4月 262002
 

スケープゴートになりやすい色は、黄色である。黄色は、金の色であり、魅力的であると同時に嫌悪すべき両義的な色である。心理的には、黄色は、緑(安全)と赤(危険)の境界に存在する、不安を掻き立てる色である。

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“The Yellow Terror In All His Glory”(1899年)と題された、辮髪の中国人が女性を踏みつけている黄禍を煽る諷刺画。

1. 黄色は金の色である

スケープゴートを象徴する色は、貨幣を象徴する色、黄色である。黄色は黄金の色である。漢字では、金(きん)と金(かね)の区別がつかないことからわかるように、金(きん)は貨幣の象徴である。貨幣を象徴する色がスケープゴートを象徴する色となる背景には、貨幣とスケープゴートとの親密な関係がある。

システムと環境との境界上に位置する両義的存在者は、《外でもあり内でもある》という不確定性のゆえにエントロピーが高い。システムのエントロピーが増大し、システムが存続の危機に直面すると、システムは、この高エントロピーな(不確定な)両義的存在者を排除することにより、システムの秩序(ネゲントロピー)を維持する。これがスケープゴート現象であることは、これまで何度も述べてきた。

コミュニティにとって、貨幣はスケープゴートの対象である。コミュニティ(共同体)とは、家庭が典型的にそうであるように、ゲゼルシャフトと対比されたゲマインシャフトで、打算的な利害関係を排した、暖かい愛の結びつきである。貨幣はコミュニティとその環境との交換を媒介とする第三者である。市場経済の浸透により、真の意味でのコミュニティの領域は、時代とともに次第に狭くなってきたが、今でも、それが社会の理想的なあり方であるかのように意識されている。貨幣は、羨望の的であるが、同時に金目当てで行動することは軽蔑される。黄金の黄色い輝きには《内にして外》そして《高貴にして下劣》という両義性がある。

キリスト教の世界では、黄色は裏切り者の色とされている。花言葉でも、黄色い花には、悪い意味が付与されている。これは、最後の晩餐でユダが着ていた服が黄色だったと言い伝えられているからだ。もっとも、本当にユダが最後の晩餐で黄色い服を着ていたかどうかはわからない。むしろこの黄色という色は、ユダがイエス・キリストをユダヤ教の祭司長たちに売ったことから人々が想像した色ではなかったのか(ユダが実際に受け取ったのは銀貨だったが)。

2. 黄色は不安を掻き立てる

イエロー・ジャーナリズムという言葉からイメージがわくように、黄色は不安を煽る刺激的な色である。心理学者によれば、被験者を黄色い部屋に入れると、大人は冷静さを失い、乳幼児は泣き出す。黄色とはそのような色なのだ。イエス・キリストが登場する以前の『旧約聖書』でも、もともと黄色は好ましくない色として扱われていたのだが、このユダの伝説が確立された後、中世ヨーロッパから現代のアメリカに至るまで、西洋社会では、犯罪者(社会への裏切り者)には、黄色系の服を着て服役させるという習慣ができた。

裏切り者は、《内部の敵》であって、《外部の敵》以上にコミュニティを不安に陥れる。裏切り者あるいは裏切り者という濡れ衣を着せられた者を粛清することは、典型的なスケープゴート現象である。1933年に権力を掌握したヒトラーは、ユダヤ人のスケープゴートとしての有徴性を可視化するために、ダビデの星と呼ばれている黄色い六角の星形章をユダヤ人に強制的に装着させた。ダビデの星はもともと黄色であったわけではないし、現在イスラエルの国旗に描かれているダビデの星は青色である。ヒトラーが、ユダヤ人に黄色い星というスティグマ(烙印)を負わせた根拠は、もちろん、ユダが身につけていた黄色い服の故事であるが、ユダヤ人は高利貸しだという先入観も、ダビデの星を黄金の色にさせた理由と考えられる。

前回の「ニューディールは成功したのか」で、ヒトラーがユダヤ人をスケープゴートに選んだのに対して、ルーズベルトは日本人をスケープゴートに選んだと述べた。しかし、黄色人種が白色人種にもたらすと言われている黄禍(yellow peril)への警戒は、それ以前からあった。黄禍に対する警戒心から、1923年にカナダが、翌年にはアメリカ合衆国が日本人移民入国を禁止した。このころ、K.K.K.も、黒人に加えて日系移民をも攻撃し始める。

