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汚れとは何か

2007年5月13日

汚いかきれいかという価値判断は主観的に見えるが、これを物理学的かつ定量的に表現することは可能だろうか。私たちは、不正を「汚い行為」と表現することもあるが、こうした非物理的で精神的な汚(けが)れは、物理的な汚(よご)れと何らかの共通点を持っているだろうか。両者の汚れを清めることにはどのような共通点があるのだろうか。[1]

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1. 汚れとしての物理エントロピー

槌田敦氏によると、エントロピーの持っている特性を一番よく表現する日常語は、「汚れ」である。物理学の概念を、このような価値的な概念で定義することは奇妙に思えるが、槌田氏はこう反論する。

エントロピーは、もともと価値を表現するために物理学に導入された概念である。つまり、熱機関の効率を上げたいという欲望から生まれたものなのである。これを隠して、エントロピーを没価値の概念にしてしまおうというのは欺瞞的である。生きていくうえで、エントロピーが無視しえない大切な指標である以上、生きているものの共通の価値の表現として、エントロピー=汚れと表現することにしたい。[2]

技術的改善から生まれた概念が価値を表すとは限らないものの、エントロピーという概念が、人間をはじめとして、生命一般にとって価値の低さを表しているという点には同意する。

熱力学的な、つまり本来の意味でのエントロピーと汚れが一致しているのは、熱汚染の場合である。発電所(特に原子力発電所)では、水が冷媒として使われ、温廃水が垂れ流されている。水温が上昇すると、酸素濃度が減少し、水中の動物が酸欠で死ぬことがある。熱を水中ではなくて空中に捨てれば、ヒートアイランド現象を悪化させる。このように、廃熱は、高エントロピーであり、かつ汚れである。

しかし、熱とは関係のない汚れもある。汚染には、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭、光害など、さまざまな種類がある。例えば、大気汚染は、それ自体では熱汚染ではないし、むしろ、日射を遮ることで、地表面の温度を下げることもあるが、呼吸器系疾患や酸性雨をもたらすという点で、人間にとっては好ましくないから、汚れと呼ばれてしかるべきである。では、空気中に酸素や窒素が混入しても汚れとは言わないのに、窒素酸化物や硫黄酸化物が混入すると汚れと呼ぶのはなぜなのか。原始の地球の大気には、酸素はほとんどなく、光合成をする生物が現れ、大気に酸素を放出したとき、それまで存在した絶対嫌気性の生物にとっては、それは致命的な大気汚染であった。

同じ化学物質が薬になることもあれば毒になることもある。海の富栄養化は微生物やプランクトンにとっては歓迎すべきことだが、養殖をやっている人にとっては、赤潮は水質汚濁である。ある人にとっては、お金を払ってでも聞きたい音楽が、別の人にとっては、たんなる騒音ということもある。こうした相対性はどのように説明したらよいだろうか。

槌田氏は、汚れの量と質を区別すべきだと言っている。

プルトニウムのエントロピーと青酸カリのエントロピーについて、その大きさは比較できても、その毒性の比較はできない。毒性の質を示すには、別の量を導入しなければならない。[3]

どれだけ毒かは、対象の客観的性質だけで決まるのではなくて、それが因果的に生命システムによるエントロピーの縮減をどれだけ阻害するのかで決まる。これが毒の質である。また、毒であることは、対象と生命システムの相対的関係によって決まるのであるから、その対象の絶対的存在自体は問題ではなく、むしろその対象の存在の不確定性が問題であり、その情報エントロピーの大きさが量ということになる。

2. 汚れとしての情報エントロピー

歴史的に言って、エントロピーは、クラウジウスが作った熱力学的な概念である[4]が、後には、ボルツマンによって、統計力学的に再解釈され[5]、さらには、シャノンによって、情報理論の概念として導入された[6]

物理学者の槌田氏は、しかしながら、こうしたエントロピー概念の拡張に対して、否定的である。特に情報エントロピー(数学エントロピー)は、物理エントロピーとは全く別だと言って、その混同を戒めている。

数学のエントロピーは、「乱雑」、「多様」、「無秩序」の指標である。これは、エントロピーという名で呼ぶべきかどうかは別にして、通信工学や情報伝達の理論などと関係して、大いに有効であった。私は、この数学的エントロピーを頭から否定しているわけではない。

しかし、この数学エントロピーを、部屋の中に散らばった書類の乱雑さを示すというようなことに用いるのはどうかと思う。もしも、そのように用いるとして、きちんと整頓した本と散らばった本のエントロピーの差がどれだけあるのかと問われても、誰も答えられないに違いない。そればかりか、散らばり方が違う場合(たとえば、サイズ別に並べられた本と、著者名の五〇音順に並べられた本)、どちらのエントロピーが大きいのかと問われても、やはり答えようがない。したがって、部屋の中に散らばった本の状態を示すのに数学エントロピーをもち込むことは、そもそもナンセンスなのである。[7]

散らかった部屋を見ると、私たちは「汚い」と感じる。その汚さをエントロピーを用いて説明できないのだとするならば、「エントロピー=汚さ」説は、適用範囲がかなり限られるということになる。

