覗く快楽と覗かれる快楽
2004年4月8日、当時早稲田大学大学院教授であった植草一秀は、品川駅高輪口の上りエスカレーターで、前に立っていた女子高生(15歳)のスカートの中を、手鏡を用いて覗き、東京都迷惑防止条例違反の疑いで、現行犯で逮捕され、2005年4月7日、東京地裁で、有罪が確定した。なぜ植草は、なぜこのような犯罪をしてしまったのだろうか。
1. 植草はたんにスリルを求めていただけなのか
植草は、ワールド・ビジネス・サテライト、とくダネ、ウェークアップなどのテレビ番組でコメンテーターとして活躍し、爽やかなマスクとソフトな語り口で女性に人気があった。多くの人は、いかにも覗きをしそうな容貌の田代まさしなどとは違って、この貴公子のような外観の秀才は、性犯罪の対極にあると信じていただけに、マスコミが作り上げたイメージと現実とのギャップに衝撃を受けた。
2004年6月17日に行われた初公判で、検察側は、植草が、1998年6月にも性犯罪で罰金5万円を科せられた過去を暴露し、覗きや痴漢の性癖があったことを指摘した。
植草被告はかねてから、女子高生などのスカート内部をのぞき見ることや、女子高生などに対する痴漢行為に強い性的関心を持っていた。
犯行当時、所有する乗用車内に、女子高生らのスカート内部の盗撮を内容とするアダルトDVD2枚、女子高生らに対する痴漢を内容とするアダルトDVD10枚の市販のアダルトDVD合計12枚を所持していた。
自宅居室内に盗撮を内容とするアダルトビデオテープ8本、痴漢を内容とするアダルトビデオテープ3本を含む市販のアダルトビデオテープ計12本を所持していた。[1]
ビデオだけで我慢すればよいものを、植草は、なぜ、覗きという犯罪行為にまで手を染めてしまったのか。植草には女性のファンクラブがあったぐらいだから、女遊びの相手に不自由していたわけではない。年収5千万円で、いくらでも風俗店ではめをはずすことができたし、実際にやっていたのだから、ストレス発散の手段がなかったわけでもない。
テレビで共演していた作家の室井佑月は、自分のブログの中で、次のように書いている。
彼が捕まったというニュースを訊き、あたしはただただ悲しかった。仕事の関係者から意見を訊かれ、
「あたしでよければ、いくらでも見せてあげたのに」
と答えたのは正直な気持ちだ。でもたぶん、そういう問題じゃないんだよ。悪いことがしたかったんだ、彼は。
「やめてください」
そういいながらだったらよかったか。[2]
たしかに、イメクラなどで安全な覗きをするよりも、犯罪としてやった方が、リスクが大きい分、スリルがあって、魅力的だったのかもしれない。しかし、それだけでは、なぜ同じ「悪いこと」をするにしても、強姦など他の性犯罪ではなくて、窃視を好んだのか、説明がつかない。
2. 可視性と不可視性との差異への欲望
そこで、覗きの本質は何かを考えてみよう。覗きの快楽とは、誰も見ることができない隠された内奥を、所有者にすら気付かれることなく、自分一人だけが見ているという優越感の快楽である。窃視症者は、窃視の対象よりも窃視それ自体に興奮しているわけだ。画質が悪いにもかかわらず、盗撮ビデオが売れるのは、視聴者が、見ているのは自分一人だけという幻想に与ることができるからである。そして、この点において、覗きへの欲望は学者の欲望と一致する。なぜならば、学者とは、他者に見えないものを独占的に見ていることに優越感と快感を持つタイプの人が就こうとする職業だからだ。
では、田代まさしの場合はどうか。彼の場合、覗きへの欲望が、映画監督という職業につながった。誰も見たことがないようなユニークな映像を作りたいと望むということは、学者や覗き魔と同様に、可視性と不可視性との差異を欲望していたということである。田代まさしは、2000年9月24日に、東京都目黒区の東急東横線都立大学駅で女性のスカートの中をビデオカメラで盗撮し、東京都迷惑防止条例違反の疑いで書類送検され、東京簡裁から罰金5万円の略式命令を受けた。7ヵ月後に芸能界に復帰したが、2001年12月10日にアパートの風呂場を覗いて現行犯で逮捕され、翌日、自宅から覚醒剤が見つかったことで、再逮捕となった。
それから7ヵ月後に出版した『自爆―THE JUDGEMENT DAY』の中で、田代は、芸能活動でのストレスから、覚醒剤に頼るようになったと告白し、窃視や盗撮については、常習性を否定し、事件を覚醒剤のせいにしている。芸能界では、性犯罪よりもクスリに寛大であることを計算に入れた言い訳なのだが、仮に、本人が言うように、覚醒剤で精神状態が正常でなかったとしても、それによって惹き起こされた犯罪が、二回とも盗撮だったのだから、覗きの性癖があったと考えざるを得ない。
3. 窃視症と露出症の鏡像的関係
それにしても、田代のようなタレントや植草のようなタレント学者が、無名人を覗くということは、通常のあり方とは逆に見える。テレビの著名人は、本来、無名の大衆によって覗かれる存在である。私たちは、テレビを通して、著名人を見ることができるが、著名人は、私たち視聴者を見ることはできない。この可視性と不可視性の非対称性は、覗きの構造を特徴付けている。テレビに出演し、顔の見えない多数の視聴者の視線に晒されることに情熱を燃やす人は、一種の露出趣味の持ち主と言える。覗き趣味の持ち主が、露出趣味の持ち主であることは、矛盾していないのだろうか。
