ラカンの同一化論
ファルスがたんなるペニスではなく、無のシニフィアンであるというのは、どういう意味なのか。私たちが、鏡像を通して自分自身を同一化しようとするファルスとは、どのような存在者なのか。1961-62年に行われたジャック・ラカンのセミネール『同一化』を手がかりに、トポロジカルに考えてみよう。

1. 同一律“A=A”の精神分析学的意味
西洋の論理学者や哲学者たちは、同一律を「AはAである」と定式化してきた。“A”は別に何でもよいのだが、何でもよいところになぜ“A”を用いるのか。
この謎を解くには、アルファベットの“A”がもともと何であったのかを知る必要がある。アルファベットの“A”の起源は、ヘブライ語のアレフ(ℵ)で、その起源をさらに遡ると、牛の頭を表す象形文字であったことがわかる。
アレフという名前自体が牛と関係があるということは、注目すべき重要なことです。牛といっても、アレフの原初の形態は、さまざまな部位の中でも、頭の部分を図式化して写したものであるそうです。さらに付け加えていうならば、私たちの大文字の他者の記号Aにおいても、私たちは、二本の角が生えた牛の頭を逆にした形を見て取ることができます。[1]
以下の図表を見ればわかるように、アルファベットの“A”の形は、ヘブライ文字よりも、その前のフェニキア文字に近い。だから、それが「二本の角が生えた牛の頭を逆にした形」に見えるのは、偶然ではない。
絵文字 | フェニキア文字 | ヘブライ文字 |
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とはいえ、アルファベットの“A”の宗教的意味を知ろうとするならば、旧約聖書の言葉であるアレフの意味を知らなければならない。以下の解説を読むと、オウム真理教の後継団体が、「Aleph」(アレフ)と名乗った理由が理解できる。
アレフという文字は、アルファベットの「父」である。その起源となる絵文字は、牛、力、リーダーを表している。その数価は、1(ないしは1000)で、音を伴わない文字である。アレフは、それゆえ、その順番において抜群であり、神が一者であることの声にも出せない神秘さをほのめかしている。実際、この文字から由来した「アルフ」は、「主人」あるいは「領主」という意味である。[2]
ここで謂う所の数価とは、ゲマトリアのことである。アレフのゲマトリアは1であるが、アレフを構成している各部分のゲマトリアの合計は26になり、ヤハウェ (YHWH) のゲマトリアと同じになる。このことは、アレフとヤハウェの深い関係を物語っている。
『旧約聖書』には、ヤハウェが、自分の名を問われて、「私は存在するところのものである[3]」と答えている。英語で言うと、
I am HE who is. / I am that I am.
ということである。ヤハウェは、ここで自分の名を固有名詞で答えることを慎重に避けている。自分を特殊な名を持った神と定義するならば、当時たくさんいた神の一つに成り下がってしまう。だが、ユダヤ教は一神教であって、多神教ではない。だから、抽象的で普遍的な存在として自己を規定したのである。そして、この抽象的な自己同一は、「AはAである」という同一律とほとんど同じである。
ところで、アレフの起源が牛の頭であったことは、とても興味深いことである。英語で資本を意味する“capital”の語源は、ラテン語で頭を意味する“caput”で、ラテン語で貨幣を意味する“pecunia”の語源は、ラテン語で家畜を意味する“pecus”である。物々交換で貨幣的な役割を果たしていた家畜が、その商品としての有用性を捨象して、貨幣という抽象的な存在者になった。
アルファベットはもともと表意文字で、漢字のように一文字で特定の意味内容を持っていた。しかし、その後、アルファベットは、その具体的な内容を捨象して、抽象的な表音文字になった。特に、アレフという文字は、音すらもたない無である[4]。
言語、貨幣、権力は、その特殊な内容を捨象し、抽象的普遍となることによって、交換媒体として機能するファルス的存在である。同一律を「AはAである」と定式化するとき、何でもよいところに“A”を用いるのは、“A”という文字が持つ普遍性のゆえである。
ラカンの記号では、“A”は、大文字の他者(Autre)の頭文字であるが、他の記号と同様に、別の意味も込められている。それは、乳幼児にとっての母、学童にとっての父、信者にとっての神、患者にとっての精神分析医といった、超越的で媒介的な第三者という意味で、アレフ的存在者でもあるということである。
2. ファルスとしての乳房
ラカンは、乳房もまた一つのファルスであると言っている[5]。ファルスは、必ずしもペニスというわけではない。そのことは、去勢という概念を広く取ることで理解できる。
出産時の母の膣とその中の子(または子と母を結び付けている臍の緒)、授乳時における子の口とそこに挿入される母の乳首あるいは乳、硬くなってペニスのような形をした大便と直腸、これらはすべて本来の性交における膣と男根の関係と等価とみなされる。そして四回の去勢という切断は、口唇期、肛門期、男根期という三つのフェイズを区切る。[6]
ラカンの用語法では、乳房の喪失のような現実的対象の想像的欠如は、挫折(frustration)と呼ばれ、想像的対象の象徴的欠如である去勢(castration)からは区別される。アウグスティヌスが「告白」したような、弟が母の乳房を奪うときに長男が感じる嫉妬は、典型的な挫折の体験である[7]。日本人の場合、去勢よりも挫折の体験のほうが大きいだろう。しかしながら、去勢であれ、挫折であれ、母からの自立という点では同じである。
