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教育を無償にすることは可能か

2016年5月12日

維新が幼児教育から高等教育に至るまでのすべての教育を無償化する憲法改正案を発表して話題になった。現行の公教育を無償化しようとすると、財政負担が重くなりすぎるが、公教育を廃止するなら、教育の質を下げることなく、すべての教育を無償化しても、財政負担は過重にはならなくなる。

Image by mohamed Hassan from Pixabay
ネットを使った遠隔教育は、現在ではもはや珍しくない。

1. 維新が公約に掲げる教育無償化とは

おおさか維新の会[*]は、2016年3月26日の党大会の常任役員会で、夏の参院選に向けて作成し、24日に公開した憲法改正原案[1]を正式に決定した。憲法改正原案には、統治機構改革や憲法裁判所が盛り込まれたが、中でも世間の注目を集めたのは、教育の無償化である。

[*] 本稿では、以下、地域政党大阪維新の会、日本維新の会、分裂前の維新の党、おおさか維新の会といった橋下徹が所属した「維新」と名の付く政党をすべて「維新」と略記することにする。

現行の日本国憲法第二十六条は、次にように教育を受ける権利と義務を定めている。

第二項  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。[2]

おおさか維新の会国会議員団憲法改正原案の参考資料は、現行の第二十六条にはいくつかの問題があると主張する。まず、一項の「能力に応じて、ひとしく」の「能力」は「教育を受けるに足りる精神的、身体的能力の意味[3]」だが、「経済的能力」が読み込まれてしまうことも排除できないとして、「その適性に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有し、経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない」というように変えることを提案している。

また「義務教育は、これを無償とする」を「法律に定める学校における教育は、すべて公の性質を有するものであり、幼児期の教育から高等教育に至るまで、法律の定めるところにより、無償とする」とすることが提案されている。「公の性質」を有するところの「法律に定める学校における教育」とは、幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学など、学校教育法一条で定められている「一条校」及び幼保連携型認定こども園であるが、維新はこれに従来教育機関と位置付けられていなかった保育所を加え、憲法改正原案第二十六条第三項において「幼児期の教育から高等教育に至るまで」無償化することを要求している。

保育が教育と位置付けられなかったのは、かつての厚生省と文部省の縄張り争いの結果にすぎず、「保育は、養護と教育が一体となって行われるものであり、おおさか維新の会は、保育所における教育についても幼稚園における教育と同様に憲法上の無償措置の対象とする必要があると考えている[4]」。

この理念に基づき、維新の吉村大阪市長は、2016年4月から、大阪市内の国公私立の幼稚園や認可保育所に通う子を対象に五歳児の教育費を所得制限なしで無料にした。吉村市長は任期中に三歳児にまで無償化の範囲を広げる意向だ。政府の教育再生実行会議も、三歳から五歳までの幼児教育を無償化するように提言している[5]が、実現には年間約7800億円かかるとされるため、政府は財源を確保した上で段階的に取り組む方針だ。

保育所での幼児教育だけでなく、専門学校をはじめとする専修学校等も、職業又は実際生活に必要な能力を育成する体系的・組織的な教育を行っているのなら、その教育は無償措置の対象となるとのことである。現在義務教育として授業料が完全に無料なのは、国公立の小中学校に限られており、維新が公約に掲げる教育無償化は、それよりもずっと範囲が広いことがわかる。

2012年8月に公表された維新の原点とも言うべき「維新八策」には「格差を世代間で固定化させないために、世界最高水準の教育を限りなく無償で提供する[6]」という理念がすでに盛り込まれていた。今回公開された憲法改正案は、この理念を一歩前に進めたものだということができる。全教育の無償化に必要な財源は、年25兆円の公務員人件費の20%をカットし、国民の平均給与、地域住民の平均給与水準に合わせることで賄うと橋下は言う。

公務員人件費の適正化が年間5兆円の金を生み出す。まずは教育にカネをぶち込んで、幼児教育も、高校も、大学も、大学院も完全無償化。これで子育て世帯の家計はだいぶ楽になるだろう。国も強くなる。年金大改革で「保険」に徹する。人生うまく行った人は年金は要らないだろう。これが維新ノミクスだ。[7]

2. 教育無償化の目的は少子化対策か

維新があらゆる教育を無償化しようとする狙いは何か。よくある解釈は「少子化対策のため[8]」というものだ。教育関係者が教育の無償化を提案するとき、たいがい少子化対策として位置付ける。実際、全国国公立幼稚園長会や全日本私立幼稚園連合会も、少子化対策として幼児教育の無償化を求めている[9]。しかし、松井知事がそうした趣旨の発言[10]をしてはいるものの、「おおさか維新の会国会議員団憲法改正原案の参考資料」にはそのような理由で教育を無償化するべきだとは書いていない。そもそも「維新八策」には「少子高齢化に対応」という文言はあるが、少子高齢化を阻止するべきだという主張はない。

維新のブレーンである高橋洋一は、人口増加率と一人当たり実質国内総生産成長率との相関係数がマイナス0.21で、ほとんど相関性がないことから、「人口が減少しても、1人当たり実質GDP成長率で経済成長を見る限り、経済成長には影響はない[11]」と言っている。だから、維新の政策には、少子化対応はあっても、少子化対策はない。これは他の政党とは異なる維新の特徴である。

私も既に述べた通り少子化対策はするべきではないという考えに賛成である。オックスフォード大学マーティンスクールでの研究によれば、2013年現在米国に存在する雇用のうち、47%はコンピュータによって代替が可能であり[12]、野村総研も、日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能と2015年に試算している[13]

こうした過去のシミュレーションで想定されているコンピュータは、これまで主流であったノイマン型だが、量子コンピュータのような非ノイマン型コンピュータが高性能化すれば、それはまるで人間のような情報処理をすることができるので、さらに人間の雇用を奪うことだろう。これまで機械化が人間の雇用を減らすことはなかったが、それは機械が人間の機能の一部しか代行できないからで、あらゆる機能を人間よりも効率的に果たすことができるなら、人間が優位に立てる雇用はごくわずかになるだろう。現在先進国を中心に少子化が進んでいるのは、労働商品としての人間に対する社会の需要が減っているからであり、投資としては合理的な行動なのである。

それにもかかわらず、日本では、時代の変化を理解していない人たちが、政府に財政出動させて人的資本の供給を増やさせようとしている。例えば、歳川隆雄は、少子化を阻止するべく、第一子に対する子育て支援として一千万円を支給せよと提案している。

そんなことすれば、地方都市の超若年ヤンキー・カップルだけが「カネ欲しさ」で“産めよ、増やせよ”に励むことになる、と皮肉る向きがいるはずだ。

だが、団塊の世代(1947~49年生まれの約800万人)が65歳になり年金の支払い側から受け取り側になった「2015年問題」と、同世代が高期高齢者医療の対象75歳になる「2025年問題」を克服しなければならない。

しかし、同世代の現役引退による技術者不足と高賃金の製造業従事者の減少、一方で介護・福祉や小売り・飲食など低賃金のサービス産業若年就業者が増える労働構造の変化が景気回復を阻害しつつある。

つまり、経済を活性化し成長力を底上げしてカネ回りを良くして景気回復に繋げるアベノミクスのための「トリクルダウン効果」を相殺しているということである。

ヤンキー・カップルでもいいのではないか。高賃金の製造業従事者が減り、低賃金の若年中心の就業者が増え続けているのだから。[14]

歳川は、フランスを「国が子供を育てる」という方針のもと少子化を止めた成功例として称賛している。フランスの出生率は、70年代の後半に2を下回ったが、政府による手厚い子育て支援と支援対象拡大のおかげで、1994年の1.66をボトムに反転し、2006年には2.00にまで回復した。問題はそれがフランスにとって良いことだったのかということだ。

以下のグラフ(図2)は、1975年から2010年にかけてのフランスの若者の失業率と一般の失業率の推移を示したものだ。

image
青色は、若者(15-24歳)の失業率、黒色は一般(15-64歳)の失業率を表す[15]

