4月 122005
 

「竹島の日」制定をきっかけに、韓国人の反日感情が燃え上がった。なぜ韓国の反日活動家は、これほどまでに日本人を嫌い、被害妄想を膨らませるのだろうか。福原泰平の『ラカン―鏡像段階』を手掛かりに考えてみよう。

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1 : パラノイア的被害妄想

ラカンが、学位論文『人格への関係から見たパラノイア性精神病』で最も多くのスペースを割いて報告しているのが、ラカン自身が自ら診察し、治療した、エメ(仮名)という患者である[1]。エメは、幼少時代、母と親密な関係にあったが、就職と立身出世のため、故郷を離れる。エメは、母の代替物、すなわち鏡像的他者を、寄宿先にいる姉、さらには、職場の同僚で貴族趣味のあるC嬢、C嬢が口にしていた有名女優のZ夫人に求める。

エメは、最初の妊娠をしたとき、C嬢が新聞に悪口を書いたことでおなかの赤ちゃんが殺されるという被害妄想を抱き、実際に死産だったために、C嬢を強く憎しむようになる。小説を出版しようとして断られると、出版社を訴える。さらには、Z夫人が有名な小説家と共謀して、エメのことを小説の中で暴露しているとか、息子を殺害しようとしているといった妄想を抱き、Z夫人をナイフで襲って、逮捕された。

エメの病歴を見てくると、彼女の妄想の対象となる人は、上流階級の贅沢な暮らしをし、魅力的で世間から注目されている人々であり、実は彼女自身が憧れ、そうなりたいと思いながらなれなかった、彼女にないものを与える理想的な位置にある女性たちだったことがわかる。[2]

では、エメは、なぜ憧れの対象である鏡像的他者を憎しみ、殺そうとしたのか。

エメから喪失や解体の恐怖を取り除き、その肯定的感情と統一性を与えてくれた他者への同一化が、今度は逆に彼女が自らの主人たろうとするその権利を不当に奪い、これがエメの目には他者による彼女自身の主人性の略奪と映るのである。

当然、エメは自らの権利を不当に侵されたと訴えはじめ、自己の主人性を奪った他者に攻撃の矛先を向けていく。[3]

エメの妄想は、逮捕から三週間後に消滅する。

2 : 韓国人の日本コンプレックス

2005年03月16日、「竹島の日」をつくる条例案が、島根県議会本会議で採決され、賛成多数で可決、成立した。これに対して、韓国では異様な反日運動が起き、韓国政府は、「独島挑発など日本の行動に対しては、過去の植民地侵奪のと同じ枠内で認識し、対処する」「国際社会において、韓国の立場の大義と正当性を鮮明にし、日本の態度変化を促す」などの、「対日新ドクトリン」を発表した。

もっとも、韓国政府自身は、国際的な「韓国の立場の大義と正当性」にあまり自信がないようだ。

4月10日朝のフジ「報道2001」に出演した聖公会大学日本語学科のヤン教授は盧武鉉大統領の元ブレーンとのことだったが、竹島問題を巡り、元外務大臣の高村正彦から「国際司法裁判所で決着をはかってはどうか」と提案されると、国際的には韓国が不利だから国際司法裁判所に判断をゆだねるつもりはないと明言。[4]

国際司法裁判所で争って勝つ自信がないならば、黙って実効支配を続けた方が賢明なように思えるのだが、なぜだか韓国人の方が日本人以上に騒いでいる。韓国人は、過去に日本に領土を侵害されたという被害妄想を持っており、日本に報復するために、竹島を侵害し、そして、侵害することで侵害されたと訴えているかのようだ。

韓国にとって、日本は、鏡像的他者である。このことは、2005年3月1日に行われた盧武鉉韓国大統領の3.1節記念演説によく表れている。

私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。同様に日本も立場を替えて考えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければならないのです。[5]

日本が北朝鮮に対して拉致問題を指摘すると、日本も戦前に朝鮮民族を拉致したではないかと応酬する。しかし、鏡像関係はこれだけではない。

日本が戦前行った強制徴用は、北朝鮮が行った拉致とは異なり、当時は自分の国に相当する大日本帝国への奉仕だった。それは、韓国が徴兵制という形で、現在も自国民に対して実施している制度である。また、慰安婦制度は、韓国が主張するほど強制的な制度ではなかったし、朝鮮戦争の頃には、韓国軍も、日帝時代の制度を真似て、慰安婦制度を設けていた [6]

日本の鳥取県議会が「竹島の日」を制定すると、韓国の馬山市議会は「対馬の日」を制定する。石原東京都知事が「三流のやり方」と盧大統領の政治手法を批判すると、李明博ソウル市長は「四流、五流」と言い返す。韓国人は、まるで鏡像のように日本を模倣する。

2004年9月の中央日報による世論調査によると、韓国人が一番嫌いな国として挙げたのは日本で、2位の米国の倍近くあり、最も見習うべき国も日本がトップで、2位の米国の倍以上の割合だった。韓国人は、日本に憧れているのだが、だからこそ、日本人が憎い。韓国は、日本のようなアジア最高の先進国になりたがっているのだが、だからこそ、日本が目障りなのである。

先ほど引用した、エメの症例分析での「エメ」を韓国、「他者」を日本で置き換えてみよう。

韓国から喪失や解体の恐怖を取り除き、その肯定的感情と統一性を与えてくれた日本への同一化が、今度は逆に韓国が自らの主人たろうとするその権利を不当に奪い、これが韓国の目には日本による韓国自身の主人性の略奪と映るのである。

当然、韓国は自らの権利を不当に侵されたと訴えはじめ、韓国の主人性を奪った日本に攻撃の矛先を向けていく。

日本は、朝鮮半島を、清の桎梏から解放し、ロシアの脅威から守り、近代社会へと育て、そして、朝鮮人たちは自らを大日本帝国臣民に同一化しようとした。それが、第二次世界大戦後、日本に同一化できなくなると、日本を攻撃するようになるのである。

韓国人の反日言動は、憧れと憎悪という、相反する感情の複合体(コンプレックス)に基づいているのだが、韓国には、このコンプレックスを表す固有の言葉がある。恨(ハン)がそれである。

理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への「あこがれ」と、それへの接近が挫折させられている「無念」「悲しみ」がセットになった感情が、「ハン」なのである。[7]

面白いことに、盧武鉉大統領の経歴は、エメの経歴とよく似ている。貧しい家庭に生まれ、商業高校を卒業した後、独学で司法試験の勉強をし、判事、さらには弁護士になった。

彼は、突然、金持ちになろうとしたのです。それまでは考えられなかった贅沢な趣味を、彼は始めました。ヨットです。大統領になる前に、たった一度、彼は外国を訪れていますが、それはヨットレースで日本に行ったのです。[8]

盧武鉉大統領の人生は、韓国の歴史そのものを表していないだろうか。

3 : コンプレックスから抜け出すために

加害と被害の区別がつかない鏡像的な関係の中で、韓国人は、被害妄想をパラノイア的に膨張させ、自国の歴史を被害の歴史へと捏造し、そして日本が逆に歴史を捏造していると批判する。日本を攻撃する韓国に対して、日本はどう振舞えばよいのか。

日本人の中には、韓国人の挑発に乗って、感情的な反発をする人もいる。しかし、それでは、韓国人が仕掛ける鏡像的関係に引きずり込まれてしまうだけである。精神分析学では、分析家が、患者の鏡像的他者になってしまうことを転移というが、これは避けなければならない。

