道徳的価値は経済的価値と異なるか

2001年1月21日

多くの倫理学者は、経済的価値と道徳的価値は、異質であると考えている。経済的誘惑に打ち克つことこそ道徳的価値の本質だと考える人すらいる。はたしてそうだろうか。

Image by kmicican + Gerd Altmann from Pixabay modified by me

1. 経済的価値と道徳的価値の葛藤

確かに「正直者はばかを見る The honester the man, the worse luck」という諺があるように、道徳的正義と経済的利益は必ずしも両立しない。例えば、自分の会社が組織ぐるみの違法行為を行っていることに気が付いたとしよう。あなたならどうするか。

社会正義のために、内部告発をするべきだろうか。しかしそうすれば、自社の業績が悪化し、自分の収入を減らすことになる。密告の事実がばれて、解雇されるかもしれない。他の会社で職を見つけることもできそうにないから、ここは見て見ぬふりをしようか…

かくして、あなたは、正義かそれとも保身かという選択に悩むことになる。もちろん、一般的には、社会正義が守られている社会の方が、そうでない社会よりも経済的に繁栄する。しかし個人の短期的な利益が社会正義と対立することはしばしばある。

2. なぜ道徳は遵守されなければならないのか

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カントは道徳法則を功利性で正当化することを拒否した倫理学者として知られる。Source: “Statue of Immanuel Kant in Kaliningrad state university area, Kaliningrad, Russia” by AndreasToerl. Licensed under CC-BY-SA.

両者が異なるかどうかを検討する前に、道徳とは何かを概念規定しよう。

道徳的に悪しき行為は、その格率(主観的な行為の規則)を普遍化すると概念的な矛盾に陥る。例えば、他人の利益を尊重せず、自分の利益のみを考えるエゴイストが、その格率を言語で表現する(普遍化する)と、周囲の人も、その人の利益を尊重しなくなるから、「自分の利益のみを考える」という当初の格率に矛盾してしまう。功利主義的計算は、アポステリオリな経験的事実に基づくが、道徳法則はアプリオリな理性の法則であり、この点で、両者は全く異質である。これが道徳を功利主義的計算から区別する古典的な議論である。

では、格率はなぜ普遍的でなければならないのか。もし社会規範が矛盾を含んでいるならば、私たちはどのように行為してよいのか分からなくなる。つまり行為決定の不確定性が増大する。逆に言えば、道徳や法といった社会規範は、社会のエントロピーを縮減するがゆえに、価値がある。

具体的な例で、説明しよう。嘘をつくことは、たとえそれが直接には誰の利益をも損なわない場合であっても、道徳に反する。それは、すべての人が嘘をつき始めると、情報の不確定性が増大するからである。他者の所有物を盗むことは、ほとんどの国で法律違反である。それは、窃盗を容認すると、所有権の不確定性が増大するからである。

3. 経済的価値と道徳的価値は同じである

私は、「価値とは何か」で、経済的価値の必要十分条件は有用性と希少性だが、両方とも低エントロピーで説明できると主張した。同様に、社会規範にも低エントロピーとしての有用性と希少性がある。つまり、労働が商品という低エントロピーを生み出すネゲントロピーであるように、道徳的あるいは合法的行為は、社会秩序という低エントロピーを生み出すネゲントロピーであるということを示そう。

個人の社会規範の遵守が、社会秩序という低エントロピーを作り出す上で「有用」であることは言うまでもない。

では、希少性の方はどうだろうか。道を踏み外す可能性すらない聖人にとって、道徳的に正しく振る舞うことは、ちょうど私たちにとって二足歩行することがそうであるように、何の価値もない。しかし、それまで四つん這いであった赤ちゃんが二足歩行できるようになることが感動的であり、希少価値があるように、悪人が罪を悔い改め、道徳的に正しい行為を行うようになることも感動的であり、光り輝く価値がある。悪への誘惑に負ける可能性が私たちにあるからこそ、その否定である道徳的行為に希少価値があるのである。

道徳的価値の本質が、経済的価値と同様の低エントロピー性であるとするならば、前者を後者から超越した絶対的な価値とみなす必要はなくなってくる。「世界が滅びても、正義をなすべし Fiat justitia, pereat mundus」といった考えは、あまりにも経済学的なバランス感覚を失っているがゆえに、支持できない。「正義かそれとも保身か」という最初の問題に戻るならば、この道徳的価値と経済的価値の選択の問題は、「株を買おうかそれとも債権を買おうか」という純粋な経済的選択の場合と同様に、その都度の状況に応じて答えは変わってくる。要は、どちらの方が、より多くのネゲントロピーを可能にすると予想するかに依存しているのである。