これを見ると、70年代の後半以降、出生率が2を下回った理由がよくわかる。25歳未満の若者の失業率が一般の失業率を上回る勢いで上昇する傾向にあるのだ。2015年現在、フランスの若者の失業率は25%を超えており[16]、10%以下のドイツどころか、EUの平均すら上回っている。一方でホーム・グロウン・テロが起き、他方で移民排斥を訴える極右政党が躍進するフランス社会の背景には、深刻化する若者の失業問題がある。「フランスを見習え」と言っている日本の脱少子化論者は、フランスのこうした現状をよく見るべきだ。

ちょうど商品が売れなくなると企業が生産を減らさなければならないように、若者の失業率が高くなるなら、出生数を減らさなければならない。需要がないのに、政府が補助金を出して生産を維持させようとすると、在庫の山が積み上がる。労働商品についても同じことが言える。出産優遇策を止めなければ、フランスの失業問題はさらに深刻となるだろう。

かつて、産業革命により、労働商品としての馬の需要が激減したことがあった。

産業革命の初期までは立派に雇用されていた者の職が、20世紀初めにほぼ消滅するという事態が起きた。この被雇用者とは馬である。役馬の数が英国でピークに達しだのは、産業革命からしばらく経った1901年のことだ。この時点で325万頭が労役に使われていた。長距離輸送では鉄道に取って代わられ、機械の駆動では蒸気機関に取って代わられはしたものの、馬はまだ畑を耕していたし、短距離の貨車や馬車を引き、運河で曳き船をし、炭坑で働き、軍隊を戦場まで運んでいた。だが内燃機関が19世紀後半に登場すると馬は急速に駆逐され、1924年にはその数は200万頭を下回った。賃金は払われてはいたが、それでは飼い葉すら買えなくなってしまった。[17]

産業革命が労働商品としての馬の需要を激減させたように、情報革命は労働商品としての人間の需要を激減させるだろう。ここで、産業革命時、政府が役馬の数を維持するために馬の飼育に補助金を出すことは賢明な政策なのかということを考えてほしい。歳川が提案する少子化対策はそれと同じぐらい先見の明がない政策なのである。馬の場合、維持費以上の収益を生まないと分かれば、殺処分にすることができるが、人間の場合、人権があるので、そうはいかない。社会の役に立たない人間が増えれば、現状に不満を持つ人が増え、社会が不安定化するだろう。

もとより、人工知能やロボットといった機械がいくら進化を遂げても、私たちの存在が無意味になることはない。機械が自ら欲望と意思を持たない限り、雇用される仕事がすべて機械で置き換えられても、機械を雇用する仕事が依然として私たちに残されているからだ。だから、私たちは、機械の進化に対して疎外感を持つ必要はない。むしろ機械とともに進化すればよいのだ。これまで機械化は人間を奴隷労働から解放してきたが、そのトレンドは今後も続く。他人に命令されて行う奴隷労働は消滅し、命令する主人の仕事だけが残る。つまり、私たちは、マネージされる仕事から解放され、経営者、投資家、政治家といったマネージする側(広い意味での経営者)に回ることができるということである。

歳川は、自分自身が団塊の世代に属するためなのか、2025年問題など、団塊の世代の老後を心配しているようだ。しかし、今後進む高齢化は生産人口の減少を帰結しない。それはアンチエイジングの医療技術が進歩するからだけではない。年齢とともに肉体と脳が衰えても、肉体はロボットスーツなど強化外骨格(powered exoskeleton )によって、脳はブレイン・コンピュータ・インタフェース(BCI)を持ったウェアラブル端末によって補強されれば、高齢者は働き続けることができる。高齢者が働き続けるなら、年金は不要になるから、少子高齢化は日本にとって脅威ではなくなる。

日本では、パワーアシストスーツが介護士向けに開発されているが、こうした強化外骨格は介護する側ではなくて、介護される側が装着するべきではないのか。今後、強化外骨格はより軽量になり、服のように装着できるようになり、かつウェアラブル端末を兼ねるようになるだろう。高齢者がトイレに行きたいと思えば、BCI のウェアラブル端末がそれを読み取り、強化外骨格が作動して、自動的にトイレに連れて行ってくれる。車の自動運転のみならず身体の自動運転も可能にすることは認知症対策として有効である。ルーティン化した作業は機械に任せることで、人間はもっと重要な仕事に専念すれことができる。人間と機械の関係は企業における経営者と従業員の関係に当たり、そういう意味で、すべての人は経営者化するということができる。

日本人の中には、将来、鉄腕アトムのような人工知能を備えたヒューマノイド・ロボットが人間の代わりに働いてくれるので、人間は働く必要がなくなり、ベーシック・インカムをもらって遊んで暮らすことができると考えている人がいる。他方でそうしたヒューマノイド・ロボットが人類を滅ぼすのではないかと懸念する人もいる。私は、この楽観論と悲観論が共有する前提を疑っている。ロボットをはじめとする機械は私たちの拡大身体として、コンピュータは私たちの拡大頭脳として、人類とともにこれまで進化してきたし、これからもそうなるだろう。だから、私たちはこれからも働き続けなければならないし、私たちが存在しなければならない以上、自分自身の拡大身体や拡大頭脳によって、私たちが滅ぼされることはないだろう。

さらに遠い未来の話になるが、量子コンピュータが私たちの頭脳を凌駕する時が来るなら、私たちの脳の情報を量子テレポーテーションにより、量子コンピュータへ転送するという形でマインド・アップローディングが実現するかもしれない[*]。もしもこうしたトランスヒューマニズムが可能になれば、タンパク質の肉体は不要になり、コンピュータにアップロードされた私たちの心は、インターネットに接続されたあらゆる入力装置と出力装置を自分の身体として選択的に使うことができるようになる。人型ロボット(ヒューマノイド・ロボットとは異なる)による出力も可能だが、その必然性はなく、例えば、3Dプリンタやドローンに直接自分の意思を出力することで、様々な物を作ったり、様々な場所に出かけたりすることができる。

[*] 現在、マインド・アップローディングの技術としてシンギュラリティの信者たちが想定しているのは、全脳エミュレーションであるが、これはたんに私の脳のコピーを作る技術であって、私自身がコンピュータにアップロードされるわけではない。量子脳理論に基づいて、意識が量子力学的な性質に関わっているとするなら、私の意識をコンピュータ上に「私の意識」という意識とともに転送するには、量子テレポーテーションが必要と私は現時点で考えているのだが、これに関しては、もう少し研究してから、結論を出すことにしたい。

マインド・アップローディングは、たんに長生きしたいという私たちの欲望を満たすために行われるのではない。科学技術が進歩するにつれて、有限な能力しか持たない私たちの脳がその担い手として限界があるから、行われるのである。マインド・アップローディングが可能になれば、私たちの脳は頭蓋骨という空間的制約と寿命という時間的制約を超えて、無限に進化することができるようになる。そして、老衰死がなくなれば、高齢者の死亡率は大幅に低下するだろうし、コンピュータ上の意識はコピーによって増殖することもできるので、そうなればますますゼロからやり直す新生児は不要になる。

もっとも、未来予測には不確定性がつきものなので、あまり遠い未来の話をしてもしかたがない。本稿では、話をポスト・ヒューマン以前に限定することにしよう。そう限定したとしても、新生児は大量には必要でない。経営者にとって重要な要件は数ではなくて質であるからだ。子供の養育に使える資源には限度があり、金持ちに課税して貧困者に配分すると、養育資源が薄く広く分散し、質が平均的に低い子供が量産されることになる。これに対して、政府が子育て支援をしなければ、金持ちしか子供を産まなくなるので、養育資源が集中投下され、少数精鋭型の人材育成が可能になる。今後人工知能とロボットが急速に発達することを考えるなら、その方が、政府が金をばらまいて若いヤンキー・カップルに子供を大量に産ませ、その子供を低賃金労働に従事させるという歳川の提案よりも時代の流れに適っている。

