資源の最適配分はいかにして可能か
社会システムを変革する時、何を規準にすればよいのだろうか。人々が異なる改善案を出すとき、どれを採用するべきなのか。功利主義的改善、パレート改善、カルドア改善の三つの改善策を検討しながら考えてみよう。

1. 功利主義的改善
功利主義によれば、私たちは、快楽とマイナスの快楽である苦痛の社会的総和を最大化するべく行動しなければならない。「最大多数の最大幸福」が功利主義者の理想である。
功利主義に対しては、よく次のような批判がなされる。いま心臓を患っているA氏と肝臓を患っているB氏と腎臓を患っているC氏と健康なD氏の四人がいて、三人の病気を放置しておくと、A氏もB氏もC氏も死亡するが、D氏を殺して、その心臓と肝臓と腎臓を移植すれば、三人の命は助かるという状況を考えてみよう。
この場合、一人は死ぬが、三人が生き延びるので、合計二人分の命が救われることになり、功利主義的改善として有効である。四人だけで多数決を取れば、三対一でD氏の解体が民主主義的に可決されるにちがいない。しかしこうした功利計算で、D氏の殺害が正当化されてよいだろうか。
2. パレート最適
D氏は、多数決の暴力から自己を守るために、「最大多数の最大幸福」に対するアンチテーゼとして、パレート最適を主張するかもしれない。パレート最適とは、ある個人の効用水準(利益・満足度)を低下させることなく、別の個人の効用水準を上昇させることが不可能な状態のことである。遺伝子工学の発達により、臓器のスペアを人工的に作って、A氏・B氏・C氏三人の命を救うことができるようになれば、それは誰の効用水準をも下げることにならないから、パレート改善である。しかし、D氏の効用水準を低下させてまで、三人の効用水準を上昇させることは許されないというわけである。

このパレート原理は、一見理想的に見えるが、厳密に守ろうとすればほとんどすべての改善を不可能にするという難点を持つ。何かを変えようとすれば、必ず既得権益を守ろうとする誰かが反対するものだ。例えば、日本政府がウルグアイラウンドで米の輸入を自由化することは、グローバルな観点からは、不利益よりも利益の方が多いのだが、損害を被る日本の稲作農家は猛反対するので、パレート改善とはならない。
3. カルドア改善
この場合、利益を得た人から損害を被った人へ補償をすることにより、ヴァーチャルにパレート改善を実現する方法がある。これをカルドア改善と言う。日本政府が、米輸入自由化の恩恵を受ける海外の米輸出国や日本の消費者から関税をはじめとする税金を徴収して、それを農家にばらまくことは、カルドア改善の一例である。
では、カルドア改善は、本当に資源を最適に配分するであろうか。農業基盤整備のためと称して、6兆100億円のウルグアイラウンド対策予算で造られた農道空港やら温泉ランドやらを見れば、首をかしげたくなる。カルドア改善は、資源の生産者をモラルハザードに陥れることにより、配分すべき資源の総量を減らしてしまうことになる。
もちろんカルドアの規準を改善の是非を決めるたんなる規準として使い、実際に補償する必要はないとする立場もあるが、それなら、カルドア改善は功利主義的改善と同じになってしまう。
4. 信賞必罰的改善
功利主義的改善、パレート改善、カルドア改善がすべて見落としていることは、資源の配分は信賞必罰の原則に基づいてなされなければならないということである。改善により一部の人の効用水準が下がっても、それがペナルティとして妥当であるならば、その不利益はプラスの価値を生み出すことになる。逆に、D氏の身体を勝手に解体して、臓器を摘出することは、D氏に何の罪もない以上、不当な搾取である。
功利主義者や限界効用学派は、価値を主観的な満足感と同一視する。しかし快楽や満足感や幸福は価値に対する感情であって、価値そのものではない。だから、社会システムを改善する時、当事者の満足感の計算だけで決めてはいけない。そして法的正義や自由競争の原則を守ることも、経済的資源と同様に、それ自体で低エントロピーとしての価値を持つことを見落としてはいけないのである。
ディスカッション
コメント一覧
意味不明な文章です。わざと難しく、難解に書いているとしか思えないのですが。
素人でも分かるように噛み砕いて言うと、功利主義的改善は簡単に実現できるけど内容は非人道的。パレート改善はほぼ実現できないけど内容は理想的。そしてこの2つの欠点を克服し、利点を組み合わせたものがカルドア改善。
しかし先生はカルドア改善のために生まれた利益は本来それを受け取るべき人の元にたどり着く前に何者かによって無駄遣いされてしまうと言ってるように解釈できます。
では、その無駄遣いさえ無くなれば簡単に解決できる問題なのではないでしょうか。
ただ内臓の例と米輸入の例では問題点が違うんじゃないかなとも感じました。