分析家がこうしないとき、二人はお互いの鏡像的自我で相手を映しあって対峙することになる。そうなると患者の要求はポトラッチ的にどんどん膨れ上がりエスカレートしていく。そして、両者は鏡像的な誘惑と憎悪の渦巻く情念の中にすっぽりと呑み込まれてしまい、結果、激しくぶつかりあうことになっていくとラカンは注意を喚起する。[9]

韓国人に限らず、コンプレックスは誰にでもある。精神分析学で一番有名なコンプレックスは、エディプス・コンプレックスである。息子は父との同一化を試み、それができないとわかると、父に殺意を抱く。息子をコンプレックスから救うには、自発的去勢が必要である。日本コンプレックスを持っている人に対しても同じ助言をしなければならない。

私は、韓国人の自我に向かって「未来志向の日韓関係」を呼びかける代わりに、韓国人のエスに向かって次のように語りたい。日本コンプレックスに固執する限り、いつまでたっても日本の劣化コピー以上のものになれない。日本など眼中にない独自の発展を遂げる国になって、初めて、韓国は自立した国になれる、と。

4 : 参照情報

  1. Jacques Lacan.
    De la psychose paranoïaque dans ses rapports avec la personnalité. Points (1980/4/1).
  2. 福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.42.
  3. 福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.44.
  4. 韓国大統領の元ブレーンが仰天発言」. チェ・ゲリラのメッタギリ時事評論. Accessed Date: 4/12/2005.
  5. 「政府報道資料」. Korean Missions Abroad A, Ministry of Foreign Affairs. Accessed Date: 4/12/2005.
  6. 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表」.『朝日新聞』. 2002/02/23.
  7. あこがれと無念の情動 ハン」. 小倉紀蔵の私家版・韓国思想辞典.『統一日報』. Accessed Date: 4/12/2005.
  8. 櫻井よしこ. “「個人的怨念」で反日左翼路線を突き進む「盧政権」.”『櫻井よしこ オフィシャルサイト』. Accessed Date: 4/12/2005.
  9. 福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.81-82.
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  27 コメント

  1. 日本の鳥取県議会が「竹島の日」を制定すると、
     
    →島根県の間違いではありませんか。

  2. 永井さんの文系人特有の主張は浅はかで幼稚に感じます。

  3. 性器を軍医にハサミで切り裂かれ従軍慰安婦にされた当時の少女には、耐え難い論説でしょう。ラカンの説を日韓関係にそのまま適用するというのも、どうも・・・
    社会的現象への永井さんの解釈は、残念ですが、概して深みに欠けるように思います。

  4. 福原泰平さんの文章って悪文の見本ですね。びっくりしました。
    >エメから喪失や解体の恐怖を取り除き、
    >その肯定的感情と統一性を与えてくれた他者への同一化が、
    >今度は逆に彼女が自らの主人たろうとするその権利を不当に奪い、
    >これがエメの目には他者による彼女自身の主人性の略奪と映るのである。
    「エメから喪失や解体の恐怖を取り除き、その肯定的感情と統一性を与えてくれた他者への同一化」
    これが主語ってひどい・・。わざと分かりにくく書いているとしか思えないです。
    理系の場合、自分の意図を明確に伝えることができないと生き残れません。
    文系の場合、逆に、分かりやすい文章を書くと生き残れないのでしょうか?
    一文にたくさんの内容を詰め込もうとするのはやめて、例えばこんなのはどうですか?
    「エメは他者へ自らを同一化しようとした。そうすることによって喪失や解体の恐怖から逃れて、また、肯定的感情と統一性を獲得しようとした。しかし・・・」

  5. “島根県の間違いではありませんか。”
    ご指摘ありがとうございます。訂正しました。
    “永井さんの文系人特有の主張は浅はかで幼稚に感じます。”
    どういう点が「浅はかで幼稚」なのでしょうか。
    “性器を軍医にハサミで切り裂かれ従軍慰安婦にされた当時の少女”
    出所は何ですか。性器をハサミで切り裂かないと慰安婦にならないのですか。それともハサミで切り裂くことが「慰安」になったと言いたいのですか。

  6. “理系の場合、自分の意図を明確に伝えることができないと生き残れません。文系の場合、逆に、分かりやすい文章を書くと生き残れないのでしょうか?”
    福原さんは、医学部出身だから、日本的区分で言えば、理系の人です。
    “これが主語ってひどい”
    少し翻訳調ですね。でも、欧米の哲学系の文章を読んでいる人間には、あまり違和感がありません。

  7. 韓国に対する考え方が変わりました。
    今のメディアはニュースを流すときに歴史の経過は流さないし。 
    ただ国際的に認められた
    日本に領土で有ることは明確にしておくべきと思います。
    特別、永井さんのかたをもつわけではありませんが、
    対案、根拠の持たない批判は感情的としか思えません。
    投稿するからには対案、根拠を投稿すべきです。

  8. 韓半島に住む人たちが日本に向ける、滑稽かつ異常なまでの反日言動が昨今、また咲き乱れています。この異常な反日熱気(笑)の心理構造が、永井様の「鏡像段階論」ではとても明確に説明されていると思います。
    あの半島に住む方々は、昔から唐や明にずっぽりと柵封されてきて、最近の数百年間は李氏朝鮮という、今の北朝鮮とほとんど同じか、それ以下のひどい貧乏国家(国家とは言いがたい)を続けてきました。この貧乏地獄を大日本帝国が自腹を割いてインフラを整えてあげ、なんとか国家らしい体裁を保つことができるようになりました。
    この絶対的な歴史的事実を、今の韓半島の人たちは故意に記憶からはずし、わが国の同化政策行為を強制殖民地化と言い換え、まるで悪魔の統治時代として猿山のような雄叫びを上げ続けます。わが国の先人たちはロシアの南下覇権をおそれ、韓半島の人たちに再三、しっかりしてくださいよと勧告したにもかかわらず、彼らはあいも変わらず李朝意識の惰眠をむさぼり続けました。
    そこで我らの先人たちは韓半島に防塁を築くために出て行きました。問題はこのときわが国の一方的な強制があったわけじゃなく、半島人の歓迎と要望も強くあったということです。この事実を記憶から一切抜いて、日本人を恒久的にうらみ、「反省せよ。謝罪金を出せ」と言い続ける根性は瞠目に値します。
    私は在日の方々とはなかよくしたいと思っていますが、彼らの言う戦時の強制連行などはあまりにも無体なフィクションだと思っています。強制じゃなくて自主的な意志で日本で働いたわけです。その流れは、日本が明治維新を行い、列強と肩を並べるほどに富国強兵を実現し得た理想のアジア国家だったからです。産業革命の波をきちんと受け止め、アジアで唯一帝国を実現した日本を、半島人も、シナ人も、熾烈に羨望し憧憬したことは間違いのない事実です。
    ここに永井様の「鏡像段階論」が、いかに彼らの心理構造をみごとに解き明かしているかはっきりと見えてきます。「加害と被害の区別がつかない」彼らは、マクロな歴史の道程を完全に無視して百パーセントの被害妄想に歴史を塗り替え、日本を稀代の悪玉にすり替えてしまいました。妄想を加速的に煮沸してしまう彼らは、日本憎しで自国の歴史まで捏造しています。これがどれほど民族の尊厳性を傷つけているのか、彼らはまったく気がついておりません。
    日本に対する憧憬と憎悪、羨望と侮蔑はまったく同根の民族特性から出ているように見えます。すなわち恨(ハン)です。このハンが先天的な特性か後天的な特性か私にはわかりませんが、先天的だと断言してしまうには同じ人間としてあまりにも可哀想な気がします。なぜならそれが固定的な性質だと同定してしまえば彼らに未来はないからです。ハンを私たちが完全肯定してしまうと両国の関係には絶望しかないことになりますから。
    しかしながら、あの竹島問題で彼らが演じている数々の物悲しい醜態は、この民族の求めているイデアははたして何であろうかと不思議な気分をもたらしてくれます。これは私だけが思っていることなのかもしれませんが、戦後の日本は大日本帝国時代の誇りと自信を喪失し、国柄としてはまったくアメリカの走狗に成り下がっています。ホリエモンの登場を国柄の象徴と捉えるなら、今のわが国は完全にアメリカの五十一番目の州になっています。この現状を、シナ人や韓国人は自らのコンプレックスを慰めてくれる唯一の拠り所として「反日」を叫び続けています。だから、日本がわずかでも戦後意識の退嬰を修正しようとした途端に、「軍国主義への回帰だ」と決まり文句をがなりたてて過剰すぎる警戒心を発揮します。
    しかし、韓半島の住人は、日本の大東亜戦争敗北の優越感のうらに、日本人への熾烈な羨望も並存しているわけですから、現今日本の体たらくを残念に思い、同情的に思う部分もきっとあるはずです。もし、韓半島の方々と外交する理念を持とうとするならば、日本に同情的な心理を探り当ててそれを揺さぶることではないでしょうか。「日本人は嫌いだが見習うのも日本人」というデータは日本人が異常に好かれていることを裏付けているわけですから。ですから、今のように日本人が嫌われている分だけ好かれている反面の心理をあぶり出し、彼らの複雑な心理を中和することです。これは永井様のおっしゃる「自発的去勢」に通じますが。(笑)
    むずかしいことはなはだしいのですが、中和したうえで、彼らの自主独立を願うというシーケンスになります。
    最後に、眠っているのは韓国人だけではありません。肝心の日本人自身が東京裁判史観の呪縛から逃れられずに深い眠りに堕ち、自虐夢の妄念にあがいているのですから、それをなんとかしなければハンにさえ立ち向かうことはできないでしょう。