3. 維新が教育無償化を重視する本当の理由

維新が教育を無償化する理由が少子化対策でないとしたならば、何が本当の狙いなのか。憲法改正原案の参考資料が強調しているのは、「機会均等」である。維新はもともと機会均等に熱心で、かつては遺産全額徴収を検討していたぐらいである。遺産全額徴収は世間の評判が悪く、維新八策では資産課税重視というソフトな表現になった。しかし「フロー課税からストック課税へのシフトは望ましいか」にも書いた通り、資産課税も好ましい政策ではない。それで、2015年現在の「基本方針」では「資産課税」の文言も消え、代わりに「国民全体に開かれた社会を実現し、教育と就労の機会の平等を保障する」という「機会均等」が強調され、全教育の無償化が目玉政策として掲げられるようになった。

遺産全額徴収にせよ、全教育の無償化にせよ、きわめて左翼的に見える政策だが、維新は左翼政党ではない。保守主義でもリベラリズムでもない第三極、市場原理を重視するリバタリアニズム(自由主義)の立場である。「橋下徹は自由主義者か国家主義者か」でも書いたとおり、維新のシンボルである橋下徹は純粋な自由主義者ではないが、他の政党と比べれば、そちらの方向に近い。

市場原理とは、供給側に自由参入を、需要側に自由選択を最大限認めようとする方針のことである。

市場原理は、その自由さゆえに多様化を、その選択(淘汰)ゆえに最適化をもたらす。一般にシステムが存続を続けるためには、環境適応と変化適応の二つの能力が必要であり、市場原理がもたらす最適化は環境適応に、多様化は変化適応に資する。市場原理が社会システムを持続可能にする上で至上原理であるのは、環境適応と変化適応の両方を同時に可能にするからである。[18]

参入意欲を高め、選択を適正化するためには、競争をイコール・フッティング(equal footing 同等の条件)にすることが効果的である。保護者の所得や学歴と児童生徒の学力には相関性があることが確認されており[19]、政府が何もしなければ、格差が世代を超えて固定化される。それでよしとして、既存の勝ち組の利益を守ろうとするのが保守主義であるのに対して、格差をなくそうとするのがリベラル(革新)の立場である。リベラルが競争の回避、再分配により結果の平等を実現しようとするのに対して、リバタリアンは機会均等を重視し、結果の不平等は容認する。維新は、競争を積極的に激化させようとしている点で、保守とも革新とも異なる。

イコール・フッティングな競争の徹底という維新の政治理念が、維新に所属するすべての国会議員に共有されているわけではない。維新に限った話ではないが、日本の代議士は政策よりも選挙事情で所属政党を決めることがしばしばあり、その結果、政党は不純分子を多く抱えることになる。維新でも、最近の待機児童問題に見られるように、橋下と国会議員との間に見解の相違が生じることがある。次節では、この問題を取り上げることで、維新が教育改革にどのように取り組むべきかを考えることにしたい。

4. 待機児童問題解決のための維新のアプローチ

2016年2月に、はてな匿名ダイアリーへの書き込み「保育園落ちた日本死ね!!!」を民主党(当時)の山尾志桜里議員が取り上げたことをきっかけに、保育所における待機児童問題が再び話題となった。そこで民主党などは、待機児童問題が起きるのは保育士の給与が安すぎて人手不足になっているからだとして、事業者への助成金を通じて保育士の給与を月額1万円引き上げる「保育士処遇改善法案」を提出する方針を3月11日に発表した。この動きに対して橋下は次のようにツィートしている。

今の既得権益者が甘い汁を吸い続けることができる仕組みのままで、また助成金の拡大だって。国民受け狙い。ほんと国会議員、いい加減にしてくれよな。もっと勉強しろ![20]

確かに国会議員は勉強不足である。保育士給与は月額22万円で全産業平均より11万円も低いとされるが、鈴木亘によると、これは公立保育園を除外して計算された数字である。認可保育園の約半分を占める公立保育園の正保育士は地方公務員なので、給与は全産業平均をはるかに上回る[21]。東京23区の公立保育園ともなれば、保育士の平均年収は800万円を超え、園長の給与は約1200万円、都庁の局長レベルである[22]

まず不公平な仕組みを正さないと税を投入しても無駄遣いに終わるよ。公務員正規保育士の高過ぎる給与の是正。それと民間保育所への補助金の在り方も見直さないと。[23]

ところが、3月17日には、橋下が法律政策顧問を務めるおおさか維新の会の国会議員が、保育士の月給を五年で九万円引き上げる対策をまとめ、菅義偉官房長官に提言を提出した。これを受けて、民主党などの野党は翌日に引き上げ幅を月額一万円から五万円にすること決めた。こうした値上げ合戦に対して橋下は、19日に次のように言っている。ここで謂う所の「国会議員」には、維新の国会議員も含まれるのだろう。

国会議員は保育士給料を上げる上げるのオンパレード。保育士不足の原因は、保育士の配置基準と保育士資格の硬直性にあることを、国会議員は誰も指摘しない。今の保育士の配置基準を所与の前提に足りない足りないとは知恵が足りない。保育士資格ももっと多様化すべき。[24]

それで維新は、憲法改正原案を発表した3月24日に、橋下の意向を踏まえた提案「保育政策の改革ビジョン」を塩崎厚生労働大臣に申し入れることにした[25]。この「改革ビジョン」には、保育士の月給を五年で九万円引き上げるという内容はなく、代わりに「保育士の官民給与格差の是正、同一労働同一賃金[26]」が盛り込まれている。

この他、改革ビジョンには、保育士要件の多様化、家社会福祉法人と株式会社のイコール・フッティング、保育バウチャー制度導入など、自由主義的な改革案が打ち出されている。橋下流の規制緩和の提案に対するお決まりの反論は、以下のようなものだ。

保育士資格を弾力化して、事故が増えたら、あなたは責任を取らないでしょう。あなたが大好きな規制緩和と自己責任で、企業は儲けやすくなるかもしれないけれど、子どもや親や保育士はさらに追い詰められます。いいかげん止めてください。[27]

親が自分の子供を自宅で育てる時、子どもの数がいくら多くても、保育士資格はいらないし、公立認可保育園に要求されるような規制に縛られることはない。それで事故が起きれば自己責任という現状に対してこの人は何も言わないのか。間違った保育で命を落とす子供の立場で考えるなら、保育者が実の親ならよいが、それ以外なら許容できないということはない。子供の命を守るためには、自宅保育でも施設保育でも同じ安全基準が満たされなければならないのだが、そうではないのは、安全性を口実に設けられている認可保育所の規制の本当の目的が、新規事業者の参入の阻止と認可保育所の寡占権益保護だからだ。

こう言うと、2015年4月1日より「子ども・子育て支援法」が施行され、認定こども園、幼稚園、認可保育所以外にまで給付費の支給対象が広がったと反論する人もいるだろう。確かに、家庭的保育(定員5人以下・2歳児以下)や小規模保育(定員6~19人・3歳児以下)などをも地域型保育の担い手として重視するようになったのは一歩前進と評価することができる。しかし、子ども子育て支援新制度においても、政府は依然として新規事業者の参入を阻止し、認可保育園の寡占権益を保護しようとする従来の姿勢を大きくは変えておらず、市場原理に否定的な保育行政の問題は本質的に変わっていない。

旧制度の保育ママ制度は、新制度においては家庭的保育事業に移行し、市町村から認可及び確認を受けることによって、公的な財政支援である地域型保育給付を受けることができる。しかし、そのためには、保育従事者は、所定の研修を修了し、保育士と同等以上の知識と経験を有すると認められなければならない。さらに、保育ママ事業において認められていた弁当持参が認められなくなり、原則として、保育者とは別に調理業務に従事する調理員を配置し、自園調理を行わなければならない[28]。だが、この規制は不可解である。自宅で自分の子供を育てる時、子供が三人もいるからといって専属コックを雇わなければならない必然性があるだろうか。

