物価の波と成長の波
50-60年周期のコンドラチェフ・サイクルは物価変動率の波動であって、景気循環ではない。では、物価のサイクルと成長のサイクルは、どのような関係にあるのだろうか。

目次
1. 物価と景気の関係
かつて経済学者は、景気が良くなると物価は上昇し、景気が悪くなると物価は下落する(少なくとも物価上昇率が下落する)と考えていた。しかし、1973年以降のオイルショックと農作物の不作をきっかけに、物価の高騰と不況が同時に現れ、逆に、80年代に石油価格と農産物価格が下落すると、物価の安定と好況が同時に現れるようになり、物価変動率と経済成長率との間にあるとされた正の相関関係が疑問視されるようになった。
このことは、1973年以降のフィリップス曲線の不安定化と関係がある。フィリップス曲線とは、縦軸にインフレ率、横軸に失業率をとったときに見られる右下がり(左上がり)の曲線のことで、60年代まで経済学者は、物価の安定と失業率の低下の間にトレードオフの関係があると主張して来た。しかし、例えばアメリカでのフィリップス曲線を見ると、73年から80年にかけては、インフレ率と失業率がともに上昇して右上がりに、逆に82年から86年にかけては、インフレ率と失業率がともに下降して左下がりに推移している。
こうした経済の実態を説明するためには、物価変動率と経済成長率を関連付けるにあたって、四つの組み合わせを作らなければならない。
- 物価上昇率が高い+経済成長率が高い
- 物価上昇率が高い+経済成長率が低い
- 物価上昇率が低い+経済成長率が高い
- 物価上昇率が低い+経済成長率が低い
各組み合わせに次のような名前を付けることにしよう。
- リフレーション(リフレ)
- インフレーション(インフレ)
- ディスインフレーション(ディスインフレ)
- デフレーション(デフレ)
そしてこの四つの組み合わせは、そのままコンドラチェフ・サイクルの四つの局面(上昇→頂点→下降→谷底)に相当する。
2. 長期波動の四つの局面
以下、次系列に沿って、各局面の様子を見ていくことにしよう。
2.1. リフレ期(高い物価上昇率+高い経済成長率)
リフレ期はデフレから脱却する期間である。デフレは、貨幣供給が貨幣需要に対して、資源需要が資源供給に対して過小であることによって起こる。だから、リフレ期には、ゴールドラッシュや金融緩和によるマネーサプライの増大や公共事業、とりわけ戦争による公的支出の拡大といった現象が見られる。リフレ期に現れる好景気は、物価の上昇を伴った経済成長によってもたらされる。
2.2. インフレ期(高い物価上昇率+低い経済成長率)
人間の経済は自然環境の制約を受けているので、リフレ型経済成長は無際限には続かない。資源需要が資源供給の上限を超えて増大し、貨幣供給が貨幣需要の上限を超えて増大すると、経済成長を伴わない物価の上昇、所謂スタグフレーションが始まる。スタグフレーションは、大規模な戦争の後に見られる資源枯渇現象であり、コンドラチェフ第一波動の山はナポレオン戦争と米英戦争、第二波動の山は南北戦争・普墺戦争・普仏戦争、第三波動は第一次世界大戦、第四波動は第二次世界大戦/ベトナム戦争によって頂点に達している。これら頂点の時期は太陽黒点数の減少期にあたるため、農作物も不作になる。天然資源の不足は資本コストを高め、食糧不足は労働コストを高め、企業は生産の縮小を余儀なくされる。従って、スタグフレーションは、不況と失業率の上昇を帰結する。
2.3. ディスインフレ期(低い物価上昇率+高い経済成長率)
スタグフレーションから脱却するために、政府と民間は支出を切り詰め、金融を引き締める。その結果インフレが終息すると、名目金利は低下し、それに伴って、収益還元法によって評価される資産価格が上昇し始める。いったん資産価格が上昇し始めると、投機の過熱と資産価格の高騰の循環が始まり、資産バブルが発生する。1950-60年代の日本に見られたようなリフレ型経済成長が、物価の上昇を伴った消費主導の経済成長であったのに対して、1980年代後半の日本に見られるようなディスインフレ型経済成長は、物価の上昇を伴わない投資主導の経済成長である。ディスインフレ型好景気は、資産価格の暴落により終わる。第一波動では、1825年にイギリスで起きた南米投資バブルの崩壊、第二波動では、1873年に欧米で起きた鉄道バブルの崩壊、第三波動では、1929年にアメリカで起きた株式バブルの崩壊(暗黒の木曜日)、第四波動では、1990年に日本で起きた不動産バブルの崩壊(そしておそらく、2000年にアメリカで起きたネットバブルの崩壊も入れてよいだろう)が有名な例である。
2.4. デフレ期(低い物価上昇率+低い経済成長率)
バブルが崩壊し、デフレスパイラルが始まると、経済は不況、場合によっては恐慌になる。同じ不況でも、物価の下落を伴い、金融不安が起きるという点でスタグフレーションとは異なる。スタグフレーションが凶作貧乏であるのに対して、恐慌は豊作貧乏であると言うことができる。デフレから脱却する努力が実ると、次の波動のリフレ期が始まる。
3. クズネッツ・サイクルの位置付け
こうして整理するとわかるように、一つのコンドラチェフ・サイクルに二つの景気循環がある。コンドラチェフ・サイクルの周期が50-60年であるから、その景気循環は25-30年の周期を持つはずだ。そしてその景気循環として、従来経済学者がクズネッツ・サイクルと呼んできた波動をあてることができる。
クズネッツ・サイクルとは、1971年にノーベル経済学賞を受賞したクズネッツが建設データの調査から発見した景気循環で、その周期は15-25年とされている。周期が短めに出ているのは、重点的に研究された第四波動には例外的に三つのクズネッツ周期があるからだ。
第四波動においては、それ以前の波動とは異なり、ケインズ的なデフレ対策が積極的に行われた結果、レフレ期が長く、スタグフレーションの頂点が二つできてしまった。一回目のスタグフレーションは第二次世界大戦の終結時に現れ、二回目のスタグフレーションは朝鮮戦争に始まりベトナム戦争に終わる、米ソ間で行われた一連の代理戦争の終結後に現れた。第二次世界大戦後の不況をカウントすると、第四波動には三つのクズネッツ・サイクルがあったことになり、周期が短くなる。しかし、もしその短期間の不況をカウントしなければ、クズネッツ・サイクルの平均的な周期は、コンドラチェフ・サイクルの平均的周期の半分程度になる。
ブライアン・ベリーが『景気の長波と政治行動』(原書名:Long-Wave Rhythms in Economic Development and Political Behavior)で主張したように、コンドラチェフ・サイクルは二つのクズネッツ・サイクルから成り立っているということが言える。
ディスカッション
コメント一覧
非常に興味深い内容でした。コンドラチェフの第一波動以前、たとえば15世紀などにも、この論文に記されている経済成長と物価のサイクルは存在したのでしょうか。それともこうしたサイクルは、産業革命以降の社会に特有のものなのでしょうか。
産業革命以前にも存在したと考えられますが、過去に遡るほどデータが不足するので、確認するのは難しいです。しかし、今後またそのテーマで研究してみたいと思います。