  9. “今のメディアはニュースを流すときに歴史の経過は流さない”
    日韓の間にある歴史認識のギャップを埋めるために、マスメディアが学者間の公開討論とかをやってくれればいいのにと私は思っています。歴史を正しく認識することは、過去のあやまちを繰り返さないためにも重要なことです。
    “特別、永井さんのかたをもつわけではありませんが、対案、根拠の持たない批判は感情的としか思えません。投稿するからには対案、根拠を投稿すべきです。”
    なるしさんのような朝日新聞的反発が来ることは、事前に予想していましたが、私は、弱者の恫喝に限りなく譲歩する朝日新聞的、つまり、社会主義的・フェミニスト的方法に疑問を持っています。強者が弱者(女性・身体障害者・衰退産業・発展途上国 … )を援助するという方法は、援助する側のためにならないことはもちろんのこと、援助される側のためにもなりません。弱者を甘やかせば甘やかすほど、弱者はますます弱者になっていきます。妄想を認めてやると妄想はますますひどくなります。弱者を自立させ、対等な大人どうしの関係を持つようにすることが、相手のためにもなるのです。
    “私は在日の方々とはなかよくしたいと思っています”
    私も、日韓が普通の隣人関係になることを願っています。特に在日の方をスケープゴートとして排除する動きが起きないように注意する必要があります。
    “このハンが先天的な特性か後天的な特性か私にはわかりませんが、先天的だと断言してしまうには同じ人間としてあまりにも可哀想な気がします。”
    ハンとは要するにコンプレックスのことで、コンプレックスはだれにでもあります。私もこれまでいろいろなコンプレックスに悩まされてきたのですが、Xが手に入らないとわかれば、「Xなんか要らない!」と放り投げ、Xのことを忘れ、わが道を歩むようにしています。こういう自発的去勢が精神衛生上一番良いと思っています。他人を基準に自分の価値を決めようとすると、自分はいつまでたっても他人の奴隷のままだが、自分で自分の価値基準を作れば、自分の主人となることができる。これは、私の生き方でもあります。

  10. この場は韓国-日本の意見を交換しあう場かとおもいますが、自分は香港に住んでいるため中国のことを話します。
    この二つの国の外交をうまくする方法は二つあるとおもいます。
    1.日本は中国と韓国を挑発しないこと
      (上記にある「自己去勢」にもつながりますが)
    2.中国は日本が謝罪したという事実を国民にこれ以上かくさないこと
    上記二つの過程をえず、この二つの国がうまくいくことは考えられません。
    日本は反省しているが、この国を取り巻いたファシズムというものに対して十分な考察、教育ができているとも思いません。

  11. 私が言っている「自己去勢」は、コンプレックスを持っている人が、コンプレックスから解放されるためにするべきことであって、今回の例では、日本人ではなくて、韓国人がするべきことです。
    現在、中国で反日運動が盛んになっていますが、これと、韓国での反日運動は少し異なるような気がします。日本統治時代に対する評価が、韓国人と台湾人の間で異なることからわかるように、中国人には、韓国人に顕著な、恨と呼ぶべきコンプレックスの意識がありません。これは、かつて超大国だった中国と、中国への服従を余儀なくされた朝鮮半島の間にあった格差を反映しているのかもしれません。
    中国の反日運動は、政府の腐敗から、人民の目をそらすために行っているスケープゴーティングの性格が強いのではないかと思います。中国人も日本人も、怒るべきは、自分たちの腐った政府なのに…

  12. 永井さん、はじめまして。ラカンを日韓関係に援用されたこの文章に接しその方法があまりに乱暴なのでちょっと述べさせていただきます。
    俗にも「他人はあなた自身の鏡だ。」といいますが精神分析にあっても例外ではありません。日本人が韓国人にとっての鏡像だとしたらその二者関係において日本人にとって韓国人が鏡像となります。だからこそ「転移」も起こるのです。少なくともラカンは分析者と被分析者の関係においてあなたのような固定的な想定はしていません。
    「狂気は自由に対して《侮辱》であるどころか、そのもっとも忠実な同伴者でありますし、その動きに影のようについてまわります。そして人間の存在というものは、狂気なしには理解されないばかりでなく、人間がもしみずからの自由の極限として狂気を自分のうちに荷なわなかったら、それは人間の存在ではなくなってしまうでしょう」(ラカン、「心的因果性について」)
    事実ラカンはあなたが触れている「ラカンの学位論文『人格への関係から見たパラノイア性精神病』の表題を後に人格とパラノイアが同じものだとの結論に到り自ら批判しています。つまりラカンの鏡像段階を援用するのであればまったく逆のベクトルからも論じなければ不完全でしょう。たとえば日本人はなぜ先の戦争で韓国人(あなたの論理展開に従えば当時は同じ大日本帝国臣民という同国人)に残虐行為をなしえたのかということを同じようにラカンの鏡像段階論を援用して論じることも可能であることは聡明な永井さんなら容易に想像がつくでしょう。要するにあなたのラカンの援用の仕方はあまりにも恣意的である、ということです。
    ラカンは一般に難解だといわれています。自らの短時間セッションを論理化するためにラカンが提起したすこぶる興味深い『3人の囚人』の寓話にしろ、精神分析で主に「糞便、乳房、まなざし、声」として現出する『対象a』が黄金数であり、人間の現存在を鮮やかなフィボナッチ数列で説明するなど確かに一筋縄ではいかない思想家ですが日々の精神分析の経験のなかからその思想を育くんでいったラカンにとっては『他者』が終生のテーマであったとわたしは思います。(『大文字の他者』『人間の欲望は他者の欲望である。』)
    永井さんのウェブ上のほかの試論編もいくつか読ませていただきました。(たとえば『他者は存在するのか』で永井さんはいきなり「自分に意識があるということは確実な事実である。」と恐らくは故意に挑発的に書かれていますが、遠くは荘子の胡蝶の夢からウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にいたるまで自分に意識があるということはそれほど自明ではないというところから出発しています。そもそも自明ではないからこそデカルトがコギトについて思いをめぐらした意味があるわけです。そしてこの「我思う、ゆえに我あり」は、と思う「我あり」と思う「我あり」とどこまでも果てがなく、自分自身の存在根拠をその内部には持ちえません。ラカンもまた実践的精神分析の過程でこの自己言及の不能という人間存在のあり方に思いをめぐらし人間が人間になるためには他者を内在化するしかない、そういう存在として人間存在は規定されているということを人間の象徴化能力として明らかにしていったのだと思います。哲学者を自認される永井さんには釈迦に説法かもしれませんが。)
    永井さんは「私は、韓国人のエスに向かって次のように語りたい。日本コンプレックスに固執する限り、いつまでたっても日本の劣化コピー以上のものになれない。民族単位の団体戦を止め、個人戦に切り替え、日本人など眼中にないと言えるようになって、初めて自分自身の主人になれる、と。」と結論付けられていますが言葉を言い換えれば韓国人に向かって国民国家観に縛られるな、と主張しておられると思います。ところがこの永井さんの論考自体が国民国家観にすこぶる縛られたものとなっているのではないでしょうか。これでは韓国人ならずとも「余計なお世話、あんたにそんなことを言われる筋合いはない。」と不毛な議論に陥るのが関の山でしょう。これではラカンが目ざした黄金数としての『対象a』をお互いに見出すことなどできません。
    また永井さんは恨(ハン)についても触れられていますが、あまりにも皮相です。朴政権時代に死刑判決を受け抵抗派詩人と呼ばれた金芝河(キム・ジハ)にとても優れた恨(ハン)についての論述があります。ここでは長くなりますので詳述しませんが彼が描く恨(ハン)という思想の豊かさとあなたがこの論考で援用されている「ハン」の内容的貧しさについてぜひ思いをめぐらしていただきたいものです。