一人の保育者が三人の子供を保育する家庭的保育での調理員の配置は経済的負担が大きすぎるので、新制度では連携施設から給食を搬入することも認められている。連携施設とは、認定こども園、幼稚園、保育所といった役所から特権を与えられた施設で、家庭的保育や小規模保育では、こうした特権施設と連携することが義務付けられている。ところが、連携施設の中には、給食を外部搬入しているところもある。その場合、外部搬入先から直接搬入した方が、新鮮な給食が可能になってよさそうなのだが、国はこれを認めない。「食事の提供の責任は地域型保育事業を行う事業者にあり、その管理者が必要な注意を果たし得るような体制及び調理業務の受託者との契約内容を確保しなければならない[29]」と言うのだが、外部搬入先が信用できないのなら、連携施設もそこから給食を外部搬入するべきではないのではないか。

連携施設は、給食搬入以外にも、合同健康診断、園庭開放、保育士急病の場合の後方支援などが連携内容だが、なぜこうしたアウトソーシングを特権施設に限定しなければならないのか。そもそも、なぜ連携施設の設定は義務なのか。国は「小規模保育事業を卒園した後、確実な受け皿(転園先)があることが保護者の安心感や事業の安定性を確保していく上で、極めて重要[30]」と説明するが、卒園後どこに行くかは保護者の自由のはずだ。連携の義務化は、役所がいかに消費者の選択の自由を軽視しているかを如実に語っている。

いったい、なぜ家庭的保育では2歳児以下、小規模保育では3歳児以下という年齢制限があるのか。国は「3歳児以降は、子どもの人数の多い集団の生活の中で育つことが発達段階として重要[31]」と説明するが、それが本当なら、なぜ同じことを自宅で自分の子供を保育をする親に対して言わないのか。本当の狙いは、コストのかかる低年齢児を地域型保育に押し付け、待機児童問題による国民の不満を鎮静化させる一方、特権施設と対等に競争できる業者が現れることがないように、支給対象を特権施設に対して従属的な地位に留めておこうとするところにあるのだろう。

保育サービスの良し悪しを選別する権利は、本来政府や自治体ではなくて、消費者にあるべきであって、保育サービスのコスト・パフォーマンスを向上させるには、市場原理をできるだけ導入する、すなわち参入障壁をできるだけ低くし、参入業者にイコール・フッティングな競争をさせ、消費者に選ばせることが必要である。維新の「保育政策の改革ビジョン」が保育バウチャー制度導入を提案しているのは、このためである。

橋下は、認可外保育所やベビーシッターに子供を預けやすくするため、保護者に保育サービス限定のバウチャーを支給する保育特区を大阪に作ることを国に提案したが、抵抗勢力の反対により実現しなかった。

大阪ではバウチャーに挑戦した。高校、学校外教育の分野で。そして保育所・幼稚園でも挑戦した。しかしこれを実行しようと思えば、制度改革だけではなく、現状維持を望む勢力からの凄まじい反発とそれを背景とする議会の反発を乗り越えなければならない。バウチャーを実行できる政治家はまずいない。[32]

抵抗勢力が反対する時に持ち出す表向きの理由は安全性である。しかし、認可保育所の規制は、子供の安全性を確保する上で不必要なものが多い。業界の利益ではなくて、子供の利益を第一に考えるなら、施設保育の規制を今よりも大幅に緩和し、他方で自宅保育に対しても同様の規制をかけるべきだということになる。

保育は、長い人類の歴史の中で、今ほど大きな社会問題にはならなかった。かつては普通に存在した大家族制において、育児は母親だけの仕事ではなかった。育児経験が豊富な祖父母、場合によっては、母親の兄弟姉妹、それに子供までが部分的に保育に参加した。特に娘は、弟や妹の世話を手伝うことで、育児経験を積んだので、自分が母親になって初めて育児をするということはなかった。また、地域コミュニティが機能していたので、子供同士が遊ぶ場所にも事欠かなかった。

ところが、現代では核家族化が進み、地域コミュニティが消滅し、児童労働が禁止され、子供が遊べる場所も限られ、その結果、母親が自分が産んだ子供で初めて育児体験をし、周囲から十分な知識を得られないまま孤独に自宅で密室保育を行うという人類史上かつて存在しなかった特異な保育スタイルが増えてきた。育児ノイローゼ、児童虐待、子供の異常行動など、現代の子育てで見られる病理は、密室保育の不自然さを原因の一つとしている。

それならば、行政は、子供の安全と健全な発育のために、たんに施設保育だけに介入するのではなく、自宅保育にも何らかの介入をするべきだということになる。もとより、大家族制や地域コミュニティを復活させるということは難しいが、それをバーチャルに実現することなら比較的容易だ。具体的にどうするかは後で述べることにしよう。

5. 教育の無償化に必要なことは何か

現在、待機児童問題がホットな話題になっていることから、保育についての話が長くなったが、本稿の主題は教育一般なので、保育(これは幼児教育という特殊な教育の一分野である)から教育一般へと議論を一般化することにしたい。橋下の教育行政に対する取り組みは、保育行政に対する取り組みとほぼ姿勢は同じである。橋下は、自らの改革手法を一般化して、次にようにまとめている。

僕の改革手法は、税が公平に使われる仕組みを作ってから、税の投入額を増やすという手順。仕組みを正さなければ、いくら税投入しても既得権益者に税が回るだけ。文化行政でも、まずは公平に税が流れる仕組みを作ることに腐心し、その過程で一部補助金カットも断行した。[33]

保育行政も同じ。まずは公務員正規保育士の高すぎる給与を是正。その上で公務員非正規保育士の給料を上げた。同一労働同一賃金を実行した。余裕のある民間保育所に支給されていた補助金一部をカット。その分を小規模保育事業や保育ママ事業に回した。[34]

教育を無償化する時も、橋下のこの改革手法に従って行うべきであろう。私教育が教育の実質を担いながら、税の恩恵を受けるのは公教育という不公平な仕組みを正さなければ、いくら税投入しても公教育の従事者という既得権益者に税が回るだけである。国会議員団憲法改正原案は、「無償措置につき、国の財政状況を勘案して、私立学校等に関する支援限度額等の導入も立法政策として許容する[35]」としつつも、無償化のために現状以上に公教育に税投入することを目指している。これは、橋下の改革手法に反するのではないか。

そもそも、維新が教育に力を入れるのは、機会均等と公平な競争を実現するためである。それならば、教育産業にも機会均等と公平な競争を実現するべきだ。富裕層がそうでなければ私教育に使うであろう金を税金という形で徴収し、公教育の無償化に使うなら、それは「税が公平に使われる仕組み」とは言えない。だから橋下は、塾で使えるバウチャーを発給することで、公教育と私教育がイコール・フッティングに競争できる仕組みを大阪で作ろうとした。そうした改革の方向は間違っていないが、公教育と私教育がイコール・フッティングの競争をすることができる仕組みを作るなら、その教育の担い手は政府や自治体である必要はなくなる。政府と自治体が、公教育を廃止し、保育所から大学に至るまで、所有する教育施設を民間に売却すれば、公債の現金償還が可能になるし、教育におけるイコール・フッティングの競争を促進することになる。

但し、教育バウチャーには限界もあることを指摘しなければならない。教育バウチャーは、ミルトン・フリードマンの提案[36]以来、教育に市場原理を導入する仕組みとして知られており、私もかつて支持したことがあるが、バウチャーが不正利用されるという欠点がある。そこで現在、私は、教育と教育の成果に対する評価という二つの機能を分離し、政府や自治体の仕事を後者に限定し、前者は市場経済に委ね、政府や自治体は教育そのものではなくて、教育の成果に対して金を出すことを提案している。こうすれば無意味な(成果の出ない)教育は市場原理によって淘汰され、公的資金が成果の出る教育に対して効率的に使われるようになる。