そうではない。アメリカでの調査によると、窃視症と最も相関性の高い性嗜好異常は、露出症である。露出症とは、いたいけない少女に「ほーら、象さんだよー」といって男の一物を見せる、あのビョーキのことである。K.Freundの調査では、94名の窃視症者のうち82%が、G.G.Abelの調査では、62名の窃視症者のうち63%が露出症を伴っていた[3]。田代や植草の趣味が、医学的な意味での窃視症/露出症と言えるかどうかは別として、このデータは参考になる。
フロイトによれば、窃視症と露出症は、サディズムとマゾヒズムと同様に、「自己自身への向け換え」の関係にある。
自己自身への向け換えは、マゾヒズムが、他ならぬ自我自身に向けられたサディズムであること、露出症には、自分自身の身体を覗くことがともに含まれていることを考慮すれば、理解できる。マゾヒストも、やはり自分自身に向けられた怒りから喜びを得るのだし、露出症者は、彼の露出を見る者と悦びを分かち合うということについて精神分析的観察は何の疑問も持たない[4]
『悪徳の栄え』など、加虐変態性行為を賛美する背徳的な小説を書き、サディズムという言葉のもとになったサド侯爵が、実際には、女性に鞭で尻をたたいてくれるように頼むマゾヒストだったという事実が象徴的に物語っているように、サディズムとマゾヒズムは、反転する関係にある。マゾヒストとは、自分の鏡像的分身である他者(サド侯爵にとっては、『悪徳の栄え』の主人公であるジュリエット)がサディズムの快楽を感じていることに快楽を感じる人であり、同様に、露出症者とは、自分の鏡像的分身である他者が窃視の快楽を感じていることに快楽を感じる人である。露出症者にとって、露出自体に意味があるわけではない。自分の性器を露出しても、それを見た人が、嘲笑でも悲鳴でも何でもよいから、興奮しているのを見るかあるいは想像できなければ、露出症者は興奮できない。
こうした鏡像的反転の関係は、愛一般に認められる。恋人から愛されることがうれしいからこそ、私から愛されることは恋人にとってもうれしいと想像してうれしくなることができる。だから、私は、たんに恋人を愛すだけでなく、恋人が私を愛すことをも愛すのであり、さらに、私は、私が恋人を愛すことを恋人が愛すことをも愛す。鏡像的な反転関係のゆえに、私は、他者の中の自己を愛し、自己の中の他者を愛す。そして、窃視と露出、サディズムとマゾヒズムも、歪んでいるとはいえ、愛の一形態であることには変わりがないのだから、同様の構造を共有している。
窃視症者は、他者には見ることができない世界を見ることを喜ぶ人であるが、そうした窃視への欲望を満たすだけならば、たんなる快楽の消費者にすぎない。自分が手に入れた世界を公開し、他者が窃視への欲望を満たして喜ぶことを喜ぶ露出症者になってはじめて、快楽の生産者になることができる。映画監督やエコノミストが、たんなるマニアな消費者ではなくて、プロフェッショナルな生産者であるならば、窃視症者であるだけでなく、露出症者でもなければいけない。
田代の告白によれば、覚醒剤を服用したのは、ギャグを考えつくことができなくて焦燥感に駆られていたからだとのことだ。そうだとするならば、田代は、本人がそう説明するように、覚醒剤にのめりこんだ結果、たまたま覗きをしたのではなくて、覗きをするために覚醒剤に頼った、つまり、覚醒剤の幻覚作用にアシストされ、田代独自の世界を覗くことで、ギャグのためのインスピレーションを得ようとしたと解釈することができる。もちろん、このような方法が許されるわけでないことは言うまでもない。
私は、悪事を否定するために、それをその原因となる欲望ごと捨てるべきだとは考えない。私たちが、不健全だと非難しなければならないのは、欲望の満たし方であって、欲望そのものではない。人類が、学問と芸術の花を咲かすことができたのは、窃視と露出への欲望を、正しい方向へと昇華してきたからなのであり、この欲望自体を捨ててはいけない。
4. 追記:植草一秀が再び逮捕される
植草一秀がまた性犯罪で逮捕された。
女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして有罪判決を受けた名古屋商科大客員教授の植草一秀容疑者(45)(東京都港区白金台)が、電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で警視庁蒲田署に逮捕されていたことがわかった。
調べによると、植草容疑者は今月13日午後10時10分ごろ、品川―京急蒲田間を走行中の京浜急行の電車内で、神奈川県内の高校2年の女子生徒(17)の下半身を触った。女子生徒が「やめてください」と声を上げたため、植草容疑者は周囲の乗客に取り押さえられ、京急蒲田駅で同署員に引き渡された。植草容疑者は当時、酒に酔った状態で、調べに対しては「覚えていない」と否認しているという。[5]
冤罪を主張するコメントもあったが、3回もつかまるようでは、常習犯と考えた方が妥当である。さらに、女性セブン10月5日号によると植草一秀は痴漢で示談の過去が7回もあるという。学者には、プラトン的な意味での「エロス」は必要だが、あくまでもそれは「プラトニック」でなければならない。
5. 参照情報
- ↑ZAKZAK.「植草初公判全容すごい中身、盗撮AV大量所有… 」2004/06/17.
