リデル・ハートの戦略論
間接的アプローチとは、「20世紀のクラウゼヴィッツ」と評される、イギリスの著名な戦略研究家・戦史研究家、リデル・ハートが提唱した戦略である。日本のような戦争を放棄している国で軍事的戦略を勉強してもあまり意味はないが、リデル・ハートの戦略論を経営に応用しようとする人ならたくさんいる。彼が主著『戦略論―間接的アプローチ』で提唱する「間接的アプローチ」をビジネスに応用するとどういうことになるのかを考えてみよう。

1. 間接的アプローチとは何か
リデル・ハートは戦略論―間接的アプローチで、古代ギリシャから第二次世界大戦に至るまで、様々な戦争を分析しているが、彼が一番詳しく取り扱っているのは、彼にとって同時代の戦争であった第一次世界大戦と第二次世界大戦である。
二つの世界大戦で、西部戦線は好対照をないしている。第一次世界大戦では、ドイツは、シュリーフェン計画を放棄したために、フランスの主力と正面衝突し、多大な犠牲を払ったにもかかわらず、戦果が上がらないまま戦線が膠着した。これに対して、第二次世界大戦では、ドイツは文字通り「電撃」的な速さで英仏連合軍を粉砕して、フランスを降伏させた。
第二次世界大戦緒戦でのドイツの圧勝は何が原因だったのだろうか。
それは、様々な方法で敵のバランスを狂わせるというアイデアによってもたらされた。すなわち、方向、時間、方法において予期せざることを成し遂げることによってである。その際、まず、可能な限り十分に相手の注意をそらし、次に、最も抵抗の少ない線に沿って、可能な限り相手の奥深いところに行って、可能な限りすばやく搾取したのだった。[1]
ドイツはまず、オランダのハーグとロッテルダムを空爆するという陽動作戦によって、英仏連合軍をベルギーにまで誘き寄せた。その間、ドイツの主力部隊は、英仏連合軍の進路の南に位置するアルデンヌ高原の森の中をひそかに抜け駆け、英仏連合軍を背面から攻撃した。不意を衝かれた英仏連合軍は総崩れとなり、これで勝敗がいっきに決まってしまった。
ドイツは、西部戦線において、第一次世界大戦のときは直接的アプローチをとったために失敗し、第二次世界大戦の時には間接的アプローチをとったために成功したというのが、リデル・ハートの見解である。
リデル・ハートは、日本の戦争も取り上げているので、一つ紹介しよう。それは、イギリス人にとって屈辱的であった、太平洋戦争におけるシンガポール陥落である。この時の日本の戦争の方法は、リデル・ハートによれば、間接的アプローチであった。
そのアプローチはきわめて間接的だった。上陸は、マレー半島の東海岸の二地点で行われ、空港を奪取して注意をそらしている間に、主力部隊は、シンガポールから500マイルも北に離れているシャム領の半島の付け根に上陸した。この著しく北東の上陸地点から、日本軍は、半島の西海岸に沿ってなだれ込み、イギリスが、日本軍を阻止しようと張った防御線を首尾よくかわした。[2]
日本軍は、マレー半島の西海岸にあるジャングルの中を通って行ったので、イギリス軍には気付かれなかった。陽動作戦で相手を誘き寄せ、気付かれないように抜け駆けして、背後から襲って、相手を混乱させるという点で、ドイツ軍のフランス軍への攻撃と日本軍のイギリス軍への攻撃は似ている。
イギリス軍は、シンガポールに退却したが、シンガポールは、海からの攻撃に備えて要塞化されていたものの、陸からの攻撃に対しては脆弱だった。シンガポール防衛軍は、日本軍の倍の人数だったが、寄せ集めで未熟だったために、パニックに陥り、マレー半島から攻めてきた日本軍に対して、あっけなく降参してしまった。
日本国内の戦史を振り返るならば、間接的アプローチが功を奏した戦いとして、一ノ谷の合戦を挙げることができる。一ノ谷を中心に強固な防御陣を周囲に築いていた平氏の陣営に対し、源範頼は5万騎を率いて正面突破を試みるが、うまくいかない。これに対して、背後から奇襲攻撃をかけた源義経の軍勢は、わずか70騎だったが、これで平氏の陣営は大混乱となり、勝敗が決した。
範頼がやったような、最も防御の堅い敵の正面に総攻撃をかける直接的アプローチでは、損害が最大になり、成果は最小になる。しかし義経がやったように、敵の防御が最も薄い背面から攻撃をかければ、最小の損害で最大の成果をあげることができる場合がある。
もっとも、リデル・ハートはたんに敵を背後から攻撃しろといっているわけではない。
