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御柱祭りは何を祭っているのか

2005年8月23日

諏訪地方では、御柱祭りで、木落しという、死者がしばしば出る危険な行事が行われる。この古い祭りの本当の意味は何か。梅原猛の『日本冒険』を読みながら、柱や橋の語源をアイヌ語にまで求めつつ、縄文時代の死生観や宇宙観を考えてみよう。

御柱祭山出し木落としの画像の表示
諏訪大社上社(かみしゃ)で行われる御柱祭山出し木落とし[1]

1. 木落しは何を意味するのか

神や人の霊を数える時「柱」という単位を使うことからもわかるように、日本人は、古くから柱を神聖視してきた。縄文時代の三内丸山遺跡や真脇遺跡などで巨大木柱が発見されたことを考えると、御柱祭のような今に伝わる柱信仰の起源も、縄文時代の信仰にまで遡って求めることができそうだ。

実際、御柱祭りが行われる諏訪地方は、縄文文化の中心地だった。日本の平野部が、4世紀以降、大陸からやってきた農耕民族である弥生人の稲作文化の支配下に入ってしまったのに対して、諏訪地方を初めとする山間部や辺境の地では、狩猟民族である縄文人の森林文化の痕跡がいまだに残存している。

このことは、近年のDNA分析等により、自然人類学的に確かめられている。縄文系の割合が多いのは、東北、北陸、山陰地方、四国や紀伊半島の山間部などだが、最も多いのは、アイヌの住む北海道や沖縄といった日本列島の辺境である。だから、アイヌ人や沖縄人を研究すれば、縄文人の研究の補助となる。

父系が縄文の血統かどうかは、“Y-haplogroups D-M55/D-M125”という日本人にしか見られないY染色体上の遺伝子の有無によって調べることができるのだが、この遺伝子の保有率が、本州人よりもアイヌ人の方が高いことから、彼らの方が純粋な縄文人に近いことがわかる。ミトコンドリアDNAを用いた母系の血統の調査でも、同様の結論が出ている[2]

梅原猛は、ちょうど縄文人と大陸や半島から渡来した弥生人との混血から現代の日本人が生まれたように、アイヌ語に原形をとどめる縄文語とウラル・アルタイ語系の渡来人の言語の混合から日本語が生まれたと考える[3]。だから、梅原によれば、縄文時代における「柱」の意味も、アイヌ語で理解できる。

日本語のh音は、奈良時代以前の上代ではp音で発音されていたので、「ハシラ」は「パシラ」と発音されたはずである。アイヌ語の「パシ」は、「走る」という意味で、「ラ」は「下」を意味する。だから、「柱」は、「下に走る」もしくは「下から走る」なのだが、御柱祭りの木落しの場合は、明らかに「下に走る」である。

「木落し」というのは山の斜面から御柱を落とすのであるが、裸の木に人が馬乗りになり、身体を支える何もない状態で、急斜面を降りるのである。ものすごいスピードで落下する。御柱に乗る男たちはその行方も知れぬ柱に必死でつかまり、振り落とされ、振り落とされたらまた乗り、と危険を繰り返すのである。最後まで御柱に乗っている男は英雄となるが、御柱の下敷きになったり、振り落とされて死ぬものもいる。御柱には死者は付きものである。しかし誰も祭りの残酷さを責めようとはしない。むしろ死人が出ることで祭りは盛り上がり、神はそれを喜び給うているとこの土地の人は思っているかのようである。[4]

木落しが建御柱を行う途中で起きる付随的で非本質的なハプニングでないように、死者が出ることも付随的で非本質的なハプニングではない。木落としで死んだ男は、母なる大地に戻る。彼がつかまっている木は、胎内回帰のためのファリック・マザーのペニスである。「はしら」とは、地下にあると縄文時代に信じられていたあの世、黄泉の国に向かって「下へ走る」ことだったと考えることができる。

2. ハシラとしての天橋立

柱も橋も異界を訪れるためのペニスである。柱では、下に走るが、橋では、水平方向に走る。『丹後国風土記逸文』に、橋と柱が本来同一であったことを示す記事がある。

国をお生みになった大神、イザナギノミコトが、天にお通いになろうとして、橋を建立なさった。それで、アマノハシダテといった。神がお休みになっている間に倒れてしまった。[5]

天橋立は、京都府宮津湾にある砂嘴で、日本三景の一つとして知られる景勝地であるが、古代の日本人は、この橋を、天と地を結ぶ橋が倒れたものと表象していたことは興味深い。

