プロレタリア型右翼

2009年5月30日

従来、左翼は弱者の思想で、右翼は強者の思想と考えられてきた。たしかに、左翼や右翼という言葉が生まれたフランス革命後の議会では、そうした区別は有効だったが、現代では、弱者であるがゆえに右翼的な思想を持つ、プロレタリア型右翼とでも呼ぶべき、新しい右翼が増えてきた。知識人たちは、こうした右翼を権威主義的パーソナリティー論によって説明しようとするが、私はそれとは違う視点から、プロレタリア型右翼を解釈したい。

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2009年の衆議院総選挙前に2ちゃんねるで流布した自民党支持者と民主党支持者のカリカチュア。製作者不明だが、政権交代を有利にしようとする民主党支持者が作ったものと推測される。自民党支持者とネット右翼は同じではないし、さらにネット右翼と右翼も同じではない。それはともかくとして、このプロパガンダ画像に表れているように、日本の左翼は、右翼は頭の悪い人格欠陥者だから間違った思想を持ち、リベラルは頭の良い人格者だから正しい思想を持つという印象を一般に与えようとする傾向がある。

1. ナショナル・アイデンティティと学歴/所得の相関

田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』が、ISSP(International Social Survey Program)の1995年の調査結果から、排外的な人には低所得と低学歴が多いという結論を出したことが、かつて話題になったことがあった。低所得で低学歴で排外的な人は、まさに私が言うところのプロレタリア型右翼に相当する。ISSPの調査結果は、この論文を読まなくても、1995年版のみならず、2003年の最新版までもがISSPのサイト上で無料で閲覧できるので、それを直接紹介することにしよう。

調査項目は、多岐にわたるが、ここでは、右翼一般にとって最も重大な問題の一つである「自国内への移民の数を増やすべきか」という質問に対する回答を見よう。「強く同意する」と答えた割合に+2、「同意する」と答えた割合に+1、「現状でよい」と答えた割合には0、「反対する」と答えた割合に-1、「強く反対する」と答えた割合に-2を乗じた値の合計で、移民の増加への賛成の度合いをグラフにしてみた。以下のグラフに見られるように、日本では、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなっている。

日本における移民増加賛成度と学歴の関係
日本における移民増加賛成度と学歴の関係
[データ:ISSP (2003) National Identity II

次に収入との関係を見てみよう。学歴の場合ほど相関性は明確ではないが、年収が少ない層のほうが、移民増加に対する拒絶度が大きい。一般的に言って、低学歴ほど低所得なので、これは当然であろう。

日本における移民増加賛成度と税引前年収の関係
日本における移民増加賛成度と税引前年収の関係
[データ:ISSP (1995) National Identity I

もとより、移民に対して排他的だから、即、右翼(極右)というわけではない。そこで、次に、極右政党の支持の分布を直接見てみよう。日本を含めて、現在の主要先進国には、有力な極右政党はあまり存在しないが、フランスには、ルペン党首で有名な国民戦線という、一定の勢力を持つ極右政党が存在する。以下のグラフが示すように、フランスにおける各学歴ごとの国民戦線の支持率を見てみると、学歴が低くなるほど支持率が高くなる傾向がある。

フランスにおける国民戦線と学歴の関係
フランスにおける各学歴ごとの極右政党(国民戦線)の支持率
[データ:ISSP (2003) National Identity II

オーストリアの有力な極右政党、自由党に関しても同様の傾向が見られる。

オーストリアにおける自由党と学歴の関係
オーストリアにおける各学歴ごとの極右政党(自由党)の支持率
[データ:ISSP (2003) National Identity II

では、外国人に対して排他的な価値観の持ち主には、なぜ低学歴・低所得の階層が多いのか。田辺の博士論文の審査を行った宮台真司によると、「昔からフランクフルト学派の人たちが言ってきた通りで、権威主義者には弱者が多い」のであり、そして、低所得ないし低学歴層が排外的愛国主義にコミットする背景には、「丸山眞男問題」があるとのことである。宮台は次のように言っている。

■丸山眞男によれば、亜インテリこそが諸悪の根源です。日本的近代の齟齬は、すべて亜インテリに起因すると言うのです。亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者、ということになります。この者たちは、東大法学部教授を頂点とするアカデミック・ハイラーキーの中で、絶えず「煮え湯を飲まされる」存在です。

■竹内氏による記述の洗練を踏まえていえば、文化資本を独占する知的階層の頂点は、どこの国でもリベラルです。なぜなら、反リベラルの立場をとると自動的に、政治資本や経済資本を持つ者への権力シフトを来すからです。だから、知的階層の頂点は、リベラルであることで自らの権力源泉を増やそうとします。だからこそ、ウダツの上がらぬ知的階層の底辺は、横にズレて政治権力や経済権力と手を結ぼうとするというわけです。

■これが、大正・昭和のモダニズムを凋落させた、国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマンだというのが丸山の分析です。竹内氏は露骨に言いませんが、読めば分かるように同じ図式を丸山自身に適用する。即ち、丸山の影響力を台無しにさせたのは、『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者どものルサンチマンだと言うのです。アカデミズムで三流以下の扱いの藤岡信勝とか八木秀次などです。

宮台は、文化資本の「独占」者は政治資本や経済資本から疎外されていて、政治資本や経済資本の所有者は文化資本の所有に与ることができないと考えているようだ。それならば、政治資本や経済資本から疎外されている知的階層は、その限りでは弱者であり、その弱者が、アカデミズムという知的権威を振りかざして、文化資本が不足しているという意味で弱者である右翼系論客を「三流学者ども」と罵倒して攻撃するならば、それは、自分が批判していることを自分自身で行っていることにならないだろうか。

あるいは、宮台が言っている弱者とは、知的な弱者に限定されるのかもしれない。宮台が言及しているフランクフルト学派の理論とは、知的弱者は、過剰な自由に耐えられず、自由から逃走し、権威に頼ろうとするという、フロム著『自由からの逃走』(1941年)やアドルノ他著『権威主義的パーソナリティ』(1950年)に見られる考えのことであろう。

