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環境適応と変化適応

2001年7月14日

現在の環境に適応しようとすると、変化に適応しにくくなる一方で、変化に適応しようとするならば、現在の特殊な環境に適応しにくくなる。スペシャリストかジェネラリストかという選択を迫られる時、あなたならどちらを選ぶか。

Image by Dariusz Sankowski + Parker_West + moriador from Pixabay modified by me

1. 進化は進歩なのか

生命誕生以来、小さくて単純な生物から大きくて複合的な生物が進化してきた。私たちは、自身がそうした進化の産物であるがゆえに、進化を進歩と考えがちである。だが進化にこのような価値判断を持ち込むことは正しいのだろうか。原始的な生物は、「下等」で、私たちよりも価値が低い生物なのだろう。

価値判断の成否は、価値基準によるが、生存という基準で判断する限り、高度に進化した生物が原始的な生物よりも生存力が高いとは限らないので、こうした価値判断は必ずしも成り立たない。実際、環境が激減した時、後者よりも前者の方が絶滅しやすい。中生代において最も進化した、陸の王者ともいうべき生物は恐竜である。恐竜は、二心房二心室を持ち、すばやい運動をするなど、現代の哺乳類と比べても遜色ないぐらいに高度に進化していたが、中生代の末期に、鳥類を除いて絶滅した。他方で、恐竜と比べて進化が遅れていたワニやトカゲなどの原始的な爬虫類の方は、今に至るまで生き延びている。

従来の自然淘汰説は、環境の安定を前提に、その環境に最も適合した種が生き残ると主張してきた。しかし環境が激変する局面においては、むしろ環境に適合すべく高度に進化した種の方が、絶滅する傾向にある。現在は、人間を中心とする哺乳類の全盛期であるが、人間は高度に進化しすぎた結果、環境の激変を生き延びるだけのたくましさを失ってしまった。人間よりも「下等」な動物の方が、次の大量絶滅を生き延びる可能性が高い。

2. 適応の二律背反

話を一般化しよう。環境適応力と変化適応力は、二律背反の関係にある。環境に適応しないと、滅亡するか、あるいは周縁で冷や飯を食うことになる。他方で、特殊な環境に適応し、中心に近づけば近づくほど、環境の変化に対応することができずに、滅亡するリスクを抱えることになる。

例えば、ナチ占領下のフランスという環境のもとでは、フランス人は、レジスタンス運動を行ってナチに抵抗するか、それともナチに協力するかという選択肢を迫られる。与えられた環境のもとで保身を図るならば、ナチの忠実な犬となった方が有利である。しかしその場合、ナチのフランス支配が崩れ、フランス人の自治が回復した暁には、同国人から売国奴として訴えられるはめになる。このジレンマを避けるために、中間的な道を選ぶこともできる。しかし通常こうもりは一番嫌われる。二つの選択肢の欠点だけを抱え込むことになる。

3. スペシャリストかジェネラリストか

もっと身近な例を挙げよう。豊かで安定した生活を送るためには、個人で自立して開業するよりも、大企業の中で立身出世した方が良いとかつての日本人は考えた。しかし大企業の中に埋没すればするほど、その企業が倒産した時、その企業と運命をともにしなければならないリスクが増える。会社人間に徹し、中間管理職の地位を手に入れたサラリーマンも、倒産あるいはリストラで路頭に迷えば、ただの中年のおじさんで、再就職は難しい。

会社人間はもう古いと思うかもしれない。実際、若いサラリーマンは、会社の中でしか通用しないジェネラリストから会社の外でも通用するスペシャリストへと転身すべく、資格取得や特殊技能の修得に余念がない。企業自体、系列の中でしか通用しない下請けからグローバルマーケットで通用するオンリーワンカンパニーへ脱皮しようとしている。しかし得意分野に特化すればするほど、その専門と運命をともにしなければならないリスクが増える。例えば、レコードの針の製造に特化すると、レコードからCDへの技術革新の流れの中で淘汰される可能性が増える。

高学歴の人ほど就職は有利というのが世間の通念だが、日本の文系の大学院を出ると、かえって就職は難しくなる。大卒ならつぶしがきくが、大学院で専門を身に付けると、人材としては使いにくくなるからだ。理系でも、博士課程まで行ってしまうと、一般企業への就職は難しくなる。研究職を手に入れることができず、勤務していた予備校も少子化で倒産し、目下タクシードライバーとして糊口をしのいでいる博士号所有者はたくさんいる。そういう人たちは、自分の専門と一緒に心中してしまった人たちである。

4. 追記:メギンソンの進化論解釈

2020年07月02日

自民党が憲法改正の必要性を訴えるために制作した漫画「教えて!もやウィン 憲法改正ってなぁに?」に対して、日本人間行動進化学会がその内容を批判する声明を出している。2020年6月19日に自民党広報の公式Twitterアカウントで紹介された第1話で、「もやウィン」という架空のキャラクターが「ダーウィンの進化論ではこういわれておる」として「最も強い者が生き残るのではなく 最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは 変化できる者である」と言っている。朝日新聞[1]や東京新聞[2]といった憲法改正に批判的なメディアもこれを問題視してる。