『丹後国風土記逸文』には、この話以外にも浦島伝説や羽衣伝説などが記されているのだが、これらの伝説はすべて異界との交流がテーマである。こうした伝説が丹後国の風土記逸文に収められた理由は、もっぱら天橋立の景観にある。

ここより望まれる景色を「飛龍観」と呼び、龍が天に舞い上がる姿を現していると言われます。天橋立と言えば「股のぞき」と言われておりますが、股のぞきをすると、天地転倒の逆転効果により、松並木が空中に浮かんだような錯覚を起こし「天の釣り船とも天にかける橋」とも言われております。傘松公園から眺めた景観と天橋立ビューランド「飛龍観」からの眺めといい、まことに自然の文化財とも言えましょう。[6]

青い空と青い海はよく似ている。両者は、水平線を堺に鏡像的に反転する関係にある。天橋立を上下逆にして、海を空、空を海とみなすと、海から空に向かって竜が天に舞い上がっているかのように見える。だからこそ、浦島伝説や羽衣伝説は、神話構造的に等価なのである。羽衣伝説は、後に、鶴女房伝説へと形を変えていくわけだが、浦島物語での亀の恩返しと鶴女房での鶴の恩返しには共通点がある

3. 異界への通路としての橋

能は怨霊鎮魂の芸能である。そして、能の舞台には、この世とあの世をつなぐ橋がある。

能には橋懸りというものがある。能のシテ、主人公の多くは死霊であり、この世に強い執着を残して成仏できないでいる。この指令が縁の地にさまよい出てくるのを、ワキなる現実の人間が見つけて、その迷いのもとを語らせて霊のカタルシスを行い、それによって無事その霊をあの世に送るという筋立てである。この能の橋懸りはあの世からこの世へ通ずる橋である。[7]

こうした橋の起源を、縄文文化のもう一つの継承者である琉球に見出すことができる。梅原によると、久高島の女たちが神女になるための通過儀礼、イザイホーで行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になって異界を訪れる儀式である。

鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。[8]

七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。

男たちは死ぬと海の向こうの遠い国、ニライカナイに行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない。しかし、神となった、鳥となった女は死んでニライカナイにいってもすぐ、彼女たちがそこで生まれそこで神となった、祖先の霊のいるウタキに舞い戻り、そこに永久にとどまって末永く故郷の島の子孫たちを守るのである。[9]

死者の霊魂が人間の世界にやってきて、生者と死者が一時的に生活をともにした後、生者が死者をあの世に送り返す儀式(盆・正月)は日本だけでなく、ユーラシア大陸全体に見られる。

4. 太陽の誕生と死

鳥が橋を渡って、あの世とこの世の間を行き来するように、太陽もまた地下のあの世とこの世の間を行き来する。

『おもろさうし』にはテダガアナという言葉がありますが、これは文字通り太陽の穴という意味です。つまり太陽は暗い穴から上ってきて、そしてまた暗い穴へ戻っていく。その意味では太陽は朝生まれて夜死ぬ。そして死んでいった太陽は、次の朝生まれ変わって昇ってくる。[10]

太陽は、生まれる時と死ぬ時に、空を真っ赤に染める。そのさまは、ちょうど人間が生まれたり、死んだりする時のようであり、興味深い。ちなみに、アイヌ語の赤に相当する「フレ」は、後に「クレ」に転じて、日本語の「暮れ」になっている。これに対して日本語の赤は、「アケ(明け)」と同根だが、梅原は、これは、アイヌ語の「アンケシ」、つまり、「日(アン)の終わり(ケシ)」に相当するという。ちなみに、太陰暦を採用していたかつての日本では、日没は一日の始まりで、日の出は一日の終わりであり、太陽暦を採用している今の私たちの感覚とは逆だった。

太陽の炎の赤さと血の赤さの同一視が何を意味するのかを次に考えてみよう。ここでも、アイヌ語とアイヌ神話の分析が参考になる。

5. 日の神と火の神

現代の日本語では、「日」も「火」も、ともに「ヒ」と発音されるが、上代の日本語では区別されていたし、アイヌでも区別されていた。

アイヌ語原義上代日本語現代日本語
ピ(pi)実・種・粒甲類のヒ太陽を表す日
アペ(ape)乙類のヒ燃焼する火

ピは「霊」の「ヒ」に通じる。タカミムスヒやカミムスヒの「ヒ」もここから来ている。ヒコとヒメのヒはともに甲類で、「霊」に通じる。霊のヒはチに転じ、チはすべての活力の源泉となる超自然的な力を意味する。