しかし、こうした心理学的説明は、ファシズムに対する説明としては不適切ではないか。ファシストが権力を掌握したドイツやイタリアや日本よりも、そうではなかった英国や米国の方が、個人により多くの自由を与えていた。ドイツでもイタリアでも日本でも、ファシズムが勃興した第二次世界大戦前の時期に、それ以外の時期と比べてより多くの自由が個人に与えられていたわけではなかった。

『権威主義的パーソナリティ』は、アメリカユダヤ人委員会(American Jewish Committee)がスポンサーとなって出版した『偏見の諸研究(Studies in Prejudice)』の一部で、ユダヤ人を擁護しようとする政治的意図に基づいている。その序論には、次のように書かれている。

The authors, in common with most social scientists, hold the view that anti-Semitism is based more largely upon factors in the subject and in his total situation than upon actural characteristics of Jews, and that one place to look for determinants of anti-Semitic opinions and attitudes is within the persons who express them.

著者は、大部分の社会科学者と同様に、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の現実的性格よりも、主観と主観の全状況における諸要因に主として基づき、反ユダヤ主義的見解と態度の決定要因を探す一つの場所は、それらを表明する人の内側にあるという見解を持っている

[Theodor W. Adorno et al.: The Authoritarian Personality, p.2]

慎重な言い回しで書かれているが、要するに、ユダヤ人が迫害されるのは、ユダヤ人が悪いからではなくて、迫害する側の性格に欠陥があるからだという立場を表明しているのである。ユダヤ人は悪くないという見解には同意するが、それを強調しようとするあまり、ファシズムの問題を個人の心理の問題に矮小化してしまうと、ファシズムの最大の原因である経済問題を見落としてしまうことになる。

ファシズムは、それ自体は政治的な現象であるが、その原因は、心理学ではなくて経済学によって説明されるべきである。第二次世界大戦前夜のファシズムの直接的原因は、世界大恐慌であり、失業の増加が、戦争を含めた全体主義的公共事業の必要性を高め、とりわけ、植民地が少なく、国内市場が小さい後発工業国でファシズムが支持された。要するに、個人がファシズムに走るのは、《自由からの逃走》ではなくて、《失業からの逃走》である。

なぜ低学歴で低所得の人ほど移民の増加に否定的なのかに関しても《失業からの逃走》という観点から説明ができる。日本のような先進国の場合、移民制限を緩和すると、発展途上国から安価な労働力が流入するが、それによって真っ先に仕事を奪われるのは、単純肉体労働に従事している低学歴・低所得の人たちである。彼らが、外国人労働者に対して排他的になるのは、経済的な利害関係による。

読者の中には、このような説明は、先進国には当てはまるが、発展途上国には当てはまらないのではないかと反論する人もいるだろう。その通りである。実は、田辺俊介の『ナショナル・アイデンティティの概念構造の国際比較』は、ISSPが23カ国を調査したにもかかわらず、日本、ドイツ、アメリカ、オーストラリアの4カ国しか取り上げていない[学位論文審査要旨]。世界中どこでも低学歴で低所得ほど排他的というような結論は、こうした先進国の調査結果だけから導くことはできない。

では、発展途上国では、どうなのか。典型的な発展途上国として、フィリピンの事例を取り上げてみよう。1995年のISSPの調査では、フィリピンの所得に関するデータはないが、学歴に関するデータはある。以下のグラフからわかるように、フィリピンでは、学歴が低くなるほど、移民の増加に対する拒絶度が大きくなるという、日本で見られた傾向は見られない。むしろ、学歴が高い方が、拒絶度が大きくなっている。特に大学卒業者の拒絶度が最も高いことは、特筆するべきことである。この現象は、フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティー論では説明できない。

フィリピンにおける移民増加賛成度と学歴の関係
フィリピンにおける移民増加賛成度と学歴の関係
[データ:ISSP (2003) National Identity II

フィリピンの場合、国内の所得水準が十分に低いので、移民の受け入れを増やしても、低学歴の労働者のライバルが増えるという可能性は低い。むしろ、フィリピンの公用語が英語であることから、他の英語圏の高学歴労働者が、フィリピンに来て、国内の高学歴労働者から仕事を奪うという可能性の方が高い。大学卒業者の拒絶度が最も高いのはこのためだろう。

2. プロレタリア型右翼はなぜ戦争を渇望するのか

好戦的であることは、移民に対して排他的であることと並んで、右翼の大きな特徴であり、左翼との大きな違いであると一般に認知されている。では、なぜ右翼は戦争を好むのか。

こうした議論をするとき、そもそも右翼とは何かというところから話を始めなければならない。右翼という言葉は、フランス革命後の議会において、保守派が右側の席を占めていたことから、保守主義を指す言葉として使われるようになった。右翼は伝統的権威を重視し、好戦的であるといわれるが、それは、当時の没落貴族たちの特性であった。

フランス革命によって特権を奪われた貴族たちは、自分たちの栄光ある地位の回復を求めていたがゆえに、伝統的制度や伝統的価値観の復活に肯定的である。よって、彼らは、保守主義者の名に値する。ヨーロッパの貴族たちの伝統的な職業は戦争であるから、自分たちの活躍の場を増やすためにも、対外的戦争を支持する。だから、好戦的であるという右翼の属性を持っていた。

日本の場合、こうした右翼を形成した没落貴族に相当するのは、明治維新時の士族で、彼らは、伝統的な特権が奪われることに不満を持ち、自分たちの活躍の場を求めて、征韓論を唱え、それが新政府によって却下されると、新政府に対して反乱を起こした。