3. 黄色人種に対する不安

ところで、アジア系の人種は、なぜ黄色人種なのか。モンゴロイドの肌は、黄色とは言いがたい色をしている。もちろん、コーカソイドと比べれば、黄色に近い。しかしアジア系の人種を黄色人種と名付けることは、アメリカ先住民(所謂インディアン)を赤色人種と呼ぶことと同様、かなり強引である。

アジア系の人種を黄色人種と呼び、アメリカ先住民を赤色人種と名付ける白人たちの深層心理を、信号機の色を手掛かりに分析してみよう。信号機の色は、赤・黄・緑で、世界共通である。日本人は、青と緑の区別をしない傾向にあるので、緑信号を青信号と呼び、最近では、実際に青色にしている。青色は海を、緑色は森を象徴する。生命は海で誕生し、人類の祖先は森で育まれた。青にしても、緑にしても、それは私たちのふるさとを意味する安全な色である。色彩心理学を引用するまでもなく、青や緑には人間の神経を落ち着かせる働きがある。これに対して、赤は血や火事の色で、危険を意味する。アメリカ先住民を赤色人種とすることは、彼らを白人たちのコミュニティの外部に存在する危険な種族とみなすことを暗示している。

では、黄信号はどうか。黄色の光は、赤の光と緑の光を重ねることによって生まれる。つまり黄色とは、緑色と赤色の境界上に存在する両義的な色である。黄信号は、安全と危険の中間で、注意と警告を意味する。赤信号は「止まれ」と命令し、緑(青)信号は「進め」と命令する[t]。しかし黄信号は両義的で、どちらでもない。この不確定な両義性のゆえに、交差点での交通事故は、黄信号の瞬間に最も起きやすい。赤色人種が、白人のコミュニティの外部に存在する危険要因だとするならば、黄色人種は内部に入り込んでコミュニティを崩壊させる不安定要因である。保護区にこもる先住民とは異なり、アジア系移民は、文明社会によく順応し、低賃金で勤勉に働くので、白人から雇用を奪うのではないかと警戒される。

[t] 信号機で、赤が「止まれ」に、青が「進め」に採用されているのは、赤の波長が長く、青の波長が短いからだという説明がある。波長の短い青色は、速さが小さいので、実際以上に遠くに見えるのに対して、波長の長い赤色は、速さが大きいので、実際以上に近くに見え、早めにブレーキをかけることを可能にするというわけである。なお、波長の長さという点でも、黄色は両者の中間である。海外の「進め」の信号は、青色ではなくて、緑色であり、日本でも、かつては緑色であったが、1970年代以降、青に見える色度が採用されている。これは、色弱者に配慮した結果なのだそうだ。

1980年代から90年代の初頭にかけて、アメリカ経済が停滞し、失業率が増加した時、全ての責任を日本に負わせようとするジャパン・バッシングの嵐が起きた。日本は、白人たちが作り上げた近代資本主義経済に最も接近した有色人種の国であり、その意味で、境界上に存在する両義的存在である。金儲けのためにあくせく働くエコノミック・アニマルという日本人のステレオ・タイプは、黄色のイメージと重なって、黄金の国ジパングをスケープゴートとして有徴化することに貢献した。日本経済が停滞する今日、中国が新たな黄色の脅威となっている。黄禍論は、白人の無意識から消えそうにない。

4. アジア人にとっての黄色

アジアの人々にとって、黄色とはどのような色なのだろうか。中国では、黄色は皇帝にのみ使用が許される特権的な色である。中国文化の影響下にある朝鮮や台湾でも、王は黄色の服を着た。日本の天皇も、唐の影響で、黄櫨染御袍と呼ばれる、深い黄色みのある茶色の服を正装として着用するようになった。ヒンドゥー教が支配するインドでも、黄色は仏教の僧の衣に使われる聖なる色とされている。