  13. “日本人が韓国人にとっての鏡像だとしたらその二者関係において日本人にとって韓国人が鏡像となります。”
    多くの日本人にとって、鏡像的他者は、韓国ではなくて、アメリカです。例えば、石原慎太郎の反米感情は韓国人の反日感情と構造的に同じです。石原慎太郎は、本当はアメリカに憧れています。彼は、日本をアメリカのような世界最大の覇権国家にしたいからこそ、アメリカが邪魔で、アメリカを攻撃します。最近では、彼は中国叩きをやっています。これは、日本を中国のような「将来の超大国」にしたいという願望の表れです。しかし、彼は韓国叩きはあまりしません。これは、韓国には憧れていないということを意味しています。
    “少なくともラカンは分析者と被分析者の関係においてあなたのような固定的な想定はしていません。”
    ラカンは、当初大文字の他者Aを超越的に考えていたようですが、後にはAに斜線を引いて、それを否定しました。私も、自分が超越的な存在であるとは、全く思っていません。しかし、だからといって、転移を推奨するわけにはいきません。転移性治癒は本当の治癒にはなりません。
    “遠くは荘子の胡蝶の夢からウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にいたるまで自分に意識があるということはそれほど自明ではないというところから出発しています。そもそも自明ではないからこそデカルトがコギトについて思いをめぐらした意味があるわけです。”
    経験的意識と超越論的意識を混同しているようですね。自分が荘子なのかそれとも胡蝶なのかといった問いは、経験的自我に関する問いであって、超越論的自我に関する問いではありません。超越論的意識が自己同一性を持たなければ、そもそもこうした問いそのものが発生しません。
    ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」(5.6)と言っています。あれは一種の超越論的哲学です。
    また、デカルトは、自我の自明性を疑うことから思索を出発させたわけではありません。自我以外の物を疑い、自我の自明性によって懐疑を否定しました。
    なお、超越論的意識は、超越的意識ではありません。超越的であるならば、意識など不要のはずですから。
    “韓国人に向かって国民国家観に縛られるな、と主張しておられると思います。ところがこの永井さんの論考自体が国民国家観にすこぶる縛られたものとなっているのではないでしょうか。”
    他者とコミュニケーションする時、いったん他者の立場に立って、相手を理解し、それから自分の意見を述べなければなりません。自分と他者が異なる以上、他者の立場に立つ段階で矛盾をおかすことになります。しかし、その矛盾を嫌って、悟性的自己同一性に固執し、自分の考えを外側からぶつけていては、コミュニケーションが成り立ちません。自己を否定して、相手を理解し、それからそれをさらに否定して自分の意見を述べるという弁証法的運動が必要なのです。
    “永井さんは恨(ハン)についても触れられていますが、あまりにも皮相です。”
    armadilloさん自身は、恨をどのように認識しているのですか。

  14. 永井さんはじめまして、よく読ませていただいてます。
    私は、armadilloさんの「永井さんは恨(ハン)についても触れられていますが、あまりにも皮相です。」には、同じ意見です。
    恨とはもちろん字義通りの”恨み”ではなく、むしろ、恋愛や生活の困難などの障害を苦しんだ、耐え忍んできたということへの苦労や煩悶の感情を、共感を呼び起こすような、涙を誘うような情感を指すといえます。ですから、恨は歌や詩、あるいは文章などの表現のなかで表出されることがほとんどです。また、特定の他者に対するコンプレックスを前提とした恨み、ねたみ、そねみではありません。生活感ある庶民的なもので他者への攻撃的な感情ではないです。概念として拡張されていく可能性もありうるでしょうが政治や他国への非難に向けられるのはほとんどないのではと思います。小倉紀蔵先生の恨の定義が引用されてましたが、内容はそのとうりですが、実際にどういう場面で使われる概念かを知らないと正確に把握できません。
    >>日本は、朝鮮半島を、清の桎梏から解放し、ロシアの脅威から守り、近代社会へと育て、そして、朝鮮人たちは自らを大日本帝国臣民に同一化しようとした
     その同一化には日本を憧れ・理想の対象と捉えたうえで、ということですか?日本には憎しみを持っていながら生きるために従うのが得だから同一化したというのが本当でしょう。
    憧れをもっているなら日本も憧れを持つ国であるアメリカに被害妄想的発言をしているはずですがそんなことはないですね。憧れをもつといえば、明治期の日本の西洋への憧れは今の韓国から日本への憧れと比べ物にならないくらい大きいでしょう。となると、当時日本は西洋諸国に被害妄想的対応しているはずですが今の韓国のようなことはしていません。
     また、コンプレックスは憧れと憎しみの相反であり、これは鏡像関係にあるからということでしたが、ここで憎しみに相当するハンがあるとありましたが、日本への憧れによって憎悪がでてくるのですから、憧れによってハンがでてくるということですか。ハンは日本との関係だけで用いられるものではないでしょう。鏡像関係におけるコンプレックスのなかでハンを論じるならハンは対日本での概念に限られることになってしまいます。
     どうも鏡像関係で論じるのは無理があるとおもいます。なぜ、被害妄想が発生するのか。被害妄想は被害を受けたのち、別原因の被害も同一犯と決めつけるものといえます。それだけ前の原因が反復・強烈ならよりそうなるでしょう。韓国は秀吉に侵略され、併合されています。併合時代の出来事がどうあれ、大きな被害でしょう。被害の歴史があるためまたかと思います。さらに、負けてばかりの日本に勝ちたいと思っておりそれが強いライバル心を生んでいます。だから、被害妄想が生じます。
     また、発生したとしても、なぜ被害妄想を主張し続けるのか。私は、弱者の特権だからだと思います。韓国は被害の歴史から平和時の現在でも大国の日本を攻撃できるという特権をもちます。大体弱者のほうが強くでられることが往々にしてあります。債務者が債権者より強い、とかいろいろ見られます。そして、弱者はその特権を捨てようとしません。弱いままの地位を保とうとします。なぜなら、強者に攻撃材料を失った弱者はむき出しの弱者になるからです。したがって、竹島問題などや多くの戦争被害と直接関係しない問題に戦争被害を絡めて非難してくるのはそういうことだと思います。日本への憧れはあるのは間違いないですが、それだけで解ける問題ではないでしょう。憧れは台湾・中国の若者も持っています。しかし、日本への被害妄想はないです(共産党の反日教育により被害妄想的な主張も見られますが、憧れからではない)。そして、日本が、憧れを持っていた(いる)西洋文明やアメリカに被害妄想を持たないのは圧倒的差がある強者なので被害妄想を言っても通用しないからです。また、中国や台湾が憧れを持つ日本に被害妄想を言わないのは、中国は大国で日本より強者だし、台湾は歴史の経緯から親日的だから日本と弱者・強者の対立関係に無いからだとおもいます。翻って、韓国は日本に対して弱者だが両者に圧倒的な差はなく、近年は発展して差が以前より埋る方向にあるので、力関係から文句が通用しうるからです。さらに、日韓は地理的に上記国々よりも近くそれ自体が緊張感を生み出し弱者である韓国は日本ウォッチし続けるのは当然でしょう。要するに、一方的かつ圧倒的な被害体験とそれによるライバル心、今も弱者である、両国の地理的な近さ、が韓国の他国には見られない被害妄想の原因でしょう。
     同一化したいほどの憧れという鏡像関係がそもそもあるでしょうか。ライバル心による日本への異常な執着心のほうがよく説明できます。国際問題も擬人化して精神病理学で考えるのは否定しませんが、イメージ的かつマクロ的にしか捉えられないのではないでしょうか。鮮やかに説明できるために理解できたと決めつけに陥る恐れがあると思います。永井さんの理解では憧れを持っているからごちゃごちゃいってくるんだ。自分の道を進めよと聞こえます。そういう理解では韓国から非難されたとき日本は非難する口実を減らそうとするんではなく、軽蔑的にみて余計に韓国を挑発しより解決しない方向になるかもと危惧します。
     長文すいません。非常に勉強になるサイトです。