現代では、没落貴族型の右翼は少数派であり、代わって増えてきたのがプロレタリア型の右翼である。ISSPの調査で浮き彫りになった、移民に対して最も拒絶的な、低学歴・低所得の先進国の下層民たちには、復活するべき栄光に満ちた過去があるわけではなく、そのため、没落貴族型右翼とは異なって、伝統的権威への固執は強くない。彼らが伝統的権威の重要性を持ち出すとするならば、それは、それが移民排斥や対外戦争の手段として使える場合に限られる。彼らには、伝統的権威は、第一義的な重要性を持たない。

そういうプロレタリア型右翼の一つの事例として、赤木智弘を取り上げよう。赤木は、高校と専門学校を卒業したフリーターで、年収は150万円と報道されている[東京新聞朝刊(2008年5月3日)反発と絶望―極論生む]。日本人の大学・短大の進学率は50%を超えており、また平均年収も400万円を超えていることから、赤木を低学歴・低所得のカテゴリーに分類することができる。赤木は、「決して右傾化するつもりはない」[赤木智弘(2007)けっきょく、「自己責任」 ですか]と言いつつも、戦争を希望し、特権化された既存の「弱者」しか守らない左翼を厳しく非難しているという点で、一種の右翼と呼んでよいだろう。

では、赤木のようなプロレタリア型右翼が戦争を希望する理由は何か。

現状のまま生き続けたとしても、老いた親が病気などによって働けなくなってしまえば、私は経済基盤を失うのだから、首を吊るしかなくなる。その時に、社会の誰も、私に対して同情などしてくれないだろう。「自己責任」「負け犬」というレッテルを張られながら、無念のままに死ぬことになる。

しかし、「お国の為に」と戦地で戦ったのならば、運悪く死んだとしても、他の兵士たちとともに靖国なり、慰霊所なりに奉られ、英霊として尊敬される。同じ「死」という結果であっても、経済弱者として惨めに死ぬよりも、お国の為に戦って死ぬほうが、よほど自尊心を満足させてくれる。

[…]

生きていれば流動化した社会でチャンスも巡ってくる。また、軍務に就いていれば衣食住は保証され、資格もいくつかとれるだろう。今の日本で、年長フリーターが無資格で就業できて、賃金を得ながら資格をとれるような職業に就けるチャンスはどれくらいあるのだろうか?

苅部直氏の『丸山眞男――リベラリストの肖像』に興味深い記述がある。1944年3月、当時30歳の丸山眞男に召集令状が届く。かつて思想犯としての逮捕歴があった丸山は、陸軍二等兵として平壌へと送られた。そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。

戦争による徴兵は丸山にとってみれば、確かに不幸なことではあっただろう。しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。

丸山は「陸軍は海軍に比べ『擬似デモクラティック』だった」として、兵士の階級のみが序列を決めていたと述べているが、それは我々が暮らしている現状も同様ではないか。

社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。

赤木には、天皇崇拝や愛国心といった日本の伝統的右翼の特徴のいくつかが欠けている。だから、彼は典型的な右翼ではないのかもしれない。右翼には、没落貴族型右翼やプロレタリア型右翼の以外にも愛国心に最大の重点を置く心情右翼や宗教的伝統を重視する宗教右翼などさまざまな類型が考えられる。しかし、私が見るところ、デフレ経済のもと、失業率の増加とともに社会が急速に右傾化するとき、増えるのがプロレタリア型右翼であると思う。

プロレタリア型右翼にとって、戦争で日本が勝つかどうかは重要でない。戦争をして、日本が勝ったとしよう。戦場で死ねば、英霊として崇拝されるし、生き残れば、強くなった日本で立身出世できる。戦争をして、日本が負けたとしよう。戦場で死ねば、戦争の犠牲者として同情してもらえるだろうし、生き残れば、かつて偉そうにしていた特権階級が没落した、混沌とした日本で、新たに出世するチャンスがやってくる。戦争になれば、どちらに転んでも、屈辱的な身分が死ぬまで続く平和な世の中より自分にとって望ましい。

以上のようなプロレタリア型右翼の考えは、戦前の朝鮮人の考えと同じである[朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか]。大日本帝国の下層民であった朝鮮人の当時の心境を赤木風に表現するならば、「日本人をひっぱたきたい―檀紀4243年にして日本の属国。希望は、戦争。」といったところだ。前回、「彼らにとって、世界の一等国民の仲間入りをして、民族のプライドを取り戻すことは、歴史的悲願だった」と書いたが、赤木も「社会に出てから10年以上、ただ一方的に見下されてきた私のような人間にとって、尊厳の回復は悲願なのだ」[赤木智弘(2007)けっきょく、「自己責任」 ですか]と同じようなことを言っている。

フランクフルト学派流の権威主義的パーソナリティ論は、没落貴族型の右翼の説明にはある程度使える。市民革命によって、社会が流動化すると、特権を失った貴族たちは、自分たちの利権を支えてきた過去の権威を復活しようとする。しかし、この説明は、赤木のようなプロレタリア型右翼の説明には使えない。赤木は「権威主義に対するラジカルな批判」[赤木智弘(2006)『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その2)]を行っている。「丸山眞男をひっぱたきたい」という象徴的表現が、強者や権威に対する彼の激しい憎悪を示している。赤木は、また、過剰流動性がバックラッシュ(右翼的な保守反動)の原因となっているとする宮台によるフロム流の説明を次のように言って批判している。

男性弱者が抱えている不安は「過剰流動性」とは正反対の「硬直性」です。「一度フリーターになってしまったら、正社員になることは、非常に困難である」ということです。

要するに、赤木のようなプロレタリア型右翼の場合、《弱者であるがゆえに、過剰流動性に耐えられなくなって、権威に盲目的に服従し、権威が遂行する戦争に加担しようとする》といったフランクフルト学派的説明は成り立たず、むしろ《流動性のない格差社会で負け組みとして固定されているがゆえに、戦争によって流動性を作り出して、権威を打ち倒そうとしている》というような逆の説明が成り立つのである。