教育機能と評価機能を公教育の学校で一体化させ、教育の成果ではなくて教育そのものに公的資金を提供する弊害が顕著に出た最近の事例として、ウィッツ青山学園高等学校による就学支援金の不正受給問題がある。通信制の生徒に対して、USJ での土産の買い物での釣り銭計算を数学の授業、バスでの映画鑑賞を英語の授業、ドライブインでの食事を家庭科の授業などとして単位認定していた。高卒の資格を安易に手に入れたい生徒と手っ取り早く金を稼ぎたい株式会社立学校の思惑が一致して、こういう無意味な教育に税金が投入される結果となった。教育そのものに金を出すバウチャー制度では、こうした不正事件を未然に防ぐことが困難である。

教育のスタートラインで、しかも教育の成果の判定が難しい五歳児までの幼児教育に関しては、バウチャー制度でよい。幼児教育の場合、資格が取れるわけではないので、ウィッツ青山学園高校のような不正は起きにくい。しかし、六歳児以降は成果報酬型にするべきだ。成果の出ない教育は教育とは言えないのだから、公的資金による助成の対象にする必要はない。

維新は、宗教法人が設立した私立学校を無償化することが、政教分離の財政面での徹底を求める日本国憲法第89条[37]に違反する可能性があることから、「憲法八十九条の整理も必要となるか[38]」と書いている。日本国憲法第二十六条がすべての教育の無償化を明示的に禁止していない以上、維新の公約を実現するために変えなければならないのは、実は第二十六条ではなくて、第八十九条の方である。

しかし、私の提案なら、どちらも変える必要はない。教育そのものではなくて、教育の成果に公金を支出するという方法なら、宗教法人が設立した私立学校で行われる宗教教育や日本国内の朝鮮学校が行っているチュチェ思想の教育に税金が使われることはない。公教育の廃止は一見ラディカルな改革のように思えるが、憲法は義務教育については規定しているものの、公教育に関しては何も言及しておらず、実は憲法を改正しなくても実行できる政策であり、その点では維新案よりも実現のハードルは低い。

維新案で、憲法改正のよりもハードルが高いのは財源である。橋下は、公務員の給与を国民の平均給与、地域住民の平均給与水準に合わせ、年25兆円の公務員人件費の20%をカットすることで5兆円の財源を生み出すことができると言っている。

公務員人件費の適正化が年間5兆円の金を生み出す。まずは教育にカネをぶち込んで、幼児教育も、高校も、大学も、大学院も完全無償化。これで子育て世帯の家計はだいぶ楽になるだろう。国も強くなる。年金大改革で「保険」に徹する。人生うまく行った人は年金は要らないだろう。これが維新ノミクスだ。[39]

一般に、価格を下げれば、需要が増大する。無償化すれば、教育に対する需要は今よりもはるかに大きくなるだろう。グーグルの創業者の一人、ラリー・ペイジは、人工知能の急速な改善により、十人のうち九人が、将来、今やっている仕事をやらなくなるだろうと予測している[40]。九割という数字が妥当かどうかは別として、今後、クリエイティブな仕事に挑戦することを余儀なくされる人が増えることは確実である。だから、イノベーションの速度が低かった過去とは異なり、今後、教育はあらゆる年齢層が必要とするサービスになるだろう。もしもそうした教育を、コスト・パフォーマンスの低い公教育に税金をつぎ込むことで無償提供しようとするなら、五兆円では足りなくなる。

では、どうすればよいのか。情報革命によって惹き起こされる問題は、情報革命で解決すればよい。公教育では、十九世紀の工業社会の時代と同じような授業が行われている。工場で規格品を量産する時のように、教室に大勢の生徒を集め、規格化された教材を使い、規格化されたカリキュラムに沿って、一斉同時授業が行われているのだ。私教育では、代々木ゼミナールの没落に見られるとおり、大きな教室で行うマス教育は時代遅れになりつつある。代わって新しいトレンドとして台頭してきたのは、映像授業と個別指導である。バーチャル化とパーソナル化は、情報革命において顕著にみられる特徴である。

もっとも、現行の映像授業や個別指導は、情報社会の時代の教育のありかたとしてはまだ過渡的な段階にある。映像授業はパーソナル化が不十分で、個別指導はバーチャル化が不十分であるからだ。映像授業の先駆者である東進衛星予備校は、授業のライブラリーを一万種類以上保有しており、生徒の特殊なニーズに合うように映像授業を提供できるようにしているので、ある程度パーソナル化されていると言えなくもないが、本来双方向メディアであるインターネットを活用しているスタディサプリなどとともに、インタラクティブではない。他方で、個別指導の方は、工業社会以前から存在した家庭教師という最も原初的な教育方法からあまり進化していない。個別指導を人間が行うなら、マス教育よりももっとコストがかかってしまう。

私は、将来、パーソナル化による質の向上とバーチャル化による価格破壊を兼ね備えたコスト・パフォーマンスの高い教育が人工知能の進化により可能になると考えている。以下、私が思い描く、未来の教育のありかたについて説明しよう。

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代表的な VRHMD であるオキュラス・リフトを装着している少年[41]。オキュラス社を買収したフェイスブックのマーク・ザッカーバーグは、保有するフェイスブック株の99%(450億ドル)に相当する資産の一部をパーソナライズド・ラーニング(個人学習)に投資をする決意を表明しており[42]、今後二つの投資がどう結びつくかが注目される。

現在のオンライン教育は、画面に映った講義の動画を視聴するという味気のないものだが、未来のオンライン教育では、上の写真にあるような VRHMD(バーチャル・リアリティ・ヘッド・マウント・ディスプレイ)を装着することで、リアルな授業に出席しているのと変わらない臨場感を体験できる。お気に入りのキャラクタを選んで、教師にすることもできるし、伝統的な講義形式以外にもゲーム形式やクイズ形式などを選ぶこともできる。一人で学ぶこともできるが、友人と一緒に学ぶこともできる。といっても、友人と同じ場所に集まる必要はない。それぞれ自宅にいても、ネット上でつながることで、バーチャル・リアリティの中では、机を並べて勉強することができる。友人がいないという人は、ソーシャル・メディアなどを通じて、自分と同じことを勉強している人を見つければよいだろう。リアルの授業では、私語は厳禁であるが、バーチャル・リアリティの中では私語が許されるどころか、私語の最中は先生は授業を中断して、終わるまで待ってくれて、それに反応してくれる。

従来の映像授業やオンライン動画による講義では、一方通行で質問ができない、切磋琢磨できるライバルがいない、周囲の監視がなくて怠けがちになるといった点がデメリットとされていたが、この方法なら、そうしたデメリットを克服することができる。友人と一緒に勉強する場合、特定日時の受講に拘束されることになり、そうした拘束が怠惰な学習者にとっては自分を律する上で好都合になる。自律の能力があって、拘束を嫌う学習者なら、一人で受講すればよい。人工知能の先生が、学習者のどんな質問にも適切に答えられるようになるのは、かなり先の話だ。それまでは人間が質問に答えることになる。基本的な授業は無料で、人工知能には無理な質疑応答は有料オプションというビジネス・モデルが採られることになる。もっとも人工知能は、人間の教師と同様に、教える体験を積むことで教えるのがうまくなる。将来は、質疑応答の能力でも人間を凌駕する時が来るであろう。

工業社会型の教育では、校舎の建設費や教員や事務員の人件費などのコストがかかるが、人工知能によるバーチャル・リアリティでの教育なら、教育コストを大幅に下げることができる。ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通じてパーソナライズド・ラーニング(個人学習)に2億4000万ドル(約270億円)以上を投資したマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツも、将来人工知能により、家庭教師が無料になると予測している[43]。人件費が高かった時代には、人件費を削減し、コスト・パフォーマンスを高めるために、学習者には予習と復習を自分一人ですることが要求されたが、人工知能が教えるなら、予習や復習に相当する学習プロセスまでやってくれるようになる。そのため、落ちこぼれが出にくくなる。

