに協力するかという選択肢を迫られる。与えられた環境のもとで保身を図るならば、ナチの忠実な犬となった方が有利である。しかしその場合、ナチのフランス支配が崩れ、フランス人の自治が回復した暁には、同国人から売国奴として訴えられるはめになる。このジレンマを避けるために、中間的な道を選ぶこともできる。しかし通常こうもりは一番嫌われる。二つの選択肢の欠点だけを抱え込むことになる。

3. スペシャリストかジェネラリストか

もっと身近な例を挙げよう。豊かで安定した生活を送るためには、個人で自立して開業するよりも、大企業の中で立身出世した方が良いとかつての日本人は考えた。しかし大企業の中に埋没すればするほど、その企業が倒産した時、その企業と運命をともにしなければならないリスクが増える。会社人間に徹し、中間管理職の地位を手に入れたサラリーマンも、倒産あるいはリストラで路頭に迷えば、ただの中年のおじさんで、再就職は難しい。

会社人間はもう古いと思うかもしれない。実際、若いサラリーマンは、会社の中でしか通用しないジェネラリストから会社の外でも通用するスペシャリストへと転身すべく、資格取得や特殊技能の修得に余念がない。企業自体、系列の中でしか通用しない下請けからグローバルマーケットで通用するオンリーワンカンパニーへ脱皮しようとしている。しかし得意分野に特化すればするほど、その専門と運命をともにしなければならないリスクが増える。例えば、レコードの針の製造に特化すると、レコードからCDへの技術革新の流れの中で淘汰される可能性が増える。

高学歴の人ほど就職は有利というのが世間の通念だが、日本の文系の大学院を出ると、かえって就職は難しくなる。大卒ならつぶしがきくが、大学院で専門を身に付けると、人材としては使いにくくなるからだ。理系でも、博士課程まで行ってしまうと、一般企業への就職は難しくなる。研究職を手に入れることができず、勤務していた予備校も少子化で倒産し、目下タクシードライバーとして糊口をしのいでいる博士号所有者はたくさんいる。そういう人たちは、自分の専門と一緒に心中してしまった人たちである。

読書案内
書名大絶滅―遺伝子が悪いのか運が悪いのか?
媒体単行本
著者デイヴィッド・M. ラウプ 他
出版社と出版時期平河出版社, 1996/04
このページをフォローする
私が書いた本

  11 コメント

  1. いつも楽しく拝見させて頂いております。
    引用文:
    <・・・実際、若いサラリーマンは、会社の中でしか通用しないジェネラリストから会社の外でも通用するスペシャリストへと転身すべく、資格取得や特殊技能の修得に余念がない。・・・。例えば、レコードの針の製造に特化すると、レコードからCDへの技術革新の流れの中で淘汰される可能性が増える>
    について:
    私は、「会社の中でしか通用しない」能力の持ち主は「スペシャリスト」だと思います。つまり、その会社の業務に関して「スペシャリスト」だということです。ある意味これらも高度に分業化されていると解釈しています。
    例えば、同じ業務内容でも会社ごとに流れが違うということがよくあるということです。
    次に「会社の外でも通用する」のが、どこに行っても通用するという意味から、ゼネラリストだと解釈しています。
    やや極端な例を挙げますが、
    どんな業務も平均点75点でこなせる能力が「ゼネラリスト」であり、
    ある特化した業務に関しては100点だが、それ以外の業務については0点、という能力の持ち主が「スペシャリスト」だと解釈しています。
    例えば、中学時代の主要5教科に関して、5教科全て「3.5~4」なのがジャネラリストであり、
    例えば数学だけ「5」でその他4教科「1」という持ち主がスペシャリストだと考えます。
    情報社会の時代になり、高度に分業化された時、例えば、社会システムが激変したとき生き残るのは、どんな分野にも「平均点75点」のジェネラリストが生き残るのと考えます。
    実際、今、雇用体系の変化が起きてますが(終身雇用制の廃止など)、その時生き残れるのはジェネラリストだという立場です。3ヶ月ほど前に読んだ新聞(確か朝日新聞だったと思います)に、「山一證券の社員たちは今どうしているか」という内容の記事がありました。結論としては、同業種の会社に再就職しても、同業務内容であるにも関わらず、事務的な部分や営業のやり方が異なったり、その企業文化にいつまでもなじむことが出来ずに、転職ジプシーに陥ってしまっているとのことです。
    例え、システムがどんどん複雑になっていっても、「0点」と「100点」であるスペシャリストではなく、どんな環境にも適応できる「平均点75点」の能力を持つジェネラリストが、特に激変に対しては生き残れるのではないでしょうか。
    少なくても人間の能力システムの範疇においては、「複雑性の増大による複雑性の縮減」にはならないような気がしています。高度に分業化され、人々皆が、その中である部分に特化してしまうとシステムが変化したとき、そのシステムは崩壊するのではないでしょうか。人間はそこまで優秀ではないのと思うのです。脳科学の書籍を読んでみると、脳は、物事を分けては解釈しないそうです。
    もちろん、芸術家や、芸人、音楽家などのスペシャリストは、個人的に魅力的なので、私はスペシャリストを否定しているわけではありません。むしろ、もっとスペシャリストが増えてほしいとも思っています。