  15. “恨は歌や詩、あるいは文章などの表現のなかで表出されることがほとんどです。”
    「恨」によって指し示されている感情は文学の世界にのみ登場するような「皮相な」感情ではありません。それは、韓国人にとってもっと根源的で、基礎的な感情です。ですから、政治やナショナリズムの分野でも「恨」は無関係ではいられません。
    “生活感ある庶民的なもので他者への攻撃的な感情ではないです。”
    引用した小倉紀蔵さんの文章の続きには、こう書かれています。
    “金烈圭(韓国文学)は、「ハン」には「白い恨」と「黒い恨」があるといっている(『韓国再発見』、朝日新聞社)。「白い恨」とは、「ある怨みが心に重なって自分が傷ついた場合、それを絶対に第三者に移さないようにする恨」で、「伝統的に家庭内、一族内ではよく行われていた」という。
    これに対して「黒い恨」とは、怨みを残して死んだ漂浪魂が、関係のない第3者にまで怨みを移すことなどに現れる、という。この怨みを鎮めるために、韓国には巫堂(シャーマン)がたくさんいるわけである。
    「白い恨」は、「あるべき姿・場所」への「あこがれ」の側面が強調された「ハン」であり、「黒い恨」は、「挫折の悲しみ」を他者に転嫁する「ウォナン(怨恨)」であるといえる。”
    http://www.onekoreanews.net/20031022/bunka20031022003.htm
    この「他者に転嫁する怨恨」としての「黒い恨」をどう説明しますか。
    “憧れをもっているなら日本も憧れを持つ国であるアメリカに被害妄想的発言をしているはずですがそんなことはないですね。”
    憧れることが必ずコンプレックスを生むとは限りません。単純に憧れるというケースもあります。
    “ハンは日本との関係だけで用いられるものではないでしょう。”
    そうです。長い間、朝鮮人にとっての憧れの対象は、中国の高い文明でした。近代以降、ハンの対象が、中国から日本に変わってしまいました。
    “韓国は秀吉に侵略され、併合されています。併合時代の出来事がどうあれ、大きな被害でしょう。”
    秀吉の文禄・慶長の役は侵略戦争だったと思います。しかし、あの時代には、強者が弱者を征服するのが当たり前だったわけですから、現在の基準で非難するのは意味のないことです。日本人も、元寇の被害にあったからといって、モンゴル人に対して被害者意識を持つことはありません。
    日韓併合は、韓国にとって被害ではありませんでした。少なくとも合併によるメリットの方がデメリットよりも大きかったのが事実です。もしも、私が当時の朝鮮人ならば、日韓併合に賛成していたでしょう。同様に、もしもアメリカ合衆国が日本を51番目の州として併合すると言うのなら、私は賛成します。強国の植民地となるよりも、強国の一部となったほうがメリットが大きいからです。
    “日本が、憧れを持っていた(いる)西洋文明やアメリカに被害妄想を持たないのは圧倒的差がある強者なので被害妄想を言っても通用しないからです。”
    単純に憧れている場合には、被害妄想など生じません。しかし、憧れがコンプレックスになると、生じることがしばしばあります。例えば、石原慎太郎は、アジアの通貨危機がアメリカの陰謀だというようなことを言っていました。
    “永井さんの理解では憧れを持っているからごちゃごちゃいってくるんだ。自分の道を進めよと聞こえます。そういう理解では韓国から非難されたとき日本は非難する口実を減らそうとするんではなく、軽蔑的にみて余計に韓国を挑発しより解決しない方向になるかもと危惧します。”
    私は「民族単位の団体戦を止め、個人戦に切り替え、日本人など眼中にないと言えるようになって、初めて自分自身の主人になれる」と書きました。憧れは努力目標として必要であり、捨てるべきではありません。私が言っていることは、韓国を日本並みにするという、個人の努力では実現しない(だからコンプレックスになる)ことを努力目標とせずに、個人の努力で実現できる、個人単位の憧れを持つべきだということです。
    日本人は、欧米人と比べると集団主義的ですが、韓国人と比べると個人主義的です。以下は、日本に留学した韓国人の感想。
    “日本は個性豊かに見えるらしい。韓国では皆同じ服装に身を包み、同じ髪型、同じアクセサリーをつけ、同じ本を読む。留学経験者の内、何割かの人達は日本との決定的な差をここに見いだす。日本で着ることが出来た服も韓国に帰ってくると着ることが出来ないとか、かわいいと思っていた髪型も韓国ではやっている人がいない為、変に目立ってしまい視線が怖いとか言う話も聞く。アクセサリーにしても、韓国人はゴールドを非常に好み、シルバーを安物のヤンキーグッズと見ているのだが、日本ではシルバーだろうとデザインがドクロだろうと人の自由で気にする人はいないだろう。しかし韓国では人の目がある為、そう言う何気ないことも気にかけなくてはいけないのだ。日本で買った物が韓国で自由に使えないと嘆く人もいる。” [韓国人留学生から見た日本・・・ 斬り!!]
    http://christopher2005kor.seesaa.net/article/3982852.html