読者の中には、弱者が強者を打ち倒したいのであれば、右翼的な戦争ではなくて、左翼的な革命あるいは改革によってその目的を達成するべきだという人もいることであろう。これに対して、赤木は次のように反論する。

革命は「多数派の国民が、小数派の国家権力に支配されている」というような状況を逆転させるための手法である。少数派が多数派に対して革命を行ったって、十分な社会的承認を得ることなどできないのは明白だろう。

[…]

正社員で、もしくは非正規社員でも生活に十分な給与を確保している安定労働層という多数派に、小さな企業の正社員や、派遣労働者や、フリーターといった貧困労働層という少数派が支配されている現状において、革命などは絶対に成就しない。つまり社会への信頼もなく、少数派であるしかない私が、革命という結論に至ることはあり得ないのだ。

非正規労働者が労働者に占める割合は、2008年の平均で、34.1%で、男性に限定すると、たったの19.2%である[統計局(2009)雇用形態別雇用者数]。こういう数が少なくて、金も何もない弱者が団結して革命を起こしても、鎮圧されて失敗に終わるに決まっている。左翼政党も、労働組合に加入している正規労働者や女性といった票になる多数派の「弱者」のための政治には熱心であるが、赤木のような票にも資金源にもならない少数派の弱者には冷たい。だから、赤木は既存の左翼に対して強い不満を持っている。赤木からすれば、左翼的革命/改革よりも右翼的戦争の方が、固定化された格差社会を流動化する上で、より現実的な選択肢なのである。

ここで、もう一度「朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか」という問題を考え直してほしい。朝鮮人は、日本人よりも数が少ないし、経済力も格段に劣っていた。彼らが内地に反旗を翻しても、たちまち強大な軍事力で鎮圧されてしまう。従属的身分からの解放を熱望していた彼らにとって、左翼的革命は破滅的結果しかもたらさない非現実的手段であり、右翼的戦争こそが、自分たちのステイタスを確実に向上させてくれる現実的手段だったのである。

従来、左翼の論客(進歩的知識人)は、戦争を望んでいるのは資本家という強者であり、弱者である労働者は、強者に騙されて、戦場に駆り出された犠牲者だという説明をしてきた。進歩史観による戦争の説明は、例えば、以下のようなものである。

資本家は、自分たちの搾取によって国内で品物が売れなくなると、搾取を少なくするのではなく、今度はその品物を外国に売ってもうけようとします。それは日本だけではなく、アメリカもイギリスもフランスもドイツも、資本主義国はみんなそうです。そうなると、品物を売る場所をどちらがとるかということで争いになります。

[…]

そこで問題は、戦争をやるとなると武器を持って戦場に行くのはだれかということです。その場合、大きな資本家が自分で武器をかついで戦争をしに行くでしょうか。そんなことはありません。資本家階級から搾取され、抑圧されて、貧乏になっている労働者や農民やその他の勤労人民を「国のため」とあざむいて、戦争へ行かせるのです。

[福田正義(1983)第二次大戦の真実は何か

私は、小学生の時以来、日教組の教師から、こうした類の説明を聞かされてきた。しかし、実際には、貧乏な勤労人民ほど、デフレで失業が増えると、戦争を熱望する。「右翼は、低学歴で頭が悪いから、権威に盲従し、自分たちにとって不利益になる権威の発動、すなわち戦争を支持する」というのが、権威主義的パーソナリティー論に影響された進歩的知識人たちの低学歴右翼に対する認識であるが、プロレタリア型右翼は、彼らが考えているような馬鹿ではない。下層階級の右翼には、戦争になれば、自国が勝とうが負けようが、自分たちの利益になるというしたたかな計算があるのであって、戦争に負ければ、多くの既得権益を失うリスクを抱える特権階級よりも、戦争から利益を受けやすいのである。

3. 右翼と左翼の対立地平を越える

右翼と左翼は、相容れるところがない、正反対の思想の持ち主と考えられがちである。たしかに、右翼と左翼という言葉の起源となったフランス革命後の議会では、右翼は第二身分、左翼は第三身分の代表であったから、その支持基盤には、明確な階級の差があった。しかし、これは、伝統的な特権階級が特権を失い、それまで権利を持たなかった者が権利を手にするという特殊な流動的状況での話である。持つものと持たざるものの格差が固定されると、自分たちの利権を守ろうとする特権階級が保守主義的になるのに対して、特権を持たないものはプロレタリア型右翼あるいは左翼となって、自らを解放しようとする。つまりプロレタリア型右翼と左翼は、支持する階級が同じで、下層階級の救済という同じ使命を帯びている。

プロレタリア型右翼にとって、戦争とは、別の手段を用いた左翼的革命の継続である。両者の手段の違いを簡単に言うと、左翼が自虐的で内ゲバ的な手段を使うのに対して、右翼は他虐的で外ゲバ的な手段を使う。すなわち、左翼が、ゲバルト(暴力)を同じ国家内の特権階級に向け、社会を流動化させようとするのに対して、右翼は、ゲバルトを外国に向け、自国と外国を戦わせることで、社会を流動化しようとする。もちろん、ゲバルトを使わない穏健な左翼や右翼もいるから、正確には、極左と極右と呼ばなければならないのかもしれないが、以下、極左と極右という意味で左翼と右翼という言葉を使うことにしたい。

一般に、右翼と左翼は、相互に相手を激しく非難する。このため、人々は、右翼と左翼は、正反対の、全く異なる思想と考えてしまう。だが、両者の仲が悪いのは、近親憎悪によるのであって、決して、両者が異質であることを示さない。プロレタリア型右翼も左翼も、ともに、下層階級の救済を目指しているので、譬えて言うならば、低所得層を顧客とするディスカウント店どうしのようなものである。ディスカウントショップは、同じ客を奪い合う関係にあるからこそ、激しく対立するのである。