教育には、座学だけでなく、実技の訓練もある。飛行機の操縦を学ぶ時、まずはフライト・シミュレータを使うように、バーチャル・リアリティでもある程度の訓練はできる。しかし、最終的にはリアリティでの訓練、すなわち実際に飛行機を飛ばすことが必要だ。この場合、役に立つのは、VR ではなくて、AR(Augmented Reality 拡張現実)用のヘッド・マウント・ディスプレイである。拡張現実とは、現実世界に対してコンピュータが情報を付加することで、現在でも、道や店舗の案内、技術者に対する操作情報提供、医療分野での手術支援に拡張現実の技術が使われている。もっとも人工知能が発達すれば、人工知能が直接飛行機の操縦を行うので、操縦士の教育に人工知能が使われることはないだろう。VR とはことなり、AR による教育にはコストがかかるが、需要が少なくなるので、全教育無償化の妨げになることはない。

維新がやろうとしているように、公教育という特権産業に税金を投入することで教育サービスを無料にするという政策は、十九世紀型の古くてコスト・パフォーマンスの低い教育を延命させ、結果として財政を危機的状況に陥らせることになる。私が提案しているように、成果報酬型にすれば、コスト・パフォーマンスの低い教育が淘汰され、小さな財政負担であらゆる教育サービスを実質的に無料にすることができる。同様に、待機児童問題に関しても、認可保育所というコスト・パフォーマンスの低い特権産業に税金を投入することで解決しようとしてはいけない。これに関しては、次の節で改めて取り上げることにしよう。

6. 人工知能による待機児童問題の解決

待機児童問題を解決するために、もっと認可保育所を作れ、もっと税金を投入せよと言う人は多いが、そういうことを言う前に、まず既存の認可保育所のコスト・パフォーマンスがどの程度なのかを確認しなければならない。2015年現在、東京都の中で二番目に待機児童数が多い東京都板橋区の場合、ゼロ歳児一人にかかる費用は、毎月約41万円である[44]。保護者の負担がたったの4.64%であるため、入所希望者が多いが、希望者が多いからと言ってもっと増やすべきなのだろうか。東京都の女性の平均月収は、二十代後半で27万円、三十代前半で29万円である[45]。平均的に毎月30万円弱しか稼がない女性を外で働かせるために、41万円の費用を託児保育にかけることは、経済的に非合理である。

子供一人あたりにかかる経費は、年齢とともに下がり、四、五歳児なら毎月十万円程度である。それでも、保護者の負担する割合は16%程度で、本当のコストが認知されていない。もしも認可制度を廃止し、政府や自治体が施設給付を止めれば、保育所の利用料金は本当のコストを反映するようになり、待機児童どころか大幅な定員割れで、大半の保育所は閉鎖に追い込まれるだろう。これこそが待機児童問題の究極的な解決策である。高層ビルが林立する大都市の真ん中に、広い園庭と低層の園舎を有する保育園を建設するという経済的非合理が規制と補助金のおかげでまかり通るという事態を解消できることは、社会全体にとって好ましいことだ。

だからといって、子育てをしている女性は外に出て働く必要はないと言っているのではない。保育所が足りない、保育士が足りないと言って、認可保育園を造ったり保育士の給与上げたりするために税金を湯水のごとく使うよりも、保育ができるスペースも保育をしている母親も全国に多数存在するのだから、それをウーバリゼーションで有効活用し、保育サービスのコスト・パフォーマンスを改善するべきだと言いたいのだ。

ウーバリゼーション(Uberization)とは、自動車配車アプリのウーバー(Uber)に由来するシェアリング・エコノミー(共有経済)のことである。日本の自治体は「交通弱者の足を守れ」という政治的スローガンのもと赤字のバス路線を補助金投入で維持しているが、ガラガラのバスを税金で走らせなくても、一般乗用車の座席にいくらでも空席があるのだから、それをネット上のマッチングで活用できるように白タク規制を撤廃すれば、交通弱者対策になる。また、最近外国人観光客の増加で、ホテル不足が深刻になっているが、一般民家に空き部屋はいくらでもあるのだから、立派なホテルを建設しなくても、旅館業法の規制を緩和すれば、Airbnb (エアビーアンドビー)のような民宿のマッチング・サービスで宿泊所不足の問題を解消することができる。同じことを保育サービスで行えばよい。

実は維新の「保育政策の改革ビジョン」も、家庭的・小規模保育事業の拡大のために「ITによるマッチング[46]」を、120~200時間の研修の義務付けを条件に始めることを提案している。保育士になるには、所定の学歴もしくは勤務経験に加え、国家資格試験に合格することが要求されるのだが、保育士試験の合格率は、10-20%と低い。保育を行うためにこれほど難しい試験に合格する必要があるのか疑問である。

規制緩和に反対する人たちは、120~200時間程度の研修では不十分というかもしれないが、もっと短い研修でも安全な保育ができるようになる方法がある。すなわち、たんに保護者と事業者が双方を見つけるためだけに IT を使うのではなくて、保育サービスそのものに IT を使うのである。ユニファ株式会社は、2015年8月に世界初となる保育ロボット “MEEBO” を発表した[47]。このロボットは、たんに子供たちと遊んだり、子供たちの動画を撮影したりするだけでなく、内蔵のサーモグラフィ・カメラで子供たちの体温を測り、発熱した子供を感知して、保育者に注意を促す機能を持つ。将来、人工知能がもっと発達すれば、子供が、例えば、不適切なものを飲み込もうとしたり、うつぶせ寝の姿勢になろうとしたりすると、それを保育者に警告するなど、高機能化することだろう。

私たちは子供を事故から守らなければならないだけでなく、虐待からも守らなければならない。だから、自宅保育、施設保育を問わず、子供をクラウド上の人工知能に24時間体制で監視させるシステムを義務化する必要がある。監視しているのは人工知能なので、プライバシーの侵害にはならないが、人工知能が虐待を疑ったり、あるいは保護者が長時間にわたって子供を人工知能の監視から外したりすると、人工知能が警察に通報し、警察は裁判官が発する令状により家宅捜索ができるものとする。厚生労働省は、児童虐待防止のため、児童相談所の人員を増やすなど機能強化を行っているが、児童虐待を未然に防ぐには、人工知能による監視システムを導入した方が効果的ではないのか。

人工知能による監視を義務付ける以上、そのサービスは無料で提供しなければならない。政府がサービスを提供すると、イノベーションが進まなくなるので、民間企業に緩い登録基準で自由参入させ、費用は、既に述べた通り、バウチャーで支払う。その場合、虐待探知機能が低いシステムが逆選択される可能性があるので、そうしたシステムは、事件発覚後登録取り消しにすれば、企業側に逆選択を求めるインセンティブが働かなくなる。また、保育者が幼児虐待の犯罪者になることを防ぐ機能を充実させるなら、そうした人工知能のシステムが忌避されるということはないはずだ。

現行制度では、認可保育所に入所している世帯は多額の補助金の恩恵が受けられるが、自宅や認可外の保育所で保育をしている人はそうではない。認可保育所は、保育の安全性のために多くの規制がかけられているが、自宅や認可外の保育所での保育はそうではない。私の提案は、こうした不公平さをバウチャー制度で解消すると同時に、新規参入を阻止するために設定された無意味な規制を撤廃することを目指している。

人工知能は保育だけでなく、幼児教育まで行うことができる。2016年4月に、IBM は、児童向け番組「セサミストリート」を制作する Sesame Workshop と協力して、人工知能 Watson による幼児教育プラットフォームを開発すると発表した[48]。Sesame Workshop の45年以上にわたる幼児に最適な学習法に関する研究を Watson の人工知能技術と組み合わせることで、幼児ごとの好みやレベルに応じてパーソナライズされた学習体験を提供するという。