しばしばダーウィンの言葉として引用されるこの命題を、ダーウイン自身が口にしたことはない。ダーウィン・コレスポンデンス・プロジェクトによると[3]、この誤引用を最初に行ったのは、レオン・C・メギンソン(Leon C. Megginson;1921年7月26日 ー 2010年2月22日)である。メギンソンは、この自己流解釈を様々な表現で述べているのだが、1963年の初出は以下のようなものであった。

According to Darwin’s Origin of Species, it is not the most intellectual of the species that survives; it is not the strongest that survives; but the species that survives is the one that is able best to adapt and adjust to the changing environment in which it finds itself.[4]

ダーウィンの『種の起源』によると、生き残るのは最も知的な種ではありません。最も強い種でもありません。生き残る種は、自分がその中にいるところの変化する環境に最もよく適応し、適合することができる種なのです。

生き残ることができるのは、変化できるものではなくて、変化する環境に適応できるものということだから、自民党の漫画は、ダーウィンの引用として間違っているだけでなく、メギンソンの引用としても正確でないということになる。もとより、引用として正しいかどうかという問題と、進化論の命題として正しいかどうかという問題は区別して考えなければならない。ダーウィンが言ったから正しいとは限らないし、ダーウィンが言わなかったから間違っているとは限らないからだ。

日本人間行動進化学会は、自民党の主張が、引用として間違っているだけでなく、主張内容自体が論理的間違いだと言っている。だが、その声明文の中には、首を傾げたくなるようなことが書かれている。

⽣物進化がどのように進むのかという事実の記述を踏まえて、「⼈間社会も同様の進み⽅をするべきである」もしくは「そのように進むのが望ましい」とする議論は「⾃然主義」と呼ばれてきました。これは「⾃然の状態」を、「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする⾃然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」です。論理的には成⽴しないはずの議論であるにもかかわらず、進化論と⾃然主義が結びつくことによって、肌の⾊、⺠族、性別、能⼒の有無などによる差別や抑圧が正当化されてきた歴史が厳然と存在します。そして現代においても、⾃然主義の⽴場から差別や暴⼒を正当化する⾔論は失われていないのです。科学という権威を利⽤して政治的な主張を展開しようとする中で、そもそもダーウィンが主張したことのない⾔説が編み出され流布されるような事態まで起きています。[5]

「⾃然主義的誤謬」は、G. E. ムーアが考案した用語である。世間では、事実から価値を導くことが⾃然主義的誤謬であると解釈されているが、拙著『言語行為と規範倫理学』第二章第一節で既に述べたように、これはムーアの解釈として間違っている。事実から価値を導く時に間違う可能性はあるものの、事実から価値を導くことそれ自体を間違いとはムーアは考えなかった。ムーアにとって、これは「論理」の問題ではなく、直観の問題で、それゆえ、ムーアのメタ倫理学は直観主義と呼ばれる。事実から価値を導くことを論理的誤謬と主張するメタ倫理学的な立場は情動主義と呼ばれる。両者は混同されるべきではない。どうでもよい話と思うかもしれないが、ダーウィンに対する誤解を糾弾する声明がムーアに対する誤解に基づいているのは、洒落にならない話だ。

メタ倫理学の話は措くとして、過去に進化論が優生学的に政治利用され、「肌の⾊、⺠族、性別、能⼒の有無などによる差別や抑圧が正当化されてきた歴史が厳然と存在」することは確かだ。しかし、自民党の今回の漫画を批判するために、こうした過去の事例を持ち出すことは不適切である。なぜなら、そうした優生学的に政治利用された進化論が、「最も強い者が生き残る」あるいは「最も賢い者が生き延びる」というテーゼに立脚して、有色人種に対する白人の優位等々を主張していたのに対して、自民党の今回の漫画はそれを否定しているからだ。共通点があるとするなら、「科学という権威を利⽤して政治的な主張を展開」することぐらいだが、⾃然主義的誤謬の誤解釈を信じない限り、科学的知見を政策決定に利用してはいけない理由はないのだから、批判する根拠にはならない。

進化論は変化できる者のみが⽣存できるとは主張していないのです。進化は「集団中の遺伝⼦頻度の変化」のことであり、個体の変容に関する⾔及ではありません。[5]

これは、「者」を個人と解釈した批判のようだ。進化論から導かれる結論が、種にのみ当てはまり、個人には当てはまらないとは限らないと私は考えているが、私見はともかく、自民党の主張においては、憲法を改正して変化する主体は、最終的には日本という集団であって、個人ではない。憲法改正の成否の鍵を握るのは国民投票であり、日本国民という集団内の賛成比率の変化で決まる。憲法改正の焦点となっている九条は、安全保障にかかわっており、生き残るかどうかが問題となるのは、日本という集団であって、個人ではない。メギンソンの主張も、英語原文を見ればわかるとおり、変化の主体は種(species)であって、個体ではない。ゆえにこの批判は的を得ていない。