プロレタリア型右翼と左翼は、手段においてのみ異なるわけではなく、目標においても相違している。すなわち、左翼が平等な社会の実現を目指しているのに対して、右翼は、必ずしもそうではなくて、むしろ自分だけは特権階級に入りたいというエゴイズムによって動機付けられているという違いもある。つまり、左翼的理想は普遍化可能な合理性を持つのに対して、右翼的理想はそうでないという違いがある。

ここで、話をまた赤木に戻そう。赤木は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望むと言っているが、そういう平等は、決して長く続くわけではない。

本当に戦争のようなカタストロフィーが起きて、もし国民全員が苦しむ平等が達成されたとしても、そのような流動は極めて一時的なもので、安定を求める人たちがこうしたシステムを額面通り流動させたままにするとは思わない。戦争によって一度流動化したシステムも、やがてまた硬直化する。その時にはまた硬直化したシステムからはじきだされた人たちが、私と同じように異議を唱えることだろう。

戦争によって、固定的だった格差社会が流動化し、赤木がたまたま特権階級の仲間入りをしたとしよう。格差が再び固定された後、赤木は、社会の流動化を要求する下層民たちの声に耳を傾け、敢えて自分が手にした特権をリスクに晒すような戦争を支持するだろうか。もしも、特権階級にいる時とそうでない時とで言うことが異なるなら、赤木の思想は普遍化可能な合理性を失う。

思想には、普遍化可能な合理性がなければならない。社会における自分のポジションがどこであっても、同じ政策を支持することができないならば、その人はエゴイストということになる。格差の流動化が望ましいならば、自分が高資本所有者だろうが、低資本所有者だろうが、常に格差を固定しないことに同意しなければならない。但し、格差の流動化といっても、戦争は望ましくない。他者を不幸にすることを目標とする競争ではなくて、他者を幸福にすることを目標とする競争によって社会を流動化する必要がある。そのような競争とは、市場原理に基づく経済的競争であり、この競争により、社会を絶えず流動化させようとする政治的立場はリバタリアニズムと呼ばれる。

右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者の違いがわかるように、以下のフローチャートで整理してみた。

右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者
右翼・左翼・リバタリアン・保守主義者の関係

左翼は、格差を否定する。現実に存在する社会主義・共産主義国家には、格差は存在するが、彼らは、少なくとも理念としては、平等な社会の実現を主張している。左翼は、格差を肯定するすべての立場をまとめて「右翼」と呼んでいるが、そうした呼称は、大雑把過ぎる。そこで、彼らが言う「右翼」をさらに細かく分類しよう。

格差を肯定する立場のうち、現在の格差を固定的に維持しようとする立場は、言葉の本来の意味で、保守主義と呼ばれる。格差をゼロにしたり、格差を固定すると、イノベーションが起きなくなって、生産性が低下する。だから、格差社会は流動的でなければいけないが、流動化するための競争は、非合法な暴力に基づく右翼的競争ではなくて、市場原理に基づいたリバタリアンな競争でなければならない。この理由により、私は、四つの政治的立場の中で、市場原理至上主義という意味でのリバタリアニズムが最も望ましいと考える。

赤木は、特権階級が貧しくなれば、自分は豊かになると考えているようだが、こうしたゼロ・サム・ゲーム的な発想では、すべての人を納得させるような社会を設計することはできない。たとえ配分結果に格差が出ても、公平なルールに基づいて競争が行われ、社会全体の富が増大するシステムなら、(少なくとも理論的には)すべての人を納得させることができる。そうした社会は、市場原理至上主義によって実現されるというのが私の立場である。

追記(1)

本稿公表後、内容に関していろいろな方からご批判をいただきました。なかでも

  1. 「なぜ右翼には低学歴と低所得が多いのか」という最初のタイトルは、「右翼は低学歴で低所得」というステレオタイプを広めようとしているようにみえる。
  2. 赤木智弘氏という一つの事例をすべての右翼に当てはまるかのように一般化することは一面的過ぎる。
  3. 新聞の購読者層の比較については、購読者の年齢層に偏りがあり、一般的な結論が導けない。

の三つの問題点を反省し、

  1. タイトルを「プロレタリア型右翼」に変える。
  2. 右翼一般ではなくてプロレタリア型右翼に話を限定する。
  3. 新聞の購読者層の代わりに極右政党の支持層のデータを採用する。

以上の改訂を加えました。

追記(2)

関連トピックとして、フォーラムから“我が国のプロレタリア右翼について”を転載します。

我が国のプロレタリア右翼について

投稿者:秋鮭.投稿日時:2012年1月05日(木) 12:57.

「プロレタリア型右翼」を拝読いたしました。貴稿で、低学歴・低所得の者が右翼を支持する一因として、単純労働をめぐる移民との競争を挙げられていましたが、これはわが国にはあまりあてはまらないと思います。

現在のところ、マスコミやネットで取りざたされる失業問題といえば「正社員になれない」というものであり、移民と競合するような単純労働はまだ注目を集めていません。現実には、非正規労働者にすらなれないという事態は、中高年の失業者にとっては切実な問題ですが、彼らを政治的に組織しつつあるのは伝統的な左翼です。彼らの救済策として語>られるのも、「正社員への道を開け」「社会保障を充実せよ」といったものです。

その上、わが国の排外主義は主に南北朝鮮、中国、米国に向けられており、肉体労働者の大きな割合を占める中南米系の移民を排斥する動きはほとんど見られません。排外主義者の主張は、外国が政治力によって日本の富を収奪しているとか、在日朝鮮人が福祉を食い物にしているといった、陰謀論的なものが大半です。なお、文化や血統の純化を求める傾向がほとんど見られないのも、わが国の右翼の特徴であるかと思います。

日本のプロレタリアが右翼を支持する理由は、(1)社会保障の分配問題、(2)強者たる既成左翼への反感、の2つが中心であると思います。

(1)は、社会主義に常に付いて回る問題です。国家の庇護を受ける権利があるのは自国民・自民族だけであるというナチズムの論理には大変に説得力があります。その上に、貴稿でも指摘されている通り、戦争に協力することで社会的地位の向上を目指す動きが加わりますから、第2インターの崩壊以来、左翼国際主義は民族社会主義に敗れ続けているわけです。