男の子は、母のペニスとなることを断念した後も、その代替物、ファルスを求める。だから、男は、金・地位・名誉を求め、交換媒体になろうとする。そして、女の子は、ペニスの欠如を埋め合わせようとして、その代替物を求める。
3. ファルスのトポロジー
ラカンによれば、ファルスとは、クロスキャップの穴である。クロスキャップは、トポロジー的には、メビウスの輪と同じで、裏のない平面である。ラカンが描いたクロスキャップの図は見にくいので、ウィキペディアにある図を使って説明しよう。

この図は、クロスキャップを前から見た図と後ろから見た図である。上下は対称だから、下から見ても同じように見える。このままでは内部構造が見えないので、上下の対称面で切れ目を入れて開いてみよう。

見ての通り、クロスキャップの外部の平面はそのまま内部の平面につながっている。私たちは、外側から内側へ、そして内側から外側へと、中央の点を通って、自由に出入りできる。
この二重の点は、同時に単純な点でもあり、その点の周りで、帽子の交叉した構造、クロスキャップの可能性そのものが支えられている。私たちは、対象aをその穴へと引き入れることで、その点を象徴化することができる。私たちは、この特権化された点の機能と本性をよく知っている。それはファルスだ。[10]
クロスキャップの外側がこの世で、内側があの世だとしよう。あの世は子宮の内部のように、この世から閉ざされているが、クロスキャップの穴を通って、この世からあの世へと、そしてあの世からこの世へと移行できる。その穴は、それ自体は無であるところの、媒介者としてのファルスである。
貨幣、言語、権力といった交換媒体は、それ自体無であるにもかかわらず、否、無であるがゆえに媒介者となることができる中心であり、その中心の周りで、社会全体の可能性そのものが支えられている。
4. 参照情報
『同一性』はまだ翻訳されていないが、ラカンのセミネールのうちいくつかは翻訳されている。中でも、1963-1964年のセミネール“Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse”は入門書としてお薦めである。
- ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』岩波書店 (2000/12/15).
この他、1959-1960年のセミネール“L’éthique de la psychanalyse”や1953-1954年のセミネール“Les Écrits techniques de Freud”なども翻訳されている。
- ジャック・ラカン『精神分析の倫理〈上〉』岩波書店 (2002/6/26).
- ジャック・ラカン『精神分析の倫理〈下〉』岩波書店 (2002/6/26).
- ジャック・ラカン『フロイトの技法論〈上〉』岩波書店 (1991/10/28).
- ジャック・ラカン『フロイトの技法論〈下〉』岩波書店 (1991/11/28).
- ↑“Ici, il est un fait qu’il est important au moins que vienne au premier plan que le nom même de l’aleph ait un rapport avec le boeuf, dont soi-disant la première forme de l’aleph reproduirait d’une façon schématisée dans diverses positions la tête : il en reste encore quelque chose : nous pouvons voir encore dans notre A majuscule la forme d’un crâne de boeuf renversé avec les cornes qui le prolongent.” Jacques Lacan. L’identification. Séminaire du 10 janvier 1962. p.128.
- ↑“The letter Aleph is the “father” of the Aleph-Bet, whose original pictograph represents an ox, strength, and leader. It’s numerical value is one (and also 1,000) and it is a silent letter. Aleph therefore is preeminent in its order and alludes to the ineffable mysteries of the oneness of God. Indeed, the word aluph (derived from the very name of this letter) means “Master” or “Lord.”” Hebrew for Christians. “The Letter Aleph.” Accessed Date: 5/24/2006.