どれか1つの例に統一して解説していただけるとさらにありがたいです。
それはまた別問題です。なぜならば、仮に無駄遣いがゼロになっても、資源を誰にどれだけ配分するかという問題は残るからです。
医療の例で言うならば、かつて日本にも存在した売血や、あるいは発展途上国には今でもあるという臓器売買がそれに相当します。患者は、売られた血や臓器で命が助かり、売った側は金銭を手に入れることで、失った資源の補償を受けることができます。しかし、今の日本では、血や臓器を売らなければ生きていけない貧困者は、そうなる前に社会保障で救うというのが前提ですから、これらは禁止されています。
納得しました。資源の最適配分は現状ほぼ不可能ということですね。
では代案として、資源の保有量に上限を設けるというのはいかがでしょうか。
誰かが資源を大量独占してしまうから、資源が無くて困る人が出てくるのだと思います。
さらに、何らかの方法で人口の増加量をコントロールできれば資源の奪い合いは無くなります。
極端な話、世界人口が10億人くらいになったら、そもそも配分の心配なんてありませんからね。
いいえ、最適というのは相対的な評価で、複数の配分方法があれば、そのうちのどれかが最適ということになります。
私が謂う所の「信賞必罰的改善」は、そういう平等主義的な配分論に対するアンチテーゼです。例えば、黒字企業の収益に課税して、赤字企業にばらまくということはするべきではないという主張です。
たしかに、利用可能な一人当たりの天然資源は増えるでしょう。しかし、人口が減少すれば、生産も減少しますから、配分をめぐる議論がなくなることはありません。
>私が謂う所の「信賞必罰的改善」は、そういう平等主義的な配分論に対するアンチテーゼです。例えば、黒字企業の収益に課税して、赤字企業にばらまくということはするべきではないという主張です。
この先生の主張はもっともだと思います。反論の余地もありません。
ただ、私のアイデアは”上限を設ける”というだけであり、平等を訴えたものではないことを今一度確認していただきたいです。
例えば10個のりんごを3人で取り合う時に、1人が10個食べてしまったら他の2人は努力しようと1個も手に入りません。
ここに、”1人4個まで”という上限を設けたらどうでしょうか。
一番頑張った者は4個手に入れます。他の2人はそれぞれ2〜4個手に入ることになります。
いかがでしょう。平等配分ではない(努力が報われる)上に、独占による過度の格差も防げます。
論点がずれてたらすみません。
社会政策は、全体の資源(富)を最大化するように決定されるべきです。阪本さんは、全体の資源は常に一定で、富者に上限を設ければ、その分貧者に配分されると考えているようですが、こういうことをすると、社会全体の富が減少するので、かえって貧者は貧しくなります。だから、私は、富者に上限を設定するというネガティブな政策ではなくて、貧者に下限を設定するというポジティブな政策を提案しましょう(富者に関しては青天井にする)。これは社会保険制度の趣旨です。私が提案する社会保険に関しては、「社会福祉は必要か」や「セーフティネットはどうあるべきか」をご覧ください。
おっしゃる通り、私は地球上の資源というものはほぼ一定量だと認識しています。
資源が無限に増え続けるものではないことは先生もご承知のことと思います。
先生が資源と呼んでいるものは、もしかして”生産物”のことではないでしょうか?
それなら私の単なる誤解釈ということですべて納得できるのですが。
極端な例ですが、ある人が金にものを言わせて日本中の農地を買い占めたとします。
実際にそんなバカなことをする人はいないと思いますが、上限を設けなければ理論上はありえる話です。
もしその人が何も生産しなければ、他の人は国産の農産物をまったく手に入れられなくなります。
どんなに欲しいと願っても、農地を独占されているので努力して自分で作ることさえ許されません。
これは本当に極端な例をあげましたが、土地という資源に限らず、どの資源においても危惧すべき構図ではないでしょうか。
努力した人ほど報われるのは良いことだと思います。
しかし、その人たちが”際限なく”努力してしまうと、他の人は努力するチャンスさえ奪われてしまいます。
限りある資源ですから、やはり青天井ではマズいと思うのです。
「観光資源」や「人的資源」といった表現があることからもわかるように、「資源」という言葉は天然資源に限定されません。本文に出てくる臓器とか米とかは、人間が作ったものであって、天然資源ではないということがわかると思います。
やはり天然資源の話ではなかったんですね。
謎が解けました。そして安心しました。
天然資源には私が言うように上限(下限)を設け、そこから生み出されるものについては先生が仰るように個々の才覚と努力に任せて無制限とする。
この2つの組み合わせがベストだと感じました。