これに対して、アペの神はアペフチ(apehuci)という。「フチ」は「お婆さん」という意味で、アイヌでは、火の神は女性である。しかし、日の神ほど神格は高くない。火の神が、身近で人間に近い神であるのに対して、日の神は、遠いところにいる、偉すぎる神である。

アイヌ、沖縄での、日の神と火の神の関係はひじょうに似通っている。日の神は遠くにあって、人間にとって偉すぎるものであり、それに比べて火の神は、人間の身近にいて願い事をいつでも聞いてくれる親しい神であった。[11]

男神アマテラスと卑弥呼(日巫女)の関係も、もともとは日の神と火の神の関係であったのだろう。世界的に、太陽神は父神と表象されている。日本では、太陽神である天照大神は女神だが、実は、日本でも、もともと太陽神は男であったと考えられている[12]

ピとアペは、同じではないが無関係でもない。両者の関係は、雷というハシラに注目すると良く理解できる。大地に落ちる(下に走る)雷は、父なる天が母なる大地に挿入するペニスである。そして、ペニスを通して子種が胎内に注入され、子が生まれるように、雷というハシラを通って、神霊の種であるところのピ(チ)が母なる大地に注入され、そこから生命が生まれる。

雷が落ちたところでは、火が燃えている。だから、火としてのアペは、母なる大地が父なる天から受け取ったピ(日)=チ(血)の遺産であり、それを生命の根源とみなす背景には、当時の焼き畑農業の影響がある。アペの神で、火を大切に守り続ける老婆神アペフチは、子種から生まれた我が子を大切に守り続ける老いた母だと考えればわかりやすい。

私たちは、「血統」とか「血筋」といった、あたかも遺伝子の担い手が血液であるかのような表現を今でも用いている。血を遺伝子とみなすことは、科学的には正しくないが、世界的に広く行われている理由は、血の色が火の色と同じで、かつ、火が生命の根源だと信じられていたからだと私は思う。

6. 「チ」は男か女か

大蛇のことをオロチ、竜のような怪物のことをミヅチ(蛟)、またサチ(幸)、チチ(乳)、チ(血)など、霊なる力を「チ」という。男性セックスにもこの「チ」が付く。アイヌ語では、例えば、虹のことを「ラチオ](raoci)、穴のことを「トンチ」(tonci)、という。虹も不思議な自然現象であるし、穴は神秘な場所である。カグツチの「チ」は男性セックスのチに通ずると私は思うのである。[13]

たしかに、カグツチは、古事記では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)と書かれているぐらいだから、男神と考えて間違いがない。この他、タケミカヅチなども男である。

アイヌ神話においては、火の神は女である。しかし、このことは、火そのものが女であることを意味しない。むしろ火が夫からもらった息子だからこそ、女はそれを大切に守ろうとすると考えることができる。

ところで「虹も不思議な自然現象であるし、穴は神秘な場所である」という梅原の説明は、曖昧で説得力がない。もっと突っ込んだ説明が必要である。

虹は、その形が蛇や竜に似ている。実際、それは昇竜のイメージとして受け取られていた。また、穴は、太陽がこの世とあの世を行き来する時に通過する穴(テダガアナ)である。ここでもまた、チとは、この世からあの世へと霊が移行するとき、バトンタッチされるべき霊の種であるという仮説を裏付けることができる。

7. 参照情報

関連著作

『日本冒険』は、1988年に角川出版から出版した単行本で、小学館版『梅原猛著作集』では、第七巻と第八巻に収められている。本書は、古代史研究家の梅原猛が、火・鳥・柱の崇拝を探りながら、日本文化の根源を明らかにしようとする知的冒険の書である。

注釈一覧
  1. C1815. “諏訪大社上社御柱祭山出し木落とし.” 3 April 2010. Licensed under CC-0.
  2. Tajima, Atsushi, et al. “Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." Journal of human genetics 49.4 (2004): 187-193.
  3. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈6〉日本の深層』. 小学館 (2000/11). p.285.
  4. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.184.
  5. “国生みましし大神、伊射奈芸命、天に通ひ行でまさむとして、椅を作り立てたまひき。故、天の椅立と云ひき。神の御寝ませる間に仆れ伏しき。” 『新編日本古典文学全集 (5) 風土記』. 小学館 (1997/09). 丹後国風土記逸文.
  6. 日本三景 天橋立ビューランド.” Accessed Date: 8/3/2005.
  7. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.198.
  8. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.148-149.
  9. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.148.
  10. 梅原猛『梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)』小学館 (2001/07). p.470.
  11. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.53.
  12. 永井俊哉. “アマテラスの起源は何か.” 2005年4月17日.
  13. 梅原猛『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』小学館 (2001/05). p.60.