  2. 私が言っている「スペシャリスト」とは、機能的スペシャリストであって、帰属的スペシャリストではありません。いろいろな部署に回されて、何の特技も身につけていない会社人間は、帰属的スペシャリストであっても、機能的スペシャリストではありません。
    “3ヶ月ほど前に読んだ新聞(確か朝日新聞だったと思います)に、「山一證券の社員たちは今どうしているか」という内容の記事がありました。結論としては、同業種の会社に再就職しても、同業務内容であるにも関わらず、事務的な部分や営業のやり方が異なったり、その企業文化にいつまでもなじむことが出来ずに、転職ジプシーに陥ってしまっているとのことです。”
    私の妹は、元山一證券の従業員で、現在は、某メーカーに勤めています。エクセルを用いた実務経験を買われて、転職できたそうです。異業種でも、業務内容が同じなら、やっていけるものですね。

  3. 分業化がより進んだ場合、「機能的スペシャリスト」でさえ存在できるでしょうか、特にビジネスの世界においては。いや、芸術やスポーツ選手など全てのスペシャリストもどうでしょうか。
    例えば、プロ野球選手を例に挙げると、現役時代一流の活躍をしても、選手としての能力しかなければ、例えば、指導力が無ければコーチ業や監督業に抜擢されることはないですし、また、コメント力が無ければ、コメンテーター業にも抜擢されないでしょう。実際、コメント力が無い元選手は、一度は名前という現役時代のブランドで抜擢されるものの、長続きしていません。
    同じ業務内容で、異業種への転職にうまくいく人というのは、その実務経験だけではなく、むしろ、他の能力もあったのだと思います。そういう意味で、例えば、同等の実力の「エクセル」のスペシャリストがいて、一人はエクセルだけのスペシャリストで、もう一人は、エクセル以外の能力を持ち合わせていたとします。そんな二人が同じ会社に同期転職したと仮定したとき、世の中を見てみると、やはり、後者のエクセル以外の能力も持ち合わせた人物の方がうまくやっていけるのではないでしょうか。
    そういう意味で、前者がスペシャリストであり、後者がゼネラリストだと解釈しています。
    「機能的」「帰属的」いづれにしても、技術を一つだけ、若しくは少数だけ持ち合わせた人物をスペシャリストと解釈しています。
    そして、複数の技術を持ち合わせた能力の持ち主がゼネラリストだと解釈しています。
    機能的であれ、帰属的であれ、一つだけ又は少数の技術だけでは、世の中の考え方や時代が変化したとき、(激変が起きたとき)、通用しなくなるのではないかと思っているのです。特に情報社会へと移行している現在の様な時代においては。。
    どうせスペシャリストを目指すなら、特化しすぎたスペシャリストではなく、柔軟なスペシャリストを目指すべきだというのが、私の意見で御座います。私が上記で解釈した「ゼネラリスト」というのは、ここでいう「柔軟なスペシャリスト」と同等の意味です。

  4. “例えば、プロ野球選手を例に挙げると、現役時代一流の活躍をしても、選手としての能力しかなければ、例えば、指導力が無ければコーチ業や監督業に抜擢されることはないですし、また、コメント力が無ければ、コメンテーター業にも抜擢されないでしょう。実際、コメント力が無い元選手は、一度は名前という現役時代のブランドで抜擢されるものの、長続きしていません。”
    学校の部活動を有料化し、教員免許を持たなくても指導に当たれるようにすれば、スポーツ選手や芸術家のための大きな市場ができるでしょう。教師が、ジェネラリストとして、授業と部活動の両方を掛け持ちすることは、人的資源の浪費だと思います。何よりも、一流の指導者に恵まれないという意味で、生徒にとってマイナスです。
    日本の社会でスペシャリストが生き残れるかどうかを考える前に、スペシャリストが生き残れない日本の社会がグローバル社会で生き残れるかどうかを考える必要があります。