槌田氏は、情報エントロピーが「乱雑」、「多様」、「無秩序」の指標だと言うが、情報エントロピーというかエントロピー一般は、物理エントロピーにせよ、情報エントロピーにせよ、「不確定性」の指標だと定義すべきだろう。システムが熱を受け取ると、そのエントロピーが増えるが、それは、それによってシステムの内部エネルギーや体積が増えると、分子の存在の不確定性が増えるからである。

エントロピーを不確定性と定義するならば、情報エントロピーの値を確率論的に出せる。きちんと整頓した本と散らばった本のエントロピーの差がどれだけあるのかに関しても定量的に答えられる。一定の順番で並んでいる場合、それがサイズ別の順番だろうが著者名の順番だろうが、同じ値の本が存在しないなら、例えば、バイナリサーチ(中央の値を見て、検索したい値との大小関係から、検索したい値が中央の値の右にあるか、左にあるかを確かめながら検索していくアルゴリズム)により、任意の存在する本を確率1で探し出せる。ノイズが入れば入るほど、つまりエントロピーが大きくなればなるほどその確率は低くなる。その確率は、何回か試行すれば経験的に出てくる。

部屋が散らかっているかどうかも似たような方法で確率を出せるが、部屋を整頓するときには、生活する上での目的-手段の連関も必要になってくる。ちょうど、毒による汚染で、毒の存在の不確定性とは別に、それが生命システムに及ぼす原因-結果の関係を考慮に入れなければならないように、道具を整理するときには、その道具の存在の不確定性とは別に、それが生活にかかわる目的-手段の関係(原因-結果の関係を逆転させた関係)を考慮に入れなければならない。

3. 精神的汚れと精神衛生

“精神衛生 Mental Hygiene”という言葉がある。アメリカで、Clifford Whittingham Beers(1876-1943)が、この言葉を用いて、熱心に精神病予防の運動を推進して、普及したといわれる。普通、衛生という言葉は、物質的な汚染から身体をきれいに保ち、病気を予防することを意味するのだが、精神衛生という概念は、精神的な汚染から心をきれいに保ち、心の病を予防することを意味することで、衛生概念を拡大した。

身体システムは、異物を排除し、システムの環境に対する物理的な低エントロピー性を維持する。所謂カタルシスは、この原理を心的システムに応用したものである。「人はなぜ笑うのか」や「人はなぜ泣くのか」で指摘したように、笑ったり泣いたりすることが、精神衛生上効果があるのは、それが、涙や声を外部へと排除するカタルシスであるからである。

社会システムもまた、秩序を乱す(つまり複雑性を増大させる)異物を排除することで、自らのエントロピーを縮減しようとする。犯罪の処罰がそうであるが、しばしばカタルシスが自己目的化し、罪のないスケープゴートが排除されることがある。いずれの場合にも、異物は、不確定性を増大させるがゆえに「汚い」と感じられる。菅野盾樹氏は、いじめをスケープゴート排除の一つと位置づけ、次のように言う。

いじめの報告を通読するとき、その言語面にいちじるしい特徴があるのには目を奪われる。いじめっ子がその犠牲者に放つことばの武器の圧倒的多数が「おまえは汚い」、「臭い」、「不潔だ」といったものでしめられているのだ。すなわち、いじめの言語行為は、何よりも、汚穢のディスクールなのであり、そこに見出されるのは、古代から綿々と引き継がれてきた触穢の思想である。[8]

いじめられる子は、必ずしも、物質的な意味で汚いわけではない。ただ、いじめられる子は、何らかの点でほかのメンバーとは異なり、その集団の不確定性を増大させるがゆえに、汚いと感じられ、いじめというカタルシスが行われるわけである。

カタルシスによって、エントロピーが縮減されても、それが因果的に、社会システムの維持に貢献しないなら、正当化されない。どのような選択をしても、それはそれ自体においてはエントロピーの縮減であるとはいえ、自己のシステムのエントロピーを縮減することに因果的に関係付けられるエントロピーの縮減のみが、正しい選択と認知される。

4. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 本稿は、2007年05月13日に『連山』に掲載した「汚れとは何か」に若干の修正と加筆を施して、2021年6月28日に再公開したものである。
  2. 槌田敦『エントロピーとエコロジー「生命」と「生き方」を問う科学』ダイヤモンド社 (1986/7/1). p. 27.
  3. 槌田敦『エントロピーとエコロジー「生命」と「生き方」を問う科学』ダイヤモンド社 (1986/7/1). p. 28.
  4. Rudolf Clausius (1865) Über verschiedene für die Anwendung bequeme Formen der Hauptgleichungen der mechanischen Wärmetheorie, in Vierteljahrsschrift der Naturforschenden Gesellschaft in Zürich. 10, S. 1-59.
  5. Ludwig Boltzmann (1877) Über die Beziehung zwischen dem zweiten Hauptsatz der mechanischen Wärmetheorie und der Wahrscheinlichkeitsrechnung, respective den Sätzen über das Wärmegleichgewicht, in Wissenschaftlichen Abhandlungen 2, 164 p. 373-435.
  6. Claude E. Shannon (1948) A mathematical theory of communication, in Bell System Technical Journal, vol. 27 p. 379-423 p. 623-656.
  7. 槌田敦『エントロピーとエコロジー「生命」と「生き方」を問う科学』ダイヤモンド社 (1986/7/1). p. 16.
  8. 菅野盾樹『いじめ―学級の人間学』新曜社; 増補版 (1997/10/1). p. 29.