  16. まず、私は永井さんの結論には賛成です。ただ、韓国が憧れは持っているものの、同一化したいほどの憧れが日本に対して果たして持っているのか疑問に思うわけです。ですから同一化したいほどの憧れとそれゆえのコンプレックスからなる鏡像関係はないんではないかと思ったわけです。そして、韓国の特異性は鏡像関係ではなく、地理的関係と民族的な近さと一方的被害の歴史という関係性が原因で強烈なライバル心や敵対心が生じそれが被害妄想となると考えました。
    “この「他者に転嫁する怨恨」としての「黒い恨」をどう説明しますか。”
    なるほど、勉強不足でした。ただ、日本に対する強くでてくる、こちらからは被害妄想的にみえる政治的な主張や賠償などの主張はハンによるものなんでしょうか。
    彼らはまっとうな主張をしていると思っているのではないでしょうか。まさか自分で被害妄想的だと思ってはないのでは。こちらからみて主張が被害妄想的に見えハンによるものだと思えても、あちらは正当な主張と思っておりハンではなく敵対心ではないかと思いますがどうでしょう。
    “憧れることが必ずコンプレックスを生むとは限りません。単純に憧れるというケースもあります。”
    もちろんそうですね。
    鏡像関係は同一化したいほどの憧れとその反動からくるコンプレックスという関係で、憧れが強ければ強いほど成立する関係と理解しました。日本は豊かになったのでアメリカに特段の強い憧れはないでしょうが、明治期の日本は西洋に対し今の韓国の日本に対する憧れよりはるかに強かったのではないかと思いますが被害妄想は無かったですね、なのに韓国はあるということは鏡像関係での説明が妥当してないと思われます。
    “秀吉の文禄・慶長の役は侵略戦争だったと思います。しかし、あの時代には、強者が弱者を征服するのが当たり前だったわけですから、現在の基準で非難するのは意味のないことです。日本人も、元寇の被害にあったからといって、モンゴル人に対して被害者意識を持つことはありません。”
    文禄・慶長の役は元寇の被害とは比べ物にならないと思います。現在の基準で非難するのは意味のないことですが、被害者意識を持ってもなんら不自然ではないと思います。それ一回なら被害者意識も消えるでしょうがまた併合もあったので、この二つは相乗効果として被害者意識を持っているのだと思います。つまり上でも述べたように一方的被害の歴史から被害者意識をもつのだと思います。ハンやコンプレックスではないと思います。
    “日韓併合は、韓国にとって被害ではありませんでした。少なくとも合併によるメリットの方がデメリットよりも大きかったのが事実です。もしも、私が当時の朝鮮人ならば、日韓併合に賛成していたでしょう。”
    他国に国を取られることは被害ではないのですか。実利だけでは語れない事柄だと思います。
    私は永井さんのおっしゃる同一化したいほどの強い憧れがあるのだろうかと疑問に思います(憧れはもっていますが)し、被害の歴史に関わらず依然として力関係の差があるということで説明可能ではと思います。鏡像関係で説明するのは単純化しすぎているような気が失礼ながらするのです。

  17. “憧れが強ければ強いほど成立する関係と理解しました。”
    憧れが強いかどうかということとコンプレックスになるかどうかは関係がありません。むしろ、その人のパーソナリティーによります。
    “他国に国を取られることは被害ではないのですか。実利だけでは語れない事柄だと思います。”
    日韓併合については、例えば、これでも読んでみてください。
    http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nikkan4.html
    当時の大韓帝国は、1997年の韓国と同様に、経済的に破綻しており、日本は、IMFが1997年以降やったのと同じような仕事をしたのです。韓国を被害者というのはいかがなものでしょうか。
    日韓併合に賛成していた朝鮮人たちは、大日本帝国の一部となることで「世界の一等国」の仲間入りができると喜びました。彼らは、たんに実利だけを求めていたのではありません。長い間中国に朝貢していたマイナーな民族、朝鮮人にとって、「世界の一等国」であることが「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所」なのです。ところが、戦後、大日本帝国が解体され、韓国が日本から分離独立すると、彼らの国は、再び世界の二等国へと転落し、「世界の一等国」という「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所」から疎外されます。そして、小倉さんが言うように、「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所」から離れることが、彼らのハンを積もらせるのです。
    韓国人が、世界の一等国というもとの状態に戻るには、日本を乗っ取らなければなりません。世界の一等国である日本から日本人を追い出し、自分たちのものにしてしまえば、自分たちは世界の一等市民になれる。これが韓国人たちの願いです。彼らは、中田英寿や稲本潤一が世界のメディアから注目されると、在日認定を行い、サムライ、剣道、折り紙、盆栽などが海外で注目されると、起源は朝鮮半島にあると言い出します。世界的に評価される日本のものは、すべて自分たちのものにしたいのです。そして、これも彼らのハンが成せる業なのです。
    世界の一等国としての日本になりきろうとするあまり、韓国は日本の鏡像的他者となり、韓国が日本に対してしていることが容易に日本が韓国に対してしていることへと鏡像的に反転してしまいます。先日起きた韓国漁船逃走事件でも、韓国人は、違法操業を行った上で、乗り込んできた海上保安官を羽交い締めにして拉致しましたが、こうした加害行為を鏡像的に反転させ、自分たちは被害者だと主張し、謝罪と賠償を求めています。フロイトは、ぶった子がぶたれたといって泣き叫ぶという事実を指摘していますが、韓国人の行為もそれにぴったり当てはまります。
    もう一つ例を挙げましょう。韓国人は、日帝時代に、民族文字であるハングルを禁止されたと主張していますが、これは間違いで、むしろ、韓国人の方が、独立後、日本語の使用を禁止しました。言語抹殺をしている側が、言語抹殺をされたと主張しているわけです。一般的に言って、韓国人の主張は、「韓国」と「日本」を入れ替えると正しい命題になります。これを鏡像的関係と言わずして、何というのでしょうか。
    “文禄・慶長の役は元寇の被害とは比べ物にならないと思います。”
    『八幡愚童訓』によると、「百姓等は男をは或は殺し、或は生取りにし、女をは或いは取り集めて、手をとおして船に結付、或は生取りにす、一人も助かる者なし」。対馬や壱岐に上陸した元寇は、武士はもちろんのこと、無垢の百姓までを殺害し、生き残った人の手に穴をあけ、そこにひもを通して、船のへりに鎖のように結び、助かった人は一人もいなかったそうです。
    なお、元に日本遠征を勧めたのは、当時朝鮮半島の属国だった高麗でした。
    ◎「高麗王は、元寇の日本侵略に率先して荷担していた」
    http://toron.pepper.jp/jp/middle/genkou2.html