ダーウィン的進化とはランダムに⽣じた変異の中から、環境に適さないものが淘汰されていくプロセスです。現代の⽣物学では、この進化というプロセスから、いかに⽣命の多様性が⽣み出されてきたのか研究され明らかになってきました。[5]

これがなぜ自民党批判になっているのだろうか。もしも生物が変化できないと仮定しよう。すると、多様性が生み出されないのだから、環境が変化するたびに淘汰されて数を減らし、最終的には生命は消滅してしまう。だから「唯一生き残ることが出来るのは 変化できる者である」という主張は、「ダーウィン的進化」の考えと矛盾しない。

おそらく、日本人間行動進化学会は「ランダム」を強調することで、自民党の間違いを指摘したかったのかもしれない。朝日新聞は、「このマンガのように事物をある方向に意図的に変更することは偶然の変異に基づく進化とは何の関係もない。マンガは読者の判断を誤らせるための悪しきフェイクだと言わざるをえない[1]」という三中信宏東京農業大客員教授のコメントを掲載している。しかし、本当に、変異がランダムでないなら、「ダーウィン的進化」とは言えないのか。

ダーウィンの進化論は、もともと人間が意図的に行ってきた品種改良をヒントにして着想されたもので、意図的変異を排除していない。ダーウィンは、自然選択説とは別に性選択説も採用している。メスが好みのオスを選ぶことは、意図的で、ランダムではない。当時はまだ遺伝子の存在は知られておらず、ダーウィンは、ラマルク同様、獲得形質の遺伝を支持していた。それゆえ、ダーウィンの自然選択説は、もともとはラマルクの用不用説と決定的な対立関係にはなかった。

その後、遺伝子が発見され、獲得形質の遺伝が否定されると、遺伝子突然変異と自然選択で進化を説明するネオダーウィニズムが成立した。日本人間行動進化学会が、変異のランダムさを強調する進化論は、ダーウィンの本来の進化論というよりもネオダーウィニズム的な進化論であろう。ネオダーウィニズムは、現在の進化論における支配的なパラダイムであるが、問題がないわけではない。近年、エピジェネティックスと呼ばれる遺伝子の後天的修飾のメカニズムが知られるようになり、ラマルキズムが部分的に復活してきた。発現形質レベルでの進化においてエピジェネティックスが果たす役割は小さくなく、その変異は完全にランダムではない。だから、ダーウィンの解釈を離れても、変異がランダムでなければ進化論ではないとは言えなくなってきている。

私たちはここで、特定の政治的意⾒を主張するものではありません。いかなる⽅向性・内容であっても、ダーウィンの進化論という科学的知識が、社会的影響⼒を持つ団体や個⼈によって(それが意図されたものであるかどうかにかかわらず)誤⽤されることについて、反対を表明するものです。[5]

日本人間行動進化学会はこう言って、政治的中立性を主張している。しかし、「科学という権威を利⽤して政治的な主張を展開しようとする」自民党を批判したこの権威ある学会の声明が、朝日新聞や東京新聞といった憲法改正に批判的な「社会的影響⼒を持つ団体」によって、まさに権威として政治利用されているのも事実である。

「科学という権威を利⽤して政治的な主張を展開しようとする」ことには、日本人間行動進化学会とは逆の理由で問題があると私は考えている。権威というものは保守的で、それでいて自分を絶対視して、素人を見下そうとする傾向がある。しかし、科学は絶えず進化しており、現在の権威ある定説を絶対視することはナンセンスである。長期的に見るなら、学問の世界でも、変化する環境に適応できなければ生き残れないのだから、権威にとらわれることなく、非正統的な仮説に対してもオープンな態度をとり、自己を相対化することが必要である。

5. 参照情報

  1. 1.0 1.1 朝日新聞.「進化論の誤用、憲法改正に引用 自民のツイートに批判」2020年6月20日 22時38分.
  2. 東京新聞.「自民Twitter炎上で注目 「ダーウィンの進化論」とは」2020年6月26日 05時55分.
  3. Darwin Correspondence Project. “The evolution of a misquotation." 2017. University of Cambridge.
  4. Leon C. Megginson. “Lessons from Europe for American Business“. Southwestern Social Science Quarterly, Volume 44, Number 1. 1963 June. p. 4. Presidential address delivered at the Southwestern Social Science Association convention in San Antonio, Texas, April 12, 1963.
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 日本人間行動進化学会会長および理事会.『「ダーウィンの進化論」に関して流布する言説についての声明』日本人間行動進化学会. 2020年6月27日.