  5. グローバルに考えるなら、尚の事、能力が少なくてはやっていけないと思います。
    まず最低限、英語能力は必要でしょう。スポーツ選手のような特殊な場合は、通訳をつけてもそれほど支障は無いのかもしれませんが、第一線のビジネスマンの場合なら、自分で喋れなければ始まらないでしょう。
    科学的ではないかもしれませんが、「コミュニケーション能力」という技術が、自国にいる時より必要になってくると思います。その国の文化にも馴染んでいかなければなりません。
    グローバルな社会において、一つの能力でもやっていけるのは、グローバルな規格が多く出来上がった社会の場合でしょう。でも、そうなると、ある意味自国にいるのと同じ状況です。

  6. グローバル社会での競争とは、外国に行って働くということではなくて、地球上のすべての個人・法人と、単一市場で競争するということです。

  7. トドのつまりはこういうことじゃないでしょうか?
    結局のところ、個々の人間の強みというのは狭い分野に集中しているものであり、
    それぞれが世界的な競争力を求められるような単一グローバル経済にあって
    生き残れるのは、その強みに特化して十分活用している者、つまりスペシャリスト
    だけであると。
    無論、その強みを活かすには、昔の「読み書きそろばん」のように、
    一定の基礎教養、技能は必要でしょう。
    またそのスペシャリストのあり方も、昔の職人のように
    一つの技能と仕事の仕方で一生食べていけるものではないでしょう。
    変化する情勢の中で、目の前の仕事が即自分の専門、という狭い見方でなく、
    色々な仕事の仕方を試す中で、最も自分の強い仕事の仕方を常に探して組み替えて行く
    というような形になるのではないでしょうか?
    しかし基本的には、上記のようにダビンチのような万能の天才人間は稀である事から
    言って、ごく狭い強みにひたすら特化した仕事をできない限りは
    生き残ることもできない、
    得意でない所で勝負をかけるのはわざわざ負けに行くようなものだということ。
    つまり、自らの強みに合った仕事のスペシャリストとして、それを個々の仕事の
    プログラムに応じて、ある程度組み替えられる能力が必要だということです。

  8. 人は、年をとるにつれて、変化適応能力を失いますが、代わりに、何にでも交換できる貨幣を蓄積し、バランスをとります。人類という種も、生物的には、変化適応能力を失いつつありますが、その分、後天的に変化に適応できる技術力でバランスを取っています。

  9. ポスドク問題というのがあるみたいですが、大体、学問を究めたいタイプの人というのは、ここでいう変化適応力よりも環境適応力のほうが発達した方です。しかし、高卒・大卒で新卒で就職した人よりも、ドクターにまでなって研究職につけなかった人は、いろいろな仕事を転々としてより変化適応力の必要な生き方をしなければならないというのは、皮肉なことですね。
    また、ロシアでペレストロイカ後に男性の寿命が著しく短くなった(自殺やアル中などで)というのは、体制にたいしてより、環境適応力を発揮して対するのが男性だということなのでしょうか。言い換えれば、男気、一本気。男とは生命力の弱いものなのかな?という根拠のない疑問をずっと感じてきましたが、ここでいう二律背反の論理を拝見して、なるほどという納得を得ました。

  10. 例えば、中学時代の主要5教科に関して、5教科全て「3.5~4」なのがジャネラリストであり、
    例えば数学だけ「5」でその他4教科「1」という持ち主がスペシャリストだと考えます。とありますが一教科だけ2で他は全て5も有り得るので反論になっていません

  11. それは、スーさんのコメントに対する批判ですね。スーさんは、5教科全て3.5~4と言っているのであって、5教科の平均が3.5~4と言っているわけではないので、問題はないでしょう。
    スーさんのコメントでおかしいのは、“「会社の中でしか通用しない」能力の持ち主は「スペシャリスト」だ”と言いながら、数学の能力という、どの学校でも通用する能力をスペシャリストの能力の例として使っているところです。

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

Facebook
Facebook
Google+
Google+
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/environmental-adaptation-risk-management
LinkedIn