1月 282001
 

経済学では、通常消費は生産と反対の活動と考えられている。しかしエントロピーという観点からすれば、両者の間には差がない。どちらも《環境のエントロピーを増大させることによりシステムのエントロピーを減少させること》である。

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諺にもあるように、よく遊び、よく学べ(All work and no play make Jack a dull boy)である。“Work Hard Play Hard” by 483schrei29 is licensed under CC-BY-SA.

1. エントロピーの観点からの分析

例えば、石油を燃焼させ、そのエネルギーで金属を製錬するという生産活動では、石油の資源価値が、燃焼(エントロピーの増大)により消滅するが、そのおかげで、不純だった鉱石から単体の金属を取り出すネゲントロピーが可能になる。

製錬された金属を加工して、CDプレーヤーを製造し、それを消費者のもとに届ける生産活動は、レアールなエントロピーを減少させるわけではないが、イデアールなエントロピーを減少させる。すなわち、「好きな音楽を、好きな時に、好きな場所で聴くことができないかもしれない」という不確定性を縮減することに貢献するのである。

音楽を聴いて楽しむという消費活動も、電気を使うし、CDプレーヤーを消耗させるので、エントロピーを増大させる。しかし休息中に音楽を聴くことで、私たちがストレスから解放され、それが結果として仕事の効率を上げることに貢献するとするならば、一見遊びと見える消費活動も、労働力のリクリエーション(再創造)という意味で、生産活動の一種と捉えることもできる。

2. 労働と遊びは本質的に異なるのか

では、消費は楽しいが、生産は楽しくないという区別はどうだろうか。歯医者で虫歯の治療をしてもらうことは、患者にとって消費であるが、歯をドリルで削られることは苦痛であって、楽しいと思う人はほとんどいない。逆に仕事が楽しいという人もいる。楽しいかどうかと生産/消費の区別は別である。

価値とは何か」で、私は次のように言った。

遊びには、労働のときよりも《他のようでもありうる》自由がある。逆に言えば、労働は遊びよりもエントロピーが小さい。そして労働はネゲントロピーであるがゆえに価値を生み出す。

しかし消費活動は、遊びの場合であっても、決して何でもかまわないという恣意性を持つわけではない。生産活動に、黒字の場合と赤字の場合があるように、消費活動にも有意義な消費と無意味な消費がある。生産/消費よりもこちらの区別の方が重要である。

3. 生産とならない消費も存在する

エントロピーの法則が示すように、エントロピーを減少させるためには、環境のエントロピーを増大させなければならないが、その逆は必ずしも真ではない。すなわち、無駄とか浪費と呼ばれる、たんにエントロピーが増大するだけのケースも存在する。生産においても、消費においても、たんなるエントロピーの増大に終わらせないようにしなければ、システムは生き延びることができない。

私たちの究極目的は、自己のシステムの維持/発展である。消費と生産はこの目的実現に直接かかわるか間接的にかかわるかという違いに過ぎない。そして、現在のシステムの維持/発展が将来のシステムの維持/発展の手段となることを考えれば、生産と消費の相違が相対的であることが分かる。

「もし遊びすら生産活動によって正当化するならば、私たちは、手段価値の実現で一生を終えてしまう。それではむなしい。目的/手段関係を無限後退させないためにも、消費を目的価値の実現として位置付けなければならないのではないか」と疑問に思う人もいるであろう。しかし個人レベルでの幸福が同時に社会システムの維持/発展に貢献するということは、矛盾ではない。むしろそれが普通であるからこそ、人間の社会は今日まで存続することができたと言える。

読書案内
書名エントロピー入門―地球・情報・社会への適用
媒体新書
著者杉本 大一郎
出版社と出版時期中央公論社, 1985/08
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