(2)は貴稿を含め広く指摘されている通りなので繰り返しませんが、こちらは必ずしも第二の左翼ばかりではなく、社会の流動化を求める者、経済的な動機が薄い反知性主義者など、様々な傾向の持ち主が、反権威でまとまっているように見受けられます。

最後に、高学歴・高所得の者がなぜ左翼を支持するのか、という問題にも触れる必要があるかと思います。前近代から、国家や宗教組織が救貧に乗り出し、あるいは自ら清貧を実践することが多々見られます。名誉への欲望と、恵まれた出自への罪悪感が動機です。これに加えて近代には、知的権威が力が増して、権威を裏打ちする富を必要としなくなったため、左翼的論理をもって知識層が支配層を精神的に征服するようになりました。現在ではマルクス主義は敗北して、自由主義が主流となりましたが、穏健な社会主義はまだまだ頑張っています。

Re: 我が国のプロレタリア右翼について

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年1月06日(金) 04:43.

単純労働、非正規労働、肉体労働を区別する特段の理由はないので、以下これらをまとめて低賃金労働と呼ぶことにします。

秋鮭 さんが書きました:

現在のところ、マスコミやネットで取りざたされる失業問題といえば「正社員になれない」というものであり、移民と競合するような単純労働はまだ注目を集めていません。現実には、非正規労働者にすらなれないという事態は、中高年の失業者にとっては切実な問題ですが、彼らを政治的に組織しつつあるのは伝統的な左翼です。

たしかに現時点では、大部分の若者が「非正規労働者にすらなれないという事態」は生じていません。しかし、もしも途上国からの外国人労働者がさらに増えれば、彼らに低賃金労働を奪われ、日本の若者が低賃金労働にすらつけないという事態が生じる可能性は十分にあります。

秋鮭 さんが書きました:

わが国の排外主義は主に南北朝鮮、中国、米国に向けられており、肉体労働者の大きな割合を占める中南米系の移民を排斥する動きはほとんど見られません。排外主義者の主張は、外国が政治力によって日本の富を収奪しているとか、在日朝鮮人が福祉を食い物にしているといった、陰謀論的なものが大半です。

在日外国人に占める中国人の割合が31.1%、韓国・朝鮮人が26.5%であるのに対して、ブラジル人は12.2%、ペルー人は2.6%です[Source: 国籍(出身地)別外国人登録者数の推移]。また、低賃金労働の従事者の内訳でも、一番多いのは中国人で、中南米の出稼ぎ労働者は少数派です[Source: 国籍(出身地)別在留資格(在留目的)別外国人登録者]。それでも、豊田市保見団地事件や浜松市宝石店入店拒否事件などのように、日本人がブラジル人を排斥しようとしてトラブルが起きたこともあります。

もとより、日本の場合、国内での外国人の割合は比較的低いので、外国人追放運動は活発ではありません。しかし、今後外国人労働者を増やすという提案に対して、右翼系の人は一応に反対します。「中国、韓国、北朝鮮出身の労働者はお断りだが、中南米出身の労働者ならいくら来てもよい」と言っている右翼の方はいるのでしょうか。

なお、米国は先進国であり、右翼が米国の日本支配を批判するのは、途上国からの安価な労働者の流入を批判するのとは別の動機によるものとみるべきです。もちろん、この場合でも、米国からの輸入が増えると、それだけ日本での雇用が失われるということを懸念しているのであれば、似たような動機ということになります。

先進国のプロレタリアは、たんに雇用が外国人に奪われることを懸念しているのみならず、失業した時の社会保障の財源やさらにはそれらを保証してくれる国家主権が外国人に奪われることも懸念しているというのは事実です。高学歴高所得の人ほど、祖国が滅んでも外国で生きていく自信のある人が多いのに対して、低学歴低所得の人はそうではなく、祖国を運命共同体のように感じる傾向があります。先進国のプロレタリアは、先進国に生まれた幸運という彼らに残された最後の既得権益を外国人に奪われまいとして排他的になっているのでしょう。

秋鮭 さんが書きました:

高学歴・高所得の者がなぜ左翼を支持するのか、という問題にも触れる必要があるかと思います

左翼は高所得よりも高学歴の人、特に学者や一流大学の学生といった世間知らずのインテリに多いように思います。インテリは、自分の知的能力に自信があり、すべてを理性的に管理しようとする傾向があります。彼らが、社会主義的な計画経済に魅了されるのはそのためでしょう。だから、彼らは不確定性の高い市場原理にすべてを委ねることに抵抗を示し、市場原理主義を批判するのです。

財界人のように、必ずしも高学歴ではないが、高所得である人には、左翼は少ないようです。富裕層の中には慈善活動に熱心に寄付する人もいますが、彼らが社会主義に賛同しているとはかぎりません。私は、保守主義者とリバタリアンを右翼や左翼から区別しており、その分類を用いるなら、経団連に名を連ねるようなエスタブリッシュメントには保守主義者が多く、ベンチャー企業の経営者などにはリバタリアンが多いということが言えるでしょう。

追記(3)

関連トピックとして、フォーラムから“中国のプロレタリア型右翼”を転載します。

中国のプロレタリア型右翼

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年9月18日(火) 12:52.