  18. 興味深く読ませていただきました。
    エメに象徴されるような「幻想」に見られるような非対称な関係が、なんらかのかたちで「韓国」と「日本」の間にある、という点についてはうなずけました。
    ラカンについてそれほど知っているわけではないのですが、ぼくは「同一化」というイメージよりも「他者のまなざし」といったイメージから理解しました。
    たとえば、永井さんが書かれた文脈での「韓国」と「日本」でいえば(様々な文脈での「韓国」と「日本」があるので)、「韓国」は「日本」に同一化しているというよりは、「日本」というものが「韓国」にとってつねに自分自身を正当化しなければならない「他者」として設定されている、という印象を受けました。
    ぼくはラカンの文脈での「他者」という言葉を、ある人間が自分自身の境遇に責任を取ってくれるはずの誰かとして指定する幻想的な位置、といった風に理解しています。
    ということから、僕は「同一化」ということばを、幻想的に指定された他者を対象とするものではなく、「責任を取ってくれるはずの他者」と自分自身との関係という、その総体としての「幻想」を対象とするものとして考える方がいいのではないか、と感じたのでした。
    もちろん解釈の仕方によっては、どちらも同じことだ、といいうるわけですが、このように言い換えることで見えてくるものもあるような気がします。
    このような「幻想」において存在し始める「他者」と主体との関係にはたぶんいろいろあるのだと思います。
    そのうちの一つが、エメあるいは「韓国」において永井さんが見出したもので、つまり「他者が私から大事なものを奪っている」といった形の幻想なのだと思いました。
    また別の形においては、「他者」がより内面化され、超自我のような形で自己に命令を下してくる、という場合もあると思います。
    この場合、たえずある「疚しさ」というものが生じると思います。
    つまり、「他者」の要求に応じることのできない自身の不完全さに関する意識(無意識)です。
    この意識は抑圧されることになり、どこかに投影されることになるのだと思います。
    このことは、自分自身でははっきりと意識化していない自分自身の欠点をもっている他者を過剰に憎む、というよく見られる事態に現われるという気がします。
    これはかなり恣意的なイメージなので適当に聞き流してもらってかまわないのですが、大日本帝国時代における「日本」とっての「アジア」(「韓国」、「中国」など)は、西洋という「他者」のまなざしをとおして生じた疚しさ(抑圧された非開化の感情)が外部に投影される際の落ち着き先になった、というイメージを僕はもっています。
    前に朝日新聞で、いつの時代のものかは忘れましたが日本軍が「開化石鹸」というもので「遅れた」中国人(毛のはえた動物の形象で表現されていました)を洗い流している、という昔の風刺マンガが掲載されていたのを見た記憶があります。
    そして、この「中国人」像は、抑圧された自己像なのだろうと僕は理解したのでした。
    という理解があって、もちろんそれに還元はできないのだとは思いますが、「韓国」あるいは「中国」に向けられる「日本」の憎しみのうちには、上に述べたような「疚しさ」の外部への投影、という部分がいくらかは入り込んでいるのでは、と考えています。
    言い換えれば、「韓国」と「日本」のそれぞれ別の「幻想」がいわば構造的なカップリングを形成している部分もあるのではないか、と。
    まあこれはいくらか妄想みたいなものかもしれませんが。
    あと、永井さんは「自分自身の主人」になることの必要性というものを強調されています。
    そしてその過程として、「自発的去勢」というものに可能性を見出されているように思えました。
    この言葉で正確にどのようなことをイメージされているのか僕にはつかみかねたのですが、「自分自身の主人」になるということについては別のイメージも可能かと僕は思いました。
    ここでまた、「他者のまなざし」というイメージが生きてくるわけですが、「自分自身の主人になっていない状態」というのは、「幻想」のうちで設定された「他者のまなざし」に従属していることだと僕は理解しました。
    そしてラカンがこの「幻想」にたいする「治療」として想像しているのは、「自発的去勢」というよりは、「幻想の横断」というものなのだと僕はおもっていました。
    これがどういうことなのかというと、つまり「自分のすべてをまなざしてかつ責任を取ってくれる他者などどこにもいなかったのだ」、あるいは「他者のまなざしは自分で作り上げた幻想であったのだ」といった「現実」と直面していくことだ、と僕はなんとなく抽象的に理解しています。
    そのための過程として精神分析医への「転移」が利用されるのだとおもっていたので、永井さんがそのような「転移」による治療は無意味だとおっしゃられていたのを読んで少し意外に思いました。
    「幻想の横断」についてのイメージは、たとえばスラヴォイ・ジジェクという人がすごく強調していた覚えがあります。
    あと、永井さんは哲学(特にドイツの)についての造詣が深いようなので、アレンカ・ジュパンチッチという人の『リアルの倫理』という本などが、「幻想の横断」としての「倫理」に近いことを語っているものとして、すごく近くに感じられるのかもしれません。
    と勝手な想像を長々と書いてしまい失礼いたしました。

  19. 日頃から、感じる日本に対する鬱屈した感情に対してどうしても自分自身に説明が出来なかったことに関して、“鏡像”は“一つの理論的な”説明を与えてたと思います。関係する皆さんの活発な意見の交換も、色々な考え方があるなあと思って読みました。
    このコメントに対しても、“貴方の意見は云々”と、又、コメントを頂くこともあるのかもしれませんが、良いじゃないですか。私は“鏡像理論”が納得行く説明だと思ったのですから。
    これまでの仕事で、個人的に韓国の方、中国の方、本土ではないけれどもアジア諸国に暮らす華僑の方、華人の方・・仕事をする上で、そもそも違う表面的な商道徳・習慣に差が有りますが、どちらが良い・悪いではなく
    気を使ってやってきましたが、個人的に皆その立場で努力をされていて、
    (こちらもそうですが)何とか良い関係を、それも永く続けたいという気概でやっていますよ。だけど、個人レベルを超えてしまうと、“日帝何年の・・”となってしまうんですよね。事実として。商売上こじれてくると、少しでも優位に立つ材料が欲しくなってしまうのでしょうか?
    悪人は、どこの国にも居ますよ。日本では殺人事件や、猟奇的な事件が全く無いわけではないし、逆に増えていますよね。
    今これを書いているのが、北京五輪の前ですが、韓国と北朝鮮は協働で応援団を送るというような報道を見て、南と北の関係(捻れていると思うのですが)を分かり易く説明してくれる人いないかなあと期待しています。
    蜂谷某の記憶や、ラングーンでの工作やの記憶は、秀吉の記録よりも遠くに行ってしまっているのでしょうか?

  20. “韓国と北朝鮮は協働で応援団を送るというような報道を見て、南と北の関係(捻れていると思うのですが)を分かり易く説明してくれる人いないかなあと期待しています。”
    金烈圭の区別を援用するならば、北朝鮮に対しては「白い恨」、日本に対しては「黒い恨」ということでしょう。

  21. 大東亜戦争で日本人に酷い事をしたのは韓国朝鮮人だしょう。嘘をつかないでください。捏造しないでください。沢山の朝鮮人がここで反日を叫んでおられるようですが、いくら日本人と韓国朝鮮人議論しても、僻み根性の韓国朝鮮人に言っても無駄だと思われますから、ここには来ないでくれませんか。朝鮮人は朝鮮人同士で話されたらいいと思いますよ。日本に巣食う韓国朝鮮人はあまりにも悪いから日本から出て行ってください。多くの日本人は怒っていますよ。日本人は韓国朝鮮人に対して本当の事や言いたい事を言うべきときに来たと思います。朝鮮人による日韓併合というペテンに引っかかり日本人の金を吸い取られると言う悲惨を二度としてはならない。東北の娘を売った金が税金として半島の朝鮮人の懐に入り朝鮮人の社会資本に変わったんですよ。日清戦争の日本人の戦死者に対し感謝の気持ちを韓国人は持つべきではないかとおもいますよ。
    次の南下するシナとの戦争には日本人は韓国の人を助けませんよ。韓国の為にシナと戦争はしませんよ。

  22. この100年間日本人から奪ってきた金を韓国人は返して謝罪しろ。嘘と捏造してきたことに対して謝罪と賠償をしろ。この2000年間半島は日本を襲撃し略奪してきただろう。ばれてんだよ。日本にくるな。いつか朝鮮省になる可能性もあるが日本は知らんよ。

  23. 伊賀氏で年収が2億の朝鮮人達が住民税をずっと半額にされていた。朝鮮人を捕まえろ。強制連行も嘘。従軍慰安婦も嘘。植民地も嘘。何もかも嘘。捏造。
    もう、本当の事は、朝鮮人本人でさえもわからなくなり、滅茶苦茶な精神になった。
    パラノイアの僻み根性の精神病。