たんに敵に向かって遠まわしに行進するとか敵の配置の後方へ行進するといったことが戦略的な間接的アプローチになるわけではない。戦略的アプローチとは、そんなに単純なものではない。そうしたアプローチは、最初のうちは敵の正面との関係で間接的かもしれないが、敵の背面に向かっての前進がまさに直接的であるがゆえに、敵に配置を変えさせ、たちまち敵の新しい正面に向かっての直接的アプローチになってしまう。[3]
間接的アプローチで重要なことは、それがサプライズを伴っているということである。もしも背面攻撃が事前に敵に察知されているのなら、背面を攻撃しても、敵が正面の位置を変えるので、通常の正面突破とかわらなくなる。最小の損害で最大の戦果を挙げたいのなら、相手が最も予期していない所を突いて、相手を不安とパニックに陥れ、防御力を根底から突き崩し、そしてそのチャンスを徹底的に搾取(exploit
利己的に利用)しなければならない。
2. 間接的アプローチのビジネスへの応用
客に商品を買ってもらおうとする時、あなたならどうやって売ろうとするだろうか。たいていの人は、その商品がいかに優れているかとか、いかに割安であるかとかいったことを説明して、相手を説得させようとする。
もしもあなたが、このような正攻法で、相手の理性に訴えて売ろうとするならば、相手はそれに対して理性で応戦する。この方法は、直接的アプローチである。こちらが正面突破のために主力を投入すれば、相手も正面に主力を投入して、防御の壁を厚くする。
客は、理性的に、商品に価格ほどの価値があるのかどうかを吟味し、他の類似商品と比べ、値切ってくる。優れたものを作ろうとすれば、コストが高くなり、相手が理性的であれば、利幅は低くなる。最大の犠牲(コスト)と最小の戦果(利潤)、これが直接的アプローチの帰結である。
理性は、常に欲望にブレーキをかける。だから、相手に物を売るときには、理性という防御壁を厚くするような直接的アプローチでは、利潤率が最小になってしまう。これに対して、客を不安とパニックに陥れ、理性という防御壁を根底から突き崩し、そしてそのチャンスを徹底的に搾取する間接的アプローチなら、利潤率を最大にすることができる。そして、その典型がカルト商法である。
3. カルト教団の間接的アプローチ
宗教ほど儲かる商売はないとよく言われるが、カルト商法が儲かる秘密、それは、間接的アプローチにある。カルト教団にとって、相手を不安にさせることは、基本的な戦略である。例えば、手相診断や足裏診断を行い、「あなたはこのままだと病死する」などと言って、相手を脅したり、世の終末が迫っていることを信じさせて、危機感を煽ったりといったことはよくある手口である。
もしも自分の命に危機が迫っていると信じたなら、人はパニックになって、全財産を投じてでもその危機から逃れたいと思うようになる。カルトは、この心理を利用して、ほとんど原価がゼロの物を法外な値段で売ることができる。まさに、間接的アプローチは、最小の犠牲(コスト)で最大の戦果(利潤)をもたらすのだ。
カンネーの戦いで、ローマ軍は、間接的アプローチを仕掛けたハンニバルの罠に嵌まり、抵抗力を完全に失って、カルタゴ軍になぶり殺しにされた。これはもはや戦闘ではなくて、虐殺である。軍隊は、いったん統制を失うと、敵の意のままに搾取されほうだいとなる。
カルト教団は、終末から逃れようとする信者を集めて、修行をさせる。この罠に嵌まったら、もう抜け出せない。飲食物も睡眠時間もろくに与えないため、信者たちの理性の防御は完全に崩壊し、教祖に言われるがままに金品を提供するようになる。それは、さながら、判断力を失った高齢者にたかる悪徳リフォーム業者のようである。これはもはや商売ではなくて、ぼったくりである。信者は、いったん理性を失うと、教祖の意のままに搾取されほうだいとなる。
カルト商法で儲けようとする者にとって、理性的で、自己判断能力を有する人々は、好ましい存在ではない。むしろ、人々は、集団ヒステリーを起こす衆愚でなければならない。衆愚は、アジテーションによって、容易にグルの餌食となるからだ。
ヒトラーの神がかりな演説で集団催眠状態になる聴衆が増えることが民主主義政治の危機であったように、カルト商法でぼったくられる信者が増えることは市場経済の危機である。民主主義政治も、市場経済も、個々人が合理的な判断能力を持っていることを前提としている制度なのである。