日本政府による尖閣諸島国有化に抗議する中国の反日デモが、2012年9月11日から続いている。特に16日は日曜日ということもあり、デモの参加者は多かった。

クローズアップ2012:中国・反日デモ 指導部、対日強硬崩せず 党大会前、保守派の影 (date) 2012年9月17日 (media) 毎日新聞 さんが書きました:

「毛主席、万歳」。北京の日本大使館前で16日に起きたデモでは、多くの集団が新中国建国の父、毛沢東の肖像画を掲げ、声をそろえて毛沢東をたたえる集団もあった。

上海でも16日、大小の毛沢東の肖像画がデモ参加者によって掲げられた。上海市郊外から参加したという20代の男性は胸に毛沢東の肖像が描かれたシャツを着ていた。「国民の多くが平等だった毛沢東時代の方が良かった。今の政府のやり方はおかしいことばかりだ」と語った。だが、尖閣諸島の問題とは直接関係ないのではと問うと、口をつぐんだ。

中国では貧富の格差や官僚の腐敗が深刻化するなか、保守派や若者の間に毛沢東を崇拝する動きが広がっているが、これまでの反日デモで毛沢東の肖像画を掲げるケースはなかった。今回の反日デモの広がりには保守派の支持拡大を反映したものとの見方もある。

中国では社会主義者は保守派ということになっているが、現在の中国共産党は、毛沢東の路線を軌道修正し、改革開放路線を採っているのだから、それを批判する毛沢東主義者は反体制派であり、保守というよりも革新に分類されるべきである。毛沢東の肖像画を掲げたデモと言えば、1966年から始まったプロレタリア文化大革命を思い出させるが、これもまた当時「実権派」あるいは「走資派(資本主義に走る連中という意味の蔑称)」と呼ばれていた修正主義者に対するプロレタリアたちの原理主義的な革命運動であった。

毛沢東の死後、毛沢東と同様の革命を起こそうとした人物が現れた。重慶市委書記だった薄熙来(はくきらい)である。薄は、毛沢東の手法を徹底的に真似た。

「毛沢東」になれなかった薄熙来の悲劇 ついに政治生命絶たれる (date) 2012年4月11日 (media) WEDGE Infinity (author) 城山英巳 さんが書きました:

自分の政敵を、大衆の忌み嫌う「腐敗幹部」として「打黒」の対象とし、法を無視してでも打ちのめす。大衆を動員し、毛沢東時代の革命歌(紅歌)を熱唱する「唱紅」では熱狂的雰囲気の中で、大衆に嫌な現実を忘れさせる。格差是正や平等・公平という政治スローガンを唱える「共同富裕」では毛時代に郷愁の念を抱く大衆を引きつけていく――。

重慶で薄が強調したように、農民を新市民にする戸籍改革が軌道に乗り、貧困層に安価な住宅が行き渡ったのかは定かではない。しかし新聞などメディアを支配下に置いた毛沢東さながらの巧みな「宣伝」が効果を発揮したのは確実だろう。

薄は、ニール・ヘイウッド事件や王立軍事件の責任を問われ、2012年3月に失脚した。しかし、薄を支持し、現代の「走資派」に不満を抱く貧困層は依然として多い。反日デモで毛沢東の肖像画を掲げている人が多数いるのは、その証拠である。

デモの参加者が、尖閣諸島の問題とは直接関係ないのではと問われ、口をつぐんだのは、口外できないような動機があるからだろう。貧困層が格差社会を暴力で打倒そうとするならば、文化大革命のような内ゲバ型の革命を起こすか、あるいはそれが失敗するなら、外ゲバ型の戦争を起こすしかない。だから、毛沢東を崇拝するプロレタリアが、対日戦争を望むことは決して不自然なことではない。

尖閣諸島の領有をめぐって、日中が紛争を起こしたとしよう。もしも成功すれば、尖閣諸島の近辺にある(と思われている)石油が手に入るので、中国人は豊かになれる。もしも失敗すれば、現在の中国の支配者である「走資派」が失脚し、極左革命を起こしやすくなる。つまり、どちらに転んでも、プロレタリアにとっては、現状よりも好都合であり、これが毛沢東を崇拝する極左プロレタリアが右翼的に見える反日活動を行う理由と考えることができる。

世論調査によると、尖閣問題を武力で解決することを望む中国人は、27.4% もいるとのことである。

「戦争あり得る」が半数超=尖閣めぐり中国の世論調査 (date) 2012年9月17日 (media) 時事通信 さんが書きました:

17日付の中国紙・環球時報に掲載された世論調査結果によると、日本政府の国有化で中国との対立が深まっている尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐり「戦争が起こり得る」と考える中国人が52.3%、「可能性は低い」とする人が43.2%となった。

同紙によると、日本の尖閣国有化に対し「中国側がさらに対抗措置を取るべきだ」という人が89.7%に上り、「必要ない」という人は7.3%。専門家は「中国側が紛争解決の主導権を握ることに期待している」とみている。

最終的な解決法としては「平和的な交渉」が47.7%に対し「武力による解決」が27.4%。「10年以内に解決できる」と楽観的な人が64.8%だった。

一般的に言って、デフレになると、戦争によってデフレを解消しようとする動きが出てくる。中国はこれまでインフレと戦ってきたが、最近ではデフレの兆候も出てきている。もしも、現在中国が行おうとしている総額1兆元(約12兆4千億円)規模の平和的手段による公共事業がリフレ策として失敗するなら、中国が戦争に走る可能性は高まるだろう。現在の共産党幹部にとって、戦争は、既得権益を失うことにもなりかねない危険な選択肢だが、プロレタリアは失うものがないから、戦争を支持するだろう。

Re: 中国のプロレタリア型右翼

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年10月01日(月) 16:33.