- ↑室井佑月.「悲しいニュース」室井佑月blog powered by ココログ. 2004/04/14.
- ↑W.L. Marshall, D.R. Laws, H.E. Barbaree. Handbook of Sexual Assault: Issues, Theories, and Treatment of the Offender. Springer; 1990版 (1990/1/31).
- ↑“Die Wendung gegen die eigene Person wird uns durch die Erwägung nahegelegt, daß der Masochismus ja ein gegen das eigene Ich gewendeter Sadismus ist, die Exhibition das Beschauen des eigenen Körpers mit einschließt. Die analytische Beobachtung läßt auch kenen Zwefel daran bestehen, daß der Masochist das Wüten gegen seine Person, der Exhibitionist das Entblößen derselben mitgenießt.” フロイト.「欲動とその運命」in『フロイト著作集 第6巻』. p.67;Gesammelte Werke in 18 Bänden mit einem Nachtragsband. Bd. 10. FISCHER E-Books; 1版 (2010/6/30). p.220.
- ↑『読売新聞』2006年9月14日.
ディスカッション
コメント一覧
この考察の最初に植草事件の例示をしてありますが、これは軽率の謗りを免れませんね、彼の事件はもっと深いところに原因があるようで冤罪の形になっていくと思っています(なを、私は彼とは面識はなく情実も損得も関係のない以後も一生彼とは無関係の人生だろうと思っています、上記の記述はそういう人間の発言とお考えください)。覗くと覗かれるはワンセットですからここに当事者を組み込んで、多種類の模様が描かれるわけです(永井さんの言われる要素の種類と思っております)、さらにその時代の共同体の多数者の共通認識が要素として加わってしかも善悪判断もそこに要素として加わると、欲望の満たし方と欲望を差異として描き出す模様も当然それはそれでよろしいのでしょうが、それを超えた人間のダイナミズムを生起させる模様を描くのでないとこの問題を捉えきれないような予感がいたしますが(だからといってそれを示してみろといわれてもさしあたってのアイデアはないていたらくですが)、如何なものでしょうか、永井さんにそのダイナミズムを片鱗なりともご教示くだされば光栄に存じます。
覗きにもいろいろなケースがあるということですか。
以前に一度書き込みさせていただいた者です。
>私たちが、不健全だと非難しなければならないのは、欲望の満たし方であって、欲望そのものではない。人類が、学問と芸術の花を咲かすことができたのは、窃視と露出への欲望を、正しい方向へと昇華してきたからなのであり、この欲望自体を捨ててはいけない。
これには全く賛同いたします。
さらに言うなら、欲望をコントロールすることはできても、捨てるのは不可能です。また自分の中の欲望を認識しようとせず、やみくもに否定をすることは、非現実的で偽善的なことであり精神衛生上もよくないと思います。逆に犯罪につながるのではないでしょうか。
>この考察の最初に植草事件の例示をしてありますが、これは軽率の謗りを免れませんね、彼の事件はもっと深いところに原因があるようで冤罪の形になっていくと思っています
>植草一秀がまた性犯罪で逮捕された。冤罪を主張するコメントもあったが、3回もつかまるようでは、常習犯と考えた方が妥当である。
かつて、植草サンは「官僚の力を弱めるには、国家公務員採用試験(1種)を廃止して2種と3種だけにすればよい」という趣旨の発言をしていました。彼が性犯罪の実行行為をした人物であることは否定しませんが、事件の背後には、大阪高検公安部長の三井環サンの事件と同様に、キャリア官僚のどす黒い意思が存在するものと思われます。
スマホ、ケータイにカメラ機能を搭載することを、法律で禁止してくれ。こんな機能が付いていれば、盗撮したくもなるものだ。犯罪を誘発しているようなものだ。将来のある青年を犯罪者にしてはいけない。
盗撮しないように、デフォルトでシャッター音が鳴るようになっています。それをアプリで解除して盗撮するような人は、専用カメラを買ってでも盗撮をするでしょう。
実は覗かれるのが嫌いなジャイアン型もある