ここで「黄色は、欧米では下劣な色だが、アジアでは高貴な色だ」などという底の浅い理解で満足してはいけない。「ポルノ」のことを「黄色」と言うなど、中国語で「黄」のつく言葉には悪い意味の言葉がほとんどである。では、なぜそのような汚らわしい色が皇帝専用の色だったのか。ここで、「中国のハレム」での議論を思い起こして欲しい。死刑に次ぐ重い刑である宮刑に処せられた、穢れた宦官が皇帝とともに、ハレムで一般の人々から孤立した生活をしていたではないか。

黄色は太陽の色でもある。太陽崇拝が行われている地域では、黄色は権力の象徴であり、神聖な色である。政治的交換を媒介する権力も、経済的交換を媒介する貨幣も、ともに黄色で象徴される。媒介する第三者は、媒介される無徴の存在者(コミュニティを構成する一般の人々)から等しく疎外されている。それは、コミュニティを構成する一般の人々から等しく疎外されている有徴のスケープゴートと同じ存在形態である。権力であれ貨幣であれ、コミュニケーション・メディアは、ダブル・コンティンジェントな社会的エントロピーを縮減する。そして、社会のエントロピーを縮減する点で、国家権力は、スケープゴートと同じ働きをする。

この類似性は、政治的権力者が宗教的権威者でもあるときに顕著に見られる。「天皇のスケープゴート的起源」で述べたように、イエス・キリストがスケープゴートとして十字架で死ぬことにより、神としての神聖さを持ちえたように、卑弥呼も、殺害されることによって、天皇家の神聖な祖先として崇められるようになった。黄色は、上であれ、下であれ、一般の人からかけ離れた色なのである。

読書案内

網野善彦によれば、オレンジ系の色(柿色)は、天皇や山伏といった聖なる存在者が着る服の色であると同時に、「非人」や乞食が着る服の色でもあった。つまりこの色は、人間以上であれ人間以下であれ、人間とは異なることを示す色だったのである。中世の日本では、「非人」や乞食は、天皇と同様に、神聖な存在であったが、近世になってからは、差別され、抑圧される否定的存在となった。なお、明治時代の囚人の服も柿色だった。これについては、以下の網野善彦『異形の王権』の「蓑笠と柿帷」を参照されたい。

書名異形の王権
媒体新書
著者網野 善彦
出版社と出版時期平凡社, 1993/06
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  2 コメント

  1. なぜ黄色が両義的なのかよくわかり大変有意義でした。
    日本の男性は黄色を好まないようですが、日本の女性は黄色を好むように見えますが、これは、なんでなんでしょうかね。
    具体的に言いますと、
    任天堂の携帯型電子ゲームのソフトウェアで大流行したポケットモンスターで人気のあるキャラクターは、黄色いネズミです。
    また、東京ディズニーランドで最近一番人気のある、クマのぷーさんも黄色いクマです。ぷーさんの遊戯施設は大人気で2時間待つこともあるそうです。
    また、10年ほど前に大流行した児童向けアニメ番組のセーラームーンの主人公も黄色がベースとなっているようです。(黄色は月を連想させるのか?太陽のような気もするが、両義的なのでしょうか。)
    あと、光の3原色(赤、青、緑)から黄色を両義的な色としていますが、ほかにも両義的な色があると思います。
    紫色(赤と青を合成)はどうでしょう、ホモセクシャルな方々が好んで実につける色(俗説?)とされていますが、高貴な色ともされています。
    また、10年前に世界中で大流行したアメリカ発のカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング」は、色をテーマしており、青を両義的な色としてあつかっています。なぜ、そうなのかというと、青は、天空(男性原理)と海(女性原理)双方を連想させるからというのが理由でした。
    ちなみに全部で6色ありそれぞれの性格付けがなされています。
    赤色・・・山、炎のカード(男性原理?)
    緑色・・・森、生命のカード(女性原理?)
    青色・・・空、海の中性的なカード
    白色・・・平原、秩序のカード(男性原理?)
    黒色・・・沼、死のカード(女性原理?)
    無色・・・機械のカード 中性的
    とまあ、とりとめもなく書いてしまいましたね。

  2. “紫色(赤と青を合成)はどうでしょう、ホモセクシャルな方々が好んで実につける色(俗説?)とされていますが、高貴な色ともされています。”
    漢の時代、「紫」は、帝王の色とされていました。神と人の境界上の色ということでしょうか。麻原も紫の服を着ていましたね。

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