今のところ、MEEBO にせよ、Watson にせよ、保育者や教師の役割を補完するにすぎないが、将来は、人工知能だけで保育や幼児教育が行われるようになるだろう。VRHMD を使えば、子供たちをあらゆる世界へとバーチャルに連れて行き、お気に入りのキャラクタとともにゲーム感覚で学習をすることができるようになる。それならば、保育や幼児教育のために専用の施設を作らなくても、自宅の一室で、十分に質の高い保育や幼児教育のサービスを提供することができるようになるだろう。

7. 少子化を止めないためにはどうするべきか

維新が教育を無償化する目的が機会均等による市場原理の徹底であって、少子化対策ではないことは既に述べたが、教育が無償になれば、それだけ育児コストが下がり、結果として少子化を止めることになりかねない。だが今後、人工知能の進化に伴って大量の失業者が出ることを考えるなら、人口増加は望ましくない。少数精鋭の人材育成が必要である。

そこで人口抑制策として、養育保険を提案したい。自動車を使用する際、全ての運転者に自動車損害賠償責任保険への加入を義務付けるように、婚姻届による入籍に保険料の一括支払いを義務付ける。一括支払いとなる保険料は高額であるため、これによって低所得、低資産の階層が結婚して、無責任な出産をすることを阻止することができる。また子育てを目的としない、不純な動機による結婚を抑制する効果もある。

この保険は、子供という第三者の人権にかかわることなので、任意保険にはできない。保険料を支払わずに私生児を産んだ場合は、ペナルティとして、割増の保険料を科すことにしよう。養育保険への加入を義務化することで、障碍児が産まれる、保護者が死亡、失業、離婚するなどの理由により、保護者が子供を自力で十分に養育することができなくなっても、子供に保険金が支払われ、健全な養育が損なわれないようにすることができる。こうすれば、少数精鋭の人材育成が可能になる。

国立社会保障・人口問題研究所によると、生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない人の比率)は、2010年現在、男性が20.1%、女性が10.6%で[49]、今後さらに上昇する見通しだ。“「結婚できないの俺だ」日本どうすんだ!” と言う人もいるが、これは悲観するべき傾向ではない。結婚して子供を産むというのは、金持ちにのみ許される贅沢と考えるべきだ。

子供の数を減らすことは、大量参入・大量淘汰という市場原理に反するから、出産数の制限という「参入規制」を撤廃し、たくさん子供を産ませるべきではないのかという反論もあるかもしれない。実際、生命はこれまで多産多死の方法で進化してきた。しかし、今の私たちの倫理規定からすれば、たくさん人間を作って、熾烈な生存競争によりたくさん死なせるという方法は採用できない。だから代わりに、法人というバーチャルな生命体を作り、このバーチャルな生命体に多産多死の市場原理を適用することで、イノベーションを促さなければならない。

8. 教育無償化のために政治は何をするべきか

最後に結論をまとめよう。公教育や認可保育所といった特権産業に補助金を支給することで教育や保育を無償化しようとすると、教育や保育のコストを下げるイノベーションを阻止することになる。だから、政府は認可制度を廃止し、教育も保育も市場原理に委ねるべきだ。そうすれば、教育も保育もサービスのコスト・パフォーマンスが高まり、わずかな財政支出で教育や保育を無料化することができる。そもそも、子供を産むことが金持ちにのみ許される贅沢になるなら、子育てに巨額の財政支出を行うことに国民のコンセンサスを得ることは難しくなる。

教育や保育を自由化することは、しかしながら、政治的には実現が困難である。特権施設への助成金利権に群がる文教族がいる自民党や教員の雇用を死守しようとする日教組が支持母体の民進党は反対するだろう。維新は、本来この点で独自のリバタリアンなスタンスを取ることができる政党のはずだが、公教育の温存を前提とするなど、独自性は徹底されていない。しかも、少数政党なので、国会全体としては自由化は一向に実現しそうにない。

政治家からすれば、投票場に来てくれるかどうかもわからないサイレント・マジョリティである消費者一般のために政治をするよりも、たんに投票場に来てくれるだけでなく、組織的に選挙を応援してくれる特定生産者のために政治をした方が、保身には都合がよい。だが特定生産者を保護する政治は、たんに消費者にとっての利益にならないだけでなく、最終的には生産者の利益にもならない。保護主義を続ければ、生産性、競争力の低下により生産者・消費者を含めた社会全体が貧しくなるからだ。

ウーバーの利用者が増えると、既存のタクシー業界が、自分の仕事がなくなると言って、これに反対する。エアビーアンドビーの利用者が増えると、既存のホテル業界が、自分たちの客が奪われると言って、これに反対する。これらの業界は規制の恩恵を受けてはいても、補助金をもらっているわけではない。規制によって守られ、補助金の支給を受けている特権的な教育・保育業界が、特権の放棄につながる自由化や雇用の喪失をもたらすイノベーションに賛成するはずがない。

産業革命で失業した手工業職人たちは、ラッダイト運動と言われている機械破壊運動を起こした。それに因んで、IT や人工知能によって失業することを恐れ、情報革命を阻止しようとする人たちは、ネオ・ラッダイトと呼ばれる。だが、現在のグローバル経済の下で生産性向上のための競争をしている各国にとって情報革命を停止するという選択肢はない。

2016年4月27日に、経済産業省は、ロボットや人工知能の活用が進めば、2030年までに161万人の雇用減少ですむが、そうしなければ、735万人減少するという試算結果を公開した[50]。数字に関しては異論もあるかもしれないが、重要なことは、イノベーションを進めれば、確かにネオ・ラッダイトたちが心配するように雇用が失われるが、イノベーションを進めなければ、日本が国際競争で敗れ、貧しくなることでもっと失われるということである。

私は前回の「日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか」で、正規雇用という規制によって守られた特権を維持することは、たんに非正規雇用にそのしわ寄せがいくだけでなく、生産性を低めることで社会全体を貧しくするという指摘を行ったが、同じことは教育や保育における特権産業についても言える。自由化とイノベーションの促進は、一時的に大量の失業者を生み出すが、失業者達も、無償で再教育を受けることができるなら、再び仕事を通じて社会に貢献できるようになるだろう。そして、その教育を無償化するためにも自由化とイノベーションの促進が必要なのである。

9. 追記:教育無償化のために増税するべきなのか

本稿を書いてから3年以上が経つ。執筆時の2016年5月時点では、教育無償化を打ち出したのは維新の会だけであった。ところが、2017年6月には、民主党時代から高校授業料の無償化を進めていた民進党(当時)が、一歩踏み出して、「教育に係る経済的負担の軽減を図るための学校教育の無償化等の推進に関する法律案」を衆院に提出し、就学前教育から高等教育までの授業料を実質無償化する方針を打ち出した。すると、民主党政権の高校授業料無償化を「理念なき選挙目当てのバラマキ」と批判していた自民党までが、2017年10月の第48回衆議院議員総選挙を前に幼児教育無償化や高等教育の負担軽減(給付型奨学金や授業料の減免措置の大幅拡充)を公約に掲げた

実は、自民党は、2005年の郵政解散の時も「幼児教育の無償化を目指す」ことを公約に掲げていたので、必ずしも変節とは言えないのだが、長い間眠っていた公約を2017年の総選挙で自民党が目玉公約として持ち出したのはなぜなのか。一つの理由として、争点潰しを挙げることができる。一般的に言って、与野党が対立する政策を掲げる時、有権者は、自分が好ましいと思う政策を掲げている政党に投票する。与野党が同じ政策を掲げている時、その政策に同意する有権者はその政策を確実に実行することができる政党、すなわち与党に投票する一方、反対する有権者も政権批判には回れない。だから、与党からすれば、与野党間に争点がない方が有利である。2019年6月の記者会見で、安倍総理は、翌月の参院選の最大の争点は「政治の安定」であると言ったが、これは政策上の争点は何もないということだ。このように、野党の政策をまねし、争点を潰すことで与党にとって有利な選挙結果をもたらすことは安倍総理が得意とする選挙戦術なのである。