  24. 既に韓国製が日本製品を駆逐してるのも珍しくない時代ですよ。技術開発でも先行している分野がありますし。 詳しくは調べてください。
    韓国は日本以上のものを作れないと決めつける辺り永井さんも浅いなぁ。失望しましたわw
    秀吉の朝鮮侵略についてですが、問題点は秀吉が日本を大国だと勘違いしていたことにあるでしょうな。太平洋戦争にも通じることです。
    当時は云々より失敗を振り返らない、無謀に戦争をして惨敗する日本の病理を突き詰めた方が建設的ですよw

  25. “既に韓国製が日本製品を駆逐してるのも珍しくない時代ですよ。技術開発でも先行している分野がありますし。 詳しくは調べてください。韓国は日本以上のものを作れないと決めつける辺り永井さんも浅いなぁ。失望しましたわw”
    そんなことは言っていません。よく読んでください。韓国が日本そのものになろうとしても、日本の劣化コピーにしかなれないから、日本を追い抜きたかったら、自分たちの独自性を大切にしろと言っているのです。韓国の日本に対する優位は、終身雇用制を採用しなかったところにあり、これについては、「どうすれば労働者の待遇は良くなるのか」で書いたので、そちらをお読みください。もしも、終身雇用制まで日本の真似をしていたら、サムソンはあれほど成功しなかったでしょう。

  26. 最近、フジテレビの韓流偏向報道に抗議するデモが起こりましたが、私はこのデモを見て、もうすでに韓国と日本の立場が完全に逆転してしまっていると思います。
    フジテレビの韓流偏向報道に対して反感をもつ理由の一つとして、労働問題が挙げられます。日本の労働者の中には、韓国をはじめとした新興国の経済的躍進のせいで、自分たちの待遇が悪くなったという被害者意識を持つ人がいます。こういう人たちにとって、韓流ブームは自分たちの傷をえぐるものなのでしょう。中には、「俺たちは捨てられたんだ」と思い込んでいる人がいるかもしれません。
    また、フジテレビの韓流偏向報道に反感を持つ日本人の中には、韓国人に対するコンプレックスを抱える人が少なからずいるかもしれません。韓国が日本を凌駕している例はいくつかありますが、その理由の一つは、ガラパゴス化していく日本人と違って、韓国人はグローバル化に柔軟に対応していていることです。韓国の躍進を見て韓国人を見習わなければならないと言い出す日本人も出てきました。最近の例ですと、トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員の発言です。
    “トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員は2日、2011年度第1四半期決算会見で日本の六重苦について触れ、「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」と述べた。
    伊地知専務によると、ヒュンダイとトヨタの技術者を比べた場合、個人差はあるものの年間の労働時間がヒュンダイのほうが1000時間も多いそうだ。ということは、10年で1万時間も違ってしまう勘定になる。
    「私は若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないかと思う」と伊地知専務は危惧する。
    もちろん心身の健康が第一であるが、日本の技術力を守っていくためには若いうちから働く時間を十分に与え、さまざまな経験を積ませる必要があるというわけだ。”[レスポンス: トヨタ伊地知専務「日本の技術力を守るために労働規制の緩和を」]
    しかしながら、日本人は特殊性が強く、英語が苦手だということから分かる通り、日本人にとってグローバル化に対応するのは至難の業です。だから、日本人の韓国人への憧れが憎しみへと変わってきているのでしょう。

  27. “最近、フジテレビの韓流偏向報道に抗議するデモが起こりましたが、私はこのデモを見て、もうすでに韓国と日本の立場が完全に逆転してしまっていると思います。 ”
    この問題の本質は別のところにあるのではないですか。もしも「韓流偏向報道」をやっているのがフジテレビという排他的な放送免許を持った地上波テレビではなくて、誰もが自由に参入できるインターネットテレビならば、誰も文句を言わないでしょう。日本の地上波テレビによる放送市場は、新規参入が事実上不可能で、5つの主要テレビ局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)によって寡占されています。そして、これら在京キー局は、排他的特権を与えられる条件として、公平な報道が義務付けられています。フジテレビは、その義務に反していると疑われているから、抗議運動が起きているのでしょう。
    小寺信良氏は、フジテレビの手法を以下のように分析しています。
    “90年代を過ぎてバブル崩壊のあおりを受け、広告収入が減ると、フジは自社リソースを商品化することで番組制作費を大幅に削減した。いわゆる女子アナブームである。女性アナウンサーは正社員なので、いくら売れても給料据え置きである。社員をタレント化することで、外部タレントの発注を押さえて番組を成立させる方向にシフトした。一時期は男性アナウンサーを司会に、女子アナが運動会のようなことをやるような番組さえ登場した。やってることは大規模な社員運動会である。
    さらにお台場移転をきっかけに、その敷地内をテーマパーク化して観光スポットに仕立て上げた。場所的には非常に不便にも関わらず、執拗に情報番組内で露出することで、地方からの観光客にとって行ってみたい観光名所として定着させてしまった。こういうことをやって成功した局は、フジテレビ以外にない。
    今回の韓流ゴリ押し騒動もこういった流れで見れば、音楽著作権を大量に保有しているK-Popも実は自社リソースに過ぎず、それを売るためにブームを作ろうとしているということがわかる。過去80年代から何度も繰り返してきた手法なのである。
    それがここにきて、大きな反発を受けることになったのはなぜか。それはたぶん、思ったように利益が上がっていないのだろうと思う。つまり、ブームの火付けに失敗したのだ。
    韓流ブームのそもそもは、03年にNHKで「冬のソナタ」が放送されたのがきっかけである。そこから先韓流ブームが継続しているように思われているが、経済効果としてはほぼ1年~2年足らずで収束している。韓流ドラマ、K-Popの版権が安いとされているのは、おそらく事実であろう。円高ウォン安の影響ももちろんあるだろうが、それ以前に経済的価値が低いからである。
    それから何度かメディアが再点火を試みたが、うまくいっていない。もちろんその背景には、韓国という国からの広告宣伝費も出ていると思われる。韓国は国策としてコンテンツ産業育成を行なっており、海外への売り込みにも国から予算が出ている。
    テレビの王者フジテレビとしては、安く仕入れたものを自分たちのブーム着火力にものを言わせて商売するつもりであったのだろう。もちろん韓国からの広告宣伝費も相当入っているだろう。しかし、うまくいかなかった。そこで次第に焦りが見え始め、過剰なまでに露出をエスカレートさせることになったのではないかと思われる。
    これまでのフジテレビの火付けは、スマートだった。いや実際にはスマートとは言えない部分もあったが、少なくとも仕掛けに行っていると大半の視聴者にバレない程度には引きどころをわきまえていた。しかし今回の韓流ゴリ押しは、多くの視聴者が「そんなわけないだろ」というレベルにまでエスカレートした。”[コデラノブログ4(2011年08月15日)フジテレビの韓流騒動について
    こういう公平無私とは程遠い手法に批判が集まっているわけですが、しかし、そもそもテレビ局に公平無私な放送を求めること自体が非現実的であり、そのような建前論に固執している限り、抜本的な問題の解決にはなりません。メディアというのは、いかに公平無私な放送を心がけても、多かれ少なかれ偏向しているものであり、視聴者全員が満足する偏向のない番組などというものはありえません。したがって、政府が、公平であることを前提に特定の放送事業者に排他的特権を与える現行システムよりも、政府が特定業者を優遇することなく、どの偏向が好みの偏向であるかを視聴者の選択に委ねる、市場原理が機能する放送市場ほうが、視聴者の満足感を高めることになると思います。

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