- ↑“אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה, ehyeh ašer ehyeh.”「出エジプト記」3:14-15.『聖書 』. 新共同訳. 日本聖書協会 (1998/1/1).
- ↑2003年に、オウム真理教の後継団体はアレフと名乗った(2008年にはさらにAlephと改称した)が、それは、この宗教団体が、麻原彰晃という教団の声を失ったがゆえに、かえって至高な存在になったという意味を込めてのことだったのであろう。
- ↑“Il est bien évident qu’il ne l’est pas parce que vos oraux qui adorent les seins, ils adorent les seins parce que ces seins sont un phallus.” Jacques Lacan. L’identification. Séminaire du 24 janvier 1962. p.201.
- ↑永井俊哉. “リビドー発達段階史観.” 2006年1月28日.
- ↑“Ceci suscite en lui une manoeuvre de la fonction imaginaire et d’une façon nécessaire cette fonction se révèle présente dès qu’apparaît la frustration. Vous savez l’importance, l’accent que j’ai mis après d’autres, après Saint-Augustin nommément, sur le moment d’éveil de la passion jalouse dans la constitution de ce type d’objet qui est celui même que nous avons construit comme sous-jacent à chacune de nos satisfactions : le petit enfant en proie à la passion jalouse devant son frère qui pour lui, en image, fait surgir la possession de cet objet, le sein nommément qui jusqu’ alors n’a été que l’objet sous-jacent élidé, masqué pour lui derrière ce retour d’une présence liée à chacune de ses satisfactions, qui n’a été dans ce rythme où s’est inscrite, où se sent la nécessité de sa première dépendance, que l’objet métonymique de chacun de ses retours” Jacques Lacan. L’identification. Séminaire du 14 mars 1962. p.288.
- ↑Maksim. “Two views of a crosscap.” Licensed under CC-BY-SA.
- ↑Maksim. “Two alternate views of a cross-cap after being sliced open.” Licensed under CC-BY-SA.
- ↑“Ce point double et point simple à la fois autour duquel est supportée la possibilité même de la structure entrecroisée du bonnet ou du cross-cap, ce point c’est par lui que nous symbolisons ce qui peut introduire un objet a quelconque à la place du trou. Ce point privilégié nous en connaissons les fonctions et la nature : c’est le phallus” Jacques Lacan. L’identification. Séminaire du 23 mai 1962. p.457.
ディスカッション
コメント一覧
穴のほうがファルスというのはなんか違和感があります。ファルスというのは象徴化されたペニスなのに。
例えば、鳩は平和の象徴という時、鳩は目に見える物理的存在ですが、平和はそうではありません。同様に、ペニスは目に見える物理的存在ですが、ファルスはそうではありません。だからペニスが有であるのに対して、ファルスは無で、欠如のシニフィアンとしてのファルスが穴という無であることは不適切ではないのです。
シニフィアンというのが分からなかったのでWikipediaで調べました。それによると、穴は欠如のシニフィエだと思います。平和が意味するものが鳩というのは変です。鳩が意味するのは平和なら分かります。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/シニフィアンとシニフィエ
穴がファルスであるというのは分かりましたが、対になるシニフィアン(シニフィエ)は決まっているんでしょうか?
あんまりよくわかっていないのに話をするのも建設的ではないのでもしよければ初心者向けの記事を教えてください。
「鳩は平和の象徴」ということは、「鳩は平和を意味する」ということです。
ファルスは、幼児にとって母の欲望の対象を意味します。幼児がファルスを欲望することは、母に欲望されることを欲望するということです。
初心者向けのわかりやすい入門書としては、以下の三冊をお勧めします。有名な本なので、図書館で借りることができると思います。
欲望されることを欲望するというのは、ラカンのクロスキャップで裏が表に連続しているということと重なる感じがします。片方の欲望だけ見ていてもその先は無、二人まとめてみるから無を中心としたクロスキャップが見えるというわけですか。
でもだとすると、母が「子供を欲望すること」を子供から欲望されていることについて、これはクロスキャップのように対称なのか直感としては疑問に思います。
紹介してくださった本は今度読んでみます。ありがとうございます。
クロスキャップやメビウスの輪で、表と裏が連続することが何を意味しているのかに関しては、「小文字の他者と大文字の他者」を参照してください。