安倍総理が幼児教育無償化や高等教育の負担軽減を公約にしたもう一つの理由として、2019年10月に予定されている消費税の増税というムチを国民に受け入れてもらうためにアメを提示する必要があったということを挙げることができる。もしも、消費税の増税で増えた税収をすべて国債償還に充てるなら、有権者にありがたみを実感してもらえない。幼児教育無償化や高等教育の負担軽減という形で増えた税収の一部を国民に還元するなら、国民は増税に納得してくれるにちがいないという期待があったのだろう。実際、安倍総理は「頂いた消費税を全て国民の皆様にお返しするレベルの十二分の対策を講じ」ると言っている。幼児教育無償化や高等教育の負担軽減もそうした対策の一つということである。全て国民に返すぐらいなら、最初から取るなと言いたくなる人もいるだろうが、私はもっと根本的なところを問題にしたい。それは、幼児教育に力を入れるためには、増税が必要なのかという点だ。

幼児教育の重要性が広く認識されるようになったのは、ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン[51]の『幼児教育の経済学』に負うところが大きい。ヘックマンによると、人的資本への投資において最も収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育である。教育といっても何か知識を教えるのではなくて、自制心、忍耐力、リーダーシップなど非認知能力をこの時期に育むこと、つまりしつけをしっかりすることは、その後の学業や就職などでの成功につながるということだ。たしかに、自発的に学ぶよう子供をしつけることに成功したなら、就学後、教師や保護者が子供のおしりをたたいて勉強させる必要はなくなるのだから、コストがかからなくなる、つまり、収益率が高いと言うことができる。それなら、収益率が低い就学後の教育に使われていた予算を収益率が高い就学前のしつけに回すことで、予算の規模を変えることなく、より大きな教育成果を出すことができる。つまり、長期的に見れば、増税は不要であるということになる。

それなのに、安倍総理は、高等教育での給付型奨学金や授業料の減免措置の大幅拡充といった公約を掲げていることからもわかるとおり、就学後以降の教育予算を減らすどころか増やそうとしている。現在の就学している世代は、幼児教育無償化の恩恵に浴していないのだから、教育予算を減らすことはできないという反論もあろうが、移行措置に伴う一時的な支出の増加なら、増税ではなく、国債の発行で対応することができる。増税するということは、恒常的に予算規模を大きいままにしようという決意の表れである。日本は、他の経済協力開発機構(OECD)加盟各国よりも国内総生産(GDP)に占める公的教育支出の割合が低いので、もっと高めるべきだと主張する人もいるが、他の経済協力開発機構(OECD)加盟各国の学力の平均は、日本よりも低い。日本がなぜ日本以上に教育成果を出していない国の模倣をしなければならないのか。

日本の子供の学力が他の先進国よりも高い理由の一つは、公教育よりも私教育のウェイトが高いところにある。日本では、伝統的に私教育が果たす役割が大きく、戦国時代に日本を訪れたキリスト教宣教師も日本人の識字率の高さを指摘している。公教育を強制するという形でしか教育水準を高めることができなかった欧米とは事情が違う。現在でも、日本では私教育が果たす役割が大きく、おかげで日本人の学力は欧米先進国の人々の平均と比べて高い水準にある。もちろん、欧米先進国には日本よりも優れたところはたくさんあり、それらは見習うべきであるが、この国の指導者は、見習うべきところがあっても、それが特権階級の既得権益を損なう場合は見習わず、逆に見習うべきでないところであっても、それが特権階級の既得権益に資する場合は見習おうとする。

私教育が公教育よりも優れているのは、前者では市場原理が機能するが、後者ではそうではないことによる。安倍総理は、消費税を増税して、幼児教育無償化や高等教育の負担軽減を実現するつもりだが、これによりますます受益と負担が一致しなくなる。非競合性と非排除性のある公共財なら受益と負担が一致しないのは仕方がないが、教育サービスは競合性と排除性があるから、本来は受益と負担を一致させ、市場原理によりコスト・パフォーマンスが悪い教育サービスを淘汰させるべきだ。それなのに、教育サービスをまるで公共財であるかのように無償化してしまえば、コスト・パフォーマンスが悪い教育サービスが温存され、教育産業の生産効率が低下する。安倍総理は、無償化により教育負担が減ると言っているが、個人レベルではともかく、社会全体では、生産性の低下とともに逆に教育の負担は増大することになる。特に、現代のように、EdTech が教育コストを劇的に下げることができる時代に高コストな従来型教育を税金で延命させることは、きわめて有害である。

こうした理由から、私は従来から公教育の廃止を主張してきた。公教育の廃止は大胆な主張に見えるかもしれないが、実は憲法を改正しなくても実現できる。日本国憲法第26条に「義務教育は、これを無償とする」とあるが、義務教育と公教育は同じではないし、義務教育の期間も規定していない。義務教育の期間は、学校教育法第十七条で「子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め」から「満十五歳に達した日の属する学年の終わり」までと規定されている。これをゼロ歳から六歳未満へと変更し、憲法が定める無償の義務教育を幼児教育にシフトさせる。無償の義務教育といっても、公教育はないので、保護者は政府から支給される一定額のバウチャーで民間から教育サービスを購入することになる。保護者が自宅で直接自分の子供に幼児教育、すなわち、しつけを行う場合は、保護者の教育労働に対してバウチャーの範囲内で報酬が支払われることになる。バウチャーだと不正が起きると心配する人もいるかもしれないが、幼児教育に力を入れなくて、損をするのは当事者だから、ペナルティはそれで十分である。

六歳以降、政府は教育そのものではなくて、教育の成果に対して金を出すようにする。すなわち、学習者が試験等に合格して、教育成果を達成したことを示すたびに、学習者に報奨金を出すのである。すると、学習者は、その成果を出すために、最もコスト・パフォーマンスに優れた教育を選ぼうとするようになる。その結果、コスト・パフォーマンスの悪い教育は淘汰される。本当は、こうしたことをしなくても、人生の成功という形で教育に対して報酬が与えられるのであるが、報酬が得られる時期があまりにも遠い未来だと、学習者のモチベーション向上につながらないので、短い期間で報酬が得られるようにすることが肝要である。また金銭による報酬を与えることで、貧困家庭の子供により強いインセンティブを与え、貧困の再生産を悪化させないという効果もある。

こうした私の教育改革の提案が受け入れられることはないだろう。公教育は文部科学省にとって重要な所管事業であり、特に大学は重要な天下り先である。政界においても、文教族のドンである森喜朗の派閥から多くの総理大臣が出たこともあって、公教育利権にメスを入れようという動きが起きない(清和政策研究会の小泉純一郎が郵政民営化や道路公団民営化を行ったのは、彼が敵視した経世会の利権を潰すことが狙いであり、自分たちの派閥の利権には手を付けなかった)。与党を批判する立場にある野党も、最大勢力が日教組という公教育利権の支援を得ているので、公教育利権の増強を要求している。かつては無駄な公共事業を批判するキャンペーンを行ったマスメディアも、教育という新たな公共事業の肥大化に対しては好意的である。意見を述べる識者の多くは大学教授であり、また最近ではメディア関係者が退職後大学教授になるケースも増えており、批判しにくい立場にある。

以上を要するに、官僚も、官僚を監督する立場にある与党も、与党を批判する立場にある野党も、そして与野党を含めた公権力を監視する立場にあるマスメディアという在野の権力も、すべて公教育利権によって懐柔されているということである。この利権に与ることができる人たちにとっては、公教育利権の拡大は歓迎すべきことなのだろうが、日本経済全体という観点からすれば、一方で増税を行い、他方で教育という公共事業を増大させるという経済の社会主義化は決して好ましいことではない。(2019年7月に記す)

10. 参照情報

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