2012年11月8日から北京で開催が予定されている中国共産党大会で胡錦濤に代わって国家主席に就任する予定の習近平は、胡錦濤以上に中国国内のプロレタリア型右翼に配慮した政治を行いそうである。薄熙来は、党籍を剥奪され、完全に失脚したが、代わって、同じ太子党の習近平が、薄熙来の路線を継承しようとしているようだ。

『週刊現代』は、習近平副主席が、9月初旬から2週間にわたって姿を消したのは、胡錦濤に軟禁されていたことが原因だったと書いている[「消えた習近平」その真相は胡錦濤に「軟禁」されていた (date) 2012年10月1日 (media) 現代ビジネス]。すなわち、習近平は、9月1日に、党幹部養成機関の中央党校の始業式で、約1600人の「新入生」を前に挨拶に立ち、毛沢東主義への回帰を説き、党校機関紙『学習時報』の「新学期記念特集号」に以下のような文章を載せた。

「消えた習近平」その真相は胡錦濤に「軟禁」されていた (date) 2012年10月1日 (media) 現代ビジネス さんが書きました:

わが国はこの10年間で、幹部の腐敗がはびこり、国民の生活格差が深刻になり、いまや多くの庶民が生活苦に喘いでいる。こうしたことは毛沢東時代にはあり得なかったことで、「改革開放」の名の下での過度の対外妥協政策の副作用である。中国共産党は、図らずも党の根本理論にそぐわない『失われた10年』を過ごしてしまったが、この秋からは正しい指針を持った新時代を迎えるであろう

「失われた10年」とは、胡錦濤が国家主席を務めた時代(2003年3月-2012年11月)のことであり、この文章は胡錦濤を激怒させた。胡は『学習時報』を全面回収させ、緊急常務委員会を招集し、習はその場で自己批判を強要させられ、「当分間の活動禁止処分」が下されたとのことである。

『週刊現代』の軟禁説がどの程度正確なのかはともかくとして、習が、胡とは異なり、毛沢東主義への回帰を強めていることは確かと言える。毛沢東は、日中戦争、太平洋戦争という外ゲバ革命を通じて、国民党を追放するという内ゲバ革命に成功した人物であり、毛沢東主義の復活は日本にとって望ましいことではない。

2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECにおいて、胡が日本の野田総理と15分間ほど立ち話をする機会があった。野田は、胡から国有化しないように要請されたにもかかわらず、翌日に国有化方針を打ち出した。これで胡のメンツは丸つぶれとなり、他方で「過度の対外妥協政策の副作用」を主張していた習一派を活気付かせることになった。

習が職務復帰した9月15日に反日デモが急拡大したのは偶然ではなく、反日デモは習が煽ったと見られている。中国共産党内部の強硬派と軟弱派を、軟弱派に手柄を与えることで離間させるのではなく、両者を一致団結して反日に走らせ、後で「この規模は想定を超えている」などと言っている野田には外交戦略がないと評さざるをえない。

Re: 中国のプロレタリア型右翼

投稿者:ペンペン.投稿日時:2012年10月03日(水) 21:03.

永井俊哉 さんが書きました:

中国共産党内部の強硬派と軟弱派を、軟弱派に手柄を与えることで離間させるのではなく、両者を一致団結して反日に走らせ、後で「この規模は想定を超えている」などと言っている野田には外交戦略がないと評さざるをえない。

そもそも、東京都が尖閣諸島を買収する、などと石原がブチ上げなければ、日本政府が尖閣諸島を国有化することもなかったであろう。今回の騒動の張本人は、石原ではないか。
なぜ石原が、東京都による尖閣諸島の買収を画策したのか、という動機については、自分のバカ息子を自民党総裁にするためだった、といわれている。
野田の悪口をいう前に、石原を非難すべきではないのか。

Re: 中国のプロレタリア型右翼

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年10月04日(木) 00:59.

尖閣諸島の国有化は、所有者の年齢を考えれば、遅かれ早かれ行わなければならなかったでしょうが、国との賃貸借関係が終わるのが2013年3月ということですから、国有化の決定は急ぐ必要はなく、もう少しタイミングを考えてやるべきだったということです。

Re: 中国のプロレタリア型右翼

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年10月15日(月) 10:01.

歌舞伎町案内人の李小牧が私と同じ見解を示している。典型的なプロレタリア型右翼は、日本よりも中国に多数いる。

尖閣問題で大騒ぎする中国人の「本音」は (date) 2012年10月15日 (media) ニューズウィーク日本版 (author) 李小牧 さんが書きました:

日本人にとって信じ難いことだが、中国人の中には自国に対する破壊願望が存在する。実際、微博には「もし戦争になって勝ったら釣魚島を取り返すことができる。負けたっていい。なぜならそれをきっかけに『新中国』が誕生するからだ!」というかなり際どい書き込みが現れた(すぐ削除されたが)。貧しい農民にとっても知識人にとっても、中国は非民主的で腐敗に満ちた不満だらけの国だ。「こんな国、壊してしまいたい!」という衝動を、実はあらゆる中国人が共有している。その衝動が、デモで解放されたのだ。

わが故郷の英雄、毛沢東の肖像画がデモに現れたのは、彼が抗日戦争を戦った人物だから。ただ彼が、破壊の限りを尽くした文革の指導者であることも、参加者の破壊願望に訴えたはずだ。

中国政府がデモ隊のひそかな「目標」に気付いていたか定かではないが。

以下の李小牧の意見にも同意できる。野田は胡錦濤の対内的対外的メンツを潰すべきではなかった。

尖閣問題で大騒ぎする中国人の「本音」は (date) 2012年10月15日 (media) ニューズウィーク日本版 (author) 李小牧 さんが書きました:

なぜ中国政府は常識外れな行動に出たのか。最大の原因は野田佳彦首相だ。

APECで胡錦濤(フー・チンタオ)主席と「立ち話」し、「大局的観点から対応する」と答えたわずか2日後、野田首相は尖閣の国有化に踏み切った。これでは、任期最後で有終の美を飾ろうとしていた胡のメンツは丸つぶれだ。それどころか、領土をむざむざ失った売国奴として共産党の歴史に名を残しかねない。怒りにわれを忘れた胡が政府機関に「日本に目にものを見せろ!」と指示したとしてもおかしくない。日本は中国と国交回復して40年になるというのに、いまだに中国人にとってのメンツの大事さを分かっていない。

習近平が国家主席となって、反日的な発言をしてから、その報復として国有化を行えば、習と胡との関係がより悪化したことだろう。