4. カルト商法のジレンマ
終末の危機が迫っていると予言して、信者を不安がらせ、ぼったくるカルト宗教には、もしも終末を遠い未来に設定すると、不安を掻き立てる効果が薄くなり、もしも終末を近い未来に設定すると、予言が外れて教団が求心力を失う時期が早く来てしまうというジレンマがある。
終末予言をしたにもかかわらず、終末が来なかったとき、どうすればよいのか。社会に与える迷惑の大きい順に列挙すると、以下の三つが考えられる。
- 自分たちで終末の悲劇を実現する。サリンを散布して、ハルマゲドンの狂言をしたオウム真理教が有名な例である。
- 終末が来る前に、信者たちに集団自殺をさせる、あるいは集団自殺に見せかけた集団殺害を行う。1978年の人民寺院事件や2000年のウガンダでの事件が有名である。
- 教義を変える。終末が来なかったのは、グルのおかげであると強弁したり、某カルト教団のように、終末に備えるための宗教を、予言が外れた後、女性器崇拝の宗教に変えたという場合もある。
他人に終末予言をさせて、外れたらその人の責任にするという手もあるが、そういう使い捨てのグルではカリスマ性がないから、あまり信者が集まらないだろう。いずれにしても、カルト商法は、永続的な商法ではない。
5. 間接的アプローチのカルト以外への応用
人を動かすには、アメを使う方法とムチを使う方法がある。アメというプラスの価値を持つものを与える方法が、直接的アプローチだとするならば、ムチを打つぞと脅して、相手を不安にさせ、いったん相手にマイナスの価値を与え、それを止めることで、ゼロの価値にプラスの価値をもたせる方法は、間接的アプローチである。前者よりも後者のほうが、少ない費用で高い利潤を見込むことができる。
そのためなのだろうか、一般的に言って、他人に幸福と期待を与える直接的アプローチの職業よりも、他人から不幸と不安を取り除く間接的アプローチの職業のほうが儲かる。例えば、医者と弁護士という最も儲かる二つの職業を考えてほしい。医者は理系のエリートがなる職業で、弁護士は文系のエリートがなる職業だから儲かるという説明は、本末転倒である。むしろ、儲かるからこそ、競争が激しく、エリートしか資格が取れないのである。
私は、医師と弁護士が、カルト教団のグルのようにいかがわしい職業だと言うつもりはない。たいていの医師や弁護士は、良心的に仕事をしている。しかし、中には、患者の不安をいたずらに煽り、高額な手術を受けさせたりする悪徳医師や、同様の方法で自分の仕事を増やそうとする悪徳弁護士がいたりする。不安をしずめる職業には、儲けるために不安を大きくしてやろうという悪への誘惑が付き物である。
6. 戦争論は経営論に応用できるのか
以上、間接的アプローチをビジネスに応用するとどういうことになるのかを見てきた。もしも、読者が、私が述べてきたような間接的アプローチによる金儲けの手口に違和感を抱くとするならば、その人は健全な判断の持ち主である。
私たちは、ここで、戦争論と経営論の違いに注意しなければならない。戦闘が相手に損害を与えることを目標としているのに対して、商売は相手に利益を与えることを目標としている。もちろん、客をだまして金を稼ぐということも、短期的にはできなくはないが、そうした商売には永続性がない。
戦争における戦略論をライバル企業を倒すためのテクニックとして応用しようとする人もいるかもしれない。しかし、戦争における領土争奪戦と市場経済における顧客争奪戦は、すでに以下に述べたように、異なる。
例えば、戦国大名が領土を奪い合う競争は、企業が市場のシェアを奪い合う競争とよく似ているが、前者は後者と違って、相互選択による決定メカニズムがないので市場競争ではない。もしも、ちょうど消費者が商品を選択する自由があるように、係争地の住民が投票で領土の帰属を決めることできるのなら、市場原理が機能していると言えるが、戦国大名にとって百姓は家畜同然の存在であって、勝負はたんなる力と力のぶつかり合いによって決まる。[4]
仮に、ライバル企業を巧みな戦略で倒すことに成功しても、消費者の支持を得られなければ、自分も倒れてしまう。他方、ビジネスでは、競争を通じて各企業が不採算部門から撤退し、得意分野に資源を集中すれば、結果としてどこもつぶれずに共存できるという場合もある。
もちろん、軍隊の経営と企業の経営には共通点もあるから、戦略論を経営に応用することを全面的に否定するつもりはないが、客を敵扱いし、ライバルを倒すことしか考えないような経営論に対して、私たちは用心しなければならない。企業は消費者の利益のために活動しているという原点を忘れてはいけない。
7. 参照情報
森沢亀鶴の1986年の訳よりも市川良一の訳の方が新しい。
- 市川良一 (翻訳)『リデルハート戦略論 間接的アプローチ 上』原書房 (2010/4/23).
- 市川良一 (翻訳)『リデルハート戦略論 間接的アプローチ 下』原書房 (2010/5/21).
- 石津 朋之『リデルハート ― 戦略家の生涯とリベラルな戦争観』中央公論新社 (2020/4/22).
- ↑“It was inspired by the idea of upsetting the opponent’s balance in a compound way – through achieving the unexpected in direction, time, and method, preceded by the fullest possible distraction and followed by the quickest possible exploitation along the line of least resistence to the deepest possible range.” Basil Henry Liddell Hart. Strategy: Second Revised Edition. Plume (1991/3/30). p. 225.
- ↑“The approach was very indirect. While landings were made at two points on the east coast of the Malay Peninsula, to seize airfields and distract attention, the main forces were disembarked on the Siamese neck of the peninsula, some 500 miles north of Singapore. From these landing-places in the extreme north-east the Japanese forces poured down the west coast of the peninsula, successively outflanking the lines on which the British forces attempted to check them.” Basil Henry Liddell Hart. Strategy: Second Revised Edition. Plume (1991/3/30). p. 255.
- ↑“The mere action of marching indirectly towards the enemy and on to the rear of his disposition does not constitute a strategic indirect approach. Strategic art is not so simple. Such an approach may start by being indirect in relation to the enemy’s front, but by the very directness of its progress towards his rear may allow him to change his dispositions, so that it soon becomes a direct approach to his new front.” Basil Henry Liddell Hart. Strategy: Second Revised Edition. Plume (1991/3/30). p. 327.
- ↑永井俊哉『市場原理は至上原理か』Kindle